門は、木でできていた。
正確には、木そのものだった。左右から伸びた二本の巨木の根が、地面の上で幾重にも絡み合い、編み上げられた籠のような壁になっている。その壁の真ん中に、人の背丈の三倍はある両開きの扉が嵌め込まれていた。扉の表面には、蔦とも獣ともつかない紋様が一面に彫られている。
門の両脇には、槍を持った見張りが二人立っていた。
二人とも、コテツとマロンを見た瞬間に固まった。
「開門!」
ギルの声が飛ぶ。
見張りは返事もできないまま、こくこくと頷いた。目は二匹から一度も離れていない。重い扉が軋みながら内側へ開いていく間も、二人は槍を握りしめたまま、門柱にぴたりと背中を貼りつけていた。
「どもー。お邪魔しまーす」
ハジメがひらひらと手を振って、その前を通り過ぎる。
見張りの一人が、槍ごと小さく跳ねた。
門の内側は、外から見た以上に賑やかだった。
巨木の幹をぐるりと巻いて、階段が上へ上へと続いている。枝と枝の間には吊り橋が渡され、その上を獣の耳や尾を持った人々が行き交っていた。鼻先をかすめるのは、樹液の甘い匂いと、どこかの露店で木の実を炒る香ばしい匂い。
そして、その賑わいが、一行の進む先から順番に止まっていった。
吊り橋の上で、籠を抱えた女が足を止める。階段の途中で、子供が母親の脚の後ろに隠れる。露店の主が、炒っていた木の実を鍋ごと取り落とした。
止まった視線の真ん中を、ハジメはきょろきょろと首を巡らせながら歩いていた。
「え、待って、あの階段ずっと上まで続いてんの!? えっぐ!」
「……ハジメ、あれ」
ティアが、ハジメの袖を引いた。
指差す先で、枝から枝へ渡された吊り橋が、木漏れ日を受けてゆらゆらと揺れている。その欄干には、小さな白い花をつけた蔓がびっしりと巻きついていた。
「うわ、かわちぃ! ティア、あとであれ渡ろ!」
「……ん」
返事は短かった。けれど、その赤い目はさっきから一つの場所に留まっていない。幹に穿たれた丸い窓を見て、欄干の花を見て、枝の間を横切っていく小さな鳥を見る。歩く足取りが、ほんの少しだけ弾んでいた。
ハジメは、頭上の吊り橋を見上げた。
固まったままの犬耳の青年。籠を抱えたまま動かない女。欄干の隙間から、目だけを出している子供たち。
ハジメはにっと笑って、大きく手を振った。
「ハロー!」
吊り橋の上の全員が、揃ってびくりと跳ねた。
「どもどもー! ハロー!」
階段の途中の子供にも、鍋を落とした露店の主にも、ハジメは片端から手を振っていく。振られた端から、亜人族たちは一人、また一人と物陰へ引っ込んだ。引っ込んで、しばらくしてから、そろそろと顔だけを出す。
その少し後ろを、カムとシアが歩いていた。
二人とも、背中が丸まっていた。カムの耳は根元から伏せられ、シアは両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。行く先々の物陰から、見知った顔がこちらを窺っていた。掟に背いて森を捨てた一族の長と、そのきっかけになった娘を。
「あ、あわわ……」
シアの口から、か細い声が漏れた。
「ハ、ハジメさん、あんまり目立つことは……」
「ハロー!」
「ハジメさぁん……!」
カムが、そっと娘の肩に手を置いた。置いた手の方も、小刻みに震えていた。
その前を、コテツとマロンが悠々と歩いている。二匹の鼻先は、さっき鍋ごと落ちた木の実の方へ、ひくひくと向いている。
「ねぇティア、あの一番上のとこさ、絶対景色やばいって――」
振り返りながら歩いていたハジメの顔が、何かにぼすんとぶつかった。
「いてっ」
縞の入った、硬い背中。
先頭を歩いていたギルが、足を止めていた。いつの間にか、ひときわ太い巨木の根元に開けた広場まで来ている。
ギルが、ゆっくりと振り返った。額には、また汗が浮いていた。
「……着いたぞ」
「あ、ごめんごめん」
ハジメは鼻をさすりながら、へらりと笑った。
◇
ハウリアの一族は、長老たちの集う巨木の根元にある広場で待つことになった。
カムとシアだけが、ハジメたちと一緒に階段を上った。広場に残された一族の周りには、ギルの部下たちが槍を持って立っている。見張りというより、どこに目をやっていいのか分からずに立っているだけのようにも見えた。
長老会議の間は、巨木の幹の中ほどにあった。
幹をくり抜いて作られた円い部屋で、壁も床も天井も、すべてが一本の木の内側だった。磨かれた木目が、窓から差し込む光を受けて飴色に光っている。部屋の真ん中には、巨木の輪切りをそのまま使ったような円卓が据えられていた。
「えっ!?」
ハジメの声が、木の壁に跳ね返った。
「中もめっちゃオシャレじゃん!」
戸口から一歩入ったところで、ハジメはくるりと一回転した。飴色の壁を撫で、天井を見上げ、窓枠に彫られた葉の紋様に顔を近づける。
「え、これ全部一本の木なん? 継ぎ目どこ? ないんだけど!?」
窓枠から顔を離して、ハジメは両手を広げた。
「めっちゃチルくない?」
「……それも、前に聞いた」
ティアも、天井を見上げていた。
「……ちるって、なに?」
「え、チルはチルじゃん」
「…………」
「えーっと……なんかこう、落ち着く〜、まったり〜、みたいな!」
ハジメは壁にぺたりと頬をつけた。木の匂いする、と言って目を閉じる。
ティアは、もう一度部屋を見回した。光を吸って飴色に光る木目。窓の向こうから入ってくる、葉擦れの音。
「……チル」
小さく、確かめるように繰り返した。
円卓には、すでに四人が着いていた。四人とも、壁に頬をつけている人間の娘を、何とも言えない顔で眺めていた。
縞の入った太い腕を組んだ、虎人族の大男。背が低く、胸板の厚い、豊かな髭を蓄えた土人族の男。背中に灰色の翼を畳んだ、翼人族の痩せた男。それから、細い目をさらに細めて、こちらを面白そうに眺めている狐人族の男。
その隣に、空いた椅子がいくつか並んでいた。
アルフレリックが、小さく笑う。
「ふふ。どうやら、我らの故郷――フェアベルゲンを、気に入ってくれたようだな」
ハジメが、壁から勢いよく顔を離した。
「いや、ガチでレベチだし!」
赤い目が、きらきらと輝いている。
「こんな場所来てバイブス上がんない奴おらんて!?」
言うが早いか、ハジメはもう窓辺にいた。窓から身を乗り出して下を覗き込み、戻ってきて円卓の木目を指でなぞり、天井から垂れた蔓に灯る小さな明かりを見上げて「え、これも生えてんの!?」と声を上げる。あっちへ行き、こっちへ行き、ひとところに一呼吸と留まっていない。
ティアは、部屋の真ん中で立ち止まっていた。
「……がち」
さっき覚えたばかりの言葉の隣に、知らない言葉が、いっぺんに積み上がっていた。
「……れべち……ばいぶす……?」
眉間に、うっすらと皺が寄っていく。
窓辺から戻ってきたハジメが、その顔を覗き込んだ。
「え? ティア急にそんなキャパい顔してどしたん? 大丈夫そ?」
「…………」
ティアは、口を閉じた。
開いて、また閉じた。
それから、ゆっくりと前を向いた。考えるのを、一旦やめたらしい。
円卓の方で、くつくつと笑う声がした。
狐人族の男が、袖で口元を隠していた。
「随分と、お転婆なお嬢さんだねぇ」
細い目が、隣の虎人族の男へ流れる。
狐人族の長老――ルアだった。
虎人族の男は、何も言わずに目を逸らした。
アルフレリックが、自分の席に着く。
「……座るがいい」
ハジメは言われるまま、空いていた椅子の一つに腰を下ろした。ティアがその隣に座る。カムとシアは席には着かず、壁際に並んで立つ。シアの耳は、部屋に入った時からずっと伏せられたままだ。
コテツとマロンは、ハジメの椅子の後ろに並んで寝そべった。
寝そべっただけで、部屋が一回り狭くなったように見える。
翼人族の男が、わずかに椅子を引く。土人族の男は、低く何かを呟いた。
虎人族の男――ゼルは、二匹を一瞥して、長い溜め息をついた。
「……ギルから聞いている」
低い声だった。
「うちの若いのが、その狼の腹を撫でていたそうだな」
「あ、そうそう! みんな最初めっちゃビビってたけど、最後めっちゃ撫でてたよ」
「…………」
ゼルの口から、もう一度溜め息が漏れる。さっきよりも、長い。
アルフレリックが、円卓の上に手を置く。
「さて。本題に入る前に、一つ、そなたらに聞いておきたいことがある」
深い色の目が、ハジメとティアを順に見た。
「オルクスの底で、何を見てきた」
ハジメとティアは、顔を見合わせる。
それから、ハジメが口を開いた。
奈落の底の、さらに奥。隠れ家で待っていた、オスカー・オルクスの記録の映像。この世界の神が、人も亜人も魔人も、盤上の駒のように争わせて愉しんでいること。それに気づき、抗った者たちがいたこと。彼らは「解放者」と名乗り、そして敗れたこと。敗れた彼らが、神に抗う力――神代の魔法を後の世に託すため、七つの大迷宮を遺したこと。迷宮は、その力を受け継ぐにふさわしい者を選ぶための、試練の場であること。
もっとも、ハジメの口から出てくる言葉は「なんかエヒトってのがマジで性格終わってて」だの「オスカーたちがめっちゃ頑張ったけどボコられて」だのといった調子で、そのたびにティアが横から短く言い直す。言い直されるたびに、ハジメが「それ!」と指を差す。
長老たちは、黙って聞いていた。
翼人族の男が、途中で一度だけ目を伏せた。土人族の男は、太い指を円卓の上で組んだまま動かない。狐人族のルアは、細い目をわずかに開いたまま、身じろぎもしない。
話が終わっても、しばらく誰も口を開かない。
「……なるほど」
アルフレリックが、ゆっくりと息を吐いた。
「試練に神代魔法、それに神の盤上か……」
「……驚かないの?」
ティアが、ぽつりと聞いた。
老人は、小さく首を振る。
「神が狂っていようと、いまいと。我らの暮らしは何も変わらん」
静かな声だった。
「この世界は、亜人族に優しくはない。今更だ」
円卓の誰一人、それを否定しない。
「人間族の教会の威光も、この森には届かん。我らは、神を崇めてはおらぬ。あるのは、森と、そこに生きるものへの感謝だけだ」
アルフレリックは、窓の外へ目をやった。
葉擦れの音が、ひとしきり部屋を満たす。
「口伝のことは、森の入り口で話したな」
ハジメが、こくこくと頷く。
「あれは、この森の大迷宮を創った者が遺したものだと伝わっておる。リューティリス・ハルツィナ。この樹海に、その名を残した者だ」
「ハルツィナ……」
ティアが、小さく繰り返した。
「彼女は、フェアベルゲンができるより前からこの地に住んでいた一族に、自らが解放者であること、そして仲間たちの名を伝えたという。その一族が、代々その言葉を守り、やがて長老の座に就く者へと受け継いできた。……解放者が何であったのかまでは、伝わっておらなんだがな」
老人の目が、ハジメへと戻る。
「今日、それを知った」
ハジメは、少しだけ背筋を伸ばした。
「そして、大樹の根元には石碑がある。七つの紋章が刻まれた、古い石碑だ」
アルフレリックの視線が、ハジメの左手へ落ちた。
「そなたの指輪の紋章は、その一つと寸分違わぬ。七つの大迷宮の紋章を持つ者。それこそが、口伝の言う資格だ」
「え、マジで?」
ハジメは自分の左手を持ち上げて、指輪をまじまじと眺める。
「これ、そんなすごいやつだったんだ……」
「……知らずに着けてたの?」
「だって、かわちぃじゃん」
「…………」
ティアは、何も言わなかった。
アルフレリックが咳払いを一つして、円卓を見渡す。
「――ゆえに、この娘は口伝の資格を持つ。この目で確かめた。口伝に従い――」
その時だった。
ばぁん、と。
部屋の扉が、内側へ吹き飛んだ。
蝶番がひしゃげ、木の板が二つに割れて床を転がる。円卓の四人が、一斉に椅子を蹴って立ち上がった。
戸口に、男が立っていた。
ハジメより頭一つ大きい。丸い耳に、焦げ茶色の硬い毛並み。肩から腕にかけての肉が、服の上からでも分かるほどに盛り上がっている。熊人族の長老――ジンだった。
「アルフレリック!!」
部屋の空気が、震えた。
「人間と忌み子を、この森に招き入れたというのは本当か!!」
「本当だ」
アルフレリックは、座ったまま答える。
「口伝に従ったまでのこと」
「口伝だと!?」
ジンの目が、円卓をなぞる。カムとシアを見て、一瞬だけ牙を剥く。それから、ハジメが座っていた椅子の方へ。
「こんな、人間族の小娘が! 解放者の資格を持つというのか!?」
「紋章は本物だ。この目で確かめた」
「ふざけるな!!」
ジンの拳が、壁を叩いた。木の壁が、どん、と低く鳴る。
「ならば、俺がこの場で試してやる!! おい、人間!!」
ジンは、ハジメが座っていた椅子を睨みつけた。
椅子は、空だった。
「…………?」
ジンの眉が、寄った。
椅子の背もたれの向こうで、コテツとマロンが寝そべったまま、首だけを後ろへ向けている。
円卓の長老たちも、同じ方を見ていた。
ジンは、ゆっくりと振り返った。
自分が蹴破ってきた戸口の前に、白銀の髪の娘がしゃがみ込んでいた。
二つに割れた扉の板を、割れ目のところでぴたりと合わせている。その手のひらから、青白い光が木目に沿ってすうっと走った。割れ目が、ない。ひしゃげていた蝶番が、ぐにゃりと元の形に戻っていく。
「よっ、と」
ハジメは扉を持ち上げて、戸口に嵌め直した。
一度、開ける。閉める。もう一度、開ける。閉める。
軋み一つ、ない。
「よし、元通り」
ぱんぱんと手を払ってから、ハジメはジンを見上げた。
「ちょっとおじさん。ドア壊したら危ないっしょー」
「…………は?」
「破片とか飛ぶじゃん。後ろに子供いたらどうすんの」
腰に手を当てて、ハジメは首を傾げる。叱っている、というより、言い聞かせている顔だった。
ジンは、拳を振り上げかけた格好のまま、止まっていた。
止まったまま、口が半分開いている。何か言い返そうとしているのに、言い返すための言葉が、どこにも見当たらないようだった。
円卓の方で、ルアの細い目がさらに細くなった。
ハジメは、ジンを見上げたままでいた。
見上げたまま、じーっと、眺めている。
丸い耳。焦げ茶色の硬い毛並み。それから、また丸い耳。
「……な」
ジンが半歩、後ずさった。
「なっ……なんだ、貴様」
「いや……」
ハジメは、真顔だった。
「やっぱ……おじさんにケモミミって、あーしん中で来てる説あるかも」
「…………は?」
壁際で、カムの耳がぴくりと跳ねた。谷で、まじまじと自分の顔を眺められた時のことを思い出したらしい。
ティアが、額に手を当てる。
ハジメは一歩、ジンに近づいた。
「ねぇ、ちょっと耳触っていい?」
ジンの毛並みが、根元から一斉に逆立った。
「な――」
二歩、三歩と、ジンは後ずさった。背中が壁にぶつかる。
「なんだコイツは!? き、気味が悪い!?」
さっきまでの怒気は、どこにもなかった。熊人族の長老は、得体の知れない生き物を見る目で、白銀の髪の娘を見下ろしていた。
「えー、ちょっとだけじゃん」
「寄るな!!」
ルアが、円卓に顔を伏せて笑いを堪えていた。
◇
アルフレリックが咳払いを一つして、ようやく場が落ち着いた。
ハジメは椅子に戻り、ジンも空いていた席に着く。着いたはいいが、その椅子はハジメから一番遠い位置まで引かれていた。
「……改めて問う」
アルフレリックが、円卓を見渡す。
「紋章を持つ者として、この娘を迎えることに異論はあるか」
最初に口を開いたのは、ルアだった。
「いいんじゃないですかねぇ」
細い目を、さらに細める。
「紋章は本物なんでしょう? 口伝は口伝です。それに……」
ルアの視線が、ちらりとジンの方へ流れた。
「なんだか、面白そうですし」
ジンが、ぎろりとルアを睨んだ。ルアは、どこ吹く風だった。
翼人族の長老――マオは、しばらく黙ってハジメを見ていた。
ハジメは、椅子の後ろに手を伸ばして、コテツの耳の付け根を掻いてやっている。
「……悪い者には、見えん」
それだけ言って、マオは小さく頷いた。
「……俺も、構わん」
腕を組んだまま、ゼルが言う。
「部下どもが、もう懐いている。今さら追い返せと言ったところで、あいつらに恨まれるだけだ」
「俺は認めん」
ジンが、低く唸る。
「そいつが何なのか、まるで分からん。分からんものを、森に入れられるか」
視線だけは、ハジメの方を見ようとしなかった。
最後に、土人族の長老――グゼが、髭を撫でながら口を開いた。
「紋章の資格は、認めよう」
太い指が、髭の先でぴたりと止まる。
「口伝は口伝だ。わしも、それに背くつもりはない。……だが」
グゼの目が、壁際へ動いた。
カムと、シアの方へ。
「ハウリアの件は、別だ」
部屋の空気が、少しだけ冷えた。
「魔力を持つ子を、長年に渡って匿い続けた。掟に背き、裁きから逃げた。人間が連れてきたからといって、それが帳消しになるわけではない」
グゼの指が、円卓をこつりと叩く。
「お前たちが森を出た後、この会議で決まったことだ。ハウリアの一族は、処刑とする」
カムの肩が、わずかに揺れた。
驚いた顔ではなかった。分かっていた、という顔だった。
「――ちょっち! ストーップ!」
ハジメが、椅子を鳴らして立ち上がった。
「あーし、この子たちがもっかい森に住めるようにお願いしに来たんだけど!? それじゃ意味ないって!」
円卓の全員の目が、ハジメに集まる。
「掟かなんか知らんけど、一回考え直してくんない!?」
ハジメは両手をぱんと合わせて、深く頭を下げた。白銀の髪が肩から零れて、円卓の縁にさらりと垂れる。
「ガチで、このとーり!」
「ならん」
グゼが、短く切り捨てた。
「掟は掟だ。人間に頭を下げられたところで、変わるものではない」
「話にならん」
ジンも、腕を組んだまま顔を背けた。
「えー、そこをなんとか! ちっちゃい子とかもいっぱいいるんだよ!? みんなマジでいい子ばっかだし!」
「ならんと言っている」
「じゃあ、どうしたら考え直してくれるわけ!? あーしにできることあったら、なんでも――」
「ハジメ殿」
静かな声だった。
ハジメが振り返る。壁際で、カムが深く頭を下げていた。
「……おやめください」
「なんで!? だってこのままだと、みんな処刑されちゃうんだよ!?」
「良いのです」
カムが、顔を上げる。
穏やかな顔だった。穏やかすぎる顔だった。
「もとより、これは我ら自身がけじめをつけねばならぬ問題なのです。掟に背くと決めたのも、森を捨てると決めたのも、我らなのですから」
「でも――」
「ハジメ殿とティア殿には、十分すぎるほど良くしていただきました。谷で救っていただき、帝国の兵からも守っていただき、ここまで連れてきていただいた」
カムは、小さく首を振る。
「これ以上を望むのは、傲慢というものです」
ハジメの口が、開いたまま止まった。
合わせていた両手が、ゆっくりとほどけていく。ほどけた手が、行き場をなくしたように、身体の横で握り込まれた。
ティアの目が、その拳に留まる。
部屋の中に、誰も何も言わない時間が落ちた。窓の外で、葉が一枚、枝を離れていくのが見えた。
カムの隣で、シアが一歩、前に出た。
「……あの」
伏せていた耳が、ゆっくりと持ち上がっていく。
シアは円卓の前まで進み出ると、その場に膝をついた。両手を床に揃え、額がつくほどに、深く頭を下げる。
「私が、この森を出ていきます」
声は震えていなかった。
「ですから……どうか、一族のみんなは見逃してください! お願いします!」
「シア!?」
カムの声が、裏返った。
「な、何を言っている!? シア、お前――」
シアは、顔を上げなかった。
床に手をついたまま、ほんの少しだけ、顔の向きを変える。立ち尽くしているハジメの方へ。
「それで、あの……ハジメさん」
「え、あーし?」
「……私を、一緒に、連れて行ってもらえませんか」
ハジメの目が、丸くなった。
ティアが、ちらりとハジメの横顔を窺う。
「いやいや、ちょ、待って」
ハジメは、慌てたように両手を振った。
「あーしらの旅、マジで危ないよ? 奈落とか普通に何回も死にかけたし、この先もああいう迷宮回るつもりだし。谷のデカいのとか、あんなのがゴロゴロ出てくんの」
「……っ」
「だからさ、ここでみんなと一緒にいた方が絶対――」
「強くなります!」
シアの声が、ハジメの言葉を遮った。
床についた両手に、ぐっと力がこもる。額が、木の床にこすれるほどに押しつけられた。
「足手まといにならないくらい、強くなります! なんでもします! ですから……っ!」
長い耳が、根元から震えている。
「お供させてください!!」
部屋の中が、しんとした。
ハジメは、床に額をつけたままのシアを見下ろしていた。口を開きかけて、閉じる。
「……私は、いいと思う」
ティアだった。
ハジメが振り返る。ティアは椅子に座ったまま、震えるシアの耳を見ている。
「仲間は、多い方がいい」
「いや、でもさ……」
「それに」
ティアの目が、ハジメへ移る。
「強くなるって、言ってる。……なら、私たちが鍛えてあげればいい」
ハジメは、ティアを見る。シアを見る。もう一度、ティアを見る。
それから、がしがしと自分の頭を掻いた。
「あぁもう、わかったわかった!」
半ば叫ぶような声だった。
「連れてってあげるから! 頭あげなって!」
シアの耳が、ぴんと跳ね上がった。
ハジメは大きく息を吐いて、それから、壁際で固まっているカムの方へ首を巡らせた。
「てか、シアパパとか、みんなのことはいいの?」
シアの肩が、小さく揺れる。
先に口を開いたのは、カムだった。
「……シア。顔を上げなさい」
シアは、顔を上げなかった。
カムは娘の隣まで歩み寄り、その横に膝をついた。
「我らのために、お前がそこまでする必要はない」
大きな手が、伏せたままの娘の背中に置かれる。
「これは、一族皆で背負うものだ。……お前一人に、背負わせるつもりはない」
「……違うんです、父様」
シアの声が、床に落ちた。
「私、ずっと前から決めてたんです。みんなが安心して暮らせる場所が見つかったら、私は一人で出ていこうって」
カムの手が、止まる。
「ハジメさんに会う前から、ずっと。……私がいなければ、みんなはもう、隠れなくていいんですから」
シアは、ようやく顔を上げた。
目の縁が赤い。それでも、父の目をまっすぐに見ていた。
「……だから、これは、私が決めたことなんです」
カムは、何も言わなかった。
言えなかったのかもしれない。娘の顔を見つめたまま、その口元が何度か動きかけて、そのたびに閉じた。
やがて、背中に置かれていた手が、ゆっくりと持ち上がった。
娘の頭の上に、そっと乗る。長い耳と耳の間を、一度だけ撫でた。
「……そうか」
娘の頭に手を置いたまま、カムはハジメとティアの方へ向き直った。
膝をついたまま、深く、頭を下げる。
「ハジメ殿。ティア殿」
声が、少しだけ掠れている。
「……どうか、娘を、よろしくお願いいたします」
長い耳が、床に触れそうなほどに垂れている。
ハジメは、しばらく二人を眺めている。
それから、ぱん、と手を叩いた。
「じゃ、決まりってことで。これからよろー」
シアの顔が、くしゃりと崩れた。
「ハ、ハジメさぁぁん……!」
床から跳ね起きるようにして、シアはハジメに抱きついた。
「ちょ、ちょ、力つよっ」
「ありがとうございますぅ……! ありがとう、ございます……っ!」
「わかった、わかったって」
ハジメはよろめきながら、しがみつくシアの背中をぽんぽんと叩いた。肩口が、みるみる涙で濡れていく。カムは膝をついたまま、目元を手の甲で押さえていた。
椅子の後ろで、コテツとマロンが尻尾を振った。
「――おい」
低い声が割り込んだ。
グゼだった。
「おい、待て。なんだ、これは」
「なんでちょっといい雰囲気になってるんだ!?」
ジンが、円卓に両手をついて身を乗り出す。
「そいつらは、もう処刑が決まってるんだぞ!!」
シアがびくりと震えて、ハジメの肩から顔を上げた。
ハジメは、シアの背中をぽんぽんと叩いたまま、きょとんとした。
「え!?」
心底、意外そうな声だった。
「シアが出ていくってことで、処刑耐えたーって感じじゃないの?」
「まだ誰も何も言っとらんわ!!」
ジンとグゼの声が、きれいに揃った。
揃ったことに気づいた二人が、互いの顔を見て、ふいと逸らす。
「えー、流れ的にそうかなって」
「流れで掟が変わってたまるか!!」
ルアが、袖の陰で肩を震わせている。
アルフレリックが、静かに口を開いた。
「……ならば、こうしよう」
全員の目が、老人に集まる。
「その娘が、自らこの森を出ると言うのであれば。ハウリアの処刑は取り下げる」
カムが、弾かれたように顔を上げた。
「一族が、再びこの森で暮らすことも、認めよう」
「いいですねぇ。賛成です」
ルアが、間を置かずに手を挙げる。
マオが、黙って頷く。
ゼルは腕を組んだまま天井を仰ぎ、しばらくしてから、長い息を吐いた。
「……まぁ、ええか」
「何を言っている!!」
ジンが、円卓を叩いた。
「掟を何だと思っている! 魔力を持つ子を匿った一族を、そのまま森に戻すだと!?」
「わしも同じだ」
グゼが、低く唸る。
「娘が出ていくからといって、匿った罪まで消えるわけではない。掟は掟だ」
「てかさ」
ハジメの声だった。
シアの背中から手を離して、円卓の方へ向き直っている。
「この人たち、なんも悪いことしてないのに処刑とか、さすがにかわいそ過ぎん?」
「掟だ」
グゼが、短く返した。
「掟は掟だ。人間が口を出すことではない」
ジンが、それに続く。
「ふーん」
ハジメは、それ以上言い返さなかった。
代わりに、シアの肩を抱き寄せるようにして、その隣に立ち直した。泣き腫らした目が、すぐ横からハジメを見上げてくる。
「掟だとか、常識だとか」
ぽつりと、ハジメは言った。
「そんなもん、あーしはどうでもいい」
円卓の誰かが、息を呑んだ。
「あーしは、あーしのやりたいようにやる。……昨日、そう決めたから」
ティアは、その横顔を見ていた。
昨夜の焚き火の、薪の爆ぜる音が、耳の奥で一つ鳴った気がした。
「だからさ」
軽い声だった。
「もしハウリアの人たちが処刑されるってなったら、あーしが全力で止めるから」
ばちっ、と。
ハジメの指先から、紫色の火花が跳ねた。
一つ、二つ。跳ねた火花が腕を伝い、肩へと這い上がっていく。白銀の髪の先が、ふわりと浮いた。
「友達傷つけるんは、マジ許さんし」
シアの目が、見開かれた。
「……とも、だち……?」
椅子の後ろで、コテツとマロンが音もなく立ち上がっていた。
白銀の毛並みが、ざわりと逆立つ。その毛先から、ハジメと同じ紫電が、ばちばちと散り始めた。二匹はハジメとシアの両脇に回り込み、円卓の方へ低く頭を下げる。唸り声は、なかった。ただ、紫電の弾ける音だけが、部屋の中に満ちていく。
ティアが、椅子から立った。
すたすたと歩いてきて、ハジメの隣に並ぶ。
「……そうなったら、私も全力で抵抗する」
淡々とした声だった。
その足元で、床の木目にうっすらと霜が走った。
長老たちが、一斉に身構えた。
ゼルの腕が解ける。マオの灰色の翼が、半ばまで開く。グゼの手が、腰の後ろへ回る。ルアだけが座ったままだったが、細い目は、もう笑っていなかった。
窓から入る風が、止まった気がした。
ジンが、ゆっくりと立ち上がる。
「……貴様」
低い声だった。さっきまでの怒鳴り声とは違う、腹の底に沈んだ声。
「この森の部族を、全て敵に回してでも。……そうするというのか」
ハジメは、きょとんとした。
「当たり前っしょ?」
首を傾げる。紫電を纏ったまま、まるで、当たり前のことを聞かれた子供のような顔で。
「アンタも、自分の子供とか友達がそうなったら、やらんわけ?」
ジンの息が、止まった。
言い返そうとして、開いた口が、そのまま固まる。
――自分の子供が、魔力を持って生まれたら。
――掟に照らせば、魔物と同じだと言われたら。
ジンの目が、壁際へ動いた。
膝をついたまま、こちらを見上げている兎人族の長。長い間、一族総出で娘を隠し通し、裁きの前に森を捨てた男。
匿った罪。逃げた罪。
それは、今この娘が「当たり前だ」と言ってのけたことと、何が違うのか。
自分なら、同じことができただろうか。一族の全てを懸けて、森の全てに背を向けて。そこまでの自信は、ない。
けれど――少なくとも、黙って首を差し出させはしないだろう。処刑以外の道はないのかと、会議の場で声を荒げるくらいのことは、きっとする。
ジンは、答えられなかった。
円卓の向こうで、グゼも、太い腕を組んだまま黙り込んでいる。
「……そこまでだ」
アルフレリックの声が、静かに落ちた。
「双方、矛を収めよ。ここは会議の場だ」
ハジメは、ぱちりと瞬きをする。
「あ、ごめんごめん」
紫電が、嘘のように消えた。浮いていた髪がふわりと肩に落ちる。コテツとマロンも、それに合わせるように毛並みを寝かせ、ハジメの足元にぺたりと座り込んだ。ティアの足元の霜が、溶けて消えた。
長老たちの肩から、一斉に力が抜けた。
ジンは、どかりと椅子に腰を落とした。
「……ぐ、ぬ……」
唸る。唸って、唸って、それから顔を背けた。
「……勝手にしろ」
グゼは、長い長い溜め息をついた。
「……掟は掟だ。だが、今回だけは……長老の多数に従おう」
アルフレリックが、小さく頷いた。
ハジメの隣で、シアがへなへなとその場に座り込んだ。
◇
会議は、それで終わった。
ハウリアの処刑は取り下げ。一族は、再びこの森で暮らすことを許される。その代わり、シアは森を出る。
アルフレリックが決定を読み上げ、長老たちがそれぞれに頷き、あるいは頷かずに腕を組んだ。カムは何度も何度も頭を下げ、そのたびにルアに「もういいですって」と笑われていた。
ようやく、部屋に静けさが戻った。
アルフレリックが、深く椅子に背を預けた。ゼルが首を回し、ごきりと鳴らす。マオが、静かに目を閉じる。
ティアは、窓の外の葉が揺れるのを眺めていた。
それから、隣の椅子へ目を戻して――
空だった。
その後ろで寝そべっていたはずの、二つの白銀の塊も、ない。
「……?」
ティアは、部屋の中を見回した。
カムがいる。長老が六人いる。シアが――いない。
「……あの娘は、どこへ行った」
最初に気づいたのは、ゼルだった。
円卓の全員が、ハジメの椅子を振り返る。
「……は?」
「おい!? いつの間に!?」
「狼もおらんぞ!?」
「またか!?」
ジンが、椅子を蹴って立ち上がった。さっき扉を直された時の顔だった。
カムが、わたわたと部屋を見回す。
「シ、シア!? シアもおりません!!」
戸口の扉が、ほんの少しだけ開いていた。
軋みもせずに。
長老たちが顔を見合わせる中で、アルフレリックだけが、可笑しそうに目を細めていた。
「……まぁ、よい」
老人は、ティアの方へ向き直る。
「娘。ちょうどよい、そなたに聞きたいことがある」
ティアは、少しだけ背筋を伸ばした。
「あの娘は、何者だ。……そして、そなたも」
部屋の空気が、また少しだけ張り詰めた。
ティアは、少しだけ考える。
それから、短く答えた。
「……私は、吸血鬼」
マオが、顔を上げる。
「先祖返り。三百年、封印されてた。……ハジメが出してくれた」
部屋の空気が、変わった。
「吸血鬼……だと?」
グゼが、身を乗り出した。
「とうに絶えたと、聞いていたが……」
「三百年……」
ルアが、細い目をわずかに開いた。口元から、いつもの笑みが消えている。
ジンは、ティアを上から下まで眺めた。小さな背丈。細い腕。金色の髪の後ろで揺れる、黒いリボン。
「……こんな子供が、か」
「……子供じゃない」
ティアの声が、ほんの少しだけ低くなった。
ジンが、口をつぐんだ。
マオもゼルも、ティアから目を離さなかった。
アルフレリックは、しばらく何も言わなかった。深い色の目が、ティアの顔をじっと見つめている。
「……なぜ、封じられた」
やがて、老人が静かに聞いた。
ティアの睫毛が、わずかに伏せられた。
「……色々、あった」
それだけだった。
膝の上で、小さな手がそっと握り込まれる。窓から差し込む光が、その指の上で動かずにいた。
アルフレリックも、それ以上は聞かなかった。小さく頷いて、目を伏せる。
三百年。光の届かない場所で、たった一人で過ごした時間。その中身を、老人は問わなかった。問わないことを、選んだようだった。
「……して、あの娘は」
「……人間」
ティアは、少しだけ間を置いた。
「……だった、らしい。魔物の肉を食べたら、ああなったって。本人が言ってた」
一拍。
「――魔物の肉を食べた!?」
ゼルが、円卓に両手をついた。
「正気か!?」
「頭がいかれてるのか、あいつは!?」
ジンが叫ぶ。グゼが髭を掴んだまま固まる。マオの翼が、ばさりと半分開いた。
「人間が、魔物の肉を……? 死ぬだろう、普通は……!」
「……死にかけたって。笑いながら話してた」
ティアが、淡々と付け足す。
「死にかけたのか!?」
「それを笑いながら!?」
「やはりいかれてる!!」
長老たちが口々に言い募る中で、ティアだけが、一人で深く頷いていた。
奈落の底でその話を聞かされた時、自分もまったく同じことを思った。
ティアは、窓の外へ目をやる。
「……あの二匹の、母親の肉だったって」
ぽつりと、言った。
「あの二匹が、自分で差し出したって」
部屋が、静まった。
ゼルが、円卓についていた手を、ゆっくりと離す。
ジンの口が、開いたまま止まる。
しばらく、誰も何も言わなかった。窓の外で、葉擦れの音がした。
「……親の肉を、分けたのか」
ゼルが、低く呟いた。
森で生きる者なら、獣のことはよく知っている。狼は、群れの外の者に、決して獲物を分けない。まして、自分たちの親の亡骸を。
「……群れに、迎え入れたということか」
マオが、静かに言った。
「家族として、か」
アルフレリックが、目を閉じた。
ゼルは、天井を仰いだ。部下たちが、あの狼の腹を撫でて笑っていたという報告を思い出していた。
ジンは、戸口の扉を見ていた。
――後ろに子供いたらどうすんの。
あの娘は、そう言った。腰に手を当てて、本気で叱るような顔で。
「……なるほど」
ルアが、静かに息をついた。
「だから、あの狼たちは、あれほど懐いているわけですか」
「……我らの子らにも」
カムが、ぽつりと言った。
「谷で出会ってから、ずっと、あのように。……子供たちは、すっかりあの二匹の背中が好きになってしまいまして」
誰も、笑わなかった。
けれど、誰も、それを馬鹿げた話だとは言わなかった。
ジンは、腕を組んで黙っている。グゼの目は、円卓の木目に落ちたまま動かない。
その時だった。
どん、と。
窓の外から、低い音が聞こえた。
どん。どん、どどん。
腹に響く、太鼓の音だった。
続いて、笛の音。手拍子。それから、甲高い笑い声。きゃあきゃあと、子供たちのはしゃぐ声が、下の方から風に乗って昇ってくる。
長老たちが、顔を見合わせた。
◇
窓の外を覗き込んで、ゼルが固まった。
「……なっ」
その後ろから覗き込んだジンも、固まった。
巨木の根元の広場で、火が焚かれていた。
組み上げた薪が、人の背丈ほどの炎を上げている。その周りを、人々がぐるぐると回っていた。
兎人族がいた。ハウリアの一族だった。大人も子供も、手を繋いで輪になっている。
その輪の中に、虎の縞の尾が混じっていた。ギルの部下たちだった。槍はどこかに立てかけられて、一人はハウリアの子供を肩車して跳ねている。狐の耳の子供たちがいた。背中に小さな翼を生やした子が、火の粉を追いかけて跳ねていた。髭の濃い土人族の男が二人、どこからか持ち出した太鼓を、膝に挟んで叩いている。
火の脇では、串に刺した肉と木の実が、じゅうじゅうと音を立てて焼かれていた。脂の焦げる匂いと、甘い木の実の匂いが、煙と一緒にここまで昇ってくる。
そして、その輪の真ん中に。
白銀の髪の娘が、いた。
シアの両手を取って、くるくると回っている。足取りはでたらめで、太鼓の拍子にも全く合っていない。それでも、楽しそうだった。回されているシアの方は、目を回しかけながら、それでも笑っていた。
その周りを、白銀の狼が二匹、跳ね回っている。
跳ねるたびに、毛先から紫電が散った。散った紫電が火の粉と混ざって、夕暮れ前の空に、ぱちぱちと小さな花火のように弾けている。子供たちが、それを追いかけて歓声を上げている。
「…………」
「…………」
長老たちは、しばらく言葉を失っていた。
「……な」
ゼルが、呻いた。
「なんで、うちの若いのが一番はしゃいどるんだ……」
肩車をして跳ねているのは、ザムだった。その少し後ろでは、ギルが輪の中へ引っ張り込まれそうになって、困り果てた顔で両手を振っている。振っているうちに、ハウリアの女に手を取られ、そのまま輪の中へ連れ込まれていく。
ゼルは、額に手を当てた。
アルフレリックが、窓辺に歩み寄った。
広場の火が、その皺の深い顔を、下からほのかに照らしている。
「……皆」
老人は、窓の外を見たまま言った。
「あれを見て、何か思うところはないか」
しばらく、誰も答えなかった。
最初に笑ったのは、ルアだった。
「いやぁ……愉快ですねぇ」
細い目が、すっかり糸のようになっている。
「兎と虎が、同じ火を囲んで踊ってる。うちの子らまで混ざって。……こんなもの、いつぶりに見たでしょうかね」
マオが、窓枠に手をかけたまま、小さく頷いた。
「……悪くない」
それだけだった。けれど、畳まれた灰色の翼の先が、太鼓の拍子に合わせて、ほんのわずかに揺れている。
「……俺の部下が、俺の知らん顔で笑っとる」
ゼルが、溜め息まじりに言う。呆れた声だった。呆れた声のまま、窓から離れようとはしない。
ジンは、何も言わなかった。
グゼも、何も言わなかった。
二人とも、腕を組んだまま、窓の外を見ている。言い返す言葉を探しているようにも、探すのをやめたようにも見えた。ジンの丸い耳が、太鼓が鳴るたびに、ぴくりと動いている。
アルフレリックは、それ以上は何も聞かなかった。
広場の火を、ただ見下ろしている。
種族ごとに長老を立て、種族ごとに暮らしを分けてきた森だった。同じ森に住んでいても、同じ火を囲むことは滅多にない。それが当たり前だった。少なくとも、今日の昼までは。
老人の口元に、ほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。
ティアは、窓の端から広場を見下ろしていた。
シアの手を取って回るハジメが、足をもつれさせて、二人揃って尻もちをつく。そこへコテツとマロンが飛びかかり、子供たちが飛びかかり、あっという間に団子のような山ができあがる。山の一番下から、「重いって!!」という悲鳴が上がった。
「……ほんと、ばか」
呟いたティアの口角が、少しだけ上がっていた。
その時、山の下から、白銀の頭がひょいと突き出た。
ハジメが、こちらを見上げている。
窓から覗く長老たちの顔を見つけて、ぱっと笑う。団子の山から片腕を引っこ抜いて、ぶんぶんと大きく振った。
「おーい! みんなも来なよー!」
広場の声が、一瞬だけ静まった。輪の中の全員が、巨木の上の窓を見上げる。
「肉めっちゃ焼けてるしー! 早くしないとなくなるよー!」
長老たちが、顔を見合わせた。
ジンが、ふいと窓から顔を背けた。グゼが、髭を撫でた。ゼルが、天井を仰いだ。ルアが、袖で口元を隠して笑った。
「ティアもー! はよー!」
ティアは、窓枠から身を離した。
髪を揺らして振り返り、戸口の方へ歩き出す。軋みもしない扉に、手をかけた。
「……今行く」