天赤二次 「ザナンザ生存if 夢小説」 作:ブドゥヘパ
「……兄上」
ザナンザの声に、たたずんでいた男性がハッと息を呑み、ゆっくりと振り返った。
「ザナンザ……! ザナンザなのか!?
お前は死んだはず……いや、ここは夢の世界……?」
その人は間違いなく兄………カイルであった。
彼は、信じられないものを見るように目を見開き、自らの口元にそっと手を当てた。
ザナンザは懐かしさに胸を熱くしながら、拳を握りしめる。
「はい、夢の世界です。しかし……兄上に会うため、夢の中にお邪魔してしまい申し訳な……」
ザナンザが頭を下げかけた、その瞬間だった。
カイルは即座に一歩を踏み出し、ザナンザの身体を力いっぱい抱きしめた。
「済まない……! 済まなかった、ザナンザ……っ!
お前をエジプトになど遣わさねば、あんなことには……!
………っ、お前を襲撃したのは、私の部下だった。ナキア皇太后と裏で繋がっていたのだ……くそっ! 私がもっと早く気づいていれば……!」
愛する弟を失った深い苦痛と自責の念を吐き出すカイル。その温かな腕の感触に目頭を熱くしながら、ザナンザは力強く言い返した。
「兄上……私は、とある場所で生きています」
「……ザナンザ……?」
カイルが体を離し、衝撃に目を見張る。ザナンザは優しく、けれどどこか晴れやかな表情で頷いた。
「とても平和な場所で、満ち足りた日々を過ごしております。……愛する女性と共に」
「……本当なのか……? お前は本当に、生きているのか……?」
「はい、生きています。背を斬られ、冥土に召されそうになった際に…ある人たちに助けられました。
本当は……生きているだけでなく、兄上と共にヒッタイトを支えたかったのですが、その意が叶わず、本当に申し訳ありません。
私の生存が知られれば、またヒッタイトは荒れてしまうでしょう。
……私はもう、帰れぬ身です。兄上にお会いすることも叶いません。
しかし、夢の中でも…どうしても私の無事だけは伝えたかったのです。」
「……確かに、お前の言う通りだ。
ヒッタイトには戻るな。またナキア皇太后に命を狙われる。
そして、エジプトからは「ザナンザは婚姻から逃げ、和平を拒んだ」と言いがかりをつけられるからな。」
ザナンザは、コクリと頷いた。
そして、ずっと気がかりだったことを問う。
「兄上……今のヒッタイトの情勢は如何ほどでしょうか……?
私のせいで、エジプトとは大戦に発展しているのではないかと、ずっと胸を痛めておりました」
弟の切実な問いかけに、カイルはフッと痛みを払うように微笑み、首を横に振った。
「あぁ……お前のこととは関係なく、相変わらず各所で戦は起きている。
しかし、私が必ずヒッタイトを勝利に導き、この大国を盤石なものにしてみせる。お前が命を賭してエジプトに向かったことは決して無駄にはしない。
……だから安心しろ。お前はただ、新しい居場所と、愛する女性を守ることだけを考えるんだ。
そして、……助かった命を大事にしてくれ。
それが私の、心からの願いだ。」
「兄上……」
カイルはザナンザの肩に手を置き、まっすぐその瞳を見つめた。
「ザナンザ。どんなに遠く離れていようとも、お前が私の愛する弟であることに変わりはない。それだけは、絶対に忘れないでくれ。」
言葉を詰まらせ、静かに唇を噛み締めるザナンザ。
「兄上……あの……」
そんな弟の様子に、カイルは誇らしげに目を細めた。
「……ふっ、この夢のことは内緒……であろう? わかっているさ。
お前の側に、腕の立つ神官がいるようだな? 私も神官であるから分かるのだよ。お前がただの幻などではないこともな。
……達者で過ごせ、ザナンザ。私はお前がどこにいても、幸せを心から願っている。夢の中でも会えて本当に良かった。」
「私も、……会えて嬉しかったです。
お健やかな様子で、安心しました。」
カイルは優しく微笑む。
そして、名残惜しそうに、弟の頬に手を触れた。
「ザナンザ、次に会うのは冥土か。
ふっ…、暫く会えないことを望むのもおかしなものだな。
さぁ、ここに長くいてはいけない。お前は愛する女性の元に帰るんだ。」
「……兄上……っ!
………私は、貴方を生涯お慕いしております……
どうか、お健やかに………!」
ザナンザは涙を溢れさせながら、生涯最後となるであろう最敬礼を捧げた。
まばゆい光が二人を包み込み、カイルの温かな笑顔がゆっくりと薄れていく――。
「……ハッ!!」
ザナンザはガバッと跳ね起き、深く息を吐き出した。
目の前には、緊張した面持ちで香炉を抱えたシュワルトの顔があった。
「お、おいザナンザ! 大丈夫か!?
今度は変なオカマじゃなくて、ちゃんと本物の兄さんに会えたか!?」
周囲を見渡せば、そこは静まり返った村の神殿。
ザナンザは頬に手を当てた。
兄に触れられた頬の感覚が、まだかすかに残っている。
そしてゆっくりと立ち上がり、ふっと微笑んだ。
「あぁ……会えたよ、シュワルト。間違いなく兄上にな。
お前は、最高の神官だ。
ありがとう。心から礼を言う」
「へっ!当たり前だろ!」
夢の余韻と、胸を満たす温かな誓いとともに、ザナンザは深くシュワルトに感謝をしたのだった。
♢
♢
♢
夜の深寂が支配するアイラの部屋へと、ザナンザは静かに足を踏み入れた。
ベッドの上では、アイラが背を向け、穏やかな息声を立てて眠っている。
そっと傍らに身を沈め、彼女の滑らかな頬へ優しく指先を滑らせた。愛おしさを込めてその頬に唇を寄せてから、小さな身体を後ろから包み込むようにそっと腕を回す。
胸の奥にどこまでも深く、重く沈殿していた最後の蟠りが、静かに溶けて消えていく感覚があった。
ザナンザは深く息を吐き出し、安心に満たされながらゆっくりと瞼を閉じた。
(……兄上)
胸の内で、そっとその名を呟く。
過去の記憶が、遠い日の影のように脳裏をかすめた。
自分には見覚えすらない実母の身分が低かったというただそれだけの理由で、ヒンティ皇妃やカイル以外の者たちから蔑みの視線を向けられたことは、一度や二度ではない。
兄がその手に持つすべてを、羨ましく思ったことすらあった。
兄に追いつきたくて、皇帝である父上に少しでも認められたくて、ただ必死に武芸を磨き続けてきた日々。
だが――政治の蠢く泥沼からも、絶え間なき戦争の過酷さからも完全に解き放たれた今の身分になって、初めて心の底から理解できる。
兄が背負い続けているものの恐ろしさを。
大国を統べる者としての凄絶な責任
逃げ場のない重圧
胸を刺すような呵責。
兄はそれらすべてをその身ひとつに引き受け、大国の頂点に立つ覚悟を抱き続けている。
(もはや羨むなどという次元にはない……兄上は、どこまでも気高く、素晴らしいお方だ)
もし――自分があの時、無事にエジプトへと送り届けられ、ファラオの座に就いていたらどうなっていただろうか。
右も左も分からぬ異国の宮廷……陰謀が渦巻く渦中。
自分は、ファラオという地位にいながらも、ヒッタイトからの人質であり貢物にすぎない立場。
前王ツタンカーメンの不審死という不穏な影が落ちる場所で、権力を貪る者たちの手により、遅かれ早かれ命を奪われていたのかもしれなかった。
(……私は今、ここで生きている
なんとも、途方もない僥倖であったことか)
異世界とも言えるこの小さな村へ召喚されたこと。
皇族としての地位も、名誉もすべて失った。だがそれ以上に、自分を縛りつけていた重い呪縛から救い出されたのだ。
そして何より――兄上もまた、その生き方を温かく許し、受け入れてくださった。
ザナンザは腕の中の小さな温もりに、一層の愛おしさを込めて腕を強めた。
(……兄上のお言葉通りに生きよう。
この温かな村を、そして、何よりも愛おしいアイラを……私はこの命すべてを賭して、守り抜いてみせる)
確固たる誓いが胸に満ち、ザナンザはアイラの体温を感じながら、静かで深い眠りへと落ちていった。