天赤二次小説 「ザナンザ生存if 夢小説」 作:ブドゥヘパ
太陽が地中海の水平線へと没し、空が群青色から深い濃紺へと染まっていく頃、村の中央広場にはいくつもの篝火(かがりび)が焚かれ、昼間とは一変した幻想的な熱気に包まれていた。
「さあさあ、飲んだ飲んだ! 今夜は新入りの歓迎会だぞー!」
「無事に傷が塞がって本当によかった! かんぱーい!」
村人たちの威勢の良い掛け声とともに、木製のジョッキが次々と打ち鳴らされる。
広場の中央では、羊肉の丸焼きがジューシーな音を立てて脂を滴らせ、焼き立てのパンや、新鮮な野菜を炒めた香ばしい匂いが夜風に乗って漂っていた。
「うわ、もう盛り上がってるね」
私が人混みをかき分けてベンチへ向かうと、そこには村の男たちに囲まれ、ジョッキを差し出されてタジタジになっているザナンザの姿があった。
「さあザナンザ、酒だ酒! 男なら豪快に飲み干せ!」
「あ、いや……私は……」
困惑する彼の手元を見ると、ジョッキには並々と強い麦酒が注がれている。
「こら、みんな! ザナンザは病み上がりなんだから、強いお酒を無理やり飲ませちゃダメでしょ!」
私が割って入ると、村人たちは「出たな、村の小さな監督官!」「参った参った!」と口々に笑いながら、大人しく退散していった。
「ふぅ……助かったよ、アイラ」
ザナンザは安堵の息を漏らし、額の汗を拭った。
「病み上がりだからお酒は控えてね。傷口が痛んだら大変だから」
「あぁ、分かっている。君の言いつけは絶対だ」
素直に頷くザナンザの姿にクスリと笑いつつ、私は持ってきていた小瓶と木コップをテーブルに置いた。
「でも、せっかくの歓迎会だもんね。雰囲気だけでも楽しめるように、特別なものを作ってきたよ」
私は削った冷たい氷を敷き詰めたコップに、自家製の果実酒をほんの少し垂らし、そこに採れたての柑橘の果汁と、ハーブを漬け込んだ甘いシロップ、そして冷たい湧き水を注いで軽くかき混ぜた。
ほんのり桃色に染まった、涼やかな一杯。
「はい、どうぞ。アルコールはごく少量しか入れてないから、これなら大丈夫だよ」
「……これは、酒なのか? まるで熟した果実のように可憐な色合いだな」
ザナンザは不思議そうにコップを受け取ると、鼻先を近づけた。甘酸っぱく爽やかな香りに目を細め、そっと口をつける。
次の瞬間、彼の漆黒の瞳が驚きで大きく見開かれた。
「……! なんだ、これは……! 甘く、瑞々しく、喉を通り抜ける爽快感……! お酒特有のツンとした臭みや苦みが全くない。ジュースのように美味しく飲めてしまうが、後味にはほのかに華やかな酒の余韻が残る……」
「ふふ、口に合った? 『カクテル』っていうんだよ」
あまりの衝撃に言葉を失うザナンザを見て、私は悪戯っぽく笑った。
「実はね、私が昔いた日本の孤児院で、ちょっとした事件があったの。クリスマス……あ、冬の特別なお祭りの日にね、大人たちが飲んでいた果実酒のカクテルを、あまりにも美味しそうだからジュースだと勘違いして、一気に飲んじゃったことがあって」
「えっ、君が……?」
「うん。顔を真っ赤にしてそのまま倒れちゃって、先生たちにすっごく怒られたんだよね。
それ以来、お酒の怖さと、同時に『飲みやすく化けさせる技術』を学んだの。……あ、もちろん今夜のザナンザの分は、倒れないように超薄めにしてあるから安心してね」
懐かしい思い出を語る私を、ザナンザは愛おしそうに、そしてどこか眩しそうな眼差しで見つめていた。
「ジュースと間違えて飲んでしまった幼い君か……ふふ、想像すると実に可々しいな。だが、そんな失敗すらも学びにして、こうして他者を気遣う優しい一杯に変えてしまう……君は本当にどこまでも逞しく、美しい人だ」
「……っ、もう。変なお世辞はいらないから」
真っ直ぐな言葉と熱のこもった視線に照れくさくなり、私が明後日の方向を向くと、ザナンザはカクテルを愛おしそうにもう一口含み、心からの笑みを浮かべた。
「お世辞ではないさ。……こんなにも温かく、美味しく、胸が満たされる夜は……私の人生で、初めてかもしれない」
篝火の明かりに照らされた彼の横顔には、かつて彼を苛んでいた追放と死の影はどこにもなかった。
賑やかな宴の喧騒の中、私たちは心地よいカクテルの香りと共に、夜が更けるのも忘れて語り合ったのだった。
宴が佳境に入ると、手を取り合って好きなように踊っていた者たちは下がり、広場の喧騒がふっと静まり返った。
篝火(かがりび)の爆ぜる音だけが響く中、広場の中央へとゆっくり歩み出たのはシュワルトだった。
普段のだらしなく崩した仕草や、ニシシと鼻を鳴らすおどけた表情はどこにもない。彼はピンと背筋を伸ばし、神官としての正装である漆黒と金の刺繍が施された重厚な羽織を纏っていた。
「……始まったね」
私が隣で囁くと、ザナンザは驚いたように目を細め、シュワルトの背中に視線を注ぎ込んだ。
「あれが……あのシュワルトなのか? 威厳さえ感じる……」
シュワルトは胸の前で静かに両手を組むと、深く長く息を吐き出した。
彼が低く美しい声で祈祷の祝詞(のりと)を唱え始めた瞬間、周囲の空気が一変する。夜の冷気が一点に収束し、神聖な緊張感が広場全体を包み込んだ。
彼が頭上でバッと両手を掲げた、その時だった。
――ボゥッ!
広場の中央で燃えていた篝火の炎が、まるで生き物のように跳ね上がり、シュワルトの頭上へと吸い寄せられていく。
紅蓮の炎が彼の指先に集まり、一つの巨大な火の球体となって夜空に揺らめいた。
「なっ……! 火を操っているというのか!?」
ザナンザが思わず身を乗り出し、息を呑む。
シュワルトの手がしなやかに弧を描くと、頭上の火球は幾重もの美しい輪となって弾け、夜空に大輪の火の花を咲かせた。
炎の明かりが彼の凛々しい横顔を赤く照らし出す。熱風が吹き抜け、舞い散る火の粉がまるで流星のように広場へと降り注ぐが、誰一人として熱がる者はいない。シュワルトの精密な魔力制御によって、その熱は心地よい温もりにまで計算されていた。
村の発展と安寧、そして新しく仲間となったザナンザの健康と未来を祈る、神聖なる火の舞。
「神よ、この地に集いし命に、等しく温かな光と加護を――」
シュワルトが力強く一喝すると、頭上で舞っていた炎が一気に収束し、夜空高くへと打ち上がって眩い光の粒子となって弾け飛んだ。
「……おおっ……!!」
一瞬の静寂の後、広場は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
「相変わらず見事なもんだ、シュワルト!」
「よッ! 最高の神官様!」
村人たちが口々に叫び、ジョッキを掲げる。
神聖な儀式を終えたシュワルトは、ふっと肩の力を抜くと、手に集めていた最後の小さな火花をパチンと指で弾いて消してみせた。
「ふぅ……。決まったろ?」
振り返ったシュワルトは、いつものようにニシシと笑いながら私たちの元へと歩いてきた。正装の裾を軽やかに翻し、ドカッとベンチに腰を下ろす。
「どうだザナンザ! 俺の火の祈祷は! 『最高の軍人』様のお眼鏡に叶ったか?」
ザナンザはまだ興奮の冷めやらない様子で、心底からの感服を込めてシュワルトを見つめていた。
「……見事という言葉すら生ぬるい。ただ火を熾すだけでなく、あれほど繊細に、かつ神聖に熱と光を御するとは……。
君は、真の神官であり、類まれなる術士だな。今まで無礼を働いていたことを詫びたいほどだ」
「ヘッ、大袈裟なんだよお前は!」
ザナンザの真面目すぎる称賛に、シュワルトは照れくさそうに頭を掻きむしった。
「まあな、俺が本気出せばこんなもんよ! ……まあ、『最高の嫁』を呼ぼうとしてアイラを召喚した時は、ちょっと魔力の調整ミスったけどな!」
「それ、私の前で言う?」
私が呆れ顔で突っ込むと、広場はドッと大きな笑いに包まれた。
静かな夜空の下、シュワルトが魅せた一瞬の神聖な輝きと、その後に訪れる変わらない温かな賑やかさ。
ザナンザはその光景を愛おしそうに見つめながら、静かにカクテルを傾けるのだった。
「……まあ、今の凄まじい神技を見た後で言うのも何だけどね」
私は呆れ半分、苦笑半分といった調子で、冷えたカクテルの木コップを軽く弄んだ。
「この前なんて、懲りずにまた『最高の嫁を召喚する!』って大見得を切ったくせに、出てきたのは八十歳を過ぎた腰の曲がったおばあさんだったんだから。平謝りして速攻で返したけどね?」
「おいっ、アイラ! それは今言わなくていいだろ!?」
隣で誇らしげにジョッキを傾けていたシュワルトが、勢いよく吹き出しそうになって叫んだ。だが、私は容赦なく言葉を重ねる。
「しかもその次なんて、肩幅が私の倍はある屈強な男の人でね。しかもピンクの衣装を着ててさ、『あ〜らまぁ♡』ってシュワルトに抱きつこうとしたんだよ。……ねえザナンザ、本当にこの人、聖職者だと思う?」
「あ、あれは召喚の魔力波長がほんの少し次元の歪みに引っかかっただけで……っ! 決して俺の技術不足とかそういう訳じゃ……!」
顔を真っ赤にして必死に弁明の手を振るシュワルトと、心底やれやれといった体で肩をすくめる私。
二人のやりとりを交互に見つめていたザナンザは、一瞬だけ理解が追いつかないといった様子で呆然と固まっていた。しかし、脳内でその凄絶な光景が再現されたのか、彼の長い睫毛がピクリと揺れ――
「……くっ……ふふ……っ」
端正な顔立ちがみるみるうちに崩れ、彼は腹を押さえて声を出して笑い始めた。
普段の静謐で凛とした皇子の面影を完全に脱ぎ捨てた、年相応の弾けるような笑顔。
追殺の恐怖も、国を追われた絶望も、過去の哀しみもすべてを吹き飛ばしてしまうような無邪気な爆笑に、私とシュワルトは思わず毒気を抜かれて見入ってしまった。
「お、おいザナンザ……そんなに笑うことないだろ……!」
シュワルトが気まずそうに首筋を掻く中、ザナンザは目元に浮かんだ涙を指先でそっと拭い、深く呼吸を整えた。
「す、すまない……。あまりにも召喚術の振り幅が大きすぎて……ふふっ、抑えが効かなかった。八十の老婦人に……ピンク色の服を着た屈強な男、か……っ」
思い出すだけで再び笑い込みそうになるのを必死に堪え、ザナンザはシュワルトへ向けて、心底温かな眼差しを向けた。
「だが、よく分かったよ。君のその妙に大雑把な魔力があったからこそ、あの日、死にかけていた私がこの奇跡のような村へと手繰り寄せられたのだな。……ポンコツなどではない。私にとっては、命を救ってくれた最高の召喚術だ」
「へっ……なんだよそれ。褒められてんのか貶されてんのかさっぱり分かんねぇな!」
照れくささを誤魔化すように豪快にジョッキを煽るシュワルト。
「まあ、次に変なものを召喚したら、今度こそこの村から追放だけどね?」
「容赦ねぇなアイラ!?」
夜空の下、絶え間ない爆笑と温かな歓声が広場を包み込んでいく。
ザナンザはその賑やかさを愛おしそうに胸に抱きながら、静かにコップを傾けるのだった。