魂の波長がイケメンだった。
それが、俺の人生が終わった理由である。正確に言えば人生どころか人類が一度終わったのだが、その話は後でする。
あれは何の変哲もない日だった。コンビニ帰り、レジ袋を提げて歩道橋を渡っていたら、世界の色が抜けた。信号の赤も、空の青も、全部が灰色になって、音が消えた。止まった世界の真ん中に"それ"はいた。
形容は難しい。強いて言えば、目を閉じても見える光、とでも言うべきか。網膜ではなく、もっと内側の何かに直接映る存在、みたいな。
『見つけた』
声ではなかった。意味が、頭の中に直接置かれた。
『あなたの魂、すごく綺麗。波長が、こう……整っていて。ずっと探してたの、こういうの』
魂の波長。整っている。要するに、魂の顔面偏差値が高かったらしい。顔ではなく魂の。そんなところを褒められても嬉しくないし、そもそも自分では確認のしようがない。鏡に映らない部分でモテても困る。
『このままだと、あなた、私をちゃんと認識できないから。少し直すね』
直す、という言葉の軽さに反して、それは俺という存在の根本的な改造だった。同意を求める間もなく──いや、たぶん向こうは同意を求めたつもりだったのだと思う。惚れた相手には優しくするものだから。ただ、上位存在の少しと人間の少しの間には、海溝ほどの落差があったのだ。
気がつくと、俺はそれをはっきり認識できるようになっていた。そして代わりに、いくつかのものを失っていた。
まず、喜怒哀楽が死んだ。
嬉しい、悲しい、腹が立つ。そういった感情の起伏が、綺麗に平らに均されてしまった。感情が無いわけではない……と思う。ただ、以前は荒波だったものが、今は水面に立つ小波程度になった。人間の脳では上位存在を認識した瞬間に発狂するらしいので、発狂しないように感情の振れ幅ごと削られたのだろう。合理的である。合理的だと思ってしまう時点で、もう手遅れな気もするけど。
ついでに倫理観もおかしくなった。これは自覚があるだけまだマシなのかもしれない。人が死ぬのは良くないということが、以前は体感として理解できていたのに、今は暗記した公式のようにしか思い出せない。これは良くない。うん、良くないはずだ。テストに出たら正解できる。それだけ。
で、その倫理観の摩耗を実感する出来事が、改造の三日後に起きた。
『あなた以外、いらないよね』
人類が消えた。
両親も、腐れ縁だった友人も、地球上の数十億人が、まとめて。虫を払うような気軽さだった。惚れた相手の周りから雑音を消したい、程度の感覚だったのだと思う。ヤンデレという言葉があるが、規模が違いすぎて笑えない。笑えないという感情もすでに希薄なのだが。
俺は静まり返った街を眺めながら、まず思った。
インフラが終わるのでは、と。
発電所は誰が回すのか。水道は。物流が止まれば、コンビニの棚は二度と補充されない。食べ物が無くなる。つまり、餓死する。
『大丈夫。あなた、もう食べなくていい身体だから』
当然のように不老不死にされていた。改造のオプションに標準搭載されていたらしい。ついでに言うと、本当は俺の存在階梯そのものを引き上げて、自分と同じところまで連れて行きたかったのだそうだ。
『でもそれをすると、あなたの魂が崩壊しちゃうから……この綺麗な波長が壊れるのは、私も嫌だし』
俺の魂に消えられるのは困る、ということらしい。おかげで俺は、上位存在の隣に立てない代わりに、不老不死の身体で無人の地球に置かれることになった。どちらにしろ大概やばい状況である。
無人の世界は、静かだった。
悲しい、という感情は湧かなかった。両親が消えたのに、だ。削られた感情の平原に、悲しみの波は立たない。ただ、事実として理解した。俺は今、何も無い世界にひとりで立っていて、これから永遠に、やることが無い。
悲しくはない。だが、暇だ。
永遠と暇の組み合わせは、たぶん地獄の別名である。
「戻して」
俺はそう言った。やはりここでも悲しいから、ではなく、合理的な要求として。
「人類がいないと、俺は何をすればいいのか分からない。ラーメン屋も開かないし、新刊も出ない。永遠にやることが無いのは困る」
『……むぅ。あなたがそう言うなら』
時間が巻き戻ったのか、世界が作り直されたのか、仕組みは分からない。気がつくと俺はあの日の歩道橋の上にいて、街には人が溢れていて、レジ袋の中のコンビニ弁当はまだ温かかった。人類は戻った。誰も、一度消されたことに気づいていない。
ただ、俺の隣には、俺にしか見えない光が寄り添っている。
『ね、これでいいんでしょ? 私、あなたのためなら何でもするから』
何でもする、の範囲に人類の消去が含まれる相手だ。この愛はたぶん、世界で一番重い。物理的にも、きっと宇宙規模で重い。
とんでもない存在に惚れられてしまったものである。