魔法少女ヨルティナ〜貴女に言えなかったこと〜 作:オーギュストめろん
カランコロン、と喫茶店の扉に吊るされた真鍮製の鈴が鳴った。
扉を開けた瞬間、冷房の効いた空気が肌を撫でる。夏の日差しに焼かれていた頬や首元が、すっと冷えていくようだ。
店内は、レトロな喫茶店の落ち着きと、都会的な洗練がほどよく混ざり合っていた。天井から吊るされた照明は柔らかな光を店内に落とし、深い色の木製テーブル、磨かれたカウンターを艶めかせる。
そして、珈琲の香りと焼き菓子の匂いが、先ほどまで歩いていた騒がしい街の熱気を、扉一枚隔てた向こう側へ押し戻してくれているようだった。
「よく来たわね。二人とも、いらっしゃい!」
店の奥から、明るい声が飛んできた。
長い赤みがかった金髪と緑色の瞳、人間よりも長く尖った耳が特徴的なエルフの女性。勝乗がこの半年の間に何度もお世話になってきた人が、満面の笑みで二人を出迎えてくれた。
約束したとおり、店の扉には「CLOSED」の札が吊るしてある。店内に他の客の姿はない。いつもなら常連らしき亜人の客がそれなりに入っている時間帯だが、今日は本当に貸し切りらしい。改めて、申し訳なさとありがたさが同時に胸へ込み上げてくるのを感じた。
「……あれ?」
ゆらりと、喫茶店には似つかわしくない匂いが鼻をかすめる。珈琲豆の香ばしさとは少し違う、もっと鋭く、乾いた匂いだった。
「店長、少し焦げ臭くないですか?」
勝乗がそう言うと、店長は一度だけ瞬きをした。そして、美しい赤みがかった金髪を指先で摘まむ。
「んー、ついさっき、ちょっとだけ髪を焦がしちゃったのよ。火力が強すぎたかしら。気にしなくていいわ」
言われて見れば、店長の長い髪の端がほんのわずかに縮れている。赤みがかった金髪の先が、焦げて小さく巻いていた。料理で焦がしたのだろうか。店長はしっかり者で、料理も菓子作りも上手い。火加減を間違えるような人ではなかったはずだが、珍しいこともあるものだとだけ考えて、勝乗はこの話題を終わらせる。
一方で、隣にいるヨルティナは訝しげな眼差しで店長を見ていた。その髪先、服の袖、指先から何かを読み取ろうとするように、淡々と観察し、そして何も言わずに視線を反らした。
「ほら、こっちよ。今日は中央のテーブルを使ってちょうだい。せっかくのお祝いなんだから、狭い位置の席に詰める必要なんてないわ」
店長は笑顔のまま、二人を店の中央の席へ案内した。
客がいないため、店内は静かなものだ。聞こえるのは、外からかすかに届く車の音や人の声。それから、天井近くに吊るされた小さなテレビから流れてくるニュースの音くらいだった。
『先ほど、オー……事務所……、爆発事故が……生存……は……絶望的で……』
ピッ、ピッ、ピッ、と店長が無言でリモコンを操作し、テレビの音量を下げた。
「最近は物騒ね。さあ、二人とも座って座って。今日はたくさん食べていきなさいね」
なにか気になるニュースだったような気がするが、店長がそう言うなら、今は気にしないでおこう。今日はヨルティナが帰ってきてくれたことを祝う日なのだ。爆発事故のニュースよりも、目の前にいる彼女のことを優先するべきだろう。
そう考えながら勝乗は案内された席に座り、ヨルティナは座る前に、テレビを一瞥した。ほんの一瞬、その眉がわずかに動く。勝乗でさえ気づかないくらいの変化だった。
「さて、注文を聞こうかしら。今日はお祝いだから、遠慮はいらないわよ。食事も甘いものも、好きなだけどうぞ」
「……本当にいいんですか?」
「いいのよ。宮坂くんはこの数カ月、うちで働き詰めだったんだから。今日くらい、私に格好をつけさせなさい」
「ありがとうございます、店長」
既にヨルティナはメニューを真剣に眺めていた。表情一つ動かさずにメニューを読み込み、やがて指先を一つの項目に置く。
「私はナポリタンをお願いします」
「ナポリタンね、承ったわ」
オーダーをメモしながら、店長が頷く。
勝乗はその注文を聞いて、事務所が普段通りに回っていた頃のことを思い出していた。二人で別の喫茶店に入ったときのことだ。その時も、ヨルティナはナポリタンを注文していた。そして、記憶に残っているのは、ナポリタンに入っていたピーマンを一つ残らず皿の端へ追いやっていた完璧(自称)魔法少女の姿である。
玉ねぎやソーセージは普通に食べるのに、ピーマンだけは一切口にしない。完璧な魔法少女を名乗る彼女が、正確無比なフォーク捌きで緑色の破片だけを選り分けていく姿が妙にシュールで記憶に残っている。
勝乗は店長に少し身を寄せ、小声で耳打ちした。
「店長、ナポリタンなんですけど、できればピーマン抜きでお願いできますか?」
店長は一瞬だけ目を丸くし、それから楽しそうにウインクする。
「なるほどね、任せなさい」
「あと、僕はオムライスでお願いします」
「ナポリタンとオムライスね。少し待っていてちょうだい」
店長は軽やかな足取りで厨房へ向かった。
それからしばらくして、料理が運ばれてきた。ヨルティナの前には、湯気を立てるナポリタン。赤いソースをまとった麺にソーセージと玉ねぎが絡み合い、粉チーズが雪のようにふりかけられている。だが、あの野菜は入っていない。
ヨルティナはそれに気づいたらしい。フォークを手に取る前に、料理をじっと見つめる。
「……このナポリタン、ピーマンがありませんが、社長がそのように手配してくれたのですか?」
「好き嫌いは望ましくないけど、今日くらいは好きなものだけを食べてもいいと思うんだ」
勝乗がそう答えると、ヨルティナは少しだけ目を細める。
「私は、別にピーマンを食べられないわけではありません。敢えて食べないだけです。数多くの野菜が栽培されている現代において、あのナス科トウガラシ科の苦味と青臭さが同居する果実をわざわざ口にする必要性は皆無です」
「うん、そうかもしれないね」
「必要であれば食べます、魔法少女ヨルティナは完全無欠ですので」
「そうだね、君は頑張り屋だから」
「ですが……」
ヨルティナはフォークを持ち、ナポリタンを一口分だけくるりと巻いた。
「社長が言うとおり、今日くらいは無理をして食べる必要はないと私も思います」
そう言って、ヨルティナはナポリタンを口に運んだ。もぐもぐと満足そうに食べる少女の様子を見守ってから、勝乗は自分のオムライスを一口食べる。
ふわりとした卵に、優しい酸味のケチャップライス。派手さはないが、安心できる味だった。ヨルティナがいなくなってから、食事をゆっくりとる暇も気力も無かった。食事に味を感じたのは随分と久しぶりだ。ほっとため息をつく。
しばらくのあいだ、2人は食事を楽しんだ。
会話は取り留めのないものだった。勝乗が博物館のアルバイトをして、魔法少女の歴史に詳しくなったこと。ゴミ分別のアルバイトでゴブリン達と仲良くなったこと。そして、この喫茶店で働いて、亜人の知り合いが何人かできたこと。どれも本当に他愛もない話である。
ヨルティナは淡々と聞いていたが、口元にはわずかな笑みがあった。勝乗はその表情を見て、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
食事を終える頃、店長がカウンターの向こうでニヤニヤしているのに勝乗は気づいた。あの顔は、何かを企んでいる時の顔だ。
この店で数カ月も働いてきたのだ、それくらいは分かるようになっていた。
「それじゃ、残すはデザートなんだけどね。デザートは宮坂くんに作ってもらおうかしら」
「ええっ、僕がですか!?」
「社長がですか」
思わず声を上げてしまう。予想していなかった状況に、ヨルティナも少しだけ眉を動かす。
「そうよ。材料とレシピは厨房に用意してあるし、分からないことがあれば、厨房にいる子に聞いてくれていいからね。初デートなんだから、これもいい記念になるでしょ。彼女さんのために頑張りなさい」
「いや、でも、僕はアルバイトで入っていたとはいえ、主にホールと片付けで、パフェ作りはやったことが……」
「大丈夫よ。料理は初心者だろうけど、宮坂くんは器用だもの。彼女さんのためとなれば、ちゃんと作れるわ」
「その信頼はありがたいですけど、なんだか逃げ道を塞がれている気が……」
「ご明察ね、塞いでいるのよ」
店長はにっこりと微笑む、あれは有無を言わせない表情だ。その間にヨルティナはメニューのデザート欄をゆっくりと吟味していた。そして、翡翠の瞳がある一点で止まる。
「あ、社長。私の注文はこの季節限定の『スーパー・ウルトラ白桃マウンテン・ラズベリー大噴火パフェ』でお願いします」
「なにそれ知らない」
「メニューに書いてありますが?」
「本当に書いてある……。前回のアルバイトのときには無かったはず、ひょっとして今日から追加されたのか……?」
勝乗は口元を引きつらせた。
名前が長い、長すぎる。名前からして、明らかに初心者が作れるデカさではない気がする。いや、盛り付ける作業がメインのパフェ作りに難易度の違いがどの程度あるのかは分からないが。
「だそうよ、宮坂くん。その、えーと、なんだっけ……なんとかパフェを気合い入れて作りなさい」
「いや、店長もパフェの名前を覚えてないんですか?」
「だって店の子が考えたやつだし、長い名前はちょっとね。ほら、覚悟を決めて厨房へ行った行った」
店長はそう言って、勝乗の背中をべしっと叩いた。小柄な身体なのに思ったより力が強い。
「さっきも言ったけど、ちゃんと教えてくれる子を待機させているから何とかなるわ」
「社長、初デートで恋人に作ってもらうデザートとして、記念性が高そうなものを選んだつもりです。パフェの形が多少崩れていても、私は寛大に受け止めますのでご安心を」
「そこは形が崩れる前提なんだね……」
やれやれとシャツの袖をまくりながら厨房へ向かう。
店長はホールに残るらしい。ひらひらと手を振って、自分を見送ったあと、さっそくヨルティナと会話を始めていた。
足を踏み入れた厨房はひんやりとしたホールとは少し違う、調理の熱の籠もった空気が漂っている。ステンレスの調理台には整然と料理器具が置かれており、業務用の冷蔵庫やオーブンが壁際に整列していた。そして、そんな厨房の奥で小柄な人影が揺れる。ウェイトレスの制服を着た黒髪の少女が、こちらに気づいてぺこりと頭を下げた。
「こ、こんにちは、宮坂さん……」
「あ、斉藤さん。こんにちは」
少女の名前は斉藤、下の名前は知らない。
この店で雇われている物静かな少女である。自分がこの喫茶店でアルバイトを始めた頃には、彼女は既にここで働いていたので立場としては先輩にあたる。
ただ、年齢は十五歳くらいらしく、年上の自分から「先輩」と呼ばれることを断固として拒んだため、お互いに「さん」付けで呼び合う形に落ち着いている。
「斉藤さん、さっそくなんだけど、季節限定の『スーパー・ウルトラ白桃マウンテン・ラズベリー大噴火パフェ』の作り方を教えてくれないかな?」
「……分かりました。レシピを、用意します、ので」
黒髪の少女は消え去りそうな声でそう答えると、テキパキと冷蔵庫や棚から材料を取り出す。
白桃、ラズベリーソース、紅茶ゼリー、バニラアイス、ホイップクリームにグラノーラと。名前の強烈な派手さに反して、材料は意外とスタンダードらしい。少女はそれらを調理台の上に順番に並べ、同時に器具も揃えていく。
その手際の良さに感心しながら、勝乗は少女の腕が包帯だらけなことに気がついた。よく見ると、制服のスカートから見える脚にも包帯が巻かれている。
「その傷は、……いや、えっと、助かるよ。いきなりパフェを作るように振られて、正直どうしようかと思ってたんだ」
「……店長は、思いついたらすぐにやりますからね。これ、レシピです」
レシピを記した紙を少女は手渡してくれる。
どの順番で器に材料を重ねるか、白桃をどう切るか、ラズベリーソースをどの程度垂らすか、などが几帳面な字で細かく書かれていた。恐らくは店長のものではなく、この少女の個人的なメモなのだろう。これがあれば、どうにかなりそうだ。レシピに指示されるままに材料を器に盛り付けていく。
「……ホイップは、もう少し内側から、です」
「こう?」
「……はい。外へ広げると、崩れます」
「なるほど」
「……桃は、花みたいに並べると綺麗です」
「花みたいに、こうかな」
初めてなのだから不格好でも仕方ない、それでも雑にはしたくなかった。斉藤はそんな自分を横で見守りながら、ときどき小さな声で助言をくれる。この少女との会話のキャッチボールとしては、過去最長記録かもしれない。
そして、ようやくパフェが形になってきた頃だった。少女が消え去りそうな声でパフェの作り方以外を口にする。
「良かった、ですね。彼女さんが帰ってきて……」
「ありがとう、この半年で出会った人たちのおかげかな」
「無事……で本当に、良かったです」
「ぶ……じ……?」
手が、止まりかけた。何もおかしくない、はずの言葉だ。ヨルティナが『無事』で良かったと言われただけだ。それなのに冷や汗があふれ出して背中を伝っていく、喉がカラカラに渇いていく。息が荒くなり、心臓の音がやけに煩くなったのを感じた。
──本当に、無事だったのか?
──答えなんて、お前はとっくに知っているはずだろう?
──気づかないふりをしているだけだ
少女に対して、うまく返答ができない。
ヨルティナと再会して、彼女と一緒にいる間だけはそのことを考えずに済んでいた。あまりにもヨルティナが半年前と変わっていなかったからだ。いや、本当に変わっていなかったのだろうか、何か違和感は無かっただろうかと、勝乗は頭に鈍い痛みを覚えた。
違う、今、考えるべきはそのことではない。今はとりあえず斉藤の言葉に何らかの返答をしなければならない。脳を再起動させ、どうにか無難な言葉を選んで唇から絞り出す。
「そうだね。本当に、よかったと思う」
「……店長も、ずっと、心配していました。私も、ご事情を、詳しく知りませんが、少しだけ」
「ありがとう、斉藤さん」
斉藤はそれっきり視線を逸らす。
その拍子に包帯の巻かれた少女の手首が勝乗の目に入った。やはり気になる。店長の焦げた髪もそうだが、まさか店で何かあったのだろうか。少し迷ったが、ヨルティナのことから話題を遠ざけるためにも尋ねてみることにした。
「ところで、その怪我はどうしたのかな?」
「……階段から、落ちました」
「か、階段から落ちたの?」
「……はい。ニュースで報道されているビルの、爆発事故が、あった時です。ここまで少し音が聞こえたので、それに驚いて、脚を、踏み外しました。トレイに、ガラスのコップや、食器を、乗せてたので、それで色々な、ところに怪我を……」
ずいぶん派手に落ちたらしい。
どんな落ち方をすれば、ここまで包帯だらけになるのかと思ったが、ガラスやナイフ類がトレイに乗っていたならまだ納得できる。というより、下手をすれば死んでいたのではないだろうか。首にも包帯がグルグルに巻かれている。
「斉藤さんが大事に至らなくて良かったよ……あれ? 店長が回復魔法を使えたような気がするけど、店長はそのときにお店にいなかったの?」
「……えっと、店長はそのとき、お店に、いなかった、です。帰って、来られてからも、魔力を消耗して、いるみたいで、回復魔法を、お願い、するわけ、には……」
ニュースのビルは『あの連中』の本拠だ。ヨルティナとの食事中にもテレビに映っていたのを確認したから間違いない。ビルが爆発したタイミングで店を留守にしていたのだとすると、火災の原因はひょっとしたら『そういうこと』なのかもしれない。それなら、店長がヨルティナの帰還をさ知っていたことにも繋がる。なにせ事務所の人間を直接締め上げればいいのだから。
いずれにせよ、推測でしかないかと、勝乗はそんな思考を一旦中断する。ようやくパフェが完成したからだ。
「よし、こんな感じかな?」
「……素敵です。スーパー・ウルトラ白桃マウンテン・ラズベリー大噴火パフェ、完成、です」
これでもかと白桃やクリームを搭載した巨大戦艦のようなパフェ。
自分で作っておいてアレだが、これをヨルティナは一人で食べる気なのだろうか。流石に彼女の胃が心配なので、シェアも考えたほうがよさそうである。
あと、メニューを見ることもなく、新作パフェの長ったらしい名前をすらすらと読み上げたあたり、このパフェの考案者は斉藤なのかもしれない。大人しそうな雰囲気に反して、大食いなのだろうか。
「さて、どうにか完成したことだし、すぐに運んでしまおうかな。よいしょっ、と……」
そう言って、慣れた手つきでパフェをトレイに乗せた。そして、そのまま厨房を出ようとした時、ホールから店長とヨルティナの話し声が聞こえた。自分がパフェを作っている間に二人で談笑していたらしい。基本的に勝乗以外とは交流をしたがらない、ヨルティナにしては珍しいことだった。会話中だからといって、足を止めるつもりはなかった、盗み聞きのような真似はしたくないからだ。
だが、次に聞こえた店長の言葉が、勝乗の足をその場に縫い止めた。
「……ごめんなさい、私にはあなたの身体を元に戻す手段が見当も付かないわ。単純な回復魔法でどうにかできる状態じゃない、もう奴らの都合のよいように変質してしまってる」
ギシリと指がトレイの端を強く握った。
何の話だろうかと、分かりきった疑問を自分の心のなかで反芻する。元に戻す、回復魔法、変質、そのどれもが何を意味するのかは明らかだった。その言葉が冷たい針のように胸へと突き刺さる。
トレイを持っていない手で白くなるほど拳を握りしめる。トレイがわずかに揺れた。妙な気配を感じ取ったのか、厨房から斉藤もこそこそと顔を出してきた。
「ドール化薬も、厄介ね。取り除き方が分からないわ。この手の薬は元々は戦場で使い捨ての兵士用に使用される前提のものだから、解除方法なんて二の次に開発されてるのよ」
「そう、ですか、分かりました。なら、いくつかの医療機関を当たってみます。元よりそのつもりでした」
沈んだようなヨルティナの声。
都合の良い幻想は簡単に砕け散っていた。半年間、彼女を移籍させていたあの事務所。表向きは魔法少女事務所を名乗りながら、裏では魔法少女たちをそのように消費していた連中。
オーク事務所、その名を思い浮かべた瞬間、勝乗は胃の奥が焼け爛れるような激情に満たされる。連中に対する怒りと自分の不甲斐なさに対する怒りだ。
エルフの店長はポケットから1枚のメモを取り出す。そこには、誰かの住所と電話番号が記されている。
「……ねぇ、私の友人を頼ってみる気はないかしら。この手のことに詳しい奴に一人だけ心当たりがあるの。この世界のお粗末な魔法医療に頼るくらいなら、その方が可能性はあると思う」
「魔法少女とエルフには強い繋がりがあります。そのエルフにも私の身体を治せないなら、一個人にどうにかできるとは思えませんが」
「私にはあなたの身体を元に戻す手段なんて見当も付かない。けれど、アイツならあなたが宮坂くんと一緒に、人並みの幸せを築ける程度にはできるかもしれないわ」
「……人並みの、幸せですか」
その言葉を受けたヨルティナは、テーブルに視線を落とす。
喫茶店の柔らかな照明が少女の金髪を淡く照らしている。衣装に乱れはなく、背筋を伸ばして座り、指先は膝の上で静かに揃えられている。口さえ開かなければ、人形のような整った佇まいを感じさせるのは、いつもの彼女と変わらない。けれど、その沈黙は普段の彼女からは考えられないくらい長かった。
店長は急かさなかった。ただ、向かいの席から静かにヨルティナを見つめている。人並みの幸せ、その言葉が、今の少女にとってどれほど近くて遠いものなのか、店長は理解している。ヨルティナは、ほんのわずかに指先を握り込んだ。何かに堪えるように、顔を上げる。
「……このヨルティナが一緒にいるのですから、あの人は必ず幸せにします。人並み程度ではなく、誰よりも幸せになってもらうつもりです。なので、申し出はありがたく受け取りますが、私はそれだけでは満足しません。……そうでないと、こんな私を選んでくれたあの人に報いることができませんから」
それは、きっと勝乗が言うべき言葉だ。
君を、ヨルティナを、夜子を幸せにすると、自分が言うべきだった台詞だ。それを彼女は迷わずそう言った。よりにもよって、深く傷ついた彼女の方が自分と一緒にいる相手を、自分が幸せにするのだと言葉にした。
「……くそ、こんなの、永遠に叶わないじゃないか」
だらしなく溢れ出した涙が頬を伝う。
きっとヨルティナは強がっているだけだ、気丈に振る舞っているだけなのだ。そんなことは分かってる、分かってるのに、勝乗はその場で涙を流しながら立ち尽くすしかできなかった。
そんな勝乗へと、隣にいた斉藤が小さな声で呟く。
「……本当に、眩しい方ですね」
「ああ、……ああ、本当に僕にとって最高の魔法少女だよ」
その強さに今度こそ甘えてはいけないのだと、勝乗は血が滲むことも無視して拳を握りしめた。涙を乱暴に拭い、もう一度厨房まで戻ってから、ホールへ向けて歩き出す。わざと足音を少しだけ大きくして、「ヨルティナは喜んでくれるかな?」とわざとらしく呟きながら、ヨルティナと店長に己の接近を知らせる。
2人は会話を中断して、勝乗へと振り返る。
「来たわね、宮坂くん。パフェは無事に完成したかしら?」
「社長、デートなのですから、スプーンで一口ずつ私の口に運んでください」
「この量を、一口ずつ……いいよ、ヨルティナがやってほしいなら、喜んで」
何も聞かなかった顔で、何も知らない様子で、勝乗は彼女の元へと戻っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「本当にあなたたち、見ていて飽きないわねー」
店長はそう言って、口元を柔らかく綻ばせた。テーブルでは、勝乗がヨルティナにパフェを食べさせている。少女は当然の権利であるかのように、すっと口を開けては、勝乗にスプーンで白桃やアイスを運んでもらっている。その表情はどこか満足げで、ほんのわずかに少女らしい甘えが滲んでいるように見えた。
しばらくその様子を興味深く眺めることにする。
勝乗がスプーンを傾け過ぎて、クリームを少し落としそうになれば、ヨルティナが「社長、角度が甘いです」と淡々と指導している。2人はそうやって甘いような、それでもないようなやり取りを繰り返していた。
そんなやり取りをする二人を置いて、店長は軽く手を振ってホールから去っていこうとする。
「さて、これ以上は胸焼けしそうね。それじゃあ、お二人さんごゆっくり」
ニヤニヤした笑みをわざと隠さないまま、二人にそう告げた。
「え、店長?」
「私は少し用事があるの。あとは恋人同士で楽しみなさいな。初デートなんだから、おじゃま虫はこのあたりで退散するわ」
「こ、恋人同士……」
「社長、なぜそこで照れるのですか。事実確認の段階で動揺しないでください」
共有されていない痛みはある。必死に知らないふりをしている青年と、知られないように気丈に振る舞う少女。そんな2人が同じテーブルに座っている、今はそれだけで充分だろう。
今日すべてを明かす必要はないし、今日すべてを解決する必要もない。深く傷つけられたものほど、迂闊に触れれば壊れてしまうものだ。傷口をどうするのかは、あの子たち自身に任せるとしよう。
アイツの連絡先はヨルティナへ渡したのだ。わざわざ二人を店に呼んだ目的は、ひとまず果たせたといっていいだろう。厨房の入口に立っていた黒髪の少女が自分に気づいて、ぺこりと一礼する。
「あなたも疲れてるだろうけど、あとはお願いね」
「承知しました、店長」
店長は斉藤に店のことを任せ、厨房の横にある階段を上がっていく。
階下からは、まだ小さく二人の声が聞こえていた。ヨルティナがパフェの正式名称を勝乗に復唱させ、勝乗が途中で詰まり、ヨルティナが容赦なく指導しているようだ。
階段を上がりながら、馴染みの番号へと電話をかける。
さて、研究室にいればいいが。相手は未だに固定電話しか使わないので連絡する側としては、不便で仕方がない。しかし、それを本人に言ったところで「この時代において、固定電話はロマンなのだよ」だの、理解しがたい言い訳を返されるだけだ。
軽快なコール音が響く。一回、二回、三回と鳴らしても相手は出ない。空いた手の指先でトントンと手すりを叩いた。十回を過ぎ、二十回を過ぎ、三十回目に差しかかった頃、ようやく電話の向こうで受話器が上がる音がした。
ガチャリという、もはや骨董品のような音が聴こえた。それから、たっぷりと間を置いてから寝起きのような掠れた声が聞こえてくる。言葉になっているのかどうかも怪しい、ひどく間延びした声だった。思わずため息をつきそうになる。
「アンタ、さっきまで起きてたのに、また寝てたの?」
そう伝えると電話口の向こうから、非常に不満そうな音が返ってくる。
起きていたつもりだった、だの、目を閉じていただけだ、だの、そういう類いの言い訳がダラダラと垂れ流される。昔からコイツは睡眠と怠惰に関する言い訳だけは妙に種類が豊富だ。
「はいはい、もういいわ。それよりも治療の依頼よ、治療の依頼。以前に話していた女の子のことは覚えているでしょうね。アンタの連絡先を渡したから、しっかり診てあげてよ」
電話口の向こうで、眠たげな雰囲気が少しだけ変わる。面倒くさそうにしながらも、話の要点だけは理解したらしい。治療、魔法少女、オーク。そうした単語をブツブツと呟きながら、眠気の底から記憶を拾い上げている気配がした。
「……お金? それはアンタが散々溜め込んだツケから差し引いておくわ。うちの店で一回も会計したことないでしょう。そんな奴、開店してからアンタだけよ」
電話口の向こうから不満そうな声が漏れているが、軽く無視することにした。
この店を趣味でやっていることは否定しない。だが、飯をたかられるためにやっているわけでもない。そもそもからして、周囲の飲食店よりも格安で提供しているのだから、それをツケにする方がおかしいのだ。払えるときに払うと言いながら、払えた試しがない。研究費はあるはずなのに、なぜか食費だけは用意できない。昔から、そういう奴なのだ。
「またお店に来たらツケにしていいし、今度アンタの研究室の掃除にも行ってあげるから我慢しなさい」
電話口の向こうの空気が、露骨に変わった。
さっきまで不満そうだったくせに、掃除という単語に反応したらしい。確認するような声が返ってくる。どうせ、とっ散らかった冷蔵庫の中も対象かどうかを聞いているのだろう。思わず眉間に指を当ててしまう。
「……実験室の冷蔵庫の中に、未知の生命体が誕生しているかもしれない? それは掃除じゃなくて駆除でしょ、自分で何とかしなさいよ」
電話の向こうから、落胆する声が聞こえた。目の前にいるわけでもないのに、怠惰な雰囲気だけが電話線を通って漂ってくるのは、もはや才能である。
階段から2階まで上がると、窓の外へ視線を向けた。遠くの空には、黒っぽい煙がまだ残っている。あの方向に、ついさっきまで連中の所有するビルがあった。
表向きは魔法少女を管理し、運用し、場合によってはスポンサーと結びつける事務所。実態は、まあ、そういう組織だ。以前から知っていたが、実物も吐き気のするような場所だった。
電話口の向こうでも、その件について尋ねている気配があった。軽く肩をすくめる。
「……オーク事務所? はいはい、その節はどうも。確かに私一人で乗り込んだら危なかったかもね。万に一つの話よ、万に一つ。私があんな豚連中にやすやすと負けるわけないでしょう」
危なかったのは否定しない。
想定していたよりも、ビルの警備システムは厄介だったし、何よりも連中の事務所に囚われていた魔法少女たちまでもが、自分に襲いかかってくるとは思わなかった。本人たちの意思なのかは分からないが、別に意思に反していたところで魔法契約で縛れば何とでもなる。
もし、ヨルティナがまだ解放される前だったならヨルティナ自身も、侵入者である自分の捕縛要員に駆り出されていたかもしれない。
それを想像すると、さすがに背筋が冷える。オークたちを相手にしながら、助けなければならない魔法少女を傷つけずに無力化するのは、流石に一筋縄ではいかない。まあ、それも自分が一人だけで乗り込んでいた場合の『もしもの話』だが。
「結果的には2人がかりで潰すことになっちゃったわね。相方が対人戦闘に長けていたおかげで助かったわ。オークも半数くらいは脳天を串刺しにされて絶命してたし……。そんなことよりも、ヨルティナちゃんのことはお願いね。何とか力になってあげて」
電話口の向こうからは、渋々といった様子の返事があった。診るだけ診るが、どれだけの処置が出来るかは分からないという内容だ。
「それでいいわ。最初から奇跡を起こせ、なんて言っていないもの。まずは診てあげて。あの子の身体に何が残されていて、何を剥がす必要があるのか、それを知るだけでも前へ進めるはずよ」
あの2人だけでは、この事実は抱えきれないだろう。だからこそ、周りが手を貸してやらなければならない。それが余計なお世話だとしても、年長者の勝手な自己満足だとしても、それでも構わない。
電話の向こうから、なぜそこまで肩入れするのかと問う声がした。店長は階段を一段ずつ下りて、踊り場からそっと2人のいる階下のホールを見下ろす。
「頑張ってる女の子と男の子は、応援したくなっちゃうものよ。アンタももう少し長く生きれば分かるようになるわ、ネムラ」
今回、登場させたのが物語のキーとなる予定のオリキャラです。あくまでも予定ですが。
1人で突っ込んで駄目なら、2人で突貫すればいいじゃない。戦闘民族エルフのクレバーな理論は無敵。
表紙も作成しました。AIイラストなので、それが大丈夫な読者さんはあらすじから確認してみてください。