天赤二次小説 「ザナンザ生存if 夢小説」 作:ブドゥヘパ
翌朝。爽やかな清々しい朝空の下、中央広場には村人全員が集まっていた。
「よし、全員揃ってるな! 今朝も怪我や気分の悪い奴はいないかー?」
石版の前に立ったシュワルトが大きな声を張り上げ、一人ひとりの顔色を確かめていく。
私はその隣で、石版に刻まれた当番表と村人たちの表情を見比べ、昨夜の宴で飲み過ぎたと思われる男たちに「後で胃に優しいハーブティーを飲んでね」と釘を刺していた。
朝礼の輪の後ろに並んでいたザナンザは、その手際の良い確認作業を感心したように見守っていた。
「よし! じゃあ今日の当番の割り振りだ! ザナンザ、今日からお前にも村の仕事を一通り体験してもらうぞ!」
シュワルトの呼びかけに、ザナンザは「あぁ、喜んで」と背筋を正した。
まず彼が向かったのは、早朝の澄んだ風が吹き抜ける漁場だった。
地元の漁師たちに混ざり、手繰り寄せられる重い網を引き上げる作業に加わる。
「せーのっ、そーれ!」
かけ声とともに、太い縄を引く。長年の軍隊生活で培われたザナンザの驚異的な筋力と体幹は伊達ではなく、力自慢の漁師たちが思わず目を見張るほどの勢いで網を引き揚げて見せた。
「おいおい新入り! お前、とんでもねぇ力持ちだな!」
「助かるぜ! 今日の獲物は大漁だ!」
口々に称賛され、ザナンザは「いや、役に立てたのなら良かった」と爽やかに汗を拭った。
続いて向かったのは、緑豊かな水田と畑だった。
泥に足を取られながらも、村人に教わった通りに丁寧に苗を植え、鍬を握って固い土を力強く耕していく。
ヒッタイトの皇子として、誰かに命じる側だった彼が、自ら泥に塗れて土を耕し、汗を流す。
その横顔には、戦場の悲壮感など微塵もなく、命の糧を生み出す喜びと、この地にしっかりと足をつけて生きているという確かな実感が満ちあふれていた。
「いい手際だね、ザナンザ。これなら明日からの本格的な当番も安心して任せられるよ」
作業を終え、泥を洗い流した彼に私が手ぬぐいを渡すとザナンザは晴れやかな笑顔でそれを受け取った。
「あぁ……自分の手で作業をし、汗を流すのがこれほど心地よいものだとは知らなかった。
アイラ、私にこの場所を与えてくれて……心から感謝するよ」
照りつける陽光の下、手ぬぐいで汗を拭う彼の逞しい姿は、すでにこの村に欠かせない、頼もしい『新しい仲間』の光を放っていたのだった。
そのまま午後の陽射しが優しく傾き始める中、私たちは続いて丘の上の牧場へと向かった。
青々と茂る牧草地では、柵に囲まれた羊たちがのんびりと草を食んでいる。
ザナンザは村人から餌の入った桶を受け取ると、少し腰を落として羊たちへと歩み寄った。
「よしよし、怖がることはないぞ……」
長年、軍馬を扱ってきた彼だけに、動物の扱いはお手の物だった。低い声で優しく語りかけながら首筋を撫でてやると、最初は警戒していた羊たちもすぐに心を許し、ザナンザの手から素直に餌を食み始めた。
「ほう……馬だけでなく、羊の扱いも筋が良いな」
指導にあたっていた老人が感心したように頷くと、ザナンザはどこか照れくさそうに目元を緩めた。
「軍では馬と心を通わせることが生死を分けますから。心を通わせるという点では、羊も変わらないのかもしれません」
続いて向かったのは、村の裏手に位置する資材置き場と建築の現場だった。
ここではちょうど、先日の暴風で傷んだ倉庫の屋根を直すため、大工当番の男たちが太い丸太を切り出し、運搬している最中だった。
「よう、ザナンザ! ちょうどいいところに来てくれた! この丸太、男三人掛かりでも重くてなぁ」
「私にやらせていただこう」
ザナンザは素早く袖を捲り上げると、ずっしりと重い大木に肩を入れ、ひと突きで軽々と担ぎ上げて見せた。
「うおっ……!? マジかよ、一人で持ち上げやがった!」
「どこへ運べばいい?」
平然とした顔で尋ねる彼に、大工たちは「す、凄すぎる……」「さすが元軍人だ……」と口ぐちに歓声を上げ、その驚異的な体幹と腕力に目を丸くした。
そして最後に訪れたのは、夕食の準備で賑わい始める中央の調理場だった。
「最後はここ、調理場だよ。料理の当番も男女関係なく全員で回してるからね!
あ!調理場に入る前は着替えなくちゃ。衛生管理のために必要なんだ。一旦家に戻ろう。」
一旦家に帰り、しっかりと手足を洗って着替え、エプロンを借りて調理場に入ったザナンザ。
私は彼に包丁とまな板、そして丸々とした野菜を手渡した。
「まずは基本の野菜切りからやってみようか」
「あぁ……包丁握るなど、肉を切り分ける時くらいしか経験がないが……やってみよう」
真剣な面持ちで包丁を握りしめたザナンザだったが――その手付きは、先ほどまでの完璧な作業とは打って変わって、どこかギコちなかった。
敵を叩き斬るための刃物ならば指先の一部のように扱えるのに、野菜を小さく刻むとなると、まるでガラス細工でも扱うかのように腰が引けている。
「ザナンザ、肩の力を抜いて。刃を押し潰すんじゃなくて、手前に滑らせるように引くんだよ」
私が後ろから少し手を添えて教えると、彼の背筋がピクッと強張った。
「す、すまない……! 戦場では剣を振るうことしか知らなかった故、このような繊細な道具の扱いには慣れておらず……」
耳たぶを真っ赤に染めながら、一生懸命に包丁を動かすザナンザ。
どんな重労働も完璧にこなしてみせた『完璧な青年』が見せた、あまりにも人間らしく可々しい隙に、調理場にいたおばさんたちから「可愛いねぇ」「大丈夫、すぐ上手になるよ!」と温かな笑い声が上がった。
一通りの作業体験を終え、夕暮れ時の涼しい風が吹き抜ける広場に戻ってきた頃には、ザナンザの衣には土と草の匂い、そして微かなスパイスの香りが染み込んでいた。
「一日、本当にお疲れ様。村の仕事、一通りやってみてどうだった?」
手ぬぐいで汗を拭う彼に尋ねると、ザナンザは夕日に照らされた自分の手のひらをじっと見つめ、それから愛おしそうに目を細めた。
「……素晴らしい一日だったよ。汗を流し、土に触れ、誰かの役に立つために働く。それがこれほど胸を満たし、清々しいものだとは……私は今日まで知らなかった」
彼は私に向き直ると、どこか吹っ切れたような、凛とした温かな笑顔を向けた。
「アイラ。私はもう、ヒッタイトの第四皇子ではない。この手で未来を耕す、この村の一員だ。どんな当番でも任せてくれ」
赤く染まる空の下、力強く言い切った彼の姿には、過去の悲劇に怯える影はどこにも残っていなかった。
夜の静けさが村を包み始める頃、私の家には香ばしい出汁とハーブの香りが満ちていた。
テーブルを挟んで座るのは、湯上がりの髪を少し濡らしたザナンザと、すっかり我が物顔で寛いでいるシュワルトだ。
「さあ、運んできたよ。ザナンザが今日、初めて作ってくれた料理」
私が運んできた木皿には、きつね色にこんがりと焼き上がったおやきのようなものが並んでいる。
昼間の調理場で包丁に悪戦苦闘していたザナンザが、村の女性たちに教わりながら一生懸命にこね上げた一品――小麦粉の生地で細かく刻んだ野菜と羊肉を包み、ハーブと塩で味を調えて鉄板で焼き上げた、素朴な餡包み焼きだ。
「……見た目は、悪くないと思うのだが。火の通りや味付けは大丈夫だろうか」
ザナンザは自作の料理を前に、まるで敵国の情勢報告でも待つかのように緊張した面持ちで固まっている。
「どれどれ、俺が毒味してやろうじゃねぇか!」
シュワルトが躊躇なくひとつ掴んで豪快に口へ放り込んだ。サクッ、と香ばしい音が部屋に響く。
「……ん! おおっ、皮はパリッとしてて、中は肉汁がジューシーだぞ! ハーブの効かせ方も絶妙じゃねぇか! やるなザナンザ!」
「本当かい……!?」
シュワルトの絶賛に、ザナンザの表情が一気にパッと明るくなった。
「私もいただくね」
私も熱々のひとつを手に取り、ふーふーと息を吹きかけてから一口噛み締めた。
口の中に広がる肉の旨味と、香ばしい生地の歯ごたえ。初めて作ったとは思えないほど丁寧な仕上がりだ。
「うん、すごく美味しい! ザナンザ、手先が器用だから生地を包むのが上手だったんだね」
「あぁ……よかった。君たちに喜んでもらえるのが、こんなにも嬉しいものだとは……」
ザナンザは胸を撫で下ろし、自分でもひとつ摘んで口に運ぶと、感無量といった様子で目を細めた。
自分が汗を流し、誰かのために作った料理を囲む温かな時間。彼の瞳には、かつて宮廷にいた頃にはなかった穏やかな光が宿っていた。
食後、温かなあずき茶を淹れて一息ついた頃、私は棚からずっしりと重い木箱を取り出した。
「お腹もいっぱいになったことだし、食後の腹ごなしにこれで遊ぼうか」
「これは……石か?」
テーブルの上に広げられたのは、マス目が刻まれた平らな木板と、表が黒、裏が白に塗られた滑らかな小石たち。
「『リバーシ』っていう盤上ゲームだよ。ルールはすごく簡単」
私は白と黒の石を並べながら、基本的なルールを説明した。
「自分の色の石で、相手の色の石を縦・横・斜めで挟むの。挟まれた石はひっくり返って自分の色になる。最終的に、盤の上に自分の色の石が多い方が勝ち」
「ほう……挟んで自陣の色に変える、か。実に単純な戦術に見えるが……」
軍人としての本能が刺激されたのか、ザナンザの瞳に鋭い知性の色が走った。
「ヘッヘッヘ、言っておくがなザナンザ! アイラはこの村で『絶対無敗の盤上女王』だぞ! 俺も手も足も出ずにボコボコにされてんだからな!」
「シュワルトが角を適当に取るからでしょ。……さ、ザナンザ、やってみる?」
「あぁ、ぜひ教導を乞いたい」
対局が始まると、ザナンザは恐ろしい集中力を見せた。
一石打つごとに長考し、盤全体を俯瞰して盤面の変化を読み込もうとする。さすがは凄腕の軍事指揮官、盤上を戦場に見立てた戦術眼は目を見張るものがあった。
「そこを挟めば……こうなるな」
「うん、良い筋だよ。……でも、ここはこう」
「っ……! そこか……!」
中盤まで拮抗した勝負を見せていたものの、盤面が埋まるにつれて、私の配置した石がじわじわと盤の四隅を制圧していく。
「あ、そこ取ったらダメだぞザナンザ!」
シュワルトが横から口を挟むが、時すでに遅し。私が最後の一石を角へ打ち込むと、連鎖反応のように白石がパタパタと黒石へとひっくり返っていった。
「勝負あり。私の勝ちだね」
盤面は、九割以上が私の黒石で埋め尽くされていた。
「完敗だ……。角を押さえられることで、これほどまでに一手盤面が制約されるとは……。単純なルールゆえに、奥が深い」
ザナンザは盤上を見つめたまま「見事な統率だ……」と深く感服の溜め息を漏らした。
「ふふ、初陣でここまで食い下がれたのはザナンザが初めてだよ。シュワルトなんて開始十手で全部裏返されてたし」
「おいアイラ! 俺の黒歴史を掘り返すな!」
悔しがるシュワルトと、手元に残った石を愛おしそうに撫でながら「次はもう少し角を意識してみよう……」と密かに燃えているザナンザ。
温かなお茶の湯気が立ち上る部屋の中で、石がカチリと音を立てる。
外の闇や過去の悲劇など届かないこの小さな部屋で、夜は優しく、穏やかに更けていくのだった。