ハジメの死という未曾有の絶望に頭の中を支配され、中庭の大雨の中で大泣きした雫は、魂を抜かれたように王宮の廊下をふらふらと宛てもなくさまよっていた。
濡れそぼった髪から滴が垂れ、服や頬には泥が痛々しく付着している。胸には、ハジメが自分のために打ってくれたあの綺麗なピンクの特製刀を、壊れものを庇うかのように強く抱きしめたままだ。
その時、廊下の向こうから走り寄ってくる侍女の足音が響いた。
「あっ、八重樫様! ここにおられましたか!」
「……え……?」
息を切らした侍女の声に、雫は虚ろな瞳を向けた。
「あのっ、白崎様がお目覚めになられたのです! たった今、意識を取り戻されたと……!」
「……香織が……目覚めた……?」
かすれた声で呟いた瞬間、ハジメの死と自責の念だけで埋め尽くされていた雫の頭の中に、冷水を浴びせられたような衝撃が走った。ふと我に返った雫は、引き寄せられるように香織の割り当てられた自室へと向かって歩き出した。
――その少し前、王宮のゲストルームにて。
――静まり返った暗闇の奥底から、淡く輝く記憶の欠片が、ひとつ、またひとつと浮かんでは消えていく。
周囲から勝手に押し付けられる「理想の優等生」という無機質な偶像。誰も本当の白崎香織を見ようとはせず、他人の目を窺っては「いい子」を演じ続ける毎日に、心は静かにすり減っていた。
あの日、あのみっともない自分を、暗闇から引っ張り上げてくれた『彼女』に出会うまでは。
商店街の路地裏。チンピラ相手におばあさんと幼い男の子を助け、精肉店のコロッケを強引に奢って毒気を抜いてしまった破天荒なギャル、南雲ハジメ。
口論の最中、相手から隠すように背中に回していたハジメの右手――その小さな拳が、小さく、けれど激しく震えていたことを見逃さなかった香織は、持ち前の観察眼と追跡能力で彼女の素性を特定し、雨の日の高架下で「偶然」を装って待ち伏せしたのだった。
『あー! あの時のコロッケの時のギャラリーの子!? てか顔良っっ! めっちゃリアル美少女じゃん! え、てか傘ちっちゃくない? あーしの傘に入んなよ!』
爆発的なギャルノリとパーソナルスペースゼロの距離感。完璧な美少女としてではなく、ただの「ひとりの女の子」として気さくに接してくれるハジメのカラッとした温もりに、香織の心は救われていった。
混雑する駅前のスクランブル交差点で、『あ、香織迷子になんじゃないよー』とごく自然に握り締められた手。ふにゃりと柔らかく、小さくて温かい手を握られた瞬間の、胸を刺すような甘い愛おしさ。
そして――二人にとって、何よりもかけがえのない思い出。
中学二年生の秋。ハジメの誕生日の数日前、香織は雫と一緒に休日のショッピングモールへと向かった。
何十軒もショップを回り、何十種類ものアクセサリーを並べ、二人で頭を悩ませながら選び抜いた透明感のある水色のシュシュ。
誕生日当日、誰もいない夕暮れの公園で、香織は少し照れくさそうにそれを差し出した。
『ハジメちゃん、これ……私と雫ちゃんから。誕生日おめでとう!』
『えっ、マジで!? うわ、めっちゃ綺麗! え、これ香織と雫が選んでくれたの!? ありがとう! あーし、一生大切にする!!』
弾けるような太陽の笑顔でそう言うと、ハジメは手の中の水色のシュシュを、まるで宝物でも見るかのように嬉しそうに眺めていた。それ以来、彼女はどんな時もそのシュシュを大切なお守りのように腕に巻き続けていたのだ。
夢の中の香織は、優しく微笑みながら静かに手を伸ばす。
『ハジメちゃん……つけてあげるね』
ハジメの華奢な右腕に、あの思い出の水色のシュシュを通してあげる――その瞬間。
フッ、とハジメの身体が、砂の城のように儚く崩れて掻き消えた。
『え……? ハジメちゃん……?』
腕からすり抜けた水色のシュシュが虚空を舞い、深い暗闇へと落ちていく。
追うように手を伸ばした香織の視界が、急速に引き裂かれ、塗り替えられていく。
そこは明るい日本の街並みではない。
黒々とした暗雲が渦巻き、地面が絶望の音を立てて崩落していく――オルクス大迷宮の65階層、絶望の断崖。
崩落する巨岩とともに、深淵の闇へと引き込まれ、落ちていくハジメの姿。
奈落の底へ消えていく直前、ハジメが見せた――あの切なくも愛おしい、最期の微笑み。
『ゴメン――』
「……っ……!」
香織の口から、引きちぎられたような吐息が漏れた。
長い睫毛が激しく震え、静かに開かれる。
「……はっ……っ……!」
清水の放った精神干渉魔法による深い眠りから、意識が現実へと浮上する。
視界に飛び込んできたのは、王宮のゲストルームの天井と、窓から差し込む冷たく湿った朝の光だった。
その時、部屋の隅で飾られた花瓶の水を取り替えていた一人の侍女が、ベッドの上の動きに気づいて息を呑んだ。
「あっ……白崎様! お目覚めになられたのですね……!」
侍女は持っていた水差しをサイドテーブルに慌ただしく置くと、涙ぐみながら香織に駆け寄った。
「あ、あの……すぐにお医者様と、八重樫様方をお呼びしてまいります! 少々お待ちくださいませ!」
侍女はパタパタと足音を響かせ、弾かれたように部屋を飛び出していった。
静まり返った室内に、再び一人残される。自分の荒い呼吸音だけが、虚ろに響いていた。
「ハジメ……ちゃん……」
香織はゆっくりと身体を起こした。
ベッドの上で膝を抱え、小さく丸まる。胸の奥が、まるで巨大な刃物で抉り取られたかのように冷たく、痛かった。
夢ではない。あの凄惨な光景も、ハジメが目の前で落ちていった感触も、すべて現実だったのだ。
自分が「ハジメちゃんの盾になる」と誓ったのに。彼女を守ると約束したのに。
土壇場で何一つ力になれず、ただ見守ることしかできなかった自分の無力さ。
なにより約束を破らせてしまったが故の謝罪であろう「ゴメン」という彼女の最後の言葉
「……死んじゃったの……? ハジメちゃん……私、守るって言ったのに……っ」
琥珀色の瞳から大粒の涙が溢れ出し、ポロポロとシーツを濡らしていく。
ハジメという圧倒的な「太陽」を失った世界は、あまりにも暗く、冷たかった。
一人、誰もいない部屋で、香織は静かに声を押し殺して涙を流し続けた。
ギィ……と、重い木製の扉が静かに開いた。
部屋に入ってきた人物の姿に、香織は涙を拭い、顔を上げた。
そこに立っていたのは、雫だった。
「……雫……ちゃん……」
香織の声が引きつる。
そこにいる雫の姿は、あまりにも痛々しかった。
濡れそぼった髪、服や頬に痛々しく付着した泥。王宮の中庭で大雨に打たれ、泥まみれになりながら不細工に大泣きしてきたのだと一目で分かった。
腫れ上がった真っ赤な目。震える唇。
そしてその胸には――ハジメが打った、あの綺麗なピンクの特製刀が、壊れものを抱きしめるかのように固く抱え込まれていた。
普段の、凛として揺るぎない『八重樫家の跡取り』としての仮面は存在しなかった。
ただの、傷つき、後悔に打ちひしがれた一人の少女がそこに立っていた。
「……香織……」
雫の口から漏れた声は、掠れ、今にも途切れそうだった。
雫は香織の顔を見つめることができず、罪悪感と自責の念から、深く頭を垂れた。
「……ごめんなさい……香織……私……私ね……あの子に……最低なことを……私……謝ることも……『ありがとう』って言うことも……できなかった……っ」
ぽと、ぽと、と雫の鼻先から涙の滴が床に落ちる。
「あの訓練場で……私を心配して来てくれたハジメに……あの子の優しさを……踏みにじるような言葉をぶつけたの……っ! 自分のちっぽけなプライドを守るために……あの子を傷つけたの……!」
雫の両肩が、激しいしゃくりあげによって大きく揺れる。
「こんな刀まで作ってくれたのに……私……『ありがとう』の一言すら……あの子に言えないまま……っ!」
自己嫌悪の泥沼に沈み、自分を責め続ける親友の姿。
香織はゆっくりとベッドから下りた。裸足のまま冷たい床を踏みしめ、雫のもとへ歩み寄る。
手首のお守りや抱えられた刀の存在をその目で確かめながら、泥と涙で汚れた雫の手を、自分の両手で優しく包み込んだ。
「雫ちゃん」
香織の声は、不思議なほど穏やかだった。
「ハジメちゃんね……雫ちゃんのこと、一ミリだって責めてなかったよ」
「……え……?」
雫が驚いたように顔を上げる。香織は静かに、記憶の中のハジメの表情を思い浮かべながら語りかけた。
「あの日、私に言ってたの。『雫の手、血豆がつぶれて痛そうだった』って……。『もっと手に馴染んで、少しでもラクに使いやすいやつをと思って作ったのに』って……すごく切なそうに笑ってたの。あの子、雫ちゃんのために徹夜でそれを作ったんだよ……。雫ちゃんが傷つくのが嫌で、笑ってほしくて……必死に自分の真心(カワイイ)を込めて作ったの」
「っ……!」
「だから……雫ちゃんがそんな風に自分を責めて泣いてたら、ハジメちゃん、また困った顔して笑っちゃうよ」
「あ……ああぁ……っ……!」
雫の口から、押し殺していた感情が爆発するように漏れ出た。
雫は香織の肩に額を預け、声を上げて泣いた。
ハジメの不器用で、どこまでも真摯な真心。自分が突っぱねてしまった優しさの深さを知れば知るほど、胸が引きちぎられそうになる。
だが、その涙は絶望の涙ではなかった。
ハジメが残してくれた温もりが、冷え切った雫の心を足元から溶かしていく。
雫は涙を拭い、香織の肩から離れると、手首のお守りにそっと触れた。そして、胸に抱いたピンクの刀の柄を、指先が白くなるほど強く握り締めた。
「……私は、もう逃げない」
雫の瞳から、弱さと迷いが消えていた。
「あの子は……私を救おうとしてくれていたのに、私は自分のちっぽけなプライドでそれを踏みにじた……。この刀は、ハジメが私を見て、私のために打ってくれた宝物よ。……あの子が命がけで護ってくれたこの命、絶対に無駄にはしない。強くなってみせるわ」
静かだが、鋼のように硬い誓い。
香織は力強く頷き、雫の手をもう一度ぎゅっと握り返した。
◇
王宮の中庭に面した訓練場。
冷たい雨が少しずつ弱まり、重い雲の隙間からかすかな光が差し込み始めていた。
訓練場の脇に置かれた木製のベンチに、二人の少年が座っていた。
清水と、遠藤である。
遠藤は力なく深く下を向き、自身の膝を見つめていた。その右手の指先は、ズボンのポケットの中で、一枚の百円玉を痛いほど強く捏ね回している。
それは、迷宮遠征に向かう前、ハジメが自販機でジュースを買ってくるよう遠藤に頼んだ際、渡してきたお釣りだった。
パシらせている遠藤の分も買えるようにと、ハジメはいつも多めに小銭を握らせてくれていたのだ。
「……俺が自販機行く時……いつも小銭渡してくるんだけどさ……パシッてる俺の分もって少し多めに渡してくるんだけど……いつもちょっと足りねぇんだよ……」
言葉が、そこで詰まる。
遠藤は言葉を飲み込み、ポケットの中の百円玉を握り締めながら深く俯いた。
ハジメは、クラスの中で誰もが存在に気づかない遠藤を、当然のように認識し、名前を呼び、気さくに声をかけてくれていたのだ。
隣に座る清水は、何も言わなかった。
慰めの言葉も口にせず、ただ無言でポケットの中にある水色のシュシュを握り締めていた。
ハジメが奈落へと落ちていく直前、清水の手の中にねじ込んでいった、あの使い古されたシュシュを。
清水が静かに立ち上がり、王宮内を歩いていると、あたふたと慌ただしく走り回っている侍女たちの様子が目に入った。
清水は足を止め、侍女に声をかけた。
「何かあったんですか?」
「あ……白崎様がお目覚めになられたのです! たった今、意識を取り戻されたと……!」
「……白崎が……」
清水の瞳がかすかに揺れる。
同じ頃、廊下を歩いていた光輝もまた、侍女からの知らせを聞いていた。
「香織が目覚めた」という言葉を聞くやいなや、光輝は居ても立ってもいられず、香織の自室へと足早に駆け出したのだった。
◇
香織の部屋の重い扉が叩かれ、清水と光輝が訪れる。
部屋の中には、ベッドの脇に立つ香織と、その隣で刀を抱える雫の姿があった。
「香織……!」
光輝が安堵と心配の入り混じった声を上げる。
だが清水は無言のまま歩み寄ると、ポケットからゆっくりと右手を引き出した。
その手のひらの上に載っていたのは、あの水色のシュシュだった。
「……白崎、八重樫。これ。奈落に落ちる前、あいつから預かってたやつだ」
香織と雫の目が同時に見開かれる。
清水は中学時代、ハジメが二人からこのシュシュをもらった日のことを思い出していた。当時、ハジメが『見て見て! 香織と雫がくれたんだよ!』とドヤ顔で嬉しそうに自慢してきた姿を。
「……あいつ、中学の時お前らにこれ貰った日、マジでうぜーくらい自慢してきたからな。『香織と雫がくれた最高のお守り!』ってな……。お前ら二人から貰ったやつなんだから、お前らが持ってるのが一番だろ」
清水はそう言うと、シュシュを香織の手の上に載せた。
――その瞬間。
香織がその手で水色のシュシュを受け取った、まさにその瞬間だった。
(『皆の事…頼んだ!』)
脳裏に、ベヒーモスと対峙した際、自分に向かって真っ直ぐ注がれたハジメの強い眼差しと、あの最期の切実な叫びが鮮烈にフラッシュバックする。
「……っ……!」
香織は両手でシュシュを包み込み、胸の前で愛おしそうに抱きしめた。
「……香織……」
光輝が心配そうに声をかけると、香織はゆっくりと顔を上げた。
「……私ね、ハジメちゃんのこと……頭ではもう助からないって……きっと死んじゃってるんだって分かってる」
静かに響く香織の声。
「……でもね、私、やっぱり諦めたくないの。自分がこの目で確かめるまでは……私は信じてみたい」
現実としての死の可能性を受け止めつつも、「自分の目で見るまでは諦めない」という香織の芯のある言葉と佇まい。
ハジメという圧倒的な「太陽」を失い、暗闇に包まれた世界の中で――
香織は自らが太陽になるのではない。ハジメという太陽から受け取った温もりや光を胸に宿し、暗闇の中で仲間たちを優しく照らし導く「月」としての灯火を宿していた。
その凛とした「月」の静かな光線に、雫も、清水も、そして光輝も深く感化される。
香織は真っ直ぐな瞳で光輝を見つめた。
「光輝くん、みんなを集めてもらえるかな? ハジメちゃんが託してくれたみんなを、私たちが支えなくちゃ」
光輝は香織の決意を力強く受け止め、重く頷いた。
「分かった。すぐみんなを集める!」
◇
王宮の中央広場。
光輝の急な呼びかけにより、クラスメイトたちが続々と集まってきていた。
だが、広場を包み込んでいるのはあまりにも重苦しく、救いのない絶望の空気だった。誰もが床や自分の足元を見つめ、言葉を失っている。
光輝が前頭に立ち、集まった全員に向かって意を決して口を開いた。
「みんな……急に集まってもらってすまない。……南雲さんのこと、これからのことについて、香織からみんなに話があるんだ」
光輝のその言葉を聞いた瞬間、クラスメイトたちの間に刺々しい波紋が広がった。
「そんなの無理だよ……!」
一人の生徒が耐えかねたように吐き捨てた。それを皮切りに、塞ぎ込んでいた生徒たちから堰を切ったように悲痛な拒絶の声が上がる。
「今さら集まったってどうしようもないだろ! 南雲さんが落ちたんだぞ……! あの奈落に……落ちて死んじゃんだろ!? 立ち直れるわけないだろこんなの……!」
「もう嫌だよ……戦うなんて無理だ……」
圧倒的な存在であり、自分たちを救ってくれた「太陽」であるハジメを失ったショックはあまりにも大きく、全員が自責と絶望の底で首を振り、耳を塞ごうとしていた。
その混乱と拒絶の最中、香織がゆっくりと前に歩み出た。
香織は取り乱すことも、声を荒らげることもせず、ただ真っ直ぐで強いまなざしでクラスメイト全員を一人一人見つめた。その佇まいには、ブレることのない凛とした芯があった。
「みんな……聞いて」
静かだが、広場全体に通る香織の声。ざわめきがすっと引いていく。
「頭では……ハジメちゃんはもう助からないかもしれないって、分かってる。あの奈落から生きて戻るなんて不可能だって、本当は分かってる……」
香織は両手で胸の前のお守りをぎゅっと抱きしめた。
「……でもね、私は絶対に諦めたくないの。ハジメちゃんは最後の瞬間まで私達を信じて、『皆の事…頼んだ!』って託してくれた。それなのに……自分がこの目で確かめもしていないのに諦めて背を向けるなんて、私にはできない。だから私は……自分がこの目で確かめるまでは、ハジメちゃんの生存を信じたいの!」
暗闇の世界を優しく、けれど力強く照らし出す月のような、香織の揺るぎない叫び。
その言葉と覚悟に心を動かされ、光輝が力強く一歩を踏み出した。香織の強い想いに乗っかるように、前頭に立つリーダーとして全員を直視する。
「香織の言う通りだ!」
光輝の声が広場に響き渡る。
「俺たちを助けるために、一人で命を張ってくれた南雲さんに対して……『無理だ』って諦めて泣き寝入りするのか!? 彼女に全部背負わせて守られて、挙げ句の果てにここで挫けて立ち止まるなんて……そんな姿、あの子に見せられるかよ!」
光輝は自分の胸に拳を当て、固く握り締めた。
「俺はもう二度と、彼女に背負わせて逃げるような真似はしない。彼女が命がけで繋いでくれたこの命だ……! 俺が前頭に立って、何が何でも泥臭くみんなを守り抜いて見せる!」
香織の「太陽の光を受け継ぎ皆を包み込む想い(月・支えるリーダーシップ)」と、それに乗っかる光輝の「仲間を導き護る決意(引率するリーダーシップ)」。
二人の導きによって、絶望に沈んでいたクラス全体に、静かだが確かな奮起の波紋が広がっていった。
その時、ずっとうつむいていた檜山大介が、意を決したように前へ進み出た。
「みんな聞いてくれ……! 南雲がああなっちまったのは……俺が不用意にあの石に触っちまったからだ……っ!」
檜山は声を震わせながら深く頭を下げた。
「どんな罰でも受ける……だから……!!」
罪悪感に押し潰されそうになりながら言葉を続けようとする檜山に、香織が優しく静かに声をかけた。
「違うよ、檜山君。あれは檜山君だけの責任じゃないよ。あの時ハジメちゃんがあの石でジュエリーを作ってあげるって言ってくれた時、みんなの気持ちが緩んでた……。だから、この今の状況は、ここにいる私達みんなの責任だよ」
香織の言葉に合わせ、周りのクラスメイトたちからも温かい言葉が飛ぶ。
「そうだよ大介! お前だけの責任じゃねぇ! 俺だってあの空気だったらはしゃいで取りに行ってたぞ!」
「私達も南雲さんの言葉でちょっとテンション上がっちゃってたし、あれが罠だなんてみんな気づかなかったよ!」
クラスメイトたちの励ましの声に、檜山は救われるような思いと、依然として残る自責の念が入り混じり、瞳を潤ませて今にも泣き出しそうになった。
自責の念で押し潰されそうになっていた檜山の肩を、龍太郎がガツンと強く叩いた。
「落ち込んでる暇なんかねぇぞ、檜山! 次にあのベヒモスとかいうバケモノに次出会った時は……俺が一番前で殴り倒してやる!」
龍太郎は目元を拭いながら、涙目で激しく拳を握りしめた。
遠藤もまた、ポケットの中の百円玉を痛いほど強く握り締め、顔を上げた。
「……俺も、影が薄いなんて言わせておくかよ……! 南雲に笑われないくらい、存在感見せてやる……!」
優花はお守りをぎゅっと包み込み、強がりながらも泣き笑いのような顔を向けた。
「『去る者がいたら寂しい』なんてズルい顔しておいて……自分だけ勝手にいなくなるなんて反則よ……絶対に忘れてあげないんだから……っ」
恵理と鈴も、お互いの手を強く握り合い、力強く頷き合った。
「鈴……ハジメが教えてくれたこの温かい居場所を、私たちは絶対に消させないよ」
「うん……! 鈴らはみんなで、ナグモンの分まで泥臭く生きて……絶対に全員で日本に帰るんだからさ!」
悲しみに暮れていた愛子も、涙を拭い、教師としての強い意志を宿した瞳で生徒たちを見つめた。
「みなさん……! みなさん全員を無事日本へ連れ帰るために、私も全力で戦います……! 二度と、誰一人として失わせません!」
物陰からその光景を見つめていた第一王子ランデルはお守りを強く握り締め、(……お前が死んでも、余は最高に気高くてカッコいい王様になってみせる……! 見ておれ……!)と心の中で誓い、隣に立つリリアーナ王女も胸の前でお守りを愛おしそうに包み込んだ。
ハジメが残してくれた遺志とお守りを胸に、クラス全員が泥臭い意地と結束で立ち上がったのだ。
その全員の熱い立ち直りを見届けた後、雫は胸に抱いたピンクの特製刀を優しく撫で、手首のブレスレットに触れると、刀の柄を指先が白くなるほど強く握り締めた。
(ハジメ……アンタが私を信じて託してくれたこの刃と命、絶対に折らせやしない。アンタが命がけで護ってくれた仲間も、この私自身も……何があっても最後まで守り抜いて見せるわ)
その瞳には、かつてないほど迷いのない凛とした鋼の意志が宿っていた。
そして、群れから少し離れた壁側に背を預けていた清水が、手首に巻かれたお守りのブレスレットへそっと指先で触れた。
あの日、放課後の教室でゲームのモーションをけなして「舎弟」にされた最悪のファーストコンタクト。息の詰まる家庭から逃げ出したいだけの自分を、理不尽な呼び出しで連れ回し、気づけば自分を覆っていた孤独の殻を勝手に打ち砕いていた嵐のような台風女。
甘い雰囲気など1ミリもないバカみたいな腐れ縁だったが、古参として誰よりも長くハジメの理不尽の近くにいたからこそ、胸の底で燃え上がる感情と執念は誰よりも深かった。
俯いた清水の前髪の隙間から覗く瞳――異世界の理を超越した固有の術式であるその魔眼が、怪しく、文字通り血のように赤く光を放っていた。
「……あいつが死ぬ気で残した命だ。全員で無事に強くなって、この世界の裏側も……俺たちを勝手にこんな異世界に引きずり込んだ奴らの企みも、全部暴いて引きずり出してやるよ」
低く呟かれた清水の言葉には、異世界への底知れぬ疑惑と静かな怒りが込められていた。
香織は集まった仲間たちの熱気を感じながら、王宮の広場から異世界の冷たい空を見上げた。そして、静かに心の中で呟いた。
(待っててね、ハジメちゃん……。ハジメちゃんが託してくれたみんなは、私たちが絶対守り抜いて見せる。)
周囲を優しく包み込んでいた聖女のような瞳には、普段の香織からは想像もつかない、静かな怒りと冷徹な光が深々と宿っていた。
(そして……ハジメちゃんをこんな目に遭わせたこの世界を、私は絶対に許さない……)
―――ザザン……ザザン……。
地上での誓いと結束から遥か遠く離れた、人類未踏の領域――『オルクス大迷宮・奈落』。
冷たい地下水脈の岸辺。
湿った岩肌の上に、ボロボロの状態で少女が打ち上げられていた。
全身傷だらけで血と泥に塗れ、服は引き裂かれている。
ゆっくりと、血で固まりかけた睫毛が震え、薄っすらとまぶたが持ち上げられた。
少女――南雲ハジメは、痛そうに顔を歪めながら、右手に結ばれた水色のシュシュを見つめた。
地上側の悲壮な覚悟や重々しい誓いをよそに、打ち上げられたハジメは困惑気味にぽつりと呟いた。
「……あれ? ……なんであーし生きてんの……?」
身体中が激痛に悲鳴を上げている。
だが、その瞳に宿っていたのは、地獄の底からでも這い上がる不屈の輝きだった。