モストロ・ラウンジへ足を踏み入れると、深海を思わせる艶やかな照明と落ち着いた音楽の中に、およそ似つかわしくない必死な面持ちで給仕をするエースとデュースの姿があった。
「マダラ!? なんでここに!?」
お盆を手に、慣れない手つきで注文を取っていたエースが目を丸くする。デュースもまた、イソギンチャクを揺らしながら硬直してい
「お前達の働きぶりを検分しに来たまでだ」
マダラが冷ややかに言い放つと、二人はがっくりと肩を落とした。
「なんだよー、期待させんなよなー」
「やっぱりマダラはそうだよな」
情けない溜息をつきながら慌ただしく去っていく二人を見送っていると、ソファ席でドリンクを飲んでいた。サバナクロー寮のジャック・ハウルだ。
「ジャック? お前まで何をしている」
マダラが声をかけると、ジャックは気まずそうに眉をひそめ、耳を伏せた。
「アズールのやり口に納得がいかねぇから様子を見に来ただけだ」
「相変わらずお人好しだな。他人の自業自得に首を突っ込むとは」
「あいつのやり方はどう考えても裏がある。俺はそういう汚ぇやり口が我慢ならねぇんだよ」
ジャックのまっすぐで不器用な正義感に、マダラは鼻から小さく息を漏らした。
「奪う者と奪われる者、世の理としては至極当然の構図だがな」
マダラとジャックが静かに言葉を交わしていると、ラウンジの奥から優雅な足取りで、一人の男が近づいてきた。
「おや…これはこれは。噂の『監督生さん』ではありませんか。ようこそ、モストロ・ラウンジへ」
眼鏡の奥で計算高そうな瞳を光らせ、完璧な営業用の笑みを浮かべた男オクタヴィネル寮長、アズール・アーシェングロットが、マダラの前に姿を現したのだった。
深海の雰囲気が漂う「モストロ・ラウンジ」の店内に、マダラはゆっくりと視線を巡らせた。
忍の世界において、水といえば川や湖、あるいは水遁の術で練り上げられる水塊程度しか馴染みがなかった。頭上にゆらめく青い水光や、巨大なガラス越しに泳ぐ魚たちの姿は、幻想的であり、同時に極めて異質な光景だった。
「このモストロ・ラウンジの雰囲気がお気に召しましたか? 海底の静寂と優雅さを演出した、我がオクタヴィネル自慢の空間です」
「海などには縁がなくてな。俺の知る水といえば、川か湖だったからな」
マダラが淡々と応じると、横にいたジャックが驚いたように耳をぴくりと動かした。
「お前の故郷には海がなかったのか?」
「海自体は存在したが、俺が育った地は陸の深くだ」
脳裏に過るのは、かつて千手柱間と川辺で石を投げ合い、夢を語り合った幼き日の記憶。そして、命を賭けて戦った谷。マダラが遠い目をして呟くと、アズールは眼鏡の奥で不気味に瞳を輝かせた。
「なるほど、この空間が気に入ってくれましたら、きっと僕の契約にはご理解いただけるでしょう。さあ、どうぞVIPルームへ」
重厚な扉の奥。VIPルームの重厚なドアが閉じられ、静寂が部屋を支配する。アズールはソファに腰掛け、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「さて、監督生さん。単刀直入に申し上げましょう。あなたは、捕らわれたグリムさんを解放してほしいのでしょうか?」
「違う」
マダラの短く、一切の揺らぎもない一言に、アズールの完璧な笑みがピクリと固まった。
「おや…? ジェイドから聞いた話と違いますね。彼らを助けにここへ足を運んだのではないのですか?」
「契約を軽んじ、己の力も弁えない愚か者どもの末路を見に来ただけだ」
「助けたいと、一寸たりとも思わないのですか?」
信じられないものを見るようなアズールの問いかけに、マダラは「ない」と冷酷に切り捨てた。他人に弱みを握られ、踊らされているのは彼ら自身の甘さが招いた結果。
予期せぬ冷淡さに一瞬言葉を詰まらせたアズールだったが、すぐに気を取り直したように不敵な笑みを復活させた。
「ならば、条件を出しましょう。『3日後の日没までに、珊瑚の海にあるアトランティカ記念博物館から、とある写真を奪ってくること』これを達成できれば、彼らの契約書をすべて破棄し、解放して差し上げますよ」
奪ってきてほしいのは、10年前に撮影された「リエーレ」という王子の来館記念写真だという。話に同行していたジャックは、眉をひそめ、不快感を露わにする。
「博物館から写真を奪うだと? それはただの盗難だろ。そんなことをすれば大騒ぎになるぞ」
「ご安心ください。展示されているのは入り口近くの広場であり、歴史的価値など一切ない『ただの記念写真』です。大事にはなりませんよ」
「断る」
マダラは一蹴した。頼まれてもいない救援のために、見知らぬ海底の博物館へ盗みに入るなど阿呆らしいことこの上ない。冷淡すぎるマダラの態度に、アズールは呆れたように肩をすくめ、大きな溜息をついた。
「残念です。せっかく彼らを救うチャンスを差し上げたというのに」
自身を策士だと信じて疑わないアズールの増長した言葉。だが、その言葉を遮るように、マダラは低く重い声で静かに言い放った。
「砂利、教えてやろう。人をコントロールするには、心の闇を利用するテクニックが必要だ」
「な、なんですって?」
不意を突かれたアズールが眉をひそめる。マダラは腕を組み、冷徹な黒い瞳でアズールを鋭く見下ろした。
「己が上に立っていると錯覚しているその姿。あまりにも浅はかで青い。真の裏切りや、策謀の深淵を知らぬガキの戯言だ」
かつて「月の眼計画」で世界をコントロールしていると思い込み、結果として黒ゼツという真の裏切り者に踊らされていた己の苦い過去。それがあるからこそ、マダラにはアズールの傲慢さと浅薄さが手に取るように分かっていたのだ。
マダラが冷ややかな視線を投げかけ、アズールが苦々しく顔を歪めた、その時。
「その契約乗った!!」
バンッ!と凄まじい音を立ててVIPルームの扉が叩き開かれ、頭にイソギンチャクを生やしたグリムが息を切らせて乱入してきた。
「グリム! お前、何勝手に乗り込んできてんだよ!」
追ってきたエースとデュースが焦り顔で叫ぶが、グリムはアズールを指差し、鼻息を荒くした。
「うるさいんだゾ! オレ様はアズールの提示した条件に乗ってやる! 3日以内にその博物館って場所から写真を奪ってきて、契約書を破棄させてやるんだゾ!」
勝手に条件を飲もうとするグリムに対し、マダラは容赦なく冷酷な事実を突きつけた。
「愚か者が。お前単体の力など皆無に等しく、写真一枚すら奪えるはずがないだろう」
「ふなっ!?」
「相手の敵地へ乗り込み、警備の固い博物館から盗み出すなど、最初から失敗するように組まれた不利な罠だ。邪魔が入ることまで折り込み済みで、お前たちを永遠に配下に置くのが奴の目論見だ」
マダラの容赦のない説教に、グリムはぐうの音も出ず、耳を伏せて悔しそうに震えた。
「だって……じゃあどうすればいいんだゾ! このままアズールの手下になって、一生ラウンジで雑用させられるなんて絶対に嫌なんだゾ……!」
必死に頭を抱え、冷や汗を流しながら考え込むグリム。マダラに頼り、背中に隠れるだけでは何も解決しない。自分の浅はかさが招いた危機を乗り越えるため、グリムの小さな頭脳が限界まで回転する。
(オレ様の力じゃ写真は奪えない。海の中じゃまともに動けない。マダラは手出ししてくれない。なら…なら、どうする!?)
グリムはハッと目を見開き、目の前に立つ巨躯の男。マダラを強い眼差しで見上げた。
「マダラ! オレ様が…頭を使って作戦を考えて、お前に『指示』を出したら、お前はオレ様の戦力として動いてくれるか!?」
グリムの言葉に、部屋にいた全員が息を飲み、目を見張った。ただマダラの圧倒的な武力に「助けてくれ」と泣きつくのではない。他人に踊らされることを拒み、己の頭で思考し、マダラという最強の戦力を「どう動かすか」という主導権を握ろうとしたのだ。
マダラは一瞬驚いたように目を細めたが、次の瞬間、口元を猛悪で満足気な笑みに大きく綻ばせた。
「フハハッ! 良い顔になったではないか、グリム。己で考え、己の意思で策を巡らせ、俺を『駒』として使う覚悟があるというのだな?」
マダラは腕を解くと、グリムの前にスッと背を向け、肩越しに不敵な視線を送った。
「いいだろう。お前が俺をどう使いこなすか、その指示、応えてやろうではないか」
アズールはグリムの威勢のいい宣言を冷ややかな笑みで受け流し、手帳を閉じながら話の焦点を「対価」へと移した。
「意気込みは結構ですが、監督生さん。契約を結ぶ以上、相応の『担保』を出していただく必要があります」
アズールは手袋をはめた指を組み、マダラを鋭い目つきで見つめた。
「あなたの持つ『忍術』あれは実に興味深い。あなたが使う力を担保として差し出していただけるなら、喜んでこの条件を受け入れましょう」
マダラは鼻で嗤い、肩をすくめた。
「そもそも貴様らには渡しようがない。俺の使う術は『チャクラ』が必要で、『魔力』では使えない。担保として差し出したところで、貴様らには何の利用価値もないゴミと同じだ」
「チャクラですか。魔法とは根本的に異なるエネルギー体系。使えないものを担保にされも意味がありませんね」
アズールはチッと小さく舌打ちし、すぐさま計算し直すように眼鏡の位置を直した。
「では、別のものを担保にしていただきましょう。そうですね、あなた方の住処である『オンボロ寮』。あれを担保としてもらいましょうか」
「な、なんだってー!? オンボロ寮を奪われたら、オレさまたちの住む場所がなくなっちゃうんだゾ!」
グリムが跳ね上がって叫ぶが、マダラは眉ひとつ動かさずにアズールを睨みつけた。
「好きにすればいい。だがグリム、覚悟はできているのだろうな?」
マダラに鋭い視線を向けられたグリムは、ゴクリと唾を飲み込み、震える足を踏みしめた。オンボロ寮を失えば後がない。だが、自分の立てる作戦でマダラを動かし、勝利を掴むという決意がグリムの瞳に宿っていた。
「オレ様が考えた作戦で、絶対写真を奪ってきてやるんだゾ! オンボロ寮は渡さねえ!」
「素晴らしい決意です。グリムさん」
アズールがパチンと指を鳴らすと、空中に光り輝く『黄金の契約書』が姿を現した。
「では、こちらにサインを。3日後の日没までに写真を持って来られなければ……オンボロ寮は我がオクタヴィネルの所有物となります」
マダラは差し出されたペンを小さな手で握りしめ、覚悟を決めて黄金の契約書へ自らの名前を署名した。契約が成立した瞬間、契約書は眩い光を放って弾け、アズールの手元へと消えていった。
「契約完了です。では監督生さん、グリムさん。3日後の日没を楽しみにしておりますよ」
勝利を確信したようなアズールの高笑いがVIPルームに響く中、マダラは口元に不敵な笑みを浮かべ、静かに背を向けた。
「行くぞ、俺をどう動かすか、精々その小さな頭で知恵を絞るのだな」
明日も同時刻に投稿いたします。よろしくお願いいたします。