王宮の訓練場に、緊張感のかけらもない男子たちの怒声と、遠藤のやれやれといった声が響いていた。
「おい、遠藤! この訓練用の剣、なんかバランス悪くてめちゃくちゃ振りにくいんだけど!」
「あ? 知るかよ、王宮から支給された標準品だろ」
「なんだと!? こんなポンコツな鉄の棒じゃまともに型も取れねぇぞ!」
「文句なら作った職人に言えよ……って、お前、何を勝手に――」
遠藤が呆れたように声を上げる目の前で、ジャージを着崩した金髪ギャルのハジメは「しゃーないなー、ちょっと貸してみ?」と面倒臭そうにため息をつき、その訓練用の一振りに軽く手を触れた。
瞬間、ほんの一瞬だけ淡い光が走り、物理的な形状と重心のバランスがその場で一瞬にして再構築される。
「ほら、これで少しはマシになったっしょ。重心を手元寄りにしたから、アンタでももうちょいキレのある動きできるはずだしさ」
「おおっ!? なんか一瞬で手に馴染むぞ……! すげぇな南雲、一瞬で名刀に生まれ変わったみたいだ!」
「名刀とか大袈裟すぎだし! ただの微調整だっての。次から自腹だかんねー?」
「冷たっ! まあ、助かるけどさ!」
「おい南雲! 俺のも頼むわ!」「俺のも!」
「ちょ、アンタら一斉に来んなっての……!」
そのドタバタした小競り合いを、少し離れた場所からじっと見つめている男がいた。
天之河光輝だ。ハジメがくれた『十字(クロス)』のブレスレットをそっと指先でなぞりながら、光輝はどこか吹っ切れたような、静かな眼差しでその光景を見つめていた。
「ん? なになに光輝君。またなんか一人で勝手に背負い込んで肩凝ってない? ウケるんだけど」
ハジメが水色のシュシュを結び直しながら、トコトコと歩み寄ってニタァと悪戯っぽく笑いかけてくる。そのあまりにもフランクでギャルらしい距離感に、光輝はかすかに頬を緩め、首を横に振った。
「いや……そういうわけじゃないさ。ただ、見つめていただけだ。……相変わらず、自分のやるべきことを見失わないなって思ってさ」
「は? なんそれ、あーしを褒めてる系? 草生えるってw。ま、そんな真面目な顔してないでさ、ほら、ゴリもそこで暇そうにゴリラみたいな素振りしてないでさ、男子たちのポンコツな剣、まとめてあーしのところに回収してきてよろー☆」
「誰がゴリラだ! ってか、何ナチュラルに人使い荒くしてんだよ!」
「いや、お前は実際ゴリラだろ。力仕事はゴリラの役目だ」
「清水、テメェあとで覚えてろよ!」
「いいから早くしてくんない?アンタの分もついでに直してあげっからさ」
龍太郎の必死の抗議と、清水のどこか冷めたツッコミが重なり、男子たちの間にまたくだらない笑い声が広がる。
光輝はその輪の中に一歩だけ足を踏み入れ、ただ一人のクラスメイトとして、その雑多で熱を持った空気を自然に味わっていた。
かつての過ちと向き合い、泥臭く変わり始めた一人の少年として、光輝もまた、ハジメがもたらしたこの賑やかな青春の光景の中にしっかりと馴染み始めていた。
その少し離れた日陰のベンチでは、女子組が穏やかな空気を満喫していた。
「ねぇ見て見て鈴ちゃん! ハジメちゃんに彫ってもらったこの『H』のイニシャル、めっちゃ可愛くない!?」
「はいはい、今日も今日とてカオリンのナグモン愛は絶好調ですねー。もうそれ何百回見たよ?」
「えー、いいでしょ別に! ほら、光に当てるとシルバーがキラキラしてさ……」
「香織、それさっきから何回目? さすがにハジメもちょっと引いてたよ」
「えっ……!? うそ、本当……?」
香織はガビーンと全身からショックの色を滲ませ、その場で一気に崩れ落ちるように膝をついた。
「あ、あれ……? 私の愛情表現、重すぎた……? ハジメちゃんに嫌われちゃった……!?」
「あはは、恵理ナイスツッコミー。まあ、カオリンのナグモン愛は時空歪んでるからねー」
鈴がケラケラと笑い、恵理も小さく肩を揺らして微笑む。かつての冷めた仮面の下で距離を取っていた姿はもうそこになく、彼女は香織や鈴と同じベンチに肩を並べ、ごく自然にその輪の中に溶け込んでいる。
左手首には、ついさっきハジメに刻んでもらったばかりの「メビウスの輪」のチャームが、夕日に照らされて小さく、しかし確かな輝きを放っていた。
その恵理の自然な横顔を見つめながら、隣に座る鈴はふっと目を細め、どこか嬉しそうに、そして愛おしそうにフフッと笑った。
「……なに、鈴? そんな顔して」
「ううん。なんかさ、恵理が最近めっちゃいい顔するようになったなーって思ってさ。……すごく、似合ってるよ、その輪っか」
鈴の真っ直ぐな言葉に、恵理は少しだけ目を丸くした後、照れくさそうに、けれどどこか気恥ずかしさを隠すように視線をそらした。
「……そうかな? でも鈴が言うんならそうなのかも……。私さ、最近ちょっと色々悩んでてさ……。でも、その色んな事含めて私は私なんだって思えるようになったから、少し気持ちが楽になってさ……」
恵理のどこか不器用な、けれど等身大の言葉に、鈴はふっと嬉しそうに目を細め、気負わない調子で彼女の肩を軽く叩いた。
「――うん、それでいいじゃん! まぁ、ウチら色々ありすぎて頭パンクしそうになるけどさ、一人で抱え込まないでよ? こうやってさ、たまには愚痴ったりしながらテキトウにいこーぜ」
「ふふっ…ありがとう鈴…」
鈴のカラッとした笑顔に、恵理もつられて小さく吹き出す。
決してすべてが綺麗に解決したわけではない。心の奥にはまだ消えない澱や葛藤がくすぶっているけれど、それでも以前の「冷めた仮面」とは違う、不器用ながらも等身大の温度を持った笑みを浮かべる。
かつて同じ「仮面」を被って息を潜めていた者同士。その仮面が少しずつ剥がれ落ち、不完全ながらも本当の意味で心を通わせているその穏やかな空気感は、見ていて心底心地よいものだった。
誰もがそれぞれの傷を抱えながらも、ハジメがもたらした「カラッとした温度感」に引っ張られるようにして、確かな居場所を見出していた。
――だが。
その温かく弾むような日常の輪から、ただ一人、決定的に外れた場所で息を潜めている少女がいた。
夜のとばりが下りた王宮の訓練場。
昼間の賑わいが嘘のように静まり返った暗がりの中で、八重樫雫は一人、狂ったように木刀を振り続けていた。
――ヒュッ! バシッ! と、乾いた風切り音が冷たい夜気に鋭く突き刺さる。
「……っは、はぁ……っ!」
雫の額から大粒の汗が流れ落ち、荒い息が静寂の夜に響く。
彼女の左手首に嵌められた特製ブレスレットのチャームは――今もなお、冷たい金属の光を放つだけの「無地」のままだった。
異世界に召喚されてから一ヶ月半。
八重樫家の跡取りとして、弱音など一言もこぼさず、いつでも凛としていなければならない――そう自分を律し、気丈に振る舞うことで、雫はなんとか正気を保ってきた。
けれど、そのプレッシャーと募る不安は、日を追うごとに彼女の心を蝕み、限界へと近づけていた。
――なのに、あの子は。
金髪を揺らし、派手なジャージを着こなすそのギャルは、周囲の張り詰めた空気などどこ吹く風で、あまりにも気ままにこの世界を彩っていく。
訓練場の石像をメルド団長の顔面に変えても悪びれず、王宮の城壁の修繕をひとりで完遂し、枯渇した東方荒地を愛子と一緒に豊かな農地に変えてみせた。あげく、リリアーナ王女に作ったアクセサリーが王国内の貴婦人たちの間で爆発的なトレンドになり、城下町の石畳を直せば住民たちから「さすが異界の救世主様だわ」と温かく感謝される。
本人は「ただの微調整だってw」といつもの調子でケラケラ笑っているだけだというのに、気づけば王国内における自身の評価と立ち位置を、これでもかと最高潮まで高めまくっていたのだ。
(私だって……本当は、正気を保つだけで精一杯なのに……っ)
胸の奥で、黒い澱のような感情が音を立てて渦巻く。
自分がどれほど「完璧な八重樫雫」でいなければならないという呪縛に縛られ、すり潰されそうになりながらも耐えているというのに。隣で楽しそうに笑うあの子は、自分の足で見つけた圧倒的な自由と強さで、周囲の人間を救い、変え、眩しいほどの光を纏っていく。
香織が想いを真っ直ぐにぶつけ、恵理が自分の闇を受け入れて居場所を見出し、光輝であっても自分の歪みと向き合おうともがいている。
周囲の誰もがそれぞれの答えを見つけて前に進んでいるというのに、自分だけが過去の誇りと強がらなければならない呪縛に囚われ、一歩も動けないまま、内側のストレスで壊れそうになっていた。
ハジメの手の温もりを思い出すたび、胸の奥でどろりとした切ない熱が疼きだす。
――あの眩しすぎる太陽のような女の子に、私も縋りついてしまいたいという、あまりにも不器用で、誰にも言えない恋心。そして、そんな自由な彼女に対する、どうしようもないほどの羨望と嫉妬。
(――ああ、神様……私、どうしてこんなに情けないのかしら……)
誰にも見せられない。誰にも言えない。
このグチャグチャに濁った感情を気丈な仮面の下に押し隠したまま、明日もまた「強い八重樫の娘」を演じ続けなければならないという終わりのない恐怖。
「……っ、まだまだ……! こんなんじゃ、全然足りないわ……っ!」
震える両手で木刀を強く握りしめ、雫は自らを罰するように、さらに激しく、殺意を帯びたような猛烈な連撃を夜の虚空へと浴びせ続けた。
周りの人たちが次々と変わりゆく中で、自分だけがドロドロとした歪なコンプレックスと孤独の澱に絡め取られている。
その救いのない絶望感と、誰にも吐き出せない切ない感情を乗せた孤独な剣戟の音だけが、訪れる嵐の予感を告げるように、冷たい夜風のなかにむなしく響き渡っていたのだった。