ありふれたギャルは世界最狂   作:バグッた左スティック

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#29 三百年の沈黙と、騒がしい今と

粉塵がすっかり落ち着いた頃、ハジメはようやく岩壁に背を預けて座り込んだ。

 

「ふぁ〜……つっかれた……」

 

隣ではコテツとマロンが早々に丸くなり、ふさふさの尻尾で互いの鼻先をくすぐり合っている。奈落に落ちてから何度目かも分からない、束の間の休息だった。

 

魔物の気配が消えた部屋は、驚くほど静かだ。天井から垂れる青白い光が、床に走った亀裂や砕けた岩の残骸を、ぼんやりと照らしている。

 

「ん、そだ。ちょっとこっち来て」

 

「……なに」

 

「腕、見せて。針の破片飛んだっしょ」

 

言われてティアが差し出した細い腕には、確かに小さな擦り傷が幾筋か走っていた。ハジメは腰の水筒を外し、慎重に傾ける。

 

「……いらない」

 

「え、なんで」

 

「勝手に治る。前に言った」

 

「あー……そういえばそうだったわ」

 

言いながら、ハジメは構わず一滴、二滴と垂らした。透明な雫が触れた瞬間、傷は溶けるように消えていく。

 

「……聞いてた?」

 

「聞いてたよ。でも治んの見たいじゃん」

 

「……」

 

「あとこれ、あーしの命の恩人的なアレだから。ちょっと自慢したかったっていうか」

 

ティアは何か言いかけて、やめた。言っても無駄だと、この短時間で理解し始めていた。

 

水筒を仕舞いながら、ハジメはふと手を止める。

 

「てかさ。叔父さんと家臣にやられたって言ってたじゃん」

 

ティアの指先が、わずかに止まる。

 

「あれ、どういう奴らだったの?」

 

しばらく、返事はなかった。

 

やがてティアは膝を抱え直し、床の一点に視線を落としたまま、ぽつりと答えた。

 

「……私が育てた人たち」

 

「え」

 

「私が任命した人たち。私が信じてた人たち」

 

淡々とした声だった。感情の起伏がまるでない。だからこそ、その平坦さが重かった。

 

「叔父が言った。あの女は化け物だ、いずれ我々を食い殺すって。誰も反対しなかった」

 

「……」

 

「私は、統治が下手だったわけじゃない。国も豊かだった。民も平和だった。だから、余計に怖かったんだと思う。何を間違えたわけでもない王が、ただ強すぎるっていう理由だけで」

 

ふ、と息が漏れた。笑ったのかもしれない。

 

「だから埋めた。誰にも見つからない場所に。誰も来ない場所に」

 

「……国は? その後どうなったの」

 

「知らない」

 

即答だった。

 

「知る手段がなかった。あそこで、何も見えないし、何も聞こえない」

 

想像しようとして、ハジメは失敗した。

 

暗闇。動かない身体。届かない声。それが何年も、何十年も。

 

「……何してたの、その間」

 

問いかけてから、ハジメは少し後悔した。あまりに残酷な質問だった気がする。

 

だがティアは、特に気を悪くした風もなく答えた。

 

「最初は、怒ってた。ずっと。叔父を、家臣を、全部殺すことばかり考えてた」

 

「……うん」

 

「そのうち、考えるのをやめた。腹が立つのも疲れる。怒るには、体力がいるから」

 

「……」

 

「次は数えてた。天井から水が落ちる音。何滴で一日か決めて、数えて。でもある日、自分がいくつまで数えたか分からなくなって、それもやめた」

 

淡々と続く言葉に、ハジメは何も返せなかった。

 

「最後は、何もしてない」

 

ティアは、そこで初めて顔を上げた。

 

「何も考えないでいると、時間が過ぎるのが早い。それだけ覚えた」

 

紅い瞳が、まっすぐハジメを見ていた。

 

「――だから」

 

小さく、けれど確かな声で。

 

「あなたが壁を壊した音、すごくうるさかった」

 

「え、ごめん」

 

「褒めてる」

 

「え、褒めてんのそれ!?」

 

「……三百年ぶりだった。人の声を聞いたの」

 

しん、と静寂が落ちる。

 

重い。あまりにも重い。ハジメは神妙な顔で頷き、その言葉を噛み締めるように何度か瞬きをして――

 

「……ん?」

 

ぴたり、と動きが止まった。

 

「待って。三百年?」

 

「……そう」

 

「三百年ってことはさ」

 

指を折り始める。折り終わる前に、答えが出た。

 

「――アンタめっちゃババアじゃん!!!」

 

部屋の空気が凍りついた。

 

「なにそれヤバッ! 三百歳!? 人生五周くらいしてない!? あーしのひいひいひいひい……もう何回言えばいいか分かんないレベルのおばあちゃんより上じゃん! えっ、じゃあ敬語使った方がいい感じ? ティア様? いやティア婆様?」

 

「――ッ!!」

 

「うわっ、待っ、ちょ、なんで牙出して――いだだだだだだッ!!?」

 

ガブリ、と。

 

小さな身体がありえない速度で飛びかかり、ハジメの二の腕に思い切り噛みついた。

 

(――この人、やっぱりムカつく……!)

 

三百年ぶりに聞いた人の声だった。三百年ぶりに触れた他人の体温だった。ようやく、ほんの少しだけ心を許してもいいかもしれないと思った。その矢先にこれだ。

 

「いたい! いたいって! 噛むな! 牙! 牙めっちゃ刺さってるから!」

 

「ばばあじゃない」

 

「わかった! わかったから離して! イタタタ、マジで離して!」

 

必死に腕を振り回すが、ぶら下がったまま微動だにしない。振っても揺すっても引っ張っても、まるで剥がれる気配がなかった。

 

「いやちょっとマジで剥がれないじゃんこのガキ!?」

 

「――ッ!! がきじゃない!!」

 

「え」

 

一瞬、動きが止まる。

 

そして、ハジメの口が勝手に開いた。

 

「……いや、ガキじゃないってことは」

 

「……」

 

「――やっぱババアじゃん!!!」

 

(――――ムカつく!!!)

 

ガブゥッ、と。

 

さっきの倍の力で牙が食い込んだ。

 

「ぎゃああああああ!? 嘘! 今のなし! 言葉のアヤ! アヤだから!」

 

「ばばあじゃない」

 

「じゃあ何なの!? ガキでもババアでもないって何!?」

 

「……ふつう」

 

「三百歳が普通なわけないじゃん!!」

 

(……そういうことを、言うな)

 

「――ッ!!」

 

「いだだだだだだッ! だから! そこ! 同じとこ! もう穴開いてるから!」

 

腕にぶら下がったティアと、それを振り回すハジメ。堂々巡りの応酬が、静かだった部屋に響き渡る。

 

コテツとマロンが顔を上げ、揃って首を傾げた。何が起きているのかは分からないが、とりあえず騒がしいことだけは伝わったらしい。やがて興味を失ったように、二匹はまた丸くなって目を閉じた。

 

「いや待って冷静に考えて! あーしが悪かった! 三百年生きてても見た目そのままって普通にすごくない!? むしろ最強じゃん! 美容業界の頂点じゃん!」

 

「……」

 

ぴたり、と噛む力が緩んだ。

 

(……悪くない、かもしれない)

 

「え、そこ効くんだ」

 

「……効いてない」

 

ぷいと顔を背けて離れるティアだったが、その耳がうっすら赤い。

 

「あーいだだ……絶対穴開いたわこれ……」

 

腕をさすりながら、ハジメはぼやいた。歯形がくっきりと残っている。

 

「……ってか、アンタさっきしっかり吸ってたよね?」

 

「……吸った」

 

「認めるんだ」

 

「せっかく噛んだから」

 

「ついで!? ついでで吸われたのあーし!?」

 

しれっと口元を拭うティアに、ハジメは呆れた顔を向ける。

 

「まあいいけどさ……減るもんじゃないし。いや減ってるわ、血だわ」

 

「……美味しかった」

 

「そこは褒めても嬉しくないってのw」

 

思わず吹き出したハジメを、ティアがじろりと睨む。だがその視線には、もう最初のような冷たさはなかった。

 

ハジメは笑いを収めると、ぐしゃっと自分の髪を掻き回した。

 

「……あー、なんかムカついてきた」

 

「?」

 

「そのクソ叔父。三百年前でしょ、もう死んでんじゃん。ズルくない? やった側だけ普通に寿命まで生きてるって、なんなの?」

 

理屈になっていない。まるでなっていないのだが、ハジメは本気で憤慨していた。

 

ティアは、そんなハジメをぽかんと見上げていた。

 

「……あなた、変」

 

「んー? よく言われる」

 

「私の話なのに、なんであなたが怒るの」

 

「え、だって腹立つじゃん」

 

即答だった。

 

ティアは何か言おうとして、やめた。それから小さく息を吐いて、こう聞いた。

 

「……じゃあ、あなたは?」

 

「あーし?」

 

「なんでこんな所にいるの。上から落ちてきたって言ってた」

 

ハジメは天井を見上げた。遥か彼方、光の届かない闇の向こうを。

 

「んー……ちょっと長くなるけどいい?」

 

「時間なら、ある」

 

「それもそっか」

 

苦笑して、ハジメは膝を抱え込んだ。

 

「あーしさ、こことは別の世界から来てんの。日本ってとこ。魔法もないし、魔物もいない。学校行って、友達と喋って、夕方には帰る。そういう普通の世界」

 

ティアの目が、わずかに見開かれた。

 

「……別の世界」

 

「うん。でさ、ある日クラスごと丸ごとこっち呼ばれちゃって。魔法陣がバーンって光って、気づいたらデカい聖堂の真ん中にいたわけ」

 

「……勝手に?」

 

「そ。勝手に」

 

あっけらかんと言ってのけたが、ティアの眉がわずかに寄った。

 

「呼んだ奴らが言うにはさ、勇者として魔人族と戦ってくれって。神様のお告げだからよろしくって」

 

「……ひどい」

 

「まあね。でもあーし、勇者とかそういうノリじゃないし。とりあえずみんなで生き延びて帰る方法探すのが先っしょって思ってた」

 

言いながら、ハジメは自分の掌に目を落とす。裂けた手袋の下から覗く、白い肌。

 

「あーしの職業、錬成師っての。物を作り変える力。服とかアクセとか作り放題でマジ最高なんだけど、周りからは戦闘向いてないって言われてさー」

 

「……そうは見えない」

 

「まあね。向いてないなりに、みんなの武器調整したりとかさ。あと魔力だけはなんかエグかったから、危なくなったらドーンって壁作って守ったりとか。なんとか頑張ってたよw」

 

肩をすくめて、ハジメは続けた。

 

「んで、迷宮潜ることになって。オルクスってとこの、六十五階層」

 

「……六十五」

 

ティアが小さく繰り返した。その響きに、わずかな驚きが混じる。

 

「なんか、人間が行けるとこの限界らしくてさ。そこでデカいのに襲われて、みんなでヤバいってなって」

 

そこで、ハジメは一度言葉を切った。

 

天井を仰ぐ。遥か上にあるはずの、届かない場所を。

 

「……逃げ道作んなきゃって、あーしが一番後ろ残ったの」

 

「……」

 

「そしたら足場が崩れてさ。床ごと落ちた」

 

ぽつり、と。

 

「みんなの目の前で」

 

静かだった。コテツとマロンの寝息だけが、かすかに聞こえている。

 

「……仲間は」

 

「上にいる。……たぶん、生きてる」

 

その「たぶん」に、ハジメ自身が少しだけ息を詰めた。

 

「落ちた瞬間さ、あーしすっごい情けない顔してたと思う。みんなの顔見えたもん。香織が――あ、香織って親友ね。あの子がめちゃくちゃ手伸ばしてて。雫も、光輝君も、清水も、みんな」

 

指先が、無意識に自分の右手首を撫でた。いつもそこにあったはずの、水色のシュシュはもうない。

 

「あーしね、ずっと言ってたの。みんなで帰ろうって。誰も欠けさせないって」

 

「……」

 

「言い出しっぺが一番に落ちてんの、ダサすぎでしょ」

 

そう言って笑ったが、あまり上手く笑えなかった。

 

ティアは何も言わず、じっとハジメを見ていた。

 

やがて、ふと思い出したように口を開く。

 

「……でも、あなた。おかしい」

 

「え、なにが」

 

「そんな守るだけの人が、魔物を殴り殺してる」

 

「あー、それね」

 

ハジメはあっさりと頷いて、自分の白銀の髪をひと房つまんだ。

 

「奈落落ちて、狼の肉食ったらこんなんなったわけ」

 

「……は?」

 

「や、あそこで死んじゃったママ狼がいてさ」

 

言いながら、ハジメは足元で丸くなっている二匹へ手を伸ばした。

 

「この子たちのママなんだけど」

 

ゆっくりと、白銀の毛並みを撫でる。眠っていたコテツとマロンが薄目を開け、それからのそりと身を起こした。撫でる手を追うように顔を寄せ、ハジメの胸元に鼻先をすりすりと押しつけてくる。

 

ハジメは笑って、その頭を両手で包み込むように撫でた。

 

「んで、この子たちが自分のママの肉噛みちぎって、あーしの足元にポトンって置いてくんの。食えって」

 

「……」

 

「めちゃくちゃ止めたよ? いやアンタらのママじゃんって。でも二人ともシッポぶんぶん振って早く食べてって顔してんの。しかもこっちは腹ペコだし」

 

その声は、さっきまでの軽さから少しだけトーンが落ちていた。

 

けれど撫でる手だけは、ずっと止まらない。

 

「……んで食ったらクソまずいの。もう吐きそうなくらい。で、飲み込んだ瞬間に全身から血ぃ吹き出して転げ回って、マジで死ぬかと思って。目ぇ覚めたら髪真っ白になってるし目ぇ赤いし身長伸びてるしで、水に映った自分見た時めちゃくちゃビビった」

 

からから笑いながら語られる内容が、あまりに凄まじい。

 

ティアの表情から、感情が抜け落ちていった。

 

「……食べたの」

 

「食べた」

 

「魔物の肉を」

 

「食べた」

 

「死にかけて」

 

「死にかけた」

 

「……」

 

ティアは長い沈黙の後、額に手を当てた。

 

(……この人、やっぱりあほだ)

 

三百年生きて、王として国を治め、数多の人間を見てきた。だが、魔物の肉を食って死にかけた挙句それを笑い話にする人間は、初めて見た。

 

「……普通、食べない」

 

「え、でも食わなきゃ死んでたし」

 

「そうかもしれないけど」

 

「じゃあ正解じゃん」

 

(……そういう問題じゃない)

 

言おうとして、やめた。この人に言っても無駄な気がしたからだ。

 

「まあ、だから」

 

ハジメはぐいと膝を伸ばし、勢いよく立ち上がった。

 

「帰る。上まで」

 

言い切った。何の躊躇もなく。

 

「……でも、ここは奈落の底」

 

「そうなんだよねー。上に戻る道とか一個も見つかってないの。落ちてきた穴とか絶対無理だし」

 

あっさり認めて、ハジメは指を一本立てた。

 

「だから下」

 

「……下?」

 

「うん。下」

 

ティアの目が、わずかに丸くなる。

 

「だってさ、こんだけデカい迷宮作った奴がいるってことじゃん? でっかい扉あったし、アンタが閉じ込められてた部屋もあったし。人が作ったっぽいのがゴロゴロあるわけよ」

 

「……作った人なら、知ってる」

 

「え、マジで?」

 

ハジメが身を乗り出す。

 

ティアは膝を抱えたまま、少しだけ視線を上げた。

 

「反逆者。そう呼ばれてる」

 

「……はんぎゃくしゃ? なんそれ」

 

「神に逆らった人たち」

 

「え、神様に?」

 

「七人いた。この世界に、大きな迷宮を七つ遺した」

 

言葉を選ぶように、ティアは続ける。

 

「ここもその一つ。オルクス大迷宮。……たぶん、あなたが落ちてきた場所の、本当の姿」

 

「本当の姿?」

 

「上の階層は、たぶん後から誰かが作ったもの。本物はこっち。奥の方」

 

ハジメは首を捻った。

 

「え、じゃあ上の方でみんなが必死こいて潜ってたのって」

 

「玄関先」

 

「玄関先ぃ!?」

 

「たぶん」

 

あっさりと言い切られて、ハジメは絶句した。人類最高到達六十五階層。百年破られなかった記録。それが玄関先。

 

「……で、その反逆者って結局なんなの。神様と喧嘩したってこと?」

 

「詳しくは、私も知らない。伝承だけ」

 

ティアは小さく首を振った。

 

「ただ、神に逆らって、負けた。それだけは伝わってる」

 

「ふーん……」

 

ハジメはしばらく腕を組んで考え込み、それから、うんと大きく頷いた。

 

「まあ反逆者っていうくらいなら悪い奴ってことっしょ?」

 

「……そうとは限らない、と思う」

 

「いや絶対悪い奴じゃん。わかるわぁー」

 

「……なんで」

 

「だってこの迷宮の構造、マジで性格の悪さにじみ出てんもん!」

 

ハジメは立ち上がって、ばっと両手を広げた。

 

「見てよこれ! 落ちたら二度と上がれません! 壁も天井もツルツル! そこら中に殺す気満々の魔物! しかも上に戻る方法なんて一個もなし! なにこれ!? 完全に嫌がらせでしょ!?」

 

「……」

 

「普通さあ、非常口くらい作らない!? どんな建物にも法律で決まってんのよ!? 消防法! あーしの世界だったら一発でアウトだから! 営業停止だから!」

 

「……しょうぼうほう」

 

「そう! 安全第一!」

 

拳を握って、ハジメは指を折り始めた。

 

「まず非常階段ね。これ絶対。あと案内表示! 現在地くらい書いとけっての、何階層かも分かんないんですけど!? あと休憩所! ベンチ! 人が何日歩くと思ってんの!?」

 

「……」

 

「あと水場! これマジで! あーしたまたま神水見つけたからよかったけど、なかったら普通に干からびて死んでたからね!? 自販機の一台くらい置いとけっての!」

 

「……じはんき」

 

「水が出てくる箱!」

 

「……」

 

ティアは反応に困った様子で、こくりと頷いた。

 

「終わってるっしょマジで。設計思想が終わってる。こんなん作る奴が善人なわけないじゃん」

 

「……」

 

「もし会えたらブチ切れてやるわ。非常階段どこですかって」

 

(……この人、たぶん本当に言う)

 

ティアは静かに確信した。

 

「まあそんなわけで、下行こ。絶対なんかあるって」

 

「……根拠は?」

 

「ない!」

 

「……」

 

「でもさ、上に行けないなら下行くしかなくない? 止まってたって何にもなんないし」

 

理屈と呼ぶにはあまりに雑だった。

 

けれど、そこには不思議な説得力があった。少なくとも、この暗闇の底で膝を抱えて座り込んでいるよりは、ずっとマシに聞こえてしまう程度には。

 

それに――と、ティアは思う。

 

反逆者が遺したものなら、この最深部に何かがある可能性は、確かに低くない。少なくとも、上に戻る道を探して彷徨うよりは。

 

「……あなた、本当に変」

 

「二回目だけど」

 

「……」

 

ティアはしばらく黙り込んだ。膝を抱えたまま、床に落ちた自分の影を見つめている。

 

やがて、その唇が小さく動いた。

 

「……私も、行く」

 

「え」

 

「上に。連れて行って」

 

ハジメが目を丸くする。

 

「え、いいの? 結構ヤバいと思うけど。魔物ウジャウジャいるし、この先どうなってるかも分かんないし」

 

「……あなたは行く」

 

「まあね」

 

「じゃあ、私も行く」

 

ティアは立ち上がった。ハジメの胸にも届かない小さな身体で、まっすぐに見上げてくる。

 

「あなた一人だと、死ぬ」

 

「……」

 

「私がいた方がいい」

 

反論できなかった。実際、さっきのサソリだって彼女がいなければどうなっていたか分からない。

 

ハジメは頭を掻いて、それから、へへっと笑った。

 

「……そっか。うん、じゃあお願いしよっかな」

 

差し出された手を、ティアはしばらく見つめていた。

 

そして、おずおずと。その小さな手を重ねる。

 

「よろしく」

 

「……ん」

 

握り返した手は、ひどく冷たくて、けれど確かな力があった。

 

その足元で、コテツとマロンが二人を見上げてワンッと吠える。

 

「あ、そうそう。この子たちも仲間だから。コテツとマロン」

 

「……知ってる。さっき背中で受け止めてもらった」

 

「あー、あれね。ナイスキャッチだったわ」

 

「……忘れて」

 

耳まで赤くして顔を背けるティアに、ハジメは声を上げて笑った。

 

そして、ひとしきり笑った後、うんと大きく伸びをする。

 

「よっしゃ、じゃあ行きますか! コテツ、マロン、あと金太郎!」

 

「――――」

 

ぴたり、と。

 

部屋の空気が凍った。

 

ハジメは口元を押さえていた。押さえながら、肩が小刻みに揺れていた。

 

ゆっくりと振り返ったティアの前髪の影から、爛々と輝く紅い光が漏れている。

 

「……いま」

 

「え、なに?」

 

「……いま、なんて言った」

 

「んー? なんも言ってないけど?」

 

しれっとした顔で、ハジメはとぼけてみせた。だが口の端が完全に持ち上がっている。隠す気が微塵もない。

 

「……言った」

 

「言ってないってー。気のせいじゃない? 金太郎」

 

「――金太郎っていうなぁぁぁぁぁッ!!!」

 

「ぎゃぁぁぁぁぁ!?」

 

小さな影が弾丸のごとく飛びかかった。

 

「ちょ、待っ――なんでそこ!? なんでケツ!?」

 

ガブゥッ、と。

 

「いだだだだだだッ!! そこ! そこは違うでしょ!? 乙女のケツだよ!? 傷ついたらどうすんの!?」

 

「きんたろうじゃない」

 

「知ってる! 知ってるから! アンタはティア! 世界一かわいいティア!」

 

「……とってつけたように言うな」

 

「本心だってぇぇぇ!」

 

じたばたと暴れるハジメだったが、ふと違和感に気づいて動きを止めた。

 

「……ちょっと待って。アンタ今、吸ってない?」

 

「……吸ってる」

 

「なんで!? 怒ってるんじゃないの!?」

 

「怒ってる。でも、もったいない」

 

「切り替え早すぎでしょ!?」

 

腰にぶら下がったまま離れないティアと、それを引き剥がそうと必死に暴れるハジメ。

 

コテツとマロンがワンワンと吠えながらその周りをぐるぐると駆け回り、大騒ぎに便乗して尻尾を振り回している。

 

「アンタらも面白がってないで助けて!? というかコテツ! 今笑ったでしょ!? 絶対笑ったよね!?」

 

三百年ぶりに音を取り戻した部屋の中で、悲鳴と怒声と二匹の吠え声が、いつまでも高く高く響き渡っていた。

 

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