孤高の黒槍   作:特性 Suisui

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後日談です。

いくつかの話を集めた短編集的なものにしました。

藤虎の口調難しい‥‥‥


後日談1

1:出航

「おい待てぇぇぇぇっ!ルーシーを逃がすなァァァッ!!」

 

 ドレスローザの東の海岸。 海軍本部大将『藤虎』イッショウが放った大技――ドレスローザ中のガレキを天高く浮かせた巨岩の群れが、今にも空から降り注がんとする臨戦態勢の中、海岸は海賊、そして麦わらの一味を逃がそうとするコロシアムの戦士たちとドレスローザの国民たちによる大混乱の渦の中にあった。

 

「急げぇ! 船へ乗り込めぇぇぇっ!」

「海軍が追ってくるぞーっ!」

 

 怒号と悲鳴、そして海賊たちの高笑いが混ざり合う東の港の少し手前。 人混みから一段離れた小高い岩場の影に、静かに佇む一人の男がいた。

全身の傷口を白い包帯で固く巻き、黒い装束を纏った男――アルバーンである。 その隣には、彼の手をキュッと握りしめた妹のミナの姿もあった。

 

「……どこまでも騒々しい奴らだ」

 

 アルバーンはその黒の瞳で、海軍の包囲網を突破しようと海岸へ向かって爆走していく麦わらの一味の姿を静かに見つめていた。

 

「アル! ルフィさんたち、本当に行っちゃうんだね……」

「あぁ。あいつらは海賊だからな。一つの場所に留まる奴らじゃない」

 

――その時。

サッ……!

 

 気配もなく、アルバーンのすぐ横の空間が歪んだ。 『ROOM』の円領域が収縮すると同時に、地に足をつけて現れたのは、白い帽子を深めにかぶった男――『死の外科医』トラファルガー・ローであった。

 

「……まだ残っていたのか」

 

 ローは肩に担いだ妖刀『鬼哭』の柄に手をかけたまま、流し目でアルバーンを見た。 その顔には疲れが滲んでいたが、どこか憑き物が落ちたような静けさがあった。

 

「傷の具合はどうだ。俺が縫合した肉体だ、そう簡単に弾け飛ばされては困る」

「……問題ない。お前のおかげで、こうして足をつけて立っていられる」

 

 アルバーンは短く答えると、少し間を置いてローに向き直った。

 

「恩人の件……決着はついたんだな」

「……あぁ」

 

 ローは帽子を目深にかぶり直し、視線を大海原へと向けた。

 

「13年間の呪縛が、ようやく解けた。……お前がドフラミンゴの背を撃ち抜いてくれたおかげだ。礼を言う」

「礼なんていらないぞ。俺は俺の過去にケリをつけただけだ。……お前も、これからも元気で」

「言われずともそのつもりだ。……じゃあな、黒槍屋」

 

 ローは短く吐き捨てると、再び『ROOM』を展開し、瞬く間に海岸の巨大船へと姿を消した。

 

「おいおい、シリアスな挨拶は終わりか?」

 

 続いて岩場の影から姿を現したのは、腰に三本の刀を差し、酒瓶を片手に携えた三刀流の剣士――ロロノア・ゾロであった。

ゾロはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、アルバーンに視線をやる。

 

「コロシアムの囚人剣闘士って聞いてたが……お前の一槍、遠くから見させてもらったぜ。空を裂くような、いい気迫だった」

 

「……ピーカを斬った剣士か。お前の戦いも凄まじかった。……お前のような剣士が味方にいたからこそ、ルーシーも真っ直ぐ前だけを見て戦えるんだろうな」

「ハッ、違げぇよ。あいつが勝手に突っ走るから、俺たちが後ろを片付けてるだけだ」

 

 ゾロは酒瓶の口を素手で開けると、ゴクゴクと一息に飲み干し、豪快に口元を拭った。

 

「また縁があったら、今度は刀と槍で手合わせしようぜ。……じゃあな、アルバーン」

「あぁ」

 

 ゾロは背を向け、悠々と歩き出した。

そして――。

 

「うおぉぉぉぉぉっ! アル~っ! ミナ~っ!」

 

 ドタバタと豪快な足音を立てて、海岸の方から一直線に走ってきたのは、赤いベストを羽織った男――麦わらのルフィであった。

 

「ルフィさんっ!」

 

 ミナが嬉しそうに手を振る。 ルフィはアルバーンの目の前でピタリと止まると、麦わら帽子を頭の後ろに回し、満面の笑みを浮かべた。

 

「見送りに来てくれたのか! サンキューな!」

「……見送りというわけじゃない。ただ……ひとこと、言っておきたかっただけだ」

 

 アルバーンはルフィの真っ直ぐな瞳を見つめ返し、静かに胸に手を当てた。

 

「世話になったな、ルーシー。お前がこの国に来てくれなければ……俺も、ミナも、レベッカも……きっと地獄の底で死んでいた」

 

 ルフィは鼻の下を指でこすりながら、ニシシと笑った。

 

「へへっ、何言い出してんだよ! 俺はただ、ドフラミンゴをぶっ飛ばしたかっただけだ! それに……最後にお前が背中をぶち抜いてくれなきゃ、あいつの糸、押し切れなかったかもしれねぇ!」

 

 ルフィはドンと自分の胸を叩き、力強い声で叫んだ。

 

「強かったぞ、アル! お前の槍、めちゃくちゃカッコよかった!!」

「……フッ」

 

 頑固で滅多に感情を表に出さないアルバーンの口元が、ほんのわずかにゆるんだ。

 

「行くぞルフィーーッ! 船が出るぞーーっ!!」

 

 遠くからウソップやフランキーの叫び声が響く。藤虎の降らせる巨大なガレキの雨を回避するため、船がいよいよ出航しようとしていた。

 

「おう! 今行くぞーっ!」

 

 ルフィは大きく手を振り返すと、くるりと背を向け、海へと飛び出す準備をした。そして、最後に振り返ってアルバーンとミナに指を指した。

 

「アル! ミナ! 美味ぇもんたくさん食って、元気でいろよな!」

「あぁ、お前もな。海賊王…!」

 

 アルバーンは力強く頷き、しっかりと地に足をつけて言い放った。

 

「おう! 当たり前だ!!」

 

 ルフィは最高の笑顔を見せると、凄まじい脚力で空を蹴り、遥か沖合に浮かぶ巨大船『ヨンタマリア号』のデッキへと飛んでいった。

 

ザザァァァァァァッ……!!

 

 海風が吹き抜け、巨大な船団がドレスローザの島から離れていく。 瓦礫の雨を越えて行き、どこまでも広がる大海原へと進んでいく麦わらの一味。

 

「行っちゃったね……」

 

 ミナが寂しそうに、けれど晴れやかな顔で船を見送る。

 

「あぁ。あいつらは止まらない。……どこまでも自由に行くさ」

 

 アルバーンとミナは肩を寄せ合い、遠ざかっていく船影をいつまでも、いつまでも見つめ続けていた。

 そこにはただ、背中を押してくれた男たちの温かな情熱と、これから歩んでいく彼らの温かな未来だけが、確かに広がっていた。

 

 

 

 

2:藤虎

 ドレスローザの騒乱が収まり、復興の鎚音が街のあちこちから心地よく響き始める頃。 王宮の喧騒から遠く離れた下町の片隅に、こぢんまりとした古い定食屋がひっそりと佇んでいた。

 店内は昼下がりということもあり、客の姿もまばらだ。 暖簾をくぐったアルバーンは、カウンターの端に腰を下ろし、静かに食事を頼んだ。 肩には包帯を巻き、目隠しを整え直したばかりの身空。かつてコロシアムで血を流し続けた傷は、いまも疼くように痛むが、胸の奥底にあった刺々しい殺意は驚くほどに澄み渡っていた。

 

「……ご主人、酒をもう一杯。それと……このお方に湯豆腐を」

 

 隣の席から、ガラガラとした重厚で穏やかな声が聞こえた。

紫の着流しに仕込み杖を携えた大きな男――海軍本部大将『藤虎』イッショウであった。

 

「……海軍大将が、こんな下町の定食屋で一人酒か」

 

 アルバーンは視線を向けず、届いた湯豆腐を手に取りながら呟いた。

 

「へい……勝負事の帰りでしてね。まあ、賭場からは追い出されてしまいましたがね……あまりにも当たりすぎるもので」

 

 イッショウは自嘲気味に破顔すると、ゆっくりと酒盃を傾けた。 盲目の瞳は開かれることはないが、その圧倒的な見聞色の覇気と存在感は、目の前の男がどれほどの「怪物」であるかを饒舌に物語っている。

 

「……あんたか。リク王の前で、土下座をして見せた大将というのは」

「……左様で。海軍という巨大な看板の裏に隠されてきた『ドフラミンゴという闇』……それを暴くには、あの手しかありやせんでした。だが、それによって巻き込んでしまった人々には、いくら頭を下げても下げ足りんすがね」

 

 イッショウは静かに酒盃を置き、盃の縁を指でなぞった。

 

「はっはっはっ……自らの目を潰して以来、様々な『見たくもない酷いもの』を心で感じてきやしたが……このドレスローザの惨状と、そこにあった偽りの平和ほど、胸が痛むものはありませんでしたよ」

「‥‥‥十年間、街の人々は笑顔で暮らしていた。だがその笑顔の下には、おもちゃに変えられて忘れ去られた家族の悲鳴と、地下で殺されていった者の血が流れていた。……俺は、コロシアムでその『闇』を嫌というほど見せつけられてきた」

 

 アルバーンの言葉には、いまなお消えぬ深い悲憤が籠もっていた。

 

「自分たちが踏みつけにしている死体にも気づかず、ただ踊り、歌っていた国民……俺はそんなこの国が、心底嫌いだった」

「……そうでしょうねぇ」

 

 イッショウはゆっくりと頷き、湯気を立てる湯豆腐に箸を伸ばした。

 

「あっしには目が見えやせんが……人の心の『業』というのは、見えぬからこそ生々しく感じ取れるもの。国民の身勝手さ、都合の良さ……それもお手元にある『事実』でございやしょう。だが……」

 

 イッショウは箸を止め、じっとアルバーンの方へと顔を向けた。

 

「自らの目を潰したあっしが言うのも筋違いですがね……あっしは、あの決着の瞬間、この国を覆っていた雲が晴れていくのを感じやした。絶望の底に落ちてもなお、立ち上がろうとした人々……そして、命を賭して人を救おうとした一筋の『黒き覇気』をね」

「‥‥‥。」

 

「あんたさんが庇い、守ったあのお嬢さんや小さなご家族……彼女たちの笑顔は、紛れもない『本物』でしょう。偽りの平和が壊れたあとに残ったのは、泥臭くも真実の『希望』でごぜぇやす」

 

 イッショウの言葉は、まるでアルバーンの傷ついた魂を優しく包み込むかのように温かかった。

 

「……海軍の正義ってやつも、案外捨てたものじゃないな」

「あっしは『正義』などという大層なものを背負っちゃおりやせんよ。ただ……これ以上、目の前で悲鳴を上げる者を無視できんというだけの……頑固な老いぼれでごぜぇやす」

「十分だ。……あんたのような奴が上にいるなら、世界も少しはマシになるかもしれない」

「ハハハ、買いかぶりすぎでさぁ。あっしはこれから、上の立派な方々に大目玉を食らいに行くところでしてね……」

 

 胸の奥が、静かに熱くなる。 海軍大将という「正義の頂点」に立つ男から投げかけられた言葉は、かつてドフラミンゴに「犯罪者」の烙印を押され、世界から見捨てられていた己の存在を、丸ごと救い上げてくれるかのような温もりがあった。

 

「……大将」

「イッショウと呼んでおくんなせぇ。今はただの、酒好きのろくでなしでござんす」

 

 アルバーンは小さく鼻で笑い、器を傾けた。

 

「……いい湯豆腐だな」

「でしょう? ここのご主人の作る一品は、一級品でさあ」

 

 買い出しの途中に路地裏を通りかかったミナとレベッカが、定食屋の暖簾の隙間から中を覗き込んだのは、ちょうどその時だった。

 

「あ! レベッカさん見て! アルだ!」

「えっ……横にいるのって、大将藤虎……!?」

 

 店内では、熱いお茶をすするアルバーンと、嬉しそうにお酒をおかわりするイッショウが、時折短く言葉を交わしながら、穏やかな時間を共有していた。

 

「……喧嘩してるわけじゃないみたいだね」

 

レベッカはホッと胸を撫で下ろし、嬉しそうに目を細めた。

 

「うん! アル、なんだかすごく落ち着いたお顔してる」

 

 店の中では、言葉を交わし互いの「傷」と「誇り」を認め合った二人の男が、静かに器を空にしていた。

 

定食屋のカウンターに漂う湯気の向こうで、イッショウはお猪口を静かに置いた。

 

「……ところで、旦那」

 

 イッショウは白目を包帯の巻かれたアルバーンの顔へと向け、思い出したように低い声で切り出した。

 

「もし……この国に留まるのが嫌でお過ごしなら、あっしの手を取って海軍に来てみやせんか?」

「……俺を、海軍に?」

「えぇ。世界徴兵で大将になったあっしが言うのもなんですがね。あんたほどの武術と、地獄を生き抜いたその覇気……正義の旗の下でその槍を振るえば、救える命が山ほどありやす。大将や中将の席だって、決して夢じゃござんせんよ」

 

――その言葉にレベッカは胸が跳ね上がり、思わず口元を両手で覆った。

 

(海軍へのスカウト……大将や中将……?)

 

 脳裏によぎったのは、かつてアルバーンが発した言葉だった。

 

『俺は……この国が大嫌いだ』

 

 この国に刻まれた惨劇の記憶。 アルバーンにとって、ドレスローザは大切な家族を奪われ、牢獄とコロシアムで血を流し続けた地獄そのものだ。

 

(アルはこの国を嫌ってる……。もし、海軍に行けば……私やミナちゃんの届かない遠いところへ行っちゃう……?)

 

 いなくなってしまうかもしれないという強い不安と寂しさが、レベッカの胸をぎゅっと締め付け、息が苦しくなる。ミナもレベッカの服の裾を不安そうに強く握り締めていた。

 暖簾の向こうで、アルバーンは静かに熱いお茶を一口すすった。

 そして、迷いのない声で短く告げた。

 

「……せっかくだが、断る」

 

 イッショウは驚いた風もなく、ただ静かに耳を傾けた。

 

「断る、ですか。海軍に入れば『元・囚人』の汚名も雪ぎ、世界にその名を轟かせることができるやもしれやせんが……」

「名誉なんて要らない。それに――」

 

 アルバーンは瞳を伏せ、どこか愛おしむような、柔らかい声で言葉を紡いだ。

 

「暗い地下で、死んだように生きてきたこの俺に……『一緒に生きよう』と言ってくれた人がいる。俺を『囚人』でも『死神』でもなく、ただのひとりの人間として受け入れてくれた人が、この国にいる。」

「‥‥‥。」

「彼女たちと過ごす日常以上に、俺が求めるものなんてない。……俺は、ここにいる」

 

 その言葉を聞いた瞬間、イッショウは目元を和らげ、破顔して豪快に肩を揺らした。

 

「ハハハ……! いやはや、失礼いたしやした。余計な世話でごやしたな」

 

 イッショウは仕込み杖を手に取り、ゆっくりと席を立った。

 

「暗闇を知る者だからこそ見つけられた……かけがえのない『光』でさあ。……その人たちを、どうぞ大切になさってくだせぇ」

「……あぁ」

 

 イッショウはすれ違いざまにアルバーンの肩をポンと一叩きすると、からからと音を立てて店の外へと去っていった。

 イッショウの後ろ姿が見えなくなったところで、アルバーンは小さく息を吐き、店の引き戸を開けた。

 

「……いつまでそこに隠れているつもりだ?」

 

 暖簾の脇で身を小さくしていたレベッカとミナは、肩をビクッと跳ねさせた。

 

「あ……あはは、アル……見つかっちゃった……」

 

 ミナが気まずそうに頭をかく。

 アルバーンは二人の前に歩み寄ると、腕を組んでジロリと見下ろした。

 

「……聞いていたのか?」

「――ッ!!」

 

 尋ねられたレベッカの顔が、一瞬で耳の先まで真っ赤に染まった。

 

『暗い地下で、死んだように生きてきたこの俺に……「一緒に生きよう」と言ってくれた人がいる』

 

 自分に向けられた、あまりにもストレートで温かい言葉の記憶が脳裏を駆け巡り、レベッカは羞恥心と溢れ出す嬉しさで胸がいっぱいになっていた。

 

「き、聞いて……聞いてない! ううん、ちょっとだけ聞いてた……っ!」

 

 レベッカは真っ赤な顔のまま、コクコクと必死に頷いた。

 

「そうか」

 

 アルバーンは照れくさそうに不器用な手つきで首の後ろをかくと、そっと二人の頭に大きな手を乗せた。

 

「そろそろ帰るぞ。夕飯の買い物もまだなんだろう?」

「あ……うん! うんっ!!」

 

 レベッカは弾けたような笑顔を見せ、涙ぐみそうな目をキュッと拭った。

 不安は、もうどこにもなかった。 アルバーンはどこにも行かない。自分たちの隣で、一緒にこの国で生きてくれるのだから。

 

「アル! 今日ね、お魚屋さんで綺麗な貝がたくさん上がってたんだよ!」

「あぁ、それにしよう。キュロスも喜ぶ」

「ふふっ、私、アルの好きなものも作るね!」

 

 橙色に染まり始めたドレスローザの街並みの中、三人は並んで歩み出した。 夕暮れの風が、いつまでも温かく彼らの背中を追いかけていた。

 

 

 

3:平穏な日常

 ドレスローザの街から届く復興の槌音が、心地よいBGMのように聞こえる午後。 陽光が穏やかに注ぐカルタの丘では、花々が風に揺れ、甘い香りを漂わせていた。

 

「アル! ほら、もっと腰を入れて掘らないと! カボチャの根っこって思ったより深いんだから!」

「……分かっている。これでも力加減には気を遣っているんだ」

 

 額に汗を浮かべ、鍬を手に畑に立っていたのは、かつてコロシアムで『黒槍』と恐れられた元・囚人剣闘士、アルバーンであった。 槍を鍬に持ち替えた彼の作業着姿はどこか不器用で、隣でテキパキと野菜を収穫していくレベッカに、すっかりタジタジとなっていた。

 

「ダメだよアル! 力を込めすぎたら、せっかくのカボチャが潰れちゃうでしょ! ほら、優しく!」

「……優しく、か。……こうか?」

「そうそう! やればできるじゃない!」

 

 レベッカに「よしよし」とばかりにニコニコと褒められ、アルバーンは気まずそうに目を逸らした。かつてドフラミンゴの糸すらも引き裂いたその剛腕が、いまやひとつ数キロのカボチャを割らないように、赤子でも抱くかのようにそっと扱われている。

 

「ふふっ、アル、顔がすごく真剣! 戦ってる時より怖そうな顔してるよ!」

 

 木陰で収穫したカボチャを洗っていたミナが、コロコロと楽しそうに笑った。

 

「笑うな、ミナ。……加減というものが、一番神経を使うんだ」

 

 ぶっきらぼうに呟くアルバーンであったが、その耳の端は心なしか少し赤くなっていた。

 

「ハハハ! まあ待てレベッカ、アルバーンも畑仕事は初心者だ。そう怒ってやるな」

 

 庭の丸太を斧で一刀両断しながら、豪快に笑ったのはキュロスだった。 元・無敗の剣闘士としての凄まじい筋力は健在で、あっという間に薪の山を作り上げていく。

 

「お父様は薪割りでしょう? 今日のアルは畑仕事の担当なんだから、ちゃんと教えてあげなきゃ! 今日はみんなで『カボチャのシチュー』を作るんだから!」

「シチュー! わぁい、レベッカさんのシチュー大好き!」

 

 ミナが歓声を上げ、パタパタとレベッカの元へ駆け寄る。

 

「よし、じゃあ野菜の準備はオッケー! アル、そのカボチャを台所まで運んでくれる?」

「……あぁ」

 

 アルバーンは両腕に山盛りのカボチャを抱え、小さな家の中へと運んでいく。 かつては数々の戦士の命を奪ってきたその両腕が、いまや家族の夕食の食材でいっぱいになっている。その光景に、キュロスは目を細めて温かな視線を送っていた。

 夕方、小さな家に香ばしい匂いが立ち込め始めた。 木製の丸テーブルを囲むのは、キュロス、レベッカ、ミナ、そしてアルバーンの四人。 中央に置かれた大きな鍋からは、とろとろに煮込まれたカボチャの黄色いシチューが湯気を立てている。

 

「それじゃあ……みんなで、いただきます!」

「「いただきます!」」

 

 さっそくスープを口に運んだミナが、ほっぺたを押さえて目を輝かせた。

 

「おいしい……! カボチャがすっごく甘いよ! ねぇアル、この味……なんだか懐かしいね?」

「……あぁ」

 

 アルバーンはスプーンを止め、スープから立ち上る湯気を静かに見つめた。

 

「孤児院にいた頃……アルベルト先生がよく作ってくれたんだ。畑でカボチャがたくさん採れる時期は、決まってこのシチューだった」

「あ! レクターやアンたちが、誰が一番大きいお肉を食べるか喧嘩しながら食べてたよね!」

 

 ミナが嬉しそうに昔話を咲かせると、レベッカも優しく微笑んだ。

 

「そうなんだ……!アルたちの思い出の味、再現できてる?」

「……あぁ。あの頃と同じくらい……いや、今日お前が作ったのが、一番美味い」

「〜〜っ!!良かった……!また、みんなで一緒に作ろうね!!」

 

 ストレートな褒め言葉に、レベッカは照れくさそうに顔をほころばせた。キュロスも酒杯を傾けながら、心底嬉しそうに目を細める。

 

「ハハハハ! にぎやかで良いなぁ! スカーレットの弁当を食べた時を思い出すよ」

「あ、そうだ! アル、ニンジンも残さないで食べてね? ほら、お皿に集めておいたから」

 

 レベッカが、すっとアルバーンの皿へニンジンを添えた。

 

「……レベッカ。俺は子供じゃない」

「ダメ! ミナだってちゃんと食べてるんだから、アルもお手本を見せないと!」

「そうだよアル! ニンジン食べないと、強くなれないよ?」

 

 ミナにまでドヤ顔で諭され、アルバーンは言葉を詰まらせた。 コロシアムの猛者たちを震え上がらせていた男が、いまや二人の少女の「お母さん」のような連携プレイの前に、完全にお手上げ状態となっていた。

 

「……分かった。食べればいいんだろう」

 

 アルバーンが観念してニンジンを口に運ぶと、レベッカとミナはパッと顔を輝かせ、「えらいえらい!」と顔を見合わせて笑い合った。

 血みどろの砂地、歓声という名の暴力、命を奪い合う緊張感――そんな地獄の日常は、もうどこにもない。 ここにあるのは、少し焦げた薪の匂いと、甘いシチューの湯気、そして大好きな家族の笑い声だけだった。

 

「アル、明日はお街までお買い物に行こうよ! ミナちゃんのお洋服と、みんなの服も見たいし!」

「……街か。人が多いのはあまり得意じゃないんだけど」

「ダメ! アルはいつも同じような黒い服ばかり着てるんだから、もっと明るい服を選んであげる!」

「私も選ぶー! アルに似合うカッコいい服!」

「おいおい、俺の分も頼むぞ、レベッカ」

「お父様はいつもので決まりでしょ!」

 

 ワイワイと弾む会話を聞きながら、アルバーンはそっと自分の手を見つめた。 傷だらけで、今も黒槍のタコが残る無骨な手。だがその手は今、誰かを傷つけるためではなく、この温かな日常をしっかりと抱きしめるためにあった。

 

「……あぁ。明日、街へ行こう」

 

 ぶっきらぼうに、けれど確かな優しさを込めて呟いたアルバーンに、レベッカとミナは満面の笑みを向けた。

カルタの丘に、温かな夜の静寂が訪れる。 かつて『孤高の黒槍』と呼ばれた男の、これが何よりも愛おしく、守り抜きたいと願った「平穏な日常」であった。

 

 

 

4:王宮の練兵場

 ドレスローザ王宮、広大な練兵場。 雲一つない青空の下、地面には数十人もの王宮兵士たちが、折り重なるように倒れ伏して呻き声を上げていた。

 

「ぐ……あ……」

「つ、強い……強すぎる……っ!」

 

 汗ひとつかかず、木剣を手にしたまま腕を組んで立っていたのは、片脚の伝説――キュロス。 そしてその隣で、木製の長槍を地面に突いて静かに佇んでいたのは、かつてコロシアムの最底辺から生還した男――アルバーンであった。

 復興を進めるドレスローザにおいて、平和を守る軍隊の再建は急務。 リク王からの「国の若者たちに、真の強さと覚悟を教えてやってほしい」という強い希望を受け、二人は特別講師として兵士たちの鍛錬を引き受けていたのだ。

 

「ハぁ……ハぁ……! な、なんて強さだ……。これが……伝説の『三千勝の剣闘士』と、ドフラミンゴを打ち破った『黒槍』の実力……!」

 

 息を荒らげながらどうにか膝をついた新人の若い兵士が、戦々恐々とした眼差しで二人を見上げた。 そして、湧き上がる好奇心と畏怖を抑えきれず、思わず口にしてしまったのだ。

 

「あ、あの……! 差し支えなければ教えてください! ……お二人は、どちらが強いのですか!?」

「「……」」

 

 その問いに、練兵場の空気がピタリと止まった。

 倒れていた兵士たちも、息を呑んで一斉に二人へ視線を注ぐ。 かつてコロシアムの歴史において、三千戦無敗を誇った誇り高き英雄キュロス。 そして、地獄の囚人剣闘士としてドフラミンゴに引導を渡した黒き英傑アルバーン。

 男なら誰もが一度は夢見る、「最強 対 最強」の真の答え。

 苦笑いを浮かべたキュロスが、木剣を肩に担ぎ直しながら口を開いた。

 

「どちらが強いか、か……。まあ、アルバーンの槍の凄まじさは私も目の当たりにしている。だがな……」

 

 キュロスはニヤリと不敵に口角を上げ、アルバーンに向けて言い放った。

 

「少なくとも……私より強くなければ、レベッカはやれんぞ?」

「――っ!?」

 

 練兵場の端で、兵士たちの手当てのために控えていたレベッカの顔が、一瞬でリンゴのように真っ赤に染まった。

 

「お、お父様ぁぁぁぁぁっっ!!?? ななな、何を言ってるの!? 鍛錬に関係ないでしょ!!」

 

 レベッカはバンッと救急箱を叩きつけると、猛ダッシュでキュロスの元へ駆け寄り、そのお腹あたりへ、ポコポコ!と拳を叩き込んだ。

 

「恥ずかしいこと言わないでよ! みんな見てるじゃない!!」

「ハハハ! 痛い痛い! 冗談だ、レベッカ! だが父親として譲れんものというものがあってだな……っ!」

「もう! お父様のバカ!!」

 

 プンプンと怒って抗議するレベッカと、頭をかいて笑うキュロス。 兵士たちからどっと温かな笑いが起きる中――。

ただ一人、アルバーンだけは笑っていなかった。

 

「……キュロス」

 

 静かだが、腹に響くような重々しい声。 アルバーンはゆっくりと目隠しの包帯の位置を正すと、手にした木槍の柄をぎちぎちと音を立てて握り締めた。

 

「む……? どうした、アルバーン」

 

 アルバーンの瞳には、冗談を跳ね返すほどの凄絶な「戦士の光」が宿っていた。

 

「……冗談はどうでもいい。だが……『三千戦無敗の英雄』キュロス。お前のその腕前、ずっと興味があった」

「アル……?」

 

 レベッカが驚いて足を止める。

 アルバーンは木槍の穂先を、まっすぐにキュロスの胸元へと突きつけた。 囚人剣闘士として、死線をくぐり抜け続けてきた男の野生。目の前にある「本物の強者」に対し、全身の血液が沸き立つような闘志を抑えきれなくなっていたのだ。

 

「コロシアムの英雄と呼ばれた男の剣……一戦、交えてもらえるか」

 

 その言葉を聞いた瞬間、キュロスの表情から冗談めかした雰囲気が完全に消え去った。

 一人娘を守り抜き、この国のために戦い抜いた伝説の男の眼光が、猛禽のごとく鋭く光る。

 

「……ふっ。そう来なくちゃ面白くない」

 

 キュロスは木剣を低く構え、半身になった。 片脚でありながら、その軸足には大地を穿つほどの圧倒的な重心が乗っている。

 

「おい……マジかよ……!」

「二人が……やり合うぞ……っ!?」

 

 倒れていた兵士たちが、痛みを忘れて身を乗り出す。 レベッカもまた、息を呑んで二人から静かに距離を取った。呆れつつも、その瞳には二人に対する絶対的な信頼と期待が宿っていた。

 

「行くぞ……キュロスッ!!」

ズバァァァァァンッッ!!!!

 

 アルバーンが一足の下に石畳を粉砕し、一直線に突貫。 木槍でありながら、大気を切り裂く音速の突きが、閃光となってキュロスの喉元を穿つ。

 

ガァァァァァンッッ!!!!

 

「ぐっ……!」

 

 キュロスは絶妙な体捌きと木剣の腹でその一突きを受け流すが、伝わる質量と衝撃に足元が僅かに沈む。

 

「良い突きだ……ッ!!」

 

 キュロスは滑らせた木剣をそのまま返し、アルバーンの胴を目がけて豪快な横薙ぎを放つ。一撃で巨岩をも叩き割るキュロスの剛剣。

 

バギャァァァァンッッ!!!!

 

 アルバーンは長槍の柄でそれを受け止めるが、二人の武器が激突した瞬間、練兵場全体に嵐のような衝撃波が吹き荒れた!

 

「うわああああっ!?」

「木剣と木槍の音じゃねぇぞ、これ!!」

 

 吹っ飛ばされそうになる兵士たち。 二人は一歩も引かず、目にも留まらぬ速度で槍と剣を打ち交わしていく。

 

ガガガガガガガッッ!!!!

「ハァッ!!」

「フッ!!」

 

 獰猛さすら感じさせるアルバーンの鋭利な連撃と、長年の経験と圧倒的な筋力でそれをことごとく弾き返し、重厚な一撃を叩き込むキュロス。

二人の放つ威圧感は、もはや木製武器の模擬戦という枠を完全に踏み外していた。

 

「あの人たち……楽しそうね……!」

 

 練兵場を見下ろす王宮のバルコニーで、肘をついたヴィオラがクスクスと笑った。 隣に立つリク王も、髭を蓄えた口元を緩ませて頷く。

 

「あぁ……。剣闘士として地獄を味わった者同士、言葉ではなく刃と刃で語り合っているのだろう。……良い顔をしている」

 

――そして場内。

 

ドドドォォォォォンッッ!!!!

 

 二人の互いの全身全霊の一撃が正面から激突し、爆風とともに二人の身体が大きく後方へと弾け飛んだ。

 

「ハぁ……っ!」

「フゥ……っ!」

 

 互いに数メートル距離を取り、武器を構えたまま呼吸を整える二人。 アルバーンの頬にはうっすらと擦り傷ができ、キュロスの額からも汗と一筋の血が流れていた。

 しかし、二人の顔に浮かんでいたのは――子供のように純粋で、晴れやかな笑みであった。

 

「……強いな、キュロス。伊達に三千勝を重ねてはいない」

「ハハッ、そいつはこっちの台詞だ、アルバーン。命が幾つあっても足りんところだったぞ」

「「……ふふっ」」

 

 二人は構えを解くと、どちらからともなく歩み寄り、ガシッと互いの腕を強く握り合った。

 

「「うおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!」」

 

 観戦していた兵士たちから、割れんばかりの大歓声と拍手が巻き起こる!

 

「すげぇぇぇぇっ! どっちも最強だぁぁぁっ!」

「これぞドレスローザの誇りだっ!!」

 

 盛り上がる兵士たちを前に、キュロスはニヤリと笑うと、アルバーンの肩を組んで言った。

 

「で……どうだアルバーン。どっちが強かったかは保留として……さっきの話だが?」

「……さっきの話?」

 

 キュロスはレベッカの方を指差し、悪戯っぽく笑ってみせた。

 

「だから……レベッカを貰うには、私を倒す覚悟がいるという話だ!」

「〜〜〜〜〜〜っっっ!!?? お父様のバカぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 

 真っ赤になったレベッカの怒号と、照れくさそうに「勘弁してくれ」と顔を背けるアルバーン、そして爆笑するキュロスと兵士たちの歓声が、ドレスローザの澄み切った青空へとどこまでも高く響き渡っていったのであった。

 




補足
アルバーンとミナは、ドレスローザ東部の小丘に家を建てて二人で暮らしてます。レベッカたちとはご近所同士で、よく一緒にご飯を食べたり遊んだりしています。
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