混乱の極みにあったナイトレイブンカレッジの鏡の間の空気は、一瞬にして凍りついた。名門と謳われる魔法士養成学校の入学式。
しかし、今年の一幕はあまりに異様だった。突如として乱入した一匹の魔獣が威勢よく青い炎を撒き散らし、新入生たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
さらに拍車をかけるように、闇の鏡が導き出した異世界からの「監督生」は、魔法士の卵が集うこの場所において一切の魔力を持たない存在だった。
「どうにかしてください! 貴方の使い魔でしょう!?」
仮面の下で額に冷や汗を浮かべ、学園長ディア・クロウリーが甲高い声を張り上げる。招かれざる客の処遇だけでも頭が痛いというのに、式典場はすでに炎と煙で大惨事だ。
だが、声をかけられた当人は、燃えさかる炎を前にしても微動だにしなかった。長い黒髪をなびかせ、腕を組んだまま、冷ややかな眼光で騒ぎを見下ろしている。
「あんな狸、俺は知らん」
億劫そうに吐き捨てられた低く重い声。その言葉にクロウリーは思わず目を見開いた。
「え? 貴方のじゃない? ですが、捕まえるのを手伝って下さい!!」
大袈裟に手を振って懇願するクロウリーの姿に、うちはマダラは、心底くだらないとばかりに小さくため息を零す。戦場を知る男にとって、目の前で暴れ回る小動物の騒ぐほどではなかった。
次の瞬間、マダラの姿が消失した。残像すら残さぬ俊足。魔法の詠唱も、魔法士特有の予兆すらもない。疾風のごとき踏み込みとともに、暴れていた魔獣の背後へ一瞬で肉薄する。
「なっ……!?」
魔獣が状況を理解するより早く、マダラの大きな手がその首根っこを容赦なく掴み上げていた。どれほど青い炎を撒き散らそうとも、その手を焼き払うことすら叶わない。圧倒的な筋力と、一切の無駄がない完璧な身体術。
「これで良いか」
捕まえられた魔獣が身をよじって暴れるのも意に介さず、マダラは退屈そうに言い放った。その瞬間、式典場にいた全員が息を飲んだ。
見つめる者たちの背筋に、氷の刃を突きつけられたかのような戦慄が走る。静かに見下ろす冷徹な黒い瞳。魔力を持たぬはずのその男から溢れ出すのは、魔法とは根本的に異なる、狂暴で禍々しいほどの「威圧感」だった。
○○○○
エース・トラッポラにとって、うちはマダラという男の第一印象はあまりに強烈すぎた。忘れろという方が無理な話だ。あの混乱の入学式で、暴れるグリムを一瞬で捉えた無駄のない身体動作。
そして、すべてを見通すかのような冷徹で底知れない黒い瞳。ナイトレイブンカレッジという異質な奴らが集まる場所においてなお、マダラの存在感は群を抜いて浮いていた。
だが、エースが密かに気にしていたのはその圧倒的な強さだけではない。マダラは時折、どこか遠くを見るような、静かでどこか寂しく、悲しげな目をしていたからだ。
その理由の一端を垣間見ることになったのは、割ってしまった学園のシャンデリアの弁償のため、ドワーフ鉱山へ魔法石の採掘に向かったときのことだった。立ち塞がる不気味な怪物を前に、デュースが焦りを隠せずに声を荒らげる。
「とにかく、僕は何とかしてアイツを倒して魔法石を手に入れる」
「『何とか』って何? 何度やったって同じだろ」
「何だと⁉︎ お前こそ…っ」
噛みつくデュースを呆れ顔であしらうエース。その小競り合いを断ち切るように、静観していたマダラの低い声が落ちた。
「そんなに死にたければ勝手に死ねば良い」
冷ややかな一言に、全員の視線が一瞬でマダラへと集まる。
「死ねって……」
不満げに眉をひそめるエースに対し、マダラはぴくりとも表情を変えずに淡々と告げた。
「事実だ。お前たちは戦場を知らないからそんなことを簡単に言える。俺の世界では今の年齢で生きていれば長い方だ。8つで死ぬことが普通だった」
一瞬、誰も言葉を発することができなかった。8歳で死ぬ。言葉の意味を理解するにつれ、背筋に冷や汗が伝う。
「それが身内であろうとな」
そう語るマダラの瞳の奥に翳る深い闇。エースはハッとした。マダラが時折見せていたあの寂しげな表情の理由は、生と死が背中合わせの、あまりに凄惨な過去を背負ってきたからなのだと。
「さて、策略は戦う上で重要だ。本当にこの先を考えるなら俺を使えば良い」
自身の壮絶な過去をあっさりと切り捨て、事もなげに「俺を使え」と言い放つ男。自分すらもひとつの「駒」として割り切るようなその立ち振舞いに、エースはどこか歪んだ諦観のようなものを感じずにはいられなかった。
その後、マダラの提示した作戦のもと、エースたちは怪物に挑んだ。しかし、魔法の実践経験などロクにない新入生たちが、土壇場で完璧に動けるはずもない。連携は乱れ、モンスターの巨大な腕がエースの頭上に振り下ろされかけた。
エースの頭の中が真っ白になり、「死」の二文字が脳裏をよぎった、その瞬間だった。
「火遁・豪火球の術」
視界のすべてが圧倒的な熱量と紅蓮の炎によって塗りつぶされた。ドワーフ鉱山の暗がりを押し流すほどの巨大な炎の塊。怪物の叫び声すら一瞬で焼き尽くし、蒸発させていく異次元の威力に、エースもデュースも開いた口が塞がらない。
猛火が収まり、灰となった周囲を見回しながら、エースは引きつった声を絞り出した。
「炎…マダラお前魔法が使えないんじゃ」
闇の鏡からも「魔力がない」と告げられていたはずだ。それなのに、この規格外の威力を誇る炎は何なのか。煙の向こうから悠然と歩み寄ってきたマダラは、腕を組んだまま、フッと鼻で笑った。
「貴様たちの言う魔法は使えん。だが、忍術は使える」
そう語る男の背姿を見上げながら、エースは確信していた。この男はただの帰れない哀れな監督生なんかじゃない。自分たちの知らない「本物の死線」を生き抜いてきた、圧倒的な規格外の存在なのだと。
無事に魔法石を手に入れ、夕闇が迫る帰り道を歩く一行。緊張の糸が切れたエースは、先ほど目の当たりにした規格外の炎を思い出し、マダラへ恨めしげに視線を向けた。
「てか、使えるなら言えよ。その“ニンジュツ”?」
「そうなんだぞ! 最初に言っておけば、俺様があんな怖い目にあわずに済んだんだぞ!」
グリムも腕を組んでギャーギャーと騒ぎ立てるが、マダラは一瞥もくれず、平然と歩みを進めるだけだ。
「別に無くともあの程度は倒せるだろう」
「いやそれお前基準な!……で、そのニンジュツって俺達も使えるのか?」
エースが興味津々に身を乗り出して問いかけた、その一瞬だった。マダラの黒い瞳が、怪しく不気味な赤い光を宿したように見えた。だが、エースが思わず目を見張った時には、その瞳はいつもの冷徹な黒へと戻っている。気のせいだろうか。
「無理だな」
そっけなく即答された言葉に、グリムが不満げに髭を揺らした。
「なんでなんだゾー! 子分にもできたなら、天才の俺様にもできるだろ!?」
「チャクラがないからだ。お前たちで言う魔力がない」
マダラの簡潔な説明に、デュースがあごに手を当てて納得したように頷く。
「確かにマダラは異世界人だし、その線もあり得るか?魔法とはエネルギーの源が違うということだな」
そう整理をつけると、デュースはマダラに向かってまっすぐな視線を向け、深く頭を下げた。
「さっきはありがとう。お陰で退学せずに済んだ」
「別に感謝されるようなことではない」
感謝の言葉すら素っ気なくあしらうマダラ。その頑なでどこか冷めた態度に、エースは鉱山での彼の言葉を思い出していた。
『8つで死ぬことが普通だった。それが身内であろうとな』
ふと浮かんできた疑問を、エースはそのまま口に出していた。
「マダラってさ、兄弟っているの?」
歩みを止めることなく、マダラは短い息とともに答えた。
「あぁ」
「へえ、何人くらい?」
「4人だ。もう戦いで全員が死んだ」
淡々と、まるで他人の事のように語られたその言葉。だが、そこに込められた感情の重さは、生半可なものではないことくらいエースにも伝わった。
自分以外の家族を全員、戦で失っている。その過去の絶望の深さは、エースたちには到底想像もつかないものだった。
沈黙が落ちる。マダラは遠く沈みゆく夕日を見つめていた。その横顔はどこか静けさに満ちている。まるで、自分の役割を終え、どこかで『死に場所』を探しているようにも見えた。
圧倒的な強さを持ちながら、どこか世界と断絶している監督生。エースは何も言えなくなり、ただその背中を静かに見つめることしかできなかった。
こんな形で物語を進めていきます。よろしくお願いいたします。