ありふれたギャルは世界最狂   作:バグッた左スティック

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一章 虚ろなる異界へ招かれて
#1 日常の端がほどける音


朝の廊下に、大きな窓から爽やかな光が差し込んでいる。

 

生まれつき影が薄く、そのことを密かに悩みの種にしている遠藤浩介は、教室に上がる前に喉を潤そうと一階の自動販売機へ向かっていた。

 

「よっ、遠藤。どこ行くっちゃ?」

 

少しハスキーで、からりと軽いノリの声が背中に飛んでくる。

 

振り返ると、肩まで届く金髪の毛先をゆるく巻き、制服を少し着崩したギャル――南雲ハジメが、ちょうど登校してきたところだった。身長168センチのモデル体型。右手に付けたお気に入りの水色のシュシュが、歩調に合わせて小さく揺れる。

 

「あ、南雲。ちょっと自販機に飲み物を……」

 

「あ、じゃああーしの分もよろー! ミルクティーね!」

 

ハジメはスクールバッグのチャックをガサゴソと開け、小綺麗な財布から百円玉を二枚つまみ出すと、遠藤の手のひらにチャリンと握らせた。そのまま足を止めることもなく、廊下を歩いていく。

 

「おい南雲、一本にしてはちょっと多いぞ」

 

戸惑う遠藤の声にも、ハジメは振り返らない。細い手をヒラヒラと振りながら、肩越しに軽く言った。

 

「アンタの分☆」

 

軽やかに笑い、「おはよー香織〜!」と教室へ消えていく後ろ姿。

 

手のひらの二百円を見下ろして、遠藤はガックリと肩を落とした。

 

「……足りねぇよ」

 

昨今の自販機は、一本百五十円前後が当たり前なのだ。

 

結局遠藤は自腹の小銭を足してミルクティーだけを買い、『自分の分』の百円玉はなんとなく制服のポケットに突っ込んだ。その口元は、ほんの少しだけ緩んでいる。

 

◇

 

ホームルーム前の教室。窓際には、いつものようにハジメを中心とした輪ができていた。

 

ハジメの隣の席で、無愛想にスクリーントーンをカッターで削っているのは清水幸利だ。

 

「ちょっと清水ぁ! 昨日あんたに『なんか漫画貸して』って言ったらさ、何あのなろう系のエッチなやつ! あーしが異世界に妙な偏見持っちゃったらどうすんの!?」

 

「あ? なんか貸してって適当に言ったお前が悪いだろ。俺のコレクションに文句言うな」

 

「開き直んなし! もっとこう、きゅんきゅんする少女漫画とかストックしときなよ! ママンの原稿の手伝い、トーン貼りマジで終わんないんだから愚痴くらい聞いてよね!」

 

「いちいちうるせぇぞ。貸し一つだからな」

 

ハジメがふくれっ面で清水の肩を小突く。中学時代からの悪友同士の、遠慮がなくて心地のいい空気感。

 

だがその微笑ましい光景の横で、突如として目に見えない重圧(プレッシャー)が膨れ上がった。

 

「……ねぇ、清水くん?」

 

背後からかけられた冷ややかな声に、清水の背筋が凍りつく。

 

振り返った先に立っていたのは、クラスの聖女・白崎香織。シルバーリングの光る細い指が、清水の腕を肉に食い込むほどの力でぎゅっとホールドしている。

 

「清水くん……ハジメちゃんに、何を、貸したのかな……? 詳しく、教えてくれる?」

 

「あ、いや、白崎さん……? 目が、目が笑ってないんだけど……」

 

「ハジメちゃんは純潔なんだよ? 変な毒を吹き込まないでくれるかな……ね?」

 

「いけぇ香織ぃ!やれやれぇ!」

 

「ちょっと香織、顔。ハジメを害する敵みたいに清水くんを見るんじゃないの。……清水くん、ごめんなさいね。ハジメも、あんまり面白がって煽るんじゃないの」

 

二人の間にスッと割り込み、香織の肩を優しく、だが確実に押さえて引き離したのは八重樫雫だ。腰まで届く黒髪をきっちりと結い上げた、凛とした佇まいの美少女。

 

ハジメとは呼び捨てで呼び合う、クラスの誰もが認めるもう一人の大親友。この暴走しがちな空間の、優秀なストッパーでもある。

 

「だーって雫〜、香織のこの過保護なオカン顔、マジでおもろくね? 必死すぎて超ウケるんだけど!」

 

「笑わないの。……はぁ、まったく……」

 

ハジメの調子のいい返しに小さく溜め息をつき、困ったような、どこか呆れたような苦笑いを浮かべる雫。

 

けれどその目は、ほんの少しだけ羨ましそうに二人のやり取りを映していた。ハジメのように自分の好きなものを堂々と叫び、誰の目も気にせず笑い合える自由さ。いつも黒髪をきっちりと結び、模範的な生徒として振る舞う雫にとって、そのフランクな輪はどこか眩しすぎるものだった。

 

「香織マジ天使〜! 今日も距離感バグってて可愛い! 放課後ショッピング付き合ってよ!」

 

「うん……! ハジメちゃんが行くなら、私、どこまでも付いていくよ……!」

 

ハジメに抱きつかれ、一瞬でふにゃりと満面の笑みになる香織。冷や汗を拭いながら、清水は心の中で呟いた。

 

(……鈍感って怖えな)

 

少し離れた席からは、園部優花が一人、窓際の賑やかさを冷めた目で見つめていた。

 

「相変わらず、南雲さんは騒がしいわね」

 

ぽつりと他人行儀に独りごちた、その瞬間。ふとした拍子にハジメと目が合う。真っ直ぐなブラウンの瞳に気圧され、優花は気まずそうにパッと目を逸らした。

 

――そんな窓際のバカ騒ぎを、教室の後ろからじっと見つめている少年がいた。

 

天之河光輝。文武両道、誰もが認めるクラスのイケメン人気者だ。

 

「天之河くん、次の球技大会のシフトなんだけどさ、どっちがいいと思う?」

 

「あ、うん。俺はみんながやりやすい方でいいよ。調整ありがとね」

 

「やっぱり頼りになる〜! 天之河くんなら絶対そう言ってくれると思った!」

 

光輝の周りには、いつも多くの男女が集まってくる。物理的な意味での孤立など、彼の人生には一度だって存在しない。誰にでも優しく、何にでも完璧に応える。今日も光輝は、クラスの中心にいた。

 

「なぁ龍太郎、今日の昼飯さ――」

 

「あー、わりぃ光輝! 今日昼休みに部活のミーティングあんだわ。お前はほら、生徒会の書類とかあんだろ? またな!」

 

「あ……うん、そっか。ミーティング、頑張れよ」

 

親友の坂上龍太郎に背を向けられ、光輝はふと窓際へ目をやった。

 

金髪を揺らし、不真面目で、サボることばかり考えている南雲ハジメ。その周りには清水、香織や雫、さらには谷口鈴に連れられた中村恵里までもが集まっている。

 

そこへちょうど、遠藤が自販機から戻ってきた。ミルクティーを受け取るなり、ハジメがケラケラと笑い声を上げる。

 

「ちょっとみんな聞いてよ! あーし、この前の休みの日に街でたまたま遠藤と会ったんだけどさー! こいつコンビニの自動ドアの前に立っても、影薄すぎてセンサーが全然反応しなくて中に入れなかったの! マジでウケるんだけど!」

 

「ギャハハハハ! マジか!? マジか!? 遠藤お前、それ都市伝説の域だろ!!」

 

それまでクールにトーンを削っていた清水が、カッターを放り出した。机をバンバン叩き、涙目になって大爆笑している。ツボに入りきった狂ったような笑い声が、教室中に響き渡った。

 

「おいィ!! 南雲ぉぉおぉ!!! 大声でバラすなやぁ!殺すぞ!!!」

 

普段の影の薄さはどこへやら。顔を真っ赤にした遠藤が、教室の窓ガラスが震えるほどのガチの怒号を上げる。

 

「店員さんとバッチリ目が合ってるのに開かねぇ俺の気持ちにもなれやぁ!! センサーが反応しねぇんだよ、マジで開かねぇんだよオイ!!!」

 

「ぶっ、ふふ……っ! く、くくっ……遠藤くん、せんさーの前で、じゃんぷ、とか……しなかったの……っ?」

 

鈴と香織は揃って机に突っ伏し、両肩をプルプルと震わせている。涙目で必死に笑いを堪えながらの質問だった。

 

「したわ!!! ジャンプしてもステップ踏んでも1ミリも開かなくて、結局後ろから来た見知らぬおばあちゃんが開けてくれたんだよちくしょう!!!」

 

一気に息を吐き出し、ガシガシと頭を掻きむしると、遠藤は忌々しそうにハジメを指差した。

 

「でおばあちゃんの後ろから店に入った瞬間、たまたま買い物してたコイツと目が合ってさぁ!! コイツ、格好のイジりネタを見つけたといわんばかりに、無言で『ニタァ……』って、この世の終わりみたいな邪悪な顔で笑ってやがったんだよ!! あの瞬間、俺の平穏な高校生活が終わったって本気で悟ったわ!!!」

 

「ちょっと遠藤くんそれ最高すぎ。よく真顔でジャンプできたね」

 

普段は物静かな恵里までもが、鈴の隣でクスッと笑ってツッコミを入れる。ハジメや雫たちと一緒になって、すっかり笑いの輪に溶け込んでいた。

 

(……彼女の周りは、いつも騒がしいな)

 

光輝は遠くからそのバカ騒ぎを眺めながら、心の中でぽつりと呟いた。

 

赤点スレスレで、授業中は寝てばかりいて、およそ模範的とは言い難いギャル。そんな南雲ハジメの周りに、なぜこうも人が集まり、誰もが楽しそうに笑っているのか。呆れが半分、残りの半分は自分でも理由のわからない不思議さ。そんな目で、光輝はしばらくその光景を見つめていた。

 

やがて午前中の授業が終わり、待ちに待った昼休みのチャイムが鳴り響く。

 

教室が一気にお昼ご飯の空気に包まれる中、窓際から悲痛な叫びが上がった。

 

「嘘でしょ最悪……っ! あーし、今日お弁当忘れたんだけど!! マジで詰んだわー!」

 

スクールバッグをひっくり返して頭を抱えるハジメ。購買へダッシュしようと立ち上がりかけたその前に、スッと影が差す。香織だった。

 

「大丈夫だよ、ハジメちゃん。私のを食べよ?」

 

「え、香織? でもあんたの分が――」

 

ズルッ!!

 

凄まじい摩擦音と共に、香織が普通のスクールバッグから取り出したもの。それはどう見てもバッグの体積を数倍は超越している、漆塗りの超巨大な高級三段重箱だった。

 

香織は何事もなかったかのような笑顔で、それをドンッ!とハジメの机に広げる。一段目には色鮮やかなおかず、二段目には俵型のおにぎりが美しく敷き詰められていた。

 

(……どうやって入れてたんだ、あれ。四次元ポケットかよ……)

 

隣の席の清水は、さっきの爆笑から一転、本気で引いた顔で固まっている。物理法則すらバグらせる香織の愛の重さに、教室が微かにざわついた。

 

「わー! 卵焼きも入ってる! 香織、これ普通にめちゃくちゃ美味しいんだけど!! 女子力高すぎてヤバい!」

 

「本当!? よかったぁ、ハジメちゃんのために朝早起きして頑張ったんだよ!」

 

ハジメがサバサバとおかずを口に運んで大絶賛すると、香織はぱぁっと天使のような笑顔を咲かせる。

 

(……いやお前もお前で、出所不明のバカデカ重箱を普通に受け入れて食ってんじゃねぇよ! 少しは疑問に思えや!!)

 

心の中で全力のツッコミを叩きつける清水を置き去りに、雫や鈴、恵里たちもその輪に加わっていく。おかずを突つき合い、賑やかな笑い声が弾んだ。「はい清水、おにぎり一個あげる」と、ちゃっかり唐揚げとトレードさせられた清水は、呆れ顔のまま「……サンキュ」とコーラでそれを流し込んでいる。

 

朝の宣言通り龍太郎がいない中、光輝は他のグループの男女に机を囲まれていた。笑顔で購買のパンをかじりながらも、視線はやはり窓際のあの輪に向いている。

 

朝、廊下で「おっ、光輝クゥゥン〜! 今日も顔面国宝でお疲れ〜」とヘラヘラ笑い、自分の肩をポンポンと叩いて通り過ぎていった南雲ハジメ。あの軽い手のひらの感触。

 

光輝は無意識に、指先で自分の肩をそっと撫でる。窓際の輪を見つめるその目は、どこか冷めていて、それでいて焦れったいような複雑な色を帯びていた。

 

そんな昼休みの喧騒の最中、ガラガラと教室の扉が開いた。

 

「あー、腹減ったー!」と部活のミーティングから戻ってきた龍太郎のすぐ後ろから、小柄な担任の畑山愛子先生がプリントの束を抱えて入ってくる。

 

「はーい、みんな席についてくださーい! ……あ、坂上くん、ちょうどいいところに帰ってきましたね」

 

「愛ちゃん先生だ」「先生、まだ昼休みだよー?」と、クラスのムードメーカーたちが口々に声を上げる。

 

「もう、先生をちゃん付けで呼ばないの! 午後の授業の連絡が――」

 

愛子がいつものように怒るポーズを取った、その瞬間だった。

 

――ピキィィィィィィィィン!!

 

突如、教室の床一面に目も眩むような幾何学模様の光が走る。巨大な魔法陣だった。

 

「な、なんだこれ……っ!?」

 

教室中から悲鳴が上がる中、反射的に動いたのは雫だった。床の異変を察知するやいなや、すぐ隣にいた香織の腕を強く掴んで引き寄せる。

 

「香織、離れないで……!」

 

「っ、ハジメちゃん……!」

 

恐怖に震えながらも、香織の目が真っ先に探したのは光輝でも、自分の身の安全でもない。すぐそこにいるハジメだった。

 

パニックに陥る教室の中で、しかし南雲ハジメだけは、床の幾何学模様をガン見してすっかり目を奪われていた。

 

「待って……!? この床の模様、デザインめちゃくちゃ細かくない!? え、何これ、すっごい綺麗! 写真! 写真撮りたいんだけど携帯どこ!?」

 

「南雲、お前この状況で何言ってんだよ!?」

 

「写真撮ってる場合かアホギャル!! いいから早く逃げろっつの!!!」

 

清水と遠藤の息の合ったツッコミと叫びが響く。

 

直後、爆発的な白い閃光が教室を完全に包み込み、彼らの意識は暗転した。




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