私の記憶はどこですか? ~高町なのはの幼なじみは幸せでいたい~ 作:siitake64
聖祥大附属小学校の午後の授業は、睡魔との遭遇率六十パーセントを誇る超難関である(私調べ)。
窓の外からは体育の授業の声が遠く聞こえ、教室にはチョークが黒板を叩く規則的な音だけが響く。小学校三年生の算数の授業は転生者の私にはさすがに退屈で、ついこくりこくりと首が不安定に揺れる。
(……まずい。速やかに意識を、シャッキリさせなきゃ……)
私は太ももをつねって、必死に眠気を追い払う。一瞬だけ覚醒したけれど、まどろみはまた底なし沼のように私の足を引いていく。
『マスター。脳波が睡眠状態へ移行を開始しました。0.5秒以内に覚醒してください。不見識で――』
(あんたこそ……不見識よ。少しは、静かに……)
脳内で響く白楼の無機質な声すら、今は遠い子守唄のように聞こえる。
チラリと斜め前を見れば、なのはが真剣な表情でノートを取っている。いつもの可愛いなのはも良いけれど、真剣な顔もかっこいいことを知っているのは幼馴染の特権だよね。さすがやっぱり主人公は違うっていうか、あれ。主人公ってなんだっけ。ダメだ、全然まとまらないや。
重力に従って瞼が落ちていき、なのはの背中がぼやけていく。
0.5秒だけ。少しだけなら、目を閉じても大丈夫だよね。
パサリ、と。指から力が抜け、鉛筆がノートに転がった。その音を合図に、私の意識は急転直下、暗い暗い深淵へと真っ逆さまに落ちていく。
視界が、反転する。
「……雪菜。雪菜!」
「えっ」
「どうしたんだぼーっとして。今日はせっかくの誕生日パーティーだろ」
「そうよ。また夜更かししてたの?」
夜の静寂と、豪勢なご馳走の匂い。お父さんの武骨で大きな手が自分の頭をそっと撫でているのがわかる。
そうだ。今日は私、いやわたしの誕生日会だった。
「すいません。少し寝不足気味で」
わたしの今世での名前は兵守雪菜。小学一年生の七歳。でもこれはあくまでこの世界、「魔法少女リリカルなのは」でのわたしの立ち位置。前世のわたしは就活に追われ、深夜にアニメを観るのが唯一の癒やしだった、平凡な二十一歳だった。なのはシリーズはその中でも特に大好きな作品で、無印、A's、StrikerS、ViVidと、アニメはもちろん、劇場版だって全部一人で見に行ったくらい、それはもうどっぷりとハマっていた。前世の最後はよく覚えていないけれど、画面の向こう側の「海鳴市」に憧れていたわたしは、何の因果か、気づけばその世界で、兵守雪菜として転生していたのだ。
前世の記憶が戻ってからのわたしはきっと可愛げの欠片もない、いやに大人びた子供だったと思う。それでも気持ち悪がらずに変わらず愛情を注いでくれている今のお父さんとお母さんのことは大好きだ。むしろちゃんとこの世界を生きている子供じゃなくて申し訳ないとさえ思う。
わたしは全部知っていた。この世界で、このあと何が起きるのか。誰と誰が戦って、誰が救われて誰が救われないのかも。二十一年分の人生と、オタクとしての知識。それがわたしの最強の武器で、全てを知っているわたしならこの世界の結末をもっといいものにできる。傲慢にもそう信じて疑っていなかったのだ。
「雪菜。欲しがってた誕生日プレゼントだ。これだろ」
お父さんの厳一郎さんが背中に隠していたものを渡してくれる。
「それ!ありがとうございます。大切にしますね」
「やれやれ。こんなもの大きくなったら嫌でも受け継ぐっていうのに」
「今がいいんですよ」
渡されたのは小学一年生の自分の背丈ほどもある白銀の長弓だった。その表面には、繊細な「蔦模様」の彫刻が施されている。間違いない、これは古代ベルカ式のデバイスだった。念願のわたしだけのデバイス。子供の小さな手には大きいが、ずしりと手に馴染むのが嬉しい、わたしだけの相棒。
記憶を取り戻したわたしは家の蔵でこの長弓を見つけ、次の誕生日に絶対欲しいとおねだりしていたのだ。
「これは『白楼』という兵守家に伝わるベルカ式のデバイス……術者の魔力を変換、制御してくれる機械。まぁ簡単に言うと魔法専門のコンピュータみたいなもんだな。て雪菜にはそんな説明なくても伝わるか」
「いえ。ありがとうございます。これでお父さんのお仕事もお手伝いできますね」
「ははは。まだまだ雪菜には早いよ」
兵守家は代々この海鳴市に住んでいる魔術師の末裔らしい。勿論、前世の知識……原作のどこにも、こんな名前の魔導師家系は存在しなかった。きっと物語では描かれなかった裏側。というやつなのだろう。本編では語るほどもない影響力の低い家柄。ということなんだと思う。
なのはたちが所属することになる時空管理局は、外から世界を守る組織だ。一方、兵守家は、大地の深層を流れる魔力の奔流――「龍脈」を管理し、世界の内側から、足元を流れる魔力が壊れないように、ただ静かに見張ってきた一族らしい。父親の厳一郎さんはその当代の当主だ。龍脈は、この街の血管みたいなものだ。詰まれば、どこかが壊れて大きな事故に繋がってしまう。だから兵守家は、その詰まりを見つけては流れをスムーズにする役割を持つ。
「もう、雪菜ったら。デバイスもいいけど、まずはこのケーキを食べてからにしましょうね」
笑いながら、お母さんの佳乃さんが切り分けてくれたのは、苺のショートケーキ。自認二十一歳のわたしにとって誕生日のケーキなんて今更感はあったけれど、こうして誰かに誕生日を祝われるのはなんだかくすぐったくて暖かい気持ちになる。
佳乃さんは、優しくわたしの少し跳ねた短い黒髪を、愛おしそうに撫でてくれた。
「雪菜は、本当にかわいいわね。……きっと、お父さんに似て立派な門番になるし、お母さんに似て、素敵なレディになるわ」
「ええ。任せてください」
「ふふ、楽しみにしているわ。来年の誕生日には、もっと大きなケーキを焼きましょうね」
来年。その当たり前のように語られた未来が、当たり前じゃないことに、転生知識で万能感を得ていたわたしは気が付いていなかったのだ。
「――っ! 雪菜、伏せろ!」
厳一郎さんの、これまでに聞いたこともないような怒声。
同時に、食卓の上のグラスが激しく鳴り、戸棚の食器がガタガタと震えだす。世界が、わたしの誕生日の夜が、真っ赤な世界に染まり始めた知らせだった。
「龍脈が……逆流している!?馬鹿な、周期はまだ先のはずだ!」
厳一郎さんが叫びながら、即座に自身のデバイスを展開する。
家が地鳴りと共に大きく軋む。庭の地面からは、どす黒い魔力の霧が噴き出し、夜の闇を塗り潰していくのが見えた。
「あなた。これは……っ」
「龍脈の暴走だ!まずい。この規模だと放置するとこの辺一帯が吹き飛ぶぞ」
(待って。これ、もう原作が始まった?……違う。わたしの調査では高町なのはの年齢は兵守雪菜と同じはず。だとすると原作一話のジュエルシード事件が始まるのは二年後。じゃこれは原作に無いオリジナル展開!?)
わたしは、震える手で『白楼』を握りしめる。でも大丈夫。ここで海鳴市が吹き飛べば原作が始まらない。だから何とかなるはず。
「二人とも俺の後ろに隠れろ!シールドを張る!」
何分経ったのか、何時間経ったのかわからない。わかるのは、ただ荒れ狂う魔力の奔流を前に兵守家当主として厳一郎さんがギリギリそれを抑え込んでいる状態だということだけ。そしてそれがもう長く続かないということも。
「ちくしょう!」
その時だった。夜空に、眩い光の輪が現れたのは。
(次元移送の魔法陣!時空管理局!)
そうだ。これだけの異常事態で管理局の介入が無いなんてあり得ない。
空に現れた管理局の空戦魔導師たちが次々とこちらに向かって降りてくる。その先頭に立つ、ひときわ鋭い魔力反応を伴って降下してくる一人の少年の姿に、わたしの目が釘付けになる。
(黒に近い紺色の髪。それにあの黒い法衣のようなバリアジャケット。もしかして……!)
少年の姿が大きくなってくるにつれ、期待が確信へと変わっていく。
これで助かった。正直そう思った。記憶の中のものよりも、少年の横顔はまだあどけなさが残る。けれど、前世のオタク知識が間違いないと主張している。クロノ・ハラオウン。その姿は若き日の管理局の天才執務官に間違いなかった。
「おい!あいつらはなんだ。もう持ちこたえられないぞ。俺もすぐ行く。お前たちだけでも先に早く」
「ええ。雪菜……」
「大丈夫です!彼らは味方!きっとなんとかしてくれる」
原作が始まる前に、本編では語られなかったこんな戦いがあったなんて。転生して貴重なものを見られたかも!とまで、まだこの世界をどこか本物の現実として捉えられていなかった愚かなわたしは思ってしまっていた。
だからわたしは逃げなかった。いや……逃げる最後の機会を失ってしまった。
『こちら第97管理外世界先行隊。大規模な魔力の乱れを感知。管理局規定第18条に基づき、当該エリアを「次元封鎖」。周辺への汚染を食い止めます。……現時刻をもって、エリア内への救助・介入を一切禁ずる』
「えっ」
唐突に頭の中に流れてきた音声に、わたしの動きが停止する。これは、念話?いや、違う。白楼が管理局の広域通信を拾ってるんだ。
『レーダーの反応地点付近に現地民のような人影あり。封鎖しますか?』
『……すまない。通信が悪い。繰り返せ……!』
『レーダーに反応あり。本部!』
慌ただしいやり取りが漏れ聞こえ、やがてそれもノイズとなって聞き取れなくなる。
何かがおかしい。ここにきてようやく、わたしは焦り始めた。お父さんが叫んでいる。管理局はこれ以上降りてこない。このままじゃわたしたちは……。
「待って!まだわたしは!ここに!」
混乱した現場の中で、管理局の空戦魔導師たちにより、わたしたちを取り囲むような障壁のようなものが作られ始める。
「待って!」
目が合った先頭の少年が必死に何かを叫んでいた気がした。でも、もう何も聞こえない。
「雪菜――!」
耳をつんざくような爆発音。そして視界が一気に赤く染まる。暗転。
「雪菜!雪菜!」
次に気が付いたとき、わたしは炎に囲まれた真っ赤な世界で一人倒れていた。何も聞こえない。キーンと響く耳鳴りが、世界の音をすべて奪い去っている。身体だってピクリとも動かない。目に映るのはただ瓦礫と炎だけで。
……だけじゃない。ほんとはわかってる。わたしをかばうようにして倒れているお父さんとお母さんの姿だって見えている。
あの時、わたしが逃げなかったから。前世の記憶を過信して致命的な判断ミスをしちゃったから。取り返しのつかない事態を招いてしまったことを本能が理解していた。
「おとう……さん……おかあ……さん。ごめ……さ……い」
「ゆきな」
もう動かないと思っていた手のひらが。崩れ落ちるお父さんのその大きな手のひらが、わたしの頭に触れる。
「すまない。そして俺たちの娘でいてくれてありがとう」
「おとう……さん……」
「俺とはもうお別れだ。ここから先、お前はお前として生きるんだ」
お父さんの手のひらから溢れ出す、凍てつくような白銀の光。
「もっと子供らしく笑って生きなさい。雪菜」
「あ……」
視界が白く爆ぜる。熱くて熱くてたまらない。脳みその中を直接誰かにかき回されているかのような不快感。
なのは。フェイト。クロノ。ジュエルシード。時空管理局。はやて。闇の書。ヴォルケンリッター――。
頭の中を高速で流れていく断片的な単語。更に前世でのつらかったり、楽しかったりした思い出まで……。『記憶』が、そして『経験』が。頭の中から次々抜け落ちていく。待って。待って。待って。この物語の主人公は誰?誰を助けるつもりだった?どんな結末を迎えたかった?わたしは誰。わたしは。私は。これが無いと私はただの……。
『思考の整理を終了。再起動します。マスター。0.5秒以内に起きてください。さもなければ』
さもなければ、何なのだろう。私はまだ……。
『マスター。起きてください。マスター。さもなければ、強烈な一撃があなたの脳天を揺らすでしょう』
「――いい加減に起きなさいよ、この残念美少女!」
「ぶふぇっ!?」
スパン!と、朝にも感じた以上の強烈な一撃が脳天を揺らし、私の意識が一気に引き摺り上げられた。くらりと視界が揺れ、夢と現実の境目が一瞬だけ曖昧になる。
「ちょっと!なにすんの……ねぇ、アリサ。まさかと思うけど、その手に持ってる分厚い教科書で殴ってないよね。ねぇ!?」
「うるさいわよ!大体あんたいつまで寝てんのよ。もうとっくに放課後よ?塾に遅れちゃうでしょ!」
私の机の横で険しい顔をして丸めた教科書片手に仁王立ちのアリサ。そしてその背後で困ったように笑うなのは。そしておっとりほほ笑むすずか。これはもしかしてやってしまったのでは?
「あはは……。雪菜ちゃんやっと起きた。でも大丈夫?すごい汗だよ」
「え……」
なのはに言われて見てみると制服がぐっしょりと濡れていた。それにまだ鼓動が早い気がする。一体どんな夢見てたんだろ、私。もしかしてまた二年前の……。
って、ダメダメ。こんなのは私のキャラじゃない。
思わず曇りそうになる顔の口角を上げ、にこりと笑って見せる。
「巨大な餃子に追いかけられて食べられかけたかも」
「……いや、どんな夢よ。花の女子小学生が見ていい夢じゃないでしょそれ」
「わたしはちょっと食べてみたいかなぁ」
「すずかちゃん!?」
教室に溢れる笑い声。いつも通りの日常。いつも通りの世界。そう。これでいい。やっぱり私は笑ってるのが一番なんだから。
「ほんと大人しく寝てた顔だけは儚い和風少女って感じなのに。あんたときたら」
「アリサだけには言われたくないかな。それ」
「それはこっちのセリフだって言ってんのよ雪菜!」
アリサがまた国語辞典を振りかぶったのを見て、逃げるように立ち上がる。
まだこの時は知らなかった。まさかこの数十分後。あんな出会いが待っていたなんてことに。