天赤二次小説 「ザナンザ生存if 夢小説」 作:ブドゥヘパ
いよいよ待ちに待った遠出の当日の朝。
東の空がやわらかな薄桃色に染まる頃、私はいつもより少し早く起きて身支度を整えていた。
手作りの薄桃色の衣装に袖を通し、風にたなびく軽やかな裾を整える。手鏡に向かい、髪を丁寧に梳かして結い上げると、ほんのり紅を引いて薄く化粧を施した。普段の作業着姿とは違う鏡の中の自分に、少しだけ胸が高鳴る。
台所に移動し、昨日から準備していた竹かごへ手際よく荷物を詰めていく。
昨夜の夕食で多めに作っておいた餡包み焼きと、彩り鮮やかな野菜の塩もみをお弁当箱へ。さらに、竹筒には冷たい湧き水と、新鮮な柑橘を絞った特製のフルーツジュースをたっぷりと注ぎ入れた。
「よし、準備完了!」
竹かごを抱えて外へ出ると、すでに厩舎の前で馬の手入れを終えたザナンザが待っていた。
私が手縫いで仕立てた深緑と白の旅装を纏った彼の姿を目にした瞬間、思わず息をのんだ。
背筋の伸びた逞しい身体に深緑の布地が吸い付くように映え、彼の凛々しさと品格を一層引き立てている。
「ザナンザ……! すごく似合ってるよ。深緑色にして正解だったね」
私が駆け寄ると、ザナンザは振り返り、一瞬だけ固まったように私を見つめた。
やがて、その漆黒の瞳にじんわりと熱い光が宿り、彼の頬がほんのりと朱に染まっている。
「……あぁ。君の仕立ててくれたこの衣、驚くほど軽やかで動きやすい。……だがそれ以上に、手作りの衣装を纏った君の姿が……言葉を失うほどに美しい」
「も、もう……お世辞はいらないってば」
真っ直ぐな言葉に照れくさくなり、私が明後日の方向を向くと、ザナンザは愛おしそうに自分の袖口と私の裾を見比べ、子供のように嬉しそうな笑みを浮かべた。
「色合いも、どこか揃いのようだな。君とお揃いの衣を着て出かけられることが、こんなにも誇らしく嬉しいとは知らなかった」
「ふふ、喜んでもらえてよかった。さあ、お弁当も持ったし行こうか!」
私たちは並んで厩舎から一頭の毛並みの良い馬を連れ出した。
鞍を掛け、手綱を引く私の手元を見ていたザナンザが、ふと馬の胴体から垂れ下がる金具に目を留め、驚いたように声をあげた。
「これは……足を載せる輪(鐙:あぶみ)か……!?」
「うん、そうだよ。これに足をかけると、馬の上で体が安定するでしょ?」
「なんと……! 我が国でも、ヒッタイトの精鋭騎兵ですら鞍にそのまま跨がるのが常識だった。これがあれば、乗馬の疲労は半減し、馬上で踏ん張ることも容易になる……! なぜこのような画期的な道具が……」
「孤児院にいた頃、牧場で乗馬体験をしたことがあってね。村の人に身振り手振りで説明をしたら上手く作ってくれたんだ」
足元を食い入るように観察し、感嘆の溜め息をもらすザナンザ。相変わらずの軍事オタクぶりに苦笑しつつ、私は村の入口にある記録所へと向かった。
記録板の前には、早朝当番の村人が待っていた。
「おはよう、アイラ、ザナンザ! 今日はオアシスまで遠出だって?」
「うん! 出発時間の記録をお願い。お夕飯の時間までには帰るよ」
「はいよ。『アイラ、ザナンザ。目的地:西のオアシス。出発時刻:早朝六時』っと」
見慣れない記録作業を不思議そうに見つめていたザナンザに、私は軽く説明を添えた。
「この村では、誰が・いつ・どこへ出かけたかを必ず記録するルールになってるの。万が一、事故や遭難があった時に、すぐに捜索隊を出せるようにね。
それと、これは日時計。普段は教会の鐘があるから使わないけど、一日を24等分して正確な時間を示してくれる。ちなみに教会の鐘はからくりを使って自動で鳴るようにしてるんだ」
「なるほど……徹底された危機管理だ。外へ出る者の安全を確実に担保する、実に見事な仕組みだな。それに、日時計…教会の鐘まで…。村には不思議がまだ沢山あるな」
ザナンザは深く頷き、改めてこの村の隙のない制度に感心していた。
「よし、台帳への記入も完了だ! 二人とも、気をつけていってらっしゃい!」
「ありがとう、いってきます!」
ザナンザが先に馬に跨がり、私に手を差し伸べて軽々と前へと引き上げてくれる。
背中に感じる彼の温もりと、鞍に足を乗せた時の確かな安定感。
「しっかり掴まっていてくれ、アイラ」
「うん!」
ザナンザが手綱を引くと、馬は爽やかな朝風を切って力強く走り出した。
陽光に輝く緑の草原を抜け、私たちは二人だけの秘密のオアシスを目指して、晴れやかに駆け出していったのだった。
朝日を浴びて黄金色に輝く草原を、一頭の馬が風を切って疾走していく。
ザナンザの力強くもしなやかな手綱さばきと、新しく取り付けられた鐙(あぶみ)の安定感のおかげで、馬上の揺れは驚くほど心地よかった。
後ろから彼にしっかりと抱きかかえられる形になっている私の背中には、彼の胸の鼓動と温もりがダイレクトに伝わってくる。
「……速いね、ザナンザ! 風がすごく気持ちいい!」
「あぁ! 馬の脚取りも実に軽い。何より、この鐙のおかげで馬との一体感が素晴らしいな……!」
髪をなびかせながら声をあげる私に、ザナンザはどこか興奮気味に、けれど愛おしそうに目を細めて応えた。
二人で同じ深緑と薄桃色の衣をなびかせ、緑の絨毯を駆け抜けていく。ただ風を切っているだけなのに、胸の奥から溢れ出る胸の高鳴りを抑えることができなかった。
一時間ほど馬を走らせた頃、平原の先に突如として、木々の青々とした茂みとエメラルドグリーンに輝く水面が現れた。
「着いたよ! ここが『秘密のオアシス』」
馬を木陰に繋ぎ、ザナンザが先に降りると、彼は私を両手で抱き上げ、ふわりと地面へ降ろしてくれた。
着地した瞬間、差し出された彼の手にそっと自分の手を重ねると、ザナンザは離しがたいと言わんばかりに、優しく指を絡めてくれた。
「……素晴らしい場所だな。まるで世界から取り残された、もう一つの楽園のようだ」
オアシスの水面は太陽の光を反射してキラキラと眩しく輝き、周囲には見たこともない色鮮やかな花々が咲き乱れている。静かな水音と小鳥のさえずりだけが響く空間で、私たちは手をつないだままゆっくりと水辺へ歩み寄った。
「見て、ザナンザ! お水がこんなに透き通ってるよ」
「本当だ……。底の小石までくっきりと見えるな」
私がひんやりとした水に手をつけてはしゃぐと、ザナンザはその隣にしゃがみ込み、私の横顔をじっと見つめた。
「どうかしたの? 私の顔に何か付いてる?」
「いや……あまりにも君が楽しそうに笑うものだから、つい見とれてしまっていた」
隠すこともなく素直に紡がれる愛おしさに満ちた言葉に、私の頬が一気に熱くなる。照れくささを誤魔化すように、私は持ってきた竹かごを開いた。
「も、もうっ……! ほら、お腹空いたでしょ? お弁当にしよう!」
木陰に柔らかな布を敷き、二人で並んで腰を下ろす。
そして、お弁当や竹筒を竹かごから取り出した。
「はい、ザナンザの分」
「ありがとう」
竹筒を受け取ったザナンザが、柑橘の甘酸っぱいジュースをごくごくと喉を鳴らして飲んだ。そして、一口餡包み焼きを噛み締めると、心底幸せそうな溜め息を漏らす。
「……うまい。外の爽やかな風を感じながら、君の作ってくれたものを味わう……これ以上の贅沢がこの世にあるだろうか」
「ふふ、大袈裟だなあ。でも、喜んでもらえてよかった」
私もジュースに口をつけながら、隣に座る彼の肩にそっと自分の肩を預けた。
ザナンザは一瞬驚いたように身体を硬くさせたが、すぐに力を抜くと、私の肩を抱き寄せるようにそっと腕を回してくれた。
流れる静かな時間。お互いの吐息と体温を感じながら、私たちは言葉もなく、ただ揺れる水面を見つめていた。
「……アイラ」
ふと、ザナンザが私の名を低く甘い声で呼んだ。
「なに?」
見上げると、彼の漆黒の瞳が、吸い込まれそうなほどの深い熱を帯びて私を射抜いていた。
「私はかつて、自らの運命も、命すらも諦めかけていた。……だが今、こうして君の隣で風を感じ、君の笑顔を見ていると、生きていることの喜びが溢れて止まらないのだ」
彼は私の手を取り、その甲にそっと温かな唇を寄せた。
木漏れ日が二人の影を重ね合わせる。
風が優しく吹き抜け、花々の甘い香りがオアシス全体を包み込んでいく中、ザナンザが更に一歩私へと距離を縮めた。
「…………」
オアシスの静かな木陰の下、重ねられた手と手のぬくもりが、ゆっくりと互いの心へと染み渡っていく。
風が水面を撫で、小さな波紋がエメラルドグリーンの光を幾重にも散らしていた。
ザナンザの手の甲へと重ねられた私の指先に、彼の少し荒い吐息と、静かだが力強い脈動が伝わってくる。
「……アイラ」
もう一度、愛おしさを噛み締めるように私の名を呼ぶと、ザナンザはゆっくりと顔を上げた。
引き締まった目元には、ヒッタイトの皇子としての鋭さではなく、ただ一人の男性として私を愛おしむ、深く甘い光が宿っている。
「私には、もう王位も、栄誉も、名声すらない。残されたものは、この一筋の剣と、鍛え上げた身体だけだ。……だが、もし君が許してくれるのなら」
彼は私の手を包み込む力をほんの少し強め、どこか祈るような眼差しで私を見つめた。
「この命の最後の一滴まで、君と、君が創り出したこの温かな世界を護るために捧げたい。君の隣に立つ男として……ずっと側にいさせてくれないだろうか」
まっすぐで、嘘偽りのない誠実な言葉。
胸の奥がキュッと締め付けられるような愛おしさに満たされ、私は彼の差し出した手に自分の手を強く握り返した。
「……うん。ザナンザがいてくれたら、私はすごく心強いよ。不器用で、たまに真面目すぎるけど……私にとっても、ザナンザはもう特別な人だから」
私が気恥ずかしさを隠すように悪戯っぽく笑うと、ザナンザの緊張していた表情が一気に解け、どこかホッとしたような、少年のような弾けた笑顔が咲いた。
「あぁ……感謝する、アイラ……!」
感極まったように私をそっと抱き寄せるザナンザ。
彼の肩に顔を埋めると、仕立てたばかりの深緑の衣服から、日差しと草の香りが優しく匂い立った。
それから私たちは、太陽が傾き始めるまで、オアシスの水辺で穏やかな時間を過ごした。
浅瀬に足をつけて冷たさに声をあげたり、持ってきた竹筒のジュースを分け合ったり、ザナンザがヒッタイトの幼少期に受けた厳格な教育の話を笑い話として聞かせてくれたり。
外界の陰謀や過去の悲劇など、まるで遠い異国の出来事であるかのように、ただ二人の甘く清らかな時間だけが流れていた。
「……そろそろ、帰ろうか。遅くなったらシュワルトが『置いていかれた!』って本気で泣きわめきそうだし」
私がクスクス笑いながら立ち上がると、ザナンザも「ふっ、あいつなら間違いなくやりかねないな」と楽しそうに頷いた。
竹かごを片付け、馬に跨がる。
往路と同じように、私の後ろからザナンザがしっかりと手を回し、手綱を握る。
「しっかり掴まっていてくれ。……帰りは少し、風が冷たくなってきた」
「うん。大丈夫だよ、ザナンザが温かいから」
背中に回した腕に少しだけ力を込めると、彼の胸が嬉しそうに大きく上下した。
夕空が茜色から深い紫へと移り変わる中、私たちは並んで一頭の馬に揺られながら、自分たちの待つ「深緑の村」へと向かって、ゆっくりと馬を進め始めるのだった。