「お前に全てを見せよう」
マダラは静かに眼を閉じた。そして再び見開かれたその瞳は、怪しい赤き光。写輪眼へと変化していた。
「オレの眼を見ろ」
「なっ……!?」
次の瞬間、夜の闇も舞い散る雪も霧散し、マレウスの視界は一変した。 見渡す限りの白に染まった異空間。どこまでも静寂が広がっている。
「ここはオレの幻術空間だ。こんな風に意のままに空間が操れる」
そして、マレウスは瞬きをすると、白だった世界に景色が現れる。更にマダラの姿を見ると背丈も伸びて、服装も黒を基調とした恰好になっていた。
「オレのやった計画は無限月読」
「ムゲンツクヨミ……」
マダラが指をさし示せば、赤い月が浮かび上がり、その表面には写輪眼の紋様が刻み込まれる。世界中の人々が光に呑まれ、樹木に囚われていく光景が、マレウスの脳裏へ直接流れ込んできた。
「月面に写輪眼を浮き上がらせ、あらゆる生物を永遠の幻術世界へいざなう術だ」
マレウスは息を呑み、絶句したまま目の前の光景を見つめるしかなかった。その術の規模、歪んだ救済の思想、そして何より、この男が背負ってきた壮絶な人生の重みが、言葉を介さずとも押し寄せてくる。
他者に一切の興味を示さず、どこか世界を冷めた目で見つめていたマダラのあの態度は、これほどの絶望と死を通り抜けてきたからこそなのだと、マレウスは痛感していた。
「この世の全てにおいて光が当たるところには必ず影がある。勝者という概念がある以上、敗者は同じくして存在する」
空間の映像が揺らぎ、戦場が映し出される。激しい血煙の中、傷つき倒れる一人の少年―マダラの弟、イズナが息絶える瞬間だった。
「平和を保ちたいとする利己的な意志が戦争を起こし、愛を守るために憎しみが生まれる」
続いて映し出されるのは、千手柱間との終わりなき死闘。世界を巻き込んだ凄絶な戦いの記憶。しかし、神の如き力を手に入れ、無限月読を完成させたまさにその瞬間。世界は暗転し、映像は容赦なくブラックアウトした。
すべてが泡沫の夢と消えた無惨な最期までを突きつけられ、マレウスは言葉を失っていた。幻術が解け、再び雪の舞う夜の闇へと戻る。 マレウスはしばらくの間、自身の荒い呼吸音だけを響かせていたが、やがて絞り出すように呟いた。
「お前に……そんなことがあったとはな」
あまりに重い告白を交わした二人の間に、冷たい風が吹き抜ける。マレウスは胸の奥底にくすぶる熱。迫りくるリリアとの別れ、そして大切な者を失うことへの恐怖を確かめるように、深く問いかけた。
「ヒトの子よ。もし、家族や友……何もかもを失わずに済む方法があるとしたら、お前はそれを願うか?」
その問いは、マレウス自身の孤独と、大切なものを守りたいという切望そのものだった。だが、己の命と世界の理を歪めてまで夢の世界を作ろうとした男は、冷徹な眼光で静かに首を振った。
「願ってしまった。オレは自分を使って試したからな」
無限の夢がもたらした崩壊と破滅、そして愛した者たちとの本当の別れ。それを身をもって知った男の言葉には、何物にも代えがたい重みと、深い後悔が滲んでいた。
「お前は平和を望むことが……いや、弟のためだったのか」
「望んではいたが、もうイズナはいない」
マダラの返答はどこまでも静かだった。失われたものは二度と戻らないという真理を、受け入れた者の静けさだった。
その言葉の重みを受け止めたマレウスは、何か大きな葛藤の狭間で、激しく舞い散る雪の中で深く瞳を閉ざした。
「ならば、あいつは何故……いや、よそう。少し考えさせてくれ。僕に、良い方法が思いつくかもしれない」
静かに告げると、マレウスは吹雪く夜の闇の中へ、深い思索とどこか悲壮な決意を抱えたまま、姿を消していった。残されたマダラは、一人静かに荒れ狂う雪を見つめていた。
○○○○
数日後オンボロ寮でひとり静かに過ごしているときだった。今日、グリムはリリアの送別会へ向かっている。
静まり返った部屋の中、マダラはただ一人、自室の窓辺で腕を組んでいた。カローンとの激闘、イデアの救出、そしてオルトとの別れ -命を落とした異世界での壮絶な事件をいくつも乗り越えてきたはずだった。
しかし、あの「嘆きの島」からこの学園へ帰ってきて以来、マダラの心には冷たくて重い、空虚な風が吹き荒び続けていた。
生きている実感も、戦う歓びすらも湧き上がらない。心が何も満たされないまま、ただ虚無の中を漂っているような感覚。
その静寂を切り裂くように、突如として肌を刺すような重苦しい気配が急激に膨れ上がった。天地を揺るがすような異様な魔力の奔流。ただ事ではない。だが、この禍々しい力は何だ。外へ出ると茨が学園中を覆っていた。
「なんだこの力は」
空を覆い尽くす黒い茨。マダラは一瞬で戦時中の緊張感を取り戻すと、冷めきっていた魂に一筋のチャクラを燃え上がらせ、その絶大な能力を解き放った。
「須佐能乎」
須佐能乎の骨格と甲冑を全身に纏い、荒れ狂う瘴気を薙ぎ払いながら突き進む。須佐能乎をまとって行くと、力はディアソムニア寮へ向かっていた。鏡から抜けて行くと寮は茨に包まれていた。茨を須佐能乎で千切り、寮の中へ入った。
「全員眠っている」
床には寮生や教員がこの危機感を忘れさせるように眠っていた。その魔力の渦の中心には、異形の姿へと変貌を遂げたマレウスが静かに佇んでいた。
「マダラ、来たか」
異形と化した青年の口から、静かに己の名が呼ばれる。その悲壮な声音と溢れ出る魔力の異質さに、マダラはこの力に予想がついていた。
「オーバーブロットをしたのか」
「お前も眠りに委ねれば1000年はあっという間だ」
マレウスの言葉は、まるで迷える子羊を優しく導く聖者のように甘く、穏やかだった。マレウスの背後には、眠りについたリリアの姿があった。
「リリアは強かった。だが、こんなにも弱く、脆くなってな。だが、この世界ならずっと、幸せでいられる」
愛する者を失いたくないという絶望、そして弱りゆく仲間を守りたいという切実な狂気。マレウスは哀愁に満ちた瞳でマダラを見つめ、そっとその悲しみに寄り添うように語りかける。
「お前はあの『嘆きの島』から帰ってきてからずっと、何を見ても心を動かさず、満たされない瞳で空を見上げていた……そうだろう?前の魂はすでに擦り切れ、救いを求めているんだ」
マレウスに見透かされた己の空虚。その言葉に、マダラは遠い日の己の影を重ね合わせる。
「考えることは似るものだな」
「あぁ、マダラお前の術は素晴らしいものだ。そして、僕の魔法が誕生した」
全ての生物が幻術をかける術だ。被術者は望む夢がみられる。これにより、争いもわだかまりもない世界だ。自嘲気味に呟くマダラに対し、マレウスは確信に満ちた笑みを深め、より一層情熱的に、甘美な語り口で誘惑を重ねた。
「マダラなら僕と一緒に」
「残念だがオレはその世界には入るつもりはない」
「なに?」
不意の拒絶に、マレウスの眉が微かに揺れる。マダラはどこまでも冷徹に、そして自らの罪を突きつけるように言い放った。
「幸せを手にするなど。笑える冗談だ」
己の理想のために他者を踏みにじり、世界を欺き、最後には全てを破滅させかけた己の業と罪。その愚かな道のりの果てに、真の救いなど存在しなかったことを誰よりも知っているのはマダラ自身だった。何よりも、その罪の重さが己の心を縛りつけ、帰還後も決して満たされることのない空虚を生み出していたのだ。
だが、マレウスはその暗い罪悪感すらも優しく包み込もうと、蠱惑的な笑みをたたえて手を差し伸べた。
「マダラ、いいんだ。お前は弟を失い。人々の幸せを祈った。今度はお前が幸せになる時だ」
マレウスが放つ言葉は、抗いがたい魔導の誘惑。罪を背負い続けるマダラへの「許し」であり、
「救済」の差し伸べだった。
「お前が失った最愛の弟が待っている。戦いも、悲劇も、己を責める罪もない。お前が真に望んでいた、満たされた世界へ行こう」
マレウスの囁きに呼応するように、須佐能乎の弱点である内側から茨が生える。取り払おうとした動作をマダラは手を止めた。その動きをマレウスは見逃さず、身体に茨が巻き付き、須佐能乎から、強制的に外へ出される。
「須佐能乎の弱点は地中、内側に弱い」
(満たされぬまま漂うだけの生に、何の意味がある……)
拒絶する理性が、甘美な夢の誘惑に静かに屈していく。力を失った須佐能乎が青い光の粒子となて霧散し、マダラは抵抗を物理的にも精神的にも完全に放棄した。無数の茨に抱かれながら、意識が深い、深い闇の底へと沈んでいく。
○○○○
目を覚ますと、そこは見覚えのある執務室だった。窓から差し込む暖かな陽光、風に揺れる木々の音、そして机の上にうずたかく積まれた書類。里創設時に何度も見て、何度も立ち向かったあの景色だ。かつて柱間と共に夢見た、平和な里の風景がそこにあった。
その時、入り口の扉が静かに開き、一人の人物が姿を現す。
「兄さん」
掛けられたその声に、マダラの背筋がわずかに凍りついた。振り返れば、そこにはかつて戦場で死んだはずの弟イズナが、戦装束ではなく平服を纏い、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「何をぼんやりしているの? 柱間が待っているよ。会談の最終確認をするんだろう?」
イズナが生きている。それどころか、イズナが生きている歴史のまま、木ノ葉隠れの里が創設されている。
(これが俺の思う幸せな世界か)
マダラは胸の奥で、苦い嘲笑を漏らした。何より、かつて己自身が世界にかけ、そして破滅した「あの術」と、あまりにも同じ気配。
(マレウス・ドラコニア……貴様の選んだ道はこうか)
マダラは一瞬で悟った。これはマレウスが創り出した理想の夢の世界だ。そして、この夢の世界に違和感を抱き、「ここは夢だ」と明確に認識して拒絶すれば、この世界の「主」であるマレウスに即座に察知される。無理に夢を打ち破ろうとすれば面倒な衝突は免れない。
(厄介ごとは面倒だ。わざわざ他人の創ったぬるま湯の夢に付き合う気も、説教してやる義理もない)
マダラは表情一つ変えず、いつも通りの不機嫌そうな面持ちで立ち上がった。
「兄さん?」
不思議そうに首をかしげるイズナ。その姿、声、匂い、眼差し――どれをとっても完璧な「イズナ」だった。マレウスはマダラから聞いた過去の断片から、マダラが最も望むであろう「幸せな現実」を精巧に構築したのだ。
その完璧すぎる幻影を前にして、マダラの胸に冷たい愛おしさと、それ以上の虚無感が満ちていく。
「……いや、何でもない。少し考え事をしていた」
マダラは素っ気なく答えると、自然な動作で「影分身の術」を発動させた。マダラの隣にもう一人のマダラが現れる。
「影分身……? どうしたんだ急に」
「急ぎの用を思い出した。こちらの仕事を分身に任せる。会談には、この分身を向かわせる」
「えっ? でも、兄さん自身が行かないと柱間も……」
困惑するイズナに対し、本体のマダラは腕を組む。影分身が行動するということは、本体の行動は監視しずらい。だが、偽物なら、本物に成ろうとする。だから、マダラの言葉は絶対に従うはずだ。
「オレにはオレの仕事がある。……イズナ、お前はこの分身と共に執務を進めろ。何か非常事態が起きれば、分身を通じてオレに連絡を寄こせ。いいな?」
「あ、うん……わかった。兄さんがそう言うなら」
イズナは少し不満そうにしながらも、素直に頷いた。影分身のマダラは静かにイズナの隣に寄り添い、「行くぞ」と声をかけて部屋を出ていく。イズナがそれに続いて執務室を後にした。
残された本体のマダラは、静まり返った部屋で一人、窓の外の「作りものの街並み」を見つめた。
(偽物の弟と、平和な里か。……マレウスの奴、気回しのつもりか)
いくら本物と見紛う姿であっても、目の前にいるイズナはマダラの記憶が作り出した幻影に過ぎない。自分を救うために目を与え、死んでいった本物のイズナを、こんな都合の良い夢で上書きするなど、マダラのプライドが許さなかった。
(だが、オレにはこの場所は相応しくない)
マダラは静かに窓枠に手をかけ、影のように躍り出た。目指すのは、里の外。この夢の世界の境界、あるいは外縁。
夢を管理するマレウスの監視の目を潜り抜けながら、この茶番劇の成り行きを静観するため、マダラは気配を消し、賑やかな里の喧騒から離れて闇へと消えていった。