魔法少女ヨルティナ〜貴女に言えなかったこと〜   作:オーギュストめろん

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第九話︰社長と屋上テラスの大事件

 

 

 ビルの屋上テラスには、思ったよりも風があった。

 とある日の正午、勝乗はベンチに腰を下ろし、膝の上に置いたノートパソコンへ視線を落としていた。画面には、トワイライト事務所のホームページに掲載する予定の、新しい魔法少女募集のための広告が開かれている。まだ完成はしていない。

 キャッチコピーも、応募条件も、説明文も、何度も書き直していた。魔力の出力調整ができること、小回りの利く戦闘ができること、補助や援護に適性があること、そういう条件を書き並べるだけなら簡単だ。

 

 

「それだけだと駄目だな。そもそも、今の条件で応募が一件でも来るのかって話だけど……」

 

 

 欲を言えるならば、勝乗が欲しいのは単なる戦力ではない。ヨルティナの隣に立ってくれる魔法少女である。ヨルティナの突き抜けた個性に動じることなく、ヨルティナと協力できて、できれば、ヨルティナと事務所内でも和気あいあいとしてほしい。戦闘中以外でも、ヨルティナを孤独にしないような子が欲しいのだ。

 

 

「はぁ……。そんな都合のいい言葉を、広告にどう書けばいいんだか」

 

 

 勝乗は、もう何度目か分からない溜息をついた。

 事務所でやってもよかった。だが、あの部屋にこもっていると、どうしても思考が余計なものへ流れてしまう。未だに片づけきれていない書類の山もそうだし、ある意味でヨルティナのためである募集広告を、本人の前で書き上げるのも気恥ずかしかった。なので、午後からは自由時間ということにして、ヨルティナとは別行動にした。たまには、事務所の外で仕事をするのもいいものである。

 このビルの屋上テラスは、周囲に小さな植え込みがあり、テーブル席もいくつか置かれている。平日は近隣の会社員が休憩に使う場所なのだが、今日は土曜日なので、家族連れもちらほら利用していた。楽しげに両親と話をしている子どもたちの声が心地よい、夏風がさわさわと勝乗の前髪を揺らした。

 

 

「……よし」

 

 

 勝乗は広告文の一文を打ち直し、そこで手を止めた。

 ベンチの背もたれに身体を預け、両腕を上げて、大きく伸びをする。肩の奥で鈍い音が鳴る。思っていた以上に、身体が固まっていたらしい。まだ日は高いのだ、あまり根を詰めても仕方ないだろう。

 

 

「一旦、休憩にしよう」

 

 

 誰に聞かせるでもなく呟いて、勝乗はベンチの脇に置いていた缶コーヒーを手に取った。買ったばかりの冷えた缶の感触が、指先に心地よい。プルタブを開けると香ばしい香りが立つ。一口飲んでから、勝乗はノートパソコンの画面を作業用のものから別のものに切り替える。

 気分転換に動画サイトを開くことにした。動物の動画か、料理の動画か、何か気楽なものを流しながら、のんびりしようと思う。前に見ていた金色の猫の動画がいいかもしれない。どことなくヨルティナに似た雰囲気で、飼い主以外には気難しい態度を取る猫だったはずだ。どこだったかな、と再生リストを漁る。

 

 

「おっ、クラウン・ルミナの公式動画の更新があるな」

 

 

 通知欄に来ていたお知らせに勝乗の指が止まった。それは、大手の魔法少女事務所であるクラウン・ルミナの公式チャンネルだ。サムネに映っているのは、昨日ニュースになっていた大型魔獣と魔法少女たちとの戦闘に関する映像だった。どちらかといえば、これは仕事関係の動画である。息抜きになるのかは、かなり怪しい。勝乗はしばらく画面を見つめ、それから小さく息を吐いた。

 

 

「……少しだけ、冒頭だけでも観ておこう。もしかしたら、あの子が映ってるかもしれないし」

 

 

 結局、気になってしまったので、再生ボタンを押してしまう。画面の中に映し出されたのは、高層ビルの立ち並ぶ街中だった。既に周囲の避難は完了しているのだろう。車道は封鎖され、人影はない。警備ドローンのものらしき赤いランプが遠くで点滅し、映像の下部では避難完了を示すテロップが流れている。

 

 そして、街の中心には魔獣がいた。

 

 昨日付けで『グォルガノ』と名付けられた大型の魔獣である。ニュースで名前だけは聞いていたが、映像で見ると、その大きさと異様さは想像以上だった。二足歩行の蜥蜴のような姿をしており、七階建てのビルに迫るほどの巨体が、アスファルトを重々しく踏みつけている。背中には岩のような外殻が並び、太い尻尾が道路を横薙ぎにするたび、ガードレールや街路樹がまとめて吹き飛んでいく。

 

 

「ここから結構近いな。それに、恐ろしいくらいの被害額が出てそうだ。まあ、大型魔獣との戦いではよくあることだけど……なんだ、あれ?」

 

 

 グォルガノの口がゆっくりと開かれていく。その顎の奥で燻ぶっていた炎が吐瀉物のように、街へと撒き散らされる。ただの火ではない。映像の中で、紫がかった赤黒い炎が道路を覆った瞬間、アスファルトが泡立つように溶け、近くの街路樹が灰色にしなびていく。

 単なる火ではない、生命に対する強い呪詛を帯びた灼熱の火炎である。皮膚を焼くだけでは済まされない。溶け込んだ魔獣の魔力によって、炎は触れた者の皮膚を腐らせ、大きく肉体を損壊させる。魔法少女でも防御なしに受ければ危険な攻撃で、強靭な肉体を持つ亜人であっても触れるだけで命に関わるだろう。画面越しに観ているだけでも、勝乗の顔に嫌な汗が滲んでくる。

 

 

「危険すぎるだろ、ヨルティナには戦って欲しくないな。戦うにしても、他の事務所との合同任務にしておかないと……あ、来たのかな?」

 

 

 暴れ回る魔獣に向かって、五つの光が飛び込んだ。それは、クラウン・ルミナ専属の魔法少女たちだった。パーソナルカラーで色分けされたマジカルドレスと、お互いに被らない髪型。そして、明るく派手な子、冷静そうな子、小柄で素早そうな子、リーダー気質な子と、個性すらもそれぞれ棲み分けがされている。まるで、女児向けアニメの戦隊チームのようだった。

 やはり大手は凄いな、と感心させられるしかない。魔法少女たちの動きは見事だった。一人が突出して、正面から魔獣の注意を引いたと思うと、もう一人が横合いから魔法を放ち、尻尾の軌道を封じる。三人目が防御魔法で呪いの炎を受け流し、その隙に残りの二人が上空と足元から攻撃を重ねていく。

 陽動、防御、そして攻撃に至るまで、各自の役割がはっきりしている。声を張り上げるようなやり取りは少ない。それぞれが、自分の位置と仲間の位置を分かっている動きだった。昔はこうした魔法少女たちの戦いを羨望のまなざしで見ていたものだが、今は少女たちの動きがよく訓練されているものであることが理解できる。

 

 勝乗は、缶コーヒーを持つ手を止めていた。画面の中では、五人の魔法少女たちが華麗にグォルガノを追い詰めていく。魔獣が尻尾を振るえば、誰かが防ぐ。炎を吐こうとすれば、別の誰かが妨害する。誰かが体勢を崩されれば、支援役がすぐにカバーする。たった一人で戦ってきたヨルティナとは、大違いだった。

 敵の注意を引くのも、攻撃するのも、防御するのも、負傷者を庇うのも、ヨルティナが一人で全て背負ってきた。もし、シルフィを引き抜けたのなら、ヨルティナの肩の荷は幾らか下りるだろうか。勝乗はそこまで考えて、すぐに首を横に振った。

 

 

「いや、駄目だ。それだけだと足りない……。ヨルティナのためを思えば、新しい魔法少女はきっと一人じゃ足りない」

 

 

 クラウン・ルミナの魔法少女たちの、あまりにも見事な連携に勝乗は少なからず衝撃を受けていた。改めて大手の仕事ぶりを突きつけられると、トワイライト事務所との差をはっきりと実感させられる。 

 

 

「欲を言うなら、あと二人は欲しい」

 

 

 ヨルティナを含めて三人。最低でも、それくらいの人数は必要だと勝乗は確信する。三人いれば、相手が強大な魔獣であっても、お互いにカバーし合えるだろう。一人が前に出て、一人が支え、一人が不測の事態を警戒することができる。

 また、どちらかに何かがあったとき、その子を別の子が助けに行かなければならない。二人だと、その間に魔獣を抑えておく者がいなくなる。そうなると、どちらかが崩れた瞬間にもう片方にも危険が及んでしまうのだ。

 

 だからこそ、最低でもあと二人の魔法少女がトワイライト事務所には必要なのだ。しかし、候補者を揃えるためのツテすら、勝乗には無い。トワイライトは弱小事務所だ。所属している魔法少女はヨルティナ唯一人。経営危機から立ち直ったばかりで、大手のような広報力や資金力はない。事務所としての実績も数カ月程度しかなく、しかも、その実績の全てはヨルティナ個人のものだ。そんな事務所に、来てくれる魔法少女がどれだけいるだろうか。

 

 

「せめて新人募集の広告くらいは、出来の良いのを作りたいんだけどな。そうすれば、応募してくれる子が一人くらいは出てくるはず……うん、きっと大丈夫だ」

 

 

 自信の無い己の声が風にかき消されていく。

 画面の中では、クラウン・ルミナの魔法少女たちが、グォルガノを追い詰めていた。仲間の援護を受けて、リーダーらしき魔法少女の一撃が、魔獣の胸部を貫く。岩のような外殻が砕け、七階建てのビルに迫るほどの巨体が、ゆっくりと膝を折った。グォルガノの身体は内側から崩れ、赤黒い炎が黒い煙となって空へと散っていく。討伐完了を示すテロップが画面の隅に表示され、コメント欄には称賛の言葉が山ほど書き込まれている。

 

 

「……あれ、ちょっと待てよ。何か変な感じがしたような」

 

 

 不意に勝乗は動画を巻き戻す。消えていくグォルガノの顔が、ほんの一瞬だけ、こちらを見たような気がしたのだ。身体が崩れる際に、口元の形が偶然そう見えただけかもしれない。それでも、赤黒い塵になって消えていく直前、グォルガノの口元が不気味に、カメラの向こうの自分に向かって嘲笑うように歪んだような気がした。

 

 

「……考えすぎかな。ふぁぁ、そろそろ広告も完成させないとなぁ」 

 

 

 休憩は終わりだ、勝乗は動画を閉じる。今すぐに新人が見つかるわけではない。だからこそ、出来ることから地道にやっていこう。トワイライトがどういう事務所を目指すのか、どんな魔法少女に来てほしいのか。それを少しでも、どこかにいるであろう新人候補に届く形にしなければならない。

 勝乗は缶コーヒーをベンチの脇に置き、気合を入れて、ノートパソコンへ向き直った。

 

 ──そのとき、だった。

 

 屋上テラスの端で空気が軋むような音がした。最初は室外機の振動かと思った。だが、すぐに違うことに気づいた。ゾッとするような怖気が湧き上がり、勝乗は思わず周囲を見回した。

 

 

「な、に……アレ、は……?」

 

 

 誰かが怯えたように呟いた。ビルの屋上からほんの数メートルの上空、何もないはずの空間に細い裂け目が走っていた。黒い線が青い空に刻まれている、誰の目からもそう見えた。その線が皮膚を裂く傷口のように徐々に開き、内側から赤黒い光が漏れ出す。

 屋上にいる人々が息を呑んだ。裂け目の向こうに何かがいる。生き物の腹の中のような暗く、湿った何かが詰まっているのが見える。そこから、ぐちゃりと音を立てて肉の塊が落ちてきた。

 

 ミンチ肉を無理やり固めたような赤黒い塊が、屋上テラスの床に衝突する。動物が車に踏み潰されたときのような、おぞましい音が響く。肉塊はその場で震え、泡立ち、内側から骨のような枝と黒い樹皮に似た皮膚が飛び出し、その表面を覆っていく。節くれだった脚が四本、床を掴むように生え、尻の部分には爬虫類に酷似した尻尾が形作られていく。それは蜥蜴のような形をしていた。

 現れたのは、せいぜい人間より少し大きい程度の魔獣だった。だが、サイズを除けば、その姿は勝乗がたった今、クラウン・ルミナの記録映像で見た魔獣の面影に酷似していた。何よりも、そこに存在しているだけで、皮膚の内側を冷たい爪で撫でられるような圧倒的な威圧感が撒き散らされる。それは、小型の魔獣と呼べるレベルのものではない。

 

 

「まさか、本体は逃げて、いたの、か?」

 

 

 あの笑みはこういうことだったのだ。スマートフォンから魔獣についての警報は鳴っていない。おそらく行政や警察はまだ魔獣の再出現に気づいていないか、察知したばかりだろう。つまり、魔法少女が今すぐに駆けつけてくれる状況ではない。勝乗の背筋に、冷たいものが走った。

 あちこちで悲鳴が上がる。逃げ惑う人々は階段やエレベーターのある方向へと殺到する。そんな中で、親とはぐれたのか、小さな女の子が魔獣から近いカフェスペースに座り込んでいた。涙を流しながら、身体を震わせている。魔獣の顔の中央に開いた赤い裂け目が、ゆっくりとその子どもの方へ向いた。

 

 

「今すぐに立って! 逃げるんだっ!」

 

 

 勝乗が叫んだが、少女は動かない。恐怖に足が竦んで動けないのだろう。近くにいる大人たちも、どうすればいいのか分からずに固まっている。誰かがスマートフォンを落とし、硬い音がタイルに響いた。

 魔獣が一歩踏み出す。勝乗は咄嗟に手近にあった缶コーヒーを掴んだ。

 

 

「おい、こっちだ! こっちに来いッ!!」

 

 

 全力で投げた缶が魔獣の頭に当たる。軽い音がして缶が魔獣の外皮に弾き返される。赤い裂け目が今度は勝乗の方を向いた。あんなもので魔獣にダメージを与えられるわけはないのは、最初から分かっている。注意さえ引ければ、それで良かった。

 恐ろしいほどの敏捷性で、こちらへ向けて魔獣が跳ぶ。考えるよりも早く、勝乗は横へ全力で転がっていた。次の瞬間には魔獣の前脚が、勝乗のいた場所へ叩きつけられる。

 床材が蜘蛛の巣のようにひび割れ、破片が跳ねる。ベンチの金属製の脚がへしゃげ、置いていたノートパソコンが衝撃で跳ね上がって、画面を開いたまま床へ転がった。 

 

 

「ゔ、ぐ、ぁぁあっ……!」

 

 

 その衝撃で吹き飛ばされた勝乗は背中から床に叩きつけられる。痛みで息が詰まる。立ち上がろうと手をつくと、砕けたタイルの欠片が皮膚に突き刺さった。だが、このまま寝ている余裕はない。

 魔獣が振り返り、割れたタイルの上で転がっている勝乗を視界に捉える。逃げなければならない。そう分かっているのに、痛みで身体が動かない。グォルガノが姿勢を低く、沈ませる。勝乗はまた魔獣が跳びかかってくるのだと思った。

 だが、魔獣の胸が不気味に膨らみ、空気を大きく吸い込んだように見えた瞬間、怖気が身体中を駆け巡った。赤い裂け目の奥で、黒ずんだ炎が揺れていた。紫がかった赤黒い光が喉の奥から溢れていく。

 

 

「まずい、本当にまずい……ッ!」

 

 

 勝乗はそれが何なのかを知っていた。さっき動画で見たばかりなのだから忘れようがない。あれはグォルガノの呪いの炎だ。皮膚を腐らせ、肉を溶かす。魔法少女でさえ、防御なしに浴びれば危険な炎だ。そんなものが今、自分に向けている。

 逃げられない、避けられない、防げない。このまま受ければ、間違いなく死ぬ。あまりにも単純な結論だけが頭の中で反響する。

 

 

「ヨルティナ……ッ」

 

 

 勝乗は、思わずその名を口にしていた。金色に輝き、闇を正面から押し返す光。どれほど巨大な魔獣でも、一瞬で焼き尽くしてきたトワイライトの自慢の魔法少女。彼女が空で戦っているところを、勝乗は何度も見てきた。だから、明確な死を前にして思い浮かべたのは、やはり彼女だった。呪詛の炎が、魔獣の口から放たれる。

 その時だった。

 

 

「──変身」

 

 

 少女の声が絶望を切り裂いた。

 勝乗は息を呑む。小柄な人影が迫りくる黒炎から勝乗を庇うように飛び込んでくる。同時に小さな光が弾けて、魔獣の影が一瞬だけ消える。風が巻き上がり、二人を中心にして光の線が何本も空中を走った。魔法少女の使う結界の輝きだ。

 じゅう、と嫌な音がした。肉の焦げた音だけではない。魔力そのものが焼かれているのか、結界が悲鳴のような音を上げて腐食していく。それでも、炎は勝乗のところまで届かなかった、誰かが盾となって魔獣の炎から勝乗を守っているのだ。顔を守るために覆った両腕の隙間から、人影と赤黒い火の粉が見えた。

 

 

「もう大丈夫ですよ、お兄さん」

 

 

 ようやく炎が小さくなり、それを見届けたかのように亀裂だらけになった結界が砕け散る。勝乗に掛けられた声はヨルティナのものではなかった。深緑の外套と黒いリボンで纏められたポニーテールが風に揺れている。

 

 

「君は……!」

 

 

 旅装のようなマジカルドレスは見間違えようもない。その後ろ姿は先日、ヨルティナに憧れていると宣言していた若草色の魔法少女だった。

 

 

「はい。魔法少女シルフィ、皆さんをお守りするために推参しました!」

 

 

 驚いて目を丸くする勝乗の前で、両手を前へ伸ばしたシルフィの指先から、魔力の糸が幾重にも広がり、網のように魔獣の周囲へと展開されていく。

 それは植物のツルのようなしなやかさで魔獣の前脚、胴体、そして尻尾へと絡みつき、その動きを制限していく。グォルガノが低く唸った。シルフィを脅威と判断したのだろう。顔の中央に開いた赤い裂け目が怪しく細められていく。

 

 

「危ないので、お兄さんは下がっていてください。あとは私が引き受けます」

 

 

 声色は柔らかいが、有無を言わせない強さがあった。勝乗は頷き、痛む身体に鞭を打って後ろへ駆け出した。そして、さっきまで座り込んでいた女の子の近くへ寄り、庇うようにその前に立った。幼い少女は泣きじゃくりながら、勝乗の服の裾を掴む。

 

 

「大丈夫。魔法少女のお姉ちゃんが来てくれたから、もう大丈夫だよ」

 

 

 女の子を慰めるために声をかける。だが、それは同時に、先ほどまで死の恐怖に晒されていた勝乗が、未だに発汗の止まらない自分自身を落ち着かせるための言葉でもあった。

 魔獣と対峙しているシルフィへと、勝乗は視線を送る。魔法少女は個人によって、戦闘能力に大きな差がある。デビューしたばかりのシルフィの実力がどの程度なのかは、あのPV映像だけでは分からない。それに、勝乗はシルフィの右腕がひどく焼け爛れていることに気づいていた。

 呪いの炎は、結界で完全に防げたわけではなかったのだ。マジカルドレスの袖口は焦げ落ちて、その下の少女の肌は赤黒く変色している。皮膚の表面にはひび割れのような痕が走り、ここからでも黒ずんだ煙が細く立っているのが見える。それは痛々しい、などという言葉では言い表せない。

 

 

「ッ、本当に大丈夫なのか、あの傷で……?」

 

 

 青い治癒の光が、傷口の上を何度も走っている。マジカルドレスに備わっている回復魔法が働いているのだろう。だが、すぐに治るような傷でないのは明らかだった。おそらくは呪いが筋肉にまで食い込んでいる、戦闘にも支障が出るのは避けられないだろう。その証拠に、シルフィの指先が小刻みに震えていた。

 

 

「──光弾術式展開。射線クリア──全弾斉射ッ!」

 

 

 シルフィは黒く変色した右腕を前へ突き出す。銀色の光弾がいくつも生まれ、グォルガノへ撃ち込まれる。だが、輝く魔力の弾丸は魔獣の外皮を覆う赤黒い炎に触れた瞬間、次々と音もなく消滅した。いくつかは岩のような皮膚に当たったが、それも、すぐに炎へ舐め取られるように消えていく。

 

 

「通常攻撃は通りませんか……。そういう魔獣相手なら、方法を変えます」

 

 

 シルフィが小さな声で呟く。あの炎は肉を焼くだけではない。魔力そのものを腐らせては崩し、食らっているのだ。あれを貫くには、腐食速度を上回る強大な魔力による攻撃が必要になる。ここにはいない、金色の魔法少女のように力任せに押し切る一撃こそが有効な相手なのだ。一度だけ息を整え、シルフィは痛みに震える腕をもう一度前へ伸ばした。

 

 

「……結界の外縁を空間固定」

 

 

 テラスの床に、シルフィの声に呼応して若草色の光が駆け抜ける。割れたタイルの継ぎ目をなぞるように広がった光は、魔獣の周囲を円形に囲み、薄い膜となって立ち上がる。次の瞬間には、透明な壁が魔獣を閉じ込めた。魔獣はすぐに異変に気づき、魔力糸で拘束されたまま前足を振り上げ、黒い爪を膜の内側に叩きつける。ガリガリガリッ、と結界の削られる音が響く。

 

 

「耐火、耐呪、内圧制御を強化。対象への拘束を、堅持」

 

 

 シルフィの指先から伸びる糸が、魔獣の四肢をさらに強く締める。傷ついた腕に力が入り、少女の表情が痛みでわずかに歪んだ。それでも、魔法を発動させるための魔力操作は決して緩めない。

 

 

「反転、循環、追加術式を順次出力。必要とされる詠唱は強制省略、その代償は消費魔力の増大で補填」

 

 

 結界の内側に光の線が何重にも走っていく。それは植物の内側を通っている葉脈のようにも見えた。透明な壁の内側を緑色の光が巡り、上へ、横へ、また下へと術者の指示に従って流れていく。

 魔獣が拘束された四肢を振りほどこうとして、床に爪を叩きつける。屋上テラスのタイルがさらに砕け、蜘蛛の巣のようなひびが広がった。歪んだベンチが空中に跳ね飛ばされ、植え込みの葉がざわめく。魔力の糸が軋みを上げて、その先に繋がるシルフィの身体が魔獣の方へと引きずられる。

 

 

「う、ぐ、ぅ゙ぅ゙ぅ゙っ……ッ!」

 

 

 くぐもった声が少女から漏れた。

 魔獣が自らに絡みついた魔力の糸を通じて、力任せにシルフィの腕を千切ろうとしているのだ。しかも、その腕はさっき呪いの炎に焼かれたばかりだ。熱と呪いで爛れた筋肉の上から更に負荷がかかる。塞がりかけていた傷があっという間に裂け、黒ずんだ血のようなものが滲んでいく。

 それでも、シルフィは糸を切らなかった。片足を後ろへ引き、床を踏みしめる。革製のブーツの踵が割れたタイルに食い込み、脚が震えていた。もう片方の足も前へ滑りかけるが、彼女は膝を曲げて耐える。

 その決して諦めない姿が、勝乗の中でヨルティナの姿と重なっていた。

 

 

「──頑張れ、頑張ってくれっ、シルフィ!」

 

 

 勝乗は思わず叫んでいた。さっき、自分は女の子を守ろうとして魔獣の前に立った。たった数十秒のことだったはずだ。それだけの時間が耐え難いほどに恐ろしく、情けないほど脚が震えた。けれど、目の前の少女は今、勝乗と女の子、この屋上テラスにいる全員を守るために、ただ一人で怪物を抑えている。

 魔獣がさらに暴れる。だが、糸は切れず、結界も割れない。どれだけ爪を立てても、どれだけ尾を打ちつけても、目の前の小娘は自分を外へは逃がす隙を与えない。それならばと、業を煮やしたようにグォルガノが大きく胸を膨らませた。赤い裂け目の奥、魔獣の体内で黒ずんだ炎が再び燃え上がる。

 

 

「駄目だっ、その炎は魔力で構成されたものを焼く! 結界でも、マジカルドレスでも防げない!」

「分かっています、そのまま動かないでください!」

 

 

 勝乗の呼びかけにも、シルフィが動じる気配はなかった。

 魔獣が呪いの炎を吐いた。赤黒い火炎が、結界の内側へ叩きつけられる。だが、炎は壁を破るどころか、結界の壁面を沿うように弾かれる。結界の内側を巡る魔力の流れに誘導されて、炎がぐるりと反転し、赤黒い火がそのまま魔獣自身へ跳ね返った。いや、跳ね返っただけではない。結界の中で炎が増幅されている。

 

 耐火、耐呪、反転、循環。

 

 シルフィが重ねた術式の意味を、勝乗は遅れて理解した。あの結界はただの盾ではない。呪いの炎を受け止め、逃がさず、内側で巡らせて、吐いた本人へ戻すための檻だった。まるで即席の『焼却炉』だと、勝乗はそう思った。

 魔獣が吐いた炎が魔獣自身を焼き尽くしていく。赤黒い炎が結界の内側で渦を巻き、何度も何度も魔獣の身体を炙り続ける。黒い樹皮のような外皮が泡立ち、節くれだった脚が内側から焦げていく。

 魔獣が四肢を振り回し、尾を叩きつけ、結界の中でのたうち回る。赤い裂け目が大きく開き、また呪詛の火炎が吐き出された。だが、吐けば吐くほど炎は増え、巡り、魔獣自身を火葬する熱を高めていく。

 

 

「おとなしく、して、ください……ッ!」

 

 

 死に物狂いで暴れる魔獣の力が、拘束の糸を通じてシルフィの腕へ伝わる。回復しかけていた皮膚がまた引き裂かれ、腕には治癒魔法の痕跡と赤黒い傷跡がぐちゃぐちゃに入り交じっている。

 それでも、シルフィは糸を離さない。脚を開き、腰を落とし、床を踏みしめる。痛みに顔を歪めながら、指先にさらに魔力を込める。細い肩が震え、膝が折れそうになる。それでも、彼女は魔獣を結界の中心から逃がさなかった。

 

 

「これで……!」

 

 

 シルフィが息を吸う。結界の内側を巡る炎が、さらに強くなる。少女の魔力が赤黒い炎と混ざり合い、檻の中を満たしていく。

 

 

「終わりです!!」

 

 

 叫びと同時に、シルフィが糸を引き絞った。

 拘束が一斉に締まり、暴れる魔獣の身体が結界の中心へ押し戻される。グォルガノは最後まで抵抗した。だが、醜い肉の塊だった身体が、勢いを増した炎の中で崩れていく。赤い裂け目が恨みがましく光ったが、それもすぐに炎の奥へ沈んだ。最後に、くぐもった咆哮が結界の中で響いて、その姿が完全に消滅する。

 シルフィは、しばらく両手を前へ伸ばしたまま動かなかった。指先から伸びていた糸が一本ずつほどけていく。結界を解除してから、少女はようやく安心したように大きく息を吐いた。魔獣のいた場所に残ったのは、ひび割れたタイルと焦げた黒い跡だけだった。

 一拍遅れて、屋上テラスに歓声が上がる。

 

 

『すごい……!』

『あの子って、クラウン・ルミナの子だよな?』

『あれって、昨日ニュースで見た魔獣じゃないのか!?』

『一人で倒したぞ!』

『助かった……!』

 

 

 周囲が弾けるように騒がしくなる。

 さっきまで固まっていた大人たちが動き出す。子どもを泣きながら抱き寄せる母親、腰を抜かしたまま笑っている会社員。割れたタイルを見て青ざめながらも、魔獣が消えた場所をしげしげと眺めている人もいる。

 そして、観衆の中で何人かがスマートフォンをシルフィに向けていた。録画中を示す赤い表示が、画面の隅で小さく光っていることに勝乗は気づいた。動画サイトへ上げるつもりなのかもしれない。あるいは、もうすでに上げているのだろうか。いずれにしても、助けられたばかりの人間が、自分を助けてくれた少女へお礼も言わずにやることではないような気がする。

 シルフィはその視線に気づいているのだろうか。彼女は魔獣の消えた場所を確認し、ひび割れた床と黒い焦げ跡を観察すると、観衆へと向き直った。

 

 

「皆さん、魔獣は消滅しましたが、もしかしたら、呪いが残っているかもしれません。危険ですので、このまま屋上から順番に避難してください」

 

 

 戦闘後にも関わらず、変に高揚することもなく、人々への呼びかけは丁寧で落ち着いている。少女の指先にはまだ若草色の魔力が淡く残っていた。細い糸の名残のような光が、風に吹かれてほどけていく。そこには、見る者を安心させる木漏れ日のような気配がある。

 だが、そんな少女に対して、観衆からの反応は微笑ましいものばかりではなかった。

 

 

『シルフィちゃん、こっち向いてー!』

『さっきの魔法さ。撮り逃しちゃったから、もう一回だけ見せてよ。ほら、ちょっとだけでいいからさ』

『記念に写真撮ろうよ。せっかくだから、その傷も映していいかな』

『ピースサインして、ピースサイン。クラウン・ルミナの新人なんだし、ちょっとだけファンサしてー!』

 

 

 焦げた袖口からは、まだ細く黒い煙が立っている。赤黒く爛れた腕は痛々しく、手は小さく震えている。一刻も早く治療を受けるべきであり、こうして立っているだけでも、痛むはずだった。魔獣が消え、自分たちは助かった。なら、彼ら彼女らが次に欲するのは映える映像なのだろう。

 呪いの炎に焼かれながら、この場にいる全員を守った少女に対する態度がこれなのか。大半の人々は感謝しているし、自分勝手な言葉は一部の人間からのものに過ぎない。それでも、勝乗は胸の奥が冷えるのを感じた。

 心無い観衆にも、シルフィは少し困ったように笑うだけだ。

 

 

「あ、えっと……。ありがとうございます。けど、少し疲れてしまったので、魔法はまた今度でお願いしますね」

 

 

 勝乗はその様子を黙って見ているしかない。ヨルティナが同じ状況なら割って入るが、他の事務所に所属している魔法少女と一般人とのやり取りに、そんなことをするわけにはいかない。

 魔法少女はただ強いだけでは足りない。魔獣と傷つきながら戦い、人々を身を挺して守り、守ったはずの人々から好奇の目で見られては、勝手に映像を記録されて拡散される。華々しいばかりではなく、様々なリスクを背負わされる仕事なのだと、勝乗は改めて思い知らされた。

 

 

「お怪我はありませんか、お兄さん?」

「あ、えっと……?」

「さっき、魔獣の攻撃をギリギリで避けてましたよね。吹き飛ばされたところも見えてました。手や背中は大丈夫ですか?」

「あ、ああ、大丈夫だよ。少し擦ったくらいだから」

 

 

 気づけば、目の前まで近づいていたシルフィに、勝乗は慌てて答えた。実際はまだ背中が痛むし、手のひらにはタイルの欠片で出来た切り傷があった。けれど、魔獣の呪いの炎を受け止めたシルフィの負傷を思えば、怪我と呼ぶのも申し訳ない程度だった。シルフィはじっと勝乗を見て、それから少し眉を下げた。

 

 

「助けに入るのが遅れてしまったのは、私の責任です。ですが、魔獣に立ち向かうなんて無茶は控えてください。あなた達は魔法が使えないんですから」

「……立ち向かうつもりは無かったよ。ただ、子どもがいたから身体が勝手に動いただけなんだ」

「それでもです」

 

 

 シルフィの声は柔らかい。けれど、そこには年上の男性に対しても物怖じしない強さが秘められている。

 

 

「幼い女の子を助けようとしたことは、称賛されるべきでしょう。ですが、あなたに何かあれば、悲しむ人がいるはずです。あなた自身のためにも、その人のためにも、魔獣は私たち魔法少女に任せてください」

 

 

 勝乗は言葉に詰まる。悲しむ人、悲しんでくれる人。そう言われて、勝乗の頭の中に真っ先に思い浮かんだのは、親でも友人でもなく、金色の髪と翡翠の瞳を持つ少女だった。

 

 

「それと……」

 

 

 シルフィは声を落とし、もう一歩だけ勝乗に近づく。緑髪をまとめている黒いリボンが視界の端で揺れ、どこか甘い果実のような匂いが鼻をくすぐった。シルフィがこっそりと何かを囁き、勝乗は目を見開く。

 

 

「……分かった。君の言うとおりにするよ」

 

 

 勝乗が小さく答えると、少女はほっとしたように微笑んだ。

 

 

「では、よろしくお願いします」

 

 

 勝乗から離れると、シルフィは何事もなかったように観衆の方へ振り返る。少女の指先から漏れ出した魔力が、ひび割れた床の周囲をなぞり、円を描くように広がっていく。魔獣が暴れたせいで割れたタイル、黒く焦げた跡、歪んだベンチ。そのすべてを囲むように淡い結界が立ち上がる。澄んだ輝きをした若葉のような色の壁が、今度は屋上テラスの一角を静かに閉じ込めた。

 

 

「念のために結界を張りました。ここには入らないでください。魔獣の反応は消えていますが、先ほども言ったとおり、呪いが残っているかもしれません。管理会社の方か、専門の処理班が来るまで近づかないようにお願いします」

 

 

 シルフィは観衆へ向かって、丁寧に頭を下げ、にこりと笑う。

 

 

「それでは、私は街の巡回に戻ります。皆さん、気をつけて帰ってくださいね」

 

 

 シルフィは少し照れたように笑いながら、観衆へ手を振った。黒いリボンが夏風に揺れ、魔力光が足元に薄く灯る。そして、次の瞬間には、彼女の身体は風を切って、遠くのビルの屋上へと一気に移っていた。足元にまとった魔力を踏み台にして、ばねのように跳び上がったのだろう。緑色の光が、飛行機雲のように空中に細く残っていた。

 屋上テラスに残ったのは、歓声の余韻と、ひび割れた床を囲む結界だけだ。

 

 

『サイン、貰い忘れた……』

 

 

 残念そうに肩を落とす会社員の声が、少し離れた場所から聞こえてきた。その言葉をきっかけに、周囲からも、ざわめくように話し声が増えていく。

 

 

『いやあ、すごかった。やっぱり近くで見ると迫力あるな』

『動画、ちゃんと撮れてる? 後で送ってよ』

『右腕が結構やばそうだったけど、大丈夫かな?』

『魔法少女なら平気でしょ。全身火傷から復帰した子もいるし』

『それより、一緒に写真撮りたかったな。新人のうちに撮っといたら、後々に自慢できそうじゃない?』

『あー、人気出そうだもんな、あの子』

 

 

 彼ら彼女らに悪意があるのかは分からない。目の前で起きた出来事を、少し珍しい出来事か、話の種のように扱って、日常へ戻ろうとしているだけなのかもしれない。

 それでも、勝乗はその話の流れには乗れなかった。腕の一部が炭化しながらも、痛みを押し殺して、観衆の要求に対して困ったように笑っていた顔が目に焼きついている。

 

 

「……あの子は、撮られるために戦ったわけじゃない。称賛されるためでもない。ここにいる全員を守るために、あそこに立っていた。そのはず、なのに、な」

 

 

 勝乗は、足元に転がっていたノートパソコンを拾い上げる。画面には、まだ作りかけの募集広告が開かれていた。ヨルティナと一緒に考えた、新人募集のための条件がずらりと並んでいる。

 魔力の出力調整、小回りの利く戦闘、補助や援護への適性。どれも、ヨルティナとともに戦ってくれる魔法少女には必要な能力のはずだ。

 画面に並んだ言葉を見つめ直す。シルフィは強かった。魔力の糸で魔獣を縛り、結界を組み替え、呪いの炎さえ逆に利用してみせた。能力として見れば、申し分ない。人を守るために踏みとどまれる強さもある。トワイライトが欲しい条件には、きっと合っている。

 けれど、本当にそれでいいのだろうか。右腕を焼かれながらも、彼女は一歩も引かなかった。助けた相手から無遠慮な声を向けられても、彼女は不快な表情をすることなく受け流した。きっと、ヨルティナも同じ状況なら、似たような対応をしたはずだ。

 魔法少女に必要なもの、ヨルティナに必要な仲間、それを自分は本当に理解できているのだろうか。考えても答えは出ない。

 

 ただ、広告の中の文言は、さっきよりも少しだけ空虚に見えた気がした。

 

 

【挿絵表示】

 

 




悩める社長とモラル溢れる聴衆の方々。

次話は明日か明後日に投稿予定です。
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