人狼の騎士 ~統一王朝崩壊史~   作:ポオツマス亭

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――なんだ、フランメ? なに、あの男について知りたい


――おかしな奴だ……まあ、いいだろう。


――あいつは、人であって、人でない化け物。


――化け物であって魔族ではない。


――だが、人間ではない。


――人間をやめた屑みたいな奴だ。


――どんな致命傷を与えようと絶対に死にはしない。


――あいつの『本体の心臓』を直接潰さない限り、永遠に復活する。


――恐るべき怪物さ。


大魔法使いゼーリエは、彼のことをそう評した。

だけど、私は信じなかった。

彼は……優しい狼だから。


(フランメが書いた『秘密の手記』より)



第1話 人狼の騎士アルフレッド

王城の中庭に、紫の混じった怪しい煙が静かに漂っていた。

 

風は穏やかで、澄んだ空気を吹き抜けていくはずだったが、その男の周囲だけは重苦しく、死臭と血の匂いを塗りつぶすための独特な香草の香りが充満していた。

 

南部諸国産の高品質な葉を用いた煙草。それを、紫のオーラを全身から揺らめかせた一人の男が、中庭の噴水の縁に腰を下ろし、ゆったりと燻らせていた。

 

名をアルフレッド・ベルンハルト。

 

のちに統一王朝の歴史にその名を刻み、ベルンハルト伯爵と呼ばれることになる男である。

 

《人狼の騎士》

 

《魔剣士》

 

《人ならざる化け物》

 

《人間の皮を被った狼》

 

《狡猾な悪狼》

 

彼につけられた異名は、どれも祝福とは程遠い、忌み嫌われる怪物のそれであった。

 

「……ふう」

 

紫煙を吐き出したアルフレッドが、魔力で編まれた漆黒の甲冑を解除して軍服姿になると、懐から金属製の小箱を取り出した。

 

銀製の箱だ。表面には細かな擦り傷がいくつも刻まれているが、丁寧に磨き上げられており、大切に扱われてきたことが一目でわかる。

 

フタを開けると、中には小粒の白い砂糖菓子が幾つか転がっていた。

 

彼はそれを一つ摘むと、煙草を口の端にくわえ直したまま、口の中へと放り込んだ。

 

瞬時に広がる、強烈な甘み。

 

野蛮な戦場では到底味わうことのできない、素朴で、どこか懐かしい砂糖の味。

 

それを噛み締めるときだけ、彼の止まってしまった時間が、ほんの少しだけ生身の温もりを取り戻した。

 

この砂糖菓子は、かつて彼がまだ「人間」であった頃の記憶を繋ぎ止めるための、唯一の鎖だった。

 

彼は砂糖菓子の甘さを舌の上で転がしながら、静かに目を閉じる。

 

脳裏に浮かぶのは、三百年も昔の、あの眩しすぎるほどに青かった故郷の空と、一人の少女の笑顔だった。

 

中央大陸の片隅にある長閑な田舎町に、アルフレッドは生まれた。

 

下級の騎士の血を引いてはいたが、家柄は貧しく、名ばかりの騎士の家系に過ぎなかった。

 

そんな彼には、密かに心を寄せる相手がいた。

 

近所の裕福な家に生まれた少女、シルヴィア。

 

当時、アルフレッドは二十二歳。シルヴィアは十二歳であった。

 

幼い頃から妹のように可愛がっていた少女は、成長するにつれて見る者を惹きつける可憐さを咲かせつつあった。

 

裕福な彼女の両親は、当然ながら地位のある貴族や富豪の息子との婚姻を望んでいた。

 

貧しい田舎の平騎士の息子など、最初から候補にすら入っていなかった。

 

「ねえ、アルフレッド様! 見て、上手にできたでしょう?」

 

満開の花畑の中で、十二歳のシルヴィアが嬉しそうに駆け寄ってきて、彼に編み上げたばかりの花冠を見せたことがあった。

 

「ああ、とても似合っているよ、シルヴィア」

 

「ふふ、これはね、将来の旦那様にあげるの……あーあ、アルフレッド様がもっと偉い騎士様だったらよかったのに!」

 

無邪気で、だからこそ酷く残酷なその一言が、アルフレッドの胸を深く穿った。

 

一瞬にして心を根こそぎ奪い去られ、全身の神経が歓喜と強烈な情熱で灼けつくように昂った。

 

――絶対に、彼女を他の男に渡したくはない。

 

泥をすすってでも強くなり、彼女の隣に立つに相応しい「偉い騎士」になってみせる。

 

狂おしいほどの渇望とともに、彼はその胸に固い誓いを刻み込んだ。

 

それからの彼の修練は、常軌を逸していた。

 

体が腐り落ちるのではないかと思えるほど過酷な鍛錬を重ね、皮膚は破れ、筋肉は裂け、血を吐きながらも剣を振るった。

 

『身の程知らず』と笑われても構わなかった。

 

自分の身を削るような苛烈な鍛錬の果てに、彼は王国主催の剣術大会に出場し、名だたる猛者たちを破って見事に優勝を果たしたのである。

 

その実績を買われ、彼は念願であった王立騎士団への入団を果たした。

 

王家に仕える下級騎士としての名誉と地位を勝ち取った彼は、胸を張ってシルヴィアの家を訪れ、両親から彼女との婚約の許しを得たのである。

 

「シルヴィアが十六歳になったら、正式に結婚しよう」

 

十四歳になったシルヴィアの手を優しく握り、アルフレッドは誓った。

 

シルヴィアは少し頬を赤らめながら、嬉しそうに微笑んだ。

 

「はい……約束ですよ、アルフレッド様。無事に帰ってきて、この国を……私の大好きなこの場所を、平和な世の中にしてくださいね」

 

それが、生身の人間として交わした、最後の約束となった。

 

それから二年後。シルヴィアが十六歳を迎える年に勃発した大規模な戦役。

 

本格的な出征を果たしたその先は、地獄のような戦場であった。

 

凄惨な乱戦の最中、アルフレッドが所属していた部隊は敵の奸計にはまり、彼を残して全滅した。

 

仲間たちが次々と刃に倒れ、血の海と化す戦場で、アルフレッドもまた全身に致命傷を負いながら、敵の追手から逃れるために死に物狂いで山中を走った。

 

逃げ込んだのは、森の奥深くにある古代の遺跡だった。

 

追手を撒くために暗闇の奥へと足を踏み入れたとき、足元の床が崩落した。

 

「が、はっ……!?」

 

何十メートルも落下したのだろうか。

 

岩肌に体を強く打ち付けられ、骨は砕け、両足はあり得ない方向に折れ曲がっていた。

 

暗闇の底で横たわるアルフレッドの口から、どくどくと鮮血が溢れ出す。

 

(ここまで、なのか……。俺の人生は、ここで終わるのか……?)

 

視界が急速に狭まっていく。

 

冷たい死の感覚が、爪先から全身へと這い上がってくる。

 

だが、そのときであった。

 

暗闇の深淵で、不思議な光が揺らめいた。

 

不吉でありながら、あまりにも神聖で、禍々しくも美しい紫の魔力。

 

そこに突き刺さっていたのは、一振りの異形の剣であった。

 

『神の遺物』——神威の残り香を宿し、神話の時代から眠り続けていた悪魔の如き魔剣。

 

《魔剣フェンリス》。

 

すでに両足は折れ、動くはずのない体だった。瞳は光を失いかけていた。

 

だが、彼の脳裏に焼きついて離れないのは、花畑で微笑む少女の姿だった。

 

「シルヴィア……っ!!」

 

アルフレッドは血を吐きながら叫んだ。

 

折れた腕を地面に叩きつけ、爪を剥がしながら、泥と血に塗れて地を這った。

 

死を受け入れることなどできない。

 

彼女のもとへ帰らねばならない。

 

平和な世の中を作ると、約束したのだから。

 

ドス黒い執念だけで這い進み、彼はついに、その紫の光を放つ柄へと手を伸ばした。

 

――ガチリ、と。

 

その瞬間、遺跡全体が震え上がった。

 

剣から解き放たれた巨狼の如き紫のオーラが立ち昇り、嵐となってアルフレッドの全身を包み込んだ。

 

「あぐ……ぁぁぁあああああああああああッッ!!!!」

 

狂おしいほどの叫び声が遺跡に響き渡る。

 

魔剣から流れ込む神話の狂気が、彼の肉体を作り替えていく。

 

折れた骨が異音を立てて接合し、腐りかけた肉体が狼の如き強靭な筋繊維へと変質していく。

 

細胞の隅々にまで浸透する神の化け物の力。

 

人間としての死を迎え、神の化け物として再誕した瞬間。

 

彼が二十六歳の時の話である。

 

彼の中に残されたのは、衰えることのない不老の肉体と、永遠に脈打つ異形の心臓、そして絶大な破壊の力だけであった。

 

命を取り留め、怪異とも言える身体能力を手に入れたアルフレッドは、即座に戦場へ復帰した。

 

その絶大な魔力で敵群を文字通り蹂躙し、壊滅寸前だった騎士団を劇的な勝利へと導いて戦役を終結させた。

 

その功績により上級騎士へと昇進を果たした彼は、シルヴィアが十六歳を迎える「約束の時」に間に合わせるべく、胸の鼓動とともに急ぎ故郷へ帰還した。

 

だが、彼を待っていたのは祝福の鐘の音ではなかった。

 

故郷の村に足を踏み入れた瞬間、鼻をついたのは鼻持ちならない焦げ臭さと、濃密な血の匂いだった。

 

「……何が、起きた……?」

 

村は壊滅していた。家々は焼き払われ、道端には村人たちの死体が転がっていた。

 

駆け寄ってきた生き残りの村人が、涙と血に顔を汚し、声を絶え絶えに震わせながら語った。

 

結婚式の準備が進められていたまさにその日、山間部を根城にする大規模な野盗の集団が村を襲撃したのだと――。

 

そして――アルフレッドが愛したシルヴィアは。

 

「あ、アルフレッド殿! 見てはいけない! 見るべきではない!」

 

村人の必死の制止を振り払い、彼は半壊した彼女の屋敷へと踏み込んだ。

 

そこに転がっていたのは、あまりにも凄惨な姿となったシルヴィアの遺体だった。

 

十六歳になったばかりの彼女は、野盗どもによって弄ばれ、暴行の限りを尽くされた末に、見るも無残に殺害されていた。

 

かつて美しい花冠を乗せていた金髪は血と泥に塗れ、その瞳は絶望に染まったまま見開かれていた。

 

「…………」

 

アルフレッドの声は出なかった。

 

感情が爆発するよりも速く、彼の胸の中で「人間としての心」が音を立てて砕け散った。

 

彼はシルヴィアの冷たくなった遺体の前に跪き、その瞳を静かに閉じさせた。

 

そして、その無残な最後の姿を、絶対に忘れないよう脳裏に深く、深く焼き付けた。

 

紫のオーラが、彼の体から溢れ出た。

 

それはもはや人間の気配ではなかった。

 

神威の残滓を纏った、飢えた悪狼の気勢であった。

 

彼は魔剣フェンリスを抜くと、単身で山間部へと向かった。

 

そこには、千人を超える野盗どもが集落を築き、奪った酒と女で勝利の宴を催していた。

 

「ひっ……!? な、なんだあいつは!?」

 

見張りの男が声を上げる暇もなく、紫の疾風が駆け抜けた。

 

次の瞬間には、見張りの首が吹き飛び、血の噴水が舞った。

 

「敵襲ーッ! 敵襲だーっ!!」

 

狂乱する野盗どもが武器を手に群がってくる。百人、二百人、五百人。

 

だが、アルフレッドは剣を振るうだけではなかった。

 

爪で引き裂き、牙で噛み千切り、殺した敵の肉を喰らい、血をすすった。

 

死体すら残らない。化け物となった彼が、全てを喰らい尽くしていくからだ。

 

「ひいぃぃっ! 化け物! 化け物だああっ!」

 

「助けてくれ! たすけっ……!」

 

命乞いをし、涙を流して這い回る野盗の頭目に、紫の甲冑に身を包んだアルフレッドが覆いかぶさった。

 

氷のように冷たい声が、地獄の底から響く。

 

「……そんな言葉で、許されるか」

 

次の瞬間、絶叫とともに野盗の首が噛みちぎられ、血みどろの宴は終わりを迎えた。

 

千人を超える野盗の集団は、一夜にしてただ一人の「人狼」によって完全に平らげられたのである。

 

その日を境に、アルフレッド・ベルンハルトという存在は、王国の歴史において絶対的な凄惨さと最強の武力を象徴する存在となった。

 

人間とは思えぬ神の力を振るい、彼は王国の領土を凄まじい勢いで伸長させていった。

 

隣国が攻め寄せれば単身で陣営に乗り込み、数万の軍勢を潰走させ、そのまた隣の国も次々と征服していく。

 

彼が駆け抜けた戦場には、敵の死体すら残らない。喰らい尽くされるからだ。

 

人々は彼を絶大な力として畏怖し、その恐怖の裏返しとして、やがて『人狼』と呼ぶようになった。

 

王国の最強兵力として創設された『人狼騎士団』。

 

その団長となった彼は、中央大陸の全域を平定。

 

さらには過酷な北部大陸へ、そして灼熱の南部大陸へと、転戦に次ぐ転戦を重ねた。

 

何のために戦うのか。

 

王のためでも、名誉のためでも、富のためでもない。

 

ただ一つ、愛した女との約束のためだった。

 

『平和な世の中にしてくださいね、アルフレッド様』

 

花畑で無邪気に笑い、花冠を作ってくれたシルヴィアの声が、今も彼の耳底に響いている。

 

「俺は約束を守るぞ、シルヴィア」

 

二十六歳の姿のまま、時が止まってしまった青年は、ただひたすらに戦い続けた。

 

三百年という時が流れても、彼の肉体は衰えず、傷を負っても即座に再生した。

 

本当の心臓を潰されない限り、彼は絶対に死なない。

 

血にまみれ、死臭を放ち、狼の輪郭を持った紫のオーラの鎧を身に纏いながら、彼は世界を平定するための殺戮を重ねていった。

 

人間を捨て、化け物となり、世界から恐れられる存在になろうとも、彼の根底にあるのはただ一筋の、狂おしいほどの純愛であった。

 

「……ふう」

 

王城の中庭で、アルフレッドは最後の煙草の煙を吐き出した。

 

紫煙は風に巻かれ、静かに午後の日差しの中へ溶けて消えていく。

 

煙草の葉は、彼が遠征した南部諸国から取り寄せている極上品だ。

 

かつて戦場で嗅いだ血の匂いを消すために吸い始めた代物だったが、今ではこの独特の苦みが、彼にとっての日常となっていた。

 

アルフレッドは銀製の小箱を眺める。

 

シルヴィアが好きだった故郷の砂糖菓子。

 

これを口に含むたび、彼は自分が「アルフレッド」という人間であったことを思い出す。

 

もしこの甘さを忘れ、過去の記憶を失ってしまえば、彼は真の意味でただの「飢えた悪狼」へと成り下がってしまうだろう。

 

だからこそ、彼はどれほど血に塗れようとも、この小さな銀の箱だけは手放さなかった。

 

「……まだ、平和には程遠いな、シルヴィア」

 

彼は静かに言葉を漏らした。

 

統一王朝の足音が、すぐそこまで聞こえてきている。

 

時代は変わり、やがて平和な世が訪れるのかもしれない。

 

だが、その平和な時代の礎となるのは、彼が流してきた膨大な血の海と、彼という化け物の存在なのだ。

 

歴史家たちは彼を「人間の皮を被った狼」と恐れおののきながら記すだろう。

 

だが、どれほど世界に蔑まれようと、化け物と蔑まれようと、彼にとってはどうでもよいことだった。

 

胸の奥深く、紫のオーラの裏側で脈打つ、唯一無二の「心臓」。

 

それを動かしているのは、神の呪いなどではない。

 

三百年前のあの日、十二歳の少女が編んでくれた、名もなき野花の花冠の温もりなのだから。

 

アルフレッドは銀の箱を愛おしむように撫で、静かに懐へ収めた。

 

ふと誰もいない中庭に視線を巡らせ、鼻で笑った。

 

「……ふん、今日はあいつが――あの酒飲みエルフのミリアルデがいなかったな。まあ、いいさ」

 

腐れ縁である悪友の呑気な顔を脳裏に浮かべ、どこか呆れたような、けれどわずかに毒気を抜かれたような吐息を漏らすと、狼の瞳をした男は噴水の縁からゆっくりと立ち上がった。

 

カシャリと重厚な音を立てて、魔力で編まれた漆黒の甲冑が再びその身を包み込んでいく。

 

アルフレッドは静まり返った中庭を一瞥すると、次の戦場へ向けて、重々しい足取りで歩みを進め始めた。

 

 

 

(続く)




初めまして、ご覧いただきありがとうございます!

『葬送のフリーレン』の世界観をお借りした、オリジナル主人公「アルフレッド」の物語となります。

重厚な歴史の裏で、不老の呪いと果てしない純愛を抱えて戦う一人の男の生き様を描いていければと思っています。

オリジナル設定や独自の歴史(統一王朝など)が多く含まれるダークファンタジーですが、楽しんでいただければ幸いです。

次回は、彼の腐れ縁であるエルフの女性ミリアルデが登場します。

面白いと思っていただけましたら、ぜひブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の励みになります!

どうぞ最後までお付き合いよろしくお願いいたします。
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