監督生はうちはの長   作:zatumozi

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第11話 平和の平行線

授業終了後、マダラがサバナクロー寮の部屋へ戻ると、そこには完全に疲れ切った様子のグリムとエース、デュース、ジャックの姿があった。

 

話を聞くと、やはり博物館の前でリーチ兄弟に邪魔をされたらしい。しかも彼らの正体は人間ではなく「人魚」。

 

普段は変身薬で足を生やして人間の姿をしているが、海中では姿を戻し、水中戦の能力を発揮する。陸上の感覚のまま水中戦に挑んだグリムたちは到底叶うはずもなく、撤退してきたのだとかいう。

 

「人魚か。そのような種族までこの世界には存在するのだな」

 

マダラが腕を組みながら呟くと、部屋の隅にいたラギーが不思議そうに首をかしげた。

 

「え、マダラくん世界にはいなかったんスか?」

「あぁ。俺のいた世界では、物語などの架空の存在に過ぎなかった」

 

この世界の感覚では麻痺しがちだが、獣の特徴を持つ獣人族。人魚。そして、妖精族と多種多様な種族の共生は真新しい発見が多い。

 

「それで、グリム。足止めを喰らったようだが、進展はあったのか?」

「うぅ…分かりそうで分からなんだぞ……」

 

グリムは耳を垂らしながら、判明した情報を絞り出すように語り始めた。 まずはリーチ兄弟の妨害。そして、昼休みは博物館の写真を諦めて、契約書を直接破棄をしようとしたところ、凄まじい電撃が走ったこと。

 

それは契約書自体に強力な防衛魔法が施されており、外部からの物理的・魔法的な破壊や接触を完全に遮断していること

 

その契約書は普段、VIPルームの頑丈な金庫に保管されていること。一通りの報告を聞き終えた時点で、マダラはすでにアズールの契約書に隠された『からくり』の真意を見破っていた。

 

しかし、グリムたちは「無敵の契約書を壊す方法なんてないんじゃないか」と頭を抱えて悩んでいる。マダラはまだまだ考えが甘いなと思いながら、鼻で笑うと、静かに口を開いた。

 

「一つ教えてやろう。本当に隠すべきもの、破られたくないカラクリがある、その存在を二度と他人に触れさせず、使わせないように処置するものだ」

「???」

 

首を傾げるグリムたちに、マダラは冷徹な眼差しを向ける。

 

「絶対に破られないようにしたければ、誰の目にも触れぬよう深遠に封印するば良いのだ。電撃程度の防衛術式で『無敵』を装っている。あれはただの無敵に見せかけた『まやかし』に過ぎん」

「じゃあ……! あの契約書は、絶対に壊せない無敵のものなんかじゃねぇんだな!?」

 

グリムがパッと目を輝かせると、マダラは腕を組み直し、かつて自らが対峙した「ある術」の記憶に思いを馳せた。

 

「手の内をやすやすと見せぬことこそが、あらゆる術や策の鉄則なのだ。仕組みが露呈すれば、どれほど強大な術であっても必ず対処法が生まれる」

 

マダラはどこか遠くを見るような、冷ややかな瞳で言葉を紡ぐ。

 

「俺のいた世界に死者を蘇らせて意のままに操る禁術があった。召喚された死者は不死身であり、どれほど傷つけようと再生する。一見すれば完璧で無敵の術に見えただろう」

「し、死者を蘇らせて不死身…!? マジの禁術術じゃん」

 

確かに経験者のマダラは自爆込みの術を使えたが、術には必ず攻略方法が存在している。なので、ここははっきりと否定する。

 

「だが、その術は禁術でありながら、その仕組みが知れ渡っていれば、術の隙を突く『からくり』を破る手立てを講じられる。結果として、無敵に見えたその禁術も容易く止めらる」

 

マダラの言葉には、自らも死から蘇り、その術の理を逆手にとって術者の支配を破ったという、圧倒的な経験と重みが籠もっていた。

 

「砂利の契約書も同じだ。姿形を残し、『契約』という術式に頼り切っている以上、必ずどこかに綻びが存在する。手の内を見せている時点で、奴の策はすでに『無敵』ではない」

 

マダラの言葉には、単なる推論を超えた、あまりにも生々しい説得力があった。

 

「仕組みを知れば無敵じゃなくなる。確かに一理あるな」

 

恐ろしい禁術の例え話に息を飲み、顔を見合わせるエースとデュース。その横で、これまで黙って壁に寄りかかり、腕を組んで話を聞いていたレオナが、フッと鼻で嗤った。

 

「マダラ」

「なんだ」

「テメェ……その禁術、使ったことがあるかな? あるいは、その死者とやらとして直に立ち会ったか」

 

レオナの言葉に、部屋の中の空気が一瞬で凍りついた。ラギーやジャックがハッとして息を飲み、グリムも固まる。詰問するようなレオナの視線を受けても、マダラはピクリとも眉を動かさなかった。ただ静かに腕を組み直した。

 

「どうだろうな」

 

肯定も否定もせず、煙に巻くように一言だけで流すマダラ。その黒い瞳の奥に静かに沈んでいた。

 

「食えない野郎だ。これ以上野ぐろい過去を掘り返すのも不毛だな」

 

レオナは舌を鳴らすと、それ以上追及するのをやめた。マダラが背負う過去の底知れなさを悟り、これ以上の深入りは無用だと判断したのだ。まだ放心しているグリムへと向き直った。

 

(一日でこれだけの情報と仕掛けの輪郭を持ち帰ってくるとはな)

 

自分の力不足に甘えることなく、動き回ってアズールの「魔法」と「金庫」という条件を割り出してきたグリムの姿勢を、マダラは心の中で密かに評価していた。

 

元より自分が直接手を貸して全滅させる気などない。だが、己の駒が思考を深めるための「道標」を提示してやるくらいの興はある。

 

「雑談はここまでだ。言っておくが、俺が直接手を貸して契約書を壊してやる気など毛頭ないぞ。だが……情報収集に関しては、まあ及第点をくれてやってもいい」

 

「ふなっ!? マ、マダラがオレ様を褒めたんだぞ……!?」

 

目を丸くして驚くグリムに、マダラは短く問いかけた。

 

「奴の狙いは何だ? 写真の強奪を失敗させ、お前たちを一生配下に置くことそして、契約書を『誰の手にも触れさせない安全な場所』に置いておくことだ。ならば、奴が一番困る状況とは何だ?」

「アズールが一番困る状況?」

「そうだ。奴が最も守りたいもの、最も触れられたくないものを……外へと引きずり出すにはどうすればいいか。もう少し考えてみることだな」

「アズールが一番困る状況……?」

 

グリムは唸りながら小さな頭をフル回転させ始めた。マダラの問いかけ、そして「奴が一番守りたいものを外へ引きずり出す」という言葉を脳内で反芻する。

 

(アズールが一番守りたいのは、あの金庫の中の『契約書』だ。……じゃあ、奴がその契約書から目を離さざるを得ない瞬間ってのはいつだ?)

 

記憶をさかのぼる。ラウンジに通っていた時のアズールの動き、店の混雑具合、リーチ兄弟の配置。

 

「あ、あったんだぞ! 」

 

グリムはパッと目を見開き、ポンと手を叩いた。

 

「モストロ・ラウンジがヒマな時は、アズールは奥のVIPルームに引っ込んでて、金庫の警戒もガチガチだ! でも……店が超忙しい時は、奴もホールに出て接客や差配をしなきゃならねぇ!」

「ほう……」

「さらにだ! 3日目の日没までに写真を奪いに来ると思ってるアズールは、リーチ兄弟をアトランティカ記念博物館へ向かわせるはずなんだぞ! 」

 

ポンコツだと思われていたグリムの口から飛び出した、驚くほど的を射た洞察。エースやデュースが「グリムの奴、冴えてんじゃねぇか!」と目を見張る。

 

「『ラウンジでアズールがホールに駆り出されている時間』かつ『そっくり兄弟が博物館に出張していて留守の瞬間』 これが、アズールが契約書に集中できねぇ最大のスキなんだゾ!!」

 

マダラは腕を組んだまま、口元を満足気に歪めた。己の指示を待つだけでなく、相手の行動パターンと構造的弱点を突いた「作戦」を自力で導き出したのだ。

 

「上出来だ。奴が警戒を強めている時ではなく、注意が分散せざるを得ない『隙』を狙う。戦法の基本だな」

「だったら作戦は決まりだ! アズールをホールへ引きずり出す! そのスキに…!」

「待てよ、グリム」

 

浮かれるグリムの言葉を遮ったのは、レオナだった。

 

「ラウンジを客でいっぱいにするだけじゃ甘ぇな。徹底的に店をパニックに陥れてやらなきゃ意味がねぇ。その作戦、俺も乗ってやるよ。サバナクローの連中総出で、モストロ・ラウンジの『客』として乗り込んで、アズールの手を完全に止めてやる」

「えぇぇっ!? レオナさんが協力してくれるッスか!?」

 

ラギーが信じられないといった声をあげる。あの極度の面倒くさがりで、他人の揉め事など高みの見物を決め込むはずのレオナが、自ら進んで策に加わると言い出したのだ。

 

なぜレオナがここまで乗り気なのか。その真の理由は後々分かることになるのだが、今はその凶悪な笑みだけでサバナクローの王が本気になったことだけが察せられた。

 

「駒は揃い、盤面は整ったようだな」

 

 

○○○○

 

 

アズールとの契約実行まで、残り数時間へと迫った頃。チームは二手に分かれた。アトランティカ記念博物館へ直接乗り込むグリム、エース、デュース、ジャック。そして、アズールたちの足を完全に止め、本陣を乱すレオナ、ラギー、マダラ。

 

熱帯魚が優雅に泳ぎ、ジャズの音色が流れるモストロ・ラウンジの重厚なドアが、けたたましい音を立てて開け放たれた。

 

開店直後のモストロ・ラウンジに、サバナクロー寮生たちが怒涛の如く雪崩れ込む。怒号と注文が飛び交う戦場のような混乱の中、マダラはただ一人、ソファ席でゆったりと腰掛け、極東の名物である抹茶を静かに啜っていた。

 

「道を開けてください! 通ります! 失礼!」

 

額に汗を浮かべたアズールが、混雑を掻き分けるようにしてホール内を慌ただしく奔走する。その時マダラは見た。アズールとすれ違った一瞬の拍子に、ラギーがポケットから『金庫の鍵』を奪い去る、極めて巧妙な手癖を。その鮮やかな手腕に、マダラは思わず口元へ薄い笑みをこぼした。

 

「いーえ、気にしないで。シシシッ」

 

ラギーがシシシッと笑うと、マダラは静かに立ち上がり、第二段階の作戦へと移行した。あとは待つのみ。騒乱に乗じてレオナとラギーがVIPルームから金庫の中身を丸ごと奪い去り、一同はラウンジを退店してオクタヴィネル寮の外へと抜け出した。

 

「マダラくん、お疲様っス」

「やはり、あの契約書は『無敵』ではなかったな」

 

追撃を交わした外の広場で、ラギーは抱えきれないほどの大量の紙束。数百枚に及ぶ『黄金の契約書』をまるで戦利品のように掲げて見せた。

 

「この学園に入るずっと前から、悪徳契約を繰り返してコツコツ溜め込んでたんだろうぜ。……これで契約書は無事、VIPルームの外に持ち出せたッス」

「手の内を見せ、形として残しておいたツケだな」

 

そして、仕上げとばかりにレオナがマジカルペンを構え、ユニーク魔法で契約書をすべて砂へと変えようとした、まさにその瞬間だった。

 

「待ちになさい!!」

 

悲鳴にも似た叫び声とともに、身なりを乱したアズールが息を切らせて駆け込んできた。

 

「おっと、もうおでましか。それ以上こっちに近づくなよ? 契約書がどうなっても知らねぇぜ」

「か、返してください……それを、僕に返してください……っ!」

 

最初に出会った時の、自信と増長に満ちあふれていた「策士」の面影はどこにもない。なりふり構わず契約書にすがりつこうとするアズールの惨めな姿に、マダラは胸のすくような愉快さを覚え、低く愉しげに笑った。

 

「砂利。言ったはずだぞ。人を操るには『心の闇』を使えと」

 

アズールは血走った目でマダラとレオナを睨みつけ、取り乱したように叫んだ。

 

「なぜだ…! なぜあんたは僕の邪魔ばかりしてくるんだ!? あんなタヌキや生徒たちをイソギンチャクから解放したって、あんたには何一つ得なんてないだろう!?」

「あぁ、それについては俺も同意だな」

 

レオナが不敵な笑みを浮かべながら、アズールに向かってゆっくりと歩み寄る。

 

「そこでだ。なぁアズール、俺と取引しようぜ?」

「……は?」

「この契約書をお前に返したら、お前は俺に何を差し出す?」

 

アズールは藁にもすがる思いで、必死に言葉を捲し立てた。

 

「な、なんでもします! テストの対策ノートでも、卒業論文の代筆でも、出席日数の水増しでも……! なんでもあなたの願いを叶えますから!」

「なるほど……実に魅力的な申し出だ」

「なら!」

「だが……悪いが、その程度じゃこの契約書は返してやれそうにねぇなァ」

「えっ?」

 

アズールの顔から血の気が引いていく。レオナは心底凶悪な笑みを深め、アズールに絶望を突きつけた。

 

「心底腹立つが、グリムとマダラに一歩負けたな、アズール」

「う、うそだ……やめろ! やめてくれええぇぇッ!!」

 

アズールが制止の叫びをあげるよりも早く、レオナは冷酷に魔法を解き放った。

 

「さあ、『平伏しろ!王者の咆哮』!」

 

乾燥した熱風が吹き荒れ、レオナの手元にあった数百枚の黄金の契約書が一瞬にして脆く風化し、一筋の砂となって寒空の下へと散っていく。

 

「やめろおおおおおおおおお!!!!」

 

これまで積み上げてきた契約、砂に帰した瞬間アズールの絶叫が、虚しく響き渡るのだった。アズールが失意と憎悪の果てにドス黒い魔力を爆発させる。

 

「もっとマシな僕になるために、みんなの力を奪ってやるんです! 美しい歌声も、強力な魔法も、全部僕のものだ! 寄越しなさい、全てを!!」

 

狂気に満ちた叫びとともに伸びる巨大な触手。その巨大な異形の姿を目にした瞬間、マダラは黒い瞳を激しく滾らせ、静かに腕へ力を込めた。

 

(ほう……まるで『尾獣』のような巨躯と狂気だ)

 

オーバーブロットによって、本来の姿に戻ったアズールは8本脚のタコの人魚。かつて九尾をはじめとする尾獣たちを力でねじ伏せ、狩った過去の記憶が脳裏をよぎる。マダラの口元に、獰猛で凄惨な笑みが浮かんだ。

 

「ふな"っ!アイツ、足がタコになったんだゾ!」

 

そこへ、博物館の件を終えて駆けつけたグリム、エース、デュース、ジャックが合流した。あまりの惨状に戦慄するグリムたちだったが、マダラは一歩前に出ると、肩に担いでいた特注の鉄棒を地面へと静かに突きたてた。

 

「ここまでだ、グリム。お前が盤面を整え、奴の化けの皮を剥ぎ取った。ならばここからは、俺が叩き潰すまでだ」

 

マダラが指先で軽やかに鉄棒を叩くと、カチリと仕掛けが作動する音とともに、手に持っていた一本の鉄棒が幾重にも分離・展開し、一瞬にして無数の刃と節を備えた「多節棍」のような異形の武器へとその姿を変えた。

 

「な、なんだその武器!? 一本の鉄棒が急に増えたぞ!?」

「いつ仕込んだんだよ!?」

「依頼人の秘匿性というものがあってな。これ以上探る必要はない」

 

(……あの職人の手腕、見事なものだ)

 

マダラは心の中で、この特注武具を手掛けた職人の技術に密かな賛辞を送った。一方、その三節棍の構造と、無限に伸びるチェーンに込められた魔道具としての精巧な魔力回路を目にしたレオナは、眉をひそめて思い当たる節を浮かべる。

 

(あの魔法工学仕込みの武器まさかな)

 

「『尾獣狩り』の手順なら、身体が覚えている」

 

マダラが写輪眼を閃かせ、三節棍を軽やかに振るう。瞬間、三節棍を繋ぐ金属のチェーンがジャララと不気味な音を立ててどこまでも伸び、暴走するアズールの巨大な八本の触手へとなだれ込んだ。

 

「魔力の鎖が……離れない!」

 

縦横無尽に伸びる鎖が、タコの足のように蠢くアズールの巨腕を何本もまとめて強固に縛り上げ、その動きを完全に封じ込める。戦いに慣れ破ったマダラの前では、どれほど巨大な触手であれ、単なる「格好の標的」に過ぎない。

 

「攻撃が止まった!いでよ大釜!」

 

どかんと!デュースの大釜が攻撃を止める。

 

「今だ! 一気に叩き込め!」

 

動きを止められたアズールへ向け、潜入から戻ったばかりのフロイドとジェイド、そしてサバナクローの面々が一斉に畳みかける。だが、アズールも止められるわけではない。背後に立つやりを持つ化物が襲う

 

「取引だ!」

「アズール、暴れすぎ~! ギューッと絞め落としてやるよ!」

 

フロイドが独自の身のこなしで縦横無尽に跳躍し、アズールの放つ無差別の魔力攻撃を自身のユニーク魔法『巻きつく尾』でことごとく軌道を逸らしていく。

 

「フロイド、右です! フォローに入ります!」

 

逸らされた隙を逃さず、ジェイドが間髪入れずに鋭い魔法攻撃を叩き込み、兄弟ならではの完璧な連携でアズールの防衛網を徹底的に切り崩していく。

 

「すべて!僕のものだぁあッ!!」

 

そして、くさりが食い破られる。やはりこのものは、通用はしないか。ばらばらになった鎖をすてて、印を結ぶ

 

「火遁・龍焔業歌」

 

着弾するとその場で大爆発を起こし、まるでような爆弾のような炎の塊。そして、爆発した隙をマダラを見逃さず、はずれた鎖を引きちぎり棒をアズールの背後の化物の瓶へやり投げのように投げた。

 

「終わりだ」

 

激しい衝撃波とともに破裂するように弾け飛び、漆黒の魔力は夜風へと霧散していったのだった。

 

 

○○○○

 

 

アズールのオーバーブロットが静まり、静寂を取り戻したオクタヴィネル寮。マダラが手にしていたのは、アズールが己の命やプライドと引き換えにしてまで死守しようとしていた「アトランティカ記念博物館の写真」だった。

 

そこに写っていたのは、まんまるとして気弱そうに身を縮こまらせている、幼い頃の人魚時代のアズールの姿。現在のスマートな面影はなく、彼が必死に消し去りたがっていた「過去そのもの」だった。

 

「何を見ているんですか。そうやって人の写真をじろじろと凝視して! 勝ち誇りに来たのなら、さっさと燃やすなり何なりすればいいでしょう!」

 

不機嫌を通り越して絶望的な声をあげるアズールに対し、マダラはその小さな紙片を愛おしむわけでも嘲笑うわけでもなく、ただ静かな眼差しで見つめていた。

 

「過去の姿がこうして形に残るというのは、存外、悪くないものだな」

「……は?」

 

思いもよらないマダラの呟きに、アズールは拍子抜けしたように目を丸くした。マダラの生きた時代には、「写真」などという都合の良い技術は存在しなかった。

 

だからこそ、過去の姿をそのまま映し出し、いつでもあの頃へ引き戻してくれるこの小さな紙切れが、マダラにはどこか目新しく、そしてほんの僅かに羨ましくすら思えた。

 

「記憶の中には鮮明に残っている。……だが、こうして直に目に見える形で残り、思い出に浸ることができるからな」

 

マダラはどこか遠くを見つめるように目線を上げ、ぽつりと落とした。

 

「もし…イズナ。弟が生きていたなら、お前たちのように共に過去を振り返り、くだらん思い出に浸ることもできたのかもしれんな」

「……!」

 

マダラの口から静かに漏れ出た、一人の少年の名前。その声には、普段の圧倒的な武力や絶対的な支配者の影は一切なく、ただ弟を失った一人の兄としての、深く静かな喪失感だけが宿っていた。

 

その空気に気圧されたのか、アズールも、傍らにいたジェイドとフロイドも、一瞬言葉を失って沈黙した。マダラは一瞬だけ瞳の奥に切なさを滲ませたものの、すぐに素気なく写真をアズールの手元へと放り投げた。

 

「無駄口が過ぎたな。写真は後日、正当な手続きで博物館へ返却する。消したい過去だろうが何だろうが、乗り越えて前へ進むか、過去に縛られて溺れるかは……お前次第だ」

 

そう言い捨てて背を向けたマダラの佇まいに、アズールは返ってきた写真を握りしめたまま、何も言えずにただその背中を見送るのだった。

 

 

○○○○

 

 

学園の夜風が吹き抜ける静寂の中、久方ぶりに訪れた一人きりの時間に、マダラはただ静かに佇んでいた。

 

「久しいな」

 

振り返ることもなく、マダラが暗闇に向かってぽつりと呟く。

 

「……おや。僕の存在に気づいていたか」

 

月明かりの下、影の中からふっとマレウスが姿を現した。その妖しい緑の双眸には、かすかな感心の色が浮かんでいる。

 

「無事に戻ったのだな。まさか、あのアーシェングロットとの勝負に勝利してみせるとはな」

 

マダラは腕を組んだまま、静かに夜空を見上げた。

 

「この世界には少しは慣れたか?」

「『平和』だと錯覚するほどにはな」

 

マダラの言葉に含まれたわずかな歪みに、マレウスは細い眉をピクリと動かした。

 

「錯覚、か?」

 

「あぁ。争いを力で抑えつけ、上辺の平和を謳歌する一方で人々の心の内では絶えず新たな争いの種が芽吹いている。どこへ行こうと、この矛盾した世の理が変わることはない」

 

マダラは自らの言葉に、どこか自嘲めいた冷たい笑みを吐き捨てた。自らは圧倒的な武を誇る「力」があり、戦場の中でしか己の生を実感できない男。

 

でありながら、誰よりも戦の悲劇を知り、誰よりも完璧な「永遠の平和」を渇望した男。戦いを求める本能と、平和を望む理念——その矛盾を抱えたまま生きるマダラの横顔を、マレウスは静かに見つめた。

 

「そうだな。人間も、いや生き物というものは総じて愚かで、そして儚い」

 

マレウスはマダラの言葉を否定せず、むしろすべてを受け止めるように深々と頷いた。

 

「だが、その矛盾という平行線こそが、皮肉にも今のこの世を危うく保っているのかもしれん。完璧な平和も、完全な破滅も訪れぬまま……揺らぎ続けることでな」

「平行線か…」

「何にせよ、僕の気に入っているこの『庭』が、これ以上騒がしくならずに済んでよかった。」

 

マレウスは愉快そうな言葉に、マダラもまた口元を僅かに綻ばせた。

 

「戯言を叩き潰したまでに過ぎん。次は退屈でないことを祈るだけだ」

 

 




三章終わりました。明日からは四章です。お気に入り、作品の閲覧ありがとうございます。
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