ありふれたギャルは世界最狂   作:バグッた左スティック

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#7 理想の終着点、生存のステップ

あれから一週間ほどが経過し、王宮の広大な訓練場では、クラスメイトたちによる本格的な対人および対魔物訓練が始まっていた。

 

「とりゃあぁっ!」

「隙ありっ、甘いぜ光輝!」

 

気合の入った掛け声とともに、木刀を激しく打ち合わせるクラスメイトたちの姿があちこちに見られる。ある者は近接戦闘の組み手に汗を流し、ある者は遠隔から属性魔法を使って的を正確に撃ち抜くなど、それぞれが与えられた天職のポテンシャルを本格的に発揮し始めていた。

 

そんな訓練の輪の中で、黒のトレーニングウェアに包んだ南雲ハジメもまた、自分のメニューをこなしていた。

 

「にしても、マジで毎日しんどくない? なんであーしがこんなガチの軍隊みたいな訓練しなきゃなんないわけ……。まぁ、サボったらまたあのおじさんにネチネチ言われそうだし、テキトーに流すけどさー」

 

ぶつぶつとダルそうに毒づきながらも、父親がゲームクリエイターでモーションアクターを手伝っていた経験から培われた抜群の身体感覚と、母親の漫画原稿を手伝う中で鍛えられた空間把握・クリエイター気質のおかげで、ハジメはこの一週間でちゃっかりと大きな成果を出していた。身体の軸のブレなさや動きのキレは、生産職とは思えないほど洗練されている。

 

城壁の修繕や日々の訓練を通じて錬成の感覚を極限まで掴んだ結果、彼女は新たに二つの強力な派生技能――『高速錬成』と『崩壊錬成』を会得していたのだ。

 

今まさに、ハジメの目の前には模擬戦用の木製の人形が立っている。

「ふんっ、とりゃっと!」

 

ハジメが地面に片手をドンと突き、魔力を流し込む。シュンッ! と一瞬の音とともに発動した『高速錬成』によって、地面から鋭い岩のスパイクが瞬時に突き出し、木製人形の足元をガッチリと拘束する。さらに、すかさずもう片方の手を向け、『崩壊錬成』を叩き込む。

 

ズシャアァンッ!

 

触れた瞬間に構造の結合を狂わせる『崩壊錬成』の力で、頑丈だったはずの人形は、一瞬にして崩れ落ちてただの砂の山へと変わった。

 

「おっ、今のコンボめっちゃ良くない? いい感じにエグいダメージ入るじゃん」

 

自分で自分の成果に小さく満足しつつ、ハジメは額の汗を拭いながらふと動きを止めた。

――だが、その一連の鮮やかな破壊劇は、周囲で訓練していたクラスメイトたちの視線だけでなく、少し離れた場所から見守っていた者たちの目をも完全に釘付けにしていた。

 

「……おいおい、マジかよ」

 

少し離れた場所で木刀を構えていたクラスメイトが、唖然とした表情で口をあんぐりと開けている。

「いまの、何だ……? 武器も使わずに、一瞬で頑丈な木の人形を砂に変えたぞ……?」

 

遠藤浩介は自分の持っている木刀を思わず二度見し、背筋に冷たいものが走るのを覚えた。生産職という前情報はあったが、目の前で行われたのは、下手な前衛職の必殺技よりもよっぽどエグく、そして無駄のない一撃だった。

 

「すごい……っ」

 

白崎香織は両手を胸の前で軽く組み、うっとりと見惚れながらも、その瞳の奥には熱い焦燥が揺れていた。

 

(あんなふうに前に立って……。でも、ハジメちゃんがあんな危なっかしい真似をするなら、私ももっと強くならなくちゃ。いつか私だって、あの子を守れるように……!)

 

浮ついた憧れではなく、もっとドロドロとした庇護欲と、自分の無力さへのいら立ちが胸の奥で渦巻く。

 

(私が支えなきゃいけないのに……!)

 

ぐっと拳を握り締める香織の胸にあったのは、ハジメの強さに寄りかかりたいだけの甘えではなく、彼女を独占し、守るための強さを欲する歪な決意だった。

 

そして――その光景を、少し離れた位置から見つめる一人の少年がいた。

天之河光輝だった。

 

(武器すら使わずにあんな連携を……すごいな、なんて言える余裕すらない……!)

 

光輝は胸を抉られるような気恥ずかしさと焦燥感を覚えながら、自分の手に握った模擬剣をそっと見つめた。過去の未熟さに縛られて逃げ出したい衝動に駆られながらも、ここで目を背けてはならないと、彼はぐっと奥歯を噛み締める。

 

(俺も……いつまでも足踏みしているわけにはいかないんだ……!)

 

さらに、その様子を少し離れた位置から腕を組んで観察していたメルド団長は、渋い顔を作りつつも、内心ではその底知れぬ才能に舌を巻いていた。

 

(まったく……。ただの基礎訓練をさせているつもりが、勝手に独自のコンビネーションまで開発しやがったぞ。高速錬成からの崩壊錬成……一瞬の魔力コントロールと対象の構造把握が完璧でなければ成立しない、極めて高度な技だ。おまけにあの無駄のない身のこなし……。前衛顔負けの戦闘センスだな)

 

メルドは感心の溜息を漏らしながら、その背中に熱い視線を注ぐ。

 

自分に向けられた数々の驚愕や感嘆の視線に気づき、ハジメは「え、なに? みんなそんなに見惚れてるわけ?」と軽く肩をすくめてみせるのだった。

 

 

---

 

それから数時間後全体訓練が終わりクラスメイト達は各個人で自主訓練を始めている中

 

すぐ近くの壁際で、支給された闇術師用の杖を地面に突き立てながら、やれやれといった様子で休憩していた清水幸利は、少し離れた場所で砂の山を相手になにやら悪戦苦闘しているハジメの姿を横目で見やった。

 

呆れ半分で見かねた清水は、大きく息を吐きながら、その冷めた声を飛ばす。

「おい、南雲。いつまで砂の山で遊んでんだよ。次のメニュー、あのおじさんに回されるぞ」

「サボってないし! ちょっとあーしの天才的なクリエイティブ脳が激しくスパークしてたわけ。ねえ清水、ちょっとこれ見てよ」

 

ハジメは自分の両手を見せる。支給品である「錬成の魔法陣が描かれた指ぬきの手袋」をはめたその手で、地面や物質に触れなければ錬成は発動しない。確かに手で触れるだけで発動できるのは便利だが、相手が目の前にいる緊迫した戦闘の最中に、わざわざ両手や片手を地面にペタッとつかなければならないというのは、ワンクッション動作が増えて大きな隙が生まれるということだ。

 

「敵が目の前に突っ込んできたときに、わざわざ『ちょっと待って、今から地面触るから!』とか言えなくない? マジで無防備すぎでしょ、これじゃあ」

「……まあ、確かに実戦でそんなことやってたら一発で首チョンパだろうな」

 

清水が淡々と現実的な指摘を返すと、ハジメは腕を組んでうーんと唸りながら自分の体を上から下へと眺めた。もっとこう、スマートに、立ち回りを制限されずに錬成を使える方法はないものか。

その時、ふと視線が自分の足元に落ちた。頑丈そうな革製の戦闘靴(ブーツ)。そのつま先やソール部分。

 

「待って。手袋に魔法陣があるならさ……別に、手じゃなきゃダメって決まりはないっしょ? これ、靴とか足の裏に錬成の魔法陣を描いたり刺繍したりしたらさ……ってか、将来ファッションデザイナー目指してるあーし的にも、ブーツのデザインに馴染むようにスタイリッシュな刺繍魔法陣にすれば、普通にカッコよくない?」

 

ハジメのクリエイター気質とデザインへのこだわりが、ここで奇跡的な化学反応を起こす。

 

「足でも錬成できんじゃね?」

 

立ったまま、歩きながら、あるいは走りながら――足元を地面に軽くコツンと当てるだけで、瞬時に足裏から錬成を発動できれば、戦闘中の機動力が爆発的に跳ね上がるはずだ。デザイン性も機能性も両方キープできる。

 

「うわ、それめっちゃアリじゃない!? 隙消えるし、動きながら罠とか即席の武器とか作れそうじゃん!」

「……お前、またなんか変なこと思いついたろ。その楽しそうな顔、ろくなことにならないからやめとけよ」

 

清水が呆れたようにため息をつくが、自分の天才的な発想にすっかりテンションが上がったハジメはもう止まらない。さっそく自慢のクリエイター気質を発揮し、ブーツのソールや側面にスタイリッシュな幾何学模様にアレンジした錬成陣を細かく刺繍していった。

 

---

 

「ん〜、完璧! 見た目はただのカッコいいお洒落ブーツなのに、中身はガチの戦闘用魔法陣って、超エモくない?」

 

自分だけの特製カスタマイズブーツに満足したハジメは、訓練の合間を縫って、さっそく「足裏からの錬成」の実験を開始した。

周囲のクラスメイトたちが懸命に木刀を振る中、ハジメはこっそりと壁際へ移動し、黒いブーツのつま先を地面にコツンと当てて魔力を流し込む。

 

(手袋のときは、手のひらからスッと流し込むだけで一発だったし、足でも同じ要領でいけるっしょ!)

 

軽く右足をトントンと地面に叩き、頭の中で小さな岩の塊をイメージする。

――だが。

 

「……あれ?」

 

何も起きない。もう一度、少し強めに足を地面にゴンと踏み込む。

 

ズズッ……!

「うわっ!?」

 

次の瞬間、予期せぬタイミングで魔力がドバッと暴発し、ハジメの足元から突如として歪な形の巨大な岩塊が飛び出した。その勢いに見事に足を取られ、ハジメはバランスを崩しそうになる。

 

「まっじでムズいんだけど……!?」

 

ハジメは片足立ちの変な体勢でよろめきながら、盛大に顔を引きつらせた。

手で錬成するときは、手のひらという狭い面積と神経が集中しやすい部位だったため、魔力のコントロールが直感的に行えた。しかし「足」となると話は別だ。人間の構造上、足の裏は地面を支えるための感覚(体重移動や地面からの反発)が優先されるため、そこに意識を集中させながら魔力を均等に流し込もうとすると、どうしても出力の加減がバグってしまうのだ。

 

もう一度試そうと、今度は左足で地面を軽く蹴ってみる。

 

シュンッ……パァン!

 

今度は出力が弱すぎて、地面の土がほんの少しだけ盛り上がった挙句、ボソボソと崩れて消滅した。

 

「う〜ん……。手みたいにスッといかないの、マジで意味フなんですけど。魔力の流し込むタイミングと、足の裏のどこに重心を乗せるかがシビアすぎない……?」

 

ハジメがムッとした表情で自分のブーツのつま先をトントンと叩いていると、背後からパタパタと軽やかな足音が近づいてきた。

 

「ハジメちゃーん! お疲れ様! 訓練大変じゃなかった? ほら、冷たいお水持ってきたから飲んで!」

 

「うわっ、香織。近っ……! てか、いつの間にそんな差し入れの準備とかしてたわけ?」

 

振り返ったハジメの顔に、ものすごい勢いで顔を近づけてきたのは白崎香織だった。彼女は両手に冷えた水筒と綺麗なタオルを持ち、まるで温泉上がりの恋人を迎えるかのような熱烈な視線をハジメに向けている。

 

「もう、ハジメちゃんが無理してないか心配で目が離せなかったんだもん! ほら、汗拭くよ? ねっ?」

「いや、自分で拭けるし! ってか、なんか変なオカンみたいなオーラ出さないでよ香織!」

 

ハジメが引き気味にツッコミを入れるが、香織は全く気にする様子もなく、ハジメの腕にぎゅっとしがみついて離れない。

しかし、ふと香織の視線がハジメの足元――先ほどまで改造していた特製ブーツに向けられた。

 

「……あれ? ハジメちゃん、そのブーツ, ソールに何か変な模様が刺繍してある……これ, 自分で縫ったの? めっちゃ可愛いデザインだけど……待って, これってまさか魔法陣じゃ……?」

「お, さすがデザイナー志望のあーしが見込んだだけのことはある? これね, 足の裏から直接錬成するための特製アレンジブーツなわけよ」

 

ハジメが得意げに胸を張ると, 香織は一瞬で青ざめ, 両手で自分の口元を押さえた。

 

「えっ……!? あ、足の裏で錬成!? そんなの危なくないの!? 魔力が暴発してハジメちゃんが吹っ飛んだりしたらどうするのっ……!?」

「いや、だから今まさにそれをテスト中なんだけどさ。手みたいにスッといかなくてマジで苦戦中なわけ」

「もう! 危ないことは禁止! 心配で私の心臓が持たないよ……! 万が一のときは私が絶対にハジメちゃんを盾になって守るから、そんな危ない特装靴なんか脱ぎ捨てて――」

「はいはい、過保護な大親友サンはあっちで雫とストレッチでもしてきなっての! あーしは天才だからすぐにモノにできるし!」

「もー、ハジメちゃんってばすぐそうやって強がるんだから……! でも、怪我だけは絶対にしないでよね? 約束だからね!?」

 

香織のあまりの重すぎる過保護っぷりに, ハジメはやれやれと片手で額を押さえる。

だが, 香織にそう言われて少し冷静になったハジメは, ふと自分の足の裏の感覚に意識を向け直した。

 

(――待ってよ。足の裏全体でベタッと魔力を押し出すんじゃなくて, かかとからつま先にかけて、体重移動の波に合わせるみたいに……こう, スライドさせる感じで魔力を流し込めばいいわけ?)

 

ハジメは香織をひらりと軽くあしらいつつ、もう一度姿勢を低くして地面に意識を集中させた。

父親のゲーム開発現場でモーションアクターを手伝った経験から、身体の軸のブレや重心の移動、筋肉の連動性についての知識と感覚は人一倍染み込んでいる。その身体感覚を、足裏の魔力流動にピタリとリンクさせる。

 

試行錯誤を繰り返しながら、ハジメは徐々にその「コツ」を掴み始めていく。

 

(――ベタッと面で押すんじゃなくて、かかとからつま先へ、重心を乗せる流れに沿って魔力を『流し込む』感じ……!)

 

意識を切り替え、ハジメは右足のソールを地面にそっと当てた。

さっきまでのドバッとした暴発でもなく、スカスカの不発でもない。かかとの接地から、足裏全体を経てつま先へと重心が移動する一連のモーションに、まるで糸を通すようにすんなりと魔力を同調させてみる。

 

シュンッ! カチッ。

 

「おっ……!」

 

ハジメが小さく声を漏らした足元で、今度は暴発することなく、手頃な大きさの滑らかな円柱状の石柱が、寸分違わずスッと綺麗に地面からせり上がってきた。でこぼこせず、無駄な歪みもない、完璧な狙い通りの造形だ。

 

「――なるほどね。手袋のときは『手で触る』っていう物理的なワンクッションがどうしても挟まってたけど、足なら歩く動作とかステップの延長線上でそのまま錬成に繋げられんじゃん……!」

 

ハジメの中で、パズルのピースがカチリと噛み合うような快感が広がる。

父親の現場で培ったモーションアクターとしての経験――身体の軸のブレなさ、重心移動の美しさ、そして筋肉の連動性が、そのまま魔法のコントロールへと直結していく。手よりもむしろ、体重を預ける足のほうが、ダイレクトに地面と対話できる分だけ自由度が高いかもしれない。

 

「これ、戦ってる時の機動力を落とさずにむしろ手数増やせるし、何より見た目もお洒落な特製ブーツのままで隠し武器にできるとか……我ながら天才すぎでしょ、あーし」

 

すっかり自分の世界に入り込み、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたハジメは、その感覚を体に覚え込ませようと、軽くステップを踏みながら左足をトントンと小気味よくリズムを刻んでみた。

 

シュシュッ! パパンッ!

 

その足裁きに合わせて、地面から小さな石のスパイクが途切れることなく綺麗に連続して走る。失敗するたびに土まみれになってイライラしていたさっきが嘘のように、思い通りの軌道とタイミングで技が形になっていく。

 

「よし、完璧。これなら実戦でも余裕で――」

 

試行錯誤を繰り返しながら、自分の手に入れた新しい手札にすっかり夢中になり、満足げに小さく頷くその姿。

 

 

――だが、その一連の試行錯誤の姿は、少し離れた場所から腕を組んで観察していた者に見逃されていなかった。

 

(まったく……相変わらずマイペースに独自の特訓をしてやがるな、あの嬢ちゃんは。手だけでなく、今度は足の裏から魔力を流すつもりか……。思いつきのスケールが常軌を逸しているが、それを実際に形にしようとする執念と感覚の鋭さは本物だな)

 

メルド団長は渋い顔を作りつつも, 内心ではその底知れぬ才能に舌を巻いていた。ただ一人で基礎練習を続けさせるよりも, そろそろ実戦形式の荒波に放り込んで、その実力がどこまで通用するか試してみるべきか――そんな考えがメルドの頭に浮かぶ。

 

「おい、ハジメ。そこまでだ」

 

低く通るメルドの声に, ハジメは「うわ, また来たよこのおじさん……」と露骨に嫌そうな顔をしながら足を止めた。

 

「なにぃ?, サボってないしちゃんと特訓中なんですけど。これでも足裏の刺繍アレンジとか結構こだわって――」

「そういうことではない。お前のその妙な戦闘センス, 一度どれほどのものか形にして試してみるべきだと思ってな」

 

メルドは訓練場の中央を指し示し, そこにいた一人の男子生徒を呼び寄せた。

呼ばれたのは, 聖剣をその手に宿すクラスの英雄――天之河光輝だった。

 

「光輝, お前が相手だ」

「えっ……俺がですか?」

 

光輝は目を丸くし, それから数歩離れた場所に立つハジメへと視線を向けた。まさかハジメと手合わせすることになるとは思っていなかったため, 戸惑いが色濃く滲む。

 

「おい、光輝。ぼさっとするな。お前のその剣で、一度あいつの実力を受けてみろ」

 

メルド団長の低い声に促され、光輝はハッと現実に引き戻された。胸の奥で渦巻く気恥ずかしさと、自らの未熟さを突きつけられるような焦燥感をどうにか飲み込み、彼は重い足取りで一歩を踏み出す。逃げ出したい衝動を振り払い、ここで背中を向けてはならないと自分を奮い立たせるように息を整えながら。

 

やがて, 二人は訓練場の中央に向かい合って立つ。

光輝は支給された金属製の模擬剣――生徒同士の訓練用に刃がしっかりと潰されたもの――を右手に握りしめた。

 

それを見て, メルドが眉をひそめてハジメに問いかける。

 

「おい, ハジメ。武器はどうした?」

「は? 武器?」

 

ハジメはきょとんとした顔で自分の両手を見下ろし, それから面倒くさそうに首を傾げた。

 

「そんなんいらんしょ? あーし別に人殺しになりたいわけじゃないし」

 

その一言が, 王宮の訓練場に落ちた瞬間, 周囲の空気が音を立てて凍りついた。

 

陽気な笑い声や, 木刀がぶつかり合う乾いた音――それまで日常の延長のように流れていたすべてが, 嘘のように掻き消される。そこにあったのは, 底冷えするような静寂と, 全員の喉を締め付ける重苦しい沈黙だけだった。

 

「……人殺し, か。相変わらず, 言うことが直球だな」

 

清水幸利は, 支給された闇術師用の杖を軽く地面に突いたまま, いつもの不愛想な仏頂面でハジメを見据えた。

目の前で繰り広げられているのはファンタジーの冒険譚などではなく, 生身の命を奪い合う殺し合いの世界なのだという逃れられない事実。それをハジメがあまりにも平然と言い放ったことに, 清水は内心で小さく舌を巻きつつ, その冷徹な真実を冷静に受け止めていた。

 

少し離れた場所で, 遠藤浩介は息を呑み, 反射的に自分の制服のポケットへと手を突っ込んだ。

そこには, あの朝ハジメが自販機のジュース代として無造作に握らせてくれた, あの百円玉が入っている。ひんやりとした金属の感触を指先で確かめながら, 遠藤の脳裏には先ほどの言葉がグサリと突き刺さっていた。

 

(……そうだ。俺たちは, これから誰かを殺すかもしれないし, 殺されるかもしれないんだ……。なのに, 俺たちは何に怯えて,何を呑気に……)

 

ハジメがくれた日常の温もりの裏側にある, あまりにも残酷な崖っぷちの現実。遠藤は冷や汗を流しながら, ぐっと奥歯を噛み締めた。

 

「ハジメちゃん……っ」

 

香織は, その場に釘付けになったように足を止めていた。

彼女の潤んだ瞳は、武器を持たずにただ真っ直ぐに立つハジメの背中を捉えたまま、微動だにしていなかった。その視線の先にある少女が何を思い、どんな気配を纏ってその場に立っているのか――それを探るように、香織は息を詰まらせ、自分の胸元をぎゅっと掴む。

 

その隣で, 雫は鋭く黒い瞳を細め, 唇を噛み締めていた。武家としての心構えを持つ雫でさえ, 召喚されて以来「戦い」をどこか義務感や非現実的なゲームのように捉えていた部分があった。しかし, ハジメのその一言は, 綺麗事では絶対に済まない「命のやり取り」の重みを容赦なく突きつけていた。

 

「嘘でしょ……そんなの, 冗談に決まってるよね……?」

鈴の顔から血の気がサーッと引いていく。恵里は眼鏡を押し上げる指をプルプルと震わせ, 恐怖と動揺を隠しきれない目でハジメを見つめていた。

少し離れた席の端で園部優花もまた, 険しく歪んだ顔のまま, 自分の手のひらを恐怖に満ちた目で見つめている。いつだって教室の中心で騒ぎ, 自分とは違う「キャラ」だと思っていたそのギャルが, 誰よりも深く, この異世界の理不尽な現実の核心を突いていることに, 誰もが圧倒されていた。

 

そして――その言葉を一番近くで聞いていた天之河光輝の足が、完全にすくんでいた。

 

(人殺し……俺たちは、これから人と戦い、命を奪わなければならない……?)

 

光輝の胸に、冷たく重い泥のような絶望が落ちる。

かつて自分の正義感や正論を無遠慮に振り回し、大切なことから目を背けていた未熟な過去。それを痛いほど思い知らされた経験を経て、光輝は知っていた。自分に無い強さと、圧倒的な自然体の軸を持つその姿を前にしたとき、自分が抱くのはどうしようもない焦燥感と気恥ずかしさだということを。

 

クラスのリーダーとして、あるいは「みんなを引っ張る完璧なヒーロー」として、空っぽの理想や期待ばかりを背負ってきた自分。しかし現実はどうだ。目の前の少女は、武器を手にすることすら拒絶し、「人を殺したくない」という剥き出しの人間としての倫理と恐怖を、誰にも媚びずにその口で言い放った。

 

(俺は……聖剣を持ち、勇者と呼ばれながら、その現実から目を背けていただけじゃないのか……? 南雲さんは、俺なんかよりずっと深く、この世界と、自分自身に向き合っている……!)

 

彼女という歪みのないレンズを通して映し出されるのは、いかに自分が怯えた虚勢に満ちていたかという不完全な現実だった。

 

「……光輝君? 何ボーッとしてるわけ? 来ないんなら、あーしから行くけど?」

 

静まり返った訓練場に、ハジメのフランクな、しかしどこか冷めたトーンの声が響く。

その呼び方にある「光輝君」という絶妙な線引きは、彼女なりのフランクさを保ちつつも一定の距離感を守っている証拠だと、光輝には痛いほどよく分かっていた。

 

光輝は震える両手をグッと握りしめ、覚悟を決めるように息を吸い込んだ。

 

「……すまない、南雲さん。行こう」

 

メルド団長の低く響く合図とともに、模擬戦の幕が切って落とされた。

 

シュウッ! と空気を切り裂く鋭い音とともに、光輝の剣が放たれた。

 

初撃は光輝だった。さすがは聖剣の適性を持つだけあり、踏み込みのスピードと剣の軌道は鋭く、素人目にも圧倒的な才能を感じさせる。だが、ハジメは武器を持っていない。徒手空拳だ。

 

「っとと……!」

 

自分の体型を活かした抜群の身のこなしで、ハジメは光輝の鋭い斬撃をギリギリのところでひらりと躱す。光輝はすぐさま剣を返し、横薙ぎに振るう。今度は逃げられない。だが、ハジメはその剣先が喉元をかすめる瞬間に、あえて自分から一歩、深く踏み込んだ。光輝の手元、懐の中だ。

 

(近い……ッ!)

 

距離が近すぎて、光輝は攻撃を出すことすらできない。慌てて距離を取ろうと剣を引くと、その隙間を縫うように、ハジメの掌が光輝の肘をかすめるように押した。

その、わずかな接触。ただそれだけの小さな力で、光輝の剣先はあらぬ方向へ大きく流れる。

 

(なんだ、今の……? 力を、いなされたのか……?)

 

光輝は息を整える間もなく、連撃を見舞う。

どれもが鍛錬を重ねた「勇者」の一撃。それをハジメは、ただ頭を傾け、肩を引き、腰を落とすだけでやり過ごしていく。

その動作に、美しい型などない。泥だらけの靴が土を蹴り、荒い息が砂埃を吸い込む。必死の足掻きなのに、その表情だけが驚くほど凪いでいる。

 

光輝は自分の攻撃が、まるで深い沼に沈んでいくような感覚を覚えた。何をしても、手応えがない。殴れば、空気をつかむ。切れば、幻影をなぞる。

 

(なんだかまるでこちらの動きがすべて見透かされているような――!)

 

すれ違いざまに見たハジメの瞳には、何の感情もなかった。恐怖も迷いも、あるいは戦う高揚感さえも。ただ淡々と、機械のように攻撃を見切り、最小限の動きで躱し続ける。

 

(なら、これで……!)

 

光輝は聖剣を握り直し、全属性の魔力を複合させて剣を加速させる。剣筋が光に染まる。その瞬間だった。

 

ーーー人殺しになりたいわけじゃないーーー

 

ハジメが言った、あの言葉が脳裏に過ぎる。

全力で技能を解放すれば、これはもうただの模擬戦ではなくなる。この剣は、人を傷つけるためにあるのか?

光輝の躊躇い。その一瞬の迷いが、『縮地』による踏み込みの鋭さを削ぎ、『先読』の演算にノイズを混入させる。剣筋がぶれ、魔力の制御が乱れる。

 

(……俺は、何のためにこの剣を振っているんだ?)

 

光輝が制御に意識を奪われた、その隙だった。

 

ハジメが一度、軽く地面を踏みしめる。ブーツのソールから青白い微光が走り、幾何学的な魔法陣が足元の砂地に刻み込まれた。彼女は地面を叩いているのではない。ただ歩くその足裏で、一歩ごとに地形そのものを組み替えているのだ。

 

気配もなく、意志も感じさせない現象。ただ、そこにあるのが当然のように、地面が隆起し、突起が配置されていく。

 

魔力で高密度に圧縮された即席の岩の枷が、光輝の足首をガッチリと拘束する。

 

(足の裏から直接……!? 武器すら持たず、自分の身体と足さばきだけで……!)

 

突然の足場の変化にバランスを崩し、よろめく光輝の脳裏に、自らの内側が丸裸にされるような衝撃が走る。

 

守るべきものだとか、みんなを導くリーダーだとか、そんな立派な肩書で必死に繕ってきた自分の理想が、この圧倒的な「個」の在り方の前でどれほど空疎だったか。戦いの最中であるにもかかわらず、光輝の足元は岩の枷がなくとも、その精神の揺らぎによって完全に縛り上げられている。

 

その隙を逃さず、ハジメはしなやかにステップを踏み、もう片方の足を地面にスライドさせた。

 

シュンッ!

 

光輝の視界のすぐ横をすり抜けるように、地面から滑らかな石のプレートがせり出し、容赦なく手元へと迫る。

 

(どうして、迷いがないんだ……! 俺と彼女とでは何が……)

 

その動揺を打ち抜くように、プレートは光輝の手元を絶妙なタイミングで弾き飛ばした。

 

カランッ……

 

光輝の手から、模擬剣が乾いた音を立てて転がり落ちる。

 

訓練場全体が、一瞬の静寂のあと、どよめきに包まれた。

 

「うわ、マジかよ……! 素手で、しかも足の技であの光輝を……!」

 

誰もが、素手で武器を持つ聖剣の使い手を翻弄し、足技一つで無力化したハジメの戦闘スタイルに言葉を失っていた。

 

「……そこまで勝負あり!! 勝者、ハジメ!!」

 

メルド団長のやや呆れたような、しかし隠しきれない感嘆の混じった声が訓練場に響き渡った。

 

清水が腕を組んで小さく感心し、遠藤も「すっげぇ……!」と口をあんぐりと開ける。周囲から感嘆の声や歓声が上がる中、香織は、その鮮やかな勝利を見つめたまま一歩も動かずにいた。

 

周囲の賑わいが遠ざかるように、彼女の視線は砂煙の向こうに立つハジメの背中から一瞬たりとも外れない。両手を頬に当てることもなく、自分の着ているの法衣の裾を白くなるほど強く握り締めた指先が、微かに震えていた。

 

その隣で、雫は微動だにせず、その場に立ち尽くしていた。

武家としての厳格な鍛錬を重ね、己の剣技に誇りを持ってきたはずの胸の奥で、言い知れない熱と冷たさが複雑に入り交じり、波を打っている。

 

(……あんなの、ずるいわ……)

 

武器すら持たず、自分の身体と感覚だけで理不尽な現実を切り拓いていくその姿は、あまりにも眩しかった。

 

教え込まれた「型」に縛られ、正しさや強さを演じ続けることでしか自分を保てなかった雫にとって、ハジメの圧倒的な自由さと、自分の足で世界を掴み取る強さは、ずっと泥のようなコンプレックスと歪な羨望を燻らせる対象だった。

 

周りの生徒たちがその勝利を称えて沸き立つ中、雫は手にしていた模擬剣の柄からふっと力を抜いた。

固く結んだ唇を緩めないまま、ただ静かにその足捌きの残像を目で追いながら、胸の奥で音を立てて渦巻く独占欲と劣等感を、必死に半歩後ろへと押し隠す。

 

決して踏み出せない一線を引いた場所で、雫はただ静かに、その眩しすぎる背中を見つめ続けていた。

 

 

 

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