「さて、この夢について説明してもらおうか」
柱間の低く重厚な声が、静寂を切り裂いた。その声音には、先ほどまでの豪快さは微塵も感じられず、ただ静かな圧迫感だけがあった。
その瞬間、あたりの空気が一変したのを、シルバーたちは肌で感じた。全身の皮膚が粟立つような威圧感に気圧され、シルバーとセベクは反射的に身を構える。
「まさか、闇が来るのか……!?」
セベクが、緊張で声を上ずらせながら、周囲に視線を走らせる。本来、夢の主の領域を犯せば、その深層心理から生まれた「闇」が湧き出し、侵入者を悪夢の底へと引きずり込むはずだった。いまにも押し寄せるであろう異形を待つ。だが、いくら待っても禍々しい気配は一向に現れない。
「……何も来ない」
シルバーが、微かに眉をひそめて呟いた。拍子抜けというよりは、あまりの異質感に不気味さを募らせる。そんな彼らの戸惑いをよそに、柱間は静かに、そして淡々と告げた。
「ふむ、やはりマダラが夢だと、発言しない限り、脅威は来ないみたいだな。マダラも気付いていそうだ」
「え……?」
グリムが目を丸くする。マダラも気づいているとはどういう意味なのか。一同が困惑に口をつぐむ中、柱間は微かに目を細め、衝撃の事実を口にした。
「さっきお前達と話したマダラは影分身の偽物だ」
「な……! だが、あのマダラには光る鳥が飛んでいた」
夢の主の証である光る鳥。マレウスの魔法によって「夢の主」として定められた者に寄り添うはずの導きの光が、確かにあのマダラの周囲を舞っていた。
シルバーはそれこそが本物の証拠だと叫ぶが、柱間は一揺らぎもしない瞳で、それを明確に「偽物」と言い切った。本物のマダラのチャクラを知る彼だからこそ見抜ける眼光だった。
「木遁・木分身の術」
柱間が胸の前で印を結ぶと、足元の床から木々が蠢くように組み上がり、瞬く間に彼と寸分違わぬ姿の分身が立ち上がる。
「悪いが分身よ、火影邸で扉間とマダラを目眩ましてきてくれぬか」
「あいわかった」
木分身は深く頷くと、影のように疾風のごとく去っていった。その恐ろしいほどの手際を見届けた後、柱間は改めて目の前の一行に向き直る。イデアが引きつった声を上げた。
「それで、なんでここが夢だと分かっているの?」
「知っているも何も、見ていたからな」
柱間は遠くを見つめるように目元を緩めた。その瞳には、すでに失われたはずの膨大な時間の重みが宿っている。
「オレも死んでもう何十年も経つ。……だが、突如気づいたらこの空間にいたんだ。最後にマダラと会ったのも、戦友として盃を交わす約束をしてからだ。しかし、マダラはいつまで経ってもこちら側へは来なかった」
柱間の静かな告白に対し、シルバーたちは思考を追いつかせようと必死だった。現世で巡り会ったマダラは、確かに命ある肉体を持って生きていた。だが、柱間は「黄泉の国」でずっと彼を待っていたというのだ。矛盾する時間の流れに一同が黙り込む中、柱間は話を続ける。
「お前たちは先ほど若いマダラを見て驚いていたようだが、あれが本来のマダラの姿だ」
「じゃぁなんで、若えんだ? 現実のマダラはもっと若いはずだゾ」
グリムが首をかしげ、不思議そうに尋ねる。学園で出会ったマダラは、若々しい肉体を持っていた。その問いに対し、柱間は痛みを堪えるように静かに答えた。
「マダラは、オレが殺したからだ。だから、お前たちが知っている姿になることは絶対にない」
衝撃の事実に、その場の空気が凍りついた。親友と呼び、先ほどまで「水切り仲間」だと笑い合っていた男の口から出た「殺した」という言葉。シルバーは息を呑み、言葉を失う。
「マダラは里を滅ぼすためにオレに戦いを挑んできた。里を守るかマダラを殺すかという選択を迫られ……友をこの手で殺めた」
語られる過去。柱間の肩が重く落ちるのを見つめながら、イデアは端末越しにそっと喉を鳴らした。全てのことがようやくつながった。そのことはオルトも考えがついていた。
「マダラさんが、里に反逆した理由は、イズナさんが亡くなったからだよね?」
「な……!? なぜだ、生きていた姿だったではないか!」
セベクが納得いかないように声を荒げる。先ほど見た光景は、ぎこちなくも兄を庇い、和やかにしていたあのイズナが嘘だったというのか。セベクの困惑に対し、イデアは自虐混じりのため息をついた。
「ほんと、マレウス氏のやる事は残酷っすわ。この里は柱間氏とマダラ氏が作った和平の象徴……。さっき扉間氏とマダラ氏の仲が悪かったのも、柱間氏の前だから抑えていただけ」
イデアの観察眼と洞察力が、忍たちの歴史の裏に隠された血みどろの因縁を正確に手繰り寄せていく。
「扉間氏が、イズナ氏を殺したんだよね?」
重い沈黙が流れた。柱間はゆっくりと目を伏せた。その瞼の裏には、いまもあの戦場の惨劇と、弟の命を奪われて狂気に落ちていく友の顔が焼き付いているのだろう。手が痛々しく握りしめられ、指先が白く変色していく。
「そうだ。千手とうちはは長く争い続けていた。そしてマダラはイズナが亡くなった後、イズナの眼を移植して『永遠の万華鏡写輪眼』を得てオレの前に現れた」
「永遠の……万華鏡写輪眼」
シルバーはその禍々しい眼の名称を反芻し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。肉親の眼と引き換えに得られる強大な力。そんなものが存在すること自体が、彼らの生きた世界の凄惨さを物語っていた。
「壮絶な戦いの末、マダラは倒れた。争いを終えるためにオレは、マダラにどうするべきか聞いた。その際、オレ自害してが死ぬか、あるいは扉間を殺すかという選択を突きつけたんだ
「オレは自害しようとしたが……マダラはそれを止めてくれた」
「それで、二人の念願だったこの里ができた……」
イデアの静かな言葉に、柱間は力無く頷く。愛する弟を殺した仇の兄と手を組み、夢見た和平の里を創り上げたマダラ。だが、イデアはその美談の裏に潜む決定的な破綻を、容赦なく突き付けた。
「でも、蓋を開けてみればマダラ氏は一族の危機を察したはずだ。扉間氏は里の未来に考えの重きを置く。リアリストだね」
画面の向こうで、イデアは自身の胸に手を当てるようにして吐き捨てた。嘆きの島の番人として、背負わされ続けてきたシュラウド家としての、苦々しい共感が滲み出ている。
「……気持ちは分かるよ。システムや組織を維持するためなら、時に個人的な感情を切り捨てて冷酷な最適解を選ばなきゃならない。扉間氏の合理主義は、組織のリーダーとしては正解だ」
イデアの自虐的な呟きに、オルトは静かに頷き、補足するように音声を重ねる。
「うちは一族の写輪眼は、強烈な感情の波によって力が増強される……つまり『愛する者を失った時』に発動する呪いみたいなもの」
「愛情が深ければ深いほど、失った時の絶望に堕ちる」
シルバーは愛という言葉を重く受け止めていた。マレウスの母、リリアや多くの妖精族の命を奪った夜明けの騎士の息子。だが、リリアはシルバーに愛情を注がれ、立派に育った。
その愛が悲しいだけのものなら、どれだけの想いをマダラは背負ったか、想像するだけでも、気持ちに共感してしまう。
「危険な爆弾があるなら、爆発しないように管理・隔離する。それが政治でありリスクヘッジ。僕たちの嘆きの島みたいなものだよ」
イデアは重苦しく首を振った。組織の安寧のために「呪われた力」を警戒し、危険因子を抑え込もうとした扉間のロジック。
それはまさに、世界の破滅を防ぐために害意と呪いを隔離し続けてきた自分たちシュラウド家の苦渋の歩みそのものだった。
「だからこそ、扉間氏のやり方は間違っちゃいない。だけど、それがうちは一族にとっちゃ、あまりにも救いがない残酷な現実だったってわけだ」
オルトの切ない呟きに、イデアが画面の向こうで深く頷く。
「イズナ氏が死んだ後に里が完成したって、マダラ氏にとって一番大事な家族はどこにもいない。一族の未来も明るくないと察したなら、絶望するのも無理はない」
イデアの言葉は冷徹な分析でありながら、当事者の痛みを誰よりも知る者ならではの真理を穿っていた。
シルバーは静かに拳を握りしめる。マダラという男の生き様は、国や世界を護るためなどという大層なものではなく、ただ一人大切な者を愛し抜こうとした結果の悲劇だったのだと理解した。
セベクもまた、主君であるマレウスを何よりも重んじる己の心と重なる部分を感じ取ったのか、苦々しい表情で視線を落とし、唇を噛み締める。
「そんなこと……許されることではない」
セベクの掠れた言葉は途中で途切れた。誰かを強く想うことが、なぜこれほどの悲劇を生むのか。セベクには答えが出せなかった。その重苦しい空気の隙間を縫うように、イデアが静かに話を引き取る。
「人は感情があるから、争いは決して消えない。……でも、だとしたら解せないんだよね」
画面の向こうで、イデアの瞳が思考の海へと深く潜っていく。
「この夢は、イズナ氏も一族の平和も全部揃った『マダラ氏の理想の世界』のはずだ。なのに肝心のマダラ氏本人がここにいないんだ?」
イデアが提示した最大の謎。イズナが生き、柱間と笑い合い、何不自由ない平和が用意されたこの世界。マダラが最も望んだはずの「都合の良い夢」のただ中に、なぜ当の本人が存在しないのか。
「この世界に導かれ、生きる希望も、野望すらも失ったのだろう」
柱間の言葉が、夜の静けさの中に重く落ちた。その声音には、友の魂の底に横たわる深い失望と諦解を忍ばせている。
「この夢の世界にいてもマダラが心から浸れないのは……『自分はこの温かな世界で暮らす権利などない』と、そう自分に言い聞かせているからに思えるのだ」
過ちを犯し、最愛の弟すら護れなかった己に対する、暗い罰。友が自らに課したその無形の檻を悟り、柱間は寂しげに目元を歪めた。タブレットの向こうで、イデアが頭を抱えに声を荒げる。
「いやいや……なんかマダラ氏って、不器用というかクソ真面目というか……屈折しすぎてて拗らせ方の癖が強すぎるでしょ……! 理想郷に放り込まれておいて『自分には幸せになる資格がない』とか、どんだけ自分を痛めつければ気が済むわけ!?」
「マダラがこの場に居ない理由は納得がいった」
シルバーが深く頷き、静かに腕を組んだ。そして、この空間の法則を根底から覆しているもう一つの異質。目の前に佇む「千手柱間」という存在へ、真摯な視線を向けた。
「しかし柱間殿。なぜ貴方はこうもはっきりと己を保ち、夢の中で自立していられるんだ? 夢の主でもない死者の魂が、自我を失うこともなく現実の記憶を持って存在し続けるなど……マレウス様の魔法の理からしても、本来ならあり得ないはずだ」
「ふむ……これはオレの憶測でしかないのだがな」
柱間は己の大きな手のひらを開き、そこにある肉体の感触を確かめるように静かに呟いた。
「恐らくオレの『細胞』が影響しているのだと思う」
「細胞?」
オルトが首をかしげ、柱間の生体波形やエネルギー密度を解析しようとするが、ホログラムに表示される数値は乱高下を繰り返し、エラーログを吐き出し続けた。通常の人間とも魔法士とも異なる、文字通り生命力の奔流としか形容できない反応だった。柱間は困ったような苦笑いを浮かべながら、説明を続けた。
「どうにもオレの細胞というのは自己主張が激しくてな。他者に移植して適合すれば、絶大な治癒能力や木遁の力を与えることができる。だが、適合しなければ命を落としたり、拒絶反応を引き起こしたりと……実に厄介な代物でな」
一同の顔色が急速に失われていく。忍の肉体構造としてはあまりに規格外かつ危険すぎる説明に、柱間はそんな戦慄にも気づかない様子で、淡々と事実を述べる。
「マダラはオレとの戦いで、オレの肉片を噛みちぎり、己の傷口に移植して適合させた。もし、マダラの身体に細胞が健在なのだとしたら」
柱間は胸元に重厚な手を当て、深く思いを巡らせる。その瞳の奥には、死線を幾度も潜り抜けた者だけが持つ確信の光が宿っていた。
「マレウスの力と、マダラの体内に残るオレの細胞……いや、チャクラが強く引き合った結果、黄泉の国にいたオレの魂が、この空間へ引っ張り出されたという可能性がある」
「いやいやいや! ちょっと待って何それ!? さらっと超危険バイオアイテムみたいなこと言ってるの!?」
イデアが画面を割らんばかりの勢いで叫んだ。最初は忍の世界の理屈か何かだろうと静観していたイデアだったが、最後までしっかり説明を聞いてみたら、想像の枠を遥かに踏み越えた狂気の代物だった。
あまりの常識外れぶりに、普段なら人目を気にしてボソボソと喋る人見知りの陰キャであることも完全に失念し、脳内の思考と叫びが爆発する。
「死んだ後も他人の体内で細胞が自己主張して、概念を超えて魂まで引き寄せるとか、ホラーどころの騒ぎじゃないでしょ!? 忍術っていうか完全に特異体質! 遺伝子レベルで執着し合って引き戻されるとか、どんな因縁の結びつき方してんのさ!? 怖い! 怖すぎるって千手柱間ァ!!」
この状況を論理的に理解しようと、しているイデアに対して、当の柱間は、そんな彼の狂乱ぶりにもどこ吹く風で、腕を組んであっけらかんと首をかしげた。
「ふむ……オレにも謎なのだ」
「謎なのだ、じゃないでしょ!? 自分の細胞でしょーが!!」
画面の向こうで壁に頭を打ち付けんばかりに頭を抱え、絶叫するイデアの情緒は完全に崩壊していた。
「もぉ〜…な〜んでマダラ氏は、そ超重要事項をいっつも言わないで黙ってるのさぁ!? 報告・連絡・相談の概念なさすぎでしょあの男! マジで勘弁してほしい」
「まあ、でも……」
オルトは状況のデータを更新し、静かに言葉を繋ぐ。イデアのパニックを長年見慣れた様子で軽やかに受け流すその仕草は、どこか手慣れていた。
「これはマレウスさんにとっても、完全に想定外の事態だと思うよ。夢の主であるマダラさん自身の深い自罰的拒絶と、柱間さんの持つ異質な存在。この二つの事象が特殊すぎて、夢を維持しようとする『闇』の防衛本能すら、柱間さんの存在に追いついていないんだ」
「ふな〜っ! オレ様、もう何がなんだかさっぱり分からんぞ……! 生きてるとか死んでるとか、細胞がどうとか頭がパンクするんだゾ!」
頭を抱えてぐるぐる目を回すグリムの横で、シルバーとセベクは気を引き締めるように鋭い目配せを交わした。
歪んだ理想郷の構造、解き明かされた真実の先にある「本物のマダラ」の居場所へ向け、一同の空気はより一層張り詰め、静かな決意へと変わっていった。