第一節 黒い武装
初陣の地獄から、三年が流れた。クーフラン・アルバーンは十二歳になっていた。
三年前は少年の細さの残っていた肉体は、来る日も来る日も命を懸けて槍を振り続けた結果、見違えるほどに引き締まり、同年代の子供たちを遥かに凌駕する体躯へと急成長を遂げていた。
この三年という月日は、決して平坦なものではなかった。 まともに戦ったことすらなかった少年が、新世界の化け物どもが蠢くリングで生き残る――。アルバーンはこれまでに、勝利と敗北を含めて、じつに「二百以上の戦い」を乗り越えてきていた。
当然、最初から勝てたわけではない。骨を折られ、肉を裂かれ、数え切れないほどの敗北の苦痛に塗れた。敗北が重なるたび、地下監獄の壁に刻まれた「十六本の線」は無情に削られ、理不尽に弟たちの命が奪われる絶望の夜もあった。そのたびに、アルバーンは己の無力を呪い、血反吐を吐きながら立ち上がってきたのだ。
二百を超える死線のすべてが彼の教科書だった。師匠もいない地獄の中で、彼は敵から技を「盗む」ことで生き延びた。大男の力を受け流す体術、間合いを支配する槍術、それらすべてを実戦の痛みの中で構築し、ここ一年の間は、一本の線もファミリーに消させはしなかった。通算勝利数は百を超え、コロシアムの地下では「檻の神童」として不気味に恐れられ始めていた。
「アル……今日も行くの?」
一つ年下の妹のミナが、アルバーンの防具の紐を締めながら、心配そうに顔を覗き込む。
「ああ。行ってくる。留守の間、みんなを頼むぞ」
アルバーンはミナの頭を優しく撫でた。かつて泣きじゃくるだけだったミナも、今や檻に残された子供たちのまとめ役として、アルバーンの無事を祈り続ける強い少女になっていた。
しかし、アルバーンの勝率が上がるにつれ、ドンキホーテファミリーの見張りの目は、陰湿さと焦りを帯び始めていた。囚人が一千勝を達成して自由を手に入れるなど、ファミリーの面汚しでしかない。彼らはアルバーンの肉体と精神を磨り潰すため、露骨な嫌がらせと、過酷な刺客の連続投入という「処刑」を開始した。
ファミリーからの最初の小細工は、アルバーンの水分を奪うことだった。
試合の前日、彼の檻だけ飲料水が一切与えられず、干からびるような渇きの中で当日を迎えることとなった。喉は焼け付くように熱く、呼吸をするだけで胸が痛む。
さらに、地下の武器置き場で手渡されたのは、明らかに重心が狂い、刃の根元に深いヒビが入った「不良品」の槍だった。
「おい、これじゃまともに突けないぞ」
アルバーンが見張りを睨みつける。
「うるせえ、囚人が文句言うな! さっさと上がれ!」
見張りはせせら笑いながら、アルバーンを階段へと押し出した。
不快な太陽の光が、乾いた喉をさらに追い詰める。 闘技場に現れたのは、青白い肌に鋭い牙、形良い水かきを持つ魚人族の戦士・シャークだった。しかも彼は、大きな水樽をいくつも従えてリングに上がってきた。
『さあ! 本日の対戦相手は、魚人空手の達人“ジャーク”だァー! 圧倒的な不利を強いられた檻の神童、どう戦う!?』
「フハハハ! 喉が渇いているようだな、人間のガキ! 新世界の海の厳しさを教えてやる!」
ジャークが手近な水樽を蹴り砕くと、大量の水が闘技場の砂の上に広がった。彼はその水を両手で掬い上げ、構えを取る。
「魚人空手――『群雨(むらさめ)』!」
放たれたのは、ただの水滴ではない。魚人特有の怪力によって放たれた水弾は、まるで無数の銃弾となってアルバーンに降り注いだ。 アルバーンは手にした不良品の長槍を高速で回転させ、水弾を弾き落としようとする。しかし、バキバキと音を立てて槍の刃が削れ、根元のヒビが広がっていく。水弾の衝撃は重く、喉の渇きでふらつく十二歳の身体にのしかかる。
「どうした、防戦一方か! 終わりだ!」
ジャークが水の上を滑るような踏み込みで間合いを詰め、強烈な正拳を突き出してきた。
「『三千枚瓦正拳』!!」
高密度に凝縮された衝撃波が、アルバーンの胸元へ迫る。アルバーンは咄嗟に槍の柄を盾にするように構えたが、衝撃に耐えきれず、槍は真っ二つにへし折れた。激しい衝撃が突き抜け、アルバーンはリングの上を数メートルも吹き飛ばされる。
「がはっ……!」
口から少量の血が漏れる。
観客席からは「終わった!」「死んじまえ!」と下劣な歓声が響く。ジャークは勝ちを確信し、ゆっくりと歩み寄ってくる。
しかし、アルバーンは折れた槍の先を迷わず投げ捨てると、ゆらりと立ち上がった。その瞳には、恐怖など微塵もなかった。二百戦以上の実戦を経て、彼の戦闘センスは限界を超えて研ぎ澄まされていた。彼はジャークの水の扱い方、そして「衝撃の流し方」を凝視し、そのメカニズムを脳内で盗み取っていた。
(水の中の衝撃を伝える技術……。なら、俺のこの皮膚のすぐ上にある『見えない鎧』も、同じように一点に集中させて伝えることができるはずだ)
アルバーンが拳を固く握りしめると、彼の右拳が一瞬にして禍々しい「黒」に染まった。 長年の地獄で練り上げられた彼の精神と肉体が、極限の渇きの中で『武装色の覇気』をに覚醒させたのだ。
「何だその黒い拳は……! 死に損ないがァ!」
ジャークが再び五千枚瓦正拳を放つ。アルバーンは避けない。ジャークの踏み込みの技術をその場で模倣し、より鋭く前方へと踏み込んだ。
「ハアアアアアア!!!!」
ドゴォオオオン!!
黒く染まったアルバーンの拳が、シャークの正拳を真っ向から打ち砕いた。覇気を纏った衝撃は魚人の強靭な肉体を突き抜け、背中側の衣服を破裂させる。
「なっ……ば、馬鹿な……人間の、子供が……」
ジャークは白目を剥き、そのまま地面に崩れ落ちて意識を失った。
第二節:連戦
魚人を破ったアルバーンに対する次の嫌がらせは、さらに露骨だった。 ファミリーは彼にろくな休息を与えず、先の試合の直後に連続して次の試合を組んだのだ。肉体の疲労は限界に達しており、武装色の覇気を使ったことで精神的な消耗も激しい。
闘技場に戻ったアルバーンの前に現れたのは、ゲートをくぐるのすら困難なほどの巨躯――通常の人間を遥かに見上げる巨人の戦士・オロだった。彼は身の丈ほどもある巨大な鉄球を無造作に引きずり、アルバーンを見下ろして下卑た笑いを浮かべた。
「ガハハハハ! 小さな人間め! 随分とボロボロじゃないか! 若から話は聞いているぞ。お前をここでミンチにすれば、俺はファミリーの幹部になれる!」
『さあ連戦だァ! 檻の神童に対するは、巨人の怪力無双“オロ”! この体格差、まさに絶望だァー!!』
「死ね、小蠅がァ!」
巨人のオロが、唸りを上げる鉄球を容赦なく振り下ろした。凄まじい風圧が闘技場の砂を巻き上げ、それだけでアルバーンの身体が後ろへ押し戻されそうになる。直撃すれば、十二歳の肉体など文字通り消滅するだろう。
だが、アルバーンの瞳は、疲労の奥で冷徹に冴え渡っていた。戦う師のいない彼は、この絶望的な体格差からすらも「技」を盗もうとしていた。
(巨人の怪力……その力の源は、ただの筋肉量じゃない。巨大な自重を完全にコントロールする『重心の移動』だ)
ドンッ! と、アルバーンが直前でかわした背後の石畳が、鉄球によって完全に粉砕された。砕けた石の破片が頬をかすめ、血が流れる。オロはすぐさま鉄球を引き戻し、今度は横一線の薙ぎ払いを放ってくる。
避けるスペースはない。アルバーンは二百戦の経験から培った本能的な感覚――『相手の次の動きが頭の中に流れ込んでくる力(見聞色の覇気)』の片鱗を限界まで研ぎ澄まし、鉄球の描く軌道の「わずかなブレ」を見抜いた。
アルバーンは跳躍した。しかし、ただ上に逃げたのではない。オロの『重心移動』のタイミングに合わせ、自らの身体の重さを完全に消すようにして、風に乗るように鉄球の上へと飛び乗ったのだ。
「何ィ!?」
オロが驚愕に目を剥く。アルバーンは鉄球の鎖を駆け上がり、一瞬で巨人の懐へと肉薄した。手にあるのは、先ほどの試合で折れた、刃のない鉄の棒(槍の後ろ半分)だ。
「お前のその力の乗せ方、貰い受けた」
アルバーンは宙空で身体を捻り、巨人が鉄球を放つ時の「溜め」の動作を、自身の小さな肉体で完璧に再現した。全身のバネ、そして武装色の覇気を、手にした鉄の棒へと一気に集中させる。
「ゼアアアアアアアアァ!!!」
漆黒に染まった鉄棒が、巨人の右膝の皿へと正確に叩き込まれた。
バキィイイン!!
「ぎゃあああああああ!?」
人間の叫びとは思えない絶叫が響き渡る。自重のコントロールを失ったオロの巨体は、自身の重さに耐えかねて轟音と共にリングへと倒れ伏した。アルバーンはその巨体の首元へ向けて、冷酷に覇気を纏った鉄棒を突き立てて気絶させた。二戦連続のジャイアントキリングに、観客は息を呑んでいた。
数日後、十分な食事も与えられないまま迎えさせられた試合。武器置き場に用意されていたのは、重さが通常の三倍はある、いびつな黒鉄の長槍だった。ファミリーは徹底的に彼の体力を奪いにきている。アルバーンはその重い槍を無造作に片手で持ち上げ、闘技場へと歩みを進めた。
対戦ゲートから現れたのは、豹の耳と尾を持つ、しなやかな体躯の男だった。新世界でも珍しい、ゾウの国からやってきたミンク族の戦士・ガウル。
「お前がアルバーンか。若から『面白いガキがいる』と聞いていたが……なるほど、飢えてなおその眼光、ただの子供ではないな」
ガウルは両手に鋭い爪のついた手袋をはめ、不敵に笑った。その身体から、バチバチと青白い火花が散る。ミンク族特有の生体電流――『エレクトロ』だ。
『さあ! 本日の刺客は、異国の野生の驚異! ミンク族の雷撃の覇者“ガウル”だァー!!』
実況の声が終わる前に、ガウルが地を蹴った。その速度は、これまでの敵とは次元が違った。残像を残しながら、まさに雷光となってアルバーンの死角へと回り込む。
「エレクトロ――『雷豹突』!!」
青白い雷撃を纏った爪が、アルバーンの首元へ迫る。アルバーンは重い黒鉄の槍を電光石火の速さで振り回し、本能的にその爪を弾いた。しかし、金属の槍を通じて激しい電流が全身を駆け抜ける。
「ぐっ……!?」
十二歳の肉体が激しく痺れ、一瞬の硬直が生まれる。ガウルはその隙を見逃さず、今度は容赦のない連続の爪撃を叩き込んできた。ザシュ! ザシュ! と、アルバーンの防具が切り裂かれ、鮮血が飛び散る。重い槍のせいで、いつも通りのステップが踏めない。
「どうした、自慢の槍が重そうだな! 野生の速度にはついてこれまい!」
ガウルが宙高く跳び、上空から網の目のように雷撃の嵐を降らせる。
エレクトロの光が闘技場を眩しく照らす中、アルバーンはあえて目を閉じた。
(見えないなら……気配の『流れ』を読め。あの男が空気を切り裂く音、電気が走る瞬間の肉体の『熱』……)
極限の麻痺と絶望の中で、彼の『見聞色の覇気』が完全に開花した。目をつぶっているにもかかわらず、上空から降る雷撃の軌道、そしてガウルが次に着地するポイントが、頭の中に鮮明な映像となって浮かび上がる。
「そこだ」
アルバーンは目を開けると、重い黒鉄の槍を両手でしっかりと握り直した。その槍の穂先が、深淵のような漆黒へと染まっていく。ガウルが着地する全霊の一瞬、アルバーンはガウルの「予備動作のない踏み込み」のイメージを、自らの脚力に上書きした。
「ハアアアア!!」
重い槍を感じさせない神速の突きが、放たれた。ガウルが着地した瞬間には、すでにその胸元の寸前まで漆黒の刃が迫っていた。 「なっ……速す……っ!?」 ガウルは辛うじて爪で刃を受け止めたものの、武装色の覇気を纏った圧倒的な打撃の重さに耐えきれず、爪の手袋ごと吹き飛ばされ、壁に激突して昏倒した。
ガウルを破った翌日、ファミリーが送り込んできたのは、嫌がらせの集大成とも言える男だった。 アルバーンに渡されたのは、完全に刃が潰され、ただの「鉄の棒」と化した長槍。対して、ゲートの向こうから現れたのは、一本の美しい洗練された長槍を携えた、無敗の槍師と謳われる傭兵・ギルバートだった。
「私はドンキホーテファミリーに雇われた。クーフラン殿、君の槍術の噂を聞いてな。刃のない槍を持たされる君には同情するが、全力で君の息の根を止めさせてもらう」
ギルバートは無駄のない構えを取る。完全に洗練された重心の置き方、一切の隙がない佇まい。長年槍一本で修羅場を潜り抜けてきた「本物の槍使い」だ。
『檻の神童、ついに同種の猛者との対決! しかし手にするは刃なき槍! 矛と矛の真剣勝負だァー!!』
激突の鐘が鳴る。ギルバートの踏み込みは静かで、そして致命的に速かった。
「槍術――『流星突き』!」
鋭い刺突が、音もなくアルバーンの眉間を狙う。アルバーンは見聞色の覇気でそれを察知し、鉄の棒で受け流そうとした。しかし、ギルバートの槍はしなやかに軌道を変え、アルバーンの肩を浅く切り裂いた。
「くっ……!」
ギルバートの槍術は淀みがない。流れるような連続突きが、まるで網のようにアルバーンの逃げ道を塞いでいく。アルバーンの身体には、みるみるうちに細かい斬り傷が増えていった。だが、アルバーンの目は死んでいなかった。彼は攻撃を受けながらも、ギルバートの「手首のスナップ」「槍のしならせ方」のすべてを、飢えた獣のように凝視し、自分のものとして吸収していた。
(美しい槍使いだ。無駄が一切ない。……だが、綺麗すぎる)
ギルバートが最強の一突きを放つため、わずかに腰を落とした。 「これで終わりだ、少年。『流星孤光』!!」
速度を極めた一突き。しかし、アルバーンはその軌道を完全に見切っていた。彼は魚人から盗んだ「衝撃の流し方」でわずかに上体をずらし、ギルバートの槍の刃を自分の脇に挟み込むようにして固定した。
「何っ!? 槍を挟んだだと!?」
ギルバートが慌てて槍を引き抜こうとするが、武装色の覇気で硬化したアルバーンの脇は、万力のように槍を締め付けて離さない。
「あんたの槍術……良い手本だった」
アルバーンは手にした刃のない鉄の棒を両手で構え、ギルバートの『流星突き』の足捌きと手首の返しを、その場で完璧に模倣した。さらに、ミンク族から盗んだ『雷光の速度』のイメージをそこに乗せる。
「ラアアアア!!」
刃のない鉄の棒が、目にも留らぬ速さで突き出された。ギルバートの美しい槍の柄を正面から叩き折り、そのままの勢いで彼の胸の防具を粉砕した。 「見事な……槍さばき……だった……」 傭兵はそう言い残し、意識を失った。
魚人、巨人、ミンク族、そして手練れの槍使い。ファミリーが用意した四人の絶望的な刺客を、彼はすべて自身の「糧」として喰らい尽くし、勝利を収めたのだ。
第三節:家族
「……戻ったぞ」
重い鉄の扉が閉まる音と共に、アルバーンは地下監獄の床にどさりと膝を突いた。これまでにない過酷な四戦は、12歳の肉体の貯金をすべて吐き出させるに十分な地獄だった。全身の毛穴から血が吹き出るような疲労と、覇気を酷使したことによる激しい頭痛が彼を襲う。
「アル!!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、妹のミナだった。彼女は素早くアルバーンの体を支えると、手慣れた手つきで彼のボロボロの防具を外していく。その手は細いが、かつてのように震えてはいなかった。
「みんな、お湯と綺麗な布を持ってきて! 急いで!」
ミナの鋭い指示に、檻の奥にいた十人の子供たちが一斉に動き出す。 かつては恐怖に泣き叫ぶだけだった弟や妹たち。彼らもまた、この3年間で変わっていた。アルバーンが命を懸けて自分たちを守り、二百回もの死線を越えていく背中を見続けてきたのだ。彼らは今、自分たちにできる最善で、彼を支えようとしていた。
「アルにいちゃん、これ、傷に効く薬草……! 昼間、見張りのゴミ捨て場からこっそり拾ってきたんだ!」
「私、お水をキレイに上澄みだけ分けたよ。飲んで!」
小さな子供たちが、手作りの包帯や水を差し出してくる。アルバーンは喉を鳴らして水を飲み干すと、ふっと息を吐き、子供たちの頭を一人ずつ、その手で乱暴に、けれど優しく撫で回した。
「ありがとう。……みんな、俺の留守中、誰も泣かなかったか?」
「うん! 誰も泣かなかったよ! アルにいちゃんが絶対に勝つって、みんなで手を繋いで待ってたもん!」
幼い弟の言葉に、アルバーンの乾いた胸の奥に、じわりと温かい灯火が宿る。彼がただひたすらに強さを求め、敵の技を貪り食う修羅になっても心優しい人間であれたのは、この檻の中に彼らの純粋な信頼が残り続けていたからだ。
「アル、動かないで。背中の傷、今縛るから」
ミナがアルバーンの背後に回り、手際よく布を巻きつけていく。3年前、ただアルバーンのシャツを掴んで泣いていた11歳の少女は、今や檻の中の「小さな母親」だった。
「……ミナ、ごめん。俺が何度も負けたせいで、壁の線を減らした」
アルバーンは、壁に刻まれた、かつて消されてしまった数本の線を悔しそうに見つめた。二百以上の戦いの中には、未熟さゆえに惨敗し、理不尽に弟たちの命を奪われた夜もあった。その記憶は、今も彼の魂を鋭く抉る。
しかし、ミナはアルバーンの逞しくなった肩に、そっとおでこを押し当てた。
「そんなこと言わないで。アルが何百回も立ち上がってくれたから、私たちは今、こうして生きていられるの。……私たちはね、壁の線なんて見てないよ。アルの身体に増えていく、その傷の数を見てるの。それが、私たちのために戦ってくれた証拠だから」
ミナの声は静かだが、確かな芯があった。
「一千勝まで、あと少し。……私たちは、どこにも行かない。何があっても、最後までアルの味方だからね」
「……ああ」
アルバーンは短く応え、ミナの小さな手をそっと握り返した。 外の世界では『檻の死神』『冷酷な武人』と恐れられる12歳の少年。だが、この薄暗い檻の中だけが、彼がただの「優しいお兄ちゃん」に戻れる唯一の聖域だった。
ファミリーがどんな悪意を仕掛けてこようとも、この家族の絆がある限り、彼の黒き矛先が鈍ることは決してない。地下監獄の片隅で、小さな家族たちは互いの体温を分け合うように、静かに、けれど力強く寄り添い合っていた。