魔法少女ヨルティナ〜貴女に言えなかったこと〜 作:オーギュストめろん
魔獣グォルガノの消滅した日の夕暮れ時、勝乗はトワイライト事務所が入っているビルの屋上にいた。
普段はほとんど使われていない場所だ。柵と給水設備と、古びた室外機がいくつかあるだけで、屋上テラスのような洒落たベンチも植え込みもない。床はざらついた打ちっぱなしのコンクリートで、ビル風が吹くたびに隅に溜まった砂埃が吹き上がっている。
そんな人気の無い場所に、勝乗は一人で立っていた。その肩にはブラウンの色をしたスクールバッグが掛けられている。
教科書が余裕を持って収まる程度の大きさをした学生らしい形のバッグだった。持ち手には小さなリボンが結ばれており、側面にはどこかの学校の校章が入っている。
勝乗は、そのバッグへちらりと視線を落としながら、あの少女からの耳打ちを思い出す。なぜ、自分に頼んだのか。なぜ、この場所を指定したのか。分からないことばかりだが、悪意のある頼み事ではないことだけは分かった。
やがて、夜に染まっていくビルの狭間で、明るい緑色の光が跳ねた。光は隣のビルの屋上を蹴り、空中で軽く身をひねり、小柄な人影となって、トワイライト事務所のビルの屋上へ着地する。
小柄な人影、シルフィは足元の光を消すと、勝乗の前まで小走りでやってくる。そして、丁寧に頭を下げた。
「すみません。わざわざ持ってきていただいて」
「いや、僕の方こそ助けてもらったんだから、これくらいなら喜んでさせてもらうよ」
勝乗は、抱えていたスクールバッグを差し出した。
「これで合っているかな」
シルフィは、ほっとしたように目を細めた。それから、両手で大事そうにバッグを受け取る。その腕には包帯が何重にも巻かれていた。
「はい、助かりました。咄嗟に変身したので、荷物を回収するわけにもいかず……」
昼間の魔獣騒動で、シルフィが即座に駆けつけることのできた理由。それは考えてみれば単純なもので、彼女もあの場に偶然いたからである。屋上テラスで休憩していた時に、魔獣が出現したので変身したのだろう。
ただ、魔獣を倒したのはいいものの、魔法少女に変身した状態で、変身前の荷物を回収することは出来なかった。校章の入ったスクールバッグを見られれば、身バレもいいところである。
だから、彼女はあのとき、勝乗に荷物の回収を頼んだのだ。
「でも、僕にはバレても良かったのかい?」
勝乗が尋ねると、シルフィはバッグを胸元に抱えたまま、小さく頷いた。
「お兄さんはヨルティナさんの事務所の人ですから、私のことを悪いようにはしないと思いました」
やはりシルフィは、相手がトワイライト事務所の社長である宮坂勝乗だと知ったうえで頼んできたらしい。憧れの魔法少女だと語っていたヨルティナが所属する事務所の代表。その名前も、顔も、どんな人間なのかも、きっと調べていたのだろう。思ったよりも、抜け目のない子なのかもしれない。
「それは信用してくれていた、ということでいいのかな?」
「はい、もちろんです。トワイライト事務所の社長さん」
シルフィは素直に頷いた。その返事があまりに迷いなく返ってきたので、勝乗は少しだけ面食らった。
嬉しいような、落ち着かないような気分だった。ヨルティナに憧れていると言っていた少女が、自分の名前まで知っている。ありがたいことである。
シルフィはバッグの金具を外し、中をそっと確認した。教科書にノート、筆箱と薄いファイル。端の方には、包み紙に入った焼き菓子のようなものも見える。どれも普通の学生の荷物だった。
「……よかった。これから受ける授業のノートもあります」
「これから受ける? もう日は暮れそうだけど」
「あ、はい。夜間の学校に通っているんです。昼は魔法少女としての活動がありますし、夜のクラスなら、授業のレベルを異界出身の私にも合わせてくれるので」
そこで彼女は、少し照れたように笑った。昼間は魔法少女として戦い、夜は学校へ通う。そんな多忙であろう生活を異界出身である彼女は当たり前のように受け入れている。
勝乗は、包帯の巻かれたシルフィの腕へ視線を落とした。そこにあった赤黒く爛れた傷は何重もの包帯で厳重に覆われている。見えなくなったことで、かえって目を背けたくなるものがあった。
「その……腕の怪我は大丈夫?」
「病院で処置はしてもらいました。ただ、呪詛の影響で回復魔法が効きにくいらしく、完治までは時間がかかるみたいです。ひょっとしたら……後遺症も、残るかもしれません」
シルフィは包帯の巻かれた腕を見下ろしながら、言葉を続ける。
「でも、あの場にいた人たちは守れましたから」
その声に後悔は感じられなかった。そんな少女を見て、勝乗はこの子ならヨルティナの隣に立ってくれるかもしれないと思った。ヨルティナがまた無茶をしたときに、その横へ並んでくれるかもしれない。ヨルティナが一人で傷つくような場面で、その痛みを少しでも分け合ってくれるかもしれない。既に後遺症が残るかもしれない傷を負った少女に対して、それが身勝手な願いである自覚はある。
勝乗は、ポケットの中へ手を入れた。取り出したのは、一枚の名刺だった。トワイライト事務所、代表、宮坂勝乗。そう印字された、何の変哲もない名刺である。
「シルフィさん、これを受け取ってくれないかな?」
それを見たシルフィの表情がわずかに引き締まった。他の事務所の人間から、名刺を差し出されることの意味は既に知っているようだ。彼女を困らせたくはなかったが、このタイミングを逃せば、この子を勧誘するチャンスは二度とないだろう。勝乗としても、それなりに覚悟した上での行動だった。
差し出された名刺を見つめたまま、何かに悩むようにシルフィは口を開く。
「社長さんも知っているかもしれませんが、私、デビューのときに、ヨルティナさんに憧れている話をしたんです」
「うん、LIVE映像で観ていたから、いい意味で驚かされたよ」
「ありがとうございます。それで、あの後にマネージャーから少しだけ注意されたんです」
勝乗は、名刺を差し出したまま動きを止めた。
「……注意された?」
「はい。クラウン・ルミナの新人として出演する場で、他の事務所の魔法少女の名前を出すのは、あまり良くないって。憧れを口にすること自体が駄目というわけではないんです。ただ、発言の受け取られ方には気をつけるように、と」
シルフィの声は、事務所を責めるものではなかった。むしろ、自分の行動が迂闊だったのだと言い聞かせているようにも聞こえた。
「それから、トワイライト事務所との距離感に気をつけるように、とも言われました。ヨルティナさんは、薪葉原地区のビルの半壊事件を引き起こしているから、悪い意味で有名なところがあるからって」
「……そうか」
勝乗は、それ以上は何も言えなかった。
当然の話ではある。クラウン・ルミナからすれば、新人の魔法少女が他の事務所の魔法少女に憧れを公言しているのだ。あらかじめ、釘を差しておかないわけがない。
勝乗は、差し出していた名刺を少しだけ下げた。夕暮れの風が、シルフィの黒いリボンを揺らす。包帯の巻かれた腕ではなく、無事な方の手が、スクールバッグの持ち手をぎゅっと握っていた。やはり、勧誘するのは難しいか。勝乗がそう思いかけた、その時だった。
「ですが、この名刺はいただきますね」
「そうだね……って、え?」
勝乗は、思わず間の抜けた声を出した。さっきまで迷っていたはずのシルフィは、少しだけ胸を張る。それから、包帯の巻かれていない方の手を伸ばし、勝乗の名刺をそっと受け取った。それから、シルフィはいたずらっぽく笑った。
「確かにクラウン・ルミナの魔法少女でいることも、大事です。お世話になっている事務所ですし、勝手なことをして迷惑をかけるつもりは……そんなに、ありません」
名刺を持ちながら、シルフィは表の文字を丁寧に見る。
「ですが、憧れの人に近づけるかもしれない機会をみすみす見逃すつもりもありません。だから、いただきます。ヨルティナさんに繋がるかもしれない、大事な一枚として」
シルフィは胸を張って、そう言った。そんな少女に勝乗はすぐには言葉を返せなかった。しばらくしてから、ふっと勝乗は小さく笑った。昼間、魔獣と必死に戦っていた少女が、今は名刺一枚を受け取って得意げにしているのだ。その落差に、張りつめていた空気が解けた気がした。
「ありがとう。ただ、念のために言っておくけど、僕は君に今の立場を捨てて、無理にトワイライトへ来てほしいわけじゃないんだ。お世話になっている事務所を大事にしたいという気持ちも分かるからね」
名刺を受け取ってくれたことは嬉しい。けれど、彼女には所属先がある、契約もある、守らなければならない立場もある。憧れや好意だけで、軽々しく手を引いていい相手ではないのは、勝乗にも分かっている。シルフィが責任感と意志の強い少女であるならば、尚更だろう。だからこそ、ここで言葉を間違えてはいけない。
「今すぐ答えを出してほしいわけじゃないんだ。クラウン・ルミナにいる君を否定したいわけじゃない。そこにいながら、ヨルティナとも関われる形があるかもしれない。もし君が望むなら、だけど」
「……そんなに都合の良いことを望んでしまっても、いいんでしょうか?」
シルフィはそのまま黙り込んでしまう。夕暮れの光がその横顔を淡く照らしている。勝乗はすぐには答えなかった。少女の迷うような一言には、昼間の時に交わしたものよりもずっと年相応の響きがあった。事務所に迷惑をかけたくない、今の場所を大切にしたい。でも、憧れにも手を伸ばしたい。そこには、いくつもの気持ちが混ざっているように思えた。
「望むこと自体は、悪いことじゃないと思う。どう叶えるかは、きちんと大人たちも含めて考えなきゃいけない。契約も、事務所同士の話も、君の未来のこともだ。でも、君が望んでいることを我慢して、最初から無かったことにしなくていい」
包帯の巻かれていない少女の指先が、名刺の表面をそっとなぞる。やがて顔を上げたとき、新緑の瞳には迷いの色が揺らめいていた。
「勧誘がお上手ですね、社長さんは」
「こんな話をしたのは初めてだけどね。ヨルティナは自分から売り込みに来てくれたから、この手の話で自分の口がこんなに回るとは思わなかった」
勝乗が冗談めかして言うと、シルフィが小さく笑った。それから、名刺を衣装のポケットへしまい、スクールバッグを抱え直す。中身の重みを確かめるような仕草だった。
「クラウン・ルミナの魔法少女として頑張りたい気持ちは嘘ではありません。でも、ヨルティナさんと一緒に戦ってみたい気持ちも確かにあるんです」
「……そうだね。どちらも、君の本心なんだと思う」
「ありがとうございます。あ、当然ですが、この世界で私の助けを待っている人がいるなら、その人たちを助けたいという思いもあります。こうしてみると、私は欲張りな魔法少女なのかもしれません」
その言葉を聞いた瞬間、勝乗の中で何かがカチリと噛み合った気がした。欲張り、確かにそうなのかもしれない。戦うことも、学ぶことも、憧れることも、誰かを助けることも、どれか一つを選ばなければならないわけではない。
なら、自分はどうなのだろう。トワイライトに必要だと、事務所の状況に合う能力を考えていた。ヨルティナの希望に沿うようにと、条件も整えてきた。けれど、自分自身の願いを、勝乗はまだ言葉にしていなかった。
──ヨルティナに笑っていてほしい。
ふと、そんな言葉が胸の奥に落ちてきた。仲間たちと一緒に、他愛ない話をして、何でもないことで微笑んでいてほしい。戦うときだけではなく、事務所に戻ってきたあとも、誰かと同じ時間を賑やかに過ごしていてほしい。そんな未来のために、自分は新しい魔法少女を探しているのかもしれない。
どこまでも身勝手な願いだ、と勝乗は自嘲する。それでも、不思議と胸の中は少しだけ軽くなった。
「……なるほど、少しだけ分かった気がする。ありがとう、シルフィさん」
「え、えっと……どういたしまして?」
シルフィは、よく分からないまま頷く。自分が何か大事なことを言ったという自覚はなさそうで、スクールバッグを抱えたまま、不思議そうに勝乗を見ている。やがて彼女は沈みかけた空を見上げた。そこでようやく時間に気づいたのか、少しだけ慌てて、口を開く。
「そろそろ戻りますね。授業に遅れてしまうと、こっぴどく怒られてしまうので」
「そうなんだ。学校の先生も最近は厳しいね」
「いえ、叱ってくるのは……こちらの世界に来てから、お世話になっている方にです。普段は優しい方なのですが、怒ると、オーガかサイクロプスみたいに怖くなります」
シルフィは少しだけ困ったように言った。勝乗は思わず吹き出しそうになったが、何とか堪える。
「それは急いだ方がいいね」
「はい、今日はこれで失礼しますね。バッグを持ってきていただいて、本当にありがとうございました。……また、会いましょう、宮坂さん」
初めてシルフィは勝乗を名前で呼んだ。それだけのことなのに、昼間からずっと二人の間に横たわっていた距離が、近づいたように思えた。
「こちらこそ、助けてくれてありがとう。シルフィさん」
「私のことは、シルフィで大丈夫です」
「なら、また会おう。シルフィ」
勝乗がそう言うと、少女は照れたように笑った。彼女の足元に若草色の光が灯る。あっという間に、シルフィは身体強化でビルの給水塔の上へ駆け上がり、そのまま隣のビルの屋上へ向けて軽やかに跳躍する。夕暮れの空に若草色の光が細く伸びていく。その光が見えなくなるまで、勝乗は屋上に立っていた。
手元には名刺を一枚渡したあとの名刺入れがある。そして胸の奥には、さっき自分で見つけたばかりの願いが残っていた。勝乗はゆっくりと息を吐いた。事務所へ戻ろう。書き直さなければならないものがあるのだ。
屋上から事務所に下りる頃には、窓の外はすっかり日が暮れていた。室内には、積み上がった書類と使いかけのマグカップとヨルティナの使っている椅子がある。
ノートパソコンを開き、昼間まで並べていた条件を少しずつ整理していく。どれも必要な能力ではある。けれど、それを最初に掲げるべきではない気がした。
新しく文字を打ち込んでいく。誰かを守りたいという気持ち、大切な人を守りたいという気持ち、それはきっと嘘ではない。そこに、大切なあの子が、信頼できる仲間と一緒に笑っていてほしいという、身勝手な願いを少しだけ加えても許されると思うのだ。
「この願いが……どうか、僕の愛する人が未来へと進むための力になりますように」
小さく呟いてクリックする。画面に公開完了の文字が表示され、トワイライト事務所のホームページに、新しい募集広告が掲載される。勝乗は公開されたページを開いた。
【新しい仲間を募集しています】
誰かの明日を私たちと一緒に守りませんか。
あなたの大切な人のために、
どこかで助けを待っている人のために、
そして、同じ想いを持つ誰かが、
もう一人で戦い続けなくていいように。
ともに戦ってくれる仲間を募集します。
あなたの想いを私たちとともに、
人々の未来を守る力にしてみませんか。
【トワイライト魔法少女事務所 代表 宮坂勝乗】
完璧な広告なんてものからは程遠いだろう。応募が来る保証はないし、大手のように綺麗な宣伝文句でもない。それでも、昼間よりは少しだけ本当に書きたかったものに近づいた気がした。
パソコンを閉じずに、椅子の背にもたれる。これがどこかの誰かの心に響くかどうかは、まだ分からない。だが、自分の胸の内に隠れていた願いに気づき、言葉にすることはできたのだから、今回はそれで十分だと思うのだ。
ヨルティナが仲間たちと歩んでいる未来を夢見ながら、勝乗は窓から差し込む月の光を見上げていた。
最後のイラストは、ほんの少しだけ未来の一幕。
物語は一応、純愛モノとして進めてますが、ヨルティナちゃんには友だちも手に入れて欲しい次第です。
なお、ヨルティナちゃんの後ろ姿がよく分からないので、イラスト内のデザインの細部についてはご容赦ください。