帝国の兵たちが谷の縁から兎の列を見下ろす、少し前のこと。
谷の底の裂け目の前で、狼の舌がもう一度カムの頬を這い上がった。
下げた頭を上げる機会を、どうやら見失ってしまったらしい。深々と腰を折ったままのカムの頭のてっぺんを、今度はマロンの鼻先がふんふんと嗅ぎ回っている。鼻息に煽られて、長い耳がぴくり、ぴくりと揺れた。
「あー、ごめんね。この子達、人懐っこいだけだから」
引き車の上から、ハジメがひらひらと手を振る。その足元では、座席からずり落ちたティアが砂の上にうつ伏せのまま、起き上がる気配も見せずにいた。
裂け目の入り口では、大人たちの脚の陰から、小さな顔がいくつも覗いている。
狼が二匹。長がその狼に舐められていて、シアはその狼の車から降りてきた。何がどうなっているのか、誰にも分からないという顔だった。
一番前にいた女の子が片方だけ折れた耳を両手で握りしめたまま、シアを見上げた。
「……たべない?」
「食べませんよぉ。……たぶん」
「大丈夫大丈夫w 食べないからw」
けらけらと笑うハジメの声にも、女の子の肩はびくりと跳ねた。
その前に、コテツが大きな頭をゆっくりと下ろしてきた。女の子の目の高さまで鼻先を寄せて、ふんふん、と匂いを嗅ぐ。女の子は目をぎゅっと瞑り、息を止めて――
べろり。
顔の下半分を、まとめて舐め上げられた。
女の子はその場にぺたんと尻もちをついた。しばらく、ぽかんと口を開けている。それから、濡れた頬を両手で押さえて、くしゃりと笑った。
「……くすぐったい」
それが、合図だった。
大人の脚の陰から、小さな影が次々と飛び出してくる。「あっ、こら!」と伸ばされた手をすり抜けて、子供たちは二匹の周りに群がった。毛並みに顔を埋める子、尻尾を追いかけて回る子、勇気を出して鼻先に触れては、舐め返されて悲鳴を上げる子。そのうち一人が、伏せたマロンの背中によじ登って、得意げに胸を張った。
悲鳴はいつの間にか笑い声に変わっていた。
裂け目の奥から、大人たちがそろりそろりと出てくる。子供の名前を呼ぼうとした母親の口が、途中で止まった。止まったまま、ほんの少しだけ緩んだ。
子供たちに気を取られたコテツの舌から、ようやく解放されたカムが、ゆっくりと背筋を伸ばす。
「……改めまして」
濡れた頬もそのままに、カムは胸に手を当てた。
「ハウリア族の長、カム・ハウリアと申します。この度は、娘が大変なご迷惑を……」
返事が、なかった。
ハジメは引き車から降りて、カムの正面に立っていた。
立ったまま、カムを見ている。
頭のてっぺんから、足の先まで。もう一度、足の先から、頭のてっぺんまで。こけた頬、目尻の皺、疲れの滲んだ目元。そして、その上にぴんと伸びた、立派な二本の長い耳。
眼鏡の奥の赤い目が少しずつ、きらきらと光を帯びていく。
「……あの?」
「……え、待って」
ハジメは顎に手を当てた。
「おじさんにうさ耳って、案外かわちぃ?」
カムの耳がぴくりと動いた。
「か、かわ……?」
ようやく砂から顔を上げたティアが、膝をついたまま固まっていた。
ハジメの顔を見る。カムの顔を見る。もう一度、ハジメの顔を見る。
「……え?」
それきり、何も出てこなかった。
ティアの口は小さく開いたまま、閉じる場所を見つけられずにいた。
「あ、ごめんごめん。あーし、ハジメね」
ハジメは何事もなかったように、ひらりと手を上げた。
「で、こっちがティア。この子達がコテツとマロン。よろしくー」
「は、はあ……ハジメ殿に、ティア殿……」
カムはまだ自分の耳の行方を気にしているようだった。
◇
裂け目の陰に、皆で腰を下ろした。
子供たちはまだ二匹にまとわりついていて、大人たちはそれを少し離れたところから、半分心配そうに、半分呆然と眺めている。
「出口の上に、帝国の兵が陣を張っております」
カムは谷の東を見やった。
「三十人ほどでしょうか。もう何日も、天幕を張ったまま動きません。我々が痺れを切らして上がってくるのを、待っているのです」
「ふーん。で、連れてかれた子達もそこにいる感じ?」
カムの肩がわずかに強張った。
「……分かりません。谷へ逃げ込む前に、何人か……」
言葉がそこで途切れる。膝の上で組んだ指に、力がこもった。
「……そこにいてくれれば、と。そう願うばかりです」
ハジメは少しのあいだ黙っていた。
それから、膝をぱんと叩いて立ち上がった。
「じゃ、行って確かめよ」
「し、しかし……相手は帝国の兵です。それに、ハジメ殿は人間族でしょう。我らのために同族と事を構えるなど……本当に、よろしいのですか」
ハジメは首を傾げた。
「同族?」
少し考えて、ああ、と手を打つ。
「人間同士ってこと? え、それ関係ある?」
カムは口を開いたまま固まった。何と返せばいいのか分からない、という顔だった。
子供たちの輪から抜け出してきたコテツとマロンが、左右からハジメの脇腹に鼻先を突っ込んでくる。ハジメは笑いながら、二匹の頭に両手を置き、白銀の毛並みを梳かすように、ゆっくりと撫で下ろした。
「てかアンタらも、うさ耳付いてるだけで、ちゃんと言葉交わせるじゃん? あーしからしたら、それだけで充分だってw」
撫でられたコテツがハジメの手のひらに頭をぐいぐいと押しつける。マロンは負けじと反対側から割り込んでくる。
「それに、この子達と一緒にいる時点で、今更っしょw」
「……しかし」
「別にケンカしに行くわけじゃないし。通してってお願いするだけだよ?」
「……通して、くれるでしょうか」
「くれなかったら、その時考える!」
カムの耳が力なく半分ほど垂れた。
「あと、ここ置いてったら、さっきの首二つのやつ戻ってくるかもじゃん。みんなで行こ」
カムは隣の娘を見た。
シアは小さく、けれどはっきりと頷いた。
カムはもう一度、深々と頭を下げた。今度は、狼に舐められることもなかった。
「よし、決まり! んじゃ、これしまっちゃうね」
ハジメは引き車の脇へ回り、手すりに左手を添えた。
赤い石の指輪がちかりと光る。
引き車が、消えた。
さっきまでそこにあった車輪の跡だけが、砂の上に二本、ぽつんと残っている。
裂け目の前がしんと静まり返った。
「……き」
マロンの背中に乗っていた男の子が、口を開いた。
「きえたぁぁぁぁぁ!!」
「く、車が!? シアの乗ってた車が!?」
「どこ行ったの!? ねえどこ行ったの!?」
「狼は!? 狼は消えないの!?」
「狼まで消えたら困るだろう!!」
大人たちまでが総立ちになり、子供たちは砂の上を這い回って車の行方を探し始める。
その騒ぎの真ん中で、カムの耳が、また根元から一直線に突き立っていた。両手で自分の口を力いっぱい押さえている。押さえた指の隙間から、「ド……ッ」と何かが漏れかけて、どうにか呑み込まれた。
「え、そんな驚く?」
「……普通は、驚く」
ようやく立ち上がったティアが、膝の砂を払いながら言った。
◇
岩壁に沿って、細い道が上へ続いている。
荷車が一台やっと通れるほどの幅で、つづら折りに岩肌を這い上がっていく道だ。先頭をコテツとマロンが並んで歩き、その間にハジメとティア。その後ろに、ハウリアの長い列が続いていた。
一段上がるごとに、影が薄くなっていく。
谷の底に溜まっていた青い影が足元から剥がれ落ち、その代わりに、乾いた白い光が岩肌を照らし始める。見上げれば、細長かった空の帯が、少しずつ幅を広げていた。
ハジメが眼鏡のつるに指を添えた。
魔力を流すと、四角いレンズがすうっと黒く染まっていく。
「はー、目に優しい」
その隣で、ティアが目を細めていた。
片手を額に翳して、庇を作っている。それでも白い光は、岩に照り返して下からも入り込んでくる。翳した手の陰で、深紅の瞳が糸のように細くなっていた。
見上げた先には、真っ黒な硝子に覆われた、ハジメの目元がある。
「……ずるい」
ぼそりと、ティアが呟いた。
ハジメの口の端がにやりと吊り上がる。
「そんなこともあろうかと~」
左手を軽く振ると、赤い石の指輪がまた光った。指の間に、黒いものが一つ、ひょいと現れる。
楕円の形をした、大きなサングラスだった。
ハジメは足を止めて、ティアの前にしゃがみ込んだ。つるを開いて、金色の髪をそっと掻き分け、小さな耳に一本ずつ掛けていく。
ティアの顔の半分が黒い硝子の下に隠れた。
ティアは何度か瞬きをした。
それから、鼻の上でずり落ちかけたサングラスを、中指でくいと押し上げた。
ハジメが時々やる仕草だった。
「お、ええやんw かわちぃ〜」
「……ん」
短い返事だった。けれど、もう庇を作ってはいなかった。
「お二人とも、お揃いですぅ」
後ろから、シアがにこにこと声をかけてくる。
ハジメは得意げに胸を張り、ティアは何も言わずに前を向いた。二つの黒い硝子が、並んで陽の光を弾いた。
「てかシアのも、後で作ってあげよっか?」
ハジメが肩越しに振り返る。
「えっ」
シアの長い耳がぴんと真上に跳ね上がった。
「い、いいんですか!?」
「いいよー。シアの顔だったら、ちょい丸っこいやつのが似合いそうなんよね」
「わ、私の、ですかぁ……!」
両手で頬を押さえたシアの耳が、ぴょこぴょこと忙しなく揺れる。足取りまで弾んで、危うく一段踏み外しかけ、後ろのカムに慌てて肩を支えられていた。
「シア、足元を……」
「は、はいぃ! えへへ……」
前を向いたままのティアが、黒い硝子の下で、ほんの少しだけ口を尖らせた。
坂の上の方で、風の音が変わった。
岩肌の途切れた先に、空が広がっている。その手前、谷の縁の向こうに、色褪せた天幕の端が覗いていた。
◇
谷の縁に、最後の一歩が掛かった。
先に上がってきたのは、白銀の獣が二匹だった。縁に前脚をかけ、ひょいと身軽に荒れ地へ躍り出る。続いて、白銀の髪の女と、金色の髪の子供。その後ろから兎の耳が一つ、また一つと縁の上に覗き、覗いたところで止まって、身を寄せ合うように固まった。
帝国の兵たちはすでに全員が立ち上がっていた。
三十人近く。剣の柄に手をかけた者、槍を構えた者、賽子代わりの石をまだ握ったままの者。その真ん中から、隊長格の男が一歩前に出る。
女が眼鏡のつるに指を添えた。
黒い硝子から、すうっと色が抜けていく。透き通ったレンズの奥に、赤い目が現れた。
「どもー」
緊張感の欠片もない声だった。
「……あのさ、この子達、通してくんない?」
隊長格の男は何度か瞬きをした。
それから、鼻で笑った。
女の後ろに、兎どもが並んでいる。逃げる素振りも見せず、大人しく。人間の女が、兎の群れを連れて谷から上がってきたのだ。
「……なんだ。てめぇが兎どもを連れ出してきたのか」
男は口の端を吊り上げた。
「どこの商会のもんだ? ここいらは、俺らが先に目ぇつけてたんだがな。……まあいい。大人しくこっちに寄越しな。手間賃くらいはくれてやる」
周りの兵たちから、笑い声が上がる。
女は首を傾げた。
傾げたまま、隣の子供の方へ少しだけ身を屈める。
「……ねえ、ショーカイって何?」
ひそひそ声のつもりらしかったが、風の止んだ荒れ地では、兵たちの耳にまで丸聞こえだった。
金色の髪の子供が黒い硝子の下で小さくため息をつく。
「……商人の集まり。物を仕入れて、売る」
「ほーん」
「……この人たちは、私たちが兎の人たちを売りに来たと思ってる」
「……あーね」
女はぽんと手を打った。
それから背筋を伸ばして、男に向き直る。
「あーしら、別にショーカイとかいうんじゃなくてさ。ただ、ここ通りたいだけなんだけど?」
男の眉がぴくりと動いた。
それから、改めて女を見た。
背が高い。手足が長い。日に焼けていない白い肌に、整いすぎた顔立ち。その足元には、金色の髪の小さな子供。黒い硝子の下からでも分かるほど、人形のような顔をしている。
男の笑みが少しだけ形を変えた。
「……へぇ。よく見りゃ、そっちの女とガキも上玉じゃねぇか」
顎で、部下たちをしゃくる。
「まとめて連れてけ」
「は?」
女はまた首を傾げただけだった。
その隣で、金色の髪の子供が小さく呟く。
「……ガキ」
「え、そこ?」
兵たちがじりじりと動き出していた。
左右に広がり、獣と女と子供を半円に囲い込んでいく。谷の縁で、兎どもがさらに身を縮めた。誰かが子供の口を手で塞いだのか、くぐもった泣き声が一つ、途中で途切れる。
女はちらりとそちらを振り返った。
それから、隊長格の男に向き直る。
「いや、だからさ。連れてかないし、連れてかれないって」
両手を、ひらひらと振ってみせる。
「この子達通してくれたら、あーしら勝手にどっか行くから。そんだけ。ね? お願い」
一拍の間があった。
それから、兵たちがどっと笑い出した。
「お願い、だとよ!」
「おいおい、兎の飼い主様が頭下げてくださってるぜ」
「下げるなら頭じゃねぇだろ。もっと他に、下げ方ってもんがあるよなぁ?」
下卑た笑いが荒れ地に広がっていく。隊長格の男も、肩を揺らして笑っていた。
剣を抜いた兵が一人、前に出た。
口元に、粘ついた笑みを貼りつけている。ずかずかと距離を詰めてくる兵を前に、女は下がらなかった。下がらないまま、兵が目の前で足を止めるのを、ただ待っていた。
兵の目が女の顔から首筋へ、首筋から胸元へ、ゆっくりと這い下りていく。
「……そうだなぁ」
剣の切っ先が女の胸元の前で、からかうようにゆらゆらと揺れた。
「お前さんが、その身体で俺らを慰めてくれるってんなら。お願い、聞いてやってもいいぜ?」
周りから、また笑いが上がった。
その笑いの下で、低い音が鳴り始めていた。
女の両脇で、白銀の獣が二匹、頭を低く沈めている。四肢を撓め、背中の毛を逆立て、喉の奥で唸っていた。剥き出しになった牙の間で、紫色の火花がちりちりと散る。
金色の髪の子供は黒い硝子の下で表情一つ変えていない。ただ、垂らしていた右手が、ゆっくりと持ち上がっていく。その小さな手のひらの周りで、陽炎のように空気が揺らいでいた。
剣を構えた兵の笑みが少しだけ引きつった。
剣を握っているのは、自分の方だ。有利なのは、どう考えても自分のはずだった。それなのに、首筋がやけに冷たい。
兵はその冷たさを振り払うように、腕を突き出した。
切っ先が女の喉元に突きつけられる。白い肌の、薄皮一枚手前で、ぴたりと止まった。
「ちょっ!? 危ないって!?」
女がぎょっと目を剥いた。
黒い手袋に包まれた指が二本、刃をつまんだ。
指先から、蒼白い光が走った。
光は刃の上を滑るように駆け抜けて、鍔まで届く。届いた瞬間、刃の輪郭がふっと崩れた。
さらさらと。
鉄だったはずのものが砂になって、女の指の間から零れ落ちていく。
兵の手に残ったのは、柄だけだった。
「…………は?」
兵は柄を見た。くるりと返して、もう一度見た。刃の根元があったはずの場所から、最後の砂がさらさらと零れ、ブーツの上に小さな山を作る。
笑い声がぴたりと止んだ。
半円のあちこちで、兵たちが顔を見合わせていた。
「……おい、今の」
「砂に、なったよな?」
「な、何かの手品だろ。最初っから脆い剣だったんじゃ……」
「馬鹿言え、ありゃ帝国の支給品だぞ」
誰かが自分の腰の剣にそっと手をやった。鞘の中に、ちゃんと鉄の重みがあるのを確かめるように。その隣の兵も、つられるように柄を握り直す。笑いの消えた荒れ地に、ざわざわと落ち着かない囁きだけが広がっていった。
谷の縁でも、同じだった。
身を寄せ合っていた兎どもが、揃って長い耳を真上に突き立てている。子供を抱いた母親は、抱いた腕に力を込めるのも忘れて、ぽかんと口を開けていた。その腕の中で、子供の方が先に目を輝かせている。
「……いま、けん、きえた」
「さっきの、くるまみたいに……?」
小さな声がひそひそと交わされる。
カムは両手で自分の口を押さえていた。押さえたまま、目だけが女の手元と兵の柄の間を、何度も行き来している。
ざわめきはなかなか収まらなかった。
女は柄だけの兵にはもう目もくれなかった。
くるりと背を向けて、谷の縁を振り返る。身を寄せ合う兎どもの中の、さっきまで女のすぐ後ろを歩いていた兎の娘の方へ。
指で頬を掻いて、困ったように眉を下げた。
「あー……ゴメン。なんか無理そ」
兎の娘の長い耳がぴんと跳ね上がった。
柄を握りしめたままの兵の顔が、みるみる赤黒く染まっていく。
背を向けられた。
剣を砂にされて、仲間の前で笑い者にされて、その上、もう相手にもされていない。
「――舐めやがってぇ!!」
兵は柄を放り捨て、拳を振りかぶった。
がら空きの女の背中へ、一直線に殴りかかっていく。
女が、振り返った。
「――フンっ」
紫色の閃光が、弾けた。
何が起きたのか、見ていた兵たちには分からなかった。気づいた時には、突っ込んだはずの兵の身体が、来た方へ真っ直ぐ吹き飛んでいた。足が地面から離れたまま、二度、三度と荒れ地を跳ね、天幕の一つに背中から突っ込む。支柱の折れる音がして、天幕がその上へばさりと覆い被さった。
潰れた天幕の下から、「……ぁう」と情けない呻き声が一つ漏れた。それきり、布の山は動かなくなった。
女は拳を突き出した姿勢のまま立っていた。黒い手袋の上を、紫電の名残がちりちりと這って、消えていく。
半円が、止まった。
じりじりと詰めていた足が、一つ残らず止まっている。剣を構えた者も、槍を構えた者も、誰一人として前に出ようとしない。荒れ地を吹き抜ける風に、潰れた天幕の布がばたばたと煽られる音だけが響いていた。
◇
ハジメは拳を下ろした。
開いた手を軽く振る。それから兵たちから目を離さないまま、口を開いた。
「……いい?」
両脇の二匹と、隣のティアに向けた声だった。
「マジで、殺しNGだかんね? ……おけ?」
「ワフッ」
「ワフッ」
コテツとマロンが唸り声を一度だけ引っ込めて、短く吠えた。
ティアは黒い硝子の下でほんの少し眉を寄せる。
「……難しいことを言う」
ハジメはふっと笑った。
それから、息を吸った。
深く。肩が持ち上がるほど、ゆっくりと。
吸い込んだ息を、同じくらいの時間をかけて吐き出していく。
奈落では、数えきれないほどの魔物とやり合ってきた。王宮の訓練場で、人と向かい合ったこともある。けれど、刃を向けてくる人間を相手に、模擬戦ではない戦いをするのは、これが初めてだった。
ティアはハジメの手を見ていた。
身体の脇に下ろされた、黒い手袋の右手。その指先が、ほんのわずかに震えている。
見覚えのある震えだった。
ヒュドラの前で、自分を抱きしめてくれた腕。あの時も、こんなふうに震えていた。
(……怖いのは、あの剣じゃない)
奈落の魔物に追い回されても、笑いながら逃げていた人だ。三十人の兵に囲まれたくらいで、今さら震えるはずがない。
だとしたら、怖いのは。
ティアは手のひらに集めていた熱を、そっと小さく絞った。
難しいことを言う、と思う。今でも思っている。
けれど、この人がそう決めたのなら。
(……なら、誰も死なせない)
「……ん」
誰に聞かせるでもない返事が、小さく零れた。
「ビ、ビビるこたねぇ!」
隊長格の男の声が裏返った。
「ま、まぐれだ! 何かの手品だ! 相手は女一人とガキ一人だろうが! 全員で掛かりゃ問題ねぇ!!」
金属の擦れる音が一斉に鳴った。
止まっていた半円が雄叫びと共に崩れ、一気に押し寄せてくる。
ハジメの指先の震えはもう止まっていた。
最初に斬りかかったのは、右手の兵だった。
上段から振り下ろされた剣を、ハジメは半歩だけずれて躱した。躱しながら、通り過ぎていく刃の腹を、手のひらで撫でる。
蒼白い光。
刃が、砂になって散った。
柄だけを振り抜いた兵がたたらを踏んでハジメの目の前に転がり出る。その胸に、ハジメの人差し指がとん、と触れた。
ばちっ。
「あばっ」
兵の全身が一瞬で棒のように突っ張り、そのまま後ろへばたりと倒れた。
左から、大柄な兵が突っ込んでくる。
全身を板金の鎧で固めた、見るからに頑丈そうな男だった。肩から体当たりを仕掛けてくるその胸当てに、ハジメは手のひらを滑らせる。
蒼白い光が鎧の上を駆け巡った。
胸当てが、崩れた。
肩当てが篭手が、脛当てが。継ぎ目という継ぎ目からさらさらと砂がこぼれ、こぼれた端から鎧の形が失われていく。男が二歩目を踏み出した時には、足元に灰色の砂山が一つできていた。
その上に立っているのは、下穿き一枚の男だった。
荒れ地の乾いた風が剥き出しの肌を撫でていく。
男は自分の身体を見下ろした。
「…………え?」
「あ、ごめん。そこまでやる気なかった」
「ぎゃあああああああ!!」
男は両手で身体を隠しながら、手近な岩陰へ転がるように駆け込んでいった。
その脇を、白銀の影が駆け抜けていく。
背を向けて逃げかけた兵の尻に、コテツが真後ろから食らいついた。
「あばばばばばばばばばば!!」
紫電が流し込まれ、兵の髪が一本残らず逆立つ。口から細い煙を吐いて、兵はその場に崩れ落ちた。コテツは何事もなかったように牙を離し、次の尻を探して首を巡らせる。
反対側では、四人の兵が槍を構えてマロンを取り囲んでいた。
「囲め、囲め! でかいだけの犬っころだ!」
マロンは四本の脚を踏ん張った。
白銀の毛並みが一斉に逆立つ。
天を仰いだ。
「ワオォォォォォォン!!」
遠吠えと同時に、マロンの全身から紫電が弾け飛んだ。触れてもいない。牙も立てていない。ただ、マロンを中心に、光の輪が荒れ地の上を一気に駆け抜けていった。
四人が同時に跳ねた。
「「「「あばばばばばっ!!」」」」
槍を取り落とし、四人がマロンを囲んだまま、内側へ向けてばたばたと倒れていく。まるで花が萎むようだった。
「――え!?」
兵の剣を砂に変えていたハジメが、ぐりんと首を巡らせた。
「ちょ、マロン!? アンタいつの間にそんなことできるようになってんの!? あーし聞いてないんだけど!?」
マロンは倒れた四人の真ん中で、得意げに尻尾をぶんぶんと振っていた。
「……え、待って。もしかして、コテツも……」
ハジメはそろりと反対側を振り返った。
ちょうど、コテツが天を仰いだところだった。
「ワオォォォォォォン!!」
紫電が、弾けた。
光の輪がコテツを中心に駆け抜け、剣を振りかざして迫っていた兵を三人、まとめて呑み込む。
「「「あばばばばばっ!!」」」
三人が揃って白目を剥き、剣を取り落として、ばたばたと砂の上に転がった。
コテツはもう三人には目もくれず、鼻先を低くして次の獲物へ駆け出していた。
ハジメはしばらくその背中を見つめていた。
「……あーね」
何かを悟ったような、静かな声だった。
「兎だ! 兎だけでも押さえろ!!」
誰かが叫んだ。
数人の兵が谷の縁で身を寄せ合っているハウリアたちの方へ駆け出す。
ティアが小さな手のひらをそちらへ向けた。
詠唱は、なかった。
手のひらの先で炎が渦を巻き、槍の形を結んで、放たれる。紅蓮の穂先は真っ直ぐ兵たちへ――向かわなかった。兵たちの三歩手前の地面に、深々と突き刺さった。
轟音。
爆風に煽られて、駆けていた兵たちがまとめて後ろへ吹き飛ぶ。砂の上を何度も転がり、兜が一つ、からからと遠くまで跳ねていった。
「……外れた」
ティアは平坦な声で言った。
起き上がった兵たちがもう一度ハウリアの方へ足を向けかけて、ティアの手のひらがまだこちらを向いていることに気づき、そのまま凍りついた。
谷の縁で、ハウリアの子供たちが、親の腕の隙間から目を丸くしてそれを見ていた。
「何してやがる!! 女だ、女を囲め!! 四方から一斉に突けぇ!!」
隊長格の男が喉を嗄らして叫んだ。
残った兵たちがハジメを中心に輪を作る。十を超える槍の穂先が、四方八方から、一斉にハジメの身体へ突き出された。
ハジメがしゃがんだ。
地面に、手のひらをぺたりとつけて。
蒼白い光がハジメの足元から荒れ地へ広がる。
その光が、盛り上がった。
一瞬だった。地面がめくれ上がるように隆起し、ハジメの身体をすっぽりと覆う、半球の岩の殻になる。突き出された槍の穂先が、その殻に次々とぶつかって、甲高い音を立てた。弾かれる。折れる。手が痺れて、何人かが槍を取り落としかけた。
「な、なんだこれ……!?」
「かってぇ……!」
「押せ! 押し込め! 中にいるんだ!!」
兵たちが槍の柄を握り直して殻に体重を預ける。
その殻の表面を、紫色の光が、ちりりと這った。
一筋。
二筋。
岩の継ぎ目に沿って、紫電が網の目のように広がっていく。ばちばちと乾いた音を立てて、殻全体が内側から光を帯びていく。
殻に槍を押し当てていた兵たちが、それに気づいた時には、もう遅かった。
「「「「「あばばばばばばばばばっ!!」」」」」
槍の柄を伝って、紫電が兵たちの身体へ流れ込んだ。十を超える男たちが、輪になったまま一斉に震え上がり、髪を逆立て、白目を剥いて、ばたばたと仰向けに倒れていく。
殻の表面から、紫電が引いていった。
それから殻そのものがさらさらと砂になって崩れ落ちる。
その砂の中から、ハジメが立ち上がった。
膝についた砂を、ぱんぱんと払う。
「はい、おつ~」
荒れ地を、風が吹き抜けていった。
立っている兵はもう数えるほどしかいなかった。
◇
呻き声があちこちから上がっていた。
白目を剥いて動かない者。痺れが抜けずに砂の上で痙攣している者。下穿き一枚で岩陰にうずくまり、膝を抱えている者。立っているのは、隊長格の男と、刃のない柄を握りしめた数人だけだった。
何日も待った。楽な仕事のはずだった。
それが、ほんのわずかの間に、こうなっていた。
岩にもたれて座り込んでいる兵が、一人いた。
斬りかかってもいない。痺れさせられてもいない。ただ、仲間が次々と倒れていくのを見ているうちに、膝から力が抜けて、そのまま立てなくなったのだ。投げ出した脚が、小刻みに震えている。
その前に、女がしゃがみ込んだ。
膝の上に両肘を乗せて、兵の顔を覗き込む。
「ねえ」
兵の肩が大きく跳ねた。
「アンタらが捕まえた子達ってさ、どこいるん?」
責めるような声ではなかった。道でも尋ねるような声だった。
だからこそ、兵の喉はひくりと引きつった。
「も、もういねぇ……! 帝国に、送った……何日も、前に……っ」
「……そっか」
「か、数も、絞って……だ、だから今から追っかけたって、もう……」
女は首を傾げた。
「絞るって何?」
兵の目が泳いだ。
助けを求めるように、隊長格の男の方へ。男は、目を逸らした。
兵は乾いた唇を何度か舐めた。
「と、年寄りとか……売れそうに、ねぇのは……」
「…………」
「……こ、殺し、た」
風が、止んだ。
少なくとも、兵にはそう感じられた。
谷の縁の方で、兎の耳が一斉に伏せられたのが、視界の端に映った。
女はしゃがんだまま動かなかった。
「……なんで殺す必要あるわけ?」
さっきと、同じ声だった。
道でも尋ねるような。けれど、さっきよりもずっと、静かな声。
「売れないんだったら、そのまま逃がしてあげればいいじゃん」
兵はぽかんと口を開けた。
何を聞かれたのか、一瞬、本当に分からなかった。
分かった途端、引きつっていた頬が、かすかに緩んだ。あまりにも的外れな問いだったからだ。怯えきっていた喉の奥から、乾いた笑いが勝手に漏れた。
「か、解放? はは、何言ってんだアンタ……亜人だぞ? 売れねぇ家畜をわざわざ野に放す馬鹿が、どこにいるってんだよ」
女は何も言わなかった。
しゃがんだまま、兵の顔を見ている。
怒っているようには見えなかった。眉も寄せていない。唇も結んでいない。ただ、半分だけ開いた口のまま、何度か瞬きを繰り返している。聞いたこともない国の言葉を、いきなり浴びせられた子供のような顔だった。
「……かちく」
ぽつりと、女の口からその言葉だけが零れた。
噛み砕こうとして、うまく噛み砕けずにいる。そんな声だった。
兵はその沈黙を都合よく受け取った。
分かってくれたのだ、と。この女も、なんだかんだ言って人間だ。少し考えれば、当たり前のことだと分かる。強張っていた肩から力が抜けて、口の端がへらりと緩んだ。
「な、なぁ? 当たり前の話だろ? アンタだって、人間なんだから。分かるだろ?」
女は答えなかった。
その隣に、小さな影が並ぶ。
金色の髪の子供だった。いつの間にか女の傍らに立って、黒い硝子越しに、しゃがみ込んだ女の横顔を見下ろしている。
「……ハジメ」
「…………」
「……この世界では、それが普通」
「……普通」
「……人間は、亜人を人として数えない。売れるものは売る。売れないものは、捨てる」
黒い硝子の下で、子供の声は少しも揺れなかった。
「……昔から、ずっと」
女はまた黙った。
ゆっくりと、顔が下を向いていく。白銀の髪が肩から零れ落ちて、その表情を隠した。
兵はごくりと唾を呑んだ。
連れの子供まで、そう言っている。なら、もう話は済んだはずだ。分かってもらえたはずだ。
「……あぁもう、いいから、はよどっか行ってくんない? アンタらみてたら、頭痛くなってきた……」
俯いたままの女の口から、投げ出すような声が漏れた。
兵の顔に、ぱっと血の気が戻った。
助かった。殺されない。それどころか、行っていいと言われたのだ。安堵が一気に喉元まで込み上げて、気づけば舌が勝手に回り出していた。
「そ、そうだ! な、なぁ、アンタ!」
尻を引きずるようにして、身を乗り出す。
「アンタ、帝国に来る気はねぇか!? 帝国じゃ、強ぇ奴が一番偉いんだ! アンタほどの腕がありゃ、いくらでも上に行ける! ほ、本当だぞ!?」
女は俯いたまま動かない。
それでも兵は止まらなかった。止まれなかった。この女を味方につけられれば、と、焦りと安堵がごちゃ混ぜになって、言葉が次から次へと転がり出ていく。
「金だって、いくらでも稼げる! 亜人狩りの隊なら、アンタなら一晩で隊長だ! 兎だろうが何だろうが、アンタがいりゃあ――」
ばちっ。
乾いた音が兵の言葉を断ち切った。
女の肩口から、紫色の光が一筋、跳ねていた。
一筋が二筋に、二筋が四筋に。ばちばちと弾ける音が重なり、重なった端から、女の全身へと燃え広がっていく。
叫び声もなかった。構えもなかった。ただ、しゃがみ込んでいた身体がゆっくりと立ち上がっていくのと一緒に、紫電がゆらりと溢れ出してくる。
この荒れ地は、谷の底ではない。
谷の底でなら端からほどけて空へ溶けていくはずの光は、ここでは散らなかった。白い肌にまとわりつき、袖を伝い、白銀の髪に絡みついて、ちりちりと鳴りながら、女の身体を離れようとしない。髪の先がゆるりと浮き上がり、足元の砂粒が、光に引き寄せられるように宙で踊っていた。
焦げた空気の匂いが兵の鼻を刺した。
女が顔を上げた。
四角い眼鏡の、透き通ったレンズの向こう。赤い目が、兵を見下ろしている。
怒ってはいなかった。
さっき「どもー」と手を振っていた時の、あの目でもなかった。
何の温度もない目だった。道端の石ころでも見るような。
「……聞こえなかったん?」
静かな声だった。
「はやく、あーしの前から消えてくんない?」
兵の目玉がくるりと裏返った。
声も上げずに、兵はそのまま横倒しに崩れた。
女の両脇に、白銀の獣が並んだ。
二匹とも、毛並みを一本残らず逆立てている。その毛先から紫電がばちばちと散り、剥き出しの牙の間で、低い唸り声が地を這った。
金色の髪の子供は女の隣に立っていた。
黒い硝子の下の表情は何も動いていなかった。小さな手を、ただ身体の脇に垂らしている。それが、かえって恐ろしかった。
紫電を纏った、白銀の髪の女。
その両脇に、同じ光を散らす、白銀の獣が二匹。
荒れ地の真ん中に立つその姿を、男たちは、この先何度も思い出すことになる。
「て、撤退……」
隊長格の男の声はほとんど掠れていた。
「撤退だぁぁぁぁぁぁ!!」
男たちは弾かれたように動き出した。
白目を剥いた仲間の腕を掴み、脚を掴み、引きずり、担ぎ上げる。下穿き一枚の男が、両手で身体を隠しながら、それでも誰より速く先頭を駆けていく。担がれた者の兜がずり落ち、拾おうとした者が足をもつれさせて転び、後ろの者がそれに躓いて、また転ぶ。
天幕も、焚き火の跡も、賽子代わりの石も、そのままだった。
土煙を上げながら、男たちの背中は、荒れ地の向こうへ小さくなっていった。
置き去りにされた兜が一つ、砂の上でゆらゆらと揺れて、やがて止まった。
◇
土煙が遠ざかっていく。
シアは谷の縁に立ったまま、そのずっと先を見つめていた。片手には、隣にいる小さな男の子の手。握られた方が少し痛そうに身じろぎしても、なかなか力を緩められない。
ハジメの身体から、紫電が引いていった。
溜めていた息をそっと吐き出すように、光が肌の内側へ沈んでいく。浮き上がっていた白銀の髪が、ゆっくりと肩に落ちた。コテツとマロンの逆立っていた毛並みも、少し遅れて、元に戻っていく。
ハジメはこちらに背を向けたまま、長いあいだ動かなかった。
シアの目はその右手に吸い寄せられた。
黒い手袋に包まれた拳が固く握り込まれていた。指の関節が、手袋の上からでも分かるほど白く浮いている。
紫電が引いた後も、その拳だけは、ほどけないままだった。
ハジメが、振り返った。
谷底で耳を揉み倒してきた時の顔でも、お尻を噛まれて半泣きで走り回っていた時の顔でもなかった。
ハジメはゆっくりとこちらへ歩いてきた。
シアの前を通り過ぎ、一族の前を通り過ぎ、父の前で足を止める。
口を開きかけて、一度、閉じた。
それから、頭を下げた。
さっき父がそうしたのと同じくらい、深く。
「……ゴメン」
白銀の髪が肩から零れ落ちる。
「アンタらの仲間、助けられんくて」
誰も、すぐには何も言えなかった。
シアの耳にはいろんな音が聞こえていた。後ろで誰かの息が震えている音。母親が子供を胸に抱き寄せた時の、布の擦れる音。何も分かっていない小さな子が「どうしたの?」と尋ねる、細い声。
連れて行かれた中にはシアがまだ小さかった頃、皺だらけの手で髪を梳いてくれた人もいた。
あの手が、もうどこにもない。
ついさっき、それを聞いたばかりだった。
父が一歩前に出た。
「……どうか」
声が、震えていた。
「どうか、頭を上げてください。ハジメ殿」
ハジメは頭を上げなかった。
「……あなたが、謝ることなど……何一つ、ありません」
父の手がハジメの肩に触れようとして、途中で止まる。止まったまま、少しだけ震えていた。
「……そうです」
後ろから、声がした。
子供を抱き寄せていた母親だった。目元を赤くして、それでも、下げられたままの白銀の頭を真っ直ぐに見ていた。
「謝らないでください」
「あなたは、私たちを助けてくださいました」
「謝らないで」
「謝らないでください、ハジメさん」
声が、一つ、また一つと重なっていく。涙声のものも、掠れたものもあった。それでも、誰一人として、ハジメを責める声はなかった。
シアの手を離れた男の子が、とことことハジメの足元へ歩いていく。黒いズボンの裾を、小さな手できゅっと引っ張った。
「おねえちゃん、ありがと」
ハジメの肩が小さく揺れた。
ゆっくりと、頭が上がる。
唇を、きゅっと噛んでいた。眼鏡の奥の赤い目が、少しだけ濡れて光っている。
「……アンタら、優しすぎでしょ」
笑おうとして、うまく笑えていない顔だった。
その隣に、いつの間にかティアが立っていた。何も言わずに、ハジメのシャツの裾を、指先でつまんでいる。コテツとマロンが左右から鼻先を寄せてきて、握り込まれたままの拳を、交互にぺろりと舐めた。
荒れ地を、風が吹き抜けていく。
焦げた空気の匂いはもうどこにも残っていなかった。
シアは、谷の底で、二度も同じことを思ったのを覚えていた。
本当に、この人たちで合っているのだろうか、と。
(……合ってました)
鼻の奥が、また、つんと痛んだ。
シアはこっそりと、手の甲で目元を拭った。
いつも感想書いてくれてる方々ありがとうございます。前は感想来てもGOODでお茶を濁してましたが、一章終盤辺りからは気まぐれに返信してます。
それまで返信しなかったのは、作風が読者に伝わる前に私自身が出てきて話してしまうとノイズになると思ったからです。まずは読んでこの作品のバイブスを掴んでもらいたかったんです。
一章の終わりまで来て、ある程度作品のノリも伝わったかなと思えたので、そこから返信し始めました。
なのでレポートみたいな考察も、アホな思いつきも、キャラへのツッコミも、下半身の感想も全部おけおけ。みんなでこの作品の感想欄をカオスにしてくれよな!