用意された外套は、白かった。
肩から膝下までを覆う、厚手の布。襟と裾には金糸で教会の紋が縫い取られている。袖を通すと、糊の匂いがつんと鼻を刺した。
光輝は鏡の前で、その白さを眺めていた。
三日前、前庭で去っていった鎧と同じ色だ。
「……似合ってんじゃねぇの、勇者様」
背後で龍太郎がぼそりと言った。自分も同じ外套を着せられて、窮屈そうに肩を回している。
「お前もな」
「嬉しくねぇ」
控えの間には、クラス全員が揃っていた。誰も彼も同じ白に包まれて、同じように黙っている。鈴が裾をつまんでは離し、つまんでは離す。永山は襟を何度も直していた。いつもなら真っ先に騒ぎ出す面々が、今朝はやけに静かだった。
窓の外から、遠く太鼓の音が聞こえてくる。
城下では、もう人が集まり始めているらしい。
◇
王宮の門が開いた瞬間、音が押し寄せてきた。
歓声だった。
大通りの両脇を、人の壁が埋め尽くしている。窓という窓から身を乗り出す顔。屋根に上って手を振る若者。肩車された子供が、小さな旗を振り回している。紙吹雪が陽を受けて、きらきらと舞い落ちてきた。
「勇者様ー!」
「六十五階層だってよ! 誰も行ったことねぇとこだぞ!」
「ベヒモスを倒したんだって!」
祝福は本物だった。そこに嘘は一つもない。前人未到の階層を踏破し、伝説の魔獣を討った若者たち。王都の民にとって、それは紛れもなく誇らしい出来事なのだ。
だからこそ、居心地が悪い。
「……なあ」
列の中ほどで、清水が口の端だけを動かして言った。
「これ、いつまで手ぇ振ってりゃいいんだ」
「終わるまでだろ」
隣を歩く遠藤が、ぎこちなく右手を上げたまま答える。
「終わるまでってどこまでだよ。俺もう肩がやべぇんだけど。この前の筋肉痛、まだ抜けてねぇし」
「知らねぇよ。俺なんかさっきから振ってんのに、誰とも目ぇ合わねぇんだけど」
言われてみれば、遠藤の前を通り過ぎる歓声は、どれも少しずつ彼の頭上を越えていく。沿道の少女が手を振った先は、遠藤の一歩後ろを歩く龍太郎だった。
「……お前、祝われる側でもそれかよ」
「うるせぇ」
「いいじゃない。目立たずに済むんだから」
前を歩く雫が、振り返りもせずに言った。背筋を伸ばし、顔には完璧な微笑みが貼りついている。けれど沿道に向けて上げた手は、手首から先がほとんど動いていなかった。
「八重樫、それ笑ってんのか」
「笑ってるわよ。見て分からない?」
「分かんねぇから聞いてんだよ」
「じゃあ、ちゃんと笑えてないってことね」
乾いた声だった。清水は小さく鼻を鳴らして、それ以上何も言わなかった。
三人の後ろでは、残りの面々が黙々と歩いている。
優花は唇を引き結んだまま、沿道のどこも見ていない。永山は手を振っては、途中で止めて下ろす。野村がそれを見て、自分も上げかけた手を引っ込めた。鈴は恵里の袖を掴んだまま、紙吹雪を見上げている。その目が、少しも笑っていなかった。
どんな顔をして歩けばいいのか、誰にも分からない。
歓声だけが、白い外套の列を包んでいた。
◇
行進は大聖堂前の広場で止まった。
石段の上に、壇が設えられている。その中央に、白い法衣の老人が立っていた。
イシュタル・ランゴバルドが両腕を広げる。
それだけで、広場のざわめきが波のように引いていった。
「見よ、王都の民よ」
朗々とした声が、広場の隅々まで響き渡る。
「主エヒトの御加護のもと、勇者御一行は、人の身にていまだ誰一人至り得なかった六十五の階層を踏破された。そして古より恐れられし魔獣ベヒモスを、見事討ち果たされたのである!」
歓声が爆ぜた。
イシュタルは満足げに目を細め、胸に手を当てる。召喚の日、あの石造りの広間で見せたのと同じ、芝居がかった身振りだった。
光輝は壇の下に立ったまま、老人を見上げていた。
穏やかな顔をしている。召喚の日も、追悼の儀を持ちかけられたあの聖堂でも、この人はずっと同じ顔をしていた。
「そして、民よ。此度の勝利を導いたのは、勇者殿の剣のみにあらず」
イシュタルの手が、ゆっくりと一行の方へ差し向けられた。その先にいたのは、香織だった。
「癒しの天職を授かりながら、主より裁きの光をも賜りし乙女。天より光を降らせ、魔獣にとどめを刺したる治癒師、白崎香織殿である」
広場の視線が、一斉に香織へ集まった。
「主はこの乙女を通じて、その御力を地上にお示しになられた。まさしく、聖女と呼ぶにふさわしい!」
「聖女様!」
「聖女様ー!」
歓声が、さっきとは違う熱を帯びて膨れ上がる。
香織は、何も応えなかった。手を振ることも、頭を下げることもしない。ただ、壇上の老人を見上げていた。
「されど、民よ。この勝利の陰に、尊き犠牲があったことを忘れてはならぬ」
イシュタルの声が、ふと低くなる。
悲しみを湛えるように瞼を伏せ、組んだ両手を胸の前に掲げた。
「勇者と共に戦い、仲間の退路を拓くため、自ら奈落へとその身を捧げた者がいた。一人の、錬成師である」
光輝の指先が、外套の中で強張った。
「その献身は、主の御業のために捧げられた尊き供物。主は必ずや、その魂を御許へとお導きになられるであろう」
美しい言葉だった。
一語一語が丁寧に磨かれていて、どこにも棘がない。棘がないまま、ハジメを勝利の物語の一頁に綴じ込んでいく。
隣で、龍太郎の奥歯が鳴った。
光輝は、横目で香織を見た。
香織は、まだ壇上の老人を見上げている。瞬き一つしていない。表情と呼べるものは何もなかった。
ただ、外套の袖口の上から、片手がもう片方の手首をきつく握りしめている。そこにあるブレスレットの刻印を、布越しに押し潰すように。
怒っている、と光輝は思った。
声も上げず、眉一つ動かさず、ただ静かに。幼い頃からずっと隣にいたのに、香織のこんな横顔は、一度も見たことがなかった。
ベヒモスの時からずっと引っかかっていたものの正体が、ほんの少しだけ見えた気がした。
その向こうでは雫が目を伏せ、鈴が恵里の袖を掴む手に力を込めている。清水は壇上から視線を外さない。誰もが、何かを堪えていた。
「……錬成師?」
広場のどこかで、誰かが呟いた。
小さな声だった。けれどそれは、水面に落ちた小石のように、じわりと輪を広げていく。
「錬成師って……あれか、南壁の城壁を直したっていう」
「うちの前の石畳、直してくれた子じゃないのかい」
「金色の髪の、よく喋る娘だろ?」
囁きが、囁きを呼ぶ。歓声の中に、戸惑いの色が混じり始めていた。
壇上のイシュタルは、それに気づいているのかいないのか、穏やかに微笑んだまま両腕を広げ直した。
「主に感謝を! 勇者に祝福を!」
再び歓声が上がる。
けれどその歓声は、さっきよりほんの少しだけ、揃っていなかった。
◇
行進が再び動き出してしばらくした頃、列の脇から声がかかった。
「勇者様」
光輝が振り向くと、沿道の人垣を掻き分けて、エプロン姿の中年の女性が前に出てきていた。その後ろに、腕の太い職人風の男が数人続いている。
「ちょいと、聞いてもいいかい」
女性は周りを気にするように声を落とした。
「さっき教皇様が言ってた錬成師ってのは……あの子のことなのかい。金色の髪で、自分のことを『あーし』って言う子」
光輝は足を止めた。
「うちの店の前の段差をね、あの子が直してくれたんだよ。婆さんが毎朝つまずくって話したら、その場でちょちょいっとさ。お代もいらないって言うもんだから、せめてってパンを持たせたら、うまいうまいって三つも食べてって」
女性の目元に、小さな皺が寄った。
「……本当なのかい。教皇様の言ってたこと」
後ろの男が、一歩前に出る。
「死んじまったのか、あの嬢ちゃん」
周囲の視線が、光輝に集まるのが分かった。
壇上の言葉を、否定することはできない。三日前に、それを選んだのは自分だ。
けれど。
光輝は、女性の目を真っ直ぐに見た。
「……まだ、見つかっていません」
一語ずつ、確かめるように言った。
「今も、探しています。もっと深いところまで、探しに行くつもりです」
それ以上は言わなかった。言えなかった。
女性はしばらく、光輝の顔を見つめたまま動かない。それから、ゆっくりと息を吐く。
「……そうかい」
何かを飲み込むように、何度か頷いた。
「見つかったらさ、伝えといておくれよ。婆さんが、あれからいっぺんも転んでないって」
「……はい。必ず」
女性が人垣の中へ戻っていく。職人風の男たちも、光輝の肩をばんと一つ叩いて、黙ってその後に続いた。
叩かれた肩が、じんと熱い。
光輝は顔を上げた。
少し離れた沿道の端で、香織が小さな子供たちに囲まれているのが見えた。白い外套の裾を地面につけて、しゃがみ込んでいる。
◇
「聖女さま、みてみて! これ!」
香織の目の前に、小さな手のひらが突き出された。
その上に、灰色の石でできた猫が乗っていた。
親指ほどの大きさしかない。けれど耳の先は丸く削られ、尻尾はくるりと身体に巻きついている。背中を丸めて眠っている姿だった。
「れん……せいし? のお姉ちゃんが作ってくれたの!」
得意げに胸を張るのは、前歯の抜けた男の子だった。
「ぼくのもー!」
「あたしのも見てー!」
次々に、小さな手が伸びてくる。
石の犬。翼を広げた鳥。丸まった兎。細い銅線をくるくると巻いて作った花の指輪。つるりと磨かれた小石に、小さな星の模様が刻まれたペンダント。
どれも、子供の手にちょうど収まる大きさだった。角は一つ残らず丸く落とされていて、握っても痛くないようになっている。
香織の喉から、声が出てこない。
知らなかった。
城壁を直したことも、城下の道を直したことも知っていた。王宮の人たちが身に着けているアクセサリーのことも。けれど、こんなものまで作っていたなんて。
自分の知らないところで。自分の見ていない時間に。あの子はこうやって、誰かの手のひらに小さなものを置いて回っていたのだ。
「ねえ、聖女さま」
石の猫を持った男の子が、首を傾げた。
「あのお姉ちゃん、きょうはいないの?」
「いっしょに来てないの?」
「こんどね、ぼく、うさぎのやつも作ってもらうってやくそくしたんだ!」
無邪気な声が、いくつも重なった。
さっきの説教の言葉は、この子たちの耳にも届いていたはずだ。けれど「犠牲」という言葉の意味を、この子たちはまだ知らない。
香織は、目の前の小さな顔を見つめた。
前歯の抜けた口。日に焼けた頬。石の猫を握りしめる、爪の先に土の詰まった指。
あの夜から、ずっと胸の中を満たしていたものがある。
ハジメちゃんを奪ったこの世界を、許さない。取り返さなきゃ。この世界から。
そう思い続けるうちに、いつの間にか「この世界」は、一つの大きな塊になっていた。王宮も、城下町も、そこに暮らす人たちの顔も。全部まとめて、ハジメちゃんを奪ったものの側に放り込んでいた。気にかける理由もないものとして。
けれど、あの子は違った。
訓練場で光輝と向かい合ったあの日、武器も持たずに立ったあの子は言ったのだ。人殺しになりたいわけじゃない、と。
そして、その言葉のとおりに生きていた。城壁を直し、城下の道や石垣を直し、子供の手のひらに角の丸い猫を置いていった。この世界の人たちを、敵だとも、他人だとも思わずに。
この子たちは、何もしていない。
さっき行進の列に声をかけてきた大人たちも、沿道で旗を振っていた人たちも。誰一人、あの子を奈落へ突き落としてなんかいない。
王宮の人たちだってそうだ。
「おかえりなさい」と真っ直ぐに迎えてくれたリリィ。泣くのを堪えて、あの子の行方を問うたランデル殿下。玉座の間ではなく、王宮の外にまで出て帰りを待っていてくれた王様とお妃様。教会の通達に、声を荒らげて怒ってくれた重臣の人たち。あの橋の上で、命懸けで魔物を食い止めてくれた騎士団の人たち。
みんな、あの子がいなくなったことを悲しんでくれた人たちだ。
それなのに自分は、この小さな手まで、「この世界」という言葉の中にまとめて放り込んでいた。
香織は、両腕を伸ばした。
目の前の子供たちを、まとめて抱き寄せる。
きつく。自分の胸に、押しつけるように。
「わっ」
「聖女さま?」
「どうしたの? くるしいよぉ」
腕の中で、小さな身体がもぞもぞと動いた。困ったように顔を見合わせる気配がする。
香織は何も答えずに、腕の力を緩めなかった。
子供たちの髪から、陽だまりの匂いがする。握りしめられた石の猫が、自分の胸元に当たっていた。硬くて、丸くて、少しだけ温かい。
あの子の錬成は、いつもこうだった。
誰かのために作るものは、どれも角が丸かった。
怒りが消えたわけではない。胸の底では、今も変わらずに燃えている。
ただ、その火をどこへ向けるのかを、間違えてはいけない。この腕の中の温かさを、二度と忘れてはいけない。
言い聞かせるように、香織はもう一度だけ、腕に力を込めた。
「……ごめんね」
腕をほどいて、香織は子供たちの顔を一人ずつ見る。
笑った。上手く笑えているかは分からなかったけれど、笑った。
「あのお姉ちゃんね、今ちょっと風邪引いちゃって、寝込んでるんだ」
「えー」
「かぜ?」
「だから、今日は来られないの。ごめんね」
子供たちは口々に不満の声を上げた。それから、石の猫を持った男の子が真剣な顔で言う。
「じゃあ、はやくなおるといいね」
「……うん」
香織は頷いた。
「そうだね。早く、治るといいね」
男の子の手の中の、眠る猫にそっと指先で触れる。
「それ、大事にしてね」
「うん!」
子供たちが一斉に頷いて、人垣の方へ駆け戻っていく。手のひらの中の小さな宝物を、誰も落とさないように握りしめたまま。
香織はしゃがみ込んだまま、その背中を見送った。
遠くで、また太鼓が鳴り始める。行進が動き出す合図だった。
白い外套の裾についた砂を払って、香織は立ち上がった。
◇
子供たちが人垣の中へ散っていくのを見届けてから、光輝は香織のもとへ歩いていった。
「……香織」
「あ、光輝くん」
振り返った香織は、いつもの柔らかい顔をしていた。さっき壇上を見上げていた、あの横顔が嘘のように。
「さっき、説教の時……」
言いかけて、言葉が止まる。何と聞けばいいのか、分からなかった。
香織が、少しだけ笑った。
「うん。怒ってたよ」
あっさりとした声だった。隠すつもりも、ごまかすつもりもない声。
「今も、ちょっとだけ怒ってる。……たぶん、ずっと怒ってると思う」
香織は、子供たちが駆けていった人垣の方へ目を向けた。
「でも、それをあの子たちに向けるのは、違うもんね」
光輝は、すぐには答えられなかった。
誰に向けた怒りなのか。今なら、はっきりと分かる。
中学の頃からだ。休みの日も、放課後も、香織と雫はいつの間にか自分の隣からいなくなっていた。どこへ行っているのか、当時の自分は知らなかった。
知ったのは、高校に上がってからだ。金色の髪の、口の悪い、よく笑う女の子。二人が離れていった先には、いつもあの子がいた。
面白くなかった。幼馴染を取られたような気がして、あの子のことを「不真面目な異物」だと決めつけていた。
けれど三人は、いつ見ても一緒だった。くだらないことで笑い合って、ふざけ合って、気づけばまた同じ輪の中にいる。それが当たり前の光景になるくらい、長い時間を三人は過ごしてきたのだ。
その一人を、奪われた。
この世界に呼ばれて、この世界の戦いに駆り出されて、この世界の奈落に落ちて。そして今、この世界の教えの中で、美しい犠牲として語られている。
怒らない方が、おかしい。
香織の怒りを止める言葉も、咎める言葉も、自分の中のどこにも見つからなかった。見つける必要も、きっとなかった。
「……そうか」
それだけ言って、光輝は頷いた。それ以上は、何も聞かなかった。
太鼓の音が、少しずつ近づいてくる。
「行こっか。置いてかれちゃう」
「ああ」
二人は並んで、白い外套の列へと戻っていった。
◇
鋼がぶつかる音が、訓練場に響いていた。
一合、二合。三合目で、若い近衛兵の剣が宙を舞った。
乾いた土の上に、兵士が背中から叩きつけられる。起き上がろうとした喉元に、刃のない模擬剣の先が突きつけられた。
「遅ぇ」
剣を突きつけた男が、つまらなそうに吐き捨てた。
「踏み込みが半歩浅い。それで俺の首が獲れるかよ。次」
訓練場の端に並んだ兵士たちが、ごくりと唾を飲んだ。誰も前に出ようとしない。
ヘルシャー帝国皇帝、ガハルド・D・ヘルシャー。
一国の主でありながら、朝から自ら剣を取り、近衛兵を片端から叩きのめしている。上半身は汗に濡れ、鍛え上げられた筋肉の上を古傷が幾筋も走っていた。
「陛下」
訓練場の入り口から、文官らしき男が小走りにやってきた。手には、封を切った書簡を持っている。
「ハイリヒ王国より報せが届いております」
「後にしろ。今いいとこなんだ」
「勇者一行に関する報せでございます」
ガハルドの手が止まった。
模擬剣を肩に担ぎ、首だけで振り返る。
「……読め」
「は。勇者一行、オルクス大迷宮にて六十五階層を突破。同階層に棲まう魔獣ベヒモスを討伐。死者はなし、と」
訓練場が、しんと静まり返った。
兵士たちの間に、驚きの囁きが広がる。六十五階層。ベヒモス。どちらも、帝国の精鋭ですら軽々しく口にはしない名だった。
「また、聖教教会はこれを主の御加護の賜物として、王都にて盛大な祝賀の行進を執り行った由にございます」
文官がそう付け加えた途端、ガハルドは鼻で笑った。
「御加護ねぇ」
模擬剣の先で、足元の土をとんと叩く。
「神様が代わりに剣を振ってくれるってんなら、俺も毎朝こんなに汗かいてねぇよ」
兵士の誰かが、堪えきれずに小さく吹き出した。
ガハルドは気にした様子もなく、顎に手を当てた。その目が、獲物を見つけた獣のように細まっていく。
「異界から呼ばれて、まだ間もねぇガキどもだろ。それが六十五階層か」
「はい。ただ、王国と教会の報せですので、どこまでが誠かは――」
「だから面白ぇんだろうが」
ガハルドは、にやりと笑った。
「本物か、教会が飾り立てた張りぼてか。紙切れ一枚じゃ分からねぇ」
模擬剣を放り投げる。兵士の一人が慌ててそれを受け止めた。
「支度をしろ。ハイリヒへ行く」
「へ、陛下御自ら、でございますか」
「当たり前だ」
汗に濡れた髪をかき上げ、帝国の皇帝は王国の空の方角を見やった。
「勇者とやらが、どれほどのもんか。この目で確かめてやる」
訓練場を、乾いた風が吹き抜けていく。
巻き上げられた砂が陽に透けて、王国のある方角の空へと流れていった。
揃わなかった歓声も、子供たちの手の中の小さな宝物も、この地までは届かない。勇者たちのまだ知らないところで、また一つ、新しい足音が動き出そうとしていた。
一章次で終わりです