澄み渡る朝の光が、宿場町ホルアドの石畳を柔らかく照らし出していた。
宿屋の広いロビーは、旅立ちの準備を進める騎士たちとクラスメイトたちの熱気で包まれていた。その賑やかな空気の中心で、金髪のギャル——南雲ハジメは、パチンと小気味よい音を立てて髪を整えていた。
揺れる水色のシュシュ。昨夜、テラスで香織と交わした対話を経て、胸の強張りやすれ違いのショックはすっかり解け去ったようで、いつものカラッとした笑顔を浮かべている。
「おはよー! ほら清水、朝からそんなシワ寄った顔してないでしゃきっとしなよー☆」
「……誰のせいで寝不足だと思ってんだよ。だいたい朝からテンション高すぎだろ、お前……」
不機嫌そうに目を擦る清水の背中を、ハジメはパンッと景気よく叩く。そのままトコトコと歩き出し、宿の受付前でぼんやり立っていた少年の元へ躍り出た。
「遠藤〜、アンタまた影薄すぎて宿屋の店員さんに存在スルーされてたっしょw ほら、朝食のパンちゃんと受け取りなよー☆」
「誰が影薄いんだよっ!? ちゃんと視界に入ってただろ!! ……って、ていうか南雲、なんか完全に復活してない……!?」
「ナグモンが戻ってきたー!」「よっしゃ、これで安心だな!」
いつものサバサバした明るさを完全に取り戻したハジメに、鈴や恵理、男子たちも安堵の表情を浮かべ、ロビー全体の重苦しい空気がパッと華やかに明るくなっていく。
だが——その輝かしい光の輪から、完全に置き去りにされた場所があった。
壁際の暗がりに身を寄せ、膝を折るようにしてうつむいている少女——八重樫雫だ。
先日のコンプレックスの爆発と自己嫌悪から一歩も抜け出せず、眠れぬ夜を明かした彼女の目の下には微かな隈が落ちていた。左手首には、何の刻印も施されていない冷たい【無地】の特製ブレスレットが嵌められている。愛用の木箱(剣)を爪が白くなるほど強く抱きしめ、誰とも目を合わせようとしない。
吹っ切れて前を向き、いつもの輝きを取り戻したハジメ。
自らの呪縛と罪悪感に囚われ、さらに深く沈み込む雫。
朝の清々しい光の中で、二人のコントラストは残酷なまでに際立っていた。
「よし、全員揃ったな! ここよりオルクス大迷宮へ向けて出発する!」
メルド団長の重厚な号令が響き渡り、一行は宿場町ホルアドの賑やかな通りを抜けていった。
◇
「……え、ちょっと待って? ここ何? なんかユニバの入場ゲートみたいじゃね?年パス販売所どこー?」
大迷宮の正面入口に到達した瞬間、ハジメは拍子抜けしたように声を張り上げた。
目の前に構えられていたのは、薄暗く不気味な洞窟の穴などではなかった。まるで近代的な博物館や大型テーマパークの入場ゲートのような、石造りの立派な建造物だったのだ。
ゲート前には整然と受付窓口が並び、王国騎士団の制服を綺麗に着こなしたお姉さんたちが、笑顔で冒険者たちのステータスプレートを一枚ずつ確認し、出入りや死亡者数を管理・記録している。
広場には威勢のいい声を上げる露店が所狭しと並び、武器屋や薬草売り、怪しい珍品を売る商人たちでごった返す、まるでお祭り騒ぎのような活気だ。
「わかるー! なんかテーマパーク感エグいんだけど! シュレックとか出てきそうだよね!?」
ハジメの言葉に鈴がノリノリで乗っかり、香織が可憐にクスリと微笑む。
「ふふっ、本当にすごい活気だね。ここなら少し安心して入れるかも」
「でもここ、出入りの記録と一緒に死亡者数の管理もしてるらしいよ……。年パスどころじゃないって…」
恵理が眼鏡のフレームを押し上げながら冷静に突っ込めば、清水が無愛想に吐き捨てた。
「テーマパークの顔した難所とかタチ悪いわ。ゲームなら間違いなくトラップだらけの初見殺しダンジョンだな」
「おい受付のお姉さん!! 今絶対俺の存在スルーしてカウント飛ばしたよな!? ちゃんと見えてんだろ!! 人数に入れてくれよおい!!」
遠藤の渾身のキレ芸と叫びを背景に、クラスメイトたちはお上りさん丸出しでキョロキョロと周囲を見回しながら、メルド団長の後ろをカルガモのヒナのごとくゾロゾロとついていった。
だが、重厚なゲートを通り抜け、大迷宮の内部へと一歩足を踏み入れた瞬間——空気の質が激変した。
地上のお祭り騒ぎが嘘のように消え去り、ひんやりとした重く湿った空気が肌を撫でる。仄暗い石造りの大空間がどこまでも続き、生還者皆無とされる「人類最悪の難所」のプレッシャーが、重圧となってクラスメイトたちの肩にのしかかった。
「全員、気を引き締めろ! 交代で前に出るぞ! ——来るぞ、ラットマンだ! すばしっこいが大した敵じゃない、冷静にいけ!」
メルドの鋭い警戒の声と同時に、前方からシュババッと素早い影が飛び出してきた。
灰色の体毛に赤黒い目が不気味に光る、二足歩行のネズミの魔物。しかしその体躯は不自然なほど筋骨隆々で、八つに割れたシックスパックの腹筋と、パンパンに膨らんだ胸筋を見せつけるように、ムキムキの肉体で飛びかかってくる。
「うわっ……なんだあの腹筋……っ」
「ネズミの癖にムキムキでキモいんだよ!」
光輝や龍太郎たちが前線に立ち、引き気味になりながらも剣の一閃や激しい拳の殴打でラットマンを次々と撃破していく。
だが、倒し漏れた一匹のムキムキネズミが、「シャーッ!」と素早い低空ジャンプで前衛の隙を突き、後方のハジメたちを目がけて一直線に飛来した。
視線の先で八つ割れの腹筋を誇らしげにアピールしながら迫るネズミに、ハジメは露骨に不快そうな顔を浮かべた。
「えっ、何このネズミ!? キんモッ!! こっちくんなぁああっ!!」
ハジメは本気でドン引きしながら叫ぶと、武器を構えるでも身体を動かすでもなく、そのまま足元に一切の物理予備動作なしで高速錬成を発動させた。
——ズシャアアンッ!!
ハジメの足元の石床から、極太の石柱が凄まじい速度と勢いで斜め前方に突起・伸長した。
宙を舞っていたラットマンのムキムキな胴体に石柱の先端が「ガツンッ!」とダイレクトヒットし、そのままの勢いで遥か後方の暗がりへと豪快に吹き飛ばされて消えていった。
静まり返る周囲。
ハジメ自身は足裏錬成(足の裏から魔力を流し込んだだけ)しかしておらず、その場から一歩も微動だにしていない。
「おいおい……相変わらず無茶苦茶な反応速度と、呆れた錬成の使い方しやがって……」
すでに王宮での修繕や演習でハジメの規格外さを知っているメルド団長は、呆れ顔で頭を掻きながら溜息をついた。
「ナグモンナイス吹き飛ばし!w」
「飛距離エグいな…」
「石柱の伸び方が不審者撃退のレベル超えてんだよ南雲ぉぉ!!」
遠藤のキレのあるツッコミに鈴が爆笑し、清水や香織が和気あいあいと声をかける。張り詰めていた迷宮の緊張感が、ハジメの容赦のない足裏錬成によって一気に和らいでいった。
前線では光輝と龍太郎が頼もしく突進し、恵理や鈴が後方から的確に呪文を紡ぐ。清水が闇魔法で足止めをかけ、香織が寸分違わぬタイミングで回復の光を飛ばす。
ハジメは後方・中衛を維持しながら、【範囲内地形構成把握】と錬成を組み合わせ、崩れかけた足場を瞬時に平坦に整え、仲間たちの武器の刃こぼれを軽やかに補修してみせた。
ただ一人——先頭で誰よりも鋭く魔物を切り捨てていく雫の太刀筋だけには、一切の余裕がなかった。
「みんなを護らなければ」という義務感だけで体を動かす雫の硬い背中に、ハジメや光輝たちはどこか気遣わしげで、痛々しい視線を向けていた。
◇
順調に撃破を重ねながら下層へと進み、攻略隊はやがて「20階層」の広い石造りの大広間へと到達した。
広大な空間の中央で立ち止まり、メルド団長が全員を見回して重々しく口を開く。
「よし、全員一度足を止めろ。……ここは20階層だ」
「20階層……もうそんなに来たのか」
「よく聞け。このオルクス大迷宮における、人類の最高到達階層は——今から百年前に超一流の冒険者パーティが記録した『65階層』だ。それ以来、今日に至るまでその記録を超えた者は一人も現れていない」
メルドの言葉に、クラスメイトたちが息を呑む。
「この20階層を超えられるだけでも、冒険者としては十分に『一流』として世間に認められる難所だ。お前たちは初潜航でここまで足を踏み入れた。自信を持て」
「俺たち、もう一流の領域かよ!」「いける、このままサクサク行こうぜ!」と男子たちが口々に快声を上げ、隊全体の雰囲気が一気に明るくなった。
その時だった。
召喚されて以来の訓練や実戦、日々の作業によって、ハジメのステータスもクラスメイト同様に着実に成長を遂げていた。
それに伴い、錬成の派生技能【範囲内地形構成把握】の効果範囲は、ハジメを中心に半径約40メートルまで拡大していた。
本来、この技能は「地形や物質の構造」を立体的に把握するものであり、生体感知はできない。
だが、広間の奥40メートル先を見渡したハジメは、空間の地形データに混ざり込んだ奇妙な「ノイズ」に気づいたようだった。
「ん……? なにあそこ? あの岩の配置、なんか地形的に不自然じゃない? なんか浮いてるっていうか……」
ハジメが首をかしげて奥の岩場を指差した瞬間、メルドの顔つきが変わった。
「目ざといなハジメ! 全員構えろ、あれは『ロックマウント』だ! 岩に擬態して獲物を待ち伏せる厄介な魔物だぞ!」
擬態を見破られた巨大な岩の塊が、ゴゴゴ……と不気味な地鳴りを立てて立ち上がり、巨躯を揺らして攻略隊へと襲いかかってきた。
「光輝、いくぞ!」「おう!」
前線から光輝が電光石火の踏み込みを見せ、鋭い一閃でロックマウントの足元の岩肌を正確に切り裂いて体勢を崩させる。その左手首には、自戒を込めた『十字(クロス)』の刻印が刻まれた特製ブレスレットが光っていた。
そこへすかさず、後方から助走をつけた龍太郎が躍り出た。
「追撃ぃ! オリャアアッ!!」
龍太郎の渾身の魔力を乗せた殴打が、ロックマウントの巨躯に直撃する。
「ドガァァンッ!!」という凄まじい衝撃音とともに、巨躯が弾丸のように弾き飛ばされ、大広間の巨大な石壁に猛烈な勢いで激突した。
ズザザザザッ! と凄まじい土煙が舞い上がり、広範囲の壁面が豪快に崩れ落ちる。
——だがその混乱の最中、崩れゆく瓦礫の隙間から、もう一匹の別のロックマウントが突如として這い出し、前衛をすり抜けて後方のハジメたちへと猛スピードで飛び込んできた。
そいつは空中で見事な一回転を決めると、両腕をいっぱいに広げて香織達へと迫る。その姿は、さながらルパンダイブのようだった。妙に目が血走り、鼻息荒く「か・お・り・ちゃ~ん!」とでも言いたげな執念を漂わせている。
その異様な巨体が女子組にまっすぐ突っ込んできたため、香織も恵理も鈴も「ヒィ!」と思わず悲鳴を上げて魔法の発動を中断してしまった。
「うわっ!こっち来たし!」
ハジメは慌てる様子もなく、一歩も引かずにサッと両手を床につけた。
——ズガァアンッ!!
ハジメの足元から瞬時にせり上がった分厚い石の壁が、飛び込んできたロックマウントの進路を完璧に塞ぎ、激しい衝突音を上げて受け止める。
「南雲、足止めご苦労さん」
その壁を盾にして動きを封じられたロックマウントに対し、すぐさま清水が冷静に闇魔法を重ねて足元をガチガチに固定する。
「逃がすかよっ!」と声を荒げた遠藤が、物陰から飛び出しながら愛用の短剣で急所へと鋭い一撃を叩き込み、魔物を完全に行動不能に沈黙させた。
「遠藤、ナイスカバーじゃねぇか」
「へへっ、どうだ! 俺だってやるときはやるんだよ!!」
遠藤の得意げな叫びに、香織や鈴、恵理たちが「ハジメちゃん、ありがとー!」「遠藤くんもナイスカバー!」と安堵と称賛の声を次々に飛ばす。ハジメは軽く手を振って笑い飛ばした。
「いいっていいって、困ったときはお互い様だし! みんな怪我なくてよかったわー☆」
戦闘が一段落すると、前線から光輝が少しバツが悪そうな顔をしながらトコトコと歩き寄ってきた。
「……すまない、南雲さん。前衛の俺たちが隙を作ってしまったせいで、後方にまで魔物を走らせてしまった……。でも、助かったよ。ありがとう」
光輝はそのまま視線を少しずらし、見事な連携で敵を仕留めた清水と遠藤の方へも向き直った。
「清水も、遠藤も……二人とも、後方の守りを固めてくれて本当に助かった。ありがとう」
光輝のその実直な謝罪と感謝に、清水はふっと息をついて肩をすくめた。
「……別に、お前が謝ることじゃねぇよ。こっちも不意打ち食らわされたくなかっただけだ」
「そ、そうそう! 俺たちの連携プレイがあれば、これくらい余裕だっての! 見たか俺の華麗な短剣さばきを!」
「そこは素直に受け取っとけよ遠藤……」
遠藤のドヤ顔に清水がやれやれと呆れ顔を浮かべ、光輝も思わず苦笑いを零す。かつての気負った「勇者」の仮面が完全に剥がれ落ち、一人の等身大の仲間として互いを認め合うその空気感に、周囲のクラスメイトたちも自然と温かい笑みを浮かべていた。
――その時、ふと香織が崩れた壁の方に視線を向けた。
「……あれ、何かな? キラキラしてる……」
その言葉に、全員が香織の指差す方へ目を向けた。
そこには青白く発光する鉱物が花咲くように壁から生えていた。まるでインディコライトが内包された水晶のようである。香織を含め女子達は夢見るように、その美しい姿にうっとりした表情になった。
「ほぉ~、あれはグランツ鉱石だな。大きさも中々だ。珍しい」
メルドの解説によれば、グランツ鉱石とは言わば宝石の原石みたいなものらしい。特に何か効能があるわけではないが、その涼やかで煌びやかな輝きが貴族のご婦人ご令嬢方に大人気であり、加工して指輪・イヤリング・ペンダントなどにして贈ると大変喜ばれるとのこと。求婚の際に選ばれる宝石としてもトップ三に入るらしい。
「素敵……」
香織がうっとりと言葉を零すと、ハジメは目を輝かせて手をポンと叩いた。
「へー、超綺麗じゃん! それじゃ回収しよか〜! 帰ってみんなにジュエリー作ったる☆」
「マジで!? ナグモンの特製ジュエリーほしい!」
鈴が真っ先に目を輝かせて飛びつくと、香織がその隣で瞳をハート型に爛々と輝かせながら一歩前に出た。
「求婚のトップ三に入るやつとか絶対ほしい! ていうかハジメちゃん、私には特別にペアのやつ作ってよね?ねっ!?」
「ちょっ、香織急に圧がエグいって!」「いいなぁ、私も南雲さんのデザインの指輪ほしい!」
ハジメの提案に香織が狂喜乱舞して猛烈なアピールを始め、クラスメイトの女子たちも円陣を組む勢いで大盛り上がり。大広間は最高に雰囲気が良く、楽しげな一体感に包まれた。
「それじゃあ、回収は俺達男子に任せろ!」
その最高に盛り上がったノリに乗っかり、ノリの軽そうな男子生徒の一人——檜山大介が、手柄を立てようとイキイキとした表情で前へと躍り出た。彼はクラスメイトたちの歓声に気分を良くすると、周囲の警戒もそこそこに崩れた壁の奥へ進み、綺麗に露出していたグランツ鉱石の塊にスッと手を触れた。
——その瞬間。音もなく、檜山の足元の石床が眩い光を放ち、巨大な【転移魔法陣】が起動した。
「え……?」
罠の気配すら察知させぬ神代の転移術式は、音もなく彼らの足元を飲み込む。
「なっ……!?」
次の瞬間、眩い光が攻略隊全員の視界を真っ白に塗りつぶし、悲鳴が響く間もなく、全員の身体が空間の歪みの中に飲み込まれていった。
◇
「……う、あ……」
浮遊感が収まり、激しい衝撃とともに石床の上に叩きつけられたクラスメイトたちが、次々と身体を起こした。
「みんな……無事か!?」
光輝の声に、香織や鈴、ハジメたちが荒い息を吐きながら立ち上がる。
だが、そこは先ほどまでの20階層の広間ではなかった。
左右を見渡せば、底すら見えない底なしの深淵。見上げるほど高い天井と果てしない闇に包まれた巨大な空洞空間を、一直線に貫く——幅数十メートルにも及ぶ、規格外のスケールを誇る古びた大石橋の上だった。
そして何より、肌を刺す魔力の密度と異様な威圧感が、これまでの階層とは次元を異にしていた。
「ひっ……ひぃ……っ! 俺……俺、何しちゃったの……? なにこれ……っ!?」
グランツ鉱石に触れた檜山が、己のしでかした不注意の重さに顔面蒼白となり、ガクガクと膝を震わせて石橋の床に崩れ落ちていた。
その時だった。
——ズズズズズズ……ッ!!
地鳴りとも、空間そのものが悲鳴を上げているとも取れる凄まじい振動が、巨大な石橋全体を揺らした。
百年間、誰も足を踏み入れることすら許されなかった——人類最高到達点である「65階層」。
その石橋の向こう、圧倒的な闇の奥から、ズシン、ズシンと重い足音が近づいてくる。
岩石のような漆黒の外皮、城門のように巨大な四肢、そして空気を圧迫するほど凶悪な殺意と威圧感。
暗闇の中から石橋の上にその巨躯を現したのは、古代の文献にしか記述のない伝説の巨獣
——ベヒモスだった。
「グォオオオオオオオオオオオオオオンッ!!」
石橋を、そして空間そのものを物理的に震わせる圧倒的な咆哮が響き渡る。
目の前の橋の上に顕現した絶望の巨獣を前に、光輝も、ハジメも、雫も——攻略隊全員が、ただ息を呑んで凍りつくしかなかった。