ドゴォン! と激しい衝撃音が響き、九歳のアルバーンの身体は無残に弾き飛ばされた。 長槍で受け止めようとしたものの、少年の細い腕では、大男の怪力を受け止めきれるはずもない。ひび割れた石畳の上を激しく転がり、背中を強く打ちつける。肺から空気がすべて吐き出され、激痛で視界が真っ白に染まった。
「あはははは! 見ろよ、一撃だ!」 「無駄に生き延びるな、さっさと首を撥ねちまえ!」
観客席からの冷酷な嘲笑が、鼓膜を突き刺す。
「がはっ……、ごほっ……!」
口から溢れる血を拭う間もなく、ガインが勝ち誇った笑みを浮かべて迫ってくる。
(ダメだ……ここで死んだら、ミナたちが……みんなが殺される……!)
アルバーンは震える腕で、必死に槍を杖代わりに立ち上がった。その目に宿る光だけは、まだ消えていない。
初陣の結果は、惨敗だった。 首を撥ねられる寸前、どうにか本能的な身のこなしで致命傷だけは避けたものの、なす術もなく甚振られ、最後は意識を失ってリングに沈んだ。ファミリーの娯楽として「まだ死なせるな」という指示があったからこそ、かろうじて命だけを繋ぎ止められ、血塗れのまま地下の檻へと投げ戻された。
「アル! アル!! しっかりして……!」
檻の中で目を覚ましたアルバーンを待っていたのは、涙で顔を濡らした八歳の妹、ミナの呼び声だった。
「……ミナ、ごめん。俺、負けちまった……」 「いいの、生きててくれただけでいいの……!」
ミナはアルバーンの傷だらけの手を握りしめ、必死に泣きじゃくる。だが、地獄のルールは無慈悲だった。 その夜、見せしめとしてアルベルト先生の死とアルバーンの敗北、敗北が重なるとどうなるかを思い知らせるために、まだ五歳にも満たない、一番小さな男の子がにファミリーの男たちに連れて行かれた。
「嫌だぁあ! 先生! アルにいちゃん!」
泣き叫ぶ小さな声を、アルバーンはただ鉄格子に爪を立てて見送るしかなかった。翌朝、男の子がいた場所には、冷たくなった彼の小さな衣服だけが、ゴミのように放り捨てられていた。
「クソッ……! クソォオオオ!」
拳から血が流れるほど鉄格子を殴りつけた。涙は涸れ、胸に宿ったのは、ドフラミンゴファミリーへの狂おしいほどの憎悪と、二度と誰も失わないための「強さ」への飢餓感だけだった。
それからの数ヶ月は、まさに悪夢だった。 まともに武器を握ったことすらなかった九歳の少年である。当然、戦えば負けた。二戦目も、三戦目も、十戦目も。骨を折られ、肉を裂かれ、毎日のように血反吐を吐いて地下へ引きずり戻される。 敗北が重なるたび、檻の中のカウントは無情に進んだ。地下監獄の壁には、ファミリーの男によって無慈悲に「十六本の線」が刻まれていた。十敗するごとに、その線が一本ずつ削られていく。
「アル……もうやめて。これ以上負けたら、今度は……」
怯えきったミナが、アルバーンのボロボロのシャツを掴んで震える。次の「十敗」のラインが来れば、誰が連れて行かれるか分からない。子供たちの間には絶望が蔓延し、アルバーンを見る目にも恐怖が混じり始めていた。彼にかかる重圧は、九歳の少年の心を狂わせるに十分だった。
(強くなるしかない。教えてくれる師匠も、誰もいないなら……敵から奪うだけだ)
アルバーンは変わった。ただ無盲滅法に槍を振るうのをやめた。 彼は己に刻まれる「痛み」を教科書にした。なぜ今、自分の槍は弾かれたのか。なぜ相手の刃は防げなかったのか。戦いの最中、死線の瀬戸際で、彼は敵の体の動きを、筋肉の収縮を、足の運びを、狂気的な集中力で見つめ続けた。
さらに、自分が戦わない時間は、鉄格子の隙間から身を乗り出すようにして他の剣闘士の試合を凝視した。
「あの男、踏み込む瞬間に左膝がわずかに内側に入る。だからあのアングルからの打撃が強いんだ」 「あの槍使いの重心の移動……こうか?」
地下の薄暗い武器置き場で、アルバーンは昼間に見た手練れのステップを、自分の体で正確にトレースしてみせる。一目見ただけで相手の技を盗む――その天性の戦闘の才覚が、極限の恐怖と飢えの中で、異常な速度で開花し始めていた。
最初は身の丈に合わなかった重い長槍が、数ヶ月経つ頃には、まるで自分の腕の延長であるかのように馴染み始めていた。大男の怪力を正面から受け止めず、槍のしなりを利用して受け流す体術。相手の視界の死角から音もなく刺突を放つ槍術。それらすべてを、彼は実戦の中で、文字通り「命を削りながら」独学で盗み、構築していった。
そして、初陣から半年が経ったある日。 アルバーンは通算「三十九敗」という、後がない崖っぷちの状態でリングに立っていた。対戦相手は、かつて自分をゴミのように踏みにじった斧使いのガイン。
「ヒャハハ! また生贄のガキか! そろそろその首、俺の斧で綺麗にハネてやるよ!」
ガインが巨大な斧を振り下ろす。数ヶ月前なら、その風圧だけで恐怖し、吹き飛ばされていた一撃。 しかし、九歳のアルバーンの目は、冷徹にその軌道を見切っていた。
(遅い。踏み込みが甘い。右肩が上がっている)
アルバーンは半身をずらし、斧の刃をわずか数ミリでかわす。同時に、長槍の石突きでガインの軸足を強烈に払いあげた。
「なっ……!?」
巨体が宙に浮く。すれ違いざま、アルバーンは長槍を完璧な重心移動から繰り出し、ガインの胸元を深く貫いた。 ドサリ、と巨体が崩れ落ちる。 静まり返るコロシアム。実況の声が、驚愕に震えていた。
『……勝者、アルバーン!! なんと、あの“首斬り”ガインを一撃で仕留たぁー!!』
降ってくるのは、歓声ではない。どよめきと、化け物を見るような観客の視線。 返り血を浴びたアルバーンは、勝ち鬨をあげることもなく、ただ冷たい瞳で観客席を見上げた。
その手にある槍は、もう二度と、誰にも無様に弾かれることはないほど深く、彼の血肉に馴染んでいた。