見た目もステータスもパッとしない中年がやりこみ知識でぼちぼち異世界攻略 作:雨(あめ)
そのプリズムカラーの体が、ぐっと沈み込む。
岩に爪を立て、今にも飛び出さんとする構え。
クリスタルバットが身じろぎするたび、キーン、キーンと甲高い音が辺りを包んだ。
そして、次第に強くなる光。
照らされた皮膚が、まるで熱を帯びたかのように感じられる。
俺は唾を飲み込んだ。
来る。
そう直感した。
それを確信へと変えるかのように、バチンッと光が弾けた。
視界が白に染まる。
目の奥まで焼かれるような、強烈な光。
「くっ…!!」
俺は思わず目を覆った。
何度も大きく瞬きをすると、白く霞んでいた視界が徐々に戻ってくる。
しかし…そこにはもうクリスタルバットの姿はなかった。
だが、俺は知っている。
あいつがまだここにいるということ。
そして、いくら首を動かして探そうとも、決してその姿を捉えることはできないということを。
だから…俺はその場で俯き、深く息を吸った。
当然これは、諦念からくるものではない。
目ではなく、耳と肌へ意識を集中させていく。
「……。」
…感じた。
空気の振動。
そして、風を切る翼の音。
その瞬間、この岩と水晶ばかりの空間が、ゲームの中で何十回と見た光景と、かろうじて重なった。
それは電気信号となって全身を伝う。
俺は全力で左前方へ飛び込んだ。
ズガァン!!!
激しい衝撃とともに、地面…ついさっきまで俺が立っていた場所が抉れた。
パラパラと小石が降り注ぐ。
目の前の光景に、俺の背中をじんわりと嫌な汗が伝った。
依然として、クリスタルバットの姿は見えない。
それでも、深く抉られた傷跡だけが、確かにその存在を証明していた。
「……。」
これが、クリスタルバットの第二形態が使う戦技…『星食』。
光学迷彩のように周囲の光を歪ませ、自身の姿を完全に隠してしまう能力。
ゲームで何度も見てきた技だ。
だが、現実で味わうと、ここまで恐ろしいものなのか。
ちゃんと準備さえしていれば、それなりに対応もできるのだが、今回は何もしていない。
通常エリアに出てくるモンスターが大したことのない奴らだったから、もっと簡単に倒せるボスを想像していた。
なんてのは、言い訳にもならないな。
準備をしていなくてても、ゲームなら「大体の位置とタイミングを想定して攻撃する」という、ごり押し戦法でなんとかなることもある。
ただし、勝率はそこまで高くない。
なにより…現実で、そんなことをする勇気はない。
「まいった…。」
ドッ……ドッ……ドッドッドッ。
頭を抱える俺。
だがそんなことはお構いなしに、クリスタルバットが迫ってくる。
バサッ!!
羽音。跳んだな。
それだけはわかる。
だが、次にどこから来るのかまではわからない。
「……っ。」
反射的に身を低くする。
直後。
ヒュンッ!!
何かが頭上を通り抜けた。
風圧だけが髪を揺らす。
「くっ……!」
俺は転がるようにして、その場を離れた。
ズガンッ!!
背後で岩壁が砕け散る。
振り返っても、やはり何も見えない。
ただ、抉られた岩肌と、床に散らばった水晶の破片だけが残されている。
手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。
心臓が早鐘のように鳴っている。
ほんの一瞬でも反応が遅れていたら…。
想像したくもない。
奴は、足音でこちらに位置を悟られることがないよう、攻撃の前に必ず跳躍をする。
羽音を捉えてからでは、間に合わない。
なら…もっと早く察知するしかない。
俺はその場でじっと立ち尽くし、耳を澄ませた。
……キィン。
どこか遠くで、水晶が鳴った。
「……。」
違う。
これは、あいつが動いた音じゃない。
周囲の水晶が反響しているだけだ。
この洞窟は音が多すぎる。
自分の呼吸。
心臓の鼓動。
靴底が地面を擦る音。
そして、そこら中に存在する水晶の微かな振動。
無数の響きが混ざり合い、俺の感覚をかき乱している。
その一つ一つを手に取り確かめるように、俺はクリスタルバットの気配を探った。
「……。」
バサッ。
右。
そう思った瞬間…反対側から、風を切る音がした。
「っ……!!」
ズガァン!!
今度は脇腹を掠めた。
「ぐっ……!」
衝撃で身体が吹き飛ぶ。
背中から地面へ叩きつけられ、肺から空気が一気に吐き出された。
「げほっ……!」
痛い。だが、それでもすぐに起き上がろうとする。
その時だった。
キィィィン――。
また、あの音。
空間全体が震えるような、甲高い音が響き始めた。
「……!」
周囲の水晶が光を蓄えている。
直後…。
バチィン!!
視界が白く弾けた。
「ぐあっ……!」
光の奔流が洞窟を駆け抜ける。
俺は腕で顔を覆った。
ドッドッドッ…。
バサッ。
足音。跳躍。これは本当にやばい。
一か八かで地面を這うように身体を投げ出し、間一髪、凶爪から逃れる。
「はぁ…はぁ……!」
息が苦しい。身体中が痛い。
視界も、まだ完全には戻っていない。
それなのに…あいつは止まらない。
キィン……。
また音がする。
「……勘弁してくれよ。」
思わず心の声が漏れた。
ゲームでは、何度も戦った。
だから知っている。
攻撃の予兆も。
『星食』の発動条件も。
姿を消したあとの行動パターンも。
だが…それとは決定的に違うものがある。
これは、ゲームではない。
俺の知識が通用する世界であっても、ゲームそのものではないんだ。
痛みも。
恐怖も。
疲労も。
すべてが、紛れもない本物。
酷く当たり前のことだが、現実離れしたことばかりでついつい忘れそうになってしまう。
「……。」
ふらつきながら、立ち上がる。
膝が笑っていた。
相手の姿は見えない。
どこにいるのかも、わからない。
どうする。
「考えろ……。」
あいつの鎧は、周囲の光を歪ませて姿を隠す。
目で捉えることは不可能。
なら…目以外を使うしかない。
決死の覚悟。
こういうものを、きっとそう呼ぶのだろう。
今、この瞬間だけは…俺に光は必要ない。
ゆっくりと瞼をおろす。
「……。」
そして、静かに呼吸を整える。
この状況を打開するには、やるしかない。
今、掴まなければ俺は死ぬ。
そういう勝負は、嫌いじゃない。
不思議と、口角が上がった。
やれ。
自分自身に言い聞かせるように、何度も唱える。
地下世界の耳…有効化。
「んぐっ…!!!」
すでにボロボロになった俺の身体へ叩きつけられる、音の暴力。
クリスタルバットが放つ、キリキリとした甲高い響きが頭の奥を掻きむしる。
それだけではない。
地中の軋みや上層のモンスターの鳴き声、地底湖の水音まで。
音という音がこの小躯に襲い来る。
「……っ!」
ザッ……!
崩れそうになる脚を、なんとか地面に擦りつけて耐えた。
食いしばった歯が軋む。
あと少し。もう少し手を伸ばせば、届きそうな気がする。
このスキルの核に。
だが……掴めない。
全身の筋肉が強張り、血管が浮き出る。
滝のように汗が流れ、呼吸すらままならない。
苦しみに耐えることばかりを考えていたが、ふと、部屋の中心に、異質な「音の塊」があることに気付いた。
……いた。
クリスタルバットだ。
見えたわけじゃない。
それでも、確かにそこにいる。
こんな状況だというのに、それがたまらなく嬉しくて、思わず笑みが漏れた。
その拍子に歯がカチカチとぶつかり、小さな音を立てた。
クリスタルバットは、水晶の爪を地面に突き立てながら、ゆっくりと歩いている。
目の前の獲物に、とどめを刺すために。
まずい。
そう思っているのに、身体が動かない。
ようやくあいつを捉えたというのに…。
焦るな。集中しろ。
「…はぁ…はぁ……ふぅ………。」
呼吸を整える。
震える身体で、構えを取る。
目を瞑っていても、クリスタルバットの存在をはっきりと感じられる。
ただ、その一点へ。
すべての感覚を集中させていく。
意識が、深い海へ飲み込まれるように沈む。
気が狂いそうになる激流の中、蛍のような弱弱しい光が見えた。
これは、きっと俺の見ている幻覚だろう。
水底に揺らぐ光と洞窟に佇むクリスタルバット。
頭の中の景色と現実が、何度も何度も交錯するように重なる。
俺は震えながら手を伸ばした。
その光を掴もうとしているのか、それともクリスタルバットに対して構えを取っているのか。
…もはや自分自身でもわからなくなっていた。
「来てみろ…。」
ただ、にやりと笑って見せる。
口の中に血の味が滲んだ。
なぜだろう、自分でも本当に理解できないのだが、俺はどうしようもなく清々しい気分だった。
今、ここで死んでもいい…なんて本気で思った。
だからかもしれないが…俺はもしかしたら未知の感覚を、無意識のうちに拒絶していたのかもしれない、なんて考えが頭をよぎった。
もうどうにでもなれなんて、一笑して、全身の力を抜いていく。
荒れ狂う海へ、自ら沈んでいくように。
意識なのか身体なのか…いやその両方か。
ひどい感覚でバラバラになりそうだ。
それでも俺は、すべてを受け入れた。
ドッ…ドッ…ドッドッドッ。
クリスタルバットが迫る。
バサッ。
跳んだ。
音、振動、水晶鎧の軋み、筋肉の躍動。
そのすべてを感じる。
「は…ははは…!」
そんな感覚が愉快で、溢れ出るように笑みがこぼれた。
まともに動かないと決め込んでいた体を無理矢理に動かす。
俺はここで死ぬかもしれない。
だが、ただでは死なない。
足掻いて藻掻いて、やれるとこまでやって死ぬ。
ザッ。
受け流しを放つべく、構えをとる。
その瞬間…ギュンと視界が狭くなり、周りの音が引いていく。
何かが繋がった…そう感じた。
この世界には、俺とこいつしかいないんじゃないか。
そんな錯覚をしてしまうほどにクリスタルバットの存在を強く感じる。
集中の極致。
いわゆるゾーンというやつだろうか。
握りしめた拳がギリギリと音を立てる。
その中に…光を見た。
「っ…。」
突如。
あれほど荒ぶっていた全身の感覚が、凪いだ。
地中の軋みも。
上層から響いてくるモンスターの音も。
この空間を満たしていた無数の雑音も。
すべてが消えた。
ただ一つ…クリスタルバットの発する音だけが、俺の全身に響いている。
迫り来る爪を前に、俺は踏み込む。
…掴んだ。
ガキンッ!!!
心の中で呟いて受け流しを放つ。
正直、自分自身でも半信半疑だった。
だが、クリスタルバットの爪は俺を避け、地面へと突き刺さっている。
「…はは…ははは……!」
それを見て、笑いが込み上げてきた。
「やった!やったぞ!!!」
『見える』とも違う。
『聞こえる』とも違う。
ただ…そこにいる。
その存在を、全身で感じている。
俺はクリスタルバットに向き直り、再度構えを取った。
もう、見失うことはないだろう。