境界の錬金術師 ー 私、どうやら『人造人間』らしいー 作:女にだって二言はないぜ?
ある、激しい風の吹く夜だった。
次の街へと急ぐ二人が足を踏み入れたのは、一通りのまったくない荒涼とした荒野の街道だった。
ごうごうと吹き荒れる夜風が、アリスの金髪に結ばれたリボンを激しく揺らす。毎日朝起きた瞬間に、自分の指先で確かめるように結び直してきた、双子の兄エドワードと弟アルフォンスが、初めての錬金術で一生懸命に作ってくれた少し歪なリボン。
アリスがそのリボンにそっと手を触れた、まさにその瞬間。
本当に、何の前触れもなかった。
大気が一瞬にして凍りつくような、凄まじい『質量』を持った何かが、暗闇を切り裂くようにして二人の前に這い出てきた。
地を這うような、本能が危険を察知して全身の毛が逆立つような、悍ましい不気味な気配。前世の平和な記憶しか持たないアリスの意識は、その圧倒的な「人外のプレッシャー」に直面し、恐怖で硬直しかける。
「__アリス、俺の後ろに隠れていろ!!」
ホーエンハイムの、これまでに聞いたこともないような鋭い怒号が荒野に響いた。彼は瞬時にアリスを自分の大きな背後に庇うと、錬成を発動させた。
バチバチバチッと凄まじい密度の錬金術の光が炸裂し、荒野の硬い岩盤が生き物のようにせり上がって、二人の前に強固な防壁を造り出す。
だが、闇の奥から迫る襲撃者の攻撃は、そんな規格外の術すら嘲笑うかのように苛烈だった。闇を引き裂いて、信じられない速度で伸びてきたのは、鋭利な刃物のような漆黒の細い『爪』。ホーエンハイムが作った強固な岩の防壁は、その爪によって、まるで豆腐のように一瞬で細切れに切り裂かれ、粉々に粉砕されてしまった。
防壁の破片が舞うなか、巨体を揺らしながら現れたのは、異様に口の大きな、丸々とした不気味な大男だった。
「ねぇラスト、これ、食べていい?」
その隣には、ホーエンハイムの防壁を切り裂いた、指先を鋭い刃の形状へと戻していく、妖艶な黒髪の女が佇んでいる。
「まだダメよ、グラトニー。……それより、ホーエンハイム。やっと見つけたわ。」
息を呑むアリスを、さらなる絶望が襲う。背後の暗闇からゆらりと姿を現したのは、変幻自在に波打つ緑色の長い髪を持った、どこか中性的な容姿の三人目の化け物だった。
「へぇ? おかしいなぁ。そこの娘、ただの人間じゃないぞ。……あぁ、間違いない。この凄まじい『魂の質量』……。こいつは、俺たちの同類。生まれながらにして、体内に賢者の石の塊を宿している……!」
ホーエンハイムが地面に伏したまま、血に染まった手を必死にこちらへ伸ばす。
「逃げろ……アリス……っ! そいつらに関わってはいけない……!」
だけど、敵の動きの方が圧倒的に早かった。黒緑髪の化け物は人間の形のまま、その長い腕を瞬時に数メートルも伸ばしてアリスのちっちゃな身体をガシッと容赦なく鷲掴みにし、抵抗する間もなく宙へと強引に引きずり上げた。
「いたっ……!」
「こいつは最高の人柱候補だ。お父様もきっとお喜びになる」
化け物はニヤニヤと歪んだ笑いを浮かべ、その鋭い爪をアリスの金髪の髪に絡ませた。
アリスを取り戻すため追撃しようとするホーエンハイムに、黒緑色の髪をした化物__エンヴィーが冷酷に告げる。
「今の状況がわかっていないのか?ホーエンハイム。こいつは人柱であり、人質だぞ?追ってくると言うのなら、コイツを__殺す」
「!!」
「いい顔ね、ホーエンハイム。大丈夫、この子は私たちの末っ子なんだから、悪いようにはしないわ」
追撃すればアリスに危険が及ぶ。だがこのままではアリスが
「アリス――!!!!!」
荒野の夜空に、ホーエンハイムの絶望に満ちた絶叫が木霊する。何百年も生きて国を裏から救おうとしていた、あの強くて不器用な父親が、涙と血に塗れて娘を求めて手を伸ばしている。その姿が、アリスの視界の中でどんどん小さくなっていく。
化け物たちの冷たい肉体の腕に捕らえられ、ずるずると地下の暗闇へと引きずり込まれていく。アリスは必死に暴れ、体内のエネルギーを練り上げようとしたけれど、敵の強力な呪縛の前に、小さな肉体は悲鳴を上げるばかりだった。
「おとなしくしなよ、おチビちゃん。人間どもの血が混ざってるくせに、ずいぶんと生意気な質量じゃないか」
緑髪の化け物がそう嘲笑った瞬間――ブチッ、と嫌な音がして、アリスの頭からリボンが乱暴に引っぺがされた。
「あ……!」
その手の爪に握られていたのは、あの日の朝、エドとアルが初めての錬金術で一生懸命に作ってくれた、少し歪な大きなリボンだった。
アリスが毎日朝起きた瞬間に自分自身で結び直してきた、世界でたった一つの、自分がエルリック家の一員であることの唯一の証明。
「へぇ、何これ? 人間どもが作った安っぽいゴミじゃん。こんな汚い布きれ、お前には似合わないよ」
化け物がそのリボンを、ゴミ屑でも捨てるように、暗闇の底へと放り捨てようとする。
「やめて……!お願い、捨てないで……!!」
声が枯れるほどの悲鳴をあげて、アリスは宙に浮いたリボンへと必死に手を伸ばした。だが、化け物は冷酷に指を離し、大切なリボンは激しい夜風に煽られながら、遥か大地の亀裂、底の知れない暗黒の深淵へとひらひらと落ちていく。
それは単なる布切れの喪失ではなかった。前世の孤独な病室で、誰にも必要とされずに死んでいった自分が、初めて自分のために貰ったプレゼント。
アリスの中で、何かが完全に壊れ、そして完全に目醒めた。アリスはまだ諦めていなかった。自由な方の右手を、死に物狂いで懐へと滑り込ませる。
掴んだのは、ホーエンハイムとの修行期間中、毎日せっせと独自の高度な錬成陣を描き溜めてきた、小さな携帯用のノートだった。
締め上げられる衝撃で、ノートの綴じ紐が引きちぎられ、破れたページが荒野の風に舞ってバサバサと周囲に散らばる。宙を舞う何十ものページ。そこには、前世の英才教育の知識と、父親から直伝された『星の純粋な流れ(地脈)』の理論を幾何学の図形に落とし込んだ、高度な錬成陣の数々がびっしりとストックされていた。
アリスは、散らばるページの一枚に、自分の血に染まった指先を叩きつけた。その時、アリスの脳細胞は、恐ろしいほどの速度で『拒絶と切断』の多重錬成を、一瞬の狂いもなく頭の中で組み立てていた。
(お父さんから教わった、大地の底のエネルギー……。私のノートの陣のすべてに__!!!)
体内の奥深くにある、ズッシリと重い賢者の石のエネルギーを、ノートの全ストックへ向けて一気に全開で流し込む。
狙うのは、こいつらの拘束を、この荒野の空間すべてを分子レベルで組み替えて拒絶する、超巨大な結界の錬成。だがその瞬間、彼女の能動的な錬成の意志に呼応するように、体内の『賢者の石』がドクン、とおぞましい鼓動を上げた。
ノートの陣から放たれた錬金術の青い光に、身体の奥底から溢れ出た不気味な赤紫の光が混ざり合い、アリスの魂の奥底に眠っていた「固有の能力」が初めて真に覚醒する。それは、世界のあらゆる事象の『境界(境界線)』を支配し、無に帰す能力。
7歳児の肉体の許容量を遥かに超えた、
次の瞬間、世界そのものを分子レベルで切断する、巨大で美しい『光の境界線』が、荒野の全域を十字に切り裂くようにして走り抜けた。
アリスの指先から放たれた『境界の切断』は、等価交換の法則を力技でへし折るような絶対的な威力を持ち、彼女を鷲掴みにしていたエンヴィーの伸ばされた腕を、一瞬にして綺麗に切断して弾き飛ばした。
「ぎゃあああああッ!? 俺の腕が……っ!?」
切断された断面から赤い火花(賢者の石の光)を散らしながら、緑髪の化け物が地面を転がる。
さらに、横から襲いかかろうとした巨体の大男までもが、その光の刃によって胴体を真っ二つに引き裂かれた。化け物たちは忌々しげに顔を歪めながら、失った肉体をウニウニと一瞬で元の姿へと再生させ、戦慄の眼差しでアリスを睨みつけた。
しかし、暴走した術はもう誰にも止められなかった。
自らの意志で、自らの手で、世界の空間の境界を切り裂き、
激しくスパークする青と赤の錬成光の渦のなかで、文字通りバリバリと音を立てて空間がめくれ上がり、大気が一瞬にして真っ白な光へと塗りつぶされていく。そして、めくれ上がった世界の裂け目の奥から__不気味にそびえ立つ、巨大な石造りの『真理の扉』が、壮大にその姿を現した。
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書き置きが少なくなってきたので、ゆっくり更新していきます。