見た目もステータスもパッとしない中年がやりこみ知識でぼちぼち異世界攻略   作:雨(あめ)

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第十九話「赤錆の騎士。」

ヒタッ……。

 

ヒタッ……。

 

ヒタッ……。

 

ゴブリンロードが俺とアレクシアを睨みつける。

そしてゆっくりと隙を伺うように俺たちの周りを回っている。

ゆらゆらと大げさに体を揺さぶる不気味な歩み。

 

俺たちは常に同じ間合い、同じ位置関係を保つ。

ゴブリンロードに対して、俺が前、その右後ろにアレクシア。

 

彼女の顔に恐怖は見られない。

毅然とした立ち振る舞いで、じっと、静かにゴブリンロードを捉えている。

 

しかし、その手は震えているのか、剣がカチャカチャと微かな音を響かせた。

 

そんな姿に、ゴブリンロードは尖った歯を見せびらかして大げさな笑顔を作る。

松明の揺らめきがひどく不気味な影を作っている。

 

かなり薄暗いが、薄緑の肌に包まれた筋繊維が隆起するのが見えた。

 

「来る…!」

 

そして、地面を蹴り抜き、その巨体を空中へと投げ出す。

剣を頭上に構えた…縦の振り下ろし。

 

今ではない。直感がそう告げていた。

俺とアレクシアは大きく後退して初撃を躱す。

流星の如く振り抜かれた鉄の塊は俺たちではなく地面を砕いた。

 

爆煙のような砂埃が巻きあがる。

 

それを貫くようにしてニ撃目が来る。

ゴブリンロードの長い腕から繰り出される突きは容易に俺たちのところまで届いた。

 

ここ…!

 

剣に触れる。…摩擦のせいか熱を感じる。

 

「ふッ…!!!」

 

戦技の発動。指先から腕、肩にかけて波紋のように衝撃が伝わってくる。ギリギリとなっているのは俺の骨だろうか。

 

振れている手とゴブリンロードの剣は磁石のように反発しあい、互いに後方へと吹き飛ばされた。

回る視界の端。ゴブリンロードが大きくのけぞったのが見える。

 

「アレクシアさん!!」

 

「…はぁっ!!!」

 

次の瞬間アレクシアの持つ大剣が弧を描いてゴブリンロードの脚…太ももの外側を切り裂いた。

赤黒い液体が飛び散る。

 

「す、すごい!!!」

 

「アレクシア!見事ですよ!」

 

外野の歓声が聞こえてくる。

ゴブリンロードのヘイトが向かないか心配だったが、どうやらそれどころではないらしい。

 

「ィギャャャァァァアアア!!」

 

「っ…!」

 

耳を劈く叫び声がこの部屋の中を満たす。

怒り狂ったゴブリンロードは何度か足をジタバタと動かすが、アレクシアは既にそこにはいない。

 

「…はぁ…はぁ……。」

 

俺の後ろから息を切らしたアレクシアの気配が近づいてくる。

 

だが、どうもこれは疲れているという感じではない。

アドレナリンが分泌されて興奮状態にでもなっているのか。

 

「27ダメージか…。」

 

少し残念そうに独り言をこぼしているが、彼女のレベルは21。

あまりにも簡単にゴブリンを切り捨てていくから、逃げてる最中にステータスをのぞき見した。

 

相手は最上位種のレベル30。それもダメージの通りにくい脚への攻撃だ。

それを考えれば相当なダメージ。たぶん純アタッカークラスを二つ積んでいる。

 

「ええ、いい一撃です。」

 

「…い、いいからお前は防御に。」

 

純粋な賞賛に困惑気味なアレクシア。

その言葉を言い切るより前にゴブリンロードが飛び込んでくる。

 

「っ!」

 

低い…!

 

抉るような下段の斬撃。切っ先が地面を削り激しい火花を散らす。

これはさすがに弾けない。…後退する時間もない。

 

俺とアレクシアはその場で跳んだ。

ガガガガと瓦礫をまき散らして巨大な鉄の板が迫る。

 

が。

 

「…!!」

 

地面についていた刃が地中へと食い込み、俺たちの真下でその動きを止めた。

ものすごく嫌な予感がする。

 

ゴブリンロードの腕がメリメリと音を立て、血管が浮き出てくる。

 

…こいつ、このまま切り上げる気だ。

 

いや、でもそんなことができるのかと思っているうち、剣が地面から抜ける音がした。

 

「師匠!!」

 

チヤが心配してくれている。

大丈夫だ。まだ走馬灯は見えていない。

 

「ッ…んらァ!!!」

 

咄嗟に空中で身を捻りながら受け流しを放つ。

我ながら酷い悪あがきだと思うが、なんとこれが成功した。

 

使った右手のいたるところから血が噴き出したが。

くそ痛い。

 

「空中で…!?お前どこまで…。」

 

アレクシアが驚いている。

内心そんなのいいから早く切り込んでくれと思う。

 

先の戦技発動で俺の体はほぼ直上へと吹き飛んだ。

ゴブリンロードの剣はというと刃先3分の1程度が地面に埋もれている。

あんな血も涙もない攻撃をした報いだ。ざまあない。

 

「はっ!!!」

 

剣を引き抜こうと必死に力を入れるゴブリンロード。

その胴をアレクシアの斬撃がとらえる。

 

ゴブリンロードはまたゾッとするような咆哮をあげながら一時的に剣を手放し、その腕をでたらめに振り回して追撃を防いだ。

 

「み、見たか!45ダメージだ!!…あっ、いや……。」

 

着地した俺のもとにまたアレクシアが駆け寄ってくる。

今度はダメージに満足したのか無邪気な子供のように目を輝かせていた。

すぐさま顔をそらされたが。

 

相当嬉しかったのかな。

いや、確かに凄まじいダメージだ。

 

「ガギャッ!!!」

 

あれ、もう来たのか。

結構深くまで埋まっていたし、多少は時間を稼げるかと思ったが…。

 

ゴブリンロードの剣が迫る。さっきから攻撃の頻度が凄まじい。

相当俺たちのことを煩わしく思っているんだろう。

 

しかし、実際この猛攻はきつい。

右手がもう使い物にならなそうなんだが。

 

…いや。

 

一度は諦めかけたアレクシアが立ち上がったんだ。

 

俺は確かに言った。

攻撃は俺がいなす…と。

であればその言葉を違えることはできない。

 

死んでも守る。

 

腰を落として、脇を締める。両の手が腰の横に来る。

呼吸は徐々に浅くなり、自然と止まった。

 

放たれたのは右上段からの袈裟斬り。

一度左に身を寄せてから、その剣に肩と上腕を添わせて…。

 

「ふッ…!!!」

 

肺に残った空気を一気に吐き出す。

戦技の発動。

 

衝撃波が空中に波紋を描く。剣は吹き飛び、軌道を大きくそらせた。

今度の受け流しでは、俺の体がわずかに地面を横滑りしただけで、空中へ放り出されることはなかった。

対してゴブリンロードの右腕は完全に伸びきり、それでもまだ足りずにその全身を引っぱられている。

 

「フギャッ…!」

 

あれだけ俺たちのことを馬鹿にして笑っていたゴブリンロードが、今は額に汗を浮かべて情けない声を上げている。

 

自分が大きく体勢を崩しているにも関わらず、目の前の雑魚だと思っていた人間がほとんど吹き飛ばされていない。そんな状況を目の当たりにしたのだから、混乱もするだろう。

 

アレクシアは既に構えを終えている。

大剣の重量を利用した回転斬りがゴブリンロードの脇を抉った。

 

「80…。」

 

ゴブリンロードのHPが凄まじい勢いで減った。

 

今のはおそらく戦技だろう。

魔法や戦技といったアクティブスキルの使用にはそれなりの集中が必要になる。

アレクシアにもその余裕が出てきたのであれば何よりだ。

 

しかし…にしてもダメージが高い気がする。

 

もしかして、部位へのダメージ判定がゲームとは違うのだろうか。

ゲームでは脇などの細かい部位に個別の判定はなかった。

この世界ではより細かく分かれている…?というより生物的な急所がそのままダメージに反映されると考えた方がいいか…。

 

まあ何はともあれ、これであいつの残りHPは169。

 

あと一撃でも与えれば”あれ”が来る。

 

「チヤ!!」

 

「はいっ!」

 

「俺が合図をしたら斧を投げてくれ!」

 

「はーい!」

 

なんとも緊張感のない返事だが、まあ、それがチヤのいいところでもある。

 

「イギャッ!ギィ!…フギュゥ……ィギィ…。」

 

怒りに身を任せて暴れていたゴブリンロードはいつの間にか岩の柱の裏まで移動していた。

ようやく冷静さを取り戻したのか、呼吸を整えている。

 

またすぐに突っ込んでくるかと思ったが、柱の陰に隠れてじっとしている。

 

顔と手が異様にでかい緑の老人が暗闇の中から覗いてくる姿は無茶苦茶怖い。

あの道化のようなコミカルな動きも、その不気味さに拍車をかけている。

トラウマになりそうだ。

 

「ギッ…。」

 

ゴブリンロードはしばらく真っ黒な目で俺たちのことを見ていたが、やがて完全に柱の後ろへと引っ込んでしまった。

 

「あいつ…どういうつもりだ。」

 

「上ですよ。」

 

「は?」

 

「上。」

 

アレクシアが理解できていないようなので、俺は人差し指を天井へと向けた。

そこには宙を舞うゴブリンロードの姿が。

 

「は?」

 

見ても理解できなかったか。

 

ゴブリンロードは壁や柱をよじ登ってジャンプ斬りをかますトリッキーな戦技を持っている。

基本的にはゴブリンロード本体に張り付いて戦闘をしていれば発動を阻止できるし、使われたとて、理解さえしていれば回避も容易なので大した脅威にはならない。

 

まあ今回は避けないんだけど。

 

「ふぅ……。」

 

息を吐いて精神を集中し、それが下りてくるのを待つ。

鈍色の鉄塊もこの闇の中では黒い塊に見えた。

 

さっきの感覚を思い出す。

上腕と肩を使い、重心の移動を意識して…。

 

「ふッ…!!」

 

「イギィ!!!」

 

成功だ。やはり全身を使えば吹っ飛ばない。

受け流しのコツがつかめてきた。

 

ゴブリンロードは地面にたたきつけられ派手に転がった。

 

その先には大剣を掲げたアレクシア。

 

「…ギヤッ!」

 

四つん這いで逃走を試みるも、彼女の大剣が目の前の獲物を逃がすわけもない。

刃は吸い寄せられるようにゴブリンロードの脇腹を切り裂いた。

 

傷口を抑えたゴブリンロードは唾液と血をまき散らして地面を転がっている。

 

残りHP121。

半分を切った。

 

「イグァ…シィ…ブラゥス……。」

 

フラフラと立ち上がった緑の巨人は、口をもごもごと動かし何かを唱えている。

今までの笑い声や叫び声といった原始的な音とは違う。明らかに意味を持った響き。

 

来る。

 

こいつはHPが半分以下になると各氏族の長である「ゴブリンチーフテン」を召喚する。

氏族は全部で4つだが、それぞれが非常に強力な戦士や魔法使いだ。

 

召喚が成功したらその時点で終わりだと思っていい。

だが、この詠唱は、ダメージのありなしにかかわらず、特定部位に攻撃を当てることで止めることが可能。

 

それは…。

 

「チヤ!口だ!!」

 

「はいっ!!」

 

頭の位置が高すぎて近接アタッカーにはどうしようもないが遠距離攻撃があれば対処可能。

 

ブゥンッ…!!

 

大きく構えたチヤの右腕から、大砲かと見紛うような斧が放たれる。

 

「フギャッ…!!」

 

それは見事にゴブリンロードの口へと直撃した。

 

大ぶりな近接物理攻撃に正直微妙な戦技。

唯一の脅威と言えばゴブリンチーフテンの召喚だが、それも無効化が可能。

まあ、ステータスの各値は高いし強力なモンスターであることは否定しないが、それでもある程度のレベル帯からは経験値としてしか見られていない。運営がなぜこんな仕様にしたのかは全くの謎だ。

 

でも今回ばかりは助かった。

 

「フギュゥ…!!」

 

口を押えたゴブリンロードが剣をぶんぶんと左右に振りながら走ってくる。

 

怒りに任せたでたらめな斬撃。

この期に及んでそんな攻撃が当たるわけもない。

 

軽くいなして見せる。

ゴブリンロードは自らの速度を殺しきれず、その場に膝をつく。

 

「アレクシアさん。」

 

「わかって…いる!!」

 

戦技の回転斬りが首を捉えた。

致命傷には至らなかったようだが、それでも相当なダメージだ。

 

今度ばかりは首を抑え、叫び声も上げずに後退するゴブリンの王。

呼吸が荒く目を見開いている。

 

あと一撃だ。

涙が出そうになってくるが、まだ喜ぶのは早い。

 

「よし……勝てる…勝てるぞ!!」

 

アレクシアが喜び半分、困惑半分といった顔で言った。

出会ってからずっと眉間に皺を寄せていたが、やはり人間笑顔の方がいい。

 

「何見てるんだ。」

 

「いや、別に。」

 

ああ、いつもの顔に戻ってしまった。

 

「油断するな、前を見ろ。」

 

「はい。」

 

まったく以てその通りだ。

勝利を目前にして気が緩んでいた。

 

ゴブリンロードは遠くから俺たちの様子を伺っていた。

怯えているのか、一向に向かってくる様子がない。

 

「来ないぞ…どうする。」

 

さて、どうしたものか。

まだ、何か策でもあるのか。

 

ゲームの知識でいえばこれ以上のギミックはないはず。

しかし、ここは現実、それもダンジョンのボス部屋ではなく坑道だ。

何かしらのトラップがあってもおかしくはない。

 

しかし、それこそがブラフで援軍の到着やHPの回復を待っているんだとしたら。

 

…だめだ。

いくら考えても答えなどでない。

 

「…何かあいつなりの考えがあるのかもしれませんが、正直全然わかりません。」

 

「なら…。」

 

アレクシアの剣が鳴る。

 

「行くしかないだろう。」

 

「はい…!」

 

この言葉を待っていた。

 

俺とアレクシアは一斉に走り出す。

 

「…イギィ!!」

 

ゴブリンロードが後ずさりをする。

やはり怯えている?

 

いやだまされるな。

何かあると思っておいた方がいい。

 

死にかけの獣ほど怖いものはない。

 

「ギ…ギ……ギィ!!」

 

「…っ。」

 

近づいてきた俺たちに対して、ゴブリンロードが放ったのは意外にも直球の斬撃。

 

何もない?本当にこれで終わり…?

若干の違和感を覚えつつも、放たれた斬撃に受け流しを放つ。

 

あれ…。

そこで俺の疑念はさらに膨れ上がった。

 

今の斬撃…嫌に軽い。

まるで力が入っていなかったような…。

 

「イギィッ…。」

 

そんな俺の違和感を見透かしているかのように、ゴブリンロードがぞっとするような笑みを浮かべた。

目が合っている。そのしわだらけの顔を醜悪に歪ませて。俺の目を見ている。

 

「だめだ!!」

 

咄嗟に叫ぶが、遅かった。

ゴブリンロードの拳が、踏み込んだアレクシアの体に直撃した。

 

筆舌に尽くしがたいような凄まじい音とともにアレクシアの体が宙を舞う。

 

…ドシャ。

 

そして、糸が切れた人形のように地面へ落下する。

 

「…ぅ……。」

 

死んではいない。死んではいないが…致命傷……。

地面に放り出された体はピクリとも動かず、もがくことすらできていない。

 

あれではもう攻撃はおろか、立ち上がることさえ…。

 

あと一撃。

あと一撃が届かない。

 

「…ィギ……ギシ…ギシシシシシ!!!」

 

ゴブリンロードは手を叩いて大笑いをしながら、その場で踊るように飛び跳ねた。

何度も何度も楽しそうにアレクシアを殴ったときの動きを再現している。

 

どこまでも性根の腐ったやつだ。

殴り飛ばしてやりたいが…もう、この場に、こいつへまともなダメージを通せるものはいない。

 

「アレクシア!!!」

 

ルシエラたちがアレクシアのもとへ駆け寄る。

正直、もう勝ち目はない。

 

アレクシアに応急処置を施すルシエラたちを見て、ゴブリンロードはさらに顔を歪ませた。

そして俺の顔を覗き込んでくる。

 

こいつはアレクシアを殴るとき、俺を見ていたんだ。

彼女を守れなかったという事実を見せつけて、その反応を楽しんでいたんだろう。

 

だが、俺はそんなことでへこむたまじゃない。

リゲナーなめんな。

 

アレクシアはまだ生きている。

誰も欠けずに外に出られる可能性はかなり低いだろうが、チヤもいる。

何とかしてくれるだろう。

 

だから俺がここでこいつを食い止める。

 

そんなことを思って、踊り狂うゴブリンロードに一撃入れてやろうとしたのだが。

 

「…ギ?」

 

ゴブリンロードはその珍妙な動きを止めて、表情を曇らせた。

視線の先は俺の背後。

 

まさかと思った。

 

「…フー…フー……。」

 

そして、振り向いて、俺は自分の目を疑った。

俺だけではない。その場にいる誰もが、片言もなくそれを見ていた。

 

致命傷を受けたはずのアレクシアが…立っている。

 

グラグラと揺れる目でゴブリンロードを見据えている。食いしばった歯の隙間から荒い息が漏れていた。

立っているだけで全身が小刻みに震え、左腕に至っては明らかに折れている。

 

全身を血で真っ赤に染めて、それでもそこに立っていた。

 

「ア、アレクシア…。」

 

身体を支えようと手を差し伸べるルシエラを押しのけて。

一歩ずつ、大地がそこにあるかを確かめるように、歩を進める。

 

「と、止まりなさい!…死んでしまうわよ!!」

 

ルシエラの悲痛な叫びが、暗い虚空の中に何度もこだました。

 

「…私は…生きてなどおりません……赤錆の名を拝したあの日より…。」

 

しかし、アレクシアの歩みが止まることはない。

進むたび、尋常ではない量の血がボタボタと音を立てて溢れた。

 

「……当主様が亡くなり…我が父も死に…あなたも私も…ただの子供ではいられなくなった…。」

 

「…。」

 

震える体では、真っ直ぐ進むことすらままならない。

剣もつかんでいるというよりは手に引っかけていると言った方が近い。

地面と擦れてカリカリと音を立てる。

 

「……まだ小さかったその身に…一体どれほどの重圧がかかっていたか……私には…想像もできない…。」

 

「それはあなたも…。」

 

ゴブリンロードは恐れているのか、それとも単に理解ができないからか、茫然とその光景を眺めている。

 

「…違うのです……私は…私にはすべてを捨てて逃げる道もあった…それでもあなたが戦っていたから……あなただったから……私は誓いを立てたのです……あなたを支えるべき私が…いつもあなたに支えられていた……にもかかわらず…私はあなたよりも先に諦めてしまった……恐怖に負け、誓いを捨てるなど…私は……私は…。」

 

アレクシアの瞳に血と涙が滲んだ。

 

「……誓いを立てたとき、私は私を捨てた…赤錆のアレクシアとして、ただあなたの剣たらんと……その誓いを一時とはいえ捨てた私は…もはや何者でもない……ここで立たねば、今あいつを倒さねば……今日…赤錆が死んでしまう…散っていった赤錆の騎士たちも、その誓いも、誇りも…何もかも……死んでしまうのです……。」

 

「…。」

 

気丈なルシエラも今回ばかりは言葉に詰まる。

 

彼女たちがどんな人生を歩んできたのか、俺は知らない。それでもこの覚悟を無駄にしてはいけないと思った。少なくとも、こんな地下深くの闇の中で消えていいものではない。

 

アレクシアはゴブリンロードの前まで歩くと、大きく深呼吸をした。

 

そして引きずっていた剣をゆっくりと持ち上げていく。

脚を鳴らし、背筋を伸ばし、両手で掲げた剣に額をつける。

それは礼。左腕が折れているとは思えない、あまりにも美しい所作だった。

 

ゴブリンは聖なるものを嫌悪する。

この祈りにも似た礼もまた、ゴブリンロードの精神を波立たせた。

 

「ギッ…ギッ…ィギャァァアアアアアア!!!」

 

殺したと思った相手が立ち上がり、自分の前に立っている。

その事実を認められないのか、ゴブリンロードは駄々をこねる子供のように地面を蹴ると、一直線に突進をした。

 

アレクシアは整然とした動きで構えを取る。

 

そんな彼女とは対照的な、粗雑で力任せの剣撃がアレクシアの首に迫る。

 

ガキンッ…。

 

「イギッ!!」

 

当然俺が弾く。

 

重力が何倍にも跳ね上がったかのような衝撃で地面に押さえつけられた。

避けた傷口から血が噴き出る。

 

意識が飛びそうになるが、まだ耐えろと自分に言い聞かせて崩れゆく足に無理やり力を込める。

 

アレクシアはまだ動かない。

凄まじい集中力だ。

 

すかさずゴブリンロードの拳が襲い来る。

さっきと同じ手。喰らうわけもない。

拳の横に回避しつつ受け流しを放つ。

 

受け流しの反動を利用した攻撃。

よく考えたものだと思うがこれもいなされれば…。

 

ズドォン!!!

 

「ギィ…!」

 

凄まじい音とともに拳が地面へと突き刺さる。

ゴブリンロードは完全に体勢を崩し四つん這いになった。

 

巻きあがった粉塵の中、アレクシアの大剣が松明の光で煌めいた。

そして一呼吸の間もなく振り下ろされる。

 

「ギッ……。」

 

…最後は、虚しいほどに短い悲鳴。

 

ゴブリンロードの巨大な頭部が、音もなく転がった。

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