美春と一夏が他愛のない男同士の恋バナに花を咲かせてた頃、鈴は一人ベッドの上で枕に顔をうずめていた。
美春の気になる娘がいないという返事にどうにも納得がいかない。
(あのバカ!それじゃああの時見せた反応はなんだって言うのよ!)
鈴は言葉にならない声を顔をうずめている枕に向かって精一杯叫ぶ。
今の彼女ができる抵抗はこれくらいしか存在しないのだ。
そんな彼女を見てルームメイトのティナ・ハミルトンはやや鬱陶しそうな様子で鈴に声をかける。
「鈴、どうしたの。さっきからウーウー唸って」
鈴は顔を上げて真っ赤な顔でティナの質問に答える
「…女子の葛藤ってやつよ」
鈴の返答にティナは合点がいったのか答え合わせのつもりでさらに言葉を紡ぐ。
「わかった!織斑君と何かヤキモキすることがあったんだ!ねえねえ何があったのか教えて?」
「一夏、かあ…」
鈴は先程まで頭の片隅に追いやられていた男子のことをふと思い出す。
一夏とは小学5年生の時に知り合った仲で、当時日本語が上手く話せずにいじめられていた自分を庇ってくれたのが交流を深めるきっかけとなった。
それから中学2年生になって中国に戻るまではずっと一緒にいた。
そして気づけば彼に惹かれていた。
(あれ?アタシってなんで一夏のこと好きだったんだっけ)
いじめから庇ってくれたことがきっかけなのは間違いない。
軽口を叩きあえる仲で、それが鈴にとって安心できる場所だったことも事実だ。
でもそれは全て過去の話だ。
自分は今の一夏に何故惹かれているのか、鈴はその答えをすぐに出すことができなかった自分がいることに気づく。
「おーい鈴、どうしたのー?」
ティナの呼びかけに鈴はハッとする。
「ごめん、ちょっとボーっとしてたわ。で、何の話だっけ?」
「何の話?じゃないでしょ!織斑君と何があったかって聞いてるの!」
鈴のハッキリしない態度に今度はティナの方がヤキモキしてきたようだ。
「あ、ああ一夏ね。ほんとアイツバカよね~!今日だって…」
話を続けようとする鈴にティナが待ったをかける。
「待って鈴。もしかしてだけど…、違う男の子のこと考えてた?」
「きゅ、急にどうしたのよ。なんでアタシが一夏以外の男子のことを?」
鈴は戸惑いを見せるがティナの目は誤魔化せない。
「鈴の顔がさっきまで唸ってた時と違っていつも通りになってたし。まあ女の勘ってやつかなあ」
ティナはそう言うと興が冷めたようで、これ以上深く聞いてくることはなかった。
やがて部屋の明かりが消され、ティナの規則正しい寝息だけが静まり返った部屋に響き始める。
暗闇の中、鈴はベッドの中でそっと携帯端末を開いた。
液晶のブルーライトが暗い部屋と彼女の少し火照った顔をぼんやりと照らし出す。
画面に映し出されたのは、今日撮ったお互い顔を真っ赤にした美春とのツーショット写真。
(…一夏)
鈴は暗闇の中でかつてのヒーローの名前をそっと心の中で呟いてみる。
だが不思議と、胸の奥が熱くなって一夏のことで頭が一杯になるようなことにはならなかった。
小学5年生のあの日、自分を助けてくれた一夏は間違いなく鈴にとっての王子様だった。
別れた後も、彼の隣に立ちたくて政府に無理言ってIS学園にまでやってきた。
それは何一つ噓偽りのない、鈴の思いと覚悟だった。
(でもさっきまでアタシが考えていたのは…)
一夏とは違う、写真に写る彼を思うと何故か胸の鼓動が早くなる。
鈴は逸る鼓動を抑えられず、中々寝付けないでいた。
・
・
・
翌日、近くのスーパーで試作用の食材を買い出し終えた鈴は、帰路についていた。
すると街中で一夏と遭遇する。
いつもなら心臓がバクバクしだし平常心ではいられなくなるのだが、今日の鈴は極めて穏やかでいられた。
「おっ、鈴じゃん。食材の買い出しか?」
「まあそんなところね。アンタも買い出し?」
「ああ。飾りつけの材料が足りなくなったんでその補充にな。そう言えば鈴のクラスって何やるんだ?」
「アタシのクラスは中国喫茶。簡単な中華料理とお茶を出す予定なの。アンタのクラスとはライバルになるわね」
鈴はそう言うと悪戯っぽく笑いながら一夏に睨みを利かせる。
鈴からの挑戦状といったところだろうか。
一夏はいつも通りの鈴の言動にやれやれといった様子だ。
「お前ってすぐそうやってバトルにしたがるよな…。でも面白そうだ。負けないからな」
「そうこなくっちゃ。でももしアンタが来てくれるっていうなら特別にサービスしてあげてもいいわよ」
鈴が少しだけ気恥ずかしそうに言うと一夏はノリノリで答える。
「マジか!?行く行く!やっぱり持つべきものは友達だよな」
一夏は鈴の手を握りブンブンと握手をする。
鈴は手を握られて特段悪い気はしなかったのだが、友達という言葉に引っ掛かり素直に喜ぶことができない。
いつもの鈴なら、バカ一夏!友達友達うるさいわよ!と怒鳴り散らし、彼の頭を小突いていただろう。
だが、不思議と今の鈴の胸の奥を占めていたのは、キリキリとした痛みではなく、驚くほど静かで、どこか温かい凪のような感情だった。
ブンブンと自分の手を揺らす一夏の、底抜けに明るい、けれどどこまでも真っ直ぐな笑顔を見つめる。
(ああ、やっぱりそうよね…)
鈴は今まで彼の隣に立ちたくて必死にもがいてきた。
けれど一夏にとっての鈴は『大切な幼なじみ』であり、その枠から出ることは今後もないだろう。
寂しさがないと言えば嘘になる。
この事実を認めようとすると胸の奥が苦しくもなってくるし、涙だって出そうになる。
だけど、それ以上にすとんと腑に落ちるような、優しい諦めが鈴の心に広がっていった。
それは意地になって守り続けてきた過去の約束からの、静かな卒業の瞬間だった。
「全く、一夏はどこまで行っても一夏ね。サービスしてあげるのは本当だから、ちゃんと来なさいよ!」
鈴は一夏の手を優しく解くといつもの勝気な、けれど少しだけ柔らかい笑みを向けた。
一夏はおう、と一言答えると買い出しに向けて街の中へと消えていった。
その後ろ姿を、鈴はただ静かに見送る。
・
・
・
鈴が学園に到着し、玄関で靴を履き替えていると、ふと廊下の角から美春が姿を現した。
「よ、よお…」
美春は鈴と目が合った瞬間、耳の裏まで真っ赤にして露骨に動揺してみせる。
そのせいか、いつもなら気軽にできた挨拶もどこかたどたどしい。
鈴が彼を見た瞬間、どくんと彼女の心臓が先ほどまでの一夏との対話では決して鳴らなかった大きな音を立てて、跳ね上がった。
「ど、どうしたのよ、こんな所で」
「生徒会の仕事で見回りに行っててその帰り。その荷物重そうだな、よかったら持つよ」
美春はそういうと、鈴の両手に抱えられた試作用の食材が入った袋をすっと引き取ろうとする。
「大丈夫よ!自分で持てるから!何よりあんた怪我人でしょ!?」
「これくらいなら大したことないから、ほら」
お互いに袋の持ち手を譲ろうとした瞬間、二人の指先が、じんわりと触れ合った。
「…ッ!わ、わりい…」
美春がビクッと体を硬くし、慌てて耳まで真っ赤にしながら目をそらす。
その指先が、かすかに熱を帯びて震えているのが伝わってきた。
先ほど街で会った一夏は躊躇いもなく自分の手を握ってきたのに、今目の前にいる美春は、少し手が触れただけであんなに動揺して、顔を真っ赤にしている。
鈴は自身の体に熱を帯びていくのを感じていた。
携帯端末の中に保存された、お互い顔を真っ赤にした不器用な自撮り写真。
美春の胸に引き寄せられたとき、壊れそうなくらいにドクドクと鳴り響いていた、あのうるさい心臓の音。
一夏への初恋は、あの日からずっと大切に守り続けてきた美しい思い出。
けれど、美春を前にして、自分の意思とは関係なく逸ってしまうこの胸の鼓動は、今、この瞬間を生きている本物の恋の温度だった。
(あーあ…。アタシ、完全に上書きされちゃったじゃない)
鈴は、自身の恋心が完全に遠藤美春という存在にハッキングされ、優しく塗り替えられてしまったことを、言葉少なに、けれど確信を持って自覚した。
「…ばか。無理して傷口が開いても、アタシ知らないんだからね」
「こんなことじゃ開かねえよ」
鈴は自身の両手に持っている荷物の片方を美春に預けると、今度は嬉しさを隠しきれない小さな鼓動と共に、美春の半歩後ろを歩き出す。
「ねえアンタ、昨日気になる娘いないって言ってたじゃない」
「ああ、それが?」
「あれって噓でしょ?」
鈴は普段の師匠の表情とは違った悪戯っぽい微笑みながら美春に問いかけるのだった。