「なあ、八幡。一緒に帰ろ」
「一人で帰る」
「いーじゃん! 俺今日部活休むし!」
「行けよ」
「やだよ、坂口たちいるし!」
嫌がる比企ヶ谷を無理やり引っ張って、帰り道を共にする。昨日分かったことだけど、小学校の学区こそ違うが俺たちの家はほぼ同じ方向。帰り道も俺がちょっとだけ遠回りすれば合わせることができる。
校門から少し歩いたところで、「なあ」と。
「なあ、八幡っていつもあんなことしてんの?」
「何のことだよ」
「4限のやつ。八幡が谷先生に怒られる必要なくね?」
「……それ、お前に関係あるか?」
「ないけどさ、島田さんに睨まれたじゃん」
その後に続ける言葉が見つからなくて、苛立ち混じりに「ありがた迷惑って知ってる?」なんて言う。こんなこと言うつもりじゃないのに。
「……知っていることと、実際にやることは別だ」
「なにそれ」
なにそれ、意味わからん。「なんでそうなるわけ?」とか。「自己犠牲とかイマドキ流行んないよ」とか。言いたいことは色々あった。でも、どれも俺の言葉として唇の外に出ることはなく……
「……おかしいよ、お前」
「あっそ」
思わず口に出してしまった
「……。」
「…………。」
沈黙。息が詰まるほどの無音。そんな下校路に耐えられなくなって。何となく視線を送った先にあったゲームセンターが一等星のように輝いてみえる。比企ヶ谷の肩を叩き、やや大袈裟な仕草でゲームセンターを指差す。
「な、ゲーセン行こ」
「行かない」
「え、なんでよ」
「金ないし」
「じゃあ図書館? タダだし」
「……お前とは行かない」
「なにそれ、ひでーの」
テンポよく流れた会話に気が緩んだ。思ったよりも比企ヶ谷といると楽しいし、会話だって続いている。
「もうさ、開き直ろっかなって。こんなことでダチが離れてくとか思ってなかった。
ショックだけど、でも『こんなことで』離れていくとか本当の友情じゃなくね?」
隣を歩く比企ヶ谷の様子を伺う。髪で書かれて横顔は見えない。
「簡単に切れる友達10人より、何があっても離れない親友が1人いる方がいい。
……八幡は、どう思う?」
普段より口数が多いのは、比企ヶ谷のリアクションが読めないからだろう。何を話せばいいかわからない。だって俺は比企ヶ谷の趣味も、家族構成も、普段何をしているのかも知らない。
共通の話題を見つけたくて、比企ヶ谷と『会話』がしたくて。必要以上に口が回る。
「俺、八幡に信じてもらえるように努力するよ。だから、親友に立候補してもいい?」
「都合がいい事言ってんじゃねぇよ」
初めて比企ヶ谷が返事をした。
冷たい声に驚いて足を止める。比企ヶ谷も、俺の一歩先で足を止めた。振り返った表情は逆光のせいで何も見えない。
「友達がいなくなったからって俺に擦り寄ってくるな」
「……っ」
……何も、言い返せない。正直なところ図星だった。確かに友達が一気に消えて寂しくて、比企ヶ谷に
「(___でも、それだけじゃない)」
確かに、朝の時点ではそうだった。けど今は……
「……比企ヶ谷、俺って結構カマチョなの。一人だと寂しくて死ぬタイプ。
親友候補がダメならしばらくのあいだは
「尚更、嫌だ!」
逆光に目を細めながら一息で告げた。嫌がって声を荒らげる比企ヶ谷。
ようやく素の比企ヶ谷が見えた気がする。踵を返した背中に「まって!」と声をかけた。開いた一歩分の距離は大股出歩いて一気に詰めた。
□□□
あの嘘告白から早いことで一週間。それなりに上手くいっていると思う。部活からは足が遠のいているが、その分比企ヶ谷と遊んだり勉強したりと充実している。
一階から「夕ご飯できたよ」と母さんの声。「今行く」と返して階段を下る。
大皿いっぱいの唐揚げに、口の中でよだれがたまる。
「ねえ、侑。あんた男の子と付き合ってるって本当?」
「へ?」
「いただきます」の挨拶からわずか5秒。向かいの席から投げられた言葉に思わず箸を取りこぼす。
視線の先には真面目な顔をした母の姿。唇を緩く結んだまま、「どうなの?」と目で語っている。「中間テストの結果はどうだった?」と聞く時とほとんど同じ対応だ。
怒りと、呆れと、心配が混ざった表情。まったく、うんざりする。
先ほどまでは大皿にいっぱいに積まれた唐揚げにテンションが上がっていたというのに。
「なんでそんなこと聞くの」
「最近、ご近所で噂になってるのを聞いたのよ。……ねえ、侑。正直にこたえて」
想像がつく二の句を聞く前に席を立つ。「噂ってなんだよ」とか、「そんなのアンタに関係ないだろ」とか。乱暴な言葉ばかり脳裏に浮かぶ。頭が茹って弾け飛びそうだ。
「あんた、ゲイなの?」
「違う!!」
背中に投げられた言葉に否定を返す。自分でも制御できない怒りが、頭の中でぐつぐつ煮える。
ここ最近の
「だいたい、アンタに関係ないだろ!」
口から言葉が吹き出した。視界が真っ赤になる程の激しい怒りは初めてで、考えがまとまらない。
「じゃあなんでそんな噂が立つのよ!」
「知るかよそんなこと! 俺はホモなんかじゃ……っ!」
吐き捨てた瞬間、比企ヶ谷の顔を思い出した。坂口に嘘告白をさせられた日の顔。あの、じっとりと薄暗い濁った瞳が真っ直ぐ俺を見つめている。
「……っ!!」
うちに比企ヶ谷がいるわけない、幻覚だ。1秒ごとに心臓が脈拍数を上げていく。ただ立っているだけで息苦しくて、呼吸をするのもままならない。
現実の母と幻覚の比企ヶ谷。二つの視線が俺を咎める。
……気が狂いそうだ。
「侑!」
なにも持たずに家を飛び出した俺の背中に母の声が刺さる。今は、とにかく一人になりたい。どこか遠くに行きたくて、俯きながらがむしゃらに走った。
ゲームセンターの前を通り過ぎて、見慣れた風景に足を止める。一人になりたくて走っているのに、無意識のうちに比企ヶ谷の家に向かっていた。
「……っ!」
意図的に走る方向を変える。人から逃げて、場所から逃げて。虫の鳴き声しかしない河川敷に辿り着いてようやく、足を止めた。
「……ちくしょう」
鉄の味の唾液を飲み込んで、膝に顔を埋めた。
……悔しい。俺も坂口たちの同類だ。
ホモだとか陰キャだとか、そういう風に他人にラベルをつけて、内心で見下していた。
「……きっしょ」
結局のところ、俺は誰かに嫌われるのが怖いのだ。みんなに愛想を振り撒いて、簡単に自分を曲げる。そんな性格が嫌いで、でも止めることはできなくて。
「(だから、かな)」
今思えば、
他人に合わせず自分を貫く。その結果いじめの標的にされても態度を曲げない。そんな心の強い比企ヶ谷が眩しくて、「苦手」だった。
「(……俺には到底真似できないな)」
でも、比企ヶ谷が凄いやつだと認めると自分の小ささを自覚するから。卑怯な俺は比企ヶ谷から目を逸らした。……あの、嘘告白事件がなければ、一生関わることはなかったかもしれない。
「なにしてんだろ、俺」
助けたつもりになっていた。でも実際助けられていたのは俺だった。
比企ヶ谷は俺を拒絶してもよかった。そうしなかったのはあいつが本当に優しいからで……俺がめちゃくちゃ弱いから。
「だれか、たすけて」
部活が怖い、クラスが怖い、近所の目線が怖い。たった一つの『嘘』で
あの日の選択に後悔なんしてない。でも、このままだと「比企ヶ谷の彼氏」を始めたことを後悔してしまいそうで。
そのことが苦しくて、悔しくて、情けない。
「もうどうすればいいか、わからないよ」
……今頃、母さんは何をしているのだろう。心配、かけてるだろうな。俺を探しているかもしれないし、帰ってくるのを待ってるかもしれない。あんまり遅いと警察沙汰になって。余計変な噂が立つかもしれない。
早く家に帰らないと。……でも、母さんになんで言えばいい?
俺たちの間に色恋なんてものはない、でも付き合ってるのは本当だ。そういうラベルを、自分で貼った。
「本当に、しょうもない」
……このまま、今日が終わればいいのに、なんて。馬鹿らしいことを本気で考える。
明日なんて来ないまま、世界が終われば。そうすれば、こんな思いしなくていいのに。
ぐず、と鼻水を啜る。ポケットティッシュなど持ち歩いていないから、仕方なくシャツの襟ぐりで鼻をかむ。街灯が少なくて助かった、こんなひどい顔、誰にも見られたくない。
「……」
ぐちゃぐちゃになった俺を、アマガエルが見つめていた。