孤高の黒槍   作:特性 Suisui

8 / 11
8.レベッカ

第一節:治療

 

 コリーダコロシアムの最深部、光すらも入ることを拒絶された隔離独房。 そこは、ドンキホーテファミリーに逆らった者が、精神と肉体をじわじわと削られ、死を待つためだけの棺桶だった。

 

ガギィィィン……

 

 重い鉄扉が閉まり、ファミリーの拷問官の嘲笑を孕んだ足音が遠ざかっていく。 床に投げ出されたアルバーンの身体からは、未だにどくどくと鮮血が流れ落ち、冷たい石床に赤黒い水たまりを作っていた。一千勝目の決戦でドフラミンゴに挑み、その圧倒的な「覚醒」の力によって完敗を喫してから数日。彼の肉体は、まともな治療も受けられないまま、急速に腐食しつつあった。

 

「あ……アルバーンさん……!」

 

 暗闇の奥から、衣擦れの音とともに小さな影が駆け寄ってくる。レベッカだった。 彼女は、アルバーンの凄惨な有様を見て声を詰まらせながらも、慣れた手つきで自らのスカートの裾を大きく引き裂いた。

 

「待ってて、いま、血を止めるから……!」

「……触るなって……言っただろ……」

 

 アルバーンは掠れた声で拒絶しようとした。いつもなら冷酷に突き放す響きを持たせる声も、今はただの、痛みに耐える14歳の少年の弱々しいうめきに聞こえた。指一本動かす覇気すら残っていない今の彼には、少女の手を振り払うことすらできなかった。

 

 レベッカはアルバーンの痛々しい胸元や四肢の傷口に、引き裂いた布を当て、必死に圧迫止血を試みる。彼女の小さな手のひらから伝わってくる、生々しいほどの体温。それは、5年間を血と鉄の臭いの中でしか生きてこなかったアルバーンにとって、目眩がするほどに不釣り合いな「温もり」だった。

 

「どうして……こんな無茶をするの? ドフラミンゴに勝てるわけがないって、分かっていたはずなのに……!」

 

 レベッカの涙が、アルバーンの頬に落ちる。

 

「うるさい……分かってる、そんなこと……」

 

 アルバーンは痛みに顔を歪めながら、自嘲気味に息を吐いた。

 

「だけど……戦わなきゃ、あいつの首に触ることすらできないんだ。俺に残されてるのは、この身体と、あいつへの恨みだけだからな」

 

 レベッカは何も言わず、ただひたすらにアルバーンの身体に付着した泥と血を、手元にあるわずかな水で濡らした布で拭い去っていく。 彼女の丁寧な手当ては、冷徹な戦闘機械として扱われてきたアルバーンの心に、奇妙な波紋を広げていた。シュガーの能力によって、本当の妹であるミナや家族の記憶を完璧に消し去られているアルバーンには、この「女の子に世話される」という感覚の正体が分からなかった。ただ、脳の奥底が、酷く懐かしいと叫んでいるような錯覚だけがあった。

 暗闇の中、傷の手当てという沈黙の作業だけが、二人の時間をゆっくりと繋ぎ止めていた。

 

 

 

第二節: 平行線

 

 それからの数週間、アルバーンが驚異的な生命力で一命を取り留めていく中で、二人は隔離独房の暗闇の中で、少しずつ言葉を交わすようになっていった。ほかにすることなど、何一つない地獄だったからだ。

 

「お前……なんでここに連れてこられたんだよ」

 

 ある夜、壁に背中を預けたアルバーンが、ふとぶっきらぼうに問いかけた。

レベッカは膝を抱え、暗闇を見つめながらぽつりぽつりと語り始めた。

 

「私は……リク王家の血を引いているから。十年前のあの火事の夜、ドフラミンゴがこの国を奪った時、お母様は殺されて……私は、ずっと隠れて生きてきたの。でも、数ヶ月前に、ファミリーの兵隊たちに見つかって……」

 

 彼女の声は震えていた。十年前の惨劇、そしてそれ以来、自分をずっと守り続けてくれた「片足の兵隊さん」の存在。しかし、シュガーの呪いによって、レベッカの記憶からも兵隊さんが「人間であった頃の記憶」は消え去っている。

 ただ、「片足のオモチャの兵隊が自分を守ってくれていた」という、奇妙で歪な記憶だけが彼女の中に残されていた。

 

「お母様は……いつも私に言ってくれたの。誰も傷つけちゃいけない、って。剣を持っても、それは自分を守るため。……でも、私はここに連れてこられて、明日からは、リングに立たされる……」

 

 レベッカの言葉を聞きながら、アルバーンは自身の脳内にある「過去」を反芻していた。

「……リク王家か」

 アルバーンの声に、トゲのある怨念が混じる。

 

 「俺の過去も、お前たちの王家のせいでめちゃくちゃになったようなもんだよ」

 

「え……?」

 

 アルバーンが語る過去――それは、ホビホビの実の能力によって精巧に作り替えられた「偽りの歴史」だった。

 

「俺はある孤児院で育った。孤児院の先生は昔のリク王家に忠誠を誓ってて、ドフラミンゴがこの国を奪った後も、最後まであいつらに逆らい続けた頑固な人だった。……だけど三年前、奴らの兵隊に見つかって、俺とほかの子供たち共々このコロシアムにつれてこられた。先生は結局あっけなく試合に負けた。先生は死ぬとき、リク王の名前だけを呟いていた。あの人は俺にリク王の無念を晴らさせたかったんだ」

 

 アルバーンの言葉には、微塵の迷いもなかった。彼にとって、その偽りの記憶こそが絶対の真実であり、自分が血の海で槍を振り回し続ける唯一の正当性だったからだ。

 

「それで俺は奴隷としてここに捕らわれ、『一千勝すれば自由にしてやる』っていうドフラミンゴの嘘を信じて、必死に戦ってきた。だけど、全部あいつの作り話だったんだよ。……レベッカ、お前が信じてる『お母様』って奴の言葉はさ、このコロシアムじゃただの自殺志願者のバカな綺麗事だよ」

 

「そんなことない……! お母様の言葉は、私の全部だもん!」

 

「だったら、お前は最初の試合で死ぬよ」

 

 アルバーンは冷たく突き放すように言った。

 

「このコロシアムはさ、相手を殺す覚悟のない奴が立てる場所じゃないんだ。対戦相手はお前を殺しにくるし、観客はお前が死ぬのを見たくて叫ぶ。そこでお前が剣を鈍らせたら、待ってるのは確実な『死』だけだ。この血塗られたコロシアムで、人を傷つけずに生き残るなんて無理だ。お前の不殺はただの幻想だ」

 

 レベッカは唇を強く噛み締め、涙をこらえながらアルバーンを睨み返した。

 

「それでも……私は誰も傷つけない。傷つけないで、絶対に勝ち残ってみせる……!」

 

 二人の思想は、どこまでも平行線だった。 一方は、奪われた過去のためにすべてを殺そうとする修羅。 一方は、守られた過去のために誰も傷つけまいとする少女。 しかし、その決定的な違いを知りながらも、二人は互いの存在を無視することはできなかった。この地獄において、互いの声だけが、自分がまだ「人間」であることを証明する唯一の道標だったからだ。

 

 

 

第三節:初陣

 

 正式な「幽閉」という形をとられながらも、ドフラミンゴファミリーにとって、アルバーンのような「客を呼べるコンテンツ」を完全に腐らせておく選択肢はなかった。最高幹部ディアマンテの目論見通り、アルバーンは「ドフラミンゴに逆らった見せしめの囚人」として、傷が癒えきらぬまま再び過酷な変則マッチへと駆り出される日々が再び始まろうとしていた。

そして、その日の朝、レベッカの「初陣」の時がやってきた。

 

ガギギギギギ……ッ!!

 

 隔離独房の扉が開き、見張りの兵士たちが冷酷な笑みを浮かべて入ってきた。

 

「おい、小娘。時間だ。お前のデビュー戦だぞ。客どもが『嫌われ王家の血筋』がどんな無様な死に方をするか、手ぐすね引いて待ってるぜ。ガキ、お前も来い。控え室の檻から、このお姫様が死ぬところを特等席で見せてやるよ」

 

 レベッカの身体が、一瞬だけ恐怖で大きく強張った。彼女は、ファミリーから与えられた露出度の高い黄金の鎧を身にまとい、刃のない、相手を傷つけることのできない「鈍色の長剣」を握り締めていた。

 

「……おい」

 

 連れて行かれようとする彼女の背中に、アルバーンが声をかけた。彼もまた、重い鎖で両手両足を繋がれながら、引きずられるように歩いていた。

アルバーンは、前髪の隙間から彼女の怯える瞳をじっと見つめた。

 

「死ぬなよ。……お前が死んだら、俺の話し相手がいなくなるだろ」

 

 それは、アルバーンなりの、極めてぶっきらぼうで、精一杯の激励だった。 レベッカは一瞬だけ驚いたように目を見張ったが、すぐに小さく微笑み、力強く頷いた。

 

「うん……行ってきます、アルバーンさん!」

 

 コリーダコロシアムのリングは、今日も満員の観客による、狂気的な熱狂に包まれていた。

 

「さあ! 本日の第一試合は、大注目の曰く付き! あの『呪われたリク一族』の生き残り、『幻の王女』! レベッカの登場だァーーー!!」

 

 実況の悪意に満ちた声が響き渡ると同時に、観客席からは一斉に、凄まじい量の罵声と石ころが投げつけられた。

 

「引っ込め、人殺しの一族が!」

「死んじまえ、レベッカ!」

 

 リングの中央に立ったレベッカは、その激しい憎悪の嵐に晒されながらも、必死に剣を構えていた。彼女の対戦相手は、ファミリーが用意した大柄な囚人剣闘士たち、総勢十数名。彼らの目は、うら若き少女を惨殺し、自らの自由を勝ち取ろうとする血に飢えた狼そのものだった。

 控え室の頑強な鉄格子の隙間から、アルバーンはその光景を静かに、しかし限界まで研ぎ澄まされた見聞色の覇気で見つめていた。鎖がガチャリと音を立てる。

 

(さあ、見せてみろ。お前のその『綺麗事』が、この地獄でどこまで通用するのか……)

 

ガチィィィン!!

 

 試合開始のゴングが鳴り響くと同時に、三人の巨漢剣闘士が、雄叫びを上げながらレベッカへと襲いかかった。 「死ねぇ、小娘がァ!」 巨大な斧や大剣が、レベッカの華奢な肉体を微塵切りにせんと振り下ろされる。

 しかし、次の瞬間、アルバーンの見聞色の網膜に、信じられない光景が映し出された。

 ふわり、と。 レベッカの身体が、まるで風に舞う花びらみたいに、流麗な軌道を描いて宙を舞った。 大斧の刃が彼女の髪をかすめ、大剣の風圧が彼女の鎧を震わせる。だけど、そのすべてが、彼女の肉体には一切届いていない。

 

(……! あいつ、完全に相手の『重心』と『視線』を読んでる……!)

 

 アルバーンは思わず目を見開いた。 レベッカがやっていることは、彼のような「覇気による未来予知」ではなかった。それは、十年間、片足の兵隊さんから叩き込まれ続けた、極限まで無駄を削ぎ落とした「見切りの技術」――すなわち、相手の体重移動、筋肉の収縮、呼吸のタイミングを五感ですべて察知し、その攻撃の軌道から自分の身体を完全に『逸らす』という、驚異的な回避の格闘術だった。

 

「ちょこまかと動き回りやがって! 喰らいやがれ!」

 

 一人の剣闘士が、怒りに任せて横一文字に剣を振り抜いた。 レベッカはその剣の側面を、自分の刃のない長剣の腹で、優しく、だけど確実に「受け流した」。 単に受け止めるんじゃない。相手の突進する力をそのまま利用して、その力の方向をわずかに変えるんだ。

 

「あ、あれ……!?」

 

 剣闘士の巨躯が、自分が放った一撃の勢いに振り回されて、リングの端へと向かってよろめいていく。レベッカはその背中を、傷つけないように長剣の柄で、そっと押し出した。

 

ドボォォォン!!

 

「がはっ!? な、しまっ……!」

 

 剣闘士は、リングの周囲を取り囲む、お腹をすかせた闘魚が泳ぐプールへと、無様に転落していった。

 

「お、おおおっとォーーー!? レベッカ、一切の攻撃を加えることなく、相手の力を利用して一人目をリングアウトに仕留めたァーーー!!」

 

 実況の声に、観客席がどよめく。

 リング上のレベッカは、まるで血塗られた打闘場に咲いた一輪の花みたいに、美しく、そしてあまりにも危うい「剣舞」を踊り続けていた。 襲い来る刃を紙一重でかわし、突進をいなし、相手の足を引っ掛け、次々と闘魚の泳ぐプールへと落としていく。 それは、背水の陣においてのみ成立する、奇跡のような「不殺の戦闘術」だった。

 

 

 

第四節: 観想

 

 控室の檻の中から、アルバーンはレベッカのその「背水の剣舞」を、微動だにせず見つめ続けていた。 彼の胸の内には、複雑な感情の嵐が吹き荒れていた。

 

(……すげえ)

 

 それが、アルバーンが最初に抱いた、戦士としての本能的な感想だった。 彼がこれまでにコロシアムで見てきた戦いは、すべてが血と肉を貪り合う、醜悪な殺戮のパレードだった。彼自身が振るう鉄槍もまた、相手の命を効率的に奪うためだけの、冷酷な道具に過ぎない。 だけど、レベッカの剣舞には、その醜悪さが一切なかった。命を奪うためじゃなく、命を守るための洗練。

 だけど、それと同時に、アルバーンの戦闘機械としての冷徹な脳は、彼女の戦い方の「決定的な弱点」をも瞬時に見抜いていた。

 

(だけど、あまりにも危なっかしすぎる。……あれは、相手が『まともな人間』だからこそ通用する技だ)

 

 レベッカの戦術は、相手の攻撃の意志と、その肉体の物理的な法則を完璧に利用することで成り立っている。 だけど、新世界には、そんな法則を力づくでぶち壊す本物の「化け物」たちがゴロゴロいるんだ。 例えば、先日のドフラミンゴのように、周囲の環境そのものを武器に変える覚醒の能力者。 あるいは、見聞色の覇気をさらに上回り、こちらの回避の先を読んでくる猛者。 そんな「本物の悪魔」と対峙した時、彼女の傷つけない剣舞は、ただの一撃で粉砕されて、あいつ自身が肉片に変えられるだろう。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 リングの上では、レベッカが最後の二人を同時にいなし、プールへと叩き落としたところだった。 彼女の身体は汗に濡れ、黄金の鎧が鈍く光っている。彼女は、本当に一人も傷つけることなく、その初陣を「勝利」で飾ったのだ。

 

「勝者……レベッカァーーー!! 客席からは大ブーイングですが、ルール上は完全な勝利です!!」

 

 観客席からは、彼女の不殺の戦い方に納得のいかない奴らからの、凄ましじい「帰れ!」コールと罵声が浴びせられる。 レベッカは、その罵声を一身に浴びながら、肩を激しく上下させ、血塗られた砂の上に立ち尽くしていた。彼女の目は、恐怖に打ち勝ち、自分の誓いを守り抜いたという、確かな「覚悟」の光を宿していた。

その姿を見て、アルバーンは静かに目を閉じた。

 

(お前は、お前の信じる『お母様』の言葉が正しいって証明してみせたわけだ。……だけどさ、この地獄は、お前がいつまでもその綺麗事のままでいられるほど、甘くはないんだよ)

 

 アルバーンは、彼女の強さを認めた。人を殺さずに勝ち残るという、自分には絶対に真似できない、ある種のおぞましいほどの精神の強さを。 だけど同時に、彼は予感していた。遠くない未来、彼女のその美しい剣舞が、ドレスローザという巨大な悪意によって、徹底的に踏みにじられる日が来るだろうことを。

 

「おい、ガキ。次はお前の番だ。若様に逆らった罰だ、今日の対戦相手は100人同時に相手してもらうぞ!」

 

 見張りの兵士が、今度はアルバーンの檻の鍵を乱暴に開けた。

 アルバーンはゆっくりと立ち上がり、手渡された支給品の安物の鉄槍をぎゅっと握り締めた。 ドフラミンゴにへし折られた誇り。嘘の過去。そして、目の前で奇跡みたいな不殺を見せた少女の姿。 それらすべてを胸の奥の黒い炎へくべながら、14歳の修羅は、再び血と歓声の待つリングへと歩みを進めるのだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。