「狼の泉」を後にしたフランメとフリーレンは、宿泊している城下町の宿の部屋へと戻っていた。
寝間着に着替え、ベッドに横たわって細身の葉巻をくゆらせるフランメ。
その隣のベッドでは、積み上げられた分厚い魔導書に囲まれたフリーレンが、足を楽しそうにパタパタと揺らしながらページをめくっていた。
「フランメ、タバコくさい」
「師匠(せんせい)だ、フリーレン。この一本を吸い終わるくらいはいいだろう」
「師匠、いつもその煙草だね。そんなに好きなの?」
フランメはふっと可憐な唇を緩めると、身を起こして不敵な笑みを浮かべた。
「こいつはね……私に煙草を覚えさせた奴と同じ南部産の銘柄なんだ。まだ生意気なだけの小娘だった頃、あいつがこれを美味そうに吸っているのを見て、無性に気になったのさ」
フランメの脳裏に消えぬ焼きつきとなって残っていたのは、あの夜の噴水広場の情景だった。
人狼の騎士が差し出した銀の小箱――その中に入っていた彼の故郷のお菓子を、幼い自分が夢中で食べている横で、どこか遠い目をして愛おしそうに紫煙をくゆらせていたあの男の佇まい。
「私はこの煙草を吸うたびに、あいつの顔を思い出しているんだ。とどのつまり……私はそいつのことが気になっているんだよ。お前にわかるか、フリーレン?」
「気になる……?」
フリーレンはキョトンとした顔で、にやけた表情を隠そうともしない師匠を見つめた。
「恋愛」という概念すら未だ欠落している幼きエルフの少女には、その言葉の真意が完全には理解できない。
けれど、フリーレンはふと、己の舌の上に残っているあの砂糖菓子の素朴な甘みを思い出していた。
「……私も、気になる」
「は?」
フランメが思わず煙草を落としそうになってフリーレンを見返すと、少女は魔導書をパタンと閉じ、澄んだ瞳のまま淡々と続けた。
「私も……あのとき投げキッスしたとき、あいつが変な顔をして泉に落ちたのが、気になる」
「……っははは! そうだったな!」
フランメは腹を抱えて大声で笑い出した。
片や、『魔法改革』という歴史的偉業を断行すべく、政治工作の構想とともに煙草をくゆらす女。
片や、教えられた通りの「対人魔法(投げキッス)」で、絶対的な人狼の騎士を「狼の泉」へと見事に叩き落とした少女。
「いいか、フリーレン。あいつはね、ただの化け物じゃない。この世界の残酷さを全部飲み込んで、それでも一人の女との約束のために立ち続けている……最高に馬鹿で、最高に格好いい男なのさ」
フランメは短くなった煙草を灰皿に押し付けると、小さな魔法で部屋の明かりをふっと消した。
「あいつの隣に並ぶには、私はもっと世界をひっくり返さなきゃいけない……寝るぞ、フリーレン。明日、人狼の奴との打ち合わせが終わったら、また魔族を『ぶっ殺す』ための修行をしてやるよ」
暗闇の中、フリーレンは静かに窓から差し込む青白い月光を見つめていた。
先生が気になる人狼。自分が投げキッスを贈って変な顔をさせた人狼。
その凄惨で不気味な佇まいが、銀の小箱が放つ甘い香りと共に、エルフの記憶の深層へと、深く、静かに刻み込まれていく夜だった。
(第25話に続く)
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