学園に到着して織斑先生と別れた美春は自室へと戻る。
部屋に入ると一夏が心配そうな顔で美春の帰りを出迎えてくれた。
「おかえり。久しぶりの実家は大丈夫だったか?」
一夏の問いに美春は何てことない様子で答える。
「とりあえず渡航同意書には無事サインを貰えたよ。それにしてもなんでそんな不安そうな顔をしてるんだ?」
「臨海学校で親の仲が良くないなんて聞いたらそりゃ心配にもなるだろ。お前がしんどくないかなって」
「そういうことか。心配してくれてありがとうな。俺は大丈夫だから」
口にしてから、それが半分嘘だと気づいた。
一人であの家に行っていたら、きっと大丈夫ではなかった。
「…いや、正直に言うと、先生が一緒に来てくれたから大丈夫だった。俺が報酬を直接貰うって話でひと悶着あったんだけどさ、先生が俺はちゃんとしてるから大丈夫だって庇ってくれたんだ」
「そうか…。なんか千冬姉らしいな」
そう言う一夏の顔はどこか誇らしげに見えた。
まるで自分が褒められているかのように。
美春は小さく笑うと、荷物を片付け始めた。
すると美春の携帯端末に1件のメッセージが届いた。
鈴:やっほー
生きてる?
美春:五体満足ですけど、なんか用か?
鈴:一夏からアンタが実家に帰るって聞いて気になってたの。母親の話も知ってるし
美春:随分前の話なのによく覚えてたな
鈴:あんな大事な話忘れるわけないでしょうが!で、どうだったの?
美春:織斑先生に助けてもらって何とかなった
鈴:そっか。ならいいわ。ところで聞いた?ルクーゼンブルク、アタシも行くことになったから
美春:前の会議で代表候補生も同行するって聞いてたからな。頼りにしてる
既読がついたまま、しばらく返信が来なかった。
鈴:任せておきなさい!アンタの出る幕なんて無くしてやるんだから!
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一方の鈴は強く出たはいいものの、美春の素直な『頼りにしてる』を何度も読み返していた。
ベッドに寝そべりながら足をバタバタさせていると同室のティナから突っ込まれる。
「鈴、今度はどうしたの。水泳の練習をしているんじゃあるまいし」
「ふふん、秘密♪…あ」
鈴は余裕たっぷりに答えてみせるが、すぐにとあることを思い出し、表情が固まる。
(代表候補生ってことは…ラウラも一緒じゃない!)
「秘密って顔じゃなくなったけど?何か忘れてたの?」
ティナは素朴な疑問を投げかけるが鈴の耳には入っていない。
(いくら親善大使で向かうと言っても多少の自由時間はあるはずだし、美春とどっか回れたらと思ったけど、十中八九ラウラも付いてくるのよね。でもあの二人のやり取りって見てて飽きないし…って、なんでアタシが見守る側に回ってんのよ!)
鈴は枕に顔を埋めて完全に自分の世界に入ってしまった。
ティナは鈴にこれ以上言葉をかけても無駄だと諦め、自分の宿題に取り掛かることにした。
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「古文って、なんで同じ言葉なのに意味が違うのよ…」
鈴が机に突っ伏したのは、勉強を始めてからまだ十分も経たない頃だった。
美春が実家を訪ねたあの日から季節は進み、期末試験前の準備期間を迎えていた。
箒や鈴をはじめとするいつもの面々が放課後の空き教室に集って試験勉強に取り掛かっている。
本来は美春と一夏もこの場にいるはずなのだが、生徒会からの呼び出しを受けたため遅れて参加するとのことだった。
各自が今取り組んでいるのは主に国語の科目だ。
外国人の候補生達は日本語科目ということで中学生レベルの現代文や古文の授業を受けている。
一学期の試験で美春の教えを受けて各人が好成績を残したという成功例を踏まえて、この科目は集まって勉強しようとなったのだ。
「鈴さんは長い間日本にいらしたのでしょう?その辺は慣れていらっしゃるのではなくて?」
セシリアの問いに鈴は突っ伏した姿勢のまま顔だけ上げて返答する。
「確かに日本人と同じ科目で大丈夫って言ったけどさあ…。昔の言葉なんて知ったこっちゃないってのよ」
「でも今回は漢文も入ってるから鈴の得意分野ではないのか?」
箒が首を傾げると、鈴はさらに顔をしかめる。
「授業でやってるのって何千年も前の昔の文よ!?今の文法じゃ読めたもんじゃないわよ。それに加えてレ点だのなんのって日本特有の読み方するもんだからもう頭の中めちゃくちゃよ。早く美春来てくれないかなあ。こういう時のためにあいつも呼んだってのに」
鈴が美春の名前を出すと、ラウラがふと何かを思い出したかのように天井を見上げた。
「ラウラ?急に上を向いてどうかしたの?」
シャルロットが声をかけると、ラウラは「いや…」と少し躊躇ってから、こう呟いた。
「…ルクーゼンブルクでは現地を観光する時間はあるのだろうかと気になってな。親善大使として向かうからにはその国の良いところを見る必要があるからな」
その言葉に、セシリアのペンがぴたりと止まった。
シャルロットは笑顔のまま固まり、箒は無言で姿勢を正す。
鈴に至っては、机に突っ伏していた体を跳ねるように起こした。
全員の頭に、同じ考えがよぎっていた。
「一夏さんと高台から街並みを見下ろす、なんて…ロマンチックですわ」
「いや、一夏はそういう所センスが無いからな。市場を見て回る方があいつらしい」
「ボクもそう思うな。一夏って家庭的なところあるし食材とか興味もってくれるかも」
「美春が行きそうなところねえ…。音楽が好きなのはこの間知ったけど、都合よくコンサートがあるわけでもあるまいし…」
「この間のようにお揃いの工芸品を買うのはどうだろうか。一夏も美春も時々自分をないがしろにする節がある。私たちとの繋がりを意識させればそれも変わるはずだ」
「「「「それだ!」」」」
一同は声を揃える。
…が、
「…で、一夏と同じ班になるのは誰なんだ?」
箒の一言で、教室の空気が再び凍りついた。
先手を打ったのはシャルロットだった。
「…そりゃボクだよ。なんて言ったって元ルームメイトだし」
「一夏さんとクラス代表を争ったライバルとして、わたくしこそが相応しいですわ」
「いいや、ここは幼なじみの私が…」
言葉にはしていないが鈴とラウラもお互いを睨み合っている。
美春と共に行動するのがどちらなのかをはっきりさせたいようだ。
二人の頭の中で説得のための手札を揃え、我こそはと声を発しようとしたその時。
「みんな、待たせてごめん」
一夏が申し訳なさそうに教室に入ってきた。
美春は一夏の後に続いて入るなり、彼女たちの様子に眉をひそめた。
「…なんかあったのか?テスト勉強してましたって雰囲気じゃないみたいだけど」
「ルクーゼンブルクを誰と回るか『話し合い』をしてたの。ね、ラウラ」
鈴がラウラに視線を向けると彼女は真剣な表情で頷いた。
それを聞いた一夏は、感心したように頷いた。
「みんな耳が早いなあ。さっき呼び出されたのも丁度そのことについてだったんだよ」
「一夏!それで、班分けはどうなったんだ!」
箒が問い詰めるように一夏に迫る。
一同が答えを固唾を呑んで見守っている。
「そのことだけど、人数も多くないし、安全面を考慮して全員で同じところを回ることにしたってさ」
少女達の夢は泡沫のように儚く消えた。