第25話 全てが事実
「グリム起きろ」
「マダラーまだ寝るんだぞー」
朝の光が差し込むオンボロ寮の室内で、マダラはまだ眠気眼のグリムを揺り動かした。頭の裏では、ここ最近ずっと続いている奇妙な夢の残滓が尾を引いていた。
生徒達のオーバーブロット事件とグレートセブンたちの行動が正夢のようになっている。夢といえばグリムが鏡に「ミッキー」と呼ばれる。奇妙なもの出会いもあり、マダラの日常は奇妙なものになっていった。
身支度を整え、学園のメインストリートへ出ると、巨大な石像の前に見慣れた角を持つ青年の姿があった。石像を見上げるマダラの足音が聞こえたのか、マレウス・ドラコニアが静かに振り返る。
「どうした?マダラ我が寮の茨の魔女の石像をみて」
「ツノ太郎か」
「ツッ、ツ、ツノたっ!」
マダラの悪びれもない呼びかけに、マレウスの背後に控えていた生徒が目を見開き、顔を真っ赤にして怒号を上げた。
「貴様ァ!若様になんという口の利き方を!!」
「ぴギャッ!なんだ!コイツ文化祭のコロシアムにいた声がうるせーヤツだ!」
鼓膜を震わせる爆音のような怒声に、グリムが思わず耳を押さえて叫び返す。
「若様の忠実なる臣下、セベク・ジグボルトだ!!」
「この砂利はなんだ」
マダラは微動だにせず、騒ぎ立てる緑髪の1年生を羽虫でも見るかのような冷徹な瞳で見下ろす。対して、マレウスが穏やかに手をかざす。
「セベク僕のあだ名は許可しているものだ」
「さすが若様、お心が海よりも広くていらっしゃいます」
「セベクまずは、監督生に謝るんだ」
セベクの隣で控えている銀色の髪色の青年、シルバーが誤解だったが、失礼な行いの謝罪を促す。
「なにをシルバー!」
二人が言い争っている姿にマダラは時間の無駄を感じ、肩に担いだグリムを地面に下ろす。
「オレはもう行く。グリム起きているなら自分で歩け」
「まだ眠んだぞ」
文句を言いながらもトボトボとついてくるグリムを従え、マダラは騒がしい二人と悠然と佇むマレウスを背に、メインストリートの奥へと歩みを進めた。変わらない学園生活が始める。
だが、寮の鏡に元の世界へ帰れる道があると、言われてもマダラはどうでもよかった。なにせ帰れる場所がないからだ。
嘆きの島の一件からマダラは更に生徒たちとの交流を控えるようになっていた。授業は真面目に受講しても、放課後は図書室で魔法の知識を見る日々が続いている。だが、その時間もただ時間が経過するための暇つぶしに過ぎない。
「監督生、読書中にすまない」
「構わん」
「今朝はセベクが済まなかった改めて謝罪を」
落ち着いた声色でシルバーは謝罪するが、マダラは本から目線を話さず、話す気がなさそうだ。
「お前が謝罪をしたところで意味はなかろう」
「だが、マレウス様の大切なご友人だ」
シルバーは一向に手を引く様子が無い。目の前のオーロラ色の瞳には、どこか悲痛な影が揺れていた。育ての親であるリリアの突然の中退。
迫りくる別れの刻に対して抑えきれない焦りと不安が、シルバーの全身から隠しようもなく漏れ出している。だが、失うことにすら諦めを抱いているマダラにとって、その焦燥はあまりにも遠い世界の出来事だった。マダラはわずかに眉をひそめ、冷めた吐息とともに重い本を静かに閉じた。
「なら、オレと手合わせしろ」
マダラはシルバーを見て服からかくれているが、かなり身体を鍛えているようにみえる。嘆きの島の件以降学園が大人しく、日々の鍛錬で物足りなく感じていた。
「相当鍛えているだろう。見るからに剣術は腕が立つだろう」
「見ただけで分かるとは……」
シルバーは驚くが、数々の事件を経験したマダラに納得し、図書室からでてディアソムニア寮の中庭へついて行った。中庭へ出ると、シルバーはシルバーは寮服に着替え、マジカルペンと兼用の警棒だ。
リリアを失うことへの焦燥、強くなければ誰も守れないという脅迫観念にも似た焦りから、シルバーの身に纏う気迫は刃のように鋭く研ぎ澄まされている。
マダラはそんな青年の気負いを退屈そうに見つめながら、額にかかった前髪を緩やかに払った。その隙間から、紫の同心円が刻まれた異形の眼輪が覗く。
「その眼」
「始めるぞ」
シルバーが輪廻眼に反応するもマダラは聞かれると、面倒だと思い適当に流す。その追及すら許さない一言で会話を打ち切った。
イデアが作った武器は修繕中で、持ち前の物がないので、仕方なく鉄棒で代用をしている。マダラがそっと右の手のひらを上に向けると、何もない空間から黒いチャクラが収束し、鉄棒が滑り出るように現れた。
それを無造作に掴むと、構えらしい構えも取らず佇む。対するシルバーは、警棒を固く握りしめ、必死の覚悟で間合いを詰めた。そして、間合いを合わせて武器と武器がぶつかり合う。
乾いた打撃音が響いた瞬間、すでに勝負は決していた。マダラは脚を一歩すら動かしていない。力を振るう理由すら見出せない無関心さのまま、ただ相手の焦りに満ちた踏み込みを見切り、流れるように鉄棒を払っただけだった。
打ち合わされた警棒は弾かれ、シルバーの体勢は無残に崩れ去る。黒い鉄棒の先が、静かにシルバーの喉元を捉えていた。
「俺の負けだ」
敗北を口にしながらも、シルバーの瞳に宿る焦燥の火は消えない。リリアが去ってしまう前に、一刻も早く力を示さねばならないという切迫感が、彼を突き動かしていた。
「もう一度頼む」
その声にもう一度向き合うが、結果は変わらずマダラが勝利する。
「もう一度!」
「無駄な時間だ。そんな感情で振るった剣にオレには勝てない」
取り乱すシルバーを、マダラはぴしゃりと言葉で遮る。勝利の喜びも、相手への敬意すらもない。ただそこにあるのは、空虚な諦観だけだった。シルバーは膝をつき、己の不甲斐なさと迫りくる失意に唇を噛みしめる。
「これでは、親父殿になにも!!」
「ひとつ言っておこう。他人のために振るう力は弱くなるだけだ」
誰かのために戦い、誰かを護ろうと執着した果てに、全てを失って破滅した己の凄惨な半生。失う恐怖に怯え、焦る青年の青臭い忠義に対し、マダラは呪いのような教訓を冷たく言い捨てると。二人の人影が現れる。
「おっ!シルバーマダラに随分しごかれたな」
「親、リリア様セベクも居たのか?」
息を荒らげ、膝をついたままのシルバーが目を見開く。陰から歩み出てきたのは、リリアと、悔しそうに眉を吊り上げたセベクだった。リリアは去りかけるマダラの背中に視線を送り、感心したように顎を撫でた。
「見事な身のこなしじゃ。一切の無駄がなく、流れるような体さばき……魔法に頼らずともそれほどの武を見せつけるとは、流石は異世界の猛者といったところかのう」
リリアの眼から見ても、マダラの圧倒的な戦術に驚嘆に値するものだった。だが、当のマダラは褒め言葉など耳に入っていないかのように、足を止めることすらしない。
その素っ気なく、どこか全てを拒絶するような態度が、崇高な忠義に燃えるセベクの導火線に火をつけた。
「貴様!リリア様の言葉を無視するとはなんと無礼な!お前は守るべきものが居ないから弱いのだ。僕やシルバーはマレウス様がいる。だからこそ、貴様と同類に……」
「セベク――!」
リリアが危険な気配を察知し、急ぎ制止の声を上げた。しかし、激高したセベクの口を止めるには一瞬遅すぎた。セベクはマダラの背中に向けて、決定的な地雷を踏み抜く言葉を怒号となってぶちまけてしまう。
ピタリ、とマダラの足が止まった。その場の空気が凍りつく。ディアソムニアの中庭から一瞬にして周囲の草木が恐怖に震えるかのような、禍々しく重苦しい殺気が渦を巻いた。
振り返る動作すら、セベクには認識できなかった。鼓膜を割るような鋭い風切り音と共に、セベクの頬のすぐ横、数ミリの掠れすれを黒い影が通り抜けた。
直後、凄まじい衝撃波がセベクの髪を激しく吹き煽り、背後の芝生へ深々と鉄棒が突き刺さる。めくり上がった土と芝の匂いが宙に舞った。
「……!?」
セベクは頬に伝わる冷や汗と激痛に似た戦慄に固まり、声すら出せない。一歩でも動いていれば、頭部を貫かれていた。手のひらから出されたその黒い棒には、ただ触れた者を絶望へ叩き落とすような、漆黒の怒りと深淵の悲しみが宿っていた。
マダラは一度も振り返らなかった。
ただ、その背中から溢れ出る殺気だけがセベクの全身を恐怖で縛りつけていた。言葉を重ねる価値すらないと言いたげに、マダラは静かに歩みを進め、そのまま影の中へと姿を消していった。
残された中庭には、深く突き刺さった鉄棒と、あまりの死の気配に青ざめて立ち尽くすセベクたちの静寂だけが残されていた。
○○○○
夜深きオンボロ寮。ミッキーに関する調査を進めるべく、エースとデュース、そしてグリムが集まっていた。
エースたちは寮長からの許可を取るため、「勉強合宿」という名目で外泊届を提出し、オンボロ寮で寝泊まりしていたのだ。だが、慣れない勉学に疲れ果てた一行は、やがて机に伏すように次々と眠りについていった。
静まり返った室内で、マダラはふと静かな気配を感じて窓の外へ視線を向ける。闇の中に白く舞い散るものに気づき、静けさを壊さぬよう足音を殺して外へと出た。
「雪」
見上げる夜空から静降る白銀の結晶。その冷気に肌を当てていると、不意に暗闇の向こうから声が重なった。
「ん?その声はマダラか。雪?ああ…気づかなかった。これでは庭の木に霜が降りてしまうな」
月明かりの下に姿を現したのは、マレウス・ドラコニアだった。降雪に目を細めながら、遠い目をして呟く。マレウスは指を鳴らすと一瞬で辺りの雪を消し去る。この異常な気象はマレウスが作り出した空間だと、知るとマレウスの強さが物がっている。
「幼い頃、城を氷漬けにしてしまってな。リリアにこっぴどく怒られたものだ」
無邪気だった頃のささやかな思い出。今のように魔法のコントロールが出来ない頃。誕生日に家族である祖母が来なかった。その怒りに任せた思い出を語る。
だが、思い出は苦いものだけではなく、城の氷を砕き、たっぷりのシロップを氷にかけて、寒い中氷菓を食べたあたたかな思い出だ。
「お前も可愛げがあるじゃないか」
「そうか?お前はそういった出来事はないのか?」
そう問い返されたマダラは、どこか遠く、血と硝煙の匂いに満ちた己の過去を思索するように夜空を見上げる。
「生憎、戦場しか語れることしかない」
「そうか、リリアから聞いたが、今日シルバーと手合わせしたと聞いた」
今日の手合わせは悪くはなかった。しかし、何も知らないセベクに熱くなりすぎたと、ふと振り返る。だが、あの態度は危うさがある事を指摘する。
「あぁ、アイツは強くなるがもう一人の砂利はいずれ、お前の顔に泥をぬるぞ」
「すまなかった。セベクもまだ若い。多めに見てやってくれ」
「落ち着きのないせっかちな奴にオレは何も言わん」
マダラはいつもと変わらない無関心な様子だった。その様子にマレウスも少し安心したのか、自然な口調で話題を変えた。
「それよりこんな夜更けにどうした」
「あぁ、この寮の鏡が、元の世界に帰れる可能性があるらしい」
マダラは淡々と、しかしどこか他人事のように言葉を続けた。
「だが、オレは帰ったところでどうなるだろうな。死んで黄泉の国へ行くか、また生きるか」
深夜の静寂に落ちたその言葉はあまりに唐突で、そして重苦しかった。マレウスは深く眉をひそめ、真意を測りかねるようにマダラを見つめた。
「どういうことだ」
マダラの語る言葉は、常識で考えれば戯言や冗談の類いだった。だが、眼前に佇む男の眼差しにも、放たれる静かな気配にも、嘘偽りの微塵すら存在しない。
「オレは元の世界では死んでいるはずだ」
「死んでいるだと」
妖精族は長命種であり、数多の生の始まりと死の終焉を見届けてきたマレウスにとっても、目の前で確かに呼吸する男が発した言葉はあまりに異質だった。
「オレは確かに死んだはずだ。最後に覚えているのは、戦友として酒を酌み交わせる約束をしてからだ」
世界を敵に回し、誰もが幸せになれる夢の理想郷を築こうとした。だが、その果てにあったのは無残な裏切りと、己の死だった。
唯一無二の戦友、千手柱間と最後に交わした、黄泉の国での再会の約束。それらを淡々と紡ぐマダラの声音には、嘘偽りのない事実と、遠い過去への冷めた諦念だけが宿っていた。
「本当なのか、マダラ」
緑の瞳を揺らしたマレウスの問いに、マダラはただ静かに、そして確固とした意志を込めて答えた。
「事実だ。一度目は友に後ろを突かれた」
脳裏をよぎるのは、終末の谷での柱間との死闘。信じた夢のために戦い、そして敗れた記憶。
「もう一度は寿命」
夢を叶えるため、憎しみの連鎖を断ち切るために、新たなマダラとなる者に後を託して静かに息を引き取った、二度目の死。
「最後は敵に良い様に使われた」
神に等しい力を手に入れ、ついに無限月読を成就させたと思った瞬間。愛した世界も、憎んだ歴史も、すべては大筒木カグヤ復活のための苗床に過ぎなかったという真実。
己の人生すべてを賭けた計画が、ただ利用されていたに過ぎなかったという凄惨な事実。その屈辱、怒り、そには深い喪失感。だが、今のマダラの瞳には、それらすらも通り過ぎた後の、凪のような静けさがあった。
マレウスは息を呑んだ。激しい感情の波が沸き立ち、抑えきれない魔力が大気を激しく震わせる。止んでいた雪はまた降り始め、吹雪となって二人を包み込んでいった。