異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました 作:たけのこ教徒
放課後。
バスケ部の練習試合を終えたオレは、館花と途中まで一緒に帰っていた。
「いやー、今日は助かったわ」
隣を歩く館花が、満足そうに伸びをする。
「何回言うんだよ、それ」
「感謝は何回伝えてもいいだろ」
「だったらラーメンだけじゃなく、餃子も付けろ」
「次な。今日はお前が断ったんだから」
「分かってるよ」
空は少しずつ夕方の色へ変わっていた。
昨日まで降り続いていた雨のせいか、吹く風はまだ少し冷たい。
住宅街の道を歩きながら、館花は今日の試合について話し続けていた。
最後の守備がよかった。
次も助っ人へ来てほしい。
今度はもう少し連携の練習もしてみたい。
「だから、オレはバスケ部じゃないって」
「入ればいいじゃん」
「バイトあるから無理」
「もったいねぇな」
「館花が二人分動けば解決だろ」
「無茶言うなよ」
いつも通りの会話。
それも、交差点へ着くまでだった。
「じゃあ、俺こっちだから」
館花が右手を上げる。
「おう。また明日」
「次の助っ人も頼むぞ」
「予定が合えばな」
「その言い方、結局来てくれるやつだろ」
「知らねぇよ」
館花は笑いながら右の道へ曲がっていった。
その背中が見えなくなるまで見送り、オレは反対側の道へ進む。
ここから家までは、一人だ。
朝、玄関で見送ってくれたレイチェルのことを思い出す。
母さんと買い物へ行くと言っていた。
ちゃんと必要なものは揃っただろうか。
あの灰色の生き物――ミィルも一緒に行ったのかもしれない。
何の動物か、結局分からないままだ。
「帰ったら聞くか」
小さく呟き、歩き続ける。
しばらくして、妙なことに気づいた。
「……?」
人がいない。
いつもならこの時間、買い物帰りの人や学校帰りの生徒と何度かすれ違う。
犬を散歩させている人もいる。
自転車も通るから、まったくいないわけではない。
でも、今日は誰とも会わない。
それだけじゃない。
静かすぎる。
聞こえるのは、自分の足音だけ。
コツ、コツ。
ローファーの底が道路へ触れる音が、妙に大きく響く。
「なんだ……?」
足を止める。
風が吹いた。
電線が微かに揺れる。
それ以外は何も聞こえない。
以前にも似たような違和感を覚えたことがある。
いや、似ているだけで、今日の方がずっと不気味だ。
誰かに見られている。
そんな感覚。
背中へ視線が突き刺さっている。
オレはゆっくり振り返った。
数メートル後ろ。
黒い外套をまとった男が立っていた。
背が高い。
帽子を深く被り、顔の上半分は影に隠れている。
この辺りでは見かけない格好だ。
外国人だろうか。
けれど、変なのは服装だけじゃない。
立っているのに、気配が薄い。
さっきまでいなかったはずなのに。
いつからそこにいたのか分からなかった。
「何か用か?」
声を掛ける。
男はすぐには答えなかった。
ただ、こちらを見ている。
帽子の奥にある鋭い目が、オレの身体を確かめるように動いた。
やがて。
「……見つけた」
低い声だった。
「何をだよ」
男が一歩近づく。
反射的に、オレも一歩下がった。
「貴殿から、お嬢様の力を感じる」
「お嬢様?」
「さらに、カーバンクルの印もある」
聞き覚えのない言葉。
けれど、頭に浮かんだのは一人だった。
レイチェル。
カーバンクルというのが何かは分からない。
でも、ミィルのことを言っている気がした。
こいつは、レイチェルたちを知っている。
「お嬢様はどこだ」
男が尋ねる。
静かな声。
それなのに、答えなければならないと思わせる圧があった。
「知らねぇな」
オレは答えた。
男の目が細くなる。
「惚けるな」
「人違いじゃないのか」
「貴殿の身体から、間違いなくお嬢様のエナジーを感じる」
「エナジー?」
また知らない言葉だ。
だが、レイチェルを雨の中から背負って帰った。
何かが身体に残っていたとしても、おかしくないのかもしれない。
それでも、こいつに居場所を教える気にはならなかった。
どう見ても、穏やかに迎えに来た人間じゃない。
「誰を捜してるのか知らないけどな」
オレは男から目を離さない。
「知らないものは知らない」
「……もう一度だけ問う」
男の声が僅かに低くなる。
「お嬢様はどこだ」
「だから、知らねぇって言ってるだろ」
沈黙。
男はしばらくオレを見つめていた。
やがて--
「では、直接確かめる」
「何を――」
男の姿が消えた。
そう見えた。
次の瞬間には、目の前にいた。
「っ!?」
反応できない。
胸倉を掴まれ、背中から近くの塀へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
肺から空気が押し出された。
何とか男の腕を振り払おうとする。
びくともしない。
人間とは思えない力だった。
「離せ!」
男の腕へ拳を叩き込む。
手応えはある。
だが、男は表情一つ変えなかった。
「抵抗は無意味だ」
「やってみないと分かんねぇだろ!」
膝を上げる。
男は僅かに身体をずらし、簡単に避けた。
そのままオレを地面へ投げる。
背中へ衝撃が走る。
転がりながら距離を取り、すぐに立ち上がった。
逃げるべきだ。
戦って勝てる相手じゃない。
それでも、こいつを家へ向かわせるわけにはいかない。
「威勢だけはいいようだ」
男が右手を持ち上げる。
その腕を、黒い光が覆い始めた。
煙にも見える。
影にも見える。
黒い光は指先から肘へまとわりつき、やがて人の腕よりも長い異形の形へ変わった。
「なんだよ、それ……」
「貴殿の記憶を直接探る」
「冗談じゃねぇ」
オレは走り出した。
家とは逆方向へ。
こいつを少しでも遠ざけるために。
背後から追ってくる足音はない。
それなのに。
次の曲がり角を曲がった先で、男が待っていた。
「なっ……」
「逃げられると思ったか」
立ち止まる暇もない。
男の手が伸びる。
避けようと身体を捻った。
だが。背中へ、今まで経験したことのない衝撃が走った。
「――っ!」
声が出ない。
黒い何かが、身体の内側へ入り込んできた。
反射的に腹を見る。
そこから、黒い腕のようなものが突き出していた。
背後に立つ男の腕と繋がっている。
腹を貫かれている。
そう見える。
けれど、制服は破れていない。
血も流れていない。
それなのに。
痛い。
身体の奥を掴まれ、何かを根こそぎ引き抜かれるような感覚。
「か、はっ……」
膝から力が抜ける。
視界が揺れた。
息が吸えない。
手足が急速に冷たくなっていく。
男が何かを話している。
「お嬢様を……」
その先が聞こえない。
音が遠い。目の前が暗くなる。
黒い腕が、身体から引き抜かれた。
支えを失い、うつ伏せに倒れる。
頬へ冷たいアスファルトが触れた。
「……脆すぎる」
男の声が、遠くで聞こえた。
「この世界の人間は、これほどまでに……」
何かを確かめるような気配。
身体へ触れられた気がした。
けれど、もう考えることができない。
レイチェル。
母さん。
親父。
そんな顔が、まとまりなく浮かんでくる。
最後に。
朝、玄関で聞いた声を思い出した。
『また後で』
その約束。
守れないかもしれない。
そう思ったところで。
オレの意識は、完全に途切れた。
◇◆◇
「レイチェル、まずいことになったわ。ショーゴが襲われた」
ミィルの言葉を聞いた瞬間。
頭の中が真っ白になった。
「襲われた……?」
「ええ」
ミィルの額の宝石が、弱い光を放っている。
誰かの魔力や生命力を探る時の光。
「朝、念のためショーゴへ印を付けておいたの」
「印?」
「居場所を探るためのものよ。私たちを助けた人だから、何かあった時のために」
ミィルの声は早い。
いつもの軽い調子がない。
「今、その印を通じてショーゴのエナジーが急激に弱くなったのを感じた」
「そんな……」
「急ぐわよ」
「うん」
わたしは立ち上がった。
買ったばかりの部屋着。
着替えている時間はない。
そのまま客間を飛び出そうとして、足を止める。
トーコさんに何と言えばいい。
本当のことを話す?
ショーゴさんが襲われました。
わたしたちを追ってきた人かもしれません。
そう説明している時間はない。
それに、何も事情を話していないのに、急にそんなことを言っても混乱させるだけだ。
「レイチェル」
ミィルに呼ばれる。
「分かってる」
廊下へ出る。
台所から、包丁の音が聞こえていた。
トーコさんは夕食の準備をしている。
今日あれだけ優しくしてもらった。
必要なものをたくさん買ってもらった。
わたしが安心して暮らせるようにと、何度も言ってくれた。
それなのに、また嘘をつく。
胸が痛んだ。
でも、ショーゴさんが危ない。
今は迷っている場合じゃない。
ミィルと一緒に階段を下りる。
玄関へ向かう途中、台所へ顔を出した。
「トーコさん」
呼び掛けると、トーコさんが手を止めた。
「どうしたの?」
「ミィルが……」
言葉が詰まる。
ミィルはわたしの足元で、落ち着かない動物のように玄関の方を向いていた。
「ミィルが外へ出たがっているので、少し散歩に行ってきます」
言ってしまった。
トーコさんはすぐには答えなかった。
わたしの顔。
足元のミィル。
玄関。
順番に視線を動かす。
何かがおかしいと気づいている。
それでも。
「そうなの?」
トーコさんは、いつもの声で言った。
「暗くなってきてるから、早めに帰ってきてね?」
「……はい」
問い詰められなかったことに安心する。
同時に、信じて待ってくれるトーコさんへ、申し訳なさが増した。
「……行ってきます」
「いってらっしゃい」
玄関を出る。
扉が閉まった瞬間、ミィルが駆け出した。
「こっちよ!」
わたしも後を追う。
住宅街を走る。
買い物で通った穏やかな道が、今はまったく違って見えた。
人とすれ違うたび、避けながら走る。
ミィルは角を曲がり、迷わず進んでいく。
「ショーゴさんは!?」
「まだ生きてる!」
その答えに、ほんの少しだけ息ができる。
「でも、エナジーが弱すぎる。急いで!」
「うん!」
足が痛い。息も苦しい。
それでも止まれない。
ショーゴさん。
昨日、わたしたちを雨の中から助けてくれた。
何も知らないのに、家へ連れて帰ってくれた。
今朝、行ってきますと言った。
また後で、と言った。
帰ってくるはずだった。
「お願い……」
無事でいて。
まだ、何も話せていない。
何も返せていない。
やがて、ミィルが細い道へ入った。
その先。
道路の中央近くに、人が倒れていた。
「ショーゴさん!」
駆け寄る。
黒い詰襟。
金色の髪。
間違いない。
うつ伏せになったショーゴさんの隣へ膝をつく。
「ショーゴさん、聞こえますか!?」
肩へ触れるが、返事はない。
呼吸はしている。
けれど、ひどく弱い。
辺りを見回す。
誰もいない。
襲った者は、もう立ち去った後だった。
道路にも、ショーゴさんの制服にも。
血は付いていない。
目立った傷もない。
なのに、身体から感じる生命の力が、あまりにも弱かった。
「ミィル、お願い」
「分かってるわ」
ミィルがショーゴさんの背中へ前足を置く。
額の宝石が光った。
目を閉じ、身体の状態を探る。
数秒。
けれど、その時間がひどく長く感じられた。
「……エナジーをかなり吸われてる」
「助けられる?」
「今すぐレイチェルのエナジーを分けてあげて」
「分かった」
「少しずつよ。一気に送ったら、今のショーゴの身体には負担が大きい」
「うん」
ショーゴさんの身体を慎重に仰向けへする。
顔色が悪い。冷たい。
わたしは左手を取った。
大きな手。
昨日。雨の中で、わたしとミィルを運んでくれた手。
両手で包み込む。
目を閉じる。
身体の奥に残っているエナジーへ意識を向ける。
わたしも、まだ完全には回復していない。
それでも。
今ある分を分けることはできる。
温かい光を思い浮かべる。
自分の中から、手を通じて。
ゆっくり、ゆっくりと。
ショーゴさんの身体へ染み込ませていく。
「お願い……」
戻ってきて。
わたしのエナジーが流れるたび。
ショーゴさんの指先へ、少しずつ温かさが戻ってくる。
「そのまま」
ミィルが状態を確認しながら言う。
「急がないで。今ので合ってるわ」
「うん……」
額に汗が浮かぶ。
息が苦しくなる。
それでも止めない。
やがて、ショーゴさんの指が僅かに動いた。
「……っ」
瞼が震える。
ゆっくりと目が開いた。
「ショーゴさん!」
呼び掛ける。
焦点の合っていない目が、わたしを見る。
「……レイチェル?」
「はい」
「と……ミィルか」
声がかすれていた。
「どうした?」
「どうしたって……」
安心した途端、涙が出そうになる。
必死に堪える。
「散歩をしていたら、ショーゴさんが倒れていたから」
嘘ではない。
でも、本当のことでもない。
ショーゴさんは眉を寄せた。
「倒れてた……?」
記憶を探るように、目を閉じる。
「そうだ……オレ」
急に身体を起こそうとした。
「待って!」
わたしは肩を支える。
ショーゴさんは途中で力を失い、片手を地面へついた。
「無理しないで」
「アイツは……?」
荒い息をしながら周囲を見る。
「黒い外套の男だ。背が高くて、帽子を深く被ってた」
黒い外套。背の高い男。
胸が冷たくなる。
ミィルを見る。
ミィルも険しい表情をしていた。
けれど、わたしたちは、まだその男を見ていない。
断定はできない。
「誰かに、襲われたの?」
「ああ」
ショーゴさんは腹を押さえる。
そのまま、自分の制服を見下ろした。
「確かに、貫かれたはずなんだけどな……」
「貫かれた?」
「腹から腕が出てた」
ショーゴさんは震える指で制服の裾を少し持ち上げる。
わたしは慌てて顔を背けた。
「し、ショーゴさん!」
「あっ、悪い」
すぐに裾を下ろす気配がした。
「でも、傷がない」
ショーゴさんの声。
「制服も破れてない。血も出てない」
少し間を置く。
「なのに、痛みだけは残ってる」
エナジーへ直接干渉する攻撃。
ミィルが言っていた通りだ。
ガルシアなら、そういう術を使えてもおかしくない。
「夢でも見てたのか……?」
ショーゴさんが頭を押さえる。
わたしは何と答えればいいか迷った。
今ここで全部話す?
異世界のこと。
ガルシアのこと。
わたしたちが追われていること。
でも、ショーゴさんはまだ弱っている。
道の真ん中で話すことでもない。
まず、家へ帰らなければ。
「ショーゴさん」
「ん、何だ?」
「歩けますか?」
「ああ」
ショーゴさんは立ち上がろうとする。
けれど、足元がふらついた。
わたしはすぐに腕を支える。
「……大丈夫じゃないです」
「ちょっと力入らないだけだ」
「それを大丈夫とは言いません」
思ったより強い声が出た。
ショーゴさんが少し驚いた顔をする。
「……悪い」
「肩、使ってください」
「でも」
「いいから」
ショーゴさんの腕を、自分の肩へ回す。
重い。
それでも、支えられないほどではない。
ミィルが反対側から様子を確認する。
「帰りましょう」
わたしは言った。
それから、ショーゴさんの顔を見る。
もう、隠したままにはできない。
今日のこと。
昨日のこと。
全部。
「……帰った後で」
「ん?」
「話したいことがあります」
ショーゴさんは、しばらくわたしを見ていた。
何かを察したように。
けれど、今は何も聞かなかった。
「分かった」
それだけ答えた。
わたしたちは、ゆっくりと歩き始める。
もう隠してはいられない。
ショーゴさんを巻き込んだのは。
間違いなく、わたしたちなのだから。