魔法少女ヨルティナ〜貴女に言えなかったこと〜 作:オーギュストめろん
街は今日も喧騒に包まれていた。
魔獣が出たわけではないらしいが、魔法災害か魔法を使える者同士の喧嘩でもあったのだろう。街全体にはどこか落ち着かない空気が漂っている。通りを行き交う人々の一部は、立ち止まってはスマートフォンの画面を確認している。
「また爆発だって」
「魔法災害かな? それとも魔法使い同士の喧嘩?」
「魔法使い同士の喧嘩らしいよ。ビルの一部が吹き飛んで大炎上してるとか」
「魔法少女、まだ誰も現場に来ていないらしいよ」
「珍しいね。いつもなら誰かがすぐに駆けつけて配信を始めるのにさ」
そんな会話が、すれ違いざまに耳へ入る。
遠方からは消防車のサイレンが響き、続いて救急車の音も重なっていく。赤色灯を回した車両が、ひっきりなしに大通りを駆け抜けていた。現場には、まだ魔法少女が到着していないらしい。遅れているのだろうか、珍しいこともある。
手をつないだまま、2人は夏の街を歩いていた。少女からは、ほのかに石鹸の香りがした。強い日差しと熱気の中にあっても、汗の気配はない。涼やかな横顔も透明感のある翡翠の瞳も、まるで真夏の喧騒とは切り離された存在のように見える。
しかし、彼女は作り物ではないし、氷細工でもない。勝乗と同じように、この暑い街を歩く一人の人間である。
「私としたことが、迂闊でした。日焼け止めを塗るべきでしたね、この日差しの中では日傘も必要です」
ぽつりと、夜子が口にした。
手のひらで日差しを遮るようにして、空を見上げる。氷のようだと評されるその美貌も、当然ながら物理的に氷でできているわけではない。紫外線がお肌の天敵だというのは彼女にとっても例外ではないのだ。
事務所に日傘と日焼け止めを常備しておくべきだった、勝乗は真剣にそう考える。アスファルトは熱を帯び、反射光だけでも肌を焼きそうなほどだった。深緑の葉を伸ばした街路樹だけがこの暑さの中、平気そうな顔でさわさわと枝を揺らしている。
せめてもの配慮として、勝乗は歩く位置をわずかに調整する。夜子が少しでも街路樹の影に入れるようにと。
些細な小さな行動だ、それでも何もしないよりは良いだろう。夜子は何も言わなかったが、その口元がごくわずかに緩んだように見えた。喫茶店まではあと少しだった。角を曲がれば、エルフの店長が営む店の看板が見えてくる。
しかし、その手前で夜子がふいに足を止めた。
「勝乗さん、少しよろしいですか?」
「どうしたんだい。あれ、そっちは店の方向じゃ……?」
夜子は手をつないだまま、表通りから外れた人気のない路地へと進んでいく。勝乗は小さく首をかしげた。どうしたのだろうか。この先に特別な用件があるようには思えない。日焼け止めや日傘を売っているような場所ではないし、店がすぐそこなのに路地の日陰で涼みたいというわけでもないだろう。
建物と建物の隙間にある、何の変哲もない通路。薄暗く、ぬるい空気が漂う人通りもないところで2人は立ち止まった。
夜子は壁を背にし、勝乗を自分の側へと引き寄せる。そして静かに勝乗の瞳を見つめた。翡翠の瞳は静かに澄み切っており、内面までも見透かされているような錯覚を覚える。
「……夜子?」
勝乗の心臓が、一拍遅れて大きく跳ねた。もしかすると、そういうことなのだろうか。ここで、先ほど中断された件の続きを行うということだろうかと動揺する。
スマートフォンに遮られたとき、夜子は「次回に期待します」と言っていたはずだ。そして今、彼女は人気のない路地へと自分を誘導した。もしそうであるならば、自分から応じるべきだろう。
男を見せろ、と勝乗は自分を叱咤して覚悟を決める。今度こそ、鈍感だとは言わせるべきではない。勝乗はそっと夜子の頬へ手を伸ばした。
その瞬間だった。
「……変身」
短い言葉とともに、淡い光が夜子を包み込む。茶色の髪が光の粒へとほどけ、煌めく金髪へと変化していき、黒と灰色のチェック柄のワンピースは白と紺を基調とした魔法少女の衣装へと変わっていく。
瞬きほどの時間の後、そこに立っていたのは魔法少女へと姿を変えたヨルティナであった。そして、少女は呆れたような視線を勝乗へ向けていた。
「社長」
「は、はい……ッ!」
「つい先ほど私はムードを大切にするべきだと伝えたはずですが、まさかこんな薄暗い路地裏で私と口づけを交わすつもりだったのですか?」
冷ややかな視線が勝乗を射抜く。その眼差しを向けられると背中にじわりと汗が滲むのを感じた。これは暑さのせいではない。この様子から察するに、自分の行動はヨルティナの意図から盛大に外れてしまっていたらしい。なにが「男を見せろ」だ、見当違いも甚だしいと勝乗は己に毒づいた。
「どうやら、社長には女の子の気持ちを察する力を培っていただく必要性がありそうですね。ええ、心配しないでください。一流のエスコートができるまで、このヨルティナがしっかりとサポートしますので」
恋愛経験が乏しい己にはとても心強い提案ではある。
勝乗はそう思ったが、口には出さない。これは迂闊に全肯定すると、社長秘書と化したヨルティナから容赦のない指導を受ける可能性があるからだ。ヨルティナは腕を組み、理路整然と続ける。
「今、向かう店のエルフは私の、魔法少女ヨルティナの素の姿を知っている相手ではないのでしょう? なら、夜子ではなく、この姿で無事を知らせるべきだと判断しました。だからこその変身だったのですが」
「ああ、そういうことだったのか。確かに君の言うとおりだ、ヨルティナ」
分かりやすい理由である。
路地に入ったのも、勝乗を自分の傍に引き寄せたのも、変身の瞬間を他者に見られないためだったのだ。確かに店長に彼女の無事を伝えるという目的においては、魔法少女の姿で店を訪れるのが最も合理的だろう。なにせ店長もヨルティナの素の姿は知らないのだから。
「それはさておき、さっそくですが、社長には女の子とキスをするために必要なムードに関してのレポートを提出してもらいます。場所、時間などのシチュエーション、デートの中での理想的なタイミング等をまとめてください。期限は3日後までとします」
「…………うん?」
「5000字程度で構いません。あ、当然ですが、デートやキスで想定する相手は私、この彼女にしたいランキングナンバーワンの魔法少女ヨルティナとするのをお忘れなく」
「わ、わかりました……」
「悪くない返事ですね。良いレポートを期待しています」
ヨルティナは軽く髪を払うと、表通りへと歩き出した。突然のレポート課題をどうしようかという悩みを振り払うように、勝乗もその後に続く。
キラキラとした金髪が日の光に輝く、ヨルティナはただ歩いているだけで周りの注目を集めていた。夜子の姿でもまばゆいくらいの美少女だが、変身後のヨルティナはどんなアイドルにだって勝てるだろう美しさがある。
母親に連れられていた小さな女の子が目を輝かせて、ひらひらとヨルティナへと手を振る。すると、輝くような魔法少女はそれに応じて手を振り返していた。
勝乗はそんなヨルティナの隣をマネージャーのような距離感で歩いている。事務所を出るときはデートだと言ったものの、今は手をつないでいない。
基本的に魔法少女はアイドル業でもあるのだ。色恋沙汰とは無縁であったほうがいいし、その有無が人気に直結するのは多くの先達たちが証明してきた道である。当たり前の話ではあるのだが、誰でも推しのアイドルに男の影は見たくないのである。
そんなことを考えていると、隣を歩いていたヨルティナが「ふむ」と何かを考えるように自分の口元に白い指先を当てた。
「……そういえば、そのエルフの方には私が社長の元に帰ってくることを告げていたのですか? 電話のタイミングがあまりにも最悪極まりない、もとい……ぴったりでしたが」
「いや、そんなことはしてないよ。借金を返済しても君が解放されないなら、すぐにでも頼ろうと思っていたけど、まだ何も伝えて無かった」
「なら、どうやって私の帰還を知ったのでしょう?」
それは確かにそうだ。
今日も今日とて、色々とあったので細かなことを気にする余裕がなかったが、ヨルティナの疑問はもっともだった。ただ、店長が異界では伝説的な大魔法使いだったという話を聞いたことがあるので、店長が近未来を予知するような魔法でヨルティナの帰還を知ったのだとしても不思議ではない。
しかし、未来予知ができるなら、ヨルティナのことを確認するための電話をしてくるだろうか。
「うーん、どうなんだろ。店に着いてから本人に尋ねてみてもいいかもしれないな」
「私は別にどちらでも構いません。むしろ、本人に問いただすよりも事務所内に盗聴器の類いがないかを疑うべきところではないかと思いますが、社長」
これも至極当然の指摘である。
しかし、あの店長がわざわざ弱小事務所に盗聴器を仕込むことはないだろうと勝乗は思う。この半年間、事務所は勝乗が寝泊まりするくらいにしか利用していないのだ。盗聴したところで、聴こえるのは男のイビキくらいなのだから、恐ろしいくらいに無価値である。そこまで考えて、勝乗はこの思考を無駄なものだと終わらせ、そのまま話題を別のものへと切り替えようとする。
「まあ、何かの偶然じゃないかな。それよりも店に着いたら、何を頼むかを今から考えておいてもいいかもしれないね」
「そうですね、あり得るかどうかも分からない可能性を検証するよりも、そのほうが有意義かもしれません。ただし、あとで盗聴器発見器の構造を解析して、魔法で再現できないかだけ試します」
「あはは……。えーと、喫茶店なんだけど季節限定のパフェを今やってるんだ。白桃とラズベリーのやつだったかな。上にバニラアイス、下には紅茶のクランブルが入ってたはずだ」
「それは要チェックですね。とても良いと思います」
角を曲がると、勝乗にとっては見慣れた喫茶店の看板が視界に入った。大通りの喧騒から、ほんのわずかに外れたその場所に店は静かに佇んでいる。
レンガ調の外壁には深い緑の蔦が絡みつき、真夏の陽光を受けて葉の一枚一枚がきらめいていた。蔦や葉は風が吹くたびに、さわさわと小さな音を立てる。熱を帯びた道路のアスファルトとは対照的に、その一角だけは木陰の奥へと足を踏み入れたかのような涼しげな気配に包まれていた。
店先には、色とりどりの鉢植えが整然と並べられている。白や淡い紫の花が咲き誇り、丸い鉢の水面には薄桃色のスイレンが浮かんでいる。
七月の陽光が振り注ぎ、水面の小さな葉が光と共にゆらゆらと揺れている。街の熱気も、相変わらず鳴り響く遠いサイレンの音も、その鉢の中には届かないかのようだった
「初デートの場所としては、悪くない雰囲気ですね。彼氏の女性の知り合いが経営しているという点を除けばですが」
「あ、はは……。そこは目を瞑ってもらえると嬉しいかな」
ドアには硝子細工のような透明感を持つ花飾りが吊るされていた。淡い桃色と白の花弁が吹く風に合わせてかすかに光を反射している。これは数日前のアルバイトのときには無かったはずだ。ひょっとしたら、今日から始めた夏季限定の装飾なのかもしれない。そこには店長らしい細やかな配慮が感じられた。
窓越しに店内を覗くと、エルフの店長がカウンターの奥で作業をしているのが見えた。いつもと変わらぬ落ち着いた所作、長い金髪が店内の柔らかな照明を受けて淡く輝いている。
その変わらない光景に、勝乗は自然と安堵の息を漏らしていた。隣に視線を向けるとヨルティナは店の扉を見つめていた。
「行こうか」
勝乗がそう告げると、ヨルティナは一拍置いてから静かに頷いた。
「そうですね」
2人で扉へと手を伸ばし、お互いの指先がドアの取っ手に触れる。陽に温められた外側とは異なり、そこにはわずかな冷たさがあった。扉に吊るされたスイレンの飾りが小さく揺れる。
カランコロン、と涼やかなベルの音が鳴った。七月の熱気を背に扉が開く。中から流れ出したのは、冷房の涼しさと紅茶の香り、そして焼き菓子の甘い匂いだった。一歩、店内へと足を踏み入れると、外の喧騒がわずかに遠のいたように感じられた。
次話ではオリキャラを出す予定。
原作は動かせる人物が少ないですからね。