天赤二次小説 「ザナンザ生存if 夢小説」 作:ブドゥヘパ
生産現場を一通り巡った後、私たちは村の中央に位置する大きな石造りの建物へと向かった。
屋根の煙突からは香ばしい煙が立ち上り、周囲には食欲を激しくそそる、甘くスパイシーな未知の香りが漂っている。
「ここは共同の調理場だよ。村のみんなの食事は、ここでまとめて作ることが多いの」
大きな木造りの扉を開けると、そこは活気に満ちあふれていた。
かまどの火が赤々と燃え盛り、大きな鉄鍋からは勢いよく湯気が噴き出している。村の女性たちが楽しそうにおしゃべりをしながら、手際よく包丁を動かしていた。
「あ、アイラちゃん! それに新入りの男前さんも!」
「今日の昼食は、アイラちゃんに教えてもらった『カレー』だよ! 熟成させたスパイスがいい感じに仕上がってるよ!」
声をかけてくれた調理場のおばさんに微笑み返し、私はザナンザへと向き直った。
案の定、ザナンザは鼻をかすかにピクピクとさせ、漂う複雑な香りの正体を探るように首を傾げている。
「見たこともない香りだ……。スパイスのようだが、オリエントの伝統的な薬味や調味料とはまるで違う。濃厚で、どことなく懐かしさすら覚える刺激的な香りだな」
「ふふ、これが『カレー』。私が故郷でよく作っていた料理だよ。
地元のハーブやスパイスを組み合わせ、肉や根菜と一緒にじっくり煮込んだものなの。栄養満点で、食欲がない時でも不思議と食べられちゃうんだ」
私はかまどの立ち並ぶ調理場の奥へと彼を案内しながら、ここで普及させた料理の数々を説明した。
「この村に来たばかりの頃、みんなの食生活は肉を焼くか、野菜を薄い塩味で煮るくらいしかなかったの。だから、私の知っている日本の家庭料理をいろいろ教えてあげたんだ」
「家庭料理、か」
「うん。たとえば、硬くて使いにくいお肉は細かく叩いて挽肉にして、炒めたタマネギや繋ぎと一緒に丸めて焼く『ハンバーグ』。これなら子供や年寄りでも柔らかくて食べやすいでしょ?
それから、醤油風に仕込んだ発酵調味料と甘みを使って、牛肉やじゃがいもをほっくり煮込む『肉じゃが』。
新鮮な魚も、ただ焼くだけじゃなくて、味噌風味のタレで煮付けたり、薄い衣をつけてカラッと揚げる『天ぷら』や『南蛮漬け』にしたり……」
私の説明を聞くにつれ、ザナンザの瞳は驚きと感嘆でどんどん見開かれていった。
「挽肉を丸めて焼く……煮込みに甘みと発酵調味料を用いる……。なんという発想の柔軟さだ。宮廷の料理人たちでさえ、肉はそのまま焼き、魚は干物にするのが精々だというのに……」
ザナンザは大きな鉄鍋の中でグツグツと煮込まれるカレーと、隣の平鍋でジューシーな音を立てて焼き上げられているハンバーグを食い入るように見つめた。
「食材を無駄にせず、硬い肉や癖のある魚すらも極上のご馳走へと変えてしまう。単に腹を満たすためだけの『食事』ではなく、食べる者の健康と笑顔を想う『愛情』が、この料理の数々には込められているのだな」
「まあね。美味しいものをみんなで食べると、それだけで元気になるでしょ? 料理は、一番手軽にみんなを幸せにできる魔法みたいなものだから」
「魔法、か……。まさにその通りだ」
ザナンザは感慨深そうに呟くと、愛おしそうな眼差しで私を見つめた。
「暗殺者の刃に倒れ、死を覚悟した私を救ってくれたのは、君の手が作った温かなおかゆだった。あのひとくちに感じた生きる希望の理由は……今、この調理場を見てはっきりと分かったよ」
そう語る彼の頬が、漂う熱気のせいか、ほんのりと赤く染まっている。
「さて、ちょうどお昼時だし、ザナンザもみんなと一緒に『カレー』を食べていく? 歩き回ってお腹空いたでしょ」
「あぁ……! ぜひ、いただかせてほしい。君がこの村に咲かせた『魔法』の味を、心して味わいたい」
照れくさそうに、けれど心底嬉しそうに微笑むザナンザの姿に、私は(ふふ、気に入ってくれるといいな)と胸を躍らせるのだった。
[ コーン……コーン…… ]
澄み渡る地中海の空に、集落の小高くなった丘に建つ教会から、昼を告げる鐘の音が軽やかに響き渡った。
「あ、お昼の鐘だ。みんな広場に集まってくる頃だから、私たちも行こうか」
私が促すと、ザナンザは「あぁ」と頷き、鐘の音の余韻を惜しむように見上げた。
村の中央に位置する広場へ向かうと、作業を終えた村人たちが続々と集まってきていた。大きな木のテーブルが並べられ、調理場から運ばれてきた大鍋から、香ばしいカレーが大きな木皿に盛り付けられていく。
「おい、新入り! お前も並べ! 今日はカレーだぞ!」
「傷はもう大丈夫なのか? 無理すんなよ!」
「よろしくな! 新入り!」
皿を手にした村人たちが、通りすがりにザナンザの肩を叩いたり、気さくに声をかけていく。ヒッタイトの皇子として畏怖され、かしこまられた視線ばかりを浴びてきたであろう彼は、その気取らない温かさに一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに目元を緩め、「あぁ、よろしく頼む」と清々しい笑みを返していた。
香辛料の豊かな香りが漂うカレーライスを手に、私たちは木陰のベンチに腰を下ろした。
「……美味いな。スパイシーでありながら、野菜の甘みとコクが口いっぱいに広がる。こんな料理は食べたことがない……」
一口食べたザナンザは、その味わいに目を丸くし、噛みしめるように皿を進めていた。
「喜んでもらえてよかった。……そうそう、傷が完全に治ったら、ザナンザにも村の仕事を手伝ってもらうことになるんだけど、うちの作業体系について説明しておくね」
私はスプーンを置き、ザナンザに向き直った。
「この村での仕事は、基本的に週休二日制のローテーション制にしてるの。力仕事なんかは主に男の人たちにお願いすることが多いんだけど、全員が固定の仕事だけをするんじゃなくて、順番で色んな作業に就いてもらってるんだ」
「ローテーション制……? 職を固定せず、交代で任につくということか?」
不思議そうに首を傾げるザナンザに、私は頷いた。
「そう。万が一、誰かが病気や怪我で動けなくなった時でも、他の人が代わりにその仕事をカバーできるようにね。それに、全員が色んな技術を身につけておいた方が、村全体の知識も深まるし、何よりずっと同じ作業ばかりじゃ飽きちゃうでしょ?」
「なんと……」
ザナンザは深く感心したように息を吐き出した。
「一つの作業に専従させず、民全員に複数の技術を獲得させ、組織としての柔軟性と生存率を高める……。軍の運用においても理想とされる概念だ。それをこの小さな集落で実践しているとは……」
「大袈裟なものじゃないよ。……あそこの壁を見て」
私が指差した広場の中心にある石造りの掲示板には、一枚の大きな石版が嵌め込まれていた。そこには村人全員の名前と、今週の当番表が綺麗に刻まれている。
「毎朝、私かシュワルトが朝礼を開いて、あの石版の前で当番の確認をするの。
その時にね、ただ作業を割り振るだけじゃなくて、一人ひとりの顔色を見て、健康状態や怪我がないか、悩み事がないかを毎朝確認してるんだよ」
「毎朝、全員の不調を見抜く……。それも君の発案なのか、アイラ」
「うん。……私が育った日本の孤児院でね、先生たちが毎日やってくれていたことなんだ。たくさんの子どもたちが一緒に生活する場所だったから、誰かが体調を崩したり、我慢して無理をしたりしないように、毎朝全員の顔を見て確認する習慣があったの」
遠い目をして語る私を、ザナンザは静かに、そして包み込むような温かな眼差しで見つめていた。
「孤児院……身寄りのない子どもたちが暮らす場所、だったな。君が身につけてきた知恵や経験は、すべて誰かを想い、誰かを護るために培われたものなのだな」
「まあね。自分が救われた経験があるから、今度は私がこの村のみんなを護りたいって思うんだよ。……ザナンザ、あなたも毎朝の朝礼からは逃がさないからね?」
私が悪戯っぽく笑ってみせると、ザナンザは一瞬あっけにとられた後、クスクスと声を立てて笑った。
「あぁ、望むところだ。君のような素晴らしい指揮官の元で働けるのなら、どんな過酷な当番でも喜んで引き受けよう」
午後の穏やかな光が注ぐ広場で、カレーを味わいながら微笑み合う私たち。
かつて戦火と野望のただ中にいた皇子は、この場所で、アイラの紡ぐ優しいルールの中に確かな「生きる意味」を見出し始めていた。
「丸太を担いでいたシュワルトのお父さん――村長だって例外じゃないんだよ。今週は建築と補修の当番だから、率先して汗を流してるの」
石版を指差しながら私がそう付け加えると、ザナンザは再び皿を動かす手を止め、心底驚いたように目を丸くした。
「村長殿までもが……? 権力を持つ者が自ら泥に塗れ、一作業員として労働に服しているというのか」
「権力、なんてこの村にはないよ。村長も、神官であるシュワルトも、そして私もね。それらは上の身分を示す肩書じゃなくて、この小さな集落を円滑に回すための『役割』に過ぎないの。だから、村の中に貴賤はないし、みんな等しく平等なんだよ」
ザナンザは深々と息を吐き出し、感銘を受けたように胸に手を当てた。
「身分ではなく、ただの役割……。王侯貴族が民を支配し、血統によって全てが決まる我が国やオリエントの常識からは、到底考えられぬ思想だ。……だが、だからこそこの村には、誰もが自尊心を持って生きられる調和が存在するのだな」
「そう思ってもらえたら嬉しいな。あ、ちなみに食事も全員平等の『配給制』なんだよ。働ける人も、子供も、お年寄りもみんな同じように栄養を取れるようにね。ただ――」
私は少し声を潜め、優しく微笑んだ。
「病人や怪我人、外に出られないお年寄りには、特別メニューを用意してるの。ザナンザが最初に食べてくれたような、柔らかくて消化にいい病時食ね。毎食、当番の人が責任を持って家まで届けて、顔色を確認してるんだ」
「なるほど……。ただ配給するだけでなく、弱者への個別手当まで徹底されているのか。傷ついた私のもとへ君が直接温かなスープを運んでくれたのも、その手厚い制度の一環だったのだな」
「まあ、ザナンザの場合は特別重症だったから、私が付きっきりになっちゃったけどね」
私が悪戯っぽく笑うと、ザナンザは思い出したように耳たぶを赤く染め、照れくさそうに咳払いを一つした。
「……感謝の言葉も無いよ。……どこまでも隙のない、素晴らしい仕組みだ」
「ふふ、ありがとう。家で静かに食べたい人は持ち帰ってもいいし、今日みたいに広場で賑やかに食べてもいい。みんなが一番心地いいスタイルを選べるようにしてるんだ」
私が空になったお皿をまとめようと立ち上がると、背後から「おーーい!アイラ!」と賑やかな声が響いた。
振り返ると、水壺を抱えたシュワルトが、ニシシと鼻を鳴らしながら歩み寄ってくるところだった。
「よう、ザナンザ! カレーは口に合ったか?」
「あぁ、シュワルト。想像を絶する美味さだったよ」
「だろ? だがな、本番はこれからだぞ!」
シュワルトはザナンザの肩をパシッと叩き、広場の中央を指差した。
「今夜はな、お前の回復と、正式にこの村の仲間になったことを祝って、中央広場で村一同を挙げた『歓迎会』を開くんだ! 特別なご馳走と、とっておきの酒と踊りで盛大にやるからな!」
「歓迎会……私のために、村を挙げての宴を……?」
思いがけない申し出に、ザナンザは驚きで言葉を詰まらせた。
命を狙われ、国を追われ、死の縁を彷徨った自分が、見知らぬ村の人々からこれほど温かく迎え入れられるとは想像もしていなかったのだろう。
「当然でしょ。今日からザナンザはこの村の新しい『家族』なんだから」
私が振り返って優しく微笑みかけると、ザナンザの漆黒の瞳にじんわりと熱い光が宿り、やがて彼は胸の仕えが下りたような、心からの晴れやかな笑みを浮かべた。
「……ありがとう、アイラ、シュワルト。喜んで参加させてもらうよ」
風が吹き抜け、広場に響く村人たちの笑い声と、今夜の宴への期待感が、青空の下で優しく弾けた。