おれにはやり残したことがある。
たった一つの、とても大事なことが。
(……あいつ、なかなか出てこないな。もうとっくに登校の時間のはずだが)
さてはガルベスか?
ガルベスがいつも以上に、ジャレついてきてるとか?
同居する家族のポメラニアン(♀)の頭をなでて玄関を出るのが、たしかあいつのモーニングルーティン。
(おっ)
出てきたぞ。
黒髪ショートにえんじ色のブレザー。ドアしめでふわりと舞うチェックのスカート。
これがおれの―――
「あっ。ちょっといいかな」
「はい?」
幼なじみだ。
しかし、ふりかえったその顔は、まるで他人を見るよう。
まあ………………そうなんだけどな。
「な、な、ななな、なにか御用でしょうか!」
うっ。
やばい。
ちゃんと「かくしてる」はずなんだが、おれのただならぬオーラを見抜かれたかも。
おれは、ぐっ、ともっとふかく帽子を――ヤンキースの赤いキャップを――下にさげる。
「あの、ごめん、すぐに終わる。いっこだけ、レアに……ああ、いやレアじゃない。キミにききたいだけ」
ふいに自分の名前を呼ばれたあいつが、一歩二歩三歩とうしろにあとずさる。
ヘタなムーンウォークみたく、アスファルトをザザザとうるさく鳴らす。
おれの右横にある表札にはローマ字で「MATSUMI」。
「いいか? さっそく質問しても」
「………………」こっちの真意をさぐるような、上目づかいの目線。「そのまえに、あなたってどちらさまですか?」
もっともだよな。
おれは今の〈おれ〉の名前を
「
「そうだ。だが名前は重要じゃない。たぶん会うのもこれっきりだ。おれは――――キミの幼なじみのことを話しにきた」
「えっ……それって、ユウタのことですか!?」
あいつは胸に手をあてて、こっちに一歩近づいた。
表情も落ちついてて、話をきく態勢に入ってくれたといえる。
―――うん。もうためらうことはない。
なにより時間がないんだ。おれには……。
「あれあれ? でもまって」
ふたたびスッスッとうしろにさがる。
そして、おれを見る目は、どこか不審な人を見るような感じ。
「それ……制服がちがうからクラスメイトじゃないし……ユウタの男の子の友だちなら私、ぜんぶ知ってるし―――」
言いながら、どんどん向こうに行ってしまう。
そのままバックして、電柱に背中をコツンとぶつけた。
で、あいつは電柱に向かってペコッと頭を下げる。あいつには昔から、こういうかわいいところがあるんだ。
―――思えば、おれは甘えていた。
二人でいっしょに外出してあいつが「デートデート」と言っても、おれは「デートじゃない」と言い、
バレンタインに「はい本命」と言ってわたしてきても、おれは「またまた」とはぐらかし、
下校でばったり会って話す時にも、おれはそれとなく恋愛トークになるのを回避してきた。
なんでだ?
くそっ……今となっては、『交通事故にあって意識不明に』なる前のおれを、一発ぶんなぐってやりたい気分だ。
「あの? ん? ねぇ、どうかした? 大丈夫?」
あっ。
いつのまにか目の前まで、幼なじみはきていた。
突然だまりこんでしまったから、心配してくれたんだろう。
あいつには昔から、こういうやさしいところがある。
おれは大好きなんだ。この幼なじみのことが。
「あ、ああ……ごめん」おれは頭をしめつけていたヤンキースの赤いキャップをとった。「おれ、ちょっと考え事を――――」
「……っ!!!!!!」
ショートの髪のてっぺんが、急に静電気をおびたようにゾワゾワとうごめき、
ピン、ピン、ピン、と一本ずつ、気をつけをするように立っていく。
まずい。これは
あるものとはつまり―――――
「こわいーーーっ! 不良こわいーーっ! 金髪のヤンキーこわいーーーーーっ!」
何事かと、近くの散歩中の人や通学中の小学生がこっちに向く。
かなりゆっくりの自転車で通りすぎたおじいさんも肩ごしにこっちを見た。
瞬間、
そのおじいさんが乗っている年季が入った自転車のサイドミラーに、
カシャンカシャンとスローモーションで、そこにうつった今の自分の姿が見えた。
身長180センチごえの
まるでズームしたようにくっきりと…………あ。これ視力2.0はあるな。おれの体じゃないから、そこにはじめて気づいた。
(いや気づいてる場合じゃなくて! 逃げないと……このモードになったらレアはしばらくとり乱す)
おれは走った。
右手に赤いキャップをにぎりしめながら。
このキャップ……しかなかったんだよな。新山くんの部屋には。アタマをかくすものが。
そういえば、走ってるのになかなか息が切れない。この体は視力だけじゃなくて、スタミナもあるみたいだ。
「1500メートル4分ジャスト。いいフィジカルしてんね」
あっ、とおれは急ブレーキ。
目の前には―――今のおれと同じ金色の髪をした、青い目の女の子。
年下だが年上。
ユーレイの大先輩だ。
「で、どう? その体。いけそ?」
空中にふわふわ浮きながら小首をかしげる。
「いや……さっそく行ってきたところなんだが……」
「そうなん? じゃあ、もう思い残すことはないネ。はやくその借りものの体から出て、迷わず成仏しな」
「それが―――」
おれは説明した。
説明中、そばをとおった人はもれなくヤバいヤツを見る目になって、サッとおれから距離をとった。
それもそうだろう。
ユーレイは見えないからな。
「金髪のヤンキーでパニック~?」
「そうなんだ。一応、これをかぶって行ったんだけど」
「ヤンキースやん。ヤンキーが。あはは! おもろ」
「どこがだよ」
口元に手をあててくすくす笑う少女に背中を向けて、おれは幼なじみの家のほうを見た。
あいつは電車通学。
駅のほうへ向かうから、こっちには歩いてこない。
こないんだ、こっちには。
このあたりは中学のときの通学路。
そう、あれは中学のときだった。
あいついわく、声もあげられないほどこわかったようで、
そいつが〈金髪〉で〈ヤンキー〉だったという話。
「――ユウタっ!!!!!」
そのときは、おどろいた。
家の近くをフラフラ歩いていたところ、
抱きつくようないきおいで、おれのほうへ走ってきた幼なじみ。
実際――――
「! ……おいおい」
抱きつかれたけど。
「あっ……ごめ。つい、ノリで」
こつん、と自分のこめかみのあたりをグーでたたく。
これ、こいつのお母さんがよくやる仕草らしい。
(いや、なんだったんだ? けらけら笑ってるが)
後日、彼女の友だちづたいにその日何があったのかをきいた。
そこからしばらく、明るい性格のあいつがおとなしく、態度もつねに不安げな感じになっていたので、
おれは言った。
「守ってやるから」
具体的に〈なにから〉と言うと思い出させてアレだから、そんなふわっとした言葉をかけた。
とくにふかい意味はない。
思いかえせば顔が赤面するぐらいのセリフじゃないか。
そのときはリアクションもなく、「ふーん」と聞き流してるぐらいに見えたが、
おれがそう伝えた日から
(どうにも落ち着かないと思ったら……)
このへんじゃないか。
二人で下校中、おれがそう言ったのは。
「まあ、こんなとこにいてもしょうがないか。だよな? シンシア」
おれはふりかえった。
しかし、そこにはもう青い目のあの
ユーレイの―――おれはまだ死んでないけど―――先輩で、いろいろ教えてくれたあの娘。名前はシンシア。
中でも〈魂がそっくりな人間〉に乗り移れる、という情報にはシビれた。
意外と早くその人がみつかったのも幸運で、
いざ今日、長年口にすることができなかったことを、告白しようと思ったのに。
幼なじみの
おれに、時間はどのくらい残っているんだろう?
病院のお医者さんは「予断をゆるさない」って深刻な顔だったが。
「死んだら終わり。ジ・エンド。キミはただ幽体離脱してるだけで、死者の霊ではないノ」
……って話だ。あの娘が言うには。生前、日本に住むのが夢で、死後にそれを叶えたってうれしそうに話した少女の霊。
はあ……せめて今日いっぱいは、もってほしいところだな。
あいつの高校におしかけるわけにもいかない。おとなしく、ここで夕方までまつか。
そして―――
「………………」
やばい。
顔をおぼえられて、めっちゃ警戒されてるぞ。
数メートル向こうで、あいつはおれの姿をみるなりサッと電柱のカゲに身をかくした。あれは朝、人とまちがえてあやまった電柱。
一歩近寄ると、一歩遠ざかる。
一応、ヤンキースのキャップで頭をかくしてるものの、こうなっちゃほとんど意味がない。
(レア)
おれだってイヤだよ。
こんな、あいつのトラウマを刺激するようなことは。
ふいに五時のチャイムが鳴った。「夕焼け小焼け」。
一日の終わりの象徴。もう日も沈む。
夜になったら……また次の朝まで、この世にいられる保証はない。
おれは――行かないと。
「まて!」
「いやっ!!!」
ダッシュして、とっさに逃げるあいつに追いつき、手首をにぎった。
「乱暴はしない。きいてくれ。キミの幼なじみの、
「え………………」
ふっ、と体から力が抜ける感触が、つないだ手から伝わる。
よし。
もう言うことは言った。
これで心置きなく、
「どうしてそんなこと、あなたが言うんですか……」
今度はこっちが「え」とつぶやく番だった。
思いもしない反応。
「ユウタの友だちじゃないし、念のためガッチくんにもたしかめたけど、
「ガッチか」
数日会ってないだけだが、もう何年も会ってない気がする、同じ高校のおれの親友。
「いつどこで、ユウタと出会ったんですか?」
「え、えーっと、それは……」やばい。そういうの、用意してないよ。「小学校のとき、塾でちょっと……」
「ウソ。塾なら、私もいっしょだったんだから」
あごをひいて、強い目でそう言う。
じり……とおれは一歩うしろにさがった。
「それに、知ってますよね? もし友だちだったら、ユウタが……ユウタがいま、どういう状況で、どんなにがんばっているのかを」
「……知ってる。病院だろ」
「だったら!」
ガマンできなくなったように、大きい声をだす。
「やめてください! 彼の気持ちを……彼がいないところで勝手にしゃべるなんて……」
うっ。
たしかにもっともだ。
おれは、
「ちがう。いなくない。ほら。ここにいる。この〈おれ〉が本人なんだ」
と、言えもしないことを想像した。
ユーレイの女の子いわく「乗り移った体で『本人じゃない』ことを示す言動をとると、拒否反応をおこして体から追い出される」。
つまりタブーってことだ。
もっとも、そんなルールがなくても本人だと信じてもらえるまでにいくつかハードルがあるだろうけど。
「もうこれっきりにして下さい。次からはけ、け、警察呼びますからっ!!!!」
ダーッと家のほうへ一目散に走る幼なじみ。
ショートの髪も、チェックのスカートも、スクバにつけたおれがプレゼントした黒猫のキーホルダーも、
いっせいにゆれる。
「詰んでるっぽ?」
ピンクのくちびるを弓なりに曲げて、数メートル上の空中にいる少女の霊が言った。
おれは言い返した。
「いや、まだいける。きっと」
「そーか。ところで、明日はちゃんとガッコにいけよ?」
「学校?」
「二日もつづけて無断欠席じゃ、さすがに迷惑かかるやん?」
ぴっ、とおれの体を指さす。
新山くんの体を。
少女はニコニコと笑っている。
(そうだな。自分のことばっかり考えてちゃダメだな)
帰宅して、新山くんの妹にリビングでダルがらみされながらスマホで、
あ、ちなみにスマホは顔認証でパスできた。
(ん?)
もしかしてラインとかいれてない?
それはいいんだけど……アドレス帳とかもずいぶんさびしいな。
とにかく、かよってる高校と、クラスは調べられた。
学年は、おれの一つ下の一年生。
授業はすでに習ってる範囲だし、
あとは、アドリブでなんとかなるだろう。
なんとか――――
「あっ。おはよう」
「……」
「おはよう」
「……」
「お、おはようございまーす」
「……」
なるのか!?
たてつづけにムシされてるけど。
座席は教室の一番窓際の列の一番後ろ。
(……)
あれ?
もしかして新山くん……このイカつい感じの見た目で、
イジメられてる?
(はぁ……今朝はレアのやつ、かなり早く家を出たみたいで会えなかったし……まいったな)
「ちょっとアンタ! どーしたのそのキンパツっ!」
突然声をかけられ、おれは机に下げていた視線を上げた。
サラサラのセミロングの髪のかわいい女の子。
服装は、おれと同じグレーのブレザー。下はチェックじゃない、単一色のグレーのスカート。
「な、なにが?」
「なにがじゃないでしょ!!! 半年ぶりに登校してこれで、おどろくなってほうが無理……ん~~~~?」
半年っ!? とおどろいているヒマもなく、
彼女はのぞきこむようにおれの目をみる。
なにかをうたがっている、そんな雰囲気。
ふいにおれは女の子の言葉を思い出した。
「本人じゃないことを見破られてもアウト」。
アウト。
つまりそれは、おれが成仏することを意味する。
「っかしーなぁ~~~~。どことなくなんとなく、別人のよーな……」
冗談じゃない。
こんなゲームセットがあるか。
まだ未練がある。
告白。
そしてそれは、いちかばちかでやるもんじゃない。今じゃ、そういうのはコクハラだとかって言われるからな。
告白は、確認作業。
すなわち思いを伝え、相手の気持ちをたしかめるところまでがセットだ。
「アンタ、ほんとに新山?」
「お、おお」
「ほんとに?」
「し、しつっけーな。しつけーよおまえ。まじで」
「はいクイズ!」
びっ、といい姿勢で右手をまっすぐあげる。
「私はだれでしょう?」
机の下でにぎりしめる手にはびっしりと汗をかいていた。
かぎりなくおれは今〈詰みかけている〉。
「10、9、8……」
だがもし神サマがいるのなら、おれはこう
おれは、
告白しないと成仏できません。