人狼の騎士 ~統一王朝崩壊史~   作:ポーツマス亭

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第16話 狼の泉と魔王によるエルフ絶滅命令

建国の大典から数年の歳月が流れていた。

 

世界全土を包み込んだ怒涛の変革は、人間たちの世界に確かな繁栄と秩序をもたらしていた。

 

しかし、人間たちが刻む激しい時代の変化などどこ吹く風と言わんばかりに、王宮の奥深くにある中庭だけは、変わらぬ静寂を保ち続けていた。

 

冷たい月光が水面を白く浮き立たせる噴水広場。

 

漆黒の軍服を纏った人狼の騎士アルフレッド・ベルンハルトは、太い葉巻の先端に灯した紫の魔力を揺らめかせ、重々しい吐息とともに紫煙をくゆらせていた。

 

手慣れた手つきで革袋から磨き抜かれた銀の小箱を取り出し、蓋を開けて一粒の白い砂糖菓子を口へ放り込む。

 

故郷の甘さと香草の苦みが舌の上で溶けていく感覚も、数年前と何一つ変わらない。

 

「……相変わらず、綺麗だな。ミリアルデ」

 

アルフレッドは黄金の瞳をかすかに細め、噴水の縁に腰掛けたエルフの大魔法使いへと視線を向けた。

 

数千年の悠久を生きるエルフの生命力は、人間社会の移ろいなど遠い世俗の出来事として突き放していた。

 

ミリアルデは酒瓶を口元から離すと、薄桃色の唇をかすかに緩めて返した。

 

「相変わらず、お世辞が下手ねぇ……人狼さん」

 

二人はお互いの変わらぬ佇まいと、内に秘めた不滅の活力を確かめ合うように静かに言葉を交わした。

 

不老不死の怪物と、数千年の時を生きる大魔法使い。

 

人間たちが老い、移ろい、去っていく世界で、ただ二人だけが同じ「永遠」の速度で時を刻んでいる。

 

その確信だけが、夜の静寂の中で互いの魂を繋ぎ止める温かな束縛となっていた。

 

だが──アルフレッドは、彼女が醸し出す雰囲気にわずかな違和感を覚えた。

 

いつもなら悪戯っぽく笑い、酒を賑やかに煽っているはずの彼女の佇まいに、酷く深々とした暗影が落ちている。

 

長耳が力なく揺れ、薄緑の瞳はどこか遠い過去の闇を見つめているかのようだった。

 

「どうした? 浮かぬ顔をしているな」

 

アルフレッドは葉巻を指先に挟み、問いかけた。

 

低く重厚な声には、長年連れ添った同胞に対する静かな慈愛が込められていた。

 

ミリアルデは膝の上の酒瓶を強く握り締め、長い沈黙の末にぽつりと呟いた。

 

「魔王がね……エルフ族を皆殺しにしろって命じたのは知ってるでしょう」

 

アルフレッドの黄金の瞳が微かに揺れた。

 

「ああ、北の魔族たちが人里を襲わずにエルフの村を襲っているのは耳にした」

 

魔族の王による、非道な種族抹殺の意思。

 

圧倒的な魔法の才を持ち、永劫の時を生きるエルフという存在は、魔族にとっても長きにわたる最大の脅威であった。

 

ここ数年、北方の大陸において魔族による凄惨なエルフ狩りが激化しているという報せは、人狼騎士団の諜報網を通じてもアルフレッドの耳に届いていた。

 

ミリアルデは弱々しく首を振ると、胸をかきむしるような切ない吐息を漏らした。

 

「私の知っている村も襲われてね……全滅したわ。一人だけ……フリーレンという幼い子がどこへ消えたかも分からなくてね。ずっと、気にかかるのよ」

 

声がかすかに震えていた。

 

数千年の時を生き、世俗の喜怒哀楽を超克したかに見えた大魔法使いの胸の中に、いまなお残されていた同族への愛と、幼き命への痛切な愛おしさ。

 

故郷の村が灰燼に帰し、かつて見守った幼子が行方知れずとなった絶望が、彼女のみずみずしい肌の下で深く燻っていたのだ。

 

「……そうか。そのようなことがあったのか」

 

アルフレッドは低く掠れた声を絞り出し、それ以上言葉を続けることができなかった。

 

人狼騎士団の圧巻の武功と、皇帝コンラートの執政により、統一王朝の版図は大陸全土へと広がっていた。

 

だが──皇帝の支配を受け入れず、人里離れた太古の森や山脈に隠れ住む異種族たちの集落に、王朝の庇護は届かない。

 

その庇護の外側で、エルフたちは魔族の猛威に晒され、誰にも知られることなく虐殺されていたのだ。

 

ミリアルデの静かな沈黙が、刃のようにアルフレッドの胸を深く抉る。

 

自分がついた「優しき嘘」がフランメを魔法の狂気へ走らせたように、コンラートと共に築いた人間たちの「平和」が、庇護から漏れたエルフたちを孤立させ、ミリアルデの故郷を崩壊させる遠因になったのではないか、と。

 

「……自分を責めるような顔をしないでちょうだい、人狼さん」

 

不意に、ミリアルデが小さく笑った。

 

彼女は酒瓶を小脇に抱え直すと、少しだけ長耳を揺らし、アルフレッドの胸元──漆黒の軍服へとそっと指先を触れさせた。

 

「あんたが人間たちのために血を流してきたことを、私は責めたりしないわ。あんたはいつだって、目の前にある守るべきものを必死で守ってきただけでしょ。コンラートやロザリアちゃんを守り、人間社会に平和をもたらした。それは間違いなく、あんたが三百年の孤独の中で掴み取った誇りよ」

 

「ミリアルデ……」

 

「ただ……エルフの時と、人間の時間はあまりにも違いすぎるのよね」

 

彼女は静かに手を離し、噴水の水面に映る満月を見つめた。

 

「人間は数十年で歴史を作り、国を建て、そして死んでいく。でも私たちは、その歴史が生まれ、栄え、滅びていくのを、ただずっと横で見つめ続けるのよ……村が灰になっても、あの子が消えても、私の時間は何事もなかったかのように続いていく。それが……ときどき、酷く寒く感じるの」

 

アルフレッドは無言のまま、銀の小箱からもう一粒の砂糖菓子を摘み上げると、それを自分の口ではなく、ミリアルデの目の前へとそっと差し出した。

 

「……食うか?」

 

幼子を慰めるような、どこまでも不器用で、けれど一切の偽りがない温かな差し出し方。

 

ミリアルデは一瞬だけ目を丸くし、それからふっと、心の底から慈しみを含んだ笑みをこぼした。

 

「ふふ……本当に、あんたって男は……」

 

彼女はアルフレッドの大きな指先から、ちいさな白い砂糖菓子を自分の指先で摘まみ上げると、可憐な唇の隙間からそっと口の中へ放り込んだ。

 

故郷の甘さと、香草のほろ苦さ。

 

三百年前の死者の思い出であり、不老の狼の心を繋ぎ止めてきたその味が、ミリアルデの冷えた体内にじわりと広がっていく。

 

「甘いわね……すごく」

 

「……故郷の味だ」

 

「そうね。なんだか、少しだけ温かくなったわ」

 

ミリアルデはそっとアルフレッドの軍服の袖を掴み、その太い腕に自分の肩を寄り添わせた。

 

死臭と紫煙の匂い、そして男の確かな体温。

 

世界がどれほど残酷に変わり果てようとも、自分の隣には、同じ永劫の孤独を背負い、自分の悲しみに寄り添ってくれる狼がいる。

 

その存在こそが、数千年の悠久を生きる彼女にとって、絶望の暗闇に灯る唯一の救いであった。

 

アルフレッドは寄り添う彼女の温もりを感じながら、手元に残った葉巻を深く吸い、煙を静かに吐き出した。

 

魔王のエルフ狩り、行方不明となったフリーレンというエルフの少女、そして狂気への一歩を踏み出したフランメ。

 

統一王朝という栄華の陰で、歴史の潮流はより苛烈に、そして凄惨に渦巻き始めていた。

 

だが、どれほど凄惨な宿命が待ち受けていようとも、この不老の二人だけは、互いの体温と気高き愛を胸に刻み、どこまでも共に行くだろう。

 

月光が照らす噴水広場で、重なり合うふたつの超然とした影は、夜が明けるまで静かに寄り添い続けていた。

 

 

(第17話に続く)




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