木ノ葉隠れの中心を後にし、一同は果てしない広野へと歩みを進めた。穏やかな風が吹いていた里の空気は次第に失われ、歩を進めるごとに荒涼とした静寂が周囲を包み込んでいく。どれほど時間が経っただろうか。偽りの太陽がゆっくりと傾き、影が長く伸びていく中、先頭を歩く柱間が足を止めた。
「さぁ、もう着くぞ」
柱間の声に導かれ、一同は果てしない広野の只中へと踏み入った。何もない枯れた風が吹き抜ける中、セベクが周囲を見回して眉をひそめる。
「かなりの距離があったな。だが柱間殿、ここはただの平地ではないか? 」
荒涼とした大地が広がるばかりの風景。何かの手掛かりがあるとは思えないその場所で、柱間だけが確かな確信を込めて歩みを止めた。
「マダラ……やはり、この谷にいたか」
「何を言っているんだ。谷なんてどこにもないだろう!」
セベクが困惑混じりに声を上げる。オルトの光学センサーも広大な水平線を捉えるのみで、地形の落差などはどこにも検知していない。疑問を抱く一同に対し、柱間は寂しげな視線を足元に落としながら静かに答えた。
「本来なら、ここはオレとマダラが戦ったときに……『谷』ができる場所だからな」
二人を分かち、歴史に刻まれるはずだった決絶の地。しかし、戦いのないこの理想郷において、大地を裂くほどの激闘は起こらなかった。ゆえに眼前にあるのは、深淵なる谷などではなく、虚無のようなただの平地だった。その平地の真ん中で、一人空を見上げている男の姿があった。
「お前も気づいていたか。この夢の空間に」
マダラは振り返りもせず、仰向けに寝そべったまま、果てしない偽りの空を見つめて呟いた。その声には覇気もなく、ただ底なしの虚無だけが漂っている。
「柱間さんから話は聞いたよ」
通信越しにイデアが静かに音声を乗せる。マダラはゆっくりと振り返ると、漆黒の瞳でシルバーたちを鋭く見据えた。
「何しに来た。オレをあのマレウスとやらを止める戦力として呼んだのか?」
「それもそう。でも、言ったでしょ? あなたのことをもっと知りたいって」
オルトが静かに歩み出る。マダラは自嘲気味に鼻で笑い、関わりを拒むように視線を冷ややかに背けた。
「余計な真似を」
だが、シルバーはゆっくりと一歩前へ踏み出し、決して引き下がらなかった。拒絶されてもなお、この男を虚無の暗い夢の中に一人きりで残していくわけにはいかない。過去の因縁に縛られ、消えない罪悪感に苛まれ続ける痛みを誰よりも知る者として、シルバーは胸にそっと手を当て、噛み締めるように言葉を紡ぎ始めた。
「俺は……マレウス様の御両親の仇の息子だ」
「シルバー!?」
セベクが叫ぶ。あまりにも重すぎる自身の血脈。セベクは咄嗟にシルバーの肩を掴んで制しようとしたが、シルバーは静かに力強く首を振った。
「いいんだ、セベク」
シルバーはマダラから目を逸らさず、静かな熱を込めて語りかける。
「俺には……マダラが背負うその孤独と痛みが、どうしても他人事には思えないんだ」
マダラの眉がかすかに動く。シルバーは、己の内に眠る苦悩を一つひとつ確かめるように言葉を重ねた。
「親父殿……リリア様は、敵の息子である俺を今まで深い愛で育ててくれた。……それはただの情じゃない。憎しみを超えた、その先の未来を信じてくれたからだ」
一呼吸置き、シルバーはまっすぐな瞳でマダラを見つめた。
「過去の悔恨に囚われたまま、自分を責め続ける必要はないはずだ。自分の宿命から逃げずに親父殿やマレウス様をお救いしたい。今を生きる人々の未来を守るために戦う。だから……マダラ」
視線に溢れんばかりの意志を込め、シルバーは最後に固く告げた。一言一言、噛み締めるように力強く言葉を落とす。
「お前を、こんな孤独な場所で一人きりになど絶対にさせない!」
「マダラ! お前だって本当は分かってるはずだゾ! 一緒に来てほしいんだゾ!」
グリムが短足をふんばり、胸を張って必死に声を張り上げる。熱を帯びた彼らの真摯な叫びを受け、マダラはどこか遠くを見るような目をしながら、力なくみを浮かべた。
「分かっているさ。オレは死んではいない。こうして命を得て、今は生きている……」
マダラは胸元に静かに手を当てた。そこには脈打つ鼓動があり、生身の温もりが存在する。しかし、その温もりこそが彼にとって何よりの毒だった。マダラは己の掌を見つめ、静かに、そして静かに呟いた。
「だが……オレだけが生き、温かな理想に浸るなど、イズナが許さないだろう?」
最愛の弟を失い、一族を遺して生き残ってしまった己自身への許しがたい自罰。どれほど甘やかな夢を見せられようと、彼自身が心に鋳造した「罪の檻」からは、決して出ようとはしなかった。マダラの言葉に応じるように、あたりの空気が一変した。空が黒く濁り、足元の平地から「闇」が溢れ出していく。
「――っ、この反応は闇だ!」
タブレット越しにイデアの警戒の声を張り上げる。黒い泥のような闇は渦を巻き、やがてマダラの目と鼻の先で、一人の少年の輪郭を結んでいった。
「あれは……イズナか!?」
柱間が目を見開き、息を呑む。そこに立っていたのは、マダラの最愛の弟、うちはイズナの姿だった。しかしその瞳は昏く淀み、マダラの心につけ込む闇が作り出した残酷な幻影に過ぎない。偽りのイズナは、笑みを浮かべながらマダラへゆっくりと手を伸ばした。
『そうだよ、兄さん……。俺が死んだのは、全部兄さんのせいだ。俺を置いて一人だけ生きて……こんな生温かい現実に逃げ込むことなんて、許すと思う?』
「イズナ……」
マダラはその手を拒むこともせず、ただ吸い寄せられるように一歩を踏み出す。その瞳から生気が失われ、漆黒の闇が足元から彼の身体を侵食していった。
「マダラさん! ダメだ、その手を取っちゃダメだ!!」
オルトが警告音を鳴らし、制止の声を叫ぶ。だが、マダラは自ら闇の深淵へと足を踏み入れるように、虚ろな笑みを深めるだけだった。
「そうだな……お前の言う通りだ、イズナ」
『さぁ、兄さん……もっと深い闇へ行こう』
黒い渦が一気に膨れ上がり、マダラとイズナの姿を呑み込みながら、津波となってシルバーたちへ襲いかかってきた。
「くっ……! 闇が一気に押し寄せてくるぞ!!」
「立ち向かう余地がない! 呑み込まれる!!」
セベクとシルバーが構えるが、広範囲を塗りつぶす泥の奔流を前に後退を余儀なくされる。その絶望的な情景を断ち切るように、重厚な一閃が大地を叩いた。
「木遁・樹海降誕!!」
柱間が両手を合わせると同時に、地中から無数の巨木と太いツタが爆発的な勢いで隆起した。ツタは緻密な壁となって編み上がり、押し寄せる闇を喰い止める。
「な、なんだこの植物の勢いは……!」
圧倒的なスケールの忍術にセベクが目を剥く。柱間は巨木の根の上に立ちし、闇の奥深くへと沈んでいくマダラを見据えながら、後ろのシルバーたちへ叫んだ。
「お前たちは先に行け! 早くマダラの元へ!!」
「でも、柱間殿! あなたを置いていくわけには!」
シルバーが叫び返すも、柱間は一切の迷いなく背中を押し出すように言った。
「オレの細胞と魂はこの空間に繋ぎ止められている! 簡単には消えん! だが、あいつの心が完全に闇に塗り潰されたら……連れ戻せるのは、今を生きようとするお前たちの言葉だ!」
「……わかった! 行くぞ、皆!!」
シルバーの決断にセベクとグリムが続き、一行は柱間が木遁で切り開いたわずかな隙間を抜け、さらに深く、暗く沈んでいく「闇の深淵」へと果敢に飛び込んでいった。
闇の底へとなだれ込むように落下し、視界を塞ぐ黒いモヤが晴れ渡った瞬間、不快な鉄の匂いと、大気を激震させる咆哮が一同の皮膚を叩いた。
目の前に広がっていたのは、見渡す限りの惨状と化した殺伐たる戦場だった。漆黒の装束を纏う「うちは」の忍と、無骨な甲冑に身を包む「千手」の忍たちが、互いの命を削り合う血みどろの死闘を繰り広げている。
「戦場……!?」
セベクが息を呑み、足元を血で染めたぬかるみに踏み止まる。その戦乱のただ中心地に存在感を放つ二つの影が激突していた。マダラと柱間だ。
「あれはマダラか!?」
シルバーが叫ぶと同時に、マダラの手から解き放たれた巨大な炎が大気を焼き尽くす。
「火遁・業火滅却!!」
壁となって押し寄せる猛火に、グリムが思わずシルバーの背中にしがみついた。学園で見てきた火の威力が明らかに違った。あれは本気で殺す威力だ。
「うわぁぁっ! 凄い炎だゾ!」
「気をつけろグリム!」
「どうするんだ! オルト!」
セベクが警棒を構え、轟音の中でオルトへ叫びかける。眼前で繰り広げられる激闘は、一撃一撃が地表を砕くほど凄まじい。
「凄まじい力だ! それで、あのマダラをどうやって引きずりだす!?」
マダラを闇の自罰から救い出すには、この荒れ狂う暴風の中に飛び込むしかない。だがその時、周囲の構造データを高速スキャンしていたオルトのカメラセンサーが、戦場の片隅で激しく火花を散らす「二つのチャクラ反応」を捕捉した。オルトの視線が、主戦場から少し離れた場所へ向く。
「待って!?」
「どうしたオルト!」
「あそこ!」
シルバーがオルトの視線を追い、目を凝らす。そこでは、刀を構えた白い髪の男と、写輪眼を滾らせた黒髪の青年が交戦していた。
「イズナ殿と扉間殿か」
セベクが呟いた瞬間、オルトの演算回路がこの空間の持つ残酷な「意味」を導き出し、そのボディを震わせた。
「まさかこの場所は……」
「これは……イズナさんが亡くなる戦場だ」
「「!!!!」」
シルバーとセベクの顔から血の気が引く。この戦場こそが、マダラを永遠の絶望へと突き落とし、すべての悲劇の引き金となった最悪の記憶の再現だったのだ。
「じゃぁ、イズナのところに行けばいいのか!?」
グリムが叫ぶ。一刻の猶予もない。扉間の刃がイズナを貫けば、マダラは再び完全な暗黒へと沈んでしまう。時間が迫る中、オルトは即座に状況を分析し、確信を込めて決断を下した。
「うん! マダラさんの自罰の根源はここにある! イズナさんの元へ急ごう!!」
一行は意を決し、歴史の惨劇が繰り返されようとしている最前線へ向け、地面を蹴って一斉に走り出した。戦場の土煙を切り裂きながら、オルトの演算回路はフル回転していた。
『扉間の時空間忍術『飛雷神の術』は、理屈と理論の塊だからこそ厄介だよね。術式を付けた標的へ一瞬で転移するなんて、敵じゃなくて本当に良かった』
先ほど話していた分析や、柱間が語った歴史の結末が脳裏をよぎる。あの飛雷神の術がイズナへの致命傷になるのだとしたら、この惨劇はいつ引き起こされてもおかしくない。
オルトは高速カメラで扉間の挙動を精密に解析する。手にある刀、そしてイズナの激しい攻勢をいなしながら、極めて合理的な水遁で相手の視界と足を奪っていく隙のない立ち回り。
(あれは単に間合いを詰める攻撃じゃない……! 完全に計算された必殺の布石だ。この移動速度じゃ間に合わない!)
迫る歴史の決定打。オルトは迷いを捨て、独断で内部の魔導炉の出力リミッターを解除した。背部ユニットが甲高い駆動音を上げる。
「ごめん! 先に行くね!」
「オルト!?」
「ドリームフォームチェンジ!」
光とともに重装甲のケルベロス・ギアへと換装したオルトは、ブースターを全開にして空を穿つような爆速で戦場を滑空した。直後、最前線で激突する両者の間で莫大なエネルギーが跳ね上がった。
「火遁・豪火球の術!」
「水遁・水龍弾の術!」
イズナが吐き出した巨大な炎の球体に、扉間が呼び出した荒ぶる水の龍が真っ向から激突する。大量の蒸気が噴き出し、一瞬にして周囲の視界が白く遮られた。
その一瞬の死角を突いて、扉間の手から数本のクナイがイズナへ向けて放たれる。オルトの精密センサーが、霧の奥で異常な空間歪曲反応を捉えた。
(一つだけ遠隔武器に異様な力が……これだ!)
視界が遮られた刹那のスキ。クナイの軌跡を追うように、扉間の身体が時空間を飛び越えてイズナの死角へと跳躍する。
「飛雷神斬り!」
必殺の刃が、空を切り裂いてイズナの体幹へと迫った。オルトは扉間の必殺の刃を重装甲の背中で間一髪受け止め、イズナを庇い切っていた。強烈な衝撃で火花が飛び散り、重圧に鋼鉄のギアが軋み声を上げる。
「オルト!」
「大丈夫……! ギアの部分で受け止めたから、主要構造はなんとか避けられたよ。でも……さすが扉間さん、すごい力だった……」
蒸気と火花が収まるより早く、地響きのような足音が迫ってきた。その時、オルトの演算回路は一つの決定的な違和感が決定的な証拠になった。
夢の世界とは、本来なら夢主の都合の良い望みが反映されるはずのもの。それなのに、なぜこの世界は、マダラにとって最も残酷で、二度と繰り返したくないはずの「イズナの死の瞬間」をここまで鮮明に再構築してしまったのか。罰の理由も含まれているが、本質が可笑しかったんだ。
(この空間は、マダラさんの「後悔」が見せている悪夢なんかじゃない。マダラさんが心の底から望んだ……彼にとっての『救済のシナリオ』)
イズナを救えなかったという消えない罪悪感。生きて幸せになることすら自分に許せないほどの感情。彼がこの最悪の戦場を再現したのは、悲劇をやり直すためではない。あの時叶わなかった「弟の身代わりになって死ぬ」という結末を、この夢の中で完結させるためだったのだ。
「なぜだ! オルト!」
激闘の渦中から狂ったように駆け込んできたマダラは、無傷のイズナと、彼の前に身を挺して壊れかけたギアを晒すオルトの姿を交互に見つめ、絶句した。その顔にあったのは、かつて忍界を震撼させた威厳などではない。大切なものを再び失いかけた者の、今にも崩れ落ちそうな泣き顔だった。
「よかった……。マダラさん、やっぱり……」
オルトは優しく語りかけた。この戦場の真実を悟ったからこそ、その声には確信と深みのある愛がこもっていた。
「あなたはずっと、弟のために死を望んでいたんだよね。……この過去の記憶が再現された時、あなたは明らかに僕たちじゃなくて……ここへ向かって走っていた」
「……!!!?」
マダラが息を呑み、瞳孔を大きく開かせて身体を硬直させる。その決定的な指摘に、後方で見守っていたシルバーやセベク、通信越しのイデアまでもが息を呑んだ。
「マダラは最初から、この惨劇の渦中でイズナ殿の身代わりになり……自ら死ぬためにここへ疾走していたというのか」
シルバーは絶望的な自罰の深さに背筋を凍らせ、セベクは警棒を握る手に痛いほどの力を込めた。夢の主でありながら、幸せな理想郷を拒み、最期に弟を庇って死ぬことを求めて走っていた男の狂おしいほどの愛と絶望。そのあまりの痛々しさに、イデアもまた言葉を失い、息を詰まらせていた。
「普通の人なら、夢なら幸せな世界を選ぶはずだよ。けど、あなたは違った。夢の中でも一番辛い道を選んで……自分を殺すことでしか、自分を許す方法を知らなかったんだ」
オルトの声は、硝煙が漂う殺伐とした戦場にどこまでも澄み渡っていく。すると、荒れ狂っていた硝煙と殺気、そしてドロドロとした暗雲がサーッと引いていき、戦場だった空間はいつしか遮るもののない純白の景色の世界へと変わっていった。
「夢でも、僕はあなたに生きてほしいんだ」
オルトは壊れたスラスターから小さな火花を散らしながら、足元をふらつかせつつも力強く一歩を踏み出し、まっすぐにマダラの漆黒の瞳を見つめた。
「僕はね、兄さんを遺して一度死んでしまった『オルト』の記憶がある……。だから、自分の死で残された兄さんを苦しめてしまった過去を知っているんだ。そして……イズナさんを失って、自分を檻に閉じ込め続けるあなたの姿に、どうしても兄さんを重ねてしまう」
自らの経験と重なる切なさに、電子音声の交じる声をかすかに震わせながらも、オルトは小柄な金属の手を、崩れ落ちそうなマダラに向かって必死に伸ばした。
「誰かのために死ぬことでしか自分を許せないなんて、そんな悲しい終わり方、絶対にイズナさんも願っていないよ! 辛いなら……その重い気持ちを、半分僕に分けてほしいんだ!」
「オルト……」
「だって!僕はヒューマノイドだから! あなたのこと、忍のこと……あなたが生きてきた世界のことを、もっともっと色んなことを知りたいんだ! 生きて、僕に教えてよ!」
溢れ出す感情のままに、胸の魔導炉を激しく明滅させて叫ぶオルト。機械であるはずの彼が放った、あまりにも熱く、まっすぐで、人間の生への祈り。
その叫びが、己を罰するためだけに創り出した真っ白な世界の中で、自らを死へと追い詰め続けていた孤高の忍の凍てついた心を、静かに、そして確実に溶かしていった。
7章前半の区切りつきました。最後まで観ていただきありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。