「ねえ…やっぱり、七七を焼いて、良いよ。」
人通りは全く無い真夜中。その一言から、この物語は始まった。
「急にどうしたの七七ちゃん?!」
驚いているのは、璃月の葬儀屋、往生堂の堂主である胡桃。
既に死んだキョンシーの七七と、葬儀屋の胡桃は相容れぬ存在である。胡桃は葬儀屋の理念のもと、七七を弔うべきという立場。まだ生きていたいと願うキョンシーの七七とは真っ向から対立する。しかし、七七の凄惨な過去と、生への渇望を知った日から、胡桃は七七がキョンシーとして生きることを認めたのだ。それ以来、敵として七七から警戒されつつも、色んな話を聞いて胡桃なりに歩み寄り続けていた。
そんな七七が自ら死を望んでいる。この状況は只事では無い。
「もう、ここに居ても、意味はない。ヨォーヨのこと、忘れる前に、向こうに行きたい。」
いつもはおちゃらけている胡桃も、その言葉には何も言い返せなかった。
二月ほど前、七七の親友であるヨォーヨが失踪した。この事件は胡桃ももちろん知っている。この2ヶ月、璃月の総務士はもちろん、冒険者協会や縁のある仙人たちまでもがヨォーヨの捜索に当たったが、未だ情報も掴めていない。捜索の規模も縮小しつつあり、今やほとんどの者はヨォーヨが生きているなんて、微塵も思っていなかった。
七七にとって、ヨォーヨは唯一の親友。キョンシーの七七は記憶力が悪く、顔や名前を覚えられない上、表情もほとんど無い。そのせいで周りからは冷たい子だと敬遠されていた。そんな七七に唯一理解を示し、寄り添ってくれたのがヨォーヨなのだ。そんなヨォーヨを失った七七の心の穴は、計り知れない広さだろう。
「本当にそれで良いの?ヨォーヨちゃんが死んだと決まったたわけじゃない。それに、向こうに行ったら、もう2度とこっちに戻れなくなる…それでも良いの?」
胡桃の表情が真剣なものに変わる。今の胡桃は七七の友達(友達かは怪しいが…)としてでは無く、1人の葬儀屋として七七にそう問たのだ。
「もう、良い…。疲れた。」
七七の言葉は無気力で、どこか投げやりだった。僅かな静寂が2人の間で響く。少し悩んだ末、胡桃が口を開いた。
「今度…もう1度答えを聞く。もう一度良く考えて。」
「……わかった。」
最後にそれだけ約束して、2人は別れた。1人残された沈黙の中、胡桃の頬をひと粒の涙が伝う。葬儀屋の堂主である自分が、何故キョンシーの火葬をここまで拒むのか……胡桃は自分に問い続けていた。
夜が明け、新たな朝がやってくる。璃月港の端に構える薬舗の不卜廬…その一室で七七は目を覚ました。何のことはない、いつもと何も変わらない1日の始まり。窓から外の光が刺しているが、日が昇ったばかりで部屋はまだ薄暗い。外を見ても、人通りは無く閑静な町が広がっている。
大きな籠を用意し、食べ物と飲み物を少しだけポーチに入れる。そうして支度を早々と済ませて部屋を出て、町の外へ薬草採りに出かける。これが七七の日課であり、仕事だ。外へ出て、町の外へと向かう。いつもなら、その歩みに迷いは無い。しかし、この日は珍しく町の様子が気になった。あと何日かすれば、自分はこの町を2度と見ることはない。そう思うと、普段は興味のないこの町も見ておきたかった。
ただ一人、閑静な町を歩く。普段は気にならない隅々まで、この日は目がいった。あっち側に行く前に、この町の景色を焼き付けようとしているのだろう。それが、自分がこの時を、この町で生きた証になると信じて。ただ、それでも目線が引き寄せられるものがある。町のあちこちに張られている、人捜しの貼り紙。以前は異郷の旅人のものだけが張られていたが、今ではその隣にヨォーヨの顔が写っている。こんな形で親友の顔を見るなんて、前までは思いもしなかった。大通りから階段を下り、海沿いに出る。七七にとってはこっちの方が思い出深い。良くは憶えていないが、ここでヨォーヨと遊んだ記憶がある。過去のメモをパラパラとめくると、どうやらいつかの海灯祭でここに来たらしい。そして、ヨォーヨに手作りの籠と、新しい服をプレゼントしたのだ。メモを見ていると、ヨォーヨの眩しい笑顔が、目に浮かぶようだった。ただ、静寂に響く波の音が、七七をすぐに現実へと引き戻す。波の音は落ち着くという人は多いけれど、七七にとっては邪魔以外の何物でもなかった。
その日、七七は珍しく港まで顔を出した。昼間ならたくさんの船が停泊し、賑わっているこの港だが、この時間ではまだ人はほとんどいない。港での思い出と言えば、ヨォーヨと一緒に船に乗ったことだろう。船に乗ったと言っても、停泊していた船に乗っただけだが。海賊船のような大きな船をヨォーヨに連れられた探検したのだ。船から2人で望む大海原は、今日のような鬱陶しさを少しも感じさせないはず。どれもこれも、ヨォーヨがいないと満たされないような気がした。
「(やっぱり、早くヨォーヨのところへ…。)」
ヨォーヨを思い出す度に、七七の意思は決定的なものになっていく。この意志が正しいかどうかなんて、七七自身にも分からない。ただただ自分はここに居るべきでは無いと、胸の内に言い聞かせていた。
町に思い馳せた七七は、今度こそ薬草採りに出かける。その道中で、また不卜廬の前を通るのだが、出来れば誰にも会いたくない。気持ちの整理が付いていないどころか、グツグツと煮えるような感情の中では誰とも話せるはずも無かった。俯いたまま、気にかけないで、放っておいてと願いながら不卜廬の前を通る。
「七七。」
七七の願いも虚しく、背後から聞き慣れた声に呼び止められた。不卜廬の店主、白朮である。
「今日も一段と早いですね。あまり無理をしなくても良いんですよ。」
そう言われても、七七は俯いたまま振り返ることすらしない。言葉は発さず、無視を貫く。
「今日くらいはゆっくり休んだ方が…無理は体に毒と言いますし。」
最近の七七はいつも、朝から晩まで薬草を採りに出かけて帰ってこない。ニ月前のヨォーヨの一件もあり、白朮が七七に寄せる心配は計り知れないだろう。しかし、優しい言葉をかけられる程、七七の感情はグチャグチャになって収拾がつかなくなる。優しい言葉が、七七の希死願望を揺さぶってくる。感情に耐えられなくなった七七は逃げるように、その場から走り去ろうとした。
「七七!待ってください!少しだけ話を…」
無理をする七七を止めようと、白朮は右手を肩に置く。無理をする七七を止めようと必死に、それでも優しく置かれた右手。しかし、七七は反射的にその手を振り払ってしまった。七七はそのまま、逃げるように町の外へと走り去っていった。
町の外へ出たところで、七七の足は止まった。善意で向けられたであろう白朮の右手を振り払った、その行いをただただ悔いた。研究のためとは言え、白朮は行き場の無かった七七を引き取ってくれた恩人であり、親も同然の存在だ。七七はそんな大事な人を残して先立とうとしている。それがどれだけ不孝なことか、七七も分かりきっていること。七七が朝から晩まで薬草を採りに従事するのは、白朮に対するせめてもの贖罪なのだ。他人であるはずの自分に手を尽くしてくれた、その記憶が七七をこちら側に引き留める。自分はあちら側に行くと決めたはずなのに、白朮の声を聞く度に、自分がどうしたいのか全く分からなくなってしまう。だから七七は、白朮を避けるようになったのだ。もう一月以上は無視を貫き、まともに喋ったこともない。
悲哀、不安、自責、後悔…湧いてくる感情に振り回されるまま、璃月の町の外をただ走って、走って、走り続ける。ここまで感情が込み上げても、キョンシーの身体では絶対に涙が流れることは無い。それもまた悔しくて、一心不乱に走り続ける。そのうち、七七は石に躓いて思い切り、水たまりに突っ込んでしまった。しかし十数秒、七七は倒れたまま動かない。立ち上がると、また感情と向き合わないとならないから、倒れている状態は楽だったのだ。しかし、それでも七七はゆっくりと立ち上がる。足元を見ると、水面に全身泥だらけの自分の姿が映っていた。自分がどうしたいのかも分からず、訳も分からず逃げ出した結果がこの始末…七七は自分に呆れていた。
左手のひらを見てみると血が流れていた。落ちていた枝や石でも刺さったのだろう。キョンシーは触覚や痛覚も鈍い。目視するまで、自分が怪我をしているのに気づかなかった。
流れる血に既視感がある…でも何かが足りない。朧げな記憶だが、きっとヨォーヨのことなのだろう。七七が怪我をしたとき、自身よりもヨォーヨの方が先に気付く。七七がどれだけ『痛くない』、『大丈夫』と言っても、ヨォーヨはすぐに手当てをする。お節介ではあるが、七七はヨォーヨに優しくしてもらえるだけで幸せだった。しかし、なぜヨォーヨは何の迷いも無く自分を助けたのだろう。思い返そうとしても、そこから先のやり取りは出てこない。親友との思い出は、思っているよりも早く七七の記憶から色褪せていく。色褪せるその早さに、七七の中で焦燥がつのっていた。忘れる前にヨォーヨのもとに行かなくては、という焦燥が。その焦燥は、ヨォーヨに会いたいという願いを更に強くする。それはヨォーヨがいるはずの向こう側への渇望、死と同義であった。そしてその願いは感情を押し殺し、七七を迷いなく贖罪へと向かわせる。進み出す七七の歩みは決して軽くない。泥だらけの姿のまま、何かに無理やり突き動かされるようだった。
無心で薬草を集め、七七は今日も真夜中に帰ってきた。町は既に閑散としていて、人通りは無いに等しい。帰ってきて最初にやることは、薬草の整理だ。メモを見ながら、薬草を種類ごとにしまっていく。清心に瑠璃袋、霧氷花にキンギョソウ…と。少し薄荷が混じっていたが、これは薬草に使えたかどうか。朝から晩まで薬草を集めていたとあって、量も相当なものになっている。仕分けるのにもかなり時間を要した。仕分けを終えて自室に戻ると、時計は既に4時を回っていた。それを見た七七は、また薬草採りに出ようとする。1日中薬草を集めてきたのに、一睡もしないでまた薬草を集めるなんて考えられない。ただ、今の七七からすれば自分の身体などどうでも良かった。この身体は何日か経てば焼けて無くなる。そう思うと自分の怪我や体力を考える気にもならなかった。
部屋を出る前に、部屋を隅々まで見渡す。自分の身体は気にならないのに、今朝の町のように、この部屋にも何か思い残しがあるようだ。死が近づくとどうでも良いものが気になるのは自分だけだろうか。しかし、その思い残しのおかげで、机に何かあるのに気づけた。
机の上には、料理と書き置きが置かれていた。
『夕食を置いておきます。帰ってきたら食べてくださいね。』
白朮の字だった。机の上には冷めても比較的美味しく食べられる料理が並んでいる。しかし、キョンシーは味覚が無いので美味しく食べることは出来ない。
無視しようかとも思ったが、見た目からするに白朮が作った料理だ。残していくのは流石に忍びない。一口頬張ると、やっぱり味はしなかった。しかし、料理を口に運ぶたび妙な安心感がある。温度も感じないはずなのに、何故だか温かい。食べ終わる頃には、七七の気分も少し落ち着いていた。落ち着いてくると、今まで見えてなかった見えてくる。そこでようやく、机の端に本が置かれているのに気づいた。これも、白朮の置いていったものだろうか。手に取ってみると、児童向けの娯楽小説だった。七七は今まで、何回も本に読もうとしてきたが、前の文脈をすぐに忘れてしまうせいで最後まで読んだことは1度もない。正直、本を渡されてもあまり嬉しくなかった。しかし、本の存在は全く無意味にはならなかった。本と一緒にとある物が視界に映る。それはヤマガラの描かれた小さな凧。いつかの海灯祭の時に、ヨォーヨが七七のために作ってくれた宝物だった。大事にしようと、部屋にずっと飾ってあり、貰ったあの日以来、空を飛んだことはない。七七は両手でその凧を手に取った。これを飛ばせば、少しくらいヨォーヨが居る気分になるだろうか……そう考えた七七は凧を持ってまた町の外へと繰り出す。幸か不幸か、今日は白朮に出会わなかった。きっと、仕事か何かで外に出ているのだろう。
凧の飛ばし方は、メモに書いてある。ヨォーヨとの大切な思い出だからだ。まず、凧を持つ人と凧を揚げる人に分かれる…もうこの時点でダメだった。凧を持ってくれる人はもういない。凧を地面に置いて1人で飛ばそうともしたが、ただ地面に引きずるだけ。その後も一生懸命に投げたり振り回したりもしてみた。だが、結局凧が空を飛ぶことは無かった。ヨォーヨがいないと、過去の思い出に縋ることすら出来ない。七七はその場に座り込んで絶望していた。辛うじて着けた命綱が切れたような感覚だった。この時の七七の目に、もう光は無かった。
そんな七七に追い内をかけるように近づいてくる無数の足音。ヒルチャールたちの群れが七七の近くへやってきたのだ。やがて、その一匹が七七に気がつき、側まで寄ってきた。七七はとっくにヒルチャールの存在に気づいている。だが、もう抵抗する気力も無い。ここで、自分を殺してくれるのなら、それで良いとさえ思った。ヒルチャールは、そんな精神状態の七七の背中を無情にも切りつける。たちまち背中は赤く染まった。その様子を見て、他のヒルチャールたちも少しずつ集まってくる。取り囲んで七七に襲いかかる姿は最早いじめ。気がつけば七七は全身傷だらけだった。それでも七七は抵抗しようとしない。ただ傷を受け入れて、時が経つ度に少しずつ、七七の意識が遠のくのを待つだけだった。
「…ヨォーヨ…今…行く…から…。」
今の七七に生きる気力は少しも残っていない。それに呼応するように、ヒルチャールの中でも特に屈強な個体が戦斧を持ってやってくる。七七の前まで来ると、迷いなくその戦斧は振り上げられた。その姿に、七七はスッと目を瞑る。この攻撃が頭に当たれば、いい加減この命は朽ち果てるだろう。もうこれで、この目を開けることは2度と無い。この世を去ったら、一体どんな世界が待っているのか…と向こうの世界に思いを馳せていた。
どんなに目を瞑り続けても、視界はずっと暗闇のままだった。あの世とはこんなにも暗くて、何も見えない場所なのだろうか。いや違う、音は聞こえる。聞こえるのはヒルチャールたちな声に、聞き慣れた声。痛みもまだ微かに感じる。納得は出来ないが、ようやく理解した。自分はまだ死んでいない。
七七がゆっくりと目を開けると、戦斧は既に地に落ちていた。周りのヒルチャールも、倒れていて動かない。
「七七!こっちへ!」
声の主はやはり白朮だった。どうやら、逃げるように催促しているようだが、そんな力はもう残っていない。生きたいという精神力も、動く体力も、もう限界。白朮のいる背後を向くことも、今は叶わなかった。いつもなら、七七が白朮を無視してそのまま終わり。昨日の朝だってそうだった。しかし、この時だけは違った。
白朮は七七を抱きかかえて走り始める。こんなに必死な白朮は今まで見たことが無い。ヒルチャールたちも、すぐに後ろを追いかけて来ている。七七を抱えなければ、とっくに逃げ切れているだろう。
「(なんで?どうして?死んじゃうかもしれないのに……どうしてここまでして七七を助けるの?)」
七七は白朮の腕に身を委ねながら考えていた。なんで白朮は自分のためにここまでするのか…白朮の行う研究にとって、自分はそこまで重要なものなのかと。朧げな意識の中、そんな思考がグルグルと周った。どの考えも、的外れだとはつゆ知らずに。
その時、一匹のヒルチャールから鋭い矢が放たれていた。風を切るその矢先は、必死で逃げる白朮を嘲笑うかのように、左脚に命中した。脚に力が入らなくなった白朮は思い切り転倒し、七七も地面へと投げ出される。
七七も白朮も、倒れたままもうほとんど動けない。倒れ込んだまま、2人のが目が合う。その状況で、先に口を開いたのは七七だった。
「白…先生。どうして…七七に、ここまでするの…?七七、白先生のこと…無視した。酷いこと、した…。なのに…どうして?」
弱々しい声で七七がそう聞いた。正直、前から疑問だった。どうして白朮は、見ず知らずの七七にここまでしてくれるのだろうかと。不卜廬に来たあの日以来、白朮はキョンシーとして生きるための色んな工夫を七七に授けてくれた。少し変わった関係ではあるけれど、薬童として不卜廬の一員と認めてくれた。七七が来る前から営業していたのを考えると、薬童など不要なはずなのに。そんな七七の疑問に対して、白朮は少し間を置いて息を整えてから答え始める。
「誰かを助けるのに、理由なんていりませんよ。それが医者というものですから…。私のことは構わなくて良いですから、早く逃げてください。」
そう言い放つ白朮の顔は、優しかった。自分も危険な状態なはずなのに、七七を心配させまいと笑顔のままだった。その姿は、七七の中の1つの記憶と結びついていた。
『(友達を助けるのは当たり前だよ!そこに理由なんていらない!)』
記憶の中のヨォーヨも同じようなことを言っていた。もし自分も同じように白朮を助けられるならばどんなに良いか…七七は心の中で思った。いや、この思いを願いや妄想で止めるわけには行かなかった。白朮の脚に命中した矢は、思ったよりも深く刺さっている。ヒルチャールたちは止まらずにこちらに迫ってくる。きっと今自分が逃げたら、白朮は助からない…そんなことは考えなくても分かる。そんなひっ迫した状況の中で、七七の中で何かがぷつんと切れた。
「今だけは、死ねない。生きないと。」
七七の中で、生への渇望が芽生えていた。その渇望は以前に比べると遥かに僅かで、一時的なもの。しかし、例え僅かだとしても、キョンシーになったあの日と同じ渇望がそこにはあった。その渇望は、動けない七七を何とか奮い立たせる。正直、キョンシーである自分が本当に生きている自信なんて無い。でも今は流れる血が、白朮の言葉が、自分は生きていると実感させてくれる。この地を去ると決めたその日から呼応しなくなった仙法と神の目も、今だけは七七に応えた。仙力を制御し、七七は日頃無意識に課している制御を解く。こうなった七七は、仙人と遜色無い力を持つのだ。不卜廬にいる時とは違う七七の姿に白朮も少し驚いていたが、それ以上にその背中が頼もしかった。
「大丈夫、七七がやる。」
迫りくるヒルチャールたちを前に、七七は鉄刀を差し向ける。目を閉じて深呼吸をすると、七七の目は達人のような真剣なものに変わった。少しの沈黙のあと、遂に七七が動き出す。
一介の少女では考えられない速度でヒルチャールたちに近づいては、斬撃で次々と斬り伏せていく。負けじとヒルチャールたちも応戦するが、攻撃は鉄刀で受け流され、反撃の隙を与えるだけだった。例え攻撃が当たっても、七七は何食わぬ顔で次の攻撃を繰り出す。雑兵ではまるで相手にならない。しかし、戦いは優勢なままでは終わらなかった。七七が背後を見ると、狡猾なヒルチャールが、動けない白朮を狙っていたのだ。巨大な戦斧が白朮に振り下ろされようとしている。
「(白先生が危ない…!)」
雑兵に気を取られていた七七は、先とは比べものにならない速度で白朮の前に割って入った。ギリギリで間に合ったものの、咄嗟に鉄刀で受け止めることしか出来なかった。そしてその鉄刀は無惨にも真っ二つに斬られてしまった。武器を失い絶対絶命の七七。ヒルチャールの次の一撃が、既に放たれようとしていた。
「(いやだ…死にたくない…死なせたくない…!)」
死が近づけば近づく程、生への渇望は強くなるというもの。神の目もその渇望の強さに呼応する。この時、七七は渇望と感情だけで氷元素を放った。ただ、生きたい、助けたい…という渇望と感情で。それは力任せで、制御などとは無縁だった。
次の瞬間、吐息も白くなるような冷気が辺り一帯を覆う。ヒルチャールたちは愚か、周辺の草木まで凍りついていた。こんなに強い氷元素を放ったことは、今まで一度として無い。その異常な光景に、白朮も目を丸くしていた。ヒルチャールたちが全滅したのを確認すると、七七はゆっくりと白朮の方へ振り返る。
「白先生……大…丈夫…?」
そう言い放つ七七は真っ直ぐに立つのもやっとの状態だった。そんな状態であれ程の力を使えば、ただでは済まない。七七はそのまま、白朮が返事する間もなく倒れてしまった。力なく突伏する七七の姿は、生きているのか死んでいるのか、まるで分からなかった。
真っ暗だった視界が、朧げながら晴れていく。そして、目をこすると朧げな視界は少しずつ鮮明になっていった。鮮明になったこの風景はあの世だろうか、それとも地獄だろうか…。否、そのどちらでもなく七七は不卜廬の一室で寝かされていた。最初は何がなんだか分からなかったが、だんだんと記憶が蘇ってくる。ヒルチャールたちと戦ったこと…そして、白朮が命懸けで助けてくれたこと。
「……!…白先生!」
七七は白朮のことを思い出すと居ても立ってもいられなくなっていた。もしも白朮に何かあったらと思うと、じっとしていられず外へ飛び出そうとする。しかし、その矢先に部屋の戸がいきなり開いた。
「あ!七七ちゃん!目が覚めたんだね!ずーっと起きないから死んじゃったかと思ったよ〜!」
おちゃらけてそう言ってくるのは往生堂の堂主、胡桃だった。何故ここに胡桃がいるのかは謎だが、七七からしたらそんなことはどうでも良かった。
「白先生……白先生は?!」
いつもの七七では考えられないほど強い声色だったもので、胡桃にも相当必死なのが伝わっていた。
「落ち着いて!白先生は全然元気だよ。1つずつ説明するから。あと…ほらこれ!白先生が七七ちゃんにって。」
胡桃は七七の大好きなココナッツミルクを手渡した。胡桃の言葉を聞いて、七七はほっと胸を撫で下ろした。
七七はココナッツミルクを飲みながら、事の顛末を聞いていく。
異常な量の氷元素の発生は、町にいる神の目の所持者たちが気付くほどのものだったという。そこにいち早く駆けつけた胡桃と往生堂の客卿が、負傷した七七と白朮を不卜廬まで運んできたのだ。白朮の方は負傷事態は右脚だけだったが、傷が深い上に少し特殊なため未だ療養中らしい。七七は負傷箇所が多く、体力もだいぶ疲弊していたのもあり、3日も目を覚まさないままだったという。説明されてようやく気付いたが、七七の体には大量の包帯が巻かれていて、キョンシーというよりかはミイラのようだった。
「本当2人とも無茶しかしないんだから…。あ、そうだ白先生を呼んでくるよ。白先生ね〜心配してたんだよ七七ちゃんのこと。ま、私からしたらどの口が言うって感じだけど…。」
それを聞いた七七は思い出したように部屋の外へ飛び出していった。
「ちょっと!どこ行くの七七ちゃん?!」
七七が向かったのはもちろん白朮のところだ。廊下を走って、白朮の部屋へと向かう。自分の行いを謝らなければ…その一心で白朮の元へと向かう勢いよく戸を開けると、ベッドに座っている白朮と目があった。2人は思わず固まってしまい、何も言えなくなっていた。
「白先生……その…。七七……七七…!」
部屋を包む沈黙を七七が破るが、言葉が詰まって上手く出てこない。でも、ちゃんと白朮に伝えなくては。七七は1回深呼吸して、白朮に謝罪した。白朮のことを無視し続けたこと、手を振り払ったこと、怪我を負わせたこと。自分が死のうとしたことも、全て打ち明けた。
「白先生……ごめん…なさい…。」
七七は最後にそう言い残す。キョンシーだから涙は流れないが、泣きそうな顔で言葉を絞り出す七七。だが、泣きそうなのは七七だけでは無い。追い詰められた七七に何もしてやれなかった、ここまでさせた、白朮はその事実が不甲斐無くて居た堪れなかった。白朮は立ち上がると、七七の後ろに周り、屈む。そのまま何も言わず、優しく七七を抱きしめた。急なことに七七の言葉は引っ込んでいた。これは勅令を解除するための技法。いつもは感情を込めず形式的に行われるが、今回だけは違った。本気で七七に思いを伝えようと、安心させようと白朮が動いたのだ。そんな白朮の腕の中にいると、自然と気持ちも落ち着いてくる。七七の心が静まったとき、白朮は七七に語りかけ始める。
「謝らなければならないのは私の方です。七七がここまで追い詰められていると、もっと早く気づくべきでした。」
そう言い放つ白朮の声色は真剣でありながら、少し弱々しかった。その声で七七の中にある感情が、一気に込み上げてきて、耐えきれない。でも、前のように逃げたりはしない。大事な人が、この感情を受け止めてくれるから。この人がいるなら生きたいと思ったから、きっと大丈夫。七七はその後も、白朮に色んな思いをぶつけていた。
「全く、お客様が1人減っちゃったよ。……キャンセル料は…ま!今回はチャラでいっか。」
ここまでの一部、部屋の外から往生堂の堂主に聞かれていたようだ。不卜廬をあとにするその表情は不服そうだったが、隠しきれない嬉しさがにじみ出ていた。
その日の不卜廬は夜中まで部屋の灯りがついていたらしい。大きな怪我も負ったし、そのせいで臨時休業までしていた不卜廬。ただ、それでもこの日はとても有意義な日に違いなかっただろう。
なにより、七七の「死んでもいい」という勅令を心から解除した。それが、1番大きな意味を持っているはずだ。
場所は変わり、璃月の空に浮く群玉閣。璃月を統べる「天権」の空中宮殿だ。その日、群玉閣はいつに無い緊張感に包まれていた。「天権」とその部下たちは、1本の矢を神妙な面持ち見つめる。「天権」がその矢を拾い上げながら口を開いた。
「こんなもの…一介のヒルチャールが作れると思う?」
未知の素材で作られたその矢先は、確かに白朮の脚に刺さっていたものだった。璃月は愚か、隣国の技術でも作れないであろうその矢先。ヒルチャールがこんなものを作れるはずはが無かった。この時、人々はまだ知らない。これが巨悪と相対する、最初の一歩であったことを。