ありふれたギャルは世界最狂   作:バグッた左スティック

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#49 篝火の下の願いと、霧に溶ける兎の足音

 

篝火の輪は、日が落ちてもほどけなかった。

 

むしろ、広がっていた。巨木の上から降りてきた者が一人、また一人と輪に吸い込まれ、吸い込まれた端から手を取られて回り出す。太鼓を叩く土人族は、いつの間にか三人に増えていた。

 

その輪の中に、ティアとシアがいた。

 

ハウリアの女に右手を、狐人族の子供に左手を取られて、ティアは輪と一緒に回っている。回ってはいるが、足が拍子に合っていない。右へ出すべき足を左へ出し、左へ出すべき足を出しそびれ、そのたびに両側から引っ張られて、小さな身体がかくんかくんと揺れる。

 

「……これ、どうやるの」

 

「わ、私にも分かりませんよぉ!」

 

隣のシアも、似たようなものだった。長い耳だけが先に拍子を覚えたらしく、ぴょこぴょこと楽しそうに跳ねている。足の方は、まるで追いついていない。虎人族の若い男の足を踏み、慌てて謝り、謝っている間に後ろの子供に踏まれていた。

 

それでも、二人とも輪から抜けようとはしなかった。

 

輪から少し外れたところに、焼き台が据えられていた。

 

串に刺さった肉が、炭の上でじゅうじゅうと脂を落としている。その前に、白銀の塊が三つ並んでいた。

 

「んまっ」

 

ハジメは串を両手に一本ずつ持って、交互にかぶりついていた。

 

「え、これマジでうまい。何の肉なんこれ。ねぇ、何の肉?」

 

答える者はいなかった。焼き台の番をしている狐人族の男は、ハジメの両脇に陣取った狼から目を離せずにいる。

 

コテツとマロンは、焼き台の前にお座りしていた。背筋を伸ばして、行儀よく。行儀よく座ったまま、口の端からとめどなく涎を垂らしている。

 

「はい、アンタらも」

 

ハジメが串から肉を外して放ると、二匹は揃って首を伸ばし、空中でぱくりと受け止めた。狐人族の男の喉から、小さく「ひっ」と声が漏れる。

 

「――楽しんでおるようだな」

 

穏やかな声がした。

 

振り返った先に、アルフレリックが立っていた。篝火の明かりが、皺の深い顔を片側だけ赤く照らしている。

 

「あ、アル……アルフ……」

 

ハジメの眉間に、皺が寄った。

 

「……アルフリックさん!」

 

「……惜しいな」

 

老人は、小さく笑った。

 

ハジメの隣に並んで、輪の方へ目をやる。兎と虎と狐と、翼の生えた子供たちが、一つの火の周りを回っている。その中で、金色の頭と、長い耳が二本、かくんかくんと揺れていた。

 

「長老として、礼を言わねばならん」

 

「え?」

 

「この森に、今夜の光景をもたらしてくれたことにだ」

 

ハジメは、串をくわえたまま瞬きをした。

 

それから、串を口から抜いて、首を傾げる。

 

「いや、なんかさ。処刑耐えたってシアと一緒にみんなに報告しに行ったら、なんかこうなっちゃったw」

 

「……ほう」

 

「ハウリアのみんなめっちゃ泣いてさ、シアのことぎゅーってして。そしたら虎の人たちが『何事だ』って寄ってきて、事情話したらその人らも『よかったなぁ』って一緒に泣き出して。んで誰かが『祝いだ』って言い出して、気づいたら誰かが太鼓持ってきてて」

 

ハジメは、輪の方を指差した。

 

「で、気づいたらこう」

 

アルフレリックは、輪を見た。

 

それから、ハジメの横顔を見た。

 

何か言おうとしたのかもしれない。けれど、それより先に、目の前に串が一本突き出された。

 

「てかアル、アル……あ〜、アルファロメオさんも食べる? これめっちゃうまいよ」

 

脂が滴って、炭の上でじゅっと鳴る。

 

「……遠ざかったぞ」

 

アルフレリックの口から、小さな溜め息が漏れた。

 

「……まぁ、よい」

 

突き出された串の前に、皺の深い手のひらがそっと立てられる。

 

「それと、その肉の脂は、年寄り故に少々重くてな」

 

「えー、もったいな」

 

ハジメはあっさりと串を引っ込めて、自分でかぶりつく。

 

コテツの目が、その串をじっと追っている。

 

しばらく、二人は黙って輪を眺めていた。太鼓の音と、笑い声と、肉の焼ける音。篝火から昇った火の粉が、巨木の枝の間に吸い込まれて消えていく。

 

「……処刑は、取り下げた」

 

アルフレリックが、静かに口を開いた。

 

「ハウリアは、再びこの森で暮らせる。……だが、娘よ」

 

声の調子が、ほんの少しだけ変わる。

 

「兎人族は、もとより争いを好まぬ。気配を断ち、逃げ、隠れることで生き延びてきた一族だ。戦う術を、ほとんど持たぬ」

 

ハジメの口が、止まった。

 

「帝国の亜人狩りは、今も続いておる。森の縁に近づいた者が、戻らなかった話は珍しくない。……ハウリアの者たちも、それはよく知っておるはずだ」

 

老人の目が、輪の中のハウリアたちへ向けられる。

 

子供を肩車して笑っている男。手を叩いて拍子を取っている女。その誰もが、谷の底で帝国の兵に追い立てられていた者たちだった。

 

「そなたらが森を去った後、あの者たちはどうなる」

 

ハジメは、何も言わなかった。

 

手の中の串から、脂が一滴、地面に落ちた。

 

串を握る指に、少しだけ力がこもる。

 

コテツが、鼻先をハジメの手の甲に押しつけた。

 

「――ハジメ殿」

 

声がした。

 

二人が振り返ると、カムが立っていた。

 

輪から抜けてきたらしい。額に汗を浮かべ、肩で息をしている。けれど、その顔は笑っていなかった。

 

「……お話、聞こえておりました」

 

カムは、アルフレリックに一礼した。それからハジメに向き直り、深く頭を下げる。

 

「ハジメ殿。お願いがございます」

 

「え、なになに」

 

「我らを、鍛えていただけませんか」

 

ハジメの目が、丸くなった。

 

カムは、頭を下げたまま続けた。

 

「谷の縁で……ハジメ殿は、我らに謝られました。仲間を助けられなかったと」

 

ハジメの肩が、小さく跳ねた。

 

「助けていただいたのは、我らの方です。それなのに、あのようなお顔をさせてしまった」

 

カムの拳が、膝の横で握り込まれる。

 

「我らが弱いからです。逃げることしかできぬから、連れて行かれた。連れて行かれても、取り返しに行くこともできなかった」

 

篝火の向こうで、太鼓がひときわ大きく鳴った。

 

「もう二度と、ハジメ殿にあのようなお顔をさせたくはありません。それに……」

 

カムは、顔を上げた。

 

その目が、輪の中へ向けられる。拍子の取れない足で、それでも笑いながら回っている娘の方へ。

 

「あの子が、いつかこの森に帰ってきた時に。帰る場所を、自分たちの手で守れる一族でありたいのです」

 

ハジメは、カムを見ていた。

 

それから、輪の中のシアを見た。長い耳が、篝火の明かりの中でぴょこぴょこと跳ねている。

 

ハジメは、串の最後の一切れを口に放り込んだ。噛んで、飲み込んで、空になった串をくるりと指で回す。

 

「おけまる! 任しときー!」

 

「……ハジメのおけまるは、当てにならない」

 

真横から、声がした。

 

「ちょ、ティアいつの間に!?」

 

いつの間にか輪を抜けてきたティアが、ハジメの隣に立っていた。踊り疲れたのか、前髪が少しだけ額に張りついている。

 

「さっき」

 

「てか当てにならんって何!?」

 

「帝国の兵の時も、そう言った」

 

「それはもう言わんでって言ったじゃん!!」

 

カムが、思わず噴き出した。噴き出してから、慌てて口元を押さえる。

 

アルフレリックは、何も言わずに目を細めていた。

 

◇

 

翌朝の森は、霧が低かった。

 

フェアベルゲンから少し離れた、木々の開けた場所だった。巨木の根が地面を這い、その間を苔が埋めている。霧は膝の高さあたりに溜まっていて、歩くたびに白い渦が足元で巻いた。

 

大樹の霧が晴れるまで、十日。

 

その十日を使って、訓練をすることになった。ハウリアの一族はハジメが、シアはティアが受け持つ。

 

「――遅い」

 

ティアの指先から、小さな氷の粒が三つ、続けざまに飛んだ。

 

シアは一つ目を横に跳んで躱し、二つ目を身を屈めて躱し、三つ目を額に食らった。

 

「いったぁ!?」

 

ぺしり、と軽い音がする。氷の粒は、額に当たった端から砕けて霧に溶けた。

 

「……二つ目で、屈みすぎ。だから三つ目が見えない」

 

「そ、そんなこと言われましてもぉ……!」

 

シアは額を押さえて、その場にへたり込んだ。

 

朝から、ずっとこの調子だった。ティアが撃ち、シアが避ける。避けきれずに当たり、また立ち上がって避ける。氷の粒はどれも小さく、当たっても痛いだけで怪我にはならない。それでも、もう何十発食らったか分からなかった。

 

前髪が、汗で額に張りついている。長い耳は力なく垂れ、脚が小刻みに震えていた。

 

ティアは、しばらくシアを見下ろしていた。

 

「……休憩」

 

「た、助かりましたぁ……」

 

シアは苔の上に仰向けに倒れ込んだ。胸が大きく上下している。

 

ティアも、近くの根に腰を下ろした。

 

霧の向こうで、鳥が一羽鳴いた。木漏れ日が斜めに差し込んで、膝の高さの霧を白く光らせている。

 

しばらくして、シアが仰向けのまま口を開いた。

 

「……父様たち、大丈夫でしょうか」

 

「…………」

 

「ハジメさんが見てくれてるのは、分かってるんです。分かってるんですけど……」

 

シアの目は、霧の向こうへ向いている。一族が訓練をしているはずの方角だった。

 

「みんな、戦うのとか、本当に苦手なので……」

 

ティアは、少し考える。

 

それから、根から腰を上げた。

 

「……様子、見に行こう」

 

◇

 

霧の向こうから、声が聞こえてきた。

 

すすり泣く声だった。

 

ティアとシアは、顔を見合わせた。足を速める。木々の間を抜け、根を一つ跨いで、開けた場所に出る。

 

ハウリアの一族が、輪になって座り込んでいた。

 

輪の真ん中に、小さな獣がいた。

 

栗鼠に似ている。丸い目をして、ふさふさした尾を背中に巻きつけ、両手で木の実を抱えている。逃げようともせず、自分を囲む大勢の顔を、きょとんと見上げていた。

 

その獣の正面に、ハジメがしゃがみ込んでいた。

 

手に、錬成したらしい石の短刀を握っている。握ったまま、ぶるぶると震えていた。

 

「……ごめん……」

 

ハジメの目から、ぼろぼろと涙が零れていた。

 

「……ごめんね……! ごめんねぇ……! あーし、アンタのこと、狩るとか……っ、無理……!」

 

「ハジメ殿ぉ……!」

 

「我らも……我らも、無理ですぅ……!」

 

周りのハウリアたちも、泣いていた。大の大人が、揃って顔をくしゃくしゃにして、鼻をすすっている。カムに至っては、両手で顔を覆っている。

 

栗鼠のような獣が、首を傾げる。

 

それから、抱えていた木の実をひとつ、ハジメの膝の上に置いた。

 

「……っ、くれるの……? え、いい子すぎん……?」

 

ハジメは、短刀を放り出した。

 

両手で顔を覆って、その場に突っ伏す。

 

「ごめんねぇぇぇ……!!」

 

「ごめんなさいぃぃぃ……!!」

 

ハウリアたちの声が、揃った。

 

獣は、もう一つ木の実を置いて、ちょこちょこと茂みの中へ帰っていった。

 

ハジメはしばらく突っ伏したままでいた。それから、ずびっと鼻をすすって顔を上げる。

 

目の前の苔の間に、小さな花が咲いていた。

 

「……え、待って」

 

ハジメの涙が、ぴたりと止まった。

 

「見て、これ。めっちゃかわちぃ」

 

薄い紫の、指先ほどの花だった。五枚の花びらの縁だけが、白く透けている。

 

「わぁ……」

 

「本当ですね……」

 

「こんなところに……」

 

ハウリアたちが、わらわらと花の周りに集まった。泣き腫らした顔のまま、膝を抱えて、小さな花を覗き込む。

 

「ね? この縁のとこの透け感、エモくない?」

 

「えもい……」

 

「えもいですね……」

 

「あ、こっちにもある」

 

「本当だ……」

 

全員が、苔の上に座り込んで、花を眺めていた。霧の中に、穏やかな沈黙が落ちる。少し離れた木の根元では、コテツとマロンが丸くなって寝息を立てていた。

 

木漏れ日が、のどかに揺れている。

 

「――な」

 

シアの声が、震えた。

 

「な、何も進んでないじゃないですかぁ!?」

 

全員が、一斉に振り返る。

 

ハジメが、花を指差した格好のまま固まる。

 

「あ、シア。ティアも。見て見て、ここめっちゃかわちぃ花あってさ――」

 

ハジメの声が、途中で止まった。

 

ティアの足元から、霜が広がっていた。

 

ぱき、ぱき、と小さな音を立てて、苔の上に白い筋が伸びていく。膝の高さの霧が、ティアの周りだけ凍りついて、細かな氷の粒になってきらきらと落ちていく。

 

ティアは、何も言っていない。

 

表情も、変わっていない。

 

ただ、赤い目だけが、まっすぐにハジメを見ている。

 

ハジメの額に、汗が一筋浮く。

 

二筋になる。

 

ハウリアたちが、そろそろと後ずさる。コテツとマロンが、寝ていたはずの耳をぴんと立てた。

 

「…………ハジメ」

 

「は、はい」

 

「……朝から、何してたの」

 

「え、えっと……狩りの、練習……?」

 

「…………」

 

「を、しようとしたんだけど……あの子が、木の実くれて……」

 

「…………」

 

霜の筋が、ハジメの足元まで届いた。

 

ハジメは、ゆっくりと立ち上がった。膝の土を払う手が、少しだけ震えている。

 

「……なんか、ゴメン」

 

ティアは、答えなかった。

 

ハジメの横をすり抜けて、ハウリアたちの前に立つ。それから、振り返らずに言った。

 

「……シアは、ハジメが見て」

 

「え」

 

「こっちは、私がやる」

 

「は、はいっ! 喜んで!!」

 

ハジメはシアの手を掴んだ。シアが「え、えっ?」と目を白黒させる間に、そのまま霧の向こうへ引っ張っていく。

 

「ちょ、ハジメさん!? 父様たちは!?」

 

「今のティアの前にいたら、あーしらも凍るから!!」

 

「え、えぇぇぇ!?」

 

二人の声が、霧の向こうへ遠ざかっていった。

 

ティアは、残されたハウリアたちを見渡した。

 

全員が、泣き腫らした目のまま、身を寄せ合っている。カムだけが、一歩前に出ていた。

 

「……ティア殿」

 

ティアは、少しの間カムを見ていた。

 

谷の縁で、ハジメが頭を下げた時のことを思い出していた。紫電が引いた後も、ほどけなかった右の拳。助けられなかったと謝る、あの声。

 

隣で、それを見ていた。

 

「……コテツ。マロン」

 

木の根元から、二匹が起き上がった。

 

「……借りる」

 

ハジメの声ではなかった。けれど二匹は、尻尾を一度だけ振って、ティアの両脇に並んだ。

 

◇

 

「……逃げるのは、得意?」

 

ティアの問いに、ハウリアたちが顔を見合わせる。

 

それから、おずおずと頷いた。

 

「……なら、逃げて」

 

ティアの目が、両脇の二匹へ移る。

 

「この子たちから」

 

一拍、間があった。

 

「ワオォォォン!!」

 

二匹が、同時に吠えた。

 

ハウリアたちの悲鳴が、森に響き渡った。

 

蜘蛛の子を散らすように、一族が四方へ逃げていく。その背中を、白銀の狼が二匹、紫電を散らしながら追いかけていく。速い。逃げ足には自信のある兎人族が、見る間に距離を詰められていく。

 

「ひぃぃぃっ!?」

 

一人が、コテツに襟首をくわえられて、ひょいと持ち上げられた。持ち上げられたまま、ぶらんぶらんと揺れている。噛まれてはいない。ただ、くわえられているだけだった。

 

「……捕まった。最初から」

 

ティアの声が、霧の中に通る。

 

「……逃げるだけじゃ、また捕まる」

 

コテツが、くわえていた男を地面に下ろした。男は腰を抜かしたまま、ぺたりと座り込んでいる。

 

「隠れるのが得意なら、隠れて、待つ。待って、背中が見えたら……」

 

ティアは、少しだけ言葉を探す。

 

「……その時に、何をするか。考えて」

 

ハウリアたちは、肩で息をしながらティアを見ている。

 

それから、もう一度、散った。

 

今度は、ただ走るだけではない。木の陰に飛び込む者。根の窪みに身を伏せる者。霧の中に、気配が溶けていく。

 

マロンが、鼻をひくつかせて立ち止まる。

 

その背後の茂みから、一人の男が飛び出した。手に持った木の枝を、振りかぶって――

 

マロンが、振り返りもせずに尻尾で男をはたき落とした。

 

「……惜しい」

 

ティアが、指先を一本立てる。

 

小さな光が灯る。それが、霧の向こうの、誰もいない地面に向かって飛んだ。

 

轟音。

 

土と苔が、高く舞い上がった。爆風が霧を吹き飛ばし、近くの木陰に隠れていた三人が、ころころと転がり出てくる。

 

「……隠れる場所、近すぎ。風で分かる」

 

転がり出た三人は、白目を剥いていた。怪我はない。爆発は、三人のいた場所から十歩も離れたところで起きていた。

 

ティアは、表情一つ変えなかった。

 

「……次」

 

日が高くなっても、訓練は続いた。

 

逃げ、隠れ、待ち、飛び出して、はたき落とされる。時々、どこかで轟音が鳴り、誰かが転がり出てくる。そのたびに、ハウリアたちは泥まみれの顔で立ち上がった。

 

泣き言を言う者は、いなかった。

 

カムが、根に足を取られて転んだ。

 

起き上がる前に、マロンの鼻先が目の前に迫る。カムは、転がったまま横に跳んだ。跳んで、木の陰に滑り込んだ。

 

マロンが、首を傾げた。

 

さっきまで、そこにあったはずの気配が、ない。

 

ティアの眉が、ほんの少しだけ動いた。

 

◇

 

その様子を、木陰から覗いている者たちがいた。

 

「……おい、本当にやってるぞ」

 

「兎どもが、狼に追い回されてる……」

 

縞の尾が、いくつか。ギルと、その部下たちだった。巡回の途中で轟音を聞きつけ、何事かと様子を見に来たのだ。

 

その隣には、もっと大きな影が並んでいた。

 

丸い耳。焦げ茶色の硬い毛並み。熊人族の若い男たちが、四、五人。こちらも、木の幹に身を隠すようにして、訓練の方を窺っている。

 

「……族長の言ってた、気味の悪い人間ってのは、どいつだ」

 

「見当たらんな」

 

「あの金色のちびか?」

 

「いや、あれは違うだろ。族長は、白銀の髪のでかい女だと言ってたぞ」

 

「耳を触らせろと迫ってきたらしい」

 

「……なんだそれは」

 

熊人族の男たちが、顔を見合わせる。

 

ジンが長老会議から戻るなり、どかりと座り込んで「白銀の髪のでかい女がいた。耳を触らせろと迫ってきた。……気味が悪い」とだけ吐き捨てた。それ以上は何も言わず、一晩中、耳をしきりに押さえていた。何があったのか、誰も聞けなかった。

 

だから、見に来たのだ。どんなものか、と。

 

「見つからんうちに、帰った方がいいのではないか」

 

ギルが、低く言った。

 

「あの狼は、鼻が利く。森の入り口でも――」

 

その時だった。

 

訓練場の真ん中で、コテツが足を止める。

 

鼻が、ひくりと動く。

 

マロンも、足を止める。

 

二匹の首が、ゆっくりと、こちらへ向いた。

 

木陰の全員が、凍りつく。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……目が、合った気がする」

 

ザムの声が、裏返った。

 

二匹の尻尾が、ぶんぶんと振られ始める。

 

新しい獲物を見つけた時の、嬉しそうな振り方だった。

 

「ワオォォォン!!」

 

「うわぁぁぁ!! なんかこっちにも来たぞぉぉ!!」

 

木陰が、爆発したように散った。

 

虎人族も熊人族も、ハウリアと同じ方向へ逃げ出した。逃げ出して、ハウリアと一緒になって、森の中を走り回る羽目になった。

 

「な、なんで我々まで追われてるんだ!?」

 

「知るかぁ!! 走れ!!」

 

「隊長ぉぉ!! 隊長が一番速いです!!」

 

「黙って走れぇぇ!!」

 

轟音が鳴った。

 

逃げる熊人族の十歩先で、土と苔が舞い上がった。爆風に煽られて、熊人族の大きな身体が二つ、ころころと転がる。

 

「……あなたたちも、隠れる場所、近すぎ」

 

ティアの声が、どこからか聞こえた。

 

◇

 

しばらくして、訓練場の真ん中に、泥まみれの山ができていた。

 

兎人族と、虎人族と、熊人族。種族の区別もつかないほど泥にまみれて、全員が仰向けに転がり、ぜぇぜぇと胸を上下させている。

 

その周りを、コテツとマロンがのんびりと歩いていた。満足げに、尻尾を揺らしながら。

 

ティアが、山の前に立つ。

 

見下ろす。泥まみれのハウリア。泥まみれの虎人族。泥まみれの熊人族。

 

それから、虎人族と熊人族の方を指差した。

 

「……暇なら、そこに並んで」

 

淡々とした声だった。

 

ギルが、何か言おうとして口を開いた。

 

ティアの赤い目と、目が合う。

 

ギルは、口を閉じた。

 

起き上がって、ハウリアの列の端に並ぶ。

 

部下たちが、それに続く。熊人族の男たちも、顔を見合わせてから、黙ってその隣に並んだ。

 

「……逃げて。この子たちから」

 

「ワオォォォン!!」

 

列が、また散った。

 

◇

 

日が、傾き始めていた。

 

何度目か分からない爆風に吹き飛ばされて、熊人族の若い男が一人、苔の上に大の字になっていた。

 

荒い息を吐きながら、木々の隙間から覗く空を見上げる。橙色に染まりかけた雲が、ゆっくりと流れていく。

 

隣に、虎人族の若い男が転がってきた。ザムだった。泥で縞模様がほとんど見えなくなっている。

 

その向こうに、ハウリアの男が転がってきた。

 

三人並んで、しばらく空を見上げている。

 

「……なぁ」

 

熊人族の男が、ぽつりと言った。

 

「……あれ?」

 

「……ん?」

 

「なんで、俺たちまで一緒に訓練してんだ?」

 

ザムが、空を見上げたまま瞬きをした。

 

ハウリアの男も、瞬きをする。

 

少し離れたところで、ギルが泥まみれの顔を手で拭っている。拭いながら、低く言った。

 

「……私に聞くな」

 

◇

 

夜になった。

 

フェアベルゲンの広場に、また火が焚かれていた。昨夜の篝火ほど大きくはない。代わりに、火の上に大きな鍋が一つ、吊るされていた。

 

鍋をかき回しているのは、ハウリアの女たちだった。森で摘んだ香草と、干した茸と、木の実が煮込まれている。湯気と一緒に、柔らかい匂いが広場に広がっていく。

 

その隣では、熊人族の男たちが、獣の脚を火に翳していた。訓練の帰り道に獲ってきたものだった。虎人族の若い衆が、焼けた端から切り分けて、木の皿に盛っていく。

 

ハウリアの子供が、切り分けられた肉を受け取った。

 

受け取って、隣にいた熊人族の大男を見上げる。

 

「……あ、ありがと」

 

大男は、何も言わずに頷いた。泥を落としきれていない顔のまま、ほんの少しだけ口の端を緩めていた。

 

ティアは、鍋の脇で木の椀を抱えている。

 

汁を一口すする。香草の匂いが、鼻に抜けていく。

 

広場のあちこちで、泥を落とした者たちが車座になっていた。兎の耳と、縞の尾と、丸い耳が、同じ火を囲んでいる。昼間の訓練の話をしているのか、時々誰かが身振り手振りで何かを語り、周りがどっと笑った。

 

「爆発がな、こう、十歩先で」

 

「十歩先で、なんで俺たちが転がるんだ」

 

「風だ、風」

 

「隠れる場所が近すぎると言われた」

 

「お前もか」

 

ティアは、黙ってそれを聞いていた。

 

広場の入り口の方から、聞き慣れた声が近づいてきた。

 

「つっかれたぁ〜……! ねぇシア、生きてる?」

 

「い、生きて、ます……たぶん……」

 

泥だらけのシアが、同じく泥だらけのハジメに肩を借りて、よろよろと歩いてくる。ハジメの方は、汚れているわりにけろりとしていた。

 

ハジメは、広場を見渡した。

 

車座になった兎と虎と熊。鍋の湯気。焼けた肉の匂い。

 

「……え、なんかめっちゃ増えてない!?」

 

ティアは、椀から顔を上げた。

 

「……増えた」

 

「なんで!?」

 

ティアは、答えなかった。

 

もう一口、汁をすする。

 

鍋の向こうで、ギルが熊人族の男に肉を勧められて、断りきれずに受け取っていた。

 

コテツとマロンが、ハジメの姿を見つけて駆け寄っていく。泥だらけの二匹に左右から飛びつかれて、ハジメが「重いって!!」と悲鳴を上げた。

 

広場の火が、ぱちりと爆ぜた。

 

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シドに双子の妹がいたらというお話。▼pixiv▼https://www.pixiv.net/novel/series/10009765


総合評価:1285/評価:8.67/完結:26話/更新日時:2026年08月02日(日) 16:00 小説情報

地獄の氷叢さん家(作者:M.T.)(原作:僕のヒーローアカデミア)

地獄の轟くん家以上に地獄の氷叢分家の女の子がヒーローを目指すお話。▼燈矢くんや外典くんを見て、氷叢の血が濃くなりすぎた末路が気になって執筆した作品です。▼※注意▼・女主です。▼・お話の都合上、青山くんが出てきません。すまんな。▼・他作品のクロスオーバーをやり出す可能性があります。▼・オリ主の必殺技や一部設定のみ、以下のキャラの要素があります。▼ ・クザン(O…


総合評価:2177/評価:7.81/連載:81話/更新日時:2026年11月02日(月) 23:45 小説情報

境界の錬金術師 ー 私、どうやら『人造人間』らしいー(作者:女にだって二言はないぜ?)(原作:鋼の錬金術師)

エドの双子の妹でアルの姉である主人公。▼幼い頃父、ヴァン・ホーエンハイムに連れられ兄弟と別れた少女が、約十年ぶりにエドとアルと再会する話。▼※旧アニメではなく原作をベースにして書いております。▼ オリジナル解釈、原作改変等多々ありますのでなんでも許せる方のみどうぞ。


総合評価:1892/評価:8.33/連載:13話/更新日時:2026年09月27日(日) 19:41 小説情報

なんかしらんけど原作壊れてたので、ヴィランデクにして王にします。(作者:ライジール)(原作:僕のヒーローアカデミア)

TS転生してヴィラン『ジョーカー』が、見守っていたら何故か原作が壊れたので、デクを拾って『ヴィランデク』を作ろうと思います。▼ジョーカーの立ち絵が完成しました▼【挿絵表示】▼トガヒミコの立ち絵▼【挿絵表示】▼トゥワイスの立ち絵▼【挿絵表示】▼ロワ・ザ・ワールド▼【挿絵表示】▼R18▼https://syosetu.org/?mode=write_novel_…


総合評価:2954/評価:7.49/連載:10話/更新日時:2026年10月09日(金) 01:00 小説情報


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