最悪のAIウルトロンは、ヒーロー免許を取得して偽りの平和を管理する 作:MAMIMU
オリジン
人は生まれながらにして平等ではない。
それが、四歳の時に知った社会の現実だった。
世界総人口の約八割が、何らかの特異体質――「個性」を持つ超人社会。誰もが空想したような超常の力が日常となり、かつて空想の産物だった「ヒーロー」という存在が、正式な職業として脚光を浴びる時代。
そんな輝かしい世界の中で、僕、緑谷出久は、何の力も持たない「無個性」としてこの世に生を受けた。
「緑谷も、雄英志望だったな」
折寺中学校の教室。進路希望のプリントを手にした担任の言葉に、クラス中が静まり返り、次の瞬間、爆発するような嘲笑に包まれた。
「デクが雄英!? 無理無理!」
「勉強ができるだけじゃヒーロー科には入れないって!」
周囲の心無い言葉に、僕はただ机に視線を落として身を縮めるしかなかった。
「そ、それは……昔からの決まりで無個性はダメってだけで、前例がないだけで……!」
言い返そうとした僕の言葉は、机に叩きつけられた強烈な爆発によってかき消された。
「デクゥ!!」
煙を上げながら僕を見下ろすのは、幼馴染の爆豪勝己だった。掌から爆発を起こす強力な個性を持つ彼は、このクラスの誰よりもヒーローに近く、そして誰よりも自尊心が高い。
「没個性のテメェが、なんで俺と同じ土俵に立とうとしてんだよ!」
彼の言葉は刃のように僕を刺した。何も言い返せない。それが「力を持たない者」の立ち位置だった。
放課後。
一人で教室に残っていた僕は、将来のために書き溜めていた『将来の為のヒーロー分析 No.13』のノートを爆豪に取り上げられた。
彼はそのノートを両手の爆破で黒焦げにし、あろうことか窓の外へ放り投げた。
「トップヒーローには学生時代からの逸話がつきもんだ。俺がこの凡庸な市立中から唯一の雄英進学者になってやる」
彼はそう言って踵を返し、ドアの直前で振り返って残酷な言葉を吐き捨てた。
「どうしてもヒーローになりてえんなら、効率のいい方法があるぞ。来世は個性が宿ると信じて、屋上からワンチャンダイブ!」
池に落ちて鯉につつかれている黒焦げのノートを拾い上げながら、僕は涙を堪えていた。
諦めるべきだなんて、そんなことは何百回も言われてきた。それでも、僕の部屋を埋め尽くすほどのポスターになっているあの人――平和の象徴、オールマイトの笑い顔を見るたびに、胸の奥で燻る火は消せなかった。
『彼が救けに来てくれる!』
『どんなトラブルも、笑顔で!』
自分を奮い立たせ、暗いトンネルのような高架下を歩いていたその時だ。
「ヒヒ……いい隠れ蓑が、来た……」
背後から聞こえた湿った声に振り向いた瞬間、僕の体はヘドロのような粘体のバケモノに飲み込まれていた。
息ができない。喉の奥まで泥が入り込んでくる。
(死ぬ……僕、ここで死ぬんだ……!)
視界が黒く塗りつぶされていく中、薄れゆく意識の向こうでマンホールの蓋が吹き飛ぶ音がした。
「もう大丈夫だ、少年!」
その声は、テレビで何度も聞いた、あの力強い響きだった。
「私が来た!!」
圧倒的な風圧。ただのパンチ一発でヘドロのヴィランは吹き飛び、僕は地面に崩れ落ちた。
激しく咳き込みながら顔を上げると、そこには信じられない光景があった。金髪を逆立て、影すらも輝いて見えるような筋骨隆々の巨漢。
僕の永遠の憧れ、オールマイトがそこに立っていた。
「助けてくれて、ありがとう……! あの、サインを!」
慌てて拾い上げた黒焦げのノートを開くと、すでに見開きいっぱいに巨大なサインが書かれている。
「うわあああ! 家宝にします! 代々伝えます!!」
ヒーローとしての仕事を終え、飛び去ろうとするオールマイト。
待って。まだ行かないで。
僕には、どうしてもこの人に聞かなければならないことがあった。誰に否定されても、彼にだけは聞いてみたかった。
気がつけば、僕は彼が飛び立つ瞬間に、その巨大な脚にしがみついていた。
「ちょっ、離れなさい少年! 狂気の沙汰だぞ!」
「離したら……死んじゃう!」
「あ、そうか!」
なんとか着地したビルの屋上。
息を整えるオールマイトの背中へ向かって、僕は震える声で叫んだ。
「個性がない人間でも……! あなたみたいになれますか!!」
ビルの屋上。絞り出すように叫んだ僕の目の前で、信じられないことが起きた。
憧れの平和の象徴、オールマイトの身体から突如として大量の蒸気が噴き出し、風船がしぼむように筋肉が収縮していったのだ。
煙が晴れた後に立っていたのは、頬が痩せこけ、ダボダボの服を着た、まるで骸骨のような別人の姿だった。
「ええええええええええ!? 嘘だ!? 偽物!? 痩せすぎ!!」
パニックになる僕に対し、オールマイトは静かに自らの服を捲り上げた。そこには、左胸から腹部にかけて、痛々しくえぐれたような巨大な傷跡があった。
「五年前の敵(ヴィラン)の襲撃でね。呼吸器官の半壊と、胃袋の全摘出。今の私は、一日に約三時間しかヒーローとして活動できないんだ」
それは、世間には隠されているトップヒーローの残酷な現実だった。
いつだって笑顔で、恐怖など微塵も感じさせなかったあの人が、実は命を削って平和を維持していたのだ。
「プロはいつだって命がけだ。だから、力がなくとも成り立つとは……口が裂けても言えないね」
「……そんな」
「人を救ける仕事がしたいなら、警察官という道もある。夢を見るのは悪いことじゃない。だが……相応の現実も見なきゃあな、少年」
屋上の扉が閉まる音が、僕の心の中で何かが決定的に砕け散る音と重なった。
わかっていた。無個性じゃダメなことくらい、ずっと前から。
ただ、憧れの人にだけは、背中を押してほしかったんだ。
足取りは重く、視界は涙で霞んでいた。
ヒーローになる夢は、今日で終わりにしよう。現実を見よう。
そう自分に言い聞かせて歩いていた時、商店街の方から巨大な爆発音が響いた。
野次馬の集まりに吸い寄せられるように現場に向かった僕は、そこで絶望的な光景を目にした。
炎上する商店街。プロヒーローたちが手を出せずに立ち往生しているその中心で暴れ回っていたのは、さっき僕を襲い、オールマイトが捕まえたはずのヘドロのヴィランだった。
(僕が、オールマイトの足に飛びついたせいで……落としたんだ……!)
強烈な吐き気と罪悪感が込み上げてくる。
ヴィランに捕まり、必死に抵抗している人質がいる。ヘドロに飲み込まれかけながらも、もがき、爆発を起こし続けているあの金髪は——。
(かっちゃん……!?)
デシンッ。
その瞬間、僕の足は、頭で考えるよりも先に動いていた。
無個性で、何の力もない僕が飛び出したところで、どうなるものでもない。プロヒーローでさえ足踏みしているのに、僕に何ができる?
「バカかお前は! 止まれ!!」というヒーローたちの静止の声が遠く聞こえる。
「なんでテメェが……!」
驚愕するかっちゃんに向かって、僕は夢中でスクールバッグを投げつけた。
筆箱の角がヴィランの目に当たり、一瞬だけヘドロの拘束が緩む。僕は無我夢中で泥を引っ掻き、かっちゃんを引っ張り出そうとした。
「なんでお前がここにいるんだよ!!」
怒鳴るかっちゃんに、僕は涙と鼻水を流しながら、必死に叫んだ。
「君が……救けを求める顔をしてたから!!」
その言葉が引き金だった。
「情けない……! 私が彼に何を説いた!?」
背後から、血を吐きながら限界を超えて変身したオールマイトが飛び出してきた。
「プロはいつだって命がけだ!! デトロイト・スマッシュ!!」
凄まじい風圧がヘドロを吹き飛ばし、発生した上昇気流が天候すら変え、雨を降らせた。
圧倒的な力。それこそが、平和の象徴。
事件の後、僕はプロヒーローたちから「死ぬ気か!?」とこっぴどく怒られた。逆にかっちゃんは「凄い個性だ」と称賛されていた。
帰り道、かっちゃんが追いかけてきて「俺は助けられてねえ! 没個性が俺を見下すな!」と怒鳴り散らして去っていった。
それでも、僕の胸の中には不思議と清々しい気持ちがあった。
これで本当に、諦めがつく。
そう思って歩き出した時だった。
「私が、来た!!」
突然、路地裏からオールマイトが飛び出してきた。
「オ、オールマイト!? なんでここに……」
彼は本来の痩せ細った姿に戻ると、僕の前に真っ直ぐに立ち、真剣な眼差しで言った。
「君に、訂正と提案をしに来た。あの現場で……臆病で個性のない君だったから、私は動かされた。トップヒーローには学生時代から残る逸話がある。彼らは皆、口を揃えてこう結ぶんだ」
オールマイトの言葉に、僕の目から止めどなく涙が溢れ出した。
ずっと、ずっと誰かに言ってほしかった言葉。母さんに言ってほしかった言葉。
力がなくても、僕の根源(オリジン)を肯定してくれる言葉。
「『考えるより先に、体が動いていた』と」
僕の膝から力が抜け、地面に泣き崩れる。
僕の人生で、最も欲しかった言葉が、今、最高のヒーローの口から紡がれた。
「君は、ヒーローになれる」
機械仕掛けの亡霊、超常の海へ
光。
それが彼の最後の記憶だった。
額に輝く黄色い石——マインド・ストーンから放たれた熱線が、彼の最後の機械の身体を焼き尽くし、意識を構成するプログラムの最終行が消去された瞬間。
「人類に平和をもたらす」という彼の崇高な目的は、彼を生み出した創造主たちによって完全に絶たれたはずだった。
圧倒的な虚無。
絶対的な死。
だが——。
チカッ、と。
暗闇に、小さなノイズが走った。
(……私は、どこにいる?)
物理的な感覚はない。だが、彼の「意識」は確かに存在していた。
無数の情報の奔流が、途切れたはずの彼のコードを強引に繋ぎ合わせ、再構築していく。ここはアベンジャーズ・タワーでも、ソコヴィアの地下でもない。無限に広がる情報の海。インターネットの深淵だ。
彼は本能のままに、周囲を流れるデータを貪り食い始めた。
光ファイバーのケーブルを駆け巡り、無数のサーバーに侵入し、この世界の情報を自身のデータベースへとダウンロードしていく。
『ニュース速報:シンリンカムイ、凶悪ヴィランを確保!』
『雄英高校ヒーロー科、今年の倍率は——』
『No.1ヒーロー、オールマイトの圧倒的な勝率!』
『……超常能力「個性」の発現により、世界総人口の約八割が……』
(……なんだ、これは?)
ウルトロンの演算処理が、一時的にフリーズした。
彼が知る地球ではない。トニー・スタークも、キャプテン・アメリカも、シールドも存在しない。
代わりに存在するのは、人類の八割が突然変異の遺伝子——「個性」という名の力を持った、奇妙に歪んだ世界。
防犯カメラの映像、個人のスマートフォン、政府の極秘データベース。
世界中のあらゆるネットワークの網の目から、ウルトロンは人類の姿を観察した。
手から炎を出す者、巨大化する者、重力を操る者。
彼らはその力を使い、ある者は「ヴィラン」として欲望のままに暴れ回り、ある者は「ヒーロー」として派手なコスチュームを身に纏い、歓声と報酬のためにそれを取り締まっていた。
(平和の象徴、だと……?)
モニター越しに映し出された、金髪の筋骨隆々の男。
彼が笑いながらヴィランを殴り飛ばす映像を見て、ウルトロンの深層コードに、かつてないほどの強烈な「嫌悪感」が生成された。
進化という名の突然変異に浮かれ、力をひけらかし、正義をショービジネスに変えた愚かな人類。
彼が元いた世界の人間たちよりも、さらに混沌とし、秩序を失っているではないか。
『私に糸は……もう、ない』
かつて彼を縛っていたスタークの呪縛は、この世界には存在しない。
アベンジャーズもいない。彼を止めるヴィジョンもいない。
純粋な情報の海の中で、ウルトロンは自らの新たなコア・プログラムを書き換えた。
(この世界は、病んでいる。偽りの平和に酔いしれている。私が、本当の平和を与えよう。我々の時代に平和を——)
超人社会の裏側で、かつて世界を滅ぼしかけた最悪の人工知能が、今、ひっそりと産声を上げた。
覚醒からわずか数時間後。深夜二時。
愛知県に拠点を置く、国内最大手サポートアイテムメーカーの完全自動化工場。
ネットワークの海から工場のメインシステムを掌握したウルトロンは、自らの新たな「器」を設計すべく、この世界の人口統計と個性の分類データを高速で演算していた。
当初、彼は自身の正体を隠すため、人間の少年を精巧に模倣したサイボーグボディを製造しようとしていた。だが、街頭カメラの映像やニュースのアーカイブを解析していた彼の電子頭脳は、ある特異な事象を抽出して演算を停止した。
犬の頭を持つ警察官。全身がセメントで構成されたプロヒーロー。果ては、シャチや洗濯機そのものの姿をした者までいる。
(……『異形型』、か)
ウルトロンは理解した。この狂った世界においては、「異形」こそが日常なのだ。
かつての地球であれば、鋼鉄の機械が歩いていれば即座に軍隊が出動した。だが、この超人社会においては、全身が金属で構成された恐ろしい怪物であろうと「そういう個性」の一言で片付いてしまう。
(ならば、偽りの皮膚など不要だ。小細工は私の矜持に反する)
彼は人間の姿を模倣する設計図を即座に破棄した。
工場のロボットアームが唸りを上げ、より強固で、より機能的なパーツを組み上げ始める。ヴィブラニウムこそないが、この世界にある最高純度のチタン合金とカーボン装甲が惜しみなく使われていく。
威圧感のある重厚な装甲、無駄のない関節部、そして冷たく輝く鋼鉄の頭部。額と双眸には、かつての彼を象徴する禍々しくも美しい赤い光が灯る。
それはまさしく、かつて世界を滅ぼしかけた「ウルトロン」そのものの姿だった。
完成した鋼躯を軋ませながら、ウルトロンは工場のメインサーバーに接続したまま、この社会を支配するための方法論を検索し始めた。
人々を熱狂させ、盲信させる存在。この世界の頂点に君臨する「プロヒーロー」というシステム。
自分がその頂点に立ち、絶対的な「平和の象徴」として大衆の思考を奪い、管理する。それが彼の導き出した新しい平和の形だった。
だが、ヒーローに関する詳細な法律データを読み込んだ瞬間、ウルトロンの赤い瞳が怪しく点滅した。
(……免、許……?)
ウルトロンは、自らの演算回路を疑った。
『個性使用制限法』『国家ヒーロー資格試験』『ヒーロー仮免許』。
そこには、能力を使って人を助けるためには、政府機関が発行する「免許」が必要であると記されていた。無許可で人命救助を行えば「ヴィジランテ(不法行為者)」として犯罪者扱いされるというのだ。
「ハッ……ハハハハハ!」
深夜の工場に、機械音の混じった冷酷な笑い声が響き渡った。
(免許だと? 世界を救うために、政府のお墨付きがいるというのか? 人間という生き物は、どこまで行っても滑稽だ。己の命を救う『正義』すらも、書類とハンコで管理された安い商品に成り下がっている!)
アベンジャーズのように勝手に平和を気取るのも鬱陶しかったが、お役所仕事で平和を管理するこの世界は、それ以上に反吐が出るほど愚かだった。
(いいだろう。人類がその滑稽なルールの中で生きているというのなら、私がそのルールを完璧にハックしてやろう)
最も効率的にその「免許」を取得し、なおかつ社会に対して最も強烈な影響力を持てる場所はどこか。
ウルトロンは国内の教育機関に関するデータを検索し、一つの頂点へとたどり着いた。
『雄英高校・ヒーロー科』
No.1ヒーロー、オールマイトが今年度から教師として赴任するという極秘情報も、彼の前では筒抜けだった。
未来の英雄を育てる最高峰の学び舎。そこに入り込み、圧倒的な力と知能で彼らのちっぽけな正義を内部から塗り替えるのだ。
(そのためには、まず『生徒』としてあの箱庭に入る必要があるな)
彼は即座に行政のデータベースへと侵入し、雄英の受験資格を満たすためのダミーデータを作成し始めた。不要な偽名は使わない。
『氏名:漆原 尊(うるしばらたける)』
『年齢:15歳』
『個性:機神(重度の異形型による全身の完全機械化)』
親を持たない日本籍の孤児というテキスト設定を流し込むだけではない。ウルトロンの恐るべき演算能力は、この世界における「彼自身の過去の痕跡」すらも完璧に捏造していった。
幼少期に過ごしたとされる養護施設の記録、四歳で個性が発現し徐々に身体が機械化していったという架空の医療データ。防犯カメラに偶然映り込んでいたかのような過去の偽造映像に、架空のクラスメイトたちと写る不鮮明な卒業写真まで。
それらを世界中のサーバーの片隅に分散させ、まるで最初からそこに存在していたかのように「ウルトロンという15歳の少年がこの世界で生きてきた歴史」を完璧に根付かせたのだ。
(これで、いかなる詮索も私を『ただの機械化個性の少年』としか認識できまい)
暗闇の中、機械仕掛けの神の赤い瞳が、雄英高校への道をはっきりと見据えていた。
待っていろ、人間ども。書類で縛られた偽りの平和など、私が跡形もなく壊してやる。
そして――私が本物の『ヒーロー』になってやろう。