「よっしゃ、そんじゃ景気よく行くよっ!」
砕けた石畳を蹴る。左右に散ったコテツとマロンが紫電の尾を引きながら、円を描くようにサソリの側面へ回り込んだ。
ギチィッ、と四本の腕が軋む。次の瞬間、巨大なハサミが唸りを上げて振り下ろされた。
「うわ重っ……!?」
とっさに突き上げた岩の突起が、鈍い音を立てて砕け散る。受けきれない。飛んできた破片が頬をかすめ、身体が半分持っていかれかけたところを、足裏の錬成で地面を隆起させて無理やり踏みとどまった。
「――マジで硬すぎるっての!」
だが怯んだのは一瞬。空を裂いて、四本の腕が同時に殺到する。
「なら――ッ、これでどう!」
纏雷、点火。全身を紫電が走り抜けた瞬間、視界の色が変わる。両拳に岩石ボクシンググローブを錬成し、突っ込んだ勢いをそっくりそのまま乗せて、迎え撃つ甲殻へ全力で叩き込んだ。
ゴギィンッ――!!
「――――ぎゃぁぁぁぁぁあああああ痛ったぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
硬すぎたのだ。衝撃の逃げ場がどこにもなく、叩き込んだ力が丸ごとブーメランみたいに腕へ跳ね返ってきた。手首から肘、肩まで一直線に痺れが駆け上がる。ハジメは戦闘中であることも忘れ、両手をブンブン振り回しながらその場でジタバタと転げ回った。
「い、いだだだだっ!ちょ、なにこの甲羅!鉄板か何かなの!?普通に自分の拳のがダメージ食らってるんですけどぉぉぉ!!」
張り詰めていた空気が、音を立てて抜けていく。
唸りを上げていたはずのサソリでさえ、目の前の獲物が急に痛がって暴れ出したことに戸惑ったのか、四本の腕をピタリと止めて、首(らしき部位)をわずかに傾けた。
臨戦態勢だったコテツとマロンも、「え、なに?」とでも言いたげに顔を見合わせている。
そして岩陰から一部始終を眺めていたティアの目は、すっかり据わっていた。
(……この女、やっぱりバカなのかもしれない)
「いだだ……ちょ、笑いごとじゃないから!マジで骨まで響いた……!」
涙目で手を振り続けるハジメに、ティアの視線が一段と冷える。緊張を取り戻す暇もなく、痺れを切らしたサソリが鎌首をもたげ、ギチギチと腕を鳴らしながら間合いを詰め直してきた。
「――って、来るし!?ちょ、待った待った、ノータイムはズルくない!?」
痺れの残る拳を振りながら、それでも頭は切り替える。両手を地面へ。
「なら――こっちならどう!」
掌から放たれた魔力が石畳を伝い、鋭い石槍が脚元から一斉に突き上がった。だが硬質な脚甲に阻まれ、切っ先はガギンッと軒並み折れる。
「うわ、硬っ……マジで規格外なんですけどこの甲羅!」
ならばと両手を打ち合わせ、掌の間で岩塊を圧縮する。生まれたのは超密度のハンマー。今度は闇雲に殴らない。狙いを定めて、重い一撃を横薙ぎに。
ゴギンッ、と鈍い音。さすがのサソリもわずかによろめいた。だが拳に返ってきたのは、あの嫌な痺れだ。
「――っ、まただこれ!」
コテツとマロンが左右から爪と牙で牽制する。その隙に掌へ極細の岩の刃を高速錬成し、関節らしき継ぎ目へ何度も斬りつけた。
「ここ、ここ弱そうじゃんっ!……って、全然斬れないし!?」
刃は甲殻の表面を滑り、火花じみた音とともに弾かれるばかり。
そして錬成を繰り出すたび、掌の手袋に刻まれた魔法陣が、少しずつ悲鳴を上げていた。縫い目が擦れ、繊維がほつれ、線が細っていく。だがそれに気を配る余裕など、今のハジメにはまるでない。
「くっそ、なんか有効打入んないんですけどっ……!」
じりじりと押し込まれながら、拳を、刃を、槍を、思いつく限りを叩き続ける。
やがて幾度目かの一撃を打ち込んだ瞬間――ビリッ、という小さな音が、激しい戦闘音にかき消されて誰の耳にも届かなかった。
「うそでしょ、マジでどこ殴っても弾かれるんですけどっ……!」
攻めあぐねる時間が延びるほど、こちらの息だけが上がっていく。
「――ッ!?」
不意に、二本の尾がしなった。切っ先が開き、無数の針がまっすぐコテツとマロンへ降り注ぐ。
「――コテツ!マロンっ!」
考えるより先に纏雷が点火していた。紫電を纏った身体が地を蹴り、疾風のごとく二匹のもとへ滑り込む。着地と同時に両手を地面へ叩きつけ、触れた石畳を作り変えるように錬成――二匹を包み込む岩のドームが、轟音とともに一気に隆起した。
ガガガガガッ――!
針が次々とドームの表面に突き刺さり、乾いた音を立てて弾かれていく。コテツとマロンは間一髪、その内側で難を逃れた。
「――っ、セーフ……!」
安堵したのも束の間、右手に妙な感触が走った。とっさに全力で錬成を叩き込んだせいか、握った手の感覚がいつもと違う。
「……ん?」
開いてみて、ようやく違和感の正体に気づく。錬成用の手袋が、縫い目に沿ってぱっくりと裂けていた。刻まれていたはずの魔法陣も、歪んで判別できなくなっている。
「――あ、やば」
血の気が引いた。
「ちょっ、これ手の錬成使えないやつじゃん――」
幸い、ブーツに縫い込んだ陣はまだ無事だ。だが足での錬成は、あくまで移動や踏ん張りの延長で使ってきたもの。石柱を突き上げるか、地面を隆起させるか、その場しのぎの単純な形に限られる。この化け物の甲殻を崩すような、繊細な形や連続攻撃には到底向いていない。
「……足だけじゃ、さすがにきついんですけど」
そこまで言いかけて、ハジメの動きがぴたりと止まった。
「……あれ?」
裂けた手袋を、まじまじと見つめる。
「いや待って。魔法陣、完全に潰れてるじゃん。なのに今、普通にドーム作れてたよね……?」
慌てて右手を握って、開く。陣が死んでいるのは間違いない。それなのに、錬成は確かに発動していた。
(……どういうこと?)
ざわりと、頭の隅で何かが引っかかる。そこへ、さっきティアが口にした言葉が滑り込んできた。
――魔力の直接操作。陣も詠唱もいらない。
そして、自分のステータスプレートに刻まれていた技能名。
――『魔力操作』。
(……もしかして、あーしそれ持ってる……?)
根拠なんて何もない。ただの勘だ。だけど不思議と、これは当たっている――そんな確信めいたものが、背筋を駆け上がってきた。
「――なら、試すし!コテツ、マロン!ちょっと囮お願い!」
呼びかけに応じ、二匹が左右から飛びかかるように牽制を仕掛ける。苛立ったサソリがハサミを振り回し、その意識が完全に二匹へ向いた隙に、ハジメは低い姿勢のまま一気に懐まで踏み込んだ。
「――もらったっ!」
裂けた手袋のまま、両手を地面につく。陣なんてとうに用を成していない。それでも構わず、意識を研ぎ澄ませる。
「――出ろぉっ!」
刹那、触れた石畳が唸りを上げた。右から、左から、巨大な岩の腕が次々と生み出され、間断なくサソリの胴へ叩き込まれていく。
ドガガガガガガガガッ――!!
「ぶっ叩けぶっ叩けぶっ叩けぇぇぇっ!」
一本が引っ込む間もなく次が突き出る。まるで連打そのものが意思を持ったかのように、休みなく殴りつけた。矢継ぎ早の乱打に晒され、サソリがたまらずのけぞる。
だが――拳の先端は、例によってガギンッと弾かれた。甲殻に傷ひとつない。速さも密度も明らかに上がったのに、肝心の硬さだけがどうしても崩せない。
(やっぱ、そうだったんだ……あーし、これ持ってたんじゃん!)
口元がにやける。だが同時に、腹の底で焦りがせり上がってきた。
「せっかく掴んだのに……この程度じゃ、まだ届かないってこと……!?」
それでも歯を食いしばり、刃を、槍を、間断なく叩き込み続ける。だが、どれだけ手数を重ねても硬さそのものはどうにもならない。上がりきった息が、その事実を嫌でも突きつけてくる。
「――あーもうっ!どうやったら倒せんのコイツぉぉぉ!!」
その場でダンダンと地団駄を踏み、荒い息のまま髪を掻き乱す。力の入らなくなった足が、それでもずるりと止まった。
岩陰から一部始終を見つめていたティアは、いつしか息を詰めていた。
何度弾かれても、何度手が痺れても、あの女は足を止めない。腰の高さほどもある二匹の狼を従えて、自分よりずっと大きく、格上の敵へ、真っ向から挑み続けている。
(……なんで、そこまで)
この女には、自分を助ける理由なんて何ひとつなかったはずだ。行きずりで、素性も知れなくて、封印されていた得体の知れない相手。それなのに何の見返りも求めず、あまつさえ今も、身ひとつで化け物に食らいついている。
その背中から、なぜか目が離せなかった。
ぎゅっと、ローブの裾を握る手に力がこもる。
数百年。誰にも顧みられず、誰も助けに来なかった。それが当たり前だと、とうに諦めていたはずだった。
(――ううん)
助けられた。何の打算もなく、力づくで封印を砕いて。
その相手が今、目の前で、自分よりずっと弱いくせに、それでも諦めずに戦っている。
(――違う。バカなだけじゃない)
気づけば、足が勝手に動いていた。
「――ッ、ティア!?」
疲労で立ち止まったハジメの前に、迷いなく進み出る。
「アンタなにやってんの!?ちょっとあぶないって――」
「――私を信じて」
短くそれだけ言うと、ティアはサソリへ真っ直ぐ向き合い、小さな手を高々と掲げた。
「――蒼天」
呟くようなその一言とともに、掌の先に青白い炎が灯る。灯った、と思った次の瞬間には膨れ上がり、優に六、七メートルはあろうかという巨大な火球へと育っていた。
「――うわっ、すっご……」
戦闘中であることも忘れ、ハジメは半ば口を開けたまま間の抜けた声を漏らす。
放たれた蒼天が、サソリを直撃した。
轟音。爆炎。甲殻を焼き尽くさんばかりの熱波が周囲を薙ぎ払い、断末魔じみた咆哮とともに巨体が大きくのけぞる。
だが――倒れない。
「……まだ生きてる、か……」
肩で息をするティアの横で、ハジメは焼け焦げたサソリに目を凝らした。硬く光っていたはずの甲殻が、ところどころ赤黒く炙られ、脆く変質しているように見える。
「――いける!コテツ、マロン!今がチャンスだよ!」
呼応して二匹が牙を突き立てる。これまで弾かれるばかりだった攻撃が、今度は確かに、浅く甲殻へ食い込んだ。
「よし――なら、ここで決めるっ!」
足元へ纏雷を点火。足裏錬成で石柱を勢いよく突き上げ、噴き上がる隆起に乗って身体が一気に跳ね上がる。
翻り、天井へ両手両足を叩きつけるように着地。すかさず錬成――両拳に岩のボクシンググローブ、足元にはさっきと同じ石柱。
「――行くよ、っ!」
石柱の推進力と、バリバリモードの加速を一気に重ねる。全身の紫電が眩さを増した瞬間、視界が歪むほどの推進力が背中を蹴り飛ばした。
「――バリバリロケットォォォッ!!」
轟音とともに天井を蹴り抜く。弾丸そのものと化した身体の前で、景色が一瞬にして置き去りになった。空気を切り裂く甲高い音。紫電の尾を引きながら、サソリの背中めがけて一直線に落ちていく。
「――だりゃぁぁぁぁぁっ!!」
纏雷を纏わせた右の拳を、渾身の力で叩き込む。狙いは、焼け焦げて脆くなった背中の甲殻。
ズドンッ――!!
拳は易々と甲殻を貫通し、そのままの勢いで体内へ突き抜けた。硬い感触が消えた瞬間、内部で何かが砕け散る手応えが、確かに伝わってくる。
一拍の静寂。サソリの巨体が内側から光を放ち――
ドォンッ――!!
魔石の砕けた反動で、巨大な魔物は跡形もなく爆散した。
粉塵と余韻の中、ハジメは着地の姿勢のまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
もうもうと立ち込める土煙の向こうで、ゆっくりと身を起こすその姿が、一瞬だけ逆光に浮かび上がる。息を切らしながらも真っ直ぐに立つ横顔に、ティアは思わず言葉を失っていた。
(――なに、今の)
さっきまで拳を痛がって転げ回っていた姿とは、まるで別人のように見えて。ドクン、と柄にもなく胸の奥が跳ねる。
「……っ」
自分でもよく分からない感情に戸惑い、ぎゅっと胸元を押さえたその時――
粉塵を突き破って、弾んだ声が飛んできた。
「――ティアァァァ!!やば、マジやばいってさっきの魔法!!」
もたつく足取りで駆け寄るなり、ハジメは興奮を隠しきれない様子でティアの両手をがしっと掴んだ。
「あの青い玉、めっちゃ綺麗だったし!なんかもう温泉のパックみたいな色してたし、っていうかサイズ!家くらいあったし!ティアってばそんなのポンって出せるとか反則すぎん!?」
「――っ、近い」
勢いに気圧され、ティアは無言で一歩下がる。褒められ慣れていないのか、頬にじわりと差した赤みを誤魔化すように、ぷいと顔を背けた。
「……別に。本気じゃない」
「え、うそ!?あれ本気じゃなかったの!?ますますヤバいんですけど!」
「……うるさい」
素直に喜べばいいものを、むすっとした顔で腕を組む。だがその視線は、隠しきれない照れくささのせいか、ちらちらとハジメの顔を窺うように泳いでいた。
「ってか、あぶないから隠れてろって言ったのに、なんで出てきたし。もうちょいでこっちも心臓止まるとこだったんですけど」
不意打ちのように核心を突かれ、言葉が一瞬詰まる。
「……別に。放っておけなかっただけ」
「あ、そこはやっぱディスるんだ」
「……事実」
つんと言い放ちながらも、ティアは視線をふいと逸らす。そして――誰にも聞こえないくらいの小ささで、それでも確かに続けた。
「……無事で、よかった」
「――ん?なんか言った?」
「な、なんでもない!」
慌てて声を張り上げるティアに、ハジメはきょとんとした顔をして、それからへへっと笑った。
「ま、いっか。とりあえずティアのおかげで九死に一生って感じだったし、マジありがと」
真っ直ぐな礼の言葉に、ティアはますます居心地悪そうに身をよじる。と、足元でコテツとマロンが労うように鼻先を擦り寄せてきた。
「あ、そうそう、アンタ達もお疲れ様!めっちゃいい連携だったよ、さすがうちの相棒たち」
しゃがみ込んでわしゃわしゃと撫でると、応えるように二匹が尻尾をブンブン振り回しながら顔を寄せてくる。かと思えば、揃って嬉しそうにハジメの顔をペロペロと舐め回し始めた。
「ちょ、ちょっと待っ――うわっ!?」
勢い余った二匹に押し倒され、ハジメはそのまま仰向けに引っくり返る。
「ぶはっ、ちょ、二人とも一気に来過ぎだって!舐めすぎ、くすぐったいし――あはは、ちょっ、待っ……!」
されるがまま顔中を舐められながら、それでも笑い声を隠しきれない様子で、ハジメは二匹の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
その光景を、ティアはしばらく黙って見つめていた。
(――やっぱり、バカ)
胸の内で呟く。けれどその言葉にはもう、最初のような冷たさは滲んでいなかった。