「兄さん、ごめん遅れた」
軽やかで聞き覚えのない声が通りに響き、一人の青年が少し息を切らせて駆け寄ってきた。殺伐とした戦装束ではなく、穏やかな木ノ葉の日常に溶け込むような平穏な日常着を身に纏っている。その顔立ちにはマダラによく似た面影を残しつつも、柔らかく優しい笑みを浮かべていた。
「構わん」
マダラは腕を組んだまま素っ気なく答えたが、その黒い瞳の奥には、弟に向けられた確かな愛惜と柔らかさが宿っていた。イズナは息を整えると、柱間と、その後ろに佇む見慣れぬ衣服を着た一行へ興味深そうに視線を巡らせる。
「それで、その者たちは?」
「外の国の学生だそうだ。どうにも柱間も知らん者たちだ」
「珍しい。今じゃ柱間を知らない人なんて居ないと思った」
「まあ、五大国の出身じゃないからそうだろうな。……紹介する、弟のイズナだ」
「うちはイズナだ」
自ら名乗ったその少年の顔と名に、シルバーとセベク以外の一同の息が止まる。聞き覚えのある歴史上の名前に、思わず大声を張り上げそうになるのを必死で堪えた。
(死んだはずのマダラ氏の弟……! この夢の世界では、当たり前のように生きているのか……)
イデアの頭の中に、ナイトレイブンカレッジの寮長会議で何度か耳にした記憶が不吉な影を落とす。イデア自身が弟オルトを失い、大切な肉親が生きて存在する理想郷の投影。この夢が持つ甘美さと、それゆえの恐ろしい残酷さがあった。
そんな重苦しい思考と緊張感が場を支配し、全員が固まっていたその時。
ぐぅぅぅ、と実に盛大な腹の虫の音が、静まり返った街頭に響き渡った。音の根源は、背筋をピンと伸ばして仁王立ちしていたセベクの腹だった。
「ッ……! ぼ、僕じゃない!!」
顔を真っ赤にして叫ぶセベクに対し、柱間は緊張感を吹き飛ばすように豪快に笑い飛ばした。
「ははっ、腹が減っているのか!」
「違う! 断じて違う!!」
むきになって言い返すセベクの横で、グリムがペタペタとお腹を押さえながら、これ幸いと溜め息をつく。
「たしかにオレ様、リリアの夢の時から飯から時間がたっているんだぞ……お腹と背中がくっつきそうだゾ」
セベクの必死な意地とグリムの切実な訴えに、柱間は温かな眼差しで微笑み、気さくに提案した。
「なら、よかったら食事はどうだ?」
「やったー!」
グリムが歓声をあげて跳ね起きる一方で、シルバーは旅の礼儀として申し訳なさそうに軽く手を振ってみせた。
「すまない、お言葉は嬉しいが生憎持ち合わせがない。見知らぬ俺たちにご馳走になるわけには……」
「なら、俺が代金を出す。お前たちのことをもっと聞きたいぞ!」
心からの親切心でドンと己の胸を叩く柱間だったが、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、マダラが心底呆れ果てた顔で割り込んだ。
「柱間、この間賭博ですられて、手持ち少ないだろうが。……俺が出す」
「えっ、あ……いや、それはその…」
図星を突かれた柱間が分かりやすくタジタジになると、マダラは呆れ混じりのため息をつきつつも、どこか誇らしげに懐を叩いた。
「よっし、それなら決まりぞ! マダラの奢りとなれば、うまい飯屋にいこう」
柱間が気を取り直して拳を高く突き上げると、マダラは「勝手に店を決めるな」と吐き捨てつつも、どこか口元を緩めて弟と共に向き直り、歩き出した。
マダラを最優先で覚醒させるための潜入任務中でありながら、成り行きで「忍の神」と「うちは一族の長」の兄弟に飯を奢られることになったシルバー達。通信越しのイデアの「マジでカオスな展開になってきたんですけど……」という頭を抱える頭痛混じりの呟きを聞きながら、一同はその後を追った。
〇〇〇〇
暖簾を潜って定食屋の引き戸をくぐり抜けると、店内には昆布と鰹の奥深い出汁の香り、炊きたてのご飯が放つ芳醇な湯気が優しく立ち込め、鼻腔をくすぐった。格子窓から差し込む陽光の中、厨房の店主が目を丸くして驚きつつも、明るい声を上げる。
「あら、火影様にマダラ様、イズナ様まで丁度扉間様もいますわよ」
奥の卓の端に腰かけ、厳めしく腕を組んでいた白髪で赤目の男が、どこか呆れたように眉根を寄せた。
「やはりここに来たか兄者」
「と、扉間!?」
(兄者ってことは……あの見るからに厳格そうで怖そうな男が、柱間氏の弟か……!)
柱間が気まずそうに肩をすぼめて身を縮こまらせると、扉間は低い声を響かせた。
「食事処で説教はせん。それと、マダラ兄者を甘やかすな」
「俺に言うな」
マダラは素気なく吐き捨てると、視線を明後日の方向へと逸らす。その横でイズナが間髪入れずに身を乗り出し、兄を庇うように言葉を重ねた。
「そうだ。兄さんは悪くない」
迷いのないイズナの態度に、扉間は冷ややかな眼差しを向け、そのまま一行に同行していた異世界の面々。シルバーやセベク、グリムたちへと鋭い視線を滑らせる。
「イズナ、貴様……そこの者は知り知り合いか?」
見たこともない異国の服装、さらには二足歩行で喋る青い炎を纏った猫のような生き物を目にし、扉間は疑念を込めて目を細めた。
「いや、どうも五大国以外の者でな、興味があり俺が連れてきた」
柱間が柔らかい笑みをたたえて間に入ると、扉間は深く追及することはせず、案内された木目調の大きな卓へ全員が腰を下ろすと、店員から手渡された品書きを一同で覗き込む。
しかし、そこに並ぶ縦書きの独特な筆文字や見慣れぬ献立を前に、シルバーやセベクは困惑を隠せず、思わず首をひねった。
「なんと書いてあるんだ?」
文字の壁に突き当たり、品書きを前に固まる一同の様子に気づいた柱間が、身を乗り出して気さくに手を差し伸べる。
「文字が読めないのか?シルバー嫌いなものはあるか?」
「いや、特には」
「無難な定食がよいでは無いだろうか」
「では、それにしよう」
柱間の温かな心遣いに感謝しつつ、シルバーは素直に首を縦に振って定食を選んだ。続いて、マダラが品書きを見ることすらなく、手慣れた様子で注文を口にする。
「いつもの稲荷寿司で良いか」
「俺も兄さんと同じでいいかな」
マダラとイズナが迷いなく頼んだその料理名を聞きつけ、セベクが不思議そうに眉をひそめた。
「稲荷寿司?」
「知らないのか?」
イズナが驚いたように目を丸くすると、マダラが静かに解説を始める。甘辛く煮詰めた油揚げの中に、酢と砂糖で味付けしたご飯を詰めた和食であり、稲荷神の使いである狐の好物に由来しているという言葉を聞き、セベクは深く感じ入ったように深く頷いた。
「伝統と意匠が込められた料理か ならば僕もその『稲荷寿司』というものを頂こう」
セベクがいなり寿司に強い興味を示して注文を決め、その横でグリムが自分のお腹を撫でながら勢いよく声を上げる。
「オレ様はシルバーと同じやつにするんだゾ!」
お腹を空かせたグリムの正直な反応に一同の口元が緩む中、柱間がふと目線を下げ、隣に佇む小さな機械人形へと優しく問いかけた。
「オルトは食事は必要か?」
「僕は食事が必要ないから大丈夫だよ!」
オルトは愛らしい笑顔を浮かべて首を振ると、店内の和やかな空気や運ばれていく料理の熱源データを物珍しそうに記録する。料理が運ばれてくるまでのわずかな時間、卓を囲む一同の間で自己紹介と会話が交わされた。
「改めて自己紹介を俺は千手柱間で、隣が弟の扉間だ。それで、うちはマダラと弟のイズナだ」
二人の言葉に続いて、異世界から来た面々も順に名乗りを上げていく。
「俺はシルバーだ。こっちがセベク・ジグボルト。グリム、そして、オルト・シュラウドと機械越しだが、イデア・シュラウド先輩だ」
「機械人形か、変わった技術だな」
「この里は機械はないの?」
オルトの無邪気な問いかけに、扉間が顎に手を当てて思考を巡らせる。
「他里で傀儡人形の戦闘するものはあるが、ここまでのものは初めて見る」
「それはうれしいなー!ねっ!兄さん」
「オルトー話振らないで―」
タブレットの画面越しに慌てるイデアの声が響く。しかしオルトは悪びれもせず、嬉しそうに胸を張った。オルトは扉間の手腕は口からきいて優秀な人物だと、分かっていた。夢でも素直に喜べる言葉だ。
「だって、兄さんすごいのは事実じゃん!」
そのやり取りを静かに見守っていた柱間が、オルトへと目線を下げて尋ねる。
「イデアがオルトを作ったのか」
「あ、そうです」
イデアは普段から人と話す機会もない。ましてや素直に褒められることなんて、尚更だ。それ故に素っ気ない回答になる。
「オルトよ、イデアはこの機械の中に居るのか?」
「違うよ、別の部屋で通信越しで話しているんだ」
忍の世界にまだない機械通信という概念に驚きつつも、扉間は端末の構造と技術の精度を見極めるように目を細めた。
「これほどの技術をその若さで、成し遂げるとはな」
「どうした扉間、術の開発のヒントを探しているのか」
柱間が笑いながら突っ込むと、扉間は真面目な顔を崩さずに答える。
「まだ、里の基盤は出来ていないから使える術はあれば良いだろう」
「術をつくれるのか?」
シルバーが少し驚いたように問いかけると、柱間は我が事のように誇らしげに頷いた。
「あぁ、扉間は術の開発は秀でてるぞ」
「術の開発と言っても、無から生み出すわけではない。チャクラの性質変化と形態変化を組み替え、理論を構築する作業だ。例えば……影分身の術などは、己のチャクラを均等に分配し、実体を持つ分身を作り出す」
「均等に分配……!? 実体化させるということか!?」
セベクが目を丸くして身を乗り出す。その理論的な解説を聞き、端末の画面越しにイデアのオタク特有の早口が飛び出した。
「いやいやちょっと待って、それ凄まじい計算量とコントロールが必要でしょ! ケイト氏のみたいなことを一般技術として体系化してるの!?」
「兄さん、落ち着いて……。でも、確かに僕たちのギアの制御理論や魔導回路の分配にもすごく参考になりそうだよ」
オルトが興奮気味に瞳のレンズを収縮させる。その純粋な知的好奇心に、扉間は静かに頷き、わずかに研究者としての深い眼差しを向けた。
だが、そうやって異世界の技術と忍の知恵について熱心に語り合う雰囲気を、冷ややかに遮る存在があった。マダラが手にしていた湯呑みを卓へ静かに置くと、陶器の底が固い音を立てた。
「……相変わらず理屈をこね回すのが好きな男だ」
「お前が感情的なのだ。マダラ」
温度のまったくないマダラのつぶやきが、賑やかになりかけた食卓の隅に低く落ちる。
(……マダラ氏、扉間氏への嫌悪感が隠せてなさすぎるでしょ。画面越しでも空気が凍りつくのが分かるレベルなんだけど……)
NRCで数多の人間関係の歪みを見てきたイデアは、マダラの醸し出す刺々しい空気から、二人の間にある根深い過去と葛藤を察する。
(もしかしてマダラ氏、扉間氏のことめちゃくちゃ嫌いなのでは?)
画面越しに空気を観察していたイデアは、人の業や悪意が渦巻く環境で生きてきた。マダラが隠し持つ負の感情の波長を察知するのは容易かった。それは単なる犬猿の仲といった軽いものではなく、拒絶だ。
「兄さんの気持ちもわかるけどね。扉間の時空間忍術『飛雷神の術』は、理屈と理論の塊だからこそ厄介だよね。術式を付けた標的へ一瞬で転移するなんて、敵じゃなくて本当に良かった」
イズナが何気なく口にしたその言葉が出た瞬間、マダラが手にしていた湯呑みにメキメキと微かな力が入り、陶器の表面が軋んだ。マダラの瞳の奥に、一瞬だけ暗雲が過る。
(あ、ヤバ……イズナ氏の何気ない一言でマダラ氏よ雰囲気変わった?)
イデアが深まる疑惑に背筋を凍らせていると、幸いにも奥の厨房から出汁の心地よい香りが漂い始め、温かなお膳が運ばれてきた。
運ばれてきた定食には、色鮮やかな季節の野菜を中心とした小鉢がいくつも並び、主菜と汁物、が見事に調和している。栄養のバランスが絶妙に整えられた料理に、セベクは感動したように目を輝かせた。
「深みと素材を活かした素朴な味わい……! 誠に見事な献立だ!」
「全部うまいんだゾ! おかわりはないのか!」
グリムが口いっぱいに頬張りながら声を上げる横で、柱間が豪快に笑う。
「たんと食え! メシを美味く食えるのが一番だ!」
「兄者、少しは落ち着いて食えと言っているだろう」
「まあまあ、扉間。くらい良いじゃないか」
扉間の小言を柱間がいなし、マダラは無言のまま静かにいなり寿司を運ぶ。その賑やかな食卓の光景と、様々な要素が調和した料理のデータを、オルトは記憶機能にインプットして楽しんだ。
お膳を綺麗に平らげ、一同は席を立った。温かな湯気と満足感に包まれた定食屋の暖簾をくぐり、爽やかな風の吹く屋外へと出ていく。
「食事に感謝する」
「いや、オレも外の国は有意義な時間であった」
「本当にありがとう!この国の文化はとても参考になったよ」
各々が穏やかな微笑みを浮かべ、食卓を共にしたことへの礼を口にする。マダラとイズナ、そして扉間も、どこかすがすがしい表情で歩みを進めようとしていた。
その時、柱間がふと足を止め、一同の背中に向かって落ち着いた声をかけた。
「扉間、マダラ先に火影邸へ戻ってくれないか?」
「はぁ、早くもどれよ柱間」
呆れたように溜め息をつくマダラに続いて、扉間も兄の思いつきに釘を刺すように振り返る。
「兄者くれぐれも遅れるでないぞ」
「わかっている」
柱間が豪快に手を発破をかけるように振ると、扉間たちは怪訝に思いつつもそれ以上は追及せず、火影邸の方向へと足早に去っていった。
去り行く三人の背中が街並みの奥へと消え、完全に気配が遠のいたその瞬間。柱間の周囲に漂っていたどこか呑気で大らかな空気が、潮が引くように消え去った。
「さて、この夢について説明してもらおうか」
風が暖簾を揺らす音だけが響く静寂の中、柱間は一同を射抜くように見つめ、はっきりと告げた。