悪神の誤算   作:ちゃちゃ衛門

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第6話

 

 

 松明の炎が、幾つも夜闇に揺れていた。その赤い光に照らされた村人たちの顔は、一様に強張っている。誰も、彼らの背後で崩れ落ちていく廃屋から目を離せずにいるようだった。

 

「お前ら……一体、何があった」

 

 衛兵が、もう一度低く問いを重ねる。僕らから武器を没収した、衛兵の一人だった。剣の柄に手をかけたまま、油断のない目でこちらを見据えている。僕は釈明をしようとするが、舌が上手く回らないほどに消耗していた。レンも膝をついたまま俯いている。

 

「……スキーヴァーの討伐を依頼されていた。」

 

 その時、口を開いたのはカイだった。肩で息をしながらも、まっすぐに衛兵を見据えて答える。

 

「ジャルデュルから頼まれて、村外れの空き家に巣を作ったスキーヴァーを討伐しに来てたんだ。……そしたら、思ってたよりずっとデカいのが、中から出てきて」

 

「デカい……?」

 

 衛兵の眉が僅かに動いた。訝しむようなその視線が、燃え落ちる廃屋の残骸へと一度向けられる。

 

「普通のスキーヴァーの、倍以上はあったと思う。体高も、人の肩くらいまであった」

 

 カイは右腕を庇うように押さえながら続けた。声には隠しきれない疲労が滲んでいたが、それでも事実を淡々と並べていく口調は、いつもの彼らしかった。

 

「牙も尋常じゃない大きさで……あんなの見たことも聞いたこともない」

 

 その言葉に、集まっていた村人たちの間から、ざわめきが広がった。

 

「そんな化け物が、村のすぐ近くに……」

 

「子供たちが、よく遊んでた場所じゃないか」

 

 不安げな囁きが、松明の炎とともに揺れる。衛兵の表情にも、明らかな動揺が走っていた。

 

「……お前らの話、にわかには信じ難いな」

 

 衛兵の一人が、まだ疑いの拭えない目でこちらを睨む。丸腰同然の余所者三人が、そんな怪物を仕留めたなどと言われて、素直に頷ける者はそういない。衛兵は、明らかな敵意を滲ませた声で続けた。

 

「やはりお前たちを村に入れたのは間違いだったようだな。適当な作り話で誤魔化そうとしても、そうはいかんぞ」

 

「放火は重罪だ。一緒に来てもらおうか」

 

 衛兵の言葉に触発されたのか、周囲の村人たちの目つきも変わっていく。同情や困惑ではなく、明確な疑いと敵意を孕んだ視線が、じわりとこちらに集まってくるのがわかった。

 

「ほ、本当だ……嘘じゃねぇよ!」

 

 カイが必死に弁明しようとするが、その声は既に、人々のざわめきに呑まれ、かき消されていく。

 

 その時だった。

 

「――おい! こっちに何かあるぞ!」

 

 崩れかけた瓦礫の中を松明で照らしていた別の衛兵が、切迫した声を上げた。その声に、人垣が一斉にどよめきながら移動する。

 

 崩れ落ちた梁の下敷きになるようにして、それは横たわっていた。黒く炭化していたが、それでも一目でわかるほどの、異様な大きさだった。人の胴回りほどもある太い胴体、丸太のように逞しい脚。焼け爛れてなお鋭さを失わない、剥き出しの牙。

 

「……な、なんだよ、これ」

 

 村人の一人が、震える声で呟いた。

 

「これが……本当に、スキーヴァーなのか」

 

 先程まで疑いの目を向けていた衛兵でさえ、絶句したまま立ち尽くしている。松明の明かりに晒されたその骸を前に、場を包んでいた疑念は、音を立てて崩れ去っていった。

 

「……嘘、じゃなかったんだな」

 

 誰かが、押し殺したような声で呟く。それを合図にしたかのように、村人たちのざわめきは、恐怖と困惑が入り混じった重いものへと変わっていった。

 

---

 

 その時、人垣を割るようにして、一人の女性が姿を現した。金髪を振り乱し、いつもの落ち着いた足取りとはまるで違う、急いた歩みだった。

 

「――何があったの!?」

 

 ジャルデュルだった。燃え尽きようとする廃屋と、その傍らに座り込む僕たち三人を見比べ、一瞬言葉を失う。

 

「ジャルデュルさん……申し訳ありません。討伐は、成功したと思います。でも、その、結果として……」

 

 僕は残った力を振り絞ってジャルデュルに歩み寄り弁明しようとする。だが、舌はもつれ、思うように言葉が出てこない。

 

「よせ、俺が説明するからお前らは休んでろ」

 

 カイがそう言って僕の肩を支えると、言葉を選びながら、経緯を一から説明した。煙を使っておびき出す作戦を立てたこと。想定外の巨大な個体が現れたこと。三人がかりでどうにか仕留めたが、その最中に火が燃え移り、廃屋がこの有様になったこと。

 

 説明が終わる頃には、僕の意識は限界に近づいていた。目の前の光景が、水面越しに見るように揺らいで見える。

 

 ジャルデュルは腕を組んだまま、しばらく黙って僕らを見つめていた。彼女の視線が、レンの頬に走る切り傷、カイの腕に巻かれた血の滲む布、そして項垂れる僕自身の順に注がれる。

 

「……あの空き家が、そこまで大きな化け物の巣になっていたなんてね」

 

 彼女は低く呟くと、崩れゆく建物の残骸を見やった。その目には、怒りだけではない、別の何かが宿っているように見えた。

 

「正直に言うわ。空き家とは言え、燃やされたことは見過ごせない。延焼すればただ事では済まされなかったわ。でもそれより……」

 

 彼女は言葉を切り、傍らの衛兵に鋭い視線を向けた。

 

「あんな化け物を放置してたら、この村の子供たちの誰かが犠牲になっていたかもしれない。ひと月も前から駆除を頼まれてたのに、後回しにしてたのはどこの誰?」

 

 名指しこそしなかったが、衛兵の顔が目に見えて強張った。ばつが悪そうに視線を逸らし、口の中で何かを呟いたが、はっきりとした言葉にはならなかった。

 

 その反応に、ジャルデュルは小さく息を吐き出すと、改めて僕らに向き直った。

 

「討伐依頼は、達成とみなすわ。ただし、村の建物を焼いた分の責任は取ってもらう」

 

「わかった……」

 

 カイが歯切れの悪い返事をした。この展開を覚悟はしていたのだろうが、それでもやはり、腑に落ちない部分はあるらしい。

 

「約束通りあんた達を製材所で雇うわ。ただし当面は、給金の一部を建物の弁償に充てさせてもらうわよ。文句は言わせない」

 

 そう言い切った後、彼女の声が僅かに和らいだ。

 

「それより、その怪我。放っておいて悪化でもされたら、明日から使い物にならないじゃない」

 

 ジャルデュルはそう言うと、集まっていた村人たちの一人に指示を飛ばした。程なくして、清潔な布と、小さな薬瓶を抱えた老婆が駆け寄ってくる。

 

「村の治療師よ。ひとまず今夜はこの人に診てもらいなさい」

 

 その言葉を聞いて、張り詰めていた何かがふっと緩んだ。安心したのか、それとも単に限界だったのか。指先から力が抜けていくのが、他人事のようにわかった。

 

「――ジュンヤ?」

 

「おい、しっかりしろ!」

 

 カイとレンの声が、ひどく遠くから聞こえてくる。視界が急速に暗く狭まっていき、僕はそのまま、崩れるように地面に倒れ込んだ。

 

---

 

 闇の底で、ひとつの光景が映し出される。

 

 鬱蒼と茂る針葉樹の森。月すら見えない、底冷えのする闇夜の街道だった。車輪の折れた荷馬車が、街道の端で横倒しになっている。積み荷だったのだろう、割れた木箱と、破れた巻物が、雪混じりの土の上に無造作に散らばっていた。

 

 周囲には、黒いローブを纏った幾人もの人影が、力なく地に伏していた。だが、全員が絶命しているわけではないらしい。呻き声と、地面を掻きむしるような音が、途切れ途切れに響いている。

 

 中心には、たった一人の男が立っていた。

 

 長い外套は所々が焼け焦げ、右肩から胸にかけて、返り血と己の血とが黒く入り混じって滲んでいる。それでもなお、両の足は、しっかりと地を踏みしめていた。

 

 倒れずに残っていた者たちが、じりじりと包囲を狭めてくる。その内の一人が両手を掲げると、辺りの空気が凍りつくように白く染まった。氷の刃が幾つも、男めがけて放たれる。

 

 男は舌打ちすると、右手を素早く振り抜いた。青白い光の壁が瞬時に展開され、迫る氷の刃をことごとく弾き返す。だが、防ぎきれなかった一撃が肩を掠め、外套の裾がぱりぱりと音を立てて凍りついた。

 

「――ッ」

 

 短い呻きを漏らしながらも、男の足は止まらない。防御魔法を維持したまま一歩踏み込み、左手を大きく振るう。

 

 次の瞬間、彼を中心に轟々と渦を巻く炎が生まれた。夜の闇を昼のように塗り替えるその炎は、うねりながら包囲していた敵を次々になぎ倒していく。悲鳴が上がる暇すらなかった。熱風が梢を揺らし、火の粉が星のように舞い散る。

 

 だが、敵の数はまだ尽きなかった。倒れた仲間を踏み越えるようにして、新手の影が次々と闇の奥から湧き出してくる。まるで、際限のない数を誇示するかのように。

 

「……諦めの悪い奴らだ。」

 

 男が吐き捨てるように呟いた。その声には、隠しきれない疲労だけでなく、確かな怒りが滲んでいた。

 

 一人の敵が、闇に紛れて背後から距離を詰める。禁呪めいた妖しい光を纏った短剣を男の脇腹めがけて突き立てようとする。

 

 その刹那、炎に照らされたその横顔が、一瞬だけ、はっきりと見えた気がした。

 

 ――誰だ。

 

 声にならない問いが、闇の奥へと吸い込まれていく。答えを掴む前に、視界の輪郭が滲み始めた。

 

 寒い――。

 

 燃え盛る炎の光景が、まるで水に落ちた絵の具のように、じわりと白く滲んでいく。それは氷のように冷たく、どこまでも音のない白さだった。肌を刺す極寒の感触と、死という言葉が纏う静けさが、一斉に押し寄せてくる。

 

 やがて視界のすべてが、その冷たい霧に呑み込まれ――

 

 僕はまた、意識の底へと沈んでいった。

 

---

 

 はっと目が覚めて、身を起こす。

 

 なんだか悪い夢を見たような気味悪さだけが残って、内容が思い出せない。横に目をやると、窓から差し込む柔らかな朝日が、部屋をゆっくりと暖かな色に染めていた。それを見ていると何故か命の温もりのようなものを感じる。

 

 ――ここは、どこだろう。

 

 周囲を見回しながら、ぼんやりとした記憶を手繰り寄せる。ジャルデュルが、手当てをしてくれるようなことを言っていた気がする。ということは、ここは彼女の家だろうか。

 

 そう考えていると、扉の向こうから足音が近づいてきた。ゆっくりと扉が開き、その主が、起きている僕を見て驚いた顔をする。同時に、僕も思い出した。この老婆は確か、村の治療師だったか――。

 

「良かった。目を覚ましたんだね」

 

 老婆はそう言うと、盆に載せた水差しを脇の小机に置き、僕の額に手を当てた。皺の刻まれたその手は、思いのほか温かかった。

 

「体温も戻ったね。あんた、丸一日以上も眠り続けてたんだよ」

 

「一日以上……?」

 

 僕は掠れた声で聞き返した。あの夜からもう、そんなに時間が経っていたのか。

 

「驚いたよ。マジカ切れを起こすなんて無茶をしたね。言っておくが、お前さん危ないところだったんだよ? このマジカポーションがなけりゃ死んでたかもしれない」

 

 老婆は淡々と言いながら、ベッドのサイドテーブルにある青い小瓶に目をやった。僕は老婆に尋ねる。

 

「ここは、ジャルデュルさんの家じゃ……」

 

「いいや、あたしの家だよ。昨日はあんたの連れが片時も離れずここに詰めてたんだ。見てても良くなるもんじゃないから製材所に顔を出すように薦めたんだ。そしたらあの子らジャルデュルに、あんたの分も働かせてくれって頼み込んだそうだよ」

 

 カイとレンが、僕の分まで働いている。その事実に、申し訳なさと、じんわりとした温かさが同時にこみ上げてきた。

 

「……あの、一つ聞いてもいいですか」

 

「なんだい」

 

「さっき危うく死にかけてたと仰いましたけど、マジカを使い切るとその…死ぬんですか?」

 

 要領を得ない質問かもしれないと思ったが、老婆はふと手を止め、僕の顔を真剣な眼差しで見つめてこう切り出した。

 

「……魔力を使い果たすことは、その魂を燃やし尽くすことにも等しいことさ。二度としちゃいけないよ」

 

「魂を……燃やし尽くす?」

 

「あたしゃ本職じゃないから詳しくは無いけど、ただ――」

 

 老婆はそこで言葉を切ると、窓の外に視線をやった。朝日に照らされた村の風景を眺めながら、独り言のように呟く。

 

「あの大戦で戦ったエルフ共は……魔法を放ち続けた挙句、その体は白い灰になって消えてった。魔法ってのは恐ろしいものなんだよ……」

 

「まぁ、あんたはそこまでじゃないよ! 今は顔色だっていいし、気にしなさんな」

 

 そう言って笑い飛ばそうとする老婆だったが、その目の奥には、笑い飛ばしきれない何かが、微かに揺れているように見えた。

 

 「大戦」「エルフ」――その言葉だけで、大体の察しはついた。僕はもっと掘り下げて話を聞きたいと思ったが、それ以上は聞けない雰囲気があった。もう一つの質問で、話を元へ戻す。

 

「もう一つ聞きたいんですが、あの巨大なスキーヴァーはいったい……」

 

「ああ。あの燃え跡の化け物かい? 村の連中は不幸の前触れだなんて言ってるけど、ただの迷信だよ。獣が大きくなることなんてザラにあることさ」

 

 僕はそれ以上、深くは尋ねなかった。ただ、老婆の言葉と、心の奥に渦巻く不気味さとが、奇妙に重なり合うのを感じていた。

 

 ここまで話す中で、僕はある見落としがあることに気づいた。それのせいで、暗く重い気持ちになってしまう。

 

「あ、あの……治療代は少し待ってもらえませんか? 今無一文でして、必ずお支払いしますので」

 

 突然、老婆の僕を見る目つきが鋭くなる。

 

 やはり、ポーションを使った治療は高額なのだろう。命は助かって仕事にも就けたのは良いが、新たに金銭問題に直面してしまい、僕は落胆する。そんな僕の顔を見て、さっきまで神妙な面持ちであった老婆が、悪戯っぽく笑い出す。

 

「フフッ。薬代なら気にしなくていいよ。どうせ使い道のなかった物だし。ただし――」

 

 老婆は笑みを浮かべながらも、真剣な眼差しで語る。

 

「マジカ薬はこの一本しかないし、私も作れないから次はないよ。心得ておきな?」

 

「き、肝に銘じておきます」

 

 老婆の忠告よりも、治療代がかからなかったことへの安堵の方が、僕の中では勝っていた。

 

---

 

 老婆の家を辞する頃には、足元もしっかりしていた。太陽はほぼ真上で燦々と照りつけている。まだ体の芯に鈍い倦怠感は残っていたが、久しぶりの外気を目一杯、吸い込んだ。

 

 新緑の香りを含んだ空気が肺の奥まで染み渡る。川のせせらぎと、遠くから響く規則的な音――木材を挽く鋸の音を頼りに、僕は製材所へと足を向けた。

 

 何人もの作業員がそれぞれの持ち場を忙しなく動き回っていた。水車から伝わる動力で鋸が規則正しく上下し、その脇では丸太を転がして台に載せる者、切り出された板を受け取って積み上げる者、床に散った木屑を掃き集める者が、手を止めることなく作業を続けている。丸太が鋸に送られるたび、木を削る甲高い音とともに新しい板材が吐き出され、それを別の作業員が手際よく脇へ運んでいた。

 

 水車の回る音に混じって、二人の姿はすぐに見つかった。

 

「うおっ……!? って、またズレた!」

 

 レンが丸太の端に肩を当て、木材を押し込んでいる。

 

 製材所に運び込まれた丸太は、ただ積んでおけばいいわけではないらしい。地面に並べた丸太を一本ずつ作業台へ載せ、鋸が通る位置に合わせる必要がある。

 

 レンはその作業を任されていた。力だけなら問題ない。むしろ、彼にとっては大した重さではないようだった。だが、丸太は重いだけではない。転がる。しかも、少し力を加えただけで予想以上に動く。

 

「レン、持ち上げるんじゃない! 転がして寄せろ!」

 

「分かってるって!」

 

「分かってないから言ってるんだよ!」

 

 カイが鋭く言い返す。彼は丸太を固定するための楔を打ち込み、位置を調整していた。

 

 水車から伝わった動力で、製材機の鋸が一定の間隔で上下している。ゴウン、ゴウン、と規則正しい音が響き、そのたびに鋸の刃が木材へ食い込んでは、細かな木屑を散らしていた。カイは、その鋸の進み具合を確認しながら、丸太の位置や送り具合を調整していた。それだけでも、見ている以上に神経を使う作業らしい。

 

「……これ、思ったより難しいな」

 

 カイが額の汗を手の甲で拭った。

 

「力を入れすぎると鋸が噛む。かといって緩めると、今度は真っ直ぐ進まない」

 

「さっきから何回も止まってるぞ」

 

「お前が丸太をずらすからだろ」

 

「俺のせいかよ!?」

 

「半分くらいはな」

 

 二人とも、すっかり作業に振り回されている。レンは転がり落ちそうな丸太を支えようと慌てて踏ん張る。カイは鋸の音が変わるたびに手を止め、機械と木材の状態を確認する。

 

 ゲームの中では、製材所など背景の一つでしかなかった。だが実際に働いてみれば、木材一つ扱うだけでもこれほど手間がかかる。

 

「――二人とも」

 

 僕が声をかけると、二人は同時に振り返った。

 

「ジュンヤ!」

 

「おい、もう起きて大丈夫なのかよ」

 

 レンが丸太を放り出す勢いで駆け寄ってきた。積み上げられた丸太の山がバランスを失い、音を立てて崩れる。それを見ていたカイが、目を覆う。

 

「うん、平気。……というか、二人とも大変そうだね」

 

 僕が苦笑しながら言うと、カイは大きく息を吐き、額の汗を拭った。右腕にはまだ包帯が巻かれている。

 

「まったくだ。こいつの馬鹿力は加減が効かないからずっとこの調子なんだ。このままじゃ仕事が終わらないぜ」

 

「お前だってさっきからほとんど進んでないじゃないか! こっちの運ぶ作業はほとんど終わってるぞ?」

 

 二人のいつも通りのやり取りに、僕は自然と笑顔になる。それでも、真っ直ぐに仕事へ向き合っているその姿に、素直に頭が下がる思いだった。

 

「僕の分まで働かせて、ごめん。二人だって傷は癒えてないのに……」

 

「気にすんな。あの日生き延びれてここで働けてるのはお前のおかげだよ。とにかく元気になってくれて良かった」

 

 レンはそう言うと、僕の肩を軽く叩いた。

 

「それに、今日ちゃんと働けば、今日の分の稼ぎにはなる。……まぁ、ジャルデュルに弁償代を差し引かれた後の額だから、大した稼ぎにはならねぇけど」

 

 自嘲気味に笑うカイの言葉に、レンも渋い顔で頷いた。働いた分がそのまま右から左へと消えていく現実を思うと、胸の奥がちくりと痛む。だが、自分たちの起こしたことの結果だ。文句を言える立場ではない。

 

 村の見張り台から、正午を知らせる鐘の音が鳴り響く。製材所の作業員たちは各々、休憩に入っていく。

 

---

 

「おーい、お前さんたち!」

 

 不意に、よく通る野太い声が響いた。振り返ると、逞しい体躯の男が、大きな籠を抱えてこちらへ歩いてくるのが見えた。腕まくりをした太い腕、日に焼けた顔――どこかで見た覚えがある。

 

「おう! 動けるようになったのか! 良かったな! ……おっと、名乗ってなかったな! ジャルデュルの亭主でホッドだ」

 

 男はそう名乗ると、抱えていた籠を作業台の上にどんと置いた。中には、焼きたてらしいパンや、干し肉、瓶詰めの野菜が、ぎっしりと詰め込まれている。

 

「これは……?」

 

 僕が戸惑って尋ねると、ホッドは少し照れくさそうに頭を掻いた。

 

「お前さんたちへの、俺とジャルデュルからの差し入れだ。遠慮なく食え」

 

「ありがたいですが……どうして?」

 

 突然の施しに僕が疑問を投げると、ホッドは声を落とし、少しだけ真剣な顔になった。

 

「そりゃあんな化け物を始末してくれたんだから、これくらいは当然だ。あのまま放っておいたら、いずれ誰かが本当に喰われてたかもしれねぇ。うちの子もあの辺りでよく遊んでたんだ。お前たちは村に大きく貢献してくれた」

 

「そこまで言う割に弁償はさせるのか?」

 

 カイが、皮肉を込めて疑問を口にする。レンが咎めるような視線を向けたが、カイの態度は変わらなかった。それを見たホッドは苦笑いを浮かべ、一度、周囲を軽く見回した。

 

「なぁ若いの。言いたいこたぁ解るが、村ってのは、そういうもんじゃないんだよ。理由がどうであれ、建物を一つ丸ごと燃やしたのは事実だ。それを咎めなしにしちまったら、示しがつかない。村人たちの手前、ジャルデュルもああ言うしかなかったのさ」

 

 彼は籠の中の食料に、大きな手をそっと乗せた。

 

「つまり表向きの話と、俺たちの本音は別ってことよ。ジャルデュルの奴もな、内心じゃ、お前さんたちに感謝してるのさ。だから給金から弁償代を引くってのは、ただの建前だから安心しろ。そんな訳でこれは、しばらく芝居に付き合ってもらうための礼の品ってところだな」

 

 その言葉に、僕は何も言えなくなった。表では厳しく罰を下しながら、裏では静かに支えてくれている――そのやり方に、ジャルデュルという人の不器用な優しさが透けて見える気がした。

 

「……ありがとうございます」

 

 深く頭を下げる僕の隣で、レンとカイも同じように頭を下げた。

 

「気にすんな。それより、腹が減ってちゃ力仕事もできねぇだろ。今のうちに食っとけ」

 

 ホッドはそう言って、豪快に笑った。その笑顔につられるように、皆の顔も少しずつ緩んでいく。

 

 籠から漂う焼きたてのパンの匂いが鼻孔を刺激すると、三人とも自然と腹が鳴った。僕たちは互いの顔を見て、思わず笑ってしまった。

 

---

 

 同じ頃、リバーウッドから遠く離れた森の奥。かつて祭壇があった場所からほど近い、鬱蒼と茂る木々の合間に、黒いローブの一団が息を潜めていた。

 

「――見つけたか」

 

 最年長の男が、低く問う。跪いていた一人が、地面に描かれた術式から顔を上げた。

 

「…残滓を追いましたが、途切れていて特定できませんでした。しかし、方角から見てリバーウッドに潜伏しているかと思われます。」

 

「途切れているだと?こちらの探知に気づいて隠蔽したと言うのか。」

 

「そう考えて調べましたが、そのような痕跡は見当たりませんでした。」

 

 男は顎に手をやり深く考え込んでいたが、やがて何かを悟ったのか不敵な笑みを浮かべた。

 

「急ぐ必要はない。まずは様子を探れ」

 

「承知しました」

 

 跪いていた者が立ち上がり、闇の中へと音もなく消えていく。

 

 風が、梢を揺らした。遠くリバーウッドの方角から、微かに焦げた臭いが漂ってくるような気がした。

 

「――待っていろ。すぐに、償わせてやる」

 

 男の呟きは、誰の耳にも届くことなく、夜の静寂に溶けていった。

 

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