異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました 作:たけのこ教徒
家へ向かう頃には、空はすっかり暗くなり始めていた。
オレはレイチェルの肩を借りながら、ゆっくりと住宅街を歩いていた。
足へ力が入らない。
腹の奥には、まだ鈍い痛みが残っている。
外套の男に貫かれた。
そう記憶している。
腹から黒い腕のようなものが突き出していた。
制服が破れた感覚はなかった。
血の匂いもしなかった。
けれど、痛みだけは確かだった。
身体の奥から何かを引き抜かれるような、思い出すだけで気分が悪くなる感覚。
それなのに、今は傷一つない。
「……本当に大丈夫ですか?」
隣からレイチェルが尋ねる。
「さっきよりはな」
「でも、まだ顔色が悪いです」
「家まで、もう少しだろ」
「だからって、無理をしていいことにはなりません」
真面目な声だった。
言い返そうとしたが、さっき立ち上がった時にふらついた手前、説得力がない。
「分かったよ」
オレは素直に肩を借りたまま歩く。
反対側では、ミィルが時折こちらを見上げていた。
さっきから一度も鳴かない。
その代わり、妙に険しい顔をしている。
ただの動物にしては表情が分かりやすすぎる気がする。
まあ……今さら、こいつが普通の動物じゃなかったとしても驚かないかもしれない。
今日だけで、十分すぎるくらい変なことが起きた。
やがて、見慣れた家が見えてくる。
門扉の前で足を止めた。
「ここまででいい」
「え?」
レイチェルがオレを見る。
「もう大丈夫だ」
「でも」
「このまま入ったら、母さんが余計に心配するだろ」
レイチェルの肩から腕を外す。
足へ力を入れる。
まだ少し身体は重いが、歩けないほどじゃない。
「ほら」
二、三歩進んでみせる。
若干ふらついた気もするが、倒れなかった。
「大丈夫には見えません」
「見えなくても大丈夫だ」
「それ、大丈夫じゃない人が言う言葉です」
「細かいこと気にすんな」
レイチェルは納得していない顔をしていた。
それでも、無理に肩を貸そうとはしなかった。
「……本当に、無理しないでくださいね」
「分かってる」
門扉を開ける。
玄関までの短い道を歩き、ドアへ手を掛けた。
「ただいま」
家へ入る。
「おかえりなさい」
リビングから母さんの声が返ってきた。
靴を脱いでいると、エプロン姿の母さんが廊下へ顔を出す。
「正護、遅かった――」
途中で言葉が止まった。
母さんの視線が、オレの顔へ向く。
次に制服。
その後ろに立つレイチェルとミィル。
ほんの一瞬だけ、目が細くなった。
間違いなく何かを察した。
けれど。
「……おかえりなさい」
母さんはもう一度、同じ言葉を口にした。
「ただいま」
「レイチェルちゃんも、おかえり」
「ただいま、です」
「散歩、少し長くなったのね」
「……すみません」
「謝らなくていいわ」
母さんはオレへ近づく。
「正護、お腹空いてる?」
「まあ」
「なら、先にご飯にしましょう」
「何があったか聞かないのか?」
思わず尋ねる。
母さんは少しだけ笑った。
「聞いてほしい?」
「いや……」
「なら、今は聞かないわ」
オレの額へ手を当てる。
「熱はないみたいね」
「だから大丈夫だって」
「大丈夫かどうかは、顔色が戻ってから言いなさい」
やっぱり見抜かれている。
「もうご飯できてるから、ご飯の後でお風呂に入りなさい」
「分かったよ」
「レイチェルちゃんも、手を洗ってきて」
「はい」
母さんは何事もなかったようにリビングへ戻っていく。
問い詰めない。
でも、何も気づいていないわけじゃない。
オレたちが話すまで待つつもりなのだろう。
レイチェルが、その背中を複雑そうな顔で見ていた。
「行くぞ」
声を掛ける。
「……はい」
その夜の夕食は、いつも通りだった。
父さんはまだ会社から帰っていない。
母さんとオレとレイチェル。
そして、テーブルの端に置かれた小さな椅子へ座るミィル。
食卓には、白米と味噌汁。
鶏肉と野菜の煮物。
冷ややっこ。
ほうれん草のお浸し。
オレは普段よりゆっくり箸を動かした。
身体へ力が戻ってきているのは分かる。
レイチェルから何かを流し込まれた後から、少しずつ楽になっていた。
あれが何なのかも、後で聞かなければならない。
「正護」
「ん?」
「食べられないなら、残していいのよ」
母さんが言う。
「食えるよ」
「無理してない?」
「してない」
「ならいいけど」
母さんはそれ以上言わない。
レイチェルも口数が少なかった。
何度かこちらを見ては、すぐに目を逸らす。
“話したいことがある”
帰り道でそう言っていた。
たぶん、今日の男についてだけではない。
昨日から感じていた違和感。
レイチェルの服装。
ミィル。
魔力。
さっき流し込まれた、よく分からない力。
それらが全部繋がる話なのだろう。
食事を終える。
母さんに言われた通り、先に風呂へ入った。
制服を脱ぎ、鏡の前で腹を確認する。
やっぱり傷はない。
打撲の跡すらない。
けれど、触ると身体の奥が鈍く痛んだ。
「夢じゃないよな……」
湯船へ浸かりながら、あの男の言葉を思い出す。
お嬢様。
カーバンクル。
エナジー。
全部、レイチェルとミィルに関係している。
知らないふりをした判断は、間違っていなかったと思う。
あんな男を家へ案内するわけにはいかない。
ただ、そのせいで殺されかけた。
「意味分かんねぇな」
湯気の中で呟く。
風呂から上がり、自分の部屋へ戻る。
浴衣へ着替え、ベッドへ腰掛ける。
少しして。
コンコン。
ドアがノックされた。
「どうぞ」
ドアが開く。
レイチェルが入ってくる。
その足元にはミィル。
「失礼します」
「そこまで固くならなくていい」
「……はい」
レイチェルは勉強机の前にある椅子へ座る。
ミィルは軽く飛び、机の上へ乗った。
しばらく、誰も口を開かなかった。
レイチェルは膝の上で手を握っている。
どこから話せばいいのか迷っているようだった。
「で」
オレから切り出す。
「話したいことって?」
レイチェルが顔を上げる。
けれど、答えたのはミィルだった。
「まずは私から説明するわ」
「……」
オレは黙った。
レイチェルを見る。
机の上のミィルを見る。
もう一度、レイチェルを見る。
「……今、喋ったよな?」
「喋ったわよ」
ミィルが何でもないことのように答える。
「昨日から?」
「昨日どころか、ずっと前からよ」
「くるる、とか鳴いてたのは?」
「普通の動物らしく振る舞ってたの」
「普通の動物は、あんな鳴き方しないだろ」
「キツネの鳴き声なんて知らなかったのよ!」
ミィルが尻尾を逆立てる。
そこでようやく、これは現実なのだと理解した。
喋る動物。
いや、動物かどうかも怪しい。
「そういや」
前から気になっていたことを思い出す。
「ミィルって何の動物なんだ?」
「今そこ?」
レイチェルが少し驚いた顔をする。
「気になってたんだよ」
耳の長いキツネで調べれば、たぶんフェネックが出てくる。
けれど、目の前のミィルはどう見ても二頭身のマスコットみたいな姿だ。
フェネックどころかオレの知ってる動物とは違う気がする。
「私はカーバンクルよ」
ミィルが胸を張る。
「カーバンクル?」
マンガとかゲームでおなじみの?
「高位の魔力を持つ霊獣よ」
「キツネじゃないのか」
「違うって言ってるでしょ!」
「でも見た目は」
「それ以上言ったら怒るわよ」
「もう怒ってるだろ」
少しだけ、部屋の空気が軽くなる。
レイチェルも小さく笑っていた。
だが、すぐにその笑みは消える。
「ショーゴさん」
「ん?」
「襲ってきた人の特徴を、もう一度教えてもらえますか?」
「ああ」
オレは昼間の男を思い出す。
「背が高かった」
「どれくらい?」
「オレより高い。大体190位か?黒い外套を着て、帽子を深く被ってた」
「顔は?」
「暗くてよく見えなかった。目つきはかなり鋭かった気がするな」
「他には?」
「右腕を黒い何かで覆ってた」
自分の腹へ手を当てる。
「その黒いのが、腕みたいな形になった。身体を貫通したのに、服も破れないし血も出なかった」
レイチェルとミィルが顔を見合わせる。
「やっぱり……」
レイチェルが小さく呟く。
「知ってる奴なのか?」
「おそらく」
ミィルが答える。
「ガルシア・ブルグランド」
「ガルシア?」
「レイチェルのお祖父様に仕えている人よ」
「お祖父様の腹心です」
レイチェルが続ける。
「剣も魔法も、とても強い人です」
「魔法、ね」
もう今さら驚かない。
喋るカーバンクルを見た後だ。
「それで」
オレは二人を見る。
「一から説明してくれるんだよな?」
「……はい」
レイチェルは姿勢を正した。
「信じてもらえないかもしれません」
「ミィルが喋ってる時点で、大抵のことは信じると思うぞ」
「それもそうね」
ミィルが頷く。
レイチェルは小さく息を吸った。
「わたしとミィルは、この世界の人間ではありません」
「外国じゃなく?」
「はい」
「別の世界から来たってことか」
「……そうです」
思ったよりすんなり言葉が出た。
普通なら冗談だと思う。
でも、レイチェルたちの存在は、普通では説明できない。
「お父様は、もともとこの世界の人間でした」
「待て」
すぐに引っ掛かる。
「親父さんはこっちの人間なのか?」
「はい」
レイチェルは頷く。
「若い頃、事故でわたしたちの世界へ迷い込んだそうです」
そこで、レイチェルの母親と出会った。
二人は一緒に旅をした。
危険な目にも遭った。
それでも互いに支え合い、やがて結婚した。
父親は元の世界へ帰らず、レイチェルたちの世界で暮らすことを選んだ。
「子供の頃から、お父様とお母様に二人が出会った時の話をたくさん聞いていました」
レイチェルの声が、少し柔らかくなる。
「この世界のことも」
「車や電気とか?」
「はい。高い建物や、遠くの人と話せる道具。魔法を使わなくても暮らせる世界」
両親の話を聞くうちに。
いつか、自分も外の世界を見てみたいと思うようになった。
父と母のような、素敵な出会いがあるかもしれない。
知らないものを自分の目で見たい。
そんな憧れが強くなった。
「それで家出したのか?」
「……はい」
レイチェルが俯く。
「お祖父様にお願いしても、許してもらえないと思ったので」
「実際、許してくれなかったでしょうね」
ミィルがため息をつく。
「だから、城の地下にあるゲートを勝手に使ったの」
「城?」
気になる単語が増えた。
「レイチェルって、もしかして結構偉い家の娘なのか?」
「……少しだけ」
「少しじゃないわよ」
ミィルが即座に否定する。
「ラディーナ家は向こうじゃ名の知れた家よ。お祖父様は王家にも顔が利くし」
「だからガルシアもお嬢様って呼んでたんだな」
合点がいく。
レイチェルは恥ずかしそうに小さくなっていた。
「話を戻すわね」
ミィルが言う。
「レイチェルが勝手にゲートを起動させて、この世界へ来ようとした」
「ミィルもついてきたのか?」
「この子を一人で行かせられるわけないでしょ」
ミィルは当然のように答える。
「小さい頃から一緒にいるの。姉みたいなものよ」
「自分で言うんだな」
「事実だもの」
「ゲートを通る直前に、ガルシアに見つかりました」
レイチェルが続ける。
ガルシアは祖父の命令を受け、レイチェルを止めようとした。
部屋へ戻るよう命じられたが、レイチェルは拒否。
ミィルがガルシアを足止めし、レイチェルはゲートへ飛び込んだ。
その時。
ガルシアの攻撃がゲートへ当たった。
「だから、こちらに来る途中でゲートが不安定になって……」
「雨の中に落ちたのか」
「たぶん」
「ガルシアも、後を追ってゲートへ入ったはずよ」
ミィルが言う。
「それで、ガルシアがオレを今日見つけた」
「はい」
レイチェルは膝の上で、さらに強く手を握った。
「ショーゴさんがわたしを背負った時、わずかにエナジーが残ったのだと思います」
「エナジーって?」
「魔力や生命力の元になるものよ」
ミィルが説明する。
「それと、今朝、念のためショーゴにマーキングを付けたの」
「マーキング?」
「居場所や状態を感じ取れる印よ」
「勝手に付けたのか」
「悪かったわね」
「いや、今日はそれで助かったからいいけど」
ミィルの印がなければ。
レイチェルたちは、オレが倒れたことに気づけなかった。
「ガルシアは、その二つを感じ取ったんだと思います」
レイチェルの声が沈む。
「ショーゴさんが、わたしを捕まえている人か」
「あるいは、敵の協力者だと思った」
ミィルが続ける。
「居場所を聞き出すために、エナジーへ直接干渉したんでしょうね」
「加減はしたつもりだったのかもしれないわ」
「結果、オレは死にかけたけどな」
「……ごめんなさい」
レイチェルが深く頭を下げた。
銀灰色の髪が、顔を隠すように落ちる。
「わたしたちが来たせいです」
声が震えていた。
「ショーゴさんは何も知らなかったのに」
「わたしたちを助けてくれただけなのに」
「ガルシアに襲われて……」
今にも泣きそうだった。
オレはすぐに何かを言おうとしだが、やめた。
話を整理する。
レイチェルが勝手に家を出た。
追ってきたガルシアに見つかった。
ゲートへ飛び込み。
その時の争いで、オレの世界へ流れ着いた。
オレが二人を拾ったことで、レイチェルの力とミィルの印が残った。
それをガルシアが見つけ、オレを敵だと間違えた。
「つまり」
オレはゆっくり口を開く。
「レイチェルが勝手に家を出て、追ってきた奴にオレが敵だと間違われたと」
「……はい」
「それで腹を貫かれた」
「……はい」
「意味分かんねぇな」
「ごめんなさい」
レイチェルの肩が小さく揺れる。
怒っていないわけではない。
事情を知らずに殺されかけたんだ。
何とも思わない方がおかしい。
けれど、レイチェルがオレを襲わせたわけじゃない。
ガルシアに居場所を教えたわけでもない。
雨の中で倒れていたレイチェルを助けたのは、オレ自身が決めたことだ。
「でもまあ」
息を吐く。
「助けたのを後悔してるわけじゃない」
レイチェルが顔を上げる。
「え……?」
「倒れてるお前らを見つけて、知らん顔できなかった」
「それは事情を知った今でも変わらない」
「ショーゴさん……」
「ただし」
少し強めに言う。
「今後は隠し事なしだ」
「危ないことがあるなら、先に言え」
「……はい」
レイチェルは何度も頷く。
その後、少し迷ったように唇を動かした。
「だから……」
膝の上で握った手へ視線を落とす。
「わたしたちは、この家を出た方がいいと思います」
部屋が静かになる。
ミィルは何も言わなかった。
レイチェルが自分で考えて出した答えなのだろう。
「このままここにいたら」
レイチェルが続ける。
「ショーゴさんだけじゃなく、トーコさんやケンジさんまで巻き込むかもしれません」
「ガルシアが、また来るかもしれない」
「だから、これ以上迷惑を掛ける前に……」
確かに。
出ていってもらえば、家族が巻き込まれる可能性は下がる。
ガルシアが探しているのはレイチェルだ。
レイチェルがここにいなければ、家へ来る理由もない。
理屈ではそうだ。
けれど。レイチェルは、この世界のことをほとんど知らない。
お金もない。身分を証明するものもない。泊まる場所もない。
何より。ガルシアという男に見つかったら、一人では逃げられないだろう。
オレですら何もできなかった相手だ。
「却下だ」
「え?」
レイチェルが目を丸くする。
「二人が出ていったら、今度は二人で狙われるだろ」
「でも、このままでは皆さんを……」
「勝手にいなくなられる方が迷惑だ」
「……」
「それに」
オレは少し考えてから続ける。
「母さんが面倒見るって決めた」
「父さんも賛成した」
「オレも、途中で放り出す気はない」
「でも……」
「今日みたいなことがまた起きるなら、今度は先に教えてくれ」
「一人で何とかしようとすんな」
「ショーゴさんは、怖くないんですか?」
レイチェルが尋ねる。
怖くない。
そう言えれば格好いいのかもしれない。
でも。
「怖いに決まってるだろ」
正直に答える。
「あんなの、もう一回食らいたくない」
「だったら」
「だからって、二人を放り出したら全部解決するわけじゃない」
「ガルシアはオレの顔も覚えてる」
「今さら無関係には戻れないだろ」
「それは……」
「だったら、できることを考えるしかない」
自分でも、何ができるのかは分からない。
ガルシアと戦って勝てるわけもない。
異世界の知識もない。
魔法も使えない。
それでも、知らないふりをして放り出すよりはましだ。
「助けた以上、最後まで付き合う」
オレは右手を差し出した。
「改めてよろしくな、レイチェル」
レイチェルは、差し出された手をしばらく見つめていた。
やがて。
恐る恐る、自分の両手で包み込む。
「……はい」
目の端に涙が浮かんでいる。
「よろしくお願いします、ショーゴさん」
小さな手。
けれど、しっかりと握り返してくる。
その時。
「当然、私も入ってるわよね?」
ミィルが机の上から身を乗り出した。
「お前は最初からセットだろ」
「何よ、その言い方」
「レイチェルだけ置いて、お前だけ追い出すわけにもいかないだろ」
「当然よ」
ミィルが胸を張る。
そして、オレとレイチェルが握った手の上へ、小さな前足を乗せた。
人間が二人。カーバンクルが一匹。
昨日までは、お互いの存在すら知らなかった。
それなのに、この瞬間から。
オレたちは、同じ秘密を抱えることになった。
「……本当に、変なことになったな」
思わず呟く。
レイチェルが涙を拭いながら、小さく笑った。
「ごめんなさい」
「そこは笑うところだろ」
「….…無理です」
「じゃあ、もう謝るな」
「……はい」
ミィルが呆れたようにため息をつく。
「前途多難ね」
「原因のお前らが言うなよ」
「私まで一緒にしないで。家出を言い出したのはレイチェルよ」
「ミィルだって、最後はついてきてくれたじゃない」
「あなた一人じゃ心配だったの!」
二人が言い合いを始める。
その声を聞きながら。
オレは少しだけ笑った。
異世界。
魔法。
カーバンクル。
ガルシア。
分からないことばかりだ。
それでも、少なくとも。
今日、この二人を家から追い出すという選択だけは。
間違っていると思った。