魔法少女ヨルティナ〜貴女に言えなかったこと〜 作:オーギュストめろん
「私もきっと、あなたが大好きだったんだと思います。好きです、社長。」
そう言って抱きつかれた瞬間、
ヨルティナも最初は少しだけ強張っていた腕をゆっくりと青年の背中へ回す。魔法少女の衣装越しに伝わる彼女の体温は思ったよりも少し低く、頼りなく感じられた。そんな少女に何もかもを背負わせてしまった罪悪感に勝乗は押し潰されそうになる。それでも彼女はここにいる、帰ってきてくれたのだと、涙を滲ませながらヨルティナを更に強く抱きしめた。
「……社長。」
「うん。」
「少し、苦しいです。」
「ご、ごめん……ッ」
勝乗が慌てて腕の力を緩めると、ヨルティナは顔を上げる。完全無欠のはずの魔法少女の瞳はいつもより少しだけ潤んでいて、声もわずかにうわずっていた。
「まったく、半年ぶりに帰ってきた完全無欠魔法少女ヨルティナをいきなり窒息させようとするとは、魔法少女事務所の社長としては失格ですね。」
「ごめん、少し余裕がなかったと思う。」
「少し、ですか?」
「……かなり、いや、余裕なんてまったく無かったかな。」
「正直なことは社長の長所の一つです。先ほどのことは許します。」
ヨルティナはそう言って、小さく息を吐いた。それから事務所の中を見回す。ソファの上には、畳まれていないシワシワのブランケット。机の横には空になった大量の栄養ドリンクの瓶。床には求人情報やアルバイトに関する資料が散乱していた。徐々に目を細めていくヨルティナ。あはは、と勝乗が誤魔化すように苦笑いをする。
半年前までは、こうなる前にヨルティナが片付けてくれていた。
勝乗が仕事に集中しすぎて事務所を散らかすと、ヨルティナはいつもどおりに澄ました顔をしながら、書類は本棚や机に揃え、不要なゴミは床に集めた後に、まとめて魔法で消し去っていた。燃えないはずのゴミも含まれていた気がするな、と勝乗は記憶を辿る。
掃除をしてくれた日、ヨルティナは「社長は私がいないと駄目ですね。」と言っていた。その言葉に間違いはなかったのだろう。ヨルティナがいなかった半年間、状況からして掃除どころではなかったとはいえ、結果的に事務所は随分と散らかってしまった。
少女は室内を見回し終えると、懐かしそうに目を細める。
「随分と散らかっていますね。社長はやっぱり私がいないと駄目のようです。」
責める声色ではなかった、呆れている様子でもない。気のせいかもしれないが、ヨルティナの声にはかすかな安堵が滲んでいた。自分がいなかった時間、自分がいない間に散らかってしまった場所。それらを視界に収めながら、ここに戻ってきた今を一つ一つ確かめるように言葉を紡ぐ。
勝乗はもう一度、今度はそっとヨルティナを抱きしめた。
「ごめんごめん、今回は本当に掃除をする余裕がなかったんだ。……二人でやれば、すぐに終わるよ。」
ヨルティナの肩が、小さく震えた気がした。勝乗は続ける。
「散らかったら、片付ければいい。壊れたら、直せばいい。僕がまた駄目になりそうだったら、いつものように君が叱ってほしい。その代わり、君が無理をしそうだったら、今度こそ僕が止める」
「…………社長?」
「だから、また一緒に始めてくれないか? 事務所も仕事も、これからのことも全部、一つずつ一緒に」
その言葉が終わった時、ヨルティナの周囲で淡い光がほどけていった。白と紺の魔法少女衣装が、朝焼けに溶ける星々のように薄れていく。長い金髪も光の粒になってほどけ、代わりに柔らかな茶色の髪が肩へ落ちた。瞬きほどの時間の後、そこにいたのは、完全無欠の魔法少女ヨルティナではなかった。
可愛らしい茶色の髪の少女、夜子だった。
魔法少女としてのきらびやかな姿ではなく、ヨルティナの素の姿。夜子は勝乗の胸元に顔を埋めた。先ほどの勝乗からの問いかけに対して強がるような言葉も、完璧な返答も、少女からはすぐには出てこなかった。しばらくして、囁くような小さな声がした。
「……はい、勝乗さん。」
勝乗は夜子の背中に腕を回したまま頷いた。
「おかえり、夜子」
その名前を呼ばれた瞬間、彼女の指が勝乗のシャツをきゅっと掴んだ。散らかった事務所、山積みの資料と埃を被った窓際やソファ。そして、机の片隅に置かれた2つの空っぽのマグカップ。
何もかもが、半年前より少し古びて、傷ついているように見えた。けれど、きっと変わらないものもある、変えられないものもある。
少なくとも自分はそう信じている。
◆◆◆◆◆◆◆
しばらくのあいだ、二人はそのまま抱きしめ合っていた。
言葉はなかったし、必要もなかった。半年分の空白を言葉だけで埋められるはずもなく、互いの体温と鼓動だけがお互いが確かに今ここにいることを証明してくれている。勝乗は夜子の背中に腕を回しながら、ようやく彼女が帰ってきたのだと、何度も自分に言い聞かせていた。
そして、どのくらいそうしていただろう。どちらからともなく腕の力が緩み、名残惜しさを残しながら、二人はゆっくりと離れる。
夜子はじっと勝乗の顔を見つめていた。
記憶の中のままに美しい少女だった。変身が解けたことで金髪は柔らかな茶髪に変わっていたが、その翡翠の瞳は変わらない。真っ直ぐで、底まで透き通っているようで、見つめられていると心の中まで覗き込まれているような気がしてくる不思議な瞳だ。
「……勝乗さん」
「うん?」
夜子は何かを言いたそうにしていた。しかし、その続きを紡ぐことはしない。薄く開いた唇を一度閉じ、また開きかけて、勝乗の顔を見上げる。
勝乗は首をかしげた。この子の言うことなら、何でも叶えてあげたい。そんなことを当たり前のように思っている。けれど、肝心の何を求められているのかがわからないのだ。
「……えっと、どうしたの?」
勝乗がそう尋ねると、夜子はピシリと固まった。それから深く、深くため息をつく。
「……はぁ。社長のそういうところは変わりませんね。」
「え?」
「この状況で女の子が何を求めているのかを、他ならぬ女の子自身に言わせるのは明確な失点です。本当に、分からないのですか?」
容赦のない言葉が、直球で勝乗に突き刺さった。
「あ、えっと、ごめん……?」
「その反応も失点です。いわゆる、ツーアウトというやつです。もう後がありませんね、社長?」
夜子が不満そうに目を逸らす。その頬がわずかに赤い。怒っている、おそらく少女は怒っているのだ。だが、それだけではないようだった。期待していた何かをお預けされて拗ねているような表情だ。そして、その何かを自分から言葉にするのは負けだと思っているのかもしれない。
勝乗は必死に考えを巡らせる。半年ぶりに再会し、想いを告げ合い、抱きしめ合った男女は次にどうする。
夜子はじっとこちらを見つめていた。何かを言いたそうにしていた。この状況で女の子が求めているもの。そこまで考えてようやく勝乗は気づいた。
ああ、そういうことかと察しの悪い自分自身に、勝乗は心の中で悪態をつく。昔からそうだった。ヨルティナは、ずっとわかりやすいくらいに好意を向けてくれていた。それなのに自分は気づけなかった。いや、気づかないふりをしていた。
自分には到底釣り合わない女の子だと思っていた。彼女ほど美しく、強く、才能のある魔法少女が、自分を選んでくれるはずがないと思っていたからだ。けれど、もう逃げないと決めた。
勝乗は自分の心臓の鼓動をうるさく感じながら、ゆっくりと夜子の肩に手を置いた。少女の身体が小さく震える。勝乗はそんな彼女の顔へ自分の顔を近づけた。多分、いや、きっと、これが正解であるはずだと祈る。
夜子は少しだけ目を丸くしていた。その表情は驚いているように見えたが、すぐに瞳を閉じる。少女の形の良い桜色の唇が、きゅっと結ばれた。
まったく自分はいつも、この少女に引っ張ってもらってばかりだ。そう思いながら、青年は少女の唇に――。
ピリリリッ。
事務所に、場違いな電子音が鳴り響いた。勝乗は一瞬、時間が凍りついたような気がした。それは己のスマートフォンの着信音だった。電源を切っておけばよかったと後悔しても、もう遅い。
その音に驚いたせいで、思わず少女から手を離してしまっのだ。夜子はもう既に白けたような眼差しをこちらに向けていた。
重い沈黙がそこにはあった。スマートフォンが鳴り響く中で、異様に長く感じる静けさが漂っている。夜子は小さくため息をつき、勝乗から目を逸らした。
「……まあ、いいでしょう。鈍感系ラノベ主人公の王道を行くような激ニブの社長にしては、この場で女の子の気持ちに気づいただけでも成長したといえなくもないでしょうから。」
「ご、ごめん。その節はこれまで色々と……。」
「謝罪は受け取ります。なので、次回に期待します。……これが本番なんて言いませんよね、勝乗さん?」
少女の言葉の意味を理解して、勝乗は顔が熱くなるのを感じた。
その余韻に浸りたいが、スマートフォンはまだ鳴っている。もう一度だけ夜子に謝ってから、光る画面を確認した。そして表示されている名前を見て、勝乗は少しだけ目を瞬かせる。それはアルバイト先の一つである喫茶店だった。向こうから掛かってくるのは珍しい、何の用事だろうか。そう思いながら、通話ボタンを押した。
「もしもし、宮坂です」
『あ、ようやく繋がった、宮坂くん! 彼女さんは帰ってきてるのッ!?』
電話の向こうから聞こえてきたのは、鈴の音のような女性の声。番号を確認した時点で分かってはいたが、やはり電話の主は、アルバイト先でお世話になっているエルフの店長だった。長い赤みがかった金髪と緑の瞳。落ち着いた物腰で、少し不思議な雰囲気をまとった女性だ。
彼女にはこの半年、何度も励まされてきたし、助けられてきた。なにせ「自分がアイツらの事務所に乗り込んで、彼女さんを助け出してあげる。」とまで言ってくれた人なのだ。彼女の助けがなければ、今この奇跡は起こせなかったに違いない。
「はい、帰ってきました。今は僕の事務所にいます。」
勝乗はそう言って、夜子を見る。夜子は腕を組み、少しだけ不機嫌そうにこちらを見ていた。
『……そう。本当に、本当に良かったわね。』
電話の向こうから、ひどく安心したような声が聞こえた。電話越しに伝えわってくる様子だけで、この人が自分たち2人のことをどれだけ心配してくれていたのかが分かる。
『……ああ、もう。今日はもう泣かないって決めてたのに。最近はどうも涙もろくなってるみたい。』
「店長……。」
『大丈夫よ、こっちの話。そうだ、せっかくだから今日はこっちに来なさい。彼女さんが帰ってきたお祝いにご馳走してあげるわ』
「ええっ、そんな悪いですよ!?」
『いいのいいの、遠慮はいらないから彼女さんと二人で来てね。店の子も彼女さんが帰ってきたことを聞いて喜んでるし、お昼からはお店を貸し切りにして待ってるわ。』
店長からの突然の申し出に困惑する。
むしろこちらがお礼を言わなければならない立場だろう。彼女から譲り受けた『幸運のアミュレット』は今も自分の胸元にぶら下がっている。これがなければ、きっと借金を半年で返済することなんてできなかった。そういう確信めいた思いが勝乗の胸の中にはある。
「あの、でも」
『あの、でも、じゃないの! こういう日はちゃんとお祝いするものよ。それじゃあね!』
「え、ちょっと、店長――!?」
そこで通話は途切れた。勝乗はスマートフォンを見つめたまま、しばらく固まる。即断即決、相変わらずあの人は行動が早い。ヨルティナのことを話したときも、すぐに連中の事務所に乗り込んでヨルティナを取り返すと言ってくれたような女性だ。優柔不断な自分などとは正反対にいる人だと思う。
「勝乗さん、電話の内容は何だったのですか?」
夜子の声がしたので、スマートフォンの画面を眺めていた勝乗はゆっくり顔を上げる。彼女はほんの少しだけ目を細めていた。基本的に無表情で感情が読みづらいが、これはそれなりに不機嫌なときの表情である。
さて、どう切り抜けるとしようかと考えようとしたが、実のところ彼女の機嫌を好転させるための言葉はもう用意してある。ただ、口に出すのが気恥ずかしいだけだ。こほん、と勝乗は咳払いをした後、机の上の事務所の鍵をポケットにしまい、夜子の手を取った。
「アルバイト先の店長が喫茶店を貸し切りにしてくれるんだ。せっかくだからご厚意に甘えて、お店へデートに行こう。こういう日はキチンとお祝いするものだからね。」
「……デートですか?」
少しだけ驚いたように丸くなる翡翠の瞳。
それが可愛らしくて、また抱きしめたくなる衝動を抑えながら、そっと彼女の手を引く。2人並んで事務所のドアを開け、晴れ渡る夏空の下へと歩き出す。
太陽は街の建物をまばゆく照らし、空には大きな入道雲が浮かんでいた。街路樹は青々と枝葉を茂らせ、セミの鳴き声が空気を震わせる。少女と青年の引き裂かれた長い冬が終わり、春が過ぎ、そして再会の夏が訪れた。
失った日常をこれから少しずつ取り戻していこう。
良くも悪くも、それは以前とまったく同じものではないのだろう。取りこぼしたものは返ってこない、無くしたものは無くしたままだ。だからこそ、これからは大切なものを新しく拾い集めていこうと思う。
それはきっと平坦な道のりではないだろう、そんなことは分かっている。魔物の出現はこの半年で更に増え、人々の犠牲も増え続けている。自分たちは傷ついたし、癒えない傷もあるかもしれない。それでも独りでなく、お互いが隣にいるのなら前へと進めると思うのだ。
「デート自体は大変喜ばしく思うのですが、初デートが知り合いの喫茶店というチョイスはどうなのでしょう? いえ、嫌というわけではありませんが。」
グッドエンドの、その先へ。